★ 高知の私立支援学校 ★  
     



この支援学校は
卒業生対策から始まった

 学校の歴史は、昭和34年4月に始まる。

高○市立旭小学校・城西中学養護学級付属分室の中学卒業生の中に就職できない生徒が、二人いた。

その子たちのために、代用高等学校を作り、紙箱製造を始めたのが始まりである。

この工場は10年後に養護学校へとなって行った。

その一人は車椅子の男の子であった。3年後には肢体不自由者の職業訓練所へ移ったが、もう一人の子は その後30余年たった今も光の○にいる。

現在は学校の実習助手として紙の裁断工場の主任である。その彼は結婚をし父親になり、自力で家も建て、立派な 市民として今を生きています。

この学校はこのように就職できない卒業生の再教育から始まりました。成長する子どもの後を追いかけて 学校を作り、施設を作り、工場を作り、広域福祉園を形成するに至りました。 生徒一人ひとりの適材適所の人生を拓くためである。




卒業生対策の根本は教育である

 前述した、中学を卒業したこの二人には就職先がなかったが、学校では暮らし方や 技能の基礎的な力は一応身につけている。

ただ、その結果が社会の要求水準に届かなかっただけである。 だから、私(養護学校学園長)はこの二人が社会の関門をくぐり抜けるところまで指導をしなければならないと考えたのである。

一般の子どもは高校はもう義務教育と言ってもよいと思うが、知的障害を持った子どもには、中学教育の補償も十分ではなかった。 私はこの代用高等部を本式の高等部にするつもりであった。

小・中・高とそれぞれの段階でしっかり教育 し、それでもダメなら、なお教育を続けさせる機関を作る。「教育を、更に教育を、そして教育を」である。 この子たちへの福祉は教育に始まって教育に終わると考えている。







     
  ★ 光の○のめざすもの ★  
     


一人ひとりが適材適所に生きる人生を

 一人ひとりが適材適所の人生を持つためには、一つの地域や施設に知的障害者を閉じ込めてしまう今までの方式を改めて、 複数の地域にその土地の特性を生かす施設をそれぞれに作り、総合的に運営する組織作りが必要だと思います

 そして、一人ひとりに、より適正に合う仕事を考えて、持てる能力いっぱいに生きる人生を開くこと。
 現在の縦割り行政の中ではさまざまな不都合が出てくるでしょうが、知的障害者がより確かに 自立するためには、この方式が一番良いと思われます。





学校組織図


★★養護学校★★
 | 総括責任者・・西谷 英雄
 | 総合事務所・・高○県土○市新居 光の○養護学校
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 ★社会福祉法人 首都圏光の○
 |  入所授産施設 千葉光の○授産園
 |         千葉市若葉区小間子町
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 ★社会福祉法人 光の○
 |   *更正施設  たかぎ寮・・就職してない卒業生
 |   *児童施設  わかぎ寮・・主に学校生徒
 |   *通勤施設  ときわ寮・・就職している卒業生
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 |     +・グループホーム(第一ひかりホーム)結婚している夫婦
 |     +・グループホーム(第二ひかりホーム)独身者
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 |       以上、高○県土○市新居
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 |   *入所授産施設 神戸授産施設・・就職をめざす卒業生
 |           兵庫県神戸市三木市
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 ★学校法人 光の○学園
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 | 光の○養護学校 秩父自然学園 
 | |  | 埼玉県秩父郡大滝村
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 | |  +東京分室 東京都江戸川区北小岩
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 | 光の○養護学校 土佐自然学園
 |    | 高○県土○市新居
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 |    +神戸授産園 神戸市長田区戸崎通
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 ★光バックス石川(製箱工場)
    石川県小松市浜佐美町




光の○の教育

 昭和50年代は、知的障害児にとって奈落の時代といってもよいほどに、心身の問題を重度化させて、 多様化させてしまいました。

 これは豊かな時代の「過保護」と「依存」の悪循環による、子供たちの自然現象とも言えます。 しかし、こうなると自立する人間に作り変える教育は大変に難しくなってきます。

 光の○養護学校は、こうした時代の申し子たちに対応するために、新しい学校への脱皮を進めて参りました。  まるで宇宙遊泳をしているかのような子供たちを地球上へ引き戻す教育を、少しお知らせさせて頂きます




