■■ ■ 大日岳遭難訴訟
事故の発生から裁判に至る経過
概要
2000年3月5日 北アルプス大日岳で文部省登山研修所の研修登山に参加したメンバーが雪庇(せっぴ)上で休憩中に雪庇が崩落し、11名が雪崩にまきこまれ、内藤三恭司さんと溝上国秀さんが死亡した。
翌年国は、雪庇の崩落は予見不可能で、引率講師に過失はなかったという調査報告書を発表し、遺族に謝罪すらしなかったことから、遺族は国家賠償法に基づき、2002年3月国に損害賠償を求める裁判を起こした。
裁判は、2006年1月11日に結審となり、4月26日に判決が出る。
 遭難事故の発生
 文部科学省の対応と裁判
 2000年3月5日、午前11時25分ごろ、富山県の北アルプスの大日岳(標高2501m)山頂付近で、幅5〜10メートル、長さ120メートルに亘って張り出していた雪庇が崩落し、雪庇上で休憩していた大学生11人が滑落した。
 そのうち、9人が自力で這い上がって助かったが、横浜市保土ヶ谷区の内藤三恭司さん(22歳、東京都立大学生)と、兵庫県尼崎市の溝上国秀さん(20歳、神戸大学生)が行方不明となった。
 二人は、文部省登山研修所(富山県立山町)が、3月1日から7日まで開催した「大学山岳会リーダー冬山研修会」(参加研修生32名)の研修生で、冬山の安全な登山技術を学ぶために研修に参加したもの。
        (雪庇及び事故の略図はこちら)


 富山県警山岳警備隊員などによる捜索が直ちに開始されたが、その日の午後5時ごろさらに雪庇が崩落し、二次災害による負傷者が発生したため、捜索が打ち切られ、翌6日も雪庇の崩落が続いているため、空からの捜索のみで、7日は悪天候のため、地上はもちろん、ヘリコプターによる捜索もおこなわれなかった。
 
 二人のうち、内藤三恭司さんの遺体が発見されたのは、事故から2ヶ月以上経過した5月15日であた。
 内藤さんの遺体は、崩落現場から標高約1000m下の谷から発見された。奇跡的に内藤さんが身に着けていたビーコン(遭難での探知用電波受発信機)が作動しており、その反応から埋没現場が特定でき、雪面下の約5.2mまで掘り進んで発見された。

 溝上さんは、さらに二ヶ月経過、事故から4ヶ月経過した7月11日、内藤さんの遺体発見現場より約300m上部の地点で発見された。
 二人の遺体が発見された場所は、雪庇崩落地点より標高で千メートル、距離で約3キロメートル下ということである。

 事故当時、研修生18名と職員9名の27名が雪庇上で休憩していたが、その休憩場所の指定及びそこへのルートは山本一夫主任講師の指示によるものであった。
 山本講師は、文部省登山研修所の冬山研修会の講師として14回も大日岳での研修を行っているベテラン登山家であるという。
■ 文部省(当時)と遺族の話し合いらしきものがもたれたのは、内藤三恭司さんの遺体が発見されそうだという5月14日がはじめてである。
 その席で文部省側は「この事故について200人に意見を聞いたところ”文部省に責任はない”ということだ」「どう考えても文部省に責任をとるべきことがない」と発言。
 以来、現在まで一言も謝罪の言葉もない。

 事故から1年たった2001年3月、文部省は「北アルプス大日岳遭難事故調査報告書」を発表したが、その内容は「講師がルート選定を誤った」と認めながらも「雪庇の崩落は予見不可能であり、この事故は不可抗力である」という結論を出している。

 2001年11月、文部省の担当課長が内藤さん宅を訪ね、溝上さん同席の上この事故について話したが、課長はなんの文書も出すことなく「文部省側の責任は一切ない」と突き放し、文書が欲しいというと「文部省のホームページにある」というありさまであった。

 文部省のあまりにも非道な対応に、遺族はやむを得ず、国家賠償法に基づく損害賠償を求める訴訟を2002年3月5日に富山地方裁判所に提訴した。

■ 裁判で、国側は雪庇の大きさが40メートルもあり、例年をはるかに超える大きかったことにより、ルート選定をあやまったとし、雪庇の崩落は予見できなかったとして過失を認めない主張を展開。
 原告側が雪庇を避けることは登山家の常識でもあり、多くの冬山登山教科書にもそのように書かれているのに、雪庇をさけようとしなかったのは過失であることを立証すると、国は裁判の途中から、「雪庇といっても吹き溜まり部分と庇(ひさし)の部分があて、さけなければならないのは庇の部分で、吹き溜まり部分は乗っても問題ない」と驚くべき主張に切り替えた。

 雪庇を避けるためには山稜を特定して山稜付近を登頂すべきなのに、国は、雪庇を避けるためのルート選定方法として雪庇先端から10数メートルの位置を歩けば安全なのであるが、この年は雪庇がかってないほど大きかったために(実際は例年その程度の雪庇が出来ていた)雪庇をさけられず、大きな雪庇ができていたと言う異常気象が原因で不可抗力だとの主張をしました。


 当日の講師、山本主任講師は、事故の翌年(2001年5月)に長野県大町市で行われた山岳セミナーで「山の事故に不可抗力はない」「この事故の原因は自分の判断ミスによるものであった」と述べている。






                          国家賠償法 

第1条 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。
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