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このサイトについてと、最首悟さん、最首塾についての解説です。 2012.05.25更新 |
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「最首塾 on the web」は、最首悟さんを囲んで1994年以来続けられてきた「最首塾」のホームページです。管理人はいつの頃からか、わたくし、丹波博紀が行うようになりました。最首塾または最首悟さんご自身に何かございましたら、saishjuku@yahoo.co.jpまでお願いいたします。若干、ご返答が遅れるかもしれませんが、週に一度はメールチェックをしております。(特に最近は最首悟さん宛のメールが多く届きます。取りつぎも行っておりますので、遠慮なくお送りください)。 また、このホームページには最首悟さんがかつて書かれた文章や論文が豊富に掲載されております。暇を見つけてはアップロードするようにしておりますので、お暇な時には是非是非お立ち寄りください。
(リンク元は×) 自分の足で立ち、その足を鍛えるための助走期間 ― それが大学。 Q:人間関係学科では、何を教えていらっしゃいますか? A:関係一般です。ものともの、ものと人間、自然と人間、人間と人間などの関係が気になりますね。具体的に言うと、人間の意思が入った関係づけ=「ケア」が中心課題になります。その関連で、水俣フィールドワーク、マイノリティー差別、風土、身体、生命倫理、動物でのメスの絶対優位性に取り組みます。 Q:先生の授業を受講する際に重要となるキーワードを5つあげてください。
A:「生命」、「利己」、「内発的義務」、「世話」、「福祉」 A:27年間、東京大学教養学部生物教室の助手をしました。その後、駿台予備学校に勤め、 医者を目指す受験生に科せられる小論文科目を担当し、 “医療という世話を制度化し発展させてきた人間とは何か”という一般教育をしてきました。 また、津田塾大や恵泉女学園大に勤め、不登校の若者たちのための東京シューレ大学でも教えてきました。 Q:人間関係学科のユニークな点は何だと思いますか? A:人間関係学という、およそ専門に特化しない一般学を看板にしていることです。ただし一般学は専門学を統合する上位の学問ですが。 Q:人間関係学科の学生の印象を教えてください。 A:容易に動かない点。ただし、あったかい。 Q:最後に、これから人間関係学科に入学されるみなさんに励ましのメッセージをお願いします。 A:大学はモラトリアム(猶予期間)と言われたことがあります。4年が終わると、 既成・規定の社会の一員になってゆくのです。しかし、今はそうではありません。 大学は自分の足で立つ、その足を鍛えるための助走期間です。 人間は「考える足(葦)である」って、誰か言いませんでしたっけ? 【プロフィール】 1936年福島県で生まれ、千葉県に育つ。最終学歴は東京大学理学部動物学科博士課程中退。 その後同大学教養学部助手を27年間勤め、恵泉女学園大学教授を経て、2002年より和光大学教授。 障害者作業所「カプカプ」運営委員。 1994年3月、最首悟さんが東大をお辞めになるにあたり、「自主最終講義」というべき企画がありました。駒場キャンパスの大教室を人が埋め尽くし、立ち見・窓越しの受講まで出る大盛況でした。 この「最終講義」の中で「学を問う」=“問学”という言葉がありました。その問いを問い続ける場として、94年10月に最首塾は生まれました。 2ヶ月に1回を原則に集まり(*2008年現在は月イチです)、最首さんからの、またその時々のゲストからの問題提起を受けて語り合い考えあっています。 以前ゲストにおいでいただいた立岩真也さんによる、最首さんの著作の書評というか紹介(『看護教育』に掲載)が、立岩さんのホームページで公開されています。 |
| 第1回(1994年10月) | 「一般学」 |
| 第2回(1994年12月) | 「障害」と「障害者」 |
| 第3回(1995年2月) | 緒方正人の思想と行動 |
| 第4回(1995年4月) | 大江健三郎を読む |
| 第5回(1995年6月) | 安保を巡る状況と思想 |
| 第6回(1995年10月) | 義務教育 |
| 第7回(1995年12月) | 戦後民主主義(1) |
| 第8回(1996年2月) | 戦後民主主義(2) |