1) 暮らしの質を変える


子どもの心身のおかしさは、そのほとんどの原因が過保護から出ているので、まず学校を子供たち が自立して暮らせる新しい家とします。

教師は8時間の勤務体制ながら、24時間365日、常に子どもと共に 生きて行く家族となり、限りなく親に近づく努力をしております。

だからその為に学校は全寮制として、生活指導を 教師が子どもと共に生活をする中で徹底させます。

2) 身体の質を変える


 どっぷりと依存の砂糖湯の中につかってきたような子どもは、運動機能も生理機能も 感覚機能も依存型に仕上がっております。

それを、筋肉に活力を与え、さび付いた感覚や神経に 磨きをかけて、鈍重で不器用でひ弱な依存体質を、敏感で器用でたくましい自立体質に 作り変えて行きます。

攻撃体力も防御体力も大きく向上させ、「健康で、力いっぱい働いて、長生きをする」 人間に作り変えます。

3) 手の質を変える


 子供たちに手は何に使うか と聞くと、「もらう、食べる、遊ぶ」と答えます。依存生活には 生産も創造もありません。

創造と発展が生命の本質ならば、このような子供たちはまだ人間に なりきれていない混沌状態にあるといえます。

私たちはこんな人間を真の人間になり切らせる手段として、労働が極めて有効であると考えています。 もともと人は労働によって人間になりました。

枯れ枝のような手を、たくましく器用な手に変える学習を 徹底して、仕事に習熟し上達することを通じて、大脳を活性化させ表情を引き締めます。

生き方の革命は従って 手の革命 でもあります。

4) ことばの質を変える


 「暮らしと体と手の質」が変われば、もうその子どもは全人的に賢く変わっています。 とりたてて頭のことを言う必要はありません。

 植物に根の働きがあって葉の同化作用があるように、 人間も労働で吸収した養分を頭の同化作用で「暮らしを支え創り出す知恵に、働きを支え 創り出す知恵に」作り変えます。

 知的障害者の賢さは、このように「暮らし、体、手」の質を変えることから生まれてきます。 この三つが確かに訓練されると、読むこと、書くこと、話すこと、計算することなどの学習の可能性 も高まって来ます。

 人間の生活や労働の正しい仕方は、一つの理屈の上に成り立っているので、習熟し、上達 するほどにその理屈は自然に分かるようになります。こうして子供たちは次第にことばの質を 向上させます。

 光の○養護学校は、基礎訓練の段階でも教科に発展する指導を取り上げますが、 その後では教科教育も徹底して指導して行きます。





     
  ★ 光の○のご案内 ★  
     


光の○の外まわり と 内まわり



1)生徒が作ったプール

  昭和50年、10アールの畑を1m余り掘り下げて、その土で湿田を乾田に変え
  た。基礎の栗石は山の中から集めて来た。型板を打つ、鉄筋を組む、それは
  大仕事だったが、約1年がかりで5コース・25mのプールを完成した。浄化装
  置の倉庫もセメントブロックを積んで作り上げた。

2)木工室

  家具、日用品、民芸品、ここで良いものを作って、就職できない子どもの自活
  する工場へも発展させたい

  これは昭和40年代の目標だったが、重度化の波に押し流されて、今はクラス
  単位で小さな工作品をつくるだけになっているが、これからは本格的な木工を
  始めようと準備を進めている。

3)牧場・養鶏場

  昭和44年から光の○養護学校で一番障害の重い子供たちが切り開いた牧
  場である。かつてここには「イバラ」や「熊笹」が密生していたが、生徒たちの
  働きで、かつての雑草地が今では立派な牧場に変身した。

  今、ここに成牛6頭、育成牛4頭がいる、牛乳は園内で消費するだけでなく、
  学校の製菓実習工場でクッキー・プリン・アイスクリーム・ケーキ等、各種の製
  品になる。徳島市、京阪神方面へも毎月1回一週間程度の巡回販売車が回
  っており移動公民館の役割を果たしている。

  鶏は自然の放牧形式で育成している・・・現在800羽・・・
  ここで生産される赤玉卵は町でも人気が高い。就職という形の社会参加がで
  きない更正施設の園生には、誇り高い社会参加である。

  菓子工場のアイスクリームにも、パンにも、ケーキにも、沢山ここの卵を使用し
  ている。

   ◎この養鶏場も、職員と寮生の手で作ったものである。

4)運動場

 @自転車
   自転車はもっとも大事な教育用具の一つです。生徒は入学と同時に購入し
   す。自転車に触ったことのない者でも、入学して半年たつと100kmの室戸
   サイクリングを達成する者が多く、腹背筋・脚筋等の筋力訓練・心肺機能・
   調整力・バランス感覚・反射機能・判断力等多様な機能が向上する。

