朝鮮通信使の旅程
海駅(かいえき)をたずねて
2005/3/21 海駅の旅 3港目をたずねて   07/02/03更新

☆NEW (06/11/3) 5-朝鮮通信使のうち「安芸蒲刈御馳走一番」(海駅・安芸の国蒲刈の三之瀬港)を掲載。

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朝鮮通信使のたびをして
瀬戸内・海駅へのご案内
 

江戸時代、豊臣秀吉の朝鮮出兵の反省から、友好関係を築くこととし、通商に取り組むとともに、朝鮮の正式な、外交使節を受け入れ接待をしていた。

朝鮮通信使の旅のルートは、プサンから、下関の赤間が関に到着後、瀬戸内海を航行し、大坂に上陸、その後は、東海道を江戸まで参内した。

瀬戸内海の航海は、幕府の定めた各藩の主な港・海駅に立ち寄った。主な寄港地は、西より、赤間が関(長門国)、上関(周防国)、蒲刈三ノ瀬(安芸国)、鞆(備後国)、牛窓(備前国)、室津(播磨国)、兵庫(摂津国)をへて大阪につく。

この、港を海の駅と言うが、各藩が競うように接待をしたようであった。その華やかさは、異国文化と接する機会の少ない人々にとっては、見ごたえのあるものでした。そのほか、風待ち、潮待ち、嵐の非難として各地によっている。

今は、とかく陸上交通からとうざかっているところが多いため、しなびたところが多くありますが、それだけに、江戸時代の風景を数多く実感できるところです。

その多くを見聞して歩くのは、江戸を楽しむとともに、自分の位置を確認できる気がする。

No 地域名 内容 更新日
1 【周防国】 【上関】「周防灘三海関の一つ」 07/2/3
2 【安芸国】 【蒲刈】「安芸蒲刈御馳走一番」と評される ★★ 06/11/3
3 【備後国】 【鞆】「日東第一形勝」と評される 13/5/2
4 【備前国】 【牛窓】自然の防波堤前島がある良港 ★☆ 05/3/21

朝鮮通信使の解説

李氏(りし)朝鮮の国王が日本国王(日本の外交権者)に国書を手交するために派遣した使節。
1404年(応永11)足利義満(あしかがよしみつ)が日本国王として朝鮮と対等の外交(交隣(こうりん))関係を開いてから明治維新まで、両国は基本的にその関係を維持した。それを具体化したのが両国使節の往来による国書の交換である。

義満以来かなり両国使節の往来があったが、徳川将軍は直接使節を送らず、朝鮮も釜山(ふざん)以外への日本人の入国を禁じたので、近世では朝鮮使節が来日するのみとなり、国書の交換もその際にまとめて行われた。近世の朝鮮使節は1607年(慶長12)から1811年(文化8)まで12回来日した。

江戸時代の260年間、わが国は他の国との交渉を著しく禁止する鎖国と呼ばれる体制化にあったが、朝鮮と琉球は「通信の国」(外交関係のある国)として交渉が続けられていた。国際交流の乏しい当時、朝鮮王朝(李氏朝鮮)からの朝鮮通信使の来日は、国家的な行事であり、国書の交換などをはじめさかんな文化交流があった。

朝鮮通信使と進む。全国、津々浦々、巡り歩いたところ、東西の一覧です。
 掲載は、今のところ、4港分/15海駅中 で26.7%というところ。

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