| 第9回(1996年4月) | 戦後民主主義(3) |
| 第10回(1996年6月) | 戦後民主主義(4) |
| 第11回(1996年10月) | 最首さんと水俣・東京展を見る |
| 第12回(1997年2月) | 丸山真男を巡って(1) |
| 第13回(1997年6月) | 丸山真男を巡って(2) |
| 第14回(1997年10月) | 丸山真男を巡って(3) |
| 第15回(1998年2月) | 丸山真男の通奏低音 |
| 第16回(1998年4月) | ハイブリッドの精神 |
| 第17回(1998年6月) | 場について |
| 第18回(1998年10月) | 佐藤真さんを迎えて |
| 第19回(1999年2月) | <事-場>(1) |
| 第20回(1999年4月) | <事-場>(2) |
| 第21回(1999年6月) | <事-場>(3) |
| 第22回(1999年10月) | 戦後思想をふりかえる(1) |
| 第23回(1999年12月) | 戦後思想をふりかえる(2) |
| 第24回(2000年2月) | 緒方正人さんを迎えて |
| 第25回(2000年6月) | 「自己決定」を巡って(1) |
| 第26回(2000年10月) | 「自己決定」を巡って(2) |
| 第27回(2000年12月) | 「自己決定」を巡って(3) |
| 第28回(2001年2月) | 日本近代におけるハンセン病部落 |
| 第29回(2001年4月) | 川本隆史さんを迎えて〜「内発的義務」を巡って〜 |
| 第30回(2001年6月) | リカーシヴな私 |
| 第31回(2001年10月) | 市野川容孝さんを迎えて〜「優生思想」を巡って〜 |
| 第32回(2002年2月) | 小松美彦さんを迎えて〜「自己決定権」を巡って〜 |
| 第33回(2002年4月) | “ケア”の源泉 |
| 第33回(2002年6月) | 野辺由郎さんを迎えて |
| 第34回(2002年10月) | 立岩真也さんを迎えて |
| 第36回(2003年2月) | 今、水俣 |
| 第37回(2003年6月) | 確認中です |
| 第38回(2003年10月) | 「学問のクレオール」(宮地尚子)をめぐって |
| 第39回(2004年2月) | 宮地尚子さんを迎えて〜宮路さんとライフヒストリー |
| 第40回(2004年4月) | 関西訴訟の今 |
| 第41回(2004年6月) | 能『不知火』を奉納する水俣 |
| 第42回(2004年11月) | 能『不知火』水俣公演と関西訴訟最高裁判決 |
| 第43回(2005年2月) | 確認中 |
| 第44回(2005年4月) | 確認中 |
| 第45回(2005年6月) | 確認中 |
| 第46回(2005年10月) | 『ケアの社会倫理学』合評会 |
| 第47回(2006年2月) | 『ケアの社会倫理学』合評会 in 東京大学本郷キャンパス |
| 第48回(2006年3月) | サニャ・トリプコヴィッチさんを迎えて〜日本語で生きること、日本で生きること |
| 第49回(2006年4月) | 和光大学水俣展に向けて |
| 第50回(2006年6月) | 日本化学史学会(年会)in和光大学にて、原田正純さんの講演「胎児性水俣病の教訓」を聴く |
| 第51回(2006年10月) | 水俣を掘る―水俣・和光大学展を終えて― |
| 第53回(2007年2月) | 和光大学の4年 ―ゾーン(移行帯)に生きる |
| 第54回(2007年3月) | 最首さんの和光大学自主最終講義 |
| 第55回(2007年4月) | 内から外へ外から内へ、無限循環の往還としてのゾーン |
| 第56回(2007年5月) | 右往左往する中間点について |
| 第57回(2007年6月) | 公開自主講座「宇井純を学ぶ」(東京大学本郷キャンパス安田講堂)に参加して、その後飲む会 |
| 第58回(2007年9月) | 「えどがわ・水俣まつり」(船堀)にみんなで参加する |
| 第59回(2007年10月) | 第三者について |
| 第60回(2007年11月) | 果てしなく行く―空間 |
| 第61回(2008年1月) | ひろがる「水俣」の思い |
| 第62回(2008年2月) | 最首さんと水俣・和光大学展ビデオを観る |
