―――黒いコートを着た男が、苦悩する修行僧めいた表情で佇んでいる。
 その地は既に地獄と化していた。
 この世界には本来在り得ざるべき異界。
 その異界の中心にありながらも、この男の表情には微塵の揺らぎすらない。
 苦悩する修行僧めいた表情を崩すことなく、魔術師―――荒耶宗蓮はそこに存在していた。
 そうしていたのは数瞬か、あるいは数日か。既に時間など意味を成さない異界に、自分以外の気配を感じて荒耶は眉根を上げる。
 空間を割って顕れる濃密な魔力の気配を感じ取り、荒耶は誰にとも無く呟いた。

「―――顕れたか」

 荒耶の視線の先に存在するのは、赤い外套をまとった白髪の男。
 その目に感情の光は無い。
 この存在から感じられるのはただ相手を滅ぼそうという概念のみ。元来、守護者とはそういうモノだ。

 完全に世界に存在が固定化されるや否や、男は赤い弾丸となって超疾した。
 その先にあるのは黒いコートの魔術師。
 いつ取り出したものか、男が構えた双剣は確実に魔術師の首を落とすだろう。
 "霊長の守護者"が呼び出されてから数秒も経っていない。
 それが守護者と人間の魔術師との力の差だ。
 迫る赤い弾丸を前にして、荒耶は微動だにせずただ一言呟いた。

「不倶、」

「―――!」

 男が荒耶を間合いに捕らえるまであと一歩、そこで男の体がガクン、と前につんのめる。
 男の足元には、荒耶の足元から延びる円形の文様、それが男の動きを封じていた。

「金剛、」 

 重苦しい声で魔術師は発音する。

「蛇蝎、」

 荒耶の周囲からあらゆる流動が途絶えていく。
 結界―――魔術師を守る三つのサークル。その最も外側の線が、男の動きを封じていた。
 荒耶が動く。
 男の疾走が弾丸ならば、荒耶の動きは亡霊のそれ。
 気配すらなく男の真横に立つと、荒耶はその右腕を振るう。

「頂経、」

 重い呟きとともに放たれた荒耶の右腕は轟雷のごとき鋭さをもって男の脇腹を抉る。
 "守護者"たる男の身体を容易く傷つけるのはいかなる神秘か。
 しかし、脇腹を抉り取られながらもながらも男の表情は揺るがない。

「――――――」

 男が何ごとか小さく呟く。
 それは魔術の詠唱でもなんでもないただの呟きだ。
 しかし、荒耶はその呟きに怖気を感じ、大きく距離をとる。

「何といった?」

 男はもう一度、今度ははっきりと荒耶に向かって言う。

「―――調子に乗るな、魔術師」

 言うや否や、男を捕らえる結界の文様が歪み、砕ける。
 ライフルの弾丸すら静止させる結界をこの男は気迫のみで打ち破ったのだ。
 男の踏み込みに備え荒耶が身構える。

I am the bone of my sowrd我が骨子は捻れ狂う

 しかし、男はその場から動かず言葉を紡ぐ。
 ―――男が手にするは、

偽・螺旋剣カラドボルグ

 その真名が告げられる。
 放たれた矢とも剣ともつかぬソレは神速をもって荒耶へと迫る。
 結界では足りぬ、そう判断した荒耶は自らを守る結界を空間の一点に収束させる。

「―――ぬ、ぅ」

 荒耶の作り出した静止の点と螺旋剣が拮抗する。
 しかしその均衡も一瞬。

壊 れ た 幻 想ブロークン・ファンタズム

「粛」

 カラドボルグの崩壊と点にまで収束された結界の崩壊。
 それぞれが魔力と衝撃の奔流となって荒耶と男の視界を白く染め上げた。 









         守護者









「―――荒耶か、頼まれたものは出来ている」

 背後に一切の前触れも無く気配が生じる。
 その気配に背を向けたままで、紫煙を燻らせながら蒼崎橙子は言った。

「感謝する」

 苦悩する厳しい表情を崩さぬまま、荒耶宗蓮は淡々と礼を言う。
 
「礼はいい。代価となるものは貰っているし、何より―――お前に礼など言われると気持ち悪い」

 ―――そんなことより、と彼女は続ける。

「お前は本気で抑止力に挑むというのか?
 魔術師では、いや、霊長に属するモノではアレには決して勝てん。
 アレと拮抗できるのは星の精霊ぐらいのものだ、それを知らぬお前ではあるまい?」

