『保育唱歌』

東京女子師範学校依頼
宮内省式部寮雅楽部撰譜(1877−83年)
芝祐泰 五線譜編纂(1959年12月8日)


斎藤基彦

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明治の学制で幼児を保育するための機構,幼稚園が初めて導入された.東京女子師範学校付属の幼稚園では保育のために音楽が必要であるということになり,その音楽の作成を宮内省式部寮雅楽部に依頼した.その結果,通称『保育唱歌』,詳しくは『保育並ニ遊戯唱歌』が作成された.

原本は雅楽の墨譜(すみふ)であり,素人が原本に接するのは難しい.たとえ見ることができたとしても,雅楽の記法で記録されているため,邦楽に堪能な人でなければ,理解するのは難しい.
幸い,芝祐泰(すけひろ)氏がこれらを五線譜に直したノートを残されたので,われわれ素人にも理解できるようになった.しかし残念なことにまだ活字印刷はされていないので,ここでデータベースとして,歌詞と楽譜を示す.楽譜は江崎公子編集『音楽基礎研究文献集』に復刻されている芝祐泰氏のノート[1]から採った.ご容赦願いたい.
目次の唱歌には便宜のため番号をふった.元のノートでは『水底の月』(対応する譜無し),『二見の浦』(譜は他曲を借りた),『遊魚』(譜の調子が異なるのみ)の3曲の歌詞が重複しているので重複分を除いた.題名を変更されたものは括弧内に初めの題を示した.本文中の詠者,撰譜者,上申の日付は芝葛鎮の記録によった.上申の日付は撰譜を式部寮頭に提出した日付と考えられる.原歌詞は片仮名書きであるが,芝祐泰氏が漢字混じりの平仮名に書き直されたので,分かり易さのためそれを採用している.ただし,明白な誤記は訂正した. 序文は同じノートに収録されている,芝葛鎮の仮綴本『保育唱歌 上』より採った.

この唱歌集は序文にもあるように,東京女子師範学校(現在の御茶ノ水大学)の依頼により,式部寮雅楽部の伶人らが作曲したものであるが,その期間は1877(明治10)年11月から1882(明治15)年末にわたっている.1883年4月に出版が試みられたが実現しなかった.
曲譜の数は,異なる歌詞に同じ曲を用いた場合があるので92曲,二番以下で異なる譜のもの11譜を加えると合計103譜にのぼる.歌詞の数は十九番と五十五番が同じなので99歌詞,2番以下を異なるものと看做すと更に21歌詞が加わる.

題名の唱歌は恐らく日本古来の呼称「しょうが」と呼ばれていたと思われる.当時まだピアノやオルガンは十分普及していないので,笏拍子で拍子をとり,和琴(わごん)の伴奏で演奏された.一部が CD[2]に収録されているが,それを聴くと,なんとものどかな印象を受ける.
その後,音楽取調掛から『小学 唱歌集』や『幼稚園唱歌集』が出版されると,これら新しい洋風の唱歌(こちらは「しょうか」と呼ぶのが普通である)が風靡することになる.和風の『保育唱歌』は,歌詞が幼児向きでなかったことも相まって,歴史的な役割を終える事となった.数曲は歌詞を変更して『幼稚園唱歌集』『小学 唱歌集』『中等唱歌集』に採用されたが[3],現在歌い継がれているのは,現行国歌の第十九曲の『君が代』くらいなものであろう.





武村耕靄 (1852-1915) 画「幼稚鳩巣遊戯之図」(原画は大阪市立愛珠幼稚園所蔵)
主任保姆松野クララ,保姆豊田芙雄,近藤浜と女高師附属幼稚園の園児たち.

芝葛鎮の仮綴本『保育唱歌 上』の序文

 明治十年十一月を起原として漸次撰成する此歌曲は 東京女子師範学校幼稚園保育歌謳の譜を同校摂理中村正直より式部寮に請ひ 寮より雅楽課に下附せられ伶人をして墨譜を撰定し寮頭の調整を経由して之を該校[女偏に呆 ほ]母に教授し生徒をして謳はしむ所なり
 歌は該校に於て西洋原歌の意味を訳し或は日本の古歌を撰抜して之を用ゆ
 唱歌の歌は笏拍子に節を拍ち琴に声を応和して謳ふ
 遊戯の歌は笏拍子を拍ち節を左右の歩に踏みて謳ふ

                            芝 葛鎮


目次


保育唱歌の部

第一    学道
第二    父こそ
第三    民草
第四    春日山
第五    天鶴群
第六    神之光(神之道)
第七    筍
第八    うなゐのみちびき
第九    まなびのゆきかひ
       (学校往来)
第十    人の誠(人の道)
第十一   滝の白糸
第十二   夏山
第十三   明石の浦
第十四   梢の藤
第十五   去年の雪
第十六   蟋蟀
第十七   大和撫子(瞿麦)
第十八   若紫
第十九   君が代
第二十   鏡山
第二十一  海行かば
第二十二  露霜(秋の日影)
第二十三  元は早苗
第二十四  墨縄
第二十五  ははそば
第二十六  菊のかざし
第二十七  神恵
第二十八  兄弟の友愛
第二十九  子の日遊
第三十    やすきためし
第三十一  教の道
第三十二  みちのく山
第三十三  かひある千代
第三十四  露の光
第三十五  造化の妙
第三十六  木毎之花
第三十七  竹之根
第三十八  行巡
第三十九  雪降りて
第四十    六の球
第四十一  赤色
第四十二  黄色
第四十三  青色
第四十四  柑色
第四十五  緑色
第四十六  紫色
第四十七  元色
第四十八  間色
第四十九  ふりぬる文
第五十    倭心
第五十一  百鳥
第五十二  我が行末
第五十三  隅田川
第五十四  梓弓
第五十五  さざれいし
第五十六  春の山辺
第五十七  桜(桜をよめる)
第五十八  唐琴の浦
第五十九  水底の月
第六十    いろは
第六十一  二見の浦
第六十二  よよの親
第六十三  遊魚
第六十四  花橘
第六十五  鹿島神
第六十六  よろづの事
第六十七  白金
第六十八  苗代水
第六十九  盲想遊戯
第七十    山時鳥
第七十一  山下水
第七十二  君が恵
第七十三  冬の円居
        (冬燕居)
第七十四  夜さむ
第七十五  河水
第七十六  思ふどち
第七十七  そむかぬ道
第七十八  浜の真砂
第七十九  不二の山
        (富士山)
第八十    王昭君
第八十一  こがひ(養蚕)
第八十二  堤の雲
第八十三  富士の峯
        (白雲)
第八十四  山吹(款冬)
第八十五  科戸の風


遊戯唱歌の部

第八十六  風車
第八十七  園の遊
第八十八  兎
第八十九  手車(遊行)
第九十    家鳩
第九十一  野山の遊
第九十二  めしひのあそび
第九十三  こねづみ
第九十四  春
第九十五  夏
第九十六  秋
第九十七  冬
第九十八  山家
第九十九  宇治川
第百     花見之駒


音楽取調掛に雇われた伶人たち

雅楽の音律について

君が代撰譜の事情

撰曲者索引

参考



保育唱歌

第一 学道 (昭憲皇后御歌,東儀季熈撰譜) 1878年3月上申
      壱越調律旋 拍子六,笏拍子,琴

  磨かずば 玉も鏡も 何かせむ
  学(まなび)の道も 斯くこそ在りけれ.

  [注] 御歌は1876年2月東京女子師範学校に下賜された.この曲は同校の校歌
      となった.その後曲は現行のもの(御茶ノ水大学校歌)に改められた.
      詳しくは『尋常小学唱歌』その2 参考楽譜 みがかずば を参照されたい.