| 第63回(2008年3月) | 『ひろがる「水俣」の思い』を切り口に川本隆史さん、前田保さん他のお話および議論 |
| 第64回(2008年5月) | 「寺家ふるさと村」散歩 |
| 第65回(2008年6月) | いのち論の現況――秩序系は秩序系から。ドーキンスの「神は妄想である」から逆説的にほのみえるもの |
| 第66回(2008年7月) | 関係論(1) 関係網様態――『関係の絶対性』について |
| 第67回(2008年9月) | 関係論(2) まず関係ありき |
| 第68回(2008年10月) | 民主主義国家の実状は不断の弱い者いじめ――ローレンス『黙示録』 |
| 第69回(2008年11月) | ケアポテンシャル―つなぎつながれる力 |
| 第70回(2009年1月) | 切断を要する認識は部分的である |
| 第71回(2009年2月) | 曖昧―あいまい―合間-居 |
| 第72回(2009年3月) | 金子淳人さんを迎えて〜現象学をめぐって〜 |
| 第73回(2009年4月) | 中野浩さんを迎えて〜水俣病事件の中の科学と科学者 vers.@最首塾―最首悟の科学的方法論に迫る―〜 |
| 第74回(2009年5月) | 最首悟さんと一緒に「天の魚」東大駒場公演を観る |
| 第75回(2009年6月) | 「天の魚」東大駒場公演を終えて 最首悟さん他のお話 |
| 第76回(2009年7月) | 「蟹工船」(山村聡脚本・監督、1953)から現在へ |
| 第77回(2009年9月) | 〈いのち〉論―動き・変化があるんだもん |
| 第78回(2009年10月) | 石牟礼道子を見る |
| 第79回(2009年11月) | 乙骨淑子について |
| 第80回(2010年01月) | 「天の魚」について |
| 第81回(2010年02月) | 痞という病いからの |
| 第82回(2010年03月) | 内の秘匿性について |
| 第83回(2010年04月) | 今村純子さんを迎えて〜詩をもつこと――シモーヌ・ヴェイユの思索をめぐって〜 |
| 第84回(2010年05月) | 生れて来て・しまった |
| 第85回(2010年06月) | 7歳までは |
| 第86回(2010年07月) | ヰタ・セクスアリス |
| 第87回(2010年09月) | 灰にすべし |
| 第88回(2010年10月) | はたらく |
| 第89回(2010年12月) | いのちとはなにか――取り仕切れぬいのち(2010年11月中止のため、忘年会と共に開催) |
| 第90回(2011年1月) | 息にわがする |
| 第91回(2011年2月) | 大類義さんのカナダ先住民の水俣病についての映画上映会 |
| 第92回(2011年4月) | 最首塾番外編「最首悟×星埜守之フリートーク」(於宮本成美・水俣写真展) |
| 第93回(2011年4月) | 生きている |
| 第94回(2011年5月) | 前田保さんを迎えて〜コレポン/最首悟と滝沢克己…野生の思考を求めて〜 |
| 第95回(2011年6月) | おしたようこさんをお迎えして〜「痞」という病からの〜 |
| 第96回(2011年7月) | 現地・当事者―触れるという実感+奥村さん東松島報告 |
| 第97回(2011年9月) | シンポジウム「学問にとって未来とは何か」に参加し、共に考える |
| 第98回(2011年10月) | いき−ものというモノ |
| 第99回(2011年11月) | 天の魚@池上実相寺公演への参加 |
| 第100回(2011年12月) | 最首塾100回大大大祝賀会!!!!!!!! |
| 第101回(2012年1月) | サン・ヴィクトールのフーゴの学問論をめぐって(スピーカー:丹波博紀) |
| 第102回(2012年2月) | 教義宗教一歩前 |
| 第103回(2012年3月) | 〈民衆思想〉の〈方法〉について(スピーカー:丹波博紀) |
| 第104回(2012年4月) | 望月浩さんを迎えて〜三つの“読書”体験について――初期マルクス;ドストエフスキー;福音書・創世記−− |
| 第105回(2012年5月) | 関係の絶対性と大衆の原像 |
| 第106回(2012年6月) | ワークショップ「科学技術文明史と倫理」顔合わせ(現代倫理学研究会とジョイント) |