   更に分解・組立て・修理等の技能訓練・情操教育・手軽な交通の手段
   等々活用範囲が広い教材である。

    ◎この自転車倉庫は生徒が実習で建てたものである。

5)南風堂(製パン工場)

  昭和50年代いっぱいを掛けて、私たちは豊かさに汚染された子どもたち
  を当たり前の生活ができるようにする教育方法を見つけたが、光の○は中
  学段階、あるいは高校段階からの改革教育だから限界があった。どこかに
  問題を残したまま卒業する生徒も少なくない。だから学校後に引き続き教育
  と訓練を続ける場所がいる。そこで私たちはこの「南風堂」を作ることにした。

  昭和50年に「株フクシ」を作った時には、鉄工関係の教育で子どもに専門的
  な力をつけても企業側が理解してくれないので、実際に専門家として働いて
  いる場所を作って理解してもらうという啓蒙が主な目的だった

  昭和58年に活動を始めた「南風堂」は心にも体にも問題を残したまま卒業す
  る者の教育を続けながら、生活も補償しようという新たな課題を背負っていた

6)せんべい工場

  光の○のせんべい工場は、30年を越える歴史を持っている。この工場で平
  成9年度から新しい試みを始めた。重度の専攻科生徒の職能訓練として、
  「せんべい作り」を取り上げたのである。

  この子らも、高3の段階で「宮古島トライアスロン卒業旅行」を達成したので、
  専攻科ではその体力と気力をもとに自活に至る職能訓練を行うのである。

7)通勤寮

  就職した者が教育を受けて、更に自己実現を続ける。自己実現のための生
  活機関として通勤寮がある。この寮も、生徒たちが学校の「建設学習」の中で
  自力で建てたものである。

8)グループホーム

  就職した卒業生同士が結婚をするケースが増えるので、夫婦のための第一
  グループホームを作った。また、独身寮として第二グループホームを作った。
  今後も増やすことを考えている。

9)卒業生の家族寮
  ○中学卒業後30年たって自力で建てた家

  子どもが大きくなるのにいつまでも光の○に住んでいると教育にならない、と
  言って営々と貯めた貯金通帳を持参した生徒がいた。職員たちはそれで資
  材を買い、家を建てた。大工仕事はすべて職員の手で行った。

10)老人期を支える施設の建設

  平成10年度に厚生施設たかぎ寮を3分の2の定員を老人期、3分の1の定員
  を一般成人期とする新しい施設を建設した。

  知的障害者は残念ながら、老化が早い。20代になるともう老化の兆しが現れ
  始める者がいる。生活習慣病も早期に出る者がいる。こうした問題に歯止め
  をかけようとするのが、光の○教育棟である。

  ここでは、物理療法、理学療法等を活用して老化に歯止めをかける指導を行
  うたかぎ寮新築に伴い場所をたかぎ寮に移した。
  







     
  ★ 光の○黒潮太鼓 ★  
     


 和太鼓

光の○の授業の一つに、和太鼓、があります。
昭和55年、まず手作りの太鼓から始めました。 その後、次第に本格的な和太鼓を取り入れて、今日のような編成になりました。

現在、正規の授業として全生徒が取り組み、授業以外にもクラブ活動のひとつとして、 練習を積み重ねています。
和太鼓を教材として取り入れたのは、ひ弱と思われていた 知的障害児でも、その指導によって「集中する力・全身の柔軟性を培う・持久力を高める」という体力作り の面と、社会性が乏しい子供たちが、多くの人々の面前で演奏をすることにより、 社会参加の場を広げ、自主性を深める、という精神面の両面に大きな効果があると考えたからです。

実際、生徒たちは、自主的に太鼓に取り組むようになってから、生活面でも積極性、 自主性、が見られだしました。また、人前で発表できた、という事で自信につながり、 気力、活力も高まってきました。

高知県下の各種行事に参加したほか、県外や大阪市堺市や明石市など、20箇所 以上の場所で太鼓演奏を行っています。
不況のあおりで現在は堺市・明石市を初め県外での演奏はなくなりました








★お詫び★
文章中 ○ で表示された箇所が何ヶ所かあったと思います。読みづらくさせており大変に申し訳ございません。私が作成した文章で我がツレアイ殿や学校に迷惑が掛る事を避けたいが為に取った措置です。ご理解下さいますようお願い申し上げます。
<管理人より>