「COM」「COM掲載作品」「ぐら・こん」についてや、
漫画家や漫画作品についての感想や想い、
漫画界への意見や提言等や関連する話題等も含めて
テーマやカテゴリー分けをせず自由な形の原稿や記事を
掲載していこうと思います。

また、過去に掲示板に書き込まれたイベント・レポートや記事等も、
 順次こちらで読めるように転載していこうと考えています。

そんな訳で、皆さんの原稿を募集します。
掲示板に書き込んでいただくか
以下のメール・アドレスまでお送りください。

dairy_kawaraban-gracom@yahoo.co.jp

どちらの場合も「ぐら・こん雑記帖」掲載希望と記してください。
もちろんペンネームでも結構です。
掲載に際しての原稿料・謝礼等はありませんので御了承下さい。

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★こんにちは、漫棚通信です★
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 こんにちは。ネット上では漫棚通信と名のっています。
2003年以来、この名前でマンガに関する文章をぽつぽつと書いております。

 こちらのサイトではわたしが「COM」に投稿した稚拙なマンガを掲載していただいてますが、
いやお恥ずかしい、まさに中二病作品で、自分ではいまだに直視できません。

 なぜ自分が「COM」にマンガを投稿したかは、残念ながらあまり記憶にありません。
しかし「COM」との出会いについては覚えています。「COM」1967年創刊号が発売されたのが
1966年末。わたしがはじめて手にした「COM」は1967年の3月号。おそらくその年の2月ごろの
発売だったのでしょう。

 表紙イラストは石森章太郎「ジュン」。彼がリンゴを手にした有名な絵ですね。当時わたしは
半ズボンの小学生。おそらく「COM」読者としては最年少に近い部類だったと思います。
でも初期の「COM」は小学生でもオッケーな雑誌でした。

 この1967年3月号に掲載されたマンガは、手塚治虫「火の鳥 黎明編」、永島慎二「青春裁判」、
石森章太郎「ジュン」、みやわき心太郎「つくしんぼ」、出崎統「悟空の大冒険」、
そして手塚治虫「フィルムは生きている」の再録。

 ね、とくに「悟空の大冒険」や「フィルムは生きている」なんか、小学生向け、といえなくも
ないでしょ。このあたり前身となる「鉄腕アトムクラブ」の雰囲気をひきずってたのですね。

 どの作品もすべておもしろかったのですが、小学生にとって大ショックだったのが
永島慎二「青春裁判」。今から見ると、観念的会話劇を甘い甘い砂糖でくるんでみました、
みたいな作品なんですが、ハナタレ小学生はこれを、何かよくわからないけどすごいっ、
と感じてしまいました。

 当時のマンガ状況がどうだったかといいますと、月刊誌は落日の時代でした。光文社「少年」は
すでに「鉄人28号」が終了し1968年には休刊してしまいます。この時期わたしのお気に入りだった
「少年画報」は「マグマ大使」と「怪物くん」で健闘していましたが、こちらも1969年には
月二回刊になってしまいます。

 いっぽうの週刊誌。週刊少年サンデーでは「おそ松くん」の連載中。「オバQ」が終わって
「パーマン」が始まったころ。手塚治虫は「バンパイヤ」を連載中。週刊少年マガジンでは
「巨人の星」の連載が始まったのが1966年。さらに「悪魔くん」やら「サイボーグ009 ヨミ帝国編」
やら楳図かずお版「ウルトラマン」が始まってて、いよいよマガジンがサンデーを追い抜こうという
時期です。翌1968年には少年ジャンプが創刊されます。

 子供たちにとって、すでにマンガは親に買ってもらうものではなくて、自分で選んで買うもの、
になっていました。少ないこづかいから、どの雑誌を選ぶか。これは大きな問題でしたが、
わたしはこれらの雑誌の中から、なぜかお兄さんお姉さん向け月刊誌「COM」を選ぶことになりました。

 1967年の「COM」で忘れられないのが岡田史子。すでに1967年2月号の「ぐら・こん」への
投稿作、「太陽と骸骨のような少年」で満天下を驚かせたそうですが、わたしリアルタイムでは
読んでません。