 霊長の抑止力は60億の人間すべての無意識の具現。故に霊長である以上勝ち目は無い。
 過去抑止力に挑んだ魔術師は例外なくコレに斬殺されている。
 しかし、蒼崎の問いに確固たる意思を持って荒耶宗蓮は答える。

「―――挑み、打倒しよう。
 此度のお前への依頼もその布石の一つだ」

「いくら力を高めようがアレはそれ以上の力を持って顕れる。
 破壊されるとわかっているものを創るのは私としても気が滅入るのだがね」

 荒耶は何も答えない。
 その沈黙をどうとったのか、彼女はフウ、とため息をついて、

「まあいいさ。依頼されたものはそこに置いてある、何なら出来を確認するか?」

「それには及ぶまい。では受け取っていく」

「まあ待て、分かっているとは思うがソレはもって一月だ。それだけの数の神秘を組み込むのは本来無理があるのだからね」

「承知している」
 
 そう言ってソレを担ぎ荒耶は彼女に背を向けて歩き出す。
 去り行くその背に向けて彼女は声をかける。
 
「アレは確実に顕れるだろう、お前の望みが望みだけにな」

「私は、何も望まない」

 荒耶は立ち止まるらずそう答える。

「ああ、お前は前にもそう答えた、覚えているとも。そして、その言葉の意味も解かっているつもりなんだがね」

 学院時代に師に問われたときも荒耶はそう答えた。
 望みが無いのではない。なにも望まない、自己の存在すら望まない完全なる死の世界。
 それこそを荒耶宗蓮は望んでいる。
 蒼崎橙子は、畏れの感情とともにそれを覚えている。
 そこまでに人間を嫌悪し、作り上げた極限の自我。
 荒耶宗蓮はそれをもって「 」を求め続けるだろう。

「―――だが荒耶、それでもお前は敗れるだろうよ」

 人形師は呟く、その呟は今までの無感情なものではなく悲しみとも哀れみともつかぬ感情が混ざったものだ。
 しかし伽藍の堂にそれを聞く者の姿は既に無く、その呟きは虚しく虚空に消えていった。
 









 荒耶の白く染まった視界と意識が回復する。
 かつての同胞との会話の幻視は一秒にも満たないものだ。
 打倒すべき敵を視界におさめ、荒耶は再び結界を張り巡らせる。

「不倶、金剛、蛇蝎、 、戴天、頂経、王顕」

 結界、六道境界。六道とは六界とも呼ばれる輪廻の道。
 魔術師を守る3重の結界は、荒耶のイメージする六界を隔てる境界だ。
 極限まで鍛え上げた自我が織り成す結界は先の守護者の一撃さえ凌いで見せた。

投影、開始トレース・オン

 赤い戦士もまたその手に双剣を構える。
 陽剣干将・陰剣莫耶、二振りの夫婦剣が炎の照り返しで赤く煌く。
 どこからともなく双剣を取り出したその業は暗器術ではない、その正体を荒耶は看破した。

「―――投影魔術」

 男は剣を取り出しているのではなく創り出している。これほどの投影など荒耶も聞いたことがなかった。
 黒いコートの魔術師と赤い外套の守護者が再び対峙する。


 先に動いたのは守護者だ。
 
 疾風を思わせる速度で駆け結界の直前で双剣を振リおろす、結界が砕ける。
  
 続いて体を回転させて横殴りに斬りつける、結界が砕ける。
 
 干将で斬り上げ、莫耶で斬り下ろす、結界が砕ける。
  
 瀑布のごとき怒涛を持って振るわれた斬撃は魔術師を守る三重の結界を一息の間に打ち砕いた。
 しかし、そこに生じた一瞬の隙を荒耶宗蓮は逃さない。
 幽鬼じみた動きでもって剣の間合いから拳の間合いに踏み込み右腕を―――

「ぬぅ!」

 背後から襲い来る殺意に対し構える。
 荒耶の背後から襲い掛かった双剣がありえない斬撃なら、それを止めた荒耶の右腕もまたありえないものだった。
 鉄すら両断するその一撃を荒耶は素手で受け止めていた。
 空いている左腕が振るわれる。唸りを上げる豪腕を男は莫耶で受け止める。
 風を切って迫る干将を荒耶がその右腕で受け止める。
 剣と拳の打ち合いが続く。50合を越えたころで、荒耶が飛びのく。