第二 父こそ (東儀頼玄撰譜) 1878年2月2日上申
      壱越調律旋 拍子十,琴

  父こそは 帰りましたれ 営(いとなみ)の
  暇(いとま)無き身を 朝毎(あさなげ)に
  我も愛(め)でます 畏くも
  愛(うつく)しみます その朝毎に.


第三 民草 (豊田芙雄詠,東儀季芳撰譜) 1878年6月17日上申
      壱越調律旋 一段拍子六,二段から七段拍子七,八段拍子十六,琴

  水塞(せ)き入れて 御注連(みしめなわ)
  豊(ゆた)に引き生(は)へ 八束穂(やつかほ)の
  垂穂(たりほ)の稲の 年あらむ
  心頼みを 今下(おろ)すなり.

  [注] 作詞者は倉橋・新庄[9:p. 259]に依る.

二 里の子が 裳の裾濡らし 玉苗を
  植え渡す見ゆ 君の為とや 国の為とや.
三 里毎に 垂穂(たりほ)の稲を 刈り積みて
  年ある秋は 豊(ゆた)けかりけり 閑(のど)けかりけり.
四 小車(おぐるま)に 積みたる稲は 霊幸(たまぢはふ)
  神の賜へる 八束穂(やつかほ)の稲 赤ら穂の稲.
五 手も清(すま)に 垂穂(たりほ)の稲を 扱(こ)ぎ取りて
  賑はふ見れば 頼もしの世や 面白の世や.
六 稲穂打つ 棹の響の 度々に
  立栄(たちさか)ゆべき 国の御宝(みたから) 御代の御宝.
七 大蔵の 早生(わせ)も晩生(おくて)も 積み満てて
  安易(やす)き此身は 熟寝(うまね)をや為(せ)む 安寝(やすね) をや為む.

  二段から七段の譜

八 豊年(とよとし)の 御年(みとし)に逢ひて 八束(やつか)足る
  新住(にひす)の煤(すす)を 焚き篭(こ)らす
  竈の煙 遠近(をちこち)に
  賑はひ満ちて 御民等が
  里も轟に 歌ひつつ
  笑楽(えらぐ)を見れば 安らけき
  御代の恵は 目出度きろかも.

  八段の譜
豊田芙雄(ふゆ).


第四 春日山 (明倫集 入道前太政大臣女詠,上真節撰譜)  1878年8月上申
      壱越調律旋 拍子十四,琴

  春日山 常磐の松の 影に居て
  尚 天皇(すめらぎ)の 千年(ちとせ)祈らむ.


第五 天鶴群(たづむら) (山井基万撰譜) 1878年6月17日上申
      壱越調律旋 拍子十四,琴

  旅人の 泊(やどり)せむ野に 霜降らば
  我が子育くめ 天(あま)の田鶴群(たづむら).


第六 神之光 (明倫集 為盛朝臣詠,上真行撰譜)  1878年11月27日上申
      壱越調律旋 拍子九,琴

  治まれる 御代にぞいとど 知られける
  正しき神の 道の光は.

  [注] 『神之道』を改題.



第七 筍 (村田春門詠,近藤浜撰譜) 1878年11月27日上申
      壱越調律旋 拍子八,琴

  生(お)ひ始(そ)めて 親に背かぬ 筍は
  自(おのづ)からにや 千代も垂(た)るらむ.


第八 うなゐのみちびき (豊田英雄訳,芝祐夏撰曲)  1879年1月16日上申
      壱越調律旋 拍子十,琴

  童部(わらはべ)の 悟易すかる 好(よ)き道を
  いざ教へてん その道は
  人を愛(め)づるに 及(し)くものぞ無き.

  [注] 「うなゐ」とは子供の髪型,転じて幼児のこと.



第九 まなびのゆきかひ (辻高節撰譜) 1879年5月10日上申
      壱越調律旋 拍子十,琴

  もの学ぶ 幼童達(うなゐばなり)が 往来(ゆきかよ)ふ
  文(ふみ)の御館(みたち)の 其道は
  冬の日影の 甚(いとど)しく
  短き時の 風交じり
  雪降る時は 行難(ゆきかね)て 遥けく思ほゆ.

  [注] 『学校往来』を改題.



第十 人の誠 (東儀彭質撰曲) 1879年5月10日上申
      壱越調律旋 拍子八,琴

  人皆は 人の誠を 尽しつつ
  神に仕ふる 道学びてな.

  [注] 『人の道』を改題.



第十一 滝の白糸 (千載集 盛方詠.林広継撰曲)  1879年9月13日上申
      壱越調律旋 拍子八,琴

  岩間より 落ち来る滝の 白糸は
  掬(むす)ばでみるも 涼しかりけり.

  [注]千載和歌集の撰者は藤原俊成,文治4年成立.



第十二 夏山 (金葉集 慈円詠,林広守撰曲)  1879年9月13日上申
      壱越調呂旋 拍子六,琴

  山影や 岩漏る清水 音冴えて
  夏の外(ほか)なる 日暮(ひぐらし)の声.

  [注] 金葉和歌集の撰者は源俊頼,大治2年成立.



第十三 明石の浦 (柿本人麿詠,多久随撰譜) 1879年11月上申
      盤渉調律旋

  仄々(ほのぼの)の 明石の浦の 朝霧に
  島隠れ行く 舟惜しぞ思ふ.

  [注] 初め,第四曲『春日山』と同音だったが,明治15年5月新譜がつけられた.



第十四 梢の藤 (橘千蔭詠) 1879年11月上申
      壱越調律旋

  異花(ことはな)の 春を過ごして 争そはぬ
  梢の藤の 心高さよ.
    (第五曲『天鶴群』と同音)

第十五 去年の雪 (続後撰集 前関白左大臣詠)  1879年11月上申
      壱越調呂旋

  春なれど なほ風冴ゆる 山影に
  氷りて残る 去年(こぞ)の白雪.

  [注] 第十二曲『夏山』と同音.『去冬の雪』を改題.
      続後撰集の撰者は藤原為家,建長3年成立.



第十六 蟋蟀(こほろぎ) (万葉集巻十 読人不知)  1879年11月上申
      壱越調律旋

  庭草に 村雨降りて 蟋蟀の
  鳴く声聞けば 秋尽きにけり.

  [注] 第十一曲『滝の白糸』と同音.



第十七 大和撫子 (権掌侍税所敦子詠,林広継撰譜) 上申日不詳
      壱越調律旋 拍子八

  花咲かば 唐錦にも 越えなまし
  誠を種子(たね)の 大和撫子.

  [注] 『瞿麦』を改題.



第十八 若紫 (権命婦平尾歌子詠,多忠廉撰譜) 上申日不詳
      壱越調律旋 拍子十二

  民草(たみくさ)の 繁る根差も 武蔵野の
  若紫の 色に見えつつ.


第十九 君が代 (古今集読人不知詠,林広守撰譜) 上申日不詳
      壱越調律旋 拍子十一

  君が代は 千代に八千代に 小砂石(さざれいし)の
  巖(いはほ)と成りて 苔の生(む)すまで.

  [注] 実際は奥好義によって作曲された.「君が代」成立の経緯 については,後出の
      芝祐泰の談話  君が代撰譜の事情 を参照のこと.芝祐泰は上申日を1878年
      10月下旬と推定している.
      曲譜は後に,東京音楽学校編 『中等唱歌集』 (1889年12月)の 第一番 として採
      録され(ちなみに 『小学 唱歌集』 の第二十三番 「君が代」は別曲であった),更
      に1893年8月には文部省選定 「祝日大祭日唱歌」 8曲の内の 第一曲 として 告示
      され,小学校の儀式で歌うべき唱歌となった.1999年8月国歌として制定された.



