菅了法の『グリム童話』

  グリム童話の最初の日本語訳は、明治二十年(一八八七年)に出た『西洋古事神仙叢話』、訳者は桐南居士(管了法)である。「仙禽を遂ふて公子金城に入る」(「金の鳥」〔KHM五七〕)、「公女メーリーの節操」(「十二人兄弟」〔同九〕)など、十一話が収録されている。しかし、この菅訳の「グリム童話」は原作をそっくり訳したものではない。ディテールが省略されたり、書き加えられたり、あるいはまったく別のエピソードが盛り込まれていたりしているのである。これは一見、原作者の文体や意図を忠実に再現するという訳者の立場を超えて、行き過ぎた解釈をしているように思われる。しかし、菅はもちろん個人的な好みでこういった改変をおこなったわけではない。その理由を探っていく。

 原作の『グリム童話』と菅訳の『西洋古事神仙叢話』とを読み比べてみて、特に目に付く差異を挙げると、以下のようなものがある。
 1.日本人にとってなじみの薄い西洋の文化・慣習・事物などの記述の削除・書き換え
 2.高貴な身分の登場人物の描写
 3.残酷な場面の削除・書き換え

 まず1.についてであるが、これは当時の状況を考えると当然の改変であったといえるだろう。たとえば、「シンデレラ=灰かぶり」のヒロインは「おすす」という名前に変えられて、「木綿の小袖」に「金銀に飾りたる舞踏靴」を履いて舞踏会に行くのだが、何とも妙なコーディネートになっている。「公女メーリーの節操(十二人兄弟)」の兄妹再開の場面では、抱きしめあってキスをする兄妹の描写が省かれている。そのほか、「悪魔」は「鬼神」、「魔法」は「呪い」と訳されており、日本の昔話には魔法がなかったことを示している。これらは文化の違いによるもので、そのまま訳しても日本人には理解しがたいため書き換えたと思われる。
 キリスト教にかかわる記述、たとえば「神さま」とか「おいのり」といった内容もまた削除されている。

 次に2.について考えてみる。『西洋古事神仙叢話』では、高貴な身分の登場人物と、それにかかわる人々の描かれ方が原作とは異なっている。具体的に言うと、『西洋古事神仙叢話』の方が、王や王子、姫などの立場をより高貴な存在として持ち上げている。例を挙げると、「忠臣ヨハネス」、故王の幼い王子の描写に関して、原作では一少年としての幼さやわがままぶりが現れているのに対して、菅訳では自我が確立していてしっかりした印象を受ける。臣下のヨハネス(菅訳では「ジョン」)も、王子の面倒をみているような感じのある原作とは違い、菅訳では、主君に絶対の忠誠を誓う臣下としてへりくだった態度をとっている。
 そのほかに、自ら市中へ姫探しにおもむく「灰かぶり」の王子など、原作に登場するこれら高貴な身分の人物は、その身分に見合った言動というよりも、より人間らしく、童話的に描かれている。グリムにとって、あるいはグリム童話のもととなった昔話の語り部にとって、「王」とか「姫」といった人物の登場は、物語がハッピーエンドになるために必要な要素だったのではないだろうか。彼らが高貴に描かれる必要性はなかったのである。
 しかし、日本人である菅にとって、たとえ童話の中であっても、皇族の人々を庶民的に表現することはできず、ふさわしくない行動を書き換えたり、ことさらに知性や教養を強調したりしたのではないかと考えられる。

 最後に3.についてであるが、これは菅の改変の中でも特に目に付く点である。「灰かぶり」の結末で、シンデレラの義姉の目玉を鳩がつつき出す場面が削除されているのは有名である。このほかにも、『グリム童話』の中に、現代の感覚からすればあまりにも残酷に思われる場面は数々登場する。
 最後に3.についてであるが、これは菅の改変の中でも特に目に付く点である。「灰かぶり」の結末で、シンデレラの義姉の目玉を鳩がつつき出す場面が削除されているのは有名である。このほかにも、『グリム童話』の中に、現代の感覚からすればあまりにも残酷に思われる場面は数々登場する。

 つまり、これらの点をすべて合わせて考えるとこのようなことが言える。菅は、『グリム童話』の各物語が持つメッセージを伝えることを最優先させた。日本人には理解しにくい文化や慣習などは、話の筋には直接関係ないとして、また残酷な描写などは、その印象が強すぎるせいで物語の本質がかすんでしまうことを避けて、それぞれ書き換えた。
 残酷な描写の中にもさまざまなメッセージは隠されている。しかし菅が『グリム童話』から読み取ったメッセージは道徳的思想の方であった。そのため、この種の描写が削除されたことで『西洋古事神仙叢話』は原作の『グリム童話』とは違う、『菅版グリム童話』となったのである。
 以来日本では、『グリム童話』を文学というよりはもっぱら「児童教育用のツール」として改作しながら使用されてきた歴史がある。


(約8000字)



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