「なるほど、充分だ」

 いかな力で打ち合おうとも守護者を倒すことは叶わぬ。
 もとより荒耶にとって先程までの競り合いはこの肉体の力を試すためのものだった。
 人形師、蒼崎橙子に依頼し、数々の神秘をもって人型を組み上げた人形。
 それが今の荒耶宗蓮の肉体、先程斬撃を受け止めたのも埋め込まれた仏舎利の加護によるものだ。
 数々の神秘を組み込んだ肉体の力は充分だ。だが此処では打ち合っても意味がない。
 荒耶宗蓮はもう一つの策を発動させるべく、呪文を口にする。

「秘紋・夜麻無間禄」

 その言葉とともに、世界が変容した。
 
 








 

 
 空間のいたるところに文様が描かれた仏堂、それが荒耶宗蓮の心象風景固有結界
 其処は文様によって大気も、魔力も、あらゆる流れが停滞した空間と化した。
 そしてもう一つの変化、先程まで守護者に無尽蔵に世界から供給されていたマナが消失している。
 異界に異界を重ね、守護者と世界とのつながりを希薄にする。
 それが荒耶の用意した策だった。
 
 根源への孔を開くために千の屍を、

 この準備のためにさらに千の屍を築いた。

 それだけでもこの地は既に異界、その異界にさらに異界を重ねることで荒耶は守護者を亡霊に貶めた。
 無限に描かれた文様は荒耶宗蓮を中心に移動している。故に、この空間で自由に動けるのはこの魔術師のみ。
 この空間で自分が亡霊に遅れをとることなどありえないと、荒耶宗蓮は確信している。

「征くぞ、「 」への礎となるがいい」

 その言葉とともに荒耶が駆ける。
 必殺の気勢をもって迫る荒耶に対し男は構えようとするが、その身は自由には動かない。
 荒耶の右の拳が男の胸を打ち据える。
 一撃では終わらない、続いて左の拳が肘が蹴りが嵐の如き苛烈さで男を打ち据える。
 今の荒耶の肉体は全身が概念武装に等しい、その一撃一撃は確実に男の肉体を構成する霊体を削り、霊核にダメージを与えていく。

「―――堕ちよ」

 短い呟きとともに迸る右腕が男の頭部を打つ。
 停滞した空間であるため吹き飛ぶこともかなわず、男の意識と視界が暗く染まった。





 男は、経験したこともないはずの過去を幻視する。
 剣戟の音と、未熟な少年の言葉。

「―――決して、間違いなんかじゃないんだから!!―――」

 夕焼けの中で交わした少女との約束。

「だから、アンタも―――」

「―――大丈夫だよ遠坂。俺も、これから頑張っていくから」

 それは英霊の座に記憶された知識に過ぎず、彼自身の経験ではない。
 だが、それでもそれは決してないがしろに出来ないものだ。
 




 ―――男は目を開く、その目には先程までにはなかった意思の光が宿っている。
 世界とのつながりが希薄な此処では、守護者としての力は持ちえない。
 だが、世界とのつながりが希薄な此処ならば―――抑止力としてではなく、英霊エミヤとしての意思を持ちうる。
 荒耶の攻撃は今なお続いている。
 だが、もはやそんなことは関係ない。
 幾度となく唱えてきた呪文を口にする。


 ―――I am the bone of my sword体は剣で出来ている―――
 
 それは魔術ではない、自らに働きかける言葉。

 ―――Steelismybody,and fireismyblood血潮は鉄で心は硝子―――

 荒耶の蹴りが右膝を砕く、言葉は止まらない。

 ―――I have created over athousand blades幾たびの戦場を越えて不敗―――

 振り下ろされた右腕が肩を砕く。

 ―――Un aware of loss, no aware of gainただ一度の敗走もなく、ただ一度の勝利もなし―――

 左腕が突き出され、霊核を削っていった。

 ―――Withstood pain to create weapons担い手はここに一人―――

 だが、それでもエミヤが見る敵は荒耶ではない。

 ―――Waiting for one's arrival剣の丘で鉄を鍛つ―――

 イメージする敵は、常に最強の自分自身。

 ―――I have no regrets, This is the only Pathならば、わが生涯に意味は不要ず―――

 満身創痍でありながらも、その目は一切の迷いがない。

 ―――Mywholelifewas "Unimited blade works"この体は、無限の剣でできていた

 