第二十 鏡山 (林広守撰曲) 1880年6月上申
      壱越調律旋 拍子六

  近江のや 鏡の山を 立てたれば
  予(か)ねてぞ見ゆる 君が千年(ちとせ)は.

  [注] 1880年5月東京府学務課の依頼による.



第二十一 海行かば (万葉集巻十八 大伴家持詠,東儀季芳撰曲) 上申日不詳
      壱越調律旋

  海行かば 水着(みづ)く屍(かばね) 山行かば
  草蒸す屍 大君(おほきみ)の
  辺(へ)にこそ死なめ 顧(かへり)みはせじ.


第二十二 露霜 (芝葛鎮撰曲) 1877年11月13日上申
      平調律旋 拍子十二,琴

  露霜に 梢は色に 出でにけり
  衣の袖を 吹く風も 身に染む虫の 声すなり
  驚かれけり 年月は
  中端(なかば)を速(と)くと 過ぎの村発(だ)ち.

  [注] 『秋の日影』を改題.



第二十三 元は早苗 (三草集 少将源定従詠,林広季撰曲)  1878年8月上申
      平調律旋 拍子八,琴

  何事も 養育(やしな)ひて見よ 秋の田の
  稲葉も元は 植えし早苗を.


第二十四 墨縄 (多久随撰曲) 1878年4月9日上申
      平調律旋 拍子十,琴

  一筋に 他人(ひと)もを身をも 思ふかな
  打つ墨縄の 直(なほ)かれとのみ 赤き心に.


第二十五 ははそば (上真節撰曲)
      平調律旋 拍子十四,琴. 1878年2月22日上申

  母祖母(ははそば)の 母の御言(みこと)よ 我はしも
  群居(むれゐ)楽しむ 御園より
  帰り来たれり 今こそは
  御手(みて)に纏(ま)かれめ 両親(たらちね)の
  御手に纏かれむ その大御手(おほみて)に.


第二十六 菊のかざし (林広守撰曲) 1878年4月9日上申
      平調律旋 拍子十四,琴

  君が代の 長月に咲く 菊の花
  神の御前(みまへ)に 挿頭(かざし)つるかも 神遊(かみあそび)して.


第二十七 神恵 (玉鉾百首 本居宣長詠,林広継撰譜)  1878年8月上申
      平調律旋 拍子八,琴

  天地(あめつち)の 神の恵みし 無かりせば
  一日(ひとひ)一夜(ひとよ)も 在得てましや.

[注] 玉鉾(たまぼこ)百首 本居宣長撰,天明6年成立.



第二十八 兄弟の友愛 (豊田芙雄訳,豊喜秋撰譜)  1878年10月7日上申
      平調律旋 拍子十二,琴

  兄弟(はらから)は 睦ましみ為(せ)よ 憂き事も
  嬉しきふしも 中垣の
  隔無きこそ 世は楽しけれ


第二十九 子(ね)の日遊 (琴後集 村田春海詠,芝葛鎮撰譜)  1878年10月7日上申
      平調律旋 一二段拍子十四,三段拍子十六,琴

一 初春の 子(ね)の日の野辺に 御苗(みなひ)取る
  いざとし云へば 諸共(もろとも)に
  我も雪間の 小松原
  双葉に千代を 引き添へて 円居(まどゐ)をしつつ.
二 盃(さかづき)に 酌む霞の其方(そなた)なる
  岡辺(おかべ)の梅も 新らしき
  年の栄(さかえ)を 見せ顔に
  花の紐解き 遠方(をちかた)の 一叢竹(ひとむらたけ)に.

  [注] 琴後(ことじり)集.村上春海作,文化7年頃刊行.

三 鶯も 百(もも)喜びを 今日よりと
  声たて初(そ)めつ 悠閑(のどか)なる
  御代(みよ)の春とて 老ぬるも
  若きも共に 斯く為(し)つつ
  心行くのを 訪ふが嬉しさ.

  第三段の譜


第三十 やすきためし (山井景順撰譜) 1878年4月9日上申
      平調律旋 拍子十二,琴

  霊幸(たまぢはふ)神代(かみよ)の事は 浦安し
  慣ひて在れな 安き例(ためし)に 末の世迄も.


第三十一 教の道 (豊田芙雄訳,豊時鄰撰譜)  1879年1月16日上申
      平調律旋 拍子十四,琴

  一筋に 父と母とを 尊みて
  仕へまつるぞ 天地(あめつち)の
  直(すぐ)なる道の 教なりける.


第三十二 みちのく山 (万葉集巻十八 大伴家持詠,林広守撰曲)  1878年11月27日上申
      太食調呂旋 拍子十二,琴

  天皇(すめらぎ)の 御代栄えんと 東国(あづま)なる
  陸奥山(みちのくやま)に 黄金(こがね)華咲く.


第三十三 かひある千代 (明倫集 橘枝直詠,辻則承撰譜)  1878年11月27日上申
      平調律旋 拍子十六,琴

  伊勢之海 清き渚に 拾ふてふ
  甲斐ある千代は 君ぞ数へむ.


第三十四 露の光 (奥好寿撰譜) 1879年1月16日上申
      平調律旋 拍子十六,琴

  仮初の 草葉に宿る 露だにも
  玉なすものを いでやこら
  学(まなび)の道も 心して
  磨かばなどか 光無からむ.


第三十五 造化の妙 (近藤浜詠,近藤浜撰譜,林広守訂正)  1879年5月10日上申
      平調律旋 拍子十八,琴

  天(あめ)に坐す 妙(たえ)なる神の 目出度さは
  云ふ由もなし 萌え出づる
  草も悠閑(のどか)に 花鳥の
  色音(いろね)床しき 春暮れて
  橘馨る 軒(のき)の月
  入り果(はて)も為(せ)ぬ 山の端の
  待つ間の紅葉 染め映えて
  落葉も見えず 降り積る
  雪重げなる 弱竹(なよたけ)に
  雀も群て 遊ぶなり
  斯かる恵の 尽きせぬも
  我が世の友の 幸にぞありける.


第三十六 木毎之花 (古今集 紀友則詠) 1879年11月上申
      平調律旋

  雪降れば 木毎(きごと)に花ぞ 咲きにける
  何方(いづれ)を梅と 別(わき)て居(を)らまし.

  [注] 第二十三曲『元は早苗』と同曲,明治15年9月五声に改撰.



第三十七 竹之根 (橘千蔭詠,山井基万撰譜)  1880年5月20日上申
      平調律旋 拍子十八,琴

  竹の根の 下廻ひ渡る 節の間も
  今日の日蔭を 空虚(あだ)に暮らすな.


第三十八 行巡(ゆきめぐり) (古今集 小野右大臣詠,東儀彭質撰譜) 1880年5月20日上申
      平調律旋 拍子九,琴

  行巡(ゆきめぐ)り 相見ま欲しき 別(わかれ)には
  命も共に 惜しまるるかな.


第三十九 雪降りて (古今集,上真行撰譜)  1880年5月20日上申
      平調律旋 拍子三

  雪降りて 歳の暮ぬる 時にこそ
  少(つい)にも怖(みぢ)ぬ 松も見えけり.


第四十 六の球 (豊田芙雄詠,辻高節撰譜) 上申日不詳
      平調律旋 拍子十

  六(むつ)の球 糸もて作り 其の色は
  同じ数程 有りとこそ知れ.

  [注] 作詞者名は倉橋・新庄[9: p. 247],山住[4]による.


第四十一 赤色 (豊田芙雄詠,奥好義撰譜) 上申日不詳
      平調律旋 拍子十

  天津日の 色に象(かたど)り 赤き緒ぞ
  球の遊(あそび)の 初(はじめ)とはする.