 わたしにとっての衝撃は1967年10月号でした。この号の「ぐら・こん」の佳作に
岡田史子「ポーヴレト」が選ばれました。縮小して全ページ掲載されたこの作品、
今読んでも難解なのですが、まして当時の小学生にとってはどうだったか。ワケワカランっと
思いながら、それでもやたらと魅力的でくりかえしくりかえし読みましたね。

 岡田史子の手によって1967年に新世代の少女マンガが誕生しました。岡田史子こそ、24年組の
母でした(もうひとりの母は矢代まさこですね)。

 さらにこのヒネた小学生を引きつけたのが、「COM」の文章のページ。マンガに関する記事の
数々がずらずらと。マンガを語る、マンガを学ぶ、マンガを研究する。マンガに対するアプローチが、
読むことと描くこと以外にもある、ということを教えてくれたのも「COM」でした。

 1967年は「COM」創刊以外にも大きな出版史上の事件がありました。
新書判コミックスのブームです。
 1966年にコダマプレスダイヤモンドコミックス、小学館ゴールデンコミックス、
集英社コンパクトコミックス、秋田書店サンデーコミックス、朝日ソノラマサンコミックスなどが
つぎつぎと発行開始。1967年に講談社コミックスと少年画報社キングコミックスが参入し、
1968年には虫プロ虫コミックスが続きます。

 新書判の発行以前、書店には「マンガの棚」がありませんでした。マンガ単行本といえば、
けっこう豪華なつくりの単行本か、カッパコミクスのようなB5判雑誌形式のものが主流。
新書判コミックスの登場以来、マンガ単行本の発行点数、部数は急激に増加します。

 書店ではレジの後ろの棚ににマンガを並べるようになり、わたしのような小学生が、おばちゃん、
それ取ってー、と言って取り出してもらいます。おばちゃんの目の前ですから立ち読みなどはできる
わけもなく、ぱらぱらっとめくって一瞬で買うかどうかを決める! 
こうして新書判コミックスの誕生とともに、マンガを読んで集めて語るひと、マニアそしてのちに
オタクと呼ばれる人種が現れることになります。

 このように、1967年「COM」が創刊され、新書判コミックスのブームがあったことのふたつが、
その後わたしがマンガについて読んだり書いたりすることの原点になっているのです。
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2013.10.31/漫棚通信
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★白石さんの「セミ」と「きょうだい」とについて★
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 日常の中にあるちょっとした幸せや優しさ、
また思春期の心境も感じられ、おもしろく拝読しました。
ちょうど先週、マンガの授業で『COM』『ガロ』について講義したところでしたので、
学生さんにも紹介させていただきます。
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2013.11.12/西原麻里<梅花女子大学ほか非常勤講師>
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★白石晶子さんの作品を読んで★
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 「たずねびと」で40年振りに原稿の返却ができたという話を、
友人にしました。すごいと言ってくれる人が多かったです。

花園大学創造表現学科の学生さんたち18名が、
白石晶子さんの作品を読んで感想を書いて送ってくれました。
その内容を紹介します。

 ほぼ全員が「時代を感じる」と答えています。
その理由として、手塚治虫っぽいと書いた人が3人ありました。
また、平和な家族の話を理由に挙げる人も3人。
昔は家族愛が主流だったと聞いた事がある、
と書いてあったのにはびっくりしました。
エプロン姿やつっかけを挙げた人が1人。
ゆっくり時間が流れていると書いた人が2人。
コマ割りに変形コマがないから、そう感じると、
ちゃんと分析していました。
コマ割りが現在の漫画と違うと感じながら、
懐かしさを感じるという人もありました。
また、このストーリーが好きだから、
特に古いとか違和感はなかったという人もありました。

 みんな真剣に考えて頂いたようで、
こうした感想を読んで私たちがどう感じたかを、
ご返事しないといけない気がしています。
皆さんいかがでしょう?
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2013.12.03/中島 隆
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