 再び世界が変容した。仏堂は錬鉄の炎によって焼き消される。
 そこは一面の剣の丘、エミヤの心象風景固有結界―――無限剣製。

「固有結界。貴様、何者」

 荒耶が呻く。

「守護者、エミヤ」

 確かな意思でもってエミヤは答える。
 その答えは荒耶にとって理解しがたいものだった。

「守護者だと、貴様は世界から切り離された瞬間にその意義を失っている。
 今の貴様は伽藍堂の亡霊に過ぎぬ、何を持って守護者を名乗る?」

「私自身の意思を持ってだ。私は私の答えを既に得ている。
 それは英霊の座に記憶された知識に過ぎないが―――それでも、俺はその答えを支えに俺の意思で人を守ろう」

 エミヤの答えに迷いはない。
 彼は最後まで自らの理想に裏切られた、だが―――最後まで自らの理想を裏切らなかった。
 そして、その想いはけして間違いではなかったという答えも得た。

「愚昧、人を守るなど偽善に過ぎぬ。
 始まりが偽者で終わりは借物か。そのような紛い物に荒耶宗蓮は破れない」

 だが荒耶はそれを認めない、彼も始まりは同じだった。
 しかし絶望に絶望を重ねた荒耶の結論は違う。
 ―――人間には、誰も救えない。
 同じ始まりからその結論に行き着いた荒耶にとって、その答えは認められるものではない。
 
「紛い物ならなんだというのだ? 俺は自分の歩んできた道に一遍の後悔もない。
 そのような言葉でいまさら揺るぎはしない。いくぞ魔術師、結界の魔力は充分か」

 両者の想いはともに変容などありえない。
 長き時の果てに概念と化した魔術師と、死してなお理想を貫いた守護者。
 決着は、どちらかが倒れる以外にありえない。

「不倶、」

 結界を従え荒耶が疾る。
 対するエミヤは無数の剣でそれを迎え撃つ。
 
「―――装填、重複トリガー・フラクタル

 ダインスレフとデュランダルが放たれ、結界が二つ消し飛ぶ。

「蛇蝎、金剛、」

 荒耶は疾走の速度を緩めぬまま再び結界を展開する。

偽・螺旋剣カラドボルグ

 エミヤが独自の改良を加えたカラドボルグIIが再び展開された結界をすべて貫き荒耶に迫る。

「ぬ、ぅう!!」

 荒耶は仏舎利を埋め込んだ右腕でなぎ払い、間合いを詰めていく。

刺し穿つ死棘の槍ゲイボルグ

 真名とともに放たれたその槍は因果を逆転させ確実に心臓を貫く。

「―――粛!!」

 仏舎利を仕込んだ右腕はその存在と引き換えにゲイボルグの呪いさえ跳ね除けて見せた。
 荒耶の左腕がエミヤの霊核に深刻な一撃を見舞う。

約束されたエクス―――」

 膨大な光が収束する。

「―――勝利の剣カリバー!!!!」

 光の奔流が、全てを呑み込んだ。










 

「―――この方法では至れなかったか」

 魔術師の体は右半身だけとなり、その右半身も次第に風化したように崩れ始めている。

「次の体は用意してある、どれ程の時をかけようと必ずや至って見せよう、必ずや」

 塵と化していく中でもこの魔術師の胸中には敗北の悔恨も自らへの迷いもない。
 
「―――この矛盾した螺旋セカイの果てを」

 そうして「 」に挑む意思、荒耶宗蓮の肉体は風に消えた。

 その場から少し離れたところにエミヤは立っていた。
 既に守護者としての意義は終え、傷ついた霊核では現界も至難。
 だが、それでも彼にはまだやるべきことがあった。

「―――これから頑張っていく、か」

 そう少女に約束した。
 あらゆる時代に呼び出される彼にとって「これから」がいつからだったかはわからない。
 だが、それは確かに大事なことだったのだ。

「約束だからな」

 此処は荒耶宗蓮によって異界と化した地、だがエミヤは生命の気配を感じ取っていた。
 
 ならばやることは決まっている。生存者を探し、助ける。
 たとえ全てを救うことがかなわなくとも「救う」という想いは間違いではない。

「正義の味方なら、約束は守らねばな。そうだろう? ―――衛宮士郎、―――凛」

 彼の口をついて出たのは懐かしい2人の名。
 それは彼が遠い昔に、あるいは遥か未来に見た幻想ユメ
 剣戟の果てに見たものと、少女に誓った約束。
 その二つを胸に、英霊エミヤは歩き出した。