  [注] 作詞者名は倉橋・新庄[9:p. 247],山住[4]による.倉橋・新庄は1行目を
      「昇る日に 象(かたど)る色は 赤き緒ぞ」としている.



第四十二 黄色 (豊田芙雄詠,豊喜秋撰譜) 上申日不詳
      平調律旋 拍子十

  山吹の 色に似たるは 人の住む
  土に象(かた)どる 黄色なりけり.

  [注] 作詞者名は倉橋・新庄[9:p. 247],山住[4]による.



第四十三 青色 (豊田芙雄詠,多久随撰譜) 上申日不詳
      平調律旋 拍子十

  藍を以て 染めなすものは 大空の
  色を青きに 象(かた)どれるなり.

  [注] 作詞者名は倉橋・新庄[9:p. 247],山住[4]による.



第四十四 柑色 (豊田芙雄詠,奥好義撰譜) 上申日不詳
      平調律旋 拍子十

  赤と黄と 交(まぢ)ふる時は 樺色の
  その美しき 色と成るなり.

  [注] 作詞者名は倉橋・新庄[9:p. 247],山住[4]による.



第四十五 緑色 (豊田芙雄詠,多忠廉撰譜) 上申日不詳
      平調律旋 拍子十

  黄と青と 交(まぢ)へ染むれば 常磐なる
  松の緑の 色は出(い)でにけりで.

  [注] 作詞者名は倉橋・新庄[9:p. 247],山住[4]による.



第四十六 紫色 (豊田芙雄詠,豊時鄰撰譜) 上申日不詳
      平調律旋 拍子十

  赤と青と 交(まぢ)へ染むれば 縁(ゆかり)なる
  その紫の 色に出(い)でにけり.

  [注] 作詞者名は倉橋・新庄[9:p. 247],山住[4]による.



第四十七 元色 (豊田芙雄詠,辻則承撰譜) 上申日不詳
      平調律旋 拍子十

  様々の 色は有れども 赤と黄と
  青こそ元(もと)つ 色と云ふなり.

  [注] 作詞者名は倉橋・新庄[9:p. 247],山住[4]による.



第四十八 間色 (豊田芙雄詠,東儀季長撰譜) 上申日不詳
      平調律旋 拍子十

  数々に 色は多けれど 悉(ことごと)く
  その元色に 因るとこそ知れ.

  [注] 作詞者名は倉橋・新庄[9:p. 247],山住[4]による.



第四十九 ふりぬる文 (芝葛鎮撰譜) 1880年6月上申
      平調律旋 拍子八

  見渡せば 下(しも)つ千里(ちさと)の 隅(くま)もなし
  古(ふり)ぬる文(ふみ)や 高嶺なるらむ.

  [注] 1880年5月東京府学務課の依頼による.



第五十 倭心 (撰譜者不詳) 上申日不詳
      平調律旋 拍子五

  安みしし 我が大君を 尊みて
  倭魂 常(つね)磨かなむ.


第五十一 百鳥(ももとり) (林広守撰譜) 1877年12月上申
      双調呂旋 拍子十六,琴

  百鳥(ももとり)の 立ち帰り来て 諸共に
  己(おの)が様々(さまざま) 鳴き交す
  声面白し 大空の
  色も麗(うらら)に 曇なき
  光遍(あまね)し 波風の
  治まれる世の 光遍し.


第五十二 我が行末 (林広継撰譜) 1878年2月22日上申
      双調呂旋 拍子八,琴

  父母の 我が行末を 朝宵に
  思ひ計るも 嬉しくも
  諭(さと)し給ひぬ 幼なかる 我には在れど.


第五十三 隅田川 (琴後集 村田春海詠,豊喜秋撰譜)  1878年8月上申
      双調律旋 拍子十六,琴

  澪(みを)登る 隅田河原の 川舟も
  行方(ゆくかた)遠き 上津瀬の
  堤を見れば 白雪に
  なほ没もれて 下草(したくさ)の
  緑も別(わか)ず 立ち並ぶ
  木々の梢は 春の陽を
  早く待ち得て 麗朗(うらうら)と
  煙(けぶ)り初めたり 下(しも)つ瀬を
  顧みすれば 籠(こほ)り居し
  芦辺の巣鳥 波の上に
  朋呼び交(かは)し 遠近(をちこち)の
  霞の間(ま)より 夕暮の
  虹かと許(ばか)り 懸る高橋.


第五十四 梓弓 (明倫集 平春庭詠,山井景順撰譜)  1878年11月27日上申
      双調呂旋 拍子七,琴

  執る儘に 猛き心も 自(おのづ)から
  振り興さるる 梓弓かな.


第五十五 さざれいし (古今集,東儀頼玄撰譜)  1879年1月16日上申
      双調呂旋 拍子十六,琴

  君が代は 千代に八千代に 小砂石(さざれいし)の
  巖(いはほ)と成りて 苔の生(む)すまで.

  [注] 第十九曲『君が代』と歌詞は同じ.



第五十六 春の山辺 (古今集 素性法師詠,東儀俊慰撰譜)  1879年1月16日上申
      双調律旋 拍子十六,琴

  思ふ友(どち) 春の山辺に 打ち群れて
  其処とも云はぬ 旅寝してしが.


第五十七 桜 (橘千蔭詠,多久随撰譜) 1879年5月10日上申
      双調呂旋 一二段拍子十三,三段拍子十四,琴

一 新玉(あらたま)の 歳の一年(ひととせ) 百千(ももちぢ)の
  花は咲けども 花香(くは)し
  桜の花は 梓弓
  春の光の 浦安の
  大御国にし 神代より
  根差し初(そ)めてぞ 自(おのづ)から   我が国風(くにぶり)の 優美(ゆほび)かに
  長閑(のどけ)き状(さま)を 木立にも 花の色にも.
二 (欠)

  [注] 『桜をよめる』を改題.

三 宮の名に 桜を仰(おほ)せ 宮姫(みやひめ)を
  桜の愛(めで)と 噫称(たたへ)つつ
  歌ひ給へり 押並べて
  大御宮内(おほみくぬち)に 生(あ)れ出づる
  尊(たか)き卑しき 此花を
  愛(め)でざらめやも 可憐(あはれ)この花.

  第三段の譜


第五十八 唐琴(からこと)の浦 (古今集 素性法師詠,撰譜者不詳)  1879年11月上申
      盤渉調律旋

  都まで 響き通へる 唐琴は
  濤(なみ)の緒すげて 風ぞ撫(ひ)きける.

  [注] 初め第五十四曲『梓弓』と同音,後に改正.



第五十九 水底の月 (古今集 紀貫之詠) 1879年11月上申
      双調律旋 拍子十六

  二つなき ものと思ひし 水底(みなそこ)に
  山の端(は)有らで 出づる 月影.

  [注] 第五十六曲『春の山辺』と同音.



第六十 いろは (近藤浜撰譜,東儀季芳訂正)  1880年5月20日上申
      双調律旋 拍子七,琴

  色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ
  有為の奥山 今日越えて 浅き夢見し 酔(ゑひ)もせず.


第六十一 二見の浦 (藤原兼輔詠,東儀頼玄撰譜) 1879年11月上申
      双調呂旋 拍子六

  夕月夜 覚束無きを 玉櫛笥
  二見の浦は 明けてこそ見め.

  [注] 初め第七十七曲『そむかぬ道』と同音.その後本曲が撰曲された.



第六十二 よよの親 (本居宣長詠,林広季撰譜)  1878年4月9日上申
      黄鐘調呂旋 拍子十二,琴

  代々(よよ)の親 御蔭(みかげ)忘るな 代々の親は
  己が氏神 己が家の神 斎(いつ)き祭りて.


第六十三 遊魚 (山井景順撰譜) 1877年12月上申
      黄鐘調呂旋 拍子十四,琴

  水に住む 鱗(うろくづ)までも 世の幸は
  倶(とも)にぞ受くる 水の面(も)に
  鰭(ひれ)振る状(さま)も 多様(さまざま)に
  浮かぶも在れば 潜(ひそ)むあり
  上り下りの 己が自(じ)じ
  豊(ゆた)にありけり 豊けかりけり.

  [注] 初め黄鐘調律旋であったが呂旋に改められた.



第六十四 花橘 (山井基万撰譜)
      黄鐘調律旋 拍子八,琴. 1878年2月22日上申

  五月(さつき)立つ 気合(けはひ)も著(しる)く 我が宿の
  花橘は 綻びにけり 庭も馨りて.

  [注] この曲は後に文部省音楽取調掛編『小学 唱歌集』の第六十五番 『橘』
      (歌詞は変更)として採用された.



第六十五 鹿島神 (万葉集巻二十 大舎人千文詠,芝葛鎮撰譜)  1878年8月上申
      黄鐘調律旋 拍子十二,琴

  霰降る 鹿島の神を 祈りつつ
  皇御軍(すめらみくさ)に 吾は来にしを.


第六十六 よろづの事 (多忠廉撰譜)
      黄鐘調律旋 拍子八,琴. 1878年6月17日上申

  史(ふみ)読めば 大和(やまと)唐国(もろこし) 昔今(むかしいま)
  万(よろづ)の事を 識るぞ嬉しき.


第六十七 白金(しろがね)(万葉集巻五 山上憶良詠,芝葛鎮撰譜) 1878年4月9日上申
      黄鐘調律旋 拍子十二,琴.

  白金も 黄金も玉も 何為(なにせ)んに
  勝れる宝 児に為(し)かめやも 愛(うつく)しき児に.


第六十八 苗代水 (明倫集 橘為仲詠,多久随撰譜)  1878年10月7日上申
      黄鐘調律旋 拍子八,琴

  祈りつつ 神の恵に 委せたる
  苗代水は 末も豊(ゆた)けし.


第六十九 盲想遊戯 (豊田芙雄訳,近藤浜撰譜)  1879年5月10日上申
      黄鐘調律旋 拍子二十,琴

  打ち連れて 今は学(まなび)の 暇(いとま)とて
  園(その)に下(を)り立ち 多様(さまざま)に   唱い囃すぞ 面白き
  その面白き 言の葉に
  誰なるかもや 悟り得て
  いざ迅(と)く捕へ 迅く捕へよな.


第七十 山時鳥 (近藤浜詠,東儀季芳撰譜)  1879年9月13日上申
      黄鐘調律旋 拍子四,琴

  橘を 歌ふ童子(わらは)の 声の文(あや)に
  山時鳥(やまほととぎす) 鳴き合せつつ.

  [注] この曲は後に文部省音楽取調掛編『小学 唱歌集』の第六十六番 『四 季の
      月』 (歌詞は変更)として採用された.



第七十一 山下水 (拾遺集 紀貫之詠) 1879年11月上申
      黄鐘調律旋

  人知れず 越ゆと思ひし 足引の
  山下水に 影は見へつつ.

  [注] 第七十曲『山時鳥』と同じメロディー.
      平安中期の三番目の勅撰和歌集.撰者・成立年代不明.寛弘初年頃成立か.



第七十二 君が恵 (芝葛鎮撰譜) 上申日不詳
      黄鐘調律旋 拍子八

  難有き 今日の恵は 歳(とし)燗(た)けて
  後(のち)も忘れじ 今日の恵は 君が恵は.


第七十三 冬の円居 (撰譜者不詳) 1877年11月13日上申
      盤渉調律旋 拍子西洋原歌に随ふ,琴

一 幾(いか)ばかり 雪や霰の 烈しきも
  よしや我には.
二 親しかる 友も円居(まどゐ)の 楽しさに
  心足らはぬ 事しもぞ無き.

  [注] 『冬燕居』を改題.



第七十四 夜さむ (上真行撰譜) 1877年12月上申
      盤渉調律旋 拍子十,琴

  白雪の 山も野原も 埋む時
  室(むろ)の戸閉じて 寂(しずか)にも
  冴ゆる夜寒を 我は防がん.


第七十五 河水 (東儀季芳撰譜) 1878年2月22日上申
      盤渉調律旋 拍子三十,琴

一 河水の 澱(よどみ)しもせで 音絶へず
  流るるが如(ごと) 年月は
  過行くものか 童部(わらはべ)の
  楽しき今日は 昨日にて
  起長夢(おきながゆめ)と 時の間(ま)に 移り変りて.
二 玉櫛笥(たまくしげ) 再(ふたたび)とだに 還り来(こ)ぬ
  ものにし在れば いでやなれ
  学(まなび)の道に 怠らず
  膽(きも)向ふ 心の駒に 鞭打ちて
  手綱緩めず 進み入らなむ.


第七十六 思ふどち (拾遺集,林広継撰譜) 1878年8月上申
      盤渉調律旋 拍子十,琴

  世の中に 嬉しきものは 思ふ人達(どち)
  花見て暮す 心なりけり.


第七十七 そむかぬ道 (多忠廉撰譜) 1878年6月17日上申
      盤渉調律旋 拍子九,琴

  皆人の 祈る心も 理(ことはり)に
  背かぬ道を 神や受くらむ.


第七十八 浜の真砂 (奥好義撰譜) 1878年6月17日上申
      盤渉調律旋 拍子八,琴

  綿津海の 浜の真砂を 数へつつ
  君が千年(ちとせ)の 在り数にせむ.


第七十九 不二の山 (万葉集巻三 山辺赤人詠,東儀季芳撰譜)  1879年1月16日上申
      盤渉調律旋 一段拍子十,二段拍子六,琴

一 天地(あめつち)の 別れし時ゆ 神寂て
  崇(たか)く尊き 駿河なる
  富士の高嶺を 天の原
  後顧(ふりさけ)みれば 渉る陽の
  影も隠ろひ 照る月の
  光も見へず 白雲も
  い往き憚り 非時(ときじく)ぞ
  雪は降りける 語り継ぎ
  云ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は.

  [注] 『富士山』を改題.


二 田子の浦ゆ 打ち出て見れば 真白にぞ
  富士の高嶺に 雪は降りける.

  第二段の譜


第八十 王昭君 (村田春海詠,奥好義撰譜) 1879年5月10日上申
      盤渉調律旋 一段拍子二十四,二段拍子十六,三段拍子十,四段拍子八, 五段拍子七,琴

一 雪交り 霰乱れて 終夜(よもすがら)
  北吹(ふく)風の 豫(あら)ましき
  夜床の上に 熟(つくづく)と
  枕(まくら)欹(そば)だて 来し方を
  思ひ出づれば 人の世は
  夢なりけりな 賎手纏(しずたまき)
  賎(いや)しき吾は 都姫(みやひめ)と
  仕(かず)まへられて 小簾(をす)の裏(うち)に
  斎(いつ)かれし夜は 綾錦
  袖に重ねて 白玉を 華蔓(かづら)にしつつ.
二 増鏡 見る面影の 香(かぐ)はしき
  花の笑(ゑまひ)を 吾ながら
  我と恃(たの)みて 大君の
  恵(めぐみ)の露の 遍(あまね)くは
  漏れじとこそは 思ひつつ
  在りけるものを 才(さが)無きや 筆に委(まか)する.

  二段の譜

三 写絵(うつしえ)の 非常(あふぬ)仕事(すさみ)の 誹(いつはり)を
  正(ただ)しもあへぬ 憂き節(ふし)は
  為(せ)ん法(すべ)もなみ 云ひ知らぬ 国の境に遥々と
  出(いで)立つ道に 置き添はる
  袂(たもと)の露の 消へかへり
  引き停(とじ)めたる 駒の上に
  暫時(しばし)掻き鳴(な)す 四(よつ)の緒の
  絶えぬ怨を 晴(はる)けなむ
  世こそ知られね 惜しからぬ
  命と思へど 塵の身の 散りも失(う)せなで.

  三段の譜

四 春立てど 花も匂はず 秋来ても
  紅葉も見えぬ 荒山(あれやま)の
  石垣(いはがき)籠る 伏屋(ふせいほ)に
  我にもあらで 漫然(いたづら)に
  歳は重ねつ 思ひきや
  語(こと)も通はぬ 国人(くにひと)を
  夫(つま)と睦びて 手弱女の
  纏ひも馴れぬ 皮衣(かわごろも)
  袖差し交(か)へて 諸寝(もろね)せんとは.

四段の譜

五 春の陽(ひ)の 光も憂(うと)き 古塚に
  草の緑や 如何に残れる.

  五段の譜


第八十一 こがひ (拾遺集 兼盛詠,林広季撰譜)  1879年9月13日上申
      盤渉調律旋 拍子八,琴

  歳も佳(よ)し 養蚕(こがひ)も得たり 大国(おほぐに)の
  里(さと)頼もしく 思ほゆるかな.

  [注] 『養蚕』を改題.



第八十二 堤の雲 (春野詠) 1879年11月上申
      盤渉調律旋

  咲き続く 堤の雲の 果も無し
  吉野ばかりや 桜なるべき.

  [注] 第七十六曲『思ふどち』と同音.



第八十三 富士の峯 (村田春海詠,東儀俊慰撰譜)
      盤渉調律旋 拍子八,琴

  心当てに 見し白雲は 麓にて
  思はぬ空に 春の富士の嶺(ね).

  [注] 『白雲』を改題.



第八十四 山吹 (東儀季熈撰譜)  1880年6月上申
      盤渉調律旋 拍子七

  蛙(かはづ)鳴く 神なび川に 影見えて
  今や咲くらむ 山吹の花.

  [注] 『款冬』を改題.1880年5月東京府学務課の依頼による.



第八十五 科戸の風 (撰譜者不詳) 上申日不詳
      盤渉調律旋 拍子六

  八重雲(やえぐも)は 科戸(しなど)の風に 払はせて
  高天の原の 月を観るかな.

  [注] 「しなど」は風の起こる所.「科戸の風」は風の異称.


遊戯唱歌

第八十六 風車 (豊田芙雄詠,東儀季熈撰譜) 1877年11月13日上申
      壱越調律旋 拍子八

  風車 風の随(まにま)に 輪旋(めぐる)なり
  止まず旋(めぐ)るも 止まず旋るも.

  [注] この曲はこの後,文部省音楽取調掛編『幼稚園唱歌集』に採用され,第二十六番
      『風ぐるま』として収録されている.平出久雄は東儀季熈撰譜としているという.
      [金田一春彦,安西愛子編『日本の唱歌 上』(講談社文庫,1998)p. 20]
      作詞者は倉橋・新庄[9:p. 342]に依る.



第八十七 園の遊 (奥行業撰譜) 1878年8月上申
      壱越調律旋

  思ふ友達(どち) 今日は学(まなび)の 暇(いとま)あれば
  手鞠(てまり)も羽古(はご)も 各自(おのも)各自(おのも)
  突きてを遊べ 打ち群て
  彼処(かしこ)の園(その)に いざ遊びてな.


第八十八 兎 (多忠廉撰譜) 1877年12月上申
      平調律旋

  兎はも 浦安からず 安からず
  穴に居(を)る間(ま)も 躍(をどり)り走るも.
二 やよ兎 心せよかし 狩人の
  狙ふも近し 犬もまた
  息巻(いきまき)猛(たけ)し 前後(まへしり)へ
  心して居れ 心して居れ.
三 やよ兎 今は安きぞ 危(あやう)きを
  今は脱(のが)れぬ 浦安く
  躍り走れや 心足らひて.


第八十九 手車 (辻高節撰譜) 1878年2月22日上申
      平調律旋

  友達(ともどち)よ いざ遊びてむ 手車(たぐるま)も
  装(よそほ)ひつべし 早朝(まだき)より
  遠近(をちこち)かけて 百鳥(ももどり)も
  梢に鳴きぬ 程近き
  友率(い)て行かむ 暇(ひま)の駒
  影惜しまれぬ 翔(つばさ)なす
  空飛ぶばかり 急ぎて行かむ.

  [注] 『遊行』を改題.



第九十 家鳩 (豊田芙雄詠,東儀季芳撰譜) 1877年12月上申
      平調律旋

  家鳩の 巣の戸開きて 放ちやる
  行方や何処 山に野に
  芝生の原に 遊ぶらむ
  遊びて在らば 帰りなむ
  速(と)く帰らなむ 帰らずば
  巣の戸閉ぢてむ 巣の戸閉ぢてむ.

  [注] 作詞者は倉橋・新庄[9:p. 246]に依る.



第九十一 野山の遊 (豊田芙雄詠,奥好寿撰譜)  1878年10月7日上申
      盤渉調律旋

  いざ子供 早や打ち出(いで)む 萩が花
  衣(ころも)に摺りて 丈夫(ますらを)の
  小鷹狩する 此頃に
  無為(ただ)に在らぬや 駒並(な)べて
  いざ打ち出む 野路(のぢ)に山路に.


第九十二 めしひのあそび (豊田芙雄詠,奥行業撰譜)  1879年2月5日上申
      平調律旋

  歌舞(うたまひ)に 立ち集(つど)ひたる 戯(たはむれ)の
  盲目(めしひ)の君よ 友達(ともどち)の
  唱ふ随(まにま)に 其の中の
  一人が声を 耳聡(みみとく)も
  其れと聞き知り 心当ての
  其の名違(たが)へず 指さなば指さなむ.

  [注] 作詞者は倉橋・新庄[9:p. 263]に依る.



第九十三 こねづみ (豊田芙雄詠,東儀季長撰譜)  1879年2月5日上申
      黄鐘調律旋

  窓の上に 騒ぎもあへず 小鼠の
  潜める見れば 唐猫は
  軒に狙へり やよ鼠
  速(と)く心して 板敷の
  下(しも)なる土の 穴し有らば
  い往き隠れて 身を逃れなむ.

  [注] 作詞者は倉橋・新庄[9: p. 263]に依る.



第九十四 春 (近藤浜訳,林広守撰譜) 1879年12月9日上申
      双調律旋 拍子十

  いざ然(さら)ば 恙もあらぬ 現身(うつしみ)を
  形見に祝(ほ)ぎて 朗朗(うらうら)と
  霞棚曳く 此の野辺に
  若菜や摘まむ 梅や尋ねむ.


第九十五 夏 (近藤浜訳,林広守撰譜) 1879年12月9日上申
      黄鐘調律旋 拍子十

  いざ然(さら)ば 恙もあらぬ 現身(うつしみ)の
  形見に祝ぎて 彼の方の
  夕風通ふ 河面(かはづら)に
  蛍や狩らむ 水や結ばん.


第九十六 秋 (近藤浜訳,林広守撰譜) 1879年12月9日上申
      平調律旋 拍子十

  いざ然(さら)ば 恙もあらぬ 現身を
  形見に祝ぎて 何時(いつしか)と
  梢色づく 彼の岡に
  茸(たけ)狩りやせん 紅葉をや見む.


第九十七 冬 (近藤浜訳,林広守撰譜) 1879年12月9日上申
      盤渉調律旋 拍子十

  いざ然(さら)ば 恙もあらぬ 現身を
  形見に祝ぎて 世の中の
  塵を隔つる 山里に
  友をや訪はむ 降る雪や見む.


第九十八 山家 (近藤浜訳) 1879年11月上申
      盤渉調律旋

  挽く臼の 音さへ冴(さゆ)る 高き山の
  庵(いほ)強雪(こはゆき)の降り 花と散りつつ.

  [注] 第九十一曲『野山の遊』と同音.



第九十九 宇治川 (万葉集 柿本人麿詠,奥好寿撰譜)  1880年5月20日上申
      双調律旋

  武士(もののふ)の 八十(やそ)宇治川の 網代木に
  いざよう波の 行方知らずも.


第百 花見之駒 (近藤浜訳,豊喜秋撰譜) 1880年5月20日上申
      壱越調律旋

一 霞立ち 柳煙(けぶ)りて 雲雀鳴き
  菘(すずな)花咲く 此の時は
  空には過(すぐ)さじ 飼ひ置ける
  甲斐の黒駒 引き出(い)でて
  急ぎ鞍置け 朝露を
  蹄に分けて 行く方(かた)の
  連(つづ)く梢に 香(か)を篭(こ)めて
  泡だつ雲は 桜花 咲きも残らず.

  [注] 作詞者は倉橋・新庄[9: p. 265],山住[4]による.

二 散(ちり)もまだ 始めぬ程の 満開(みさかり)の
  目出度き時を 如何(いか)なれば
  空飛ふ雁は 顧(かへり)見る   心も無くて 打ち連て
  帰り行くらむ 我が友(どち)は
  此の花の香(か)を 袖に留め
  たもと染(し)めて 木(こ)の下に
  いざ下り立ちて 諸共に
  心行くまで 遊び暮さむ.

  二段の譜

三 夕映への 花に別るる 家土産(いへづと)は
  形見に摘める 菫早蕨

  三段の譜


保育並遊戯唱歌の歌詞は「片仮名」なるを翻字す.
昭和34年12月23日
芝 祐泰



音楽取調掛に雇われた伶人たち




写真1. 前列左から,芝葛鎮,メーソン,中村専,辻則承,
後列,東儀彰質,上真行,奥好義.
(『東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第一巻』(音楽之友社,1987年)より)

 撮影年月は不明だが,芝葛鎮が文部省音楽取調掛(後の東京音楽学校,現在の東京芸術大学)に本雇用されたのは1880年9月,他の4人の若手伶人らは翌年2月であった.また,中村は1880年10月に学生として入学,翌年9月より助教として採用されている.メーソンは1880年3月来日,帰国するのは1882年年7月なので,撮影は少なくとも1881年2月以後で,9月から翌1882年7月の間の可能性が高い.



雅楽の音律について


 雅楽の音名は,壱越(いちこつ),断金(たんぎん),平調(ひょうじょう),勝絶(しょうぜつ),下無(しもむ),双調(そうじょう),鳬鐘(ふしょう),黄鐘(おうしき),鸞鏡(らんけい),盤渉(ばんしき),神仙(しんせん),上無(かみむ)とからなり,絶対音高を示す.西洋のニ音から嬰ニ,ホと言う具合に半音きざみに嬰ハまでに対応する.これらを総称して十二律と呼ぶ.
 中国から渡来した音名である宮(きゅう)・商(しょう)・角(かく)・徴(ち)・羽(う)は移動ドレミに対応する呼称である.角と徴および羽と宮の差は1音半,その他は1音差である.ドレミソラドとなり,これを呂旋(りょせん)と呼ぶ.日本人はドレファソラド(同じ事だが,レミソラシレまたはソラドレミソ)の音階を好み,律旋(りつせん)と称した.このときのファを角とすると半音低いので,新に角より半音高い音を律角と呼び,角の代わりに用いる.律旋の代表例に『君が代』がある. 基音の宮がニ音で律音階なら壱越調律旋となる.



君が代撰譜の事情


 君が代撰譜の事情について,芝祐泰は以下のように述べている(1958年12月記)[5].

 芝葛鎮氏筆の保育唱歌譜下巻遊戯之部の巻末に

唱歌遊戯ノ諸譜 墨譜撰成伺 上申ノ年月左ニ記ス 但墨字ハ唱歌 朱字ハ遊戯ノ歌ナリ

とあって

明治十年十一月十三日 (朱)風車 壱律五   冬燕居 盤律

の二曲を第一回とする撰成伺の年月が列記されている.之を見て行くと新君ヵ代の双生児に当る「さざれ石」の曲は

明治十二年一月十六日 上申
富士山 盤律   サゞレイシ 双呂   春山辺 双律
ウナヒノミチビキ 壱律   露ノ光 平律   教ノ道 平律

と記載されて居るので,新君ヶ代の誕生(作曲)は凡そ明治十一年十月下旬と推定されるのである. 或る寒き宿直の夜,同宿の林廣季(当時二十一才)の面前にて〔奥好義により〕「二部音符」にて作曲され,廣季はその卓抜した佳作に驚き,従前の例によってその翌朝この原譜を父なる当時上席伶人であった林廣守氏に提出したところ,廣守氏もその名作なるを認めてこの新君ヶ代曲譜を受理したのである.総員が近親者である雅楽課では,昨夜の宿直にて奥好義が新君ヶ代を撰譜したことやその旋律までも衆知の事となったのであるが,十一月二十七日の撰成伺上申にも「君ヶ代」の名が出ず,伶人一同が不審に思って居る時,「フェントン作君ヶ代」の廃曲が発表され,「一等伶人林廣守撰譜」と明記された古式墨譜に書き改められた「君ヶ代」の発表を見,伶人一同大いに驚いたのである.
 この異常な事態は,兼ねてより不評であったフェントン作君ヶ代に就き熟考中であった廣守氏は好義作君ヶ代の名作なる事を認めると同時に「フェントン作君ヶ代」をこの新しい君ヶ代に替えて既に恒例となっている天長節宴会奏楽の勤めを果さんと考へ,上司との交渉を経て「フェントン編君ヵ代」の廃曲と云ふ手段を執ったのである.
 その為に「さざれ石」の曲には墨譜撰成伺があるが,「新君ヶ代」は吹奏楽演奏の恒例曲として新楽唱歌の列より離され独立した歌曲に取り扱はれて仕舞ったのである.
      (中略)
 この「フェントン編君カ代」の廃曲に続いて「新君か代」の抜擢に就いては当時の伶人間に何んの異存もなく,当の原作者は自作の意外な転用に驚いたと語っている.
 若しこの事が行はれなかったら今の「君か代」は世界中の国歌に伍してオリンピック競技会に歌われることもなく,百数曲を数へる新楽唱歌(保育並に遊戯唱歌)と共に今頃は全く忘れ去られる運命にあったもので,当時上席であった一等伶人林廣守氏の執った処置は賞讃さるべき大英断であったのである.

 芝祐泰によると,君が代の公式の初演は1879年10月29日から31日の3日間行われた雅楽稽古所の楽舞及び欧洲楽の公演会で,雅楽課の欧洲楽伝習取締拍子人(指揮者)小篠秀一の指揮により毎日演奏された.この時の演奏は全吹奏楽器の斉奏であったという[6].

 また奥好義本人の弁によれば,

牛込御門内雅楽稽古所の玄関側に当直して居た晩の事であった.廣季氏と自分と両人で相談して作り,廣守氏の名義にしておいたもので,実際の事をいふと,其の時には「君が代」の歌に譜を付けるといふだけの考で,それが国歌であるといふ事は知らずに作ったのであった.

という事情であった[7].この事実は芝忠重の談話[8]

「君が代」の作曲者は林廣守氏ではない.廣守氏の長男廣季氏と奥好義氏と両人が作ったもので,廣守氏作曲といふのは雅楽課を代表しての名義であると見ればよいのである.楽部にては御大礼・御大葬などの場合に数名が各々作曲し,審査の上其の一が採用せられるが,それは其の人の作とせず,必ず楽長が代表者となり,個人の作とはしない慣例になっている.

によっても裏付けされている.

 参考のためフェントンの作曲した礼式曲の楽譜と midi を示す.


譜1a.フェントン自筆の楽譜.
田村虎蔵『教育音楽』176号(1918年3月)pp. 46-56.
表題は "Japanese National Hymn" とある. ただし田村によると,鉛筆書きされた歌詞は万葉集の「みたみわれ 生ける しるしあり あめつちの,栄ゆるときに あへらく思へば」であった.



譜1b.流布した「君が代」の楽譜.
一記者『新音楽』1巻4号(1918年8月)pp. 12-16.
和田信二郎『君が代と万歳』増訂3版(光風館,1937年6月)pp. 98-103 の記述 によると,一記者とは妹尾幸次郎で,譜は妹尾の筆写.ただし譜が何に基いてい るか不明.


     Fenton 作曲の「君が代」の midi:
     KimigayoFenton.mid



 中村理平『洋楽導入者の軌跡』(刀水書房,1993年2月)によると,フェントン軍曹(Sgt. John William Fenton, 1828〜?)は1868年(慶応4年3月)来日,薩摩藩の依頼によりいわゆる薩摩楽隊を立ち上げ訓練した.日本初めての礼式曲「君が代」を作曲し,1870年(明治3年9月)の御前演奏で指揮した.

写真2.J.F. フェントン
小田切進『国歌君が代講話』 (共益商社書店,1936年7月) 訂正再版より


 フェントン軍楽隊の様子が錦絵に残されている.大きな建物は山手120番地の英公使館.軍楽隊を先頭に,赤い制服のイギリス居留軍歩兵が行進している.軍楽隊の指揮官は中村理平によって,フェントン,演奏していた曲は「第10連隊の歌」と同定された.


図1.「横浜高台英役館之全図」
二代目歌川広重(喜斎立祥)画 (1869年 明治2年)
マスプロ電工美術館蔵


 以上のような経緯で,儀礼の場では1880年10月以後,奥作曲の「君が代」が演奏されるようになった.しかしこの事はすぐには民間に広まらず,学校現場では,文部省肝いりの『小学唱歌集』初編(1882年4月)の 第二十三曲でウェッブ(Samuel Webbe, Sr., 1740〜1816)作曲の メロディーが採用された.ただし,これは永くは続かず,改めて文部省は 『中学唱歌集』(1889年12月)で奥の「君が代」を採用し,続いて 『祝日大祭日唱歌』(1893年8月)に指定し,広く国民に国歌扱いで歌われるようになった.「君が代」が法律で国歌と制定されたのはずっと遅く1999年8月の事である.

撰曲者 索引

数字は曲番号,カッコ内は補筆.年齢は明治11年現在の数え年.

上真節(うえ さねたけ 一等伶人 55歳)   4, 25.
上真行(さねみち 三等伶人 29歳)   6, 39, 74.

多忠廉(おおの ただきよ 四等伶人 34歳)   18, 45, 66, 77, 88.
多久随(ひさより 四等伶人 29歳)   13, 24, 43, 57, 68.

奥行業(おく ゆきなり 五等伶人 53歳)   87, 92.
奥好義(よしいさ 四等伶人 22歳)   41, 44, 78, 80.
奥好寿(よしなが 五等伶人 25歳)   34, 91, 99.

近藤浜(幼稚園保母)    7, 35, 60, 69.

芝祐夏(しば すけなつ 五等伶人 20歳)   8.
芝葛鎮(ふじつね 一等伶人 30歳)   22, 29, 49, 65, 67, 72.

辻高節(つじ たかみさ 四等伶人 38歳)   9, 40, 89.
辻則承(のりつぐ 五等伶人 24歳)   33, 47.

東儀季熈(とうぎ すへなが 一等伶人 47歳)   1, 84.
東儀季芳(すへよし 二等伶人 42歳)   3, 21, (60), 70, 75, 79, 90.
東儀季長(すへをさ 五等伶人 23歳)   48, 93.
東儀彭質(たけかた 三等伶人 25歳)   10, 38.
東儀俊慰(としやす 三等伶人 38歳)   56, 83.
東儀頼玄(よりはる 二等伶人 47歳)   2, 55, 61.

林広季(はやし ひろすえ 三等伶人 21歳)   23, 62, 81.
林広継(ひろつぐ 二等伶人 34歳)   11, 17, 27, 52, 76.
林広守(ひろもり 一等伶人 48歳)  12, 19, 20, 26, 32, (35), 51, 94, 95, 96, 97.

豊時鄰(ぶんの ときちか 五等伶人 43歳)   31, 46.
豊喜秋(よしあき 四等伶人 31歳)   28, 42, 53, 100.

山井景順(やまのゐ かげあや 四等伶人 37歳)   30, 54, 63.
山井基万(もとかず 三等伶人 27歳)   5, 37, 64.

不詳                  50, 58, 73, 85, 86.



(2008年2月)

Ver. 12/07: 「君が代撰譜の事情」を追加した.また譜の上申日を注記した.
Ver. 2/08: 佐藤秀夫編『日本の教育課題1 「日の丸」「君が代」と学校』(東京法令出版,1995年)によって「君が代撰譜の事情」の内容を補充した.
Ver. 2/09: 作詞者の名前を 山住正己『唱歌教育成立過程の研究』(東京大学出版会,1967年3月)によって補充した.「君が撰譜の事情」にフェントンの「君が代」譜と事跡を付け加えた.

参考


[1] 芝祐泰編「保育並遊戯唱歌の採譜(全6冊)」,江崎公子編『音楽基礎研究文献集』第十五巻(大空社,1991年2月)に収録.
[2] 安田寛・赤井励・閔庚燦編『原典による近代唱歌集成 ―誕生・変遷・伝播― 』(ビクターエンタタテインメント,2000年4月)の CD No.6「伶人たちの唱歌〜保育唱歌」
[3] 筆者が確認できたのは『保育唱歌』の第十九番「君が代」が『中等唱歌集』第一番へ,六十四番「花橘」と七十番「山時鳥」がそれぞれ『小学 唱歌集』六十五番「橘」と第六十六番「四季の月」へ,八十七番「風車」が『幼稚園唱歌集』第二十六番への4曲.『小学 唱歌集』第六十七番「白蓮白菊」は従来,保育唱歌より採用されたとされているが,原曲は不明である.
[4] 山住正己『唱歌教育成立過程の研究』(東京大学出版会,1967年3月)p. 18.恐らく作詞者名は,平出久雄『『保育唱歌』覚え書 ― 附,国歌『君ガ代』小論考 ―』(田辺先生還暦記念論文集刊行会編『田辺先生還暦記念 東亜音楽論叢』(1943)p. 605)によると思われるが,確認していない.
[5] 芝家文庫所蔵.佐藤秀夫編『日本の教育課題1 「日の丸」「君が代」と学校』(東京法令出版,1995年)pp. 489 - 490 に採録されている.
[6] 同上 pp. 490 - 491 に採録.
[7] 同上 p. 418 に採録.この談話は和田信二郎『君が代と万歳』(増訂三版)(光風館書店,1937)p. 141 による.
[8] 同上 p. 418 に採録.この談話は和田信二郎『君が代と万歳』(増訂三版)(光風館書店,1937)p. 141 による.
[9] 倉橋惣三・新庄よし子『日本幼稚園史』新訂版の復刻本(臨川書店,1980年10月)(初版1930年5月,新訂版1956年4月)

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