2002年(平成14年)(生活文化総合研究所顧問) 77才

1月

1日(火)
 9時に起きる。室温は14度。年賀状は298枚印刷したが、7枚追加して刷って出す。2時すぎに出て浅草へお参り、3時すぎに帰る。欽ちゃんの仮装大賞を見て早く寝る。

2日(水)
 10時15分のロマンスカ−で永恵たちと延沢へ行く。照雄に佐藤病院へ連れて行ってもらう。お袋は大分弱っていて、今年一杯保つかどうか。こんなにして生きていかなければいけないのかねえとこぼす。小林さんたちは2時頃きて4時頃帰った。俺たちは5時すぎに出て夢庵で食べ、7時24分のロマンスカ−で帰る。駅伝は駒沢。

3日(木)
 朝は12度。7時に有楽町マリオンで永恵、剛弘、竜輔と一緒になる。もう人がいっぱいいるので驚き。「ハリーポッターと賢者の石」”Harry Potter and the Philosopher’s Stone”小説の映画化としては、CGの進歩と原作の良さでよくできている。道子を入れて松屋で天丼を食べる。

6日(日)
 7時のロマンスカーで酒匂へ行く。庄野、長瀬で54と52。3時40分のバスに乗り、4時20分のあさぎりで帰る。グリーン車しかないが、2人と町田まで一緒だった。

7日(月)
 ヨーロッパでは遂にユーロが流通を始めた。色々な点で今年は新しい動きが本格化しそう。小泉改革は、不良債権処理が進めばものになる。この時の金融不安を防ぐには、金融システムにいくらでも金を突っ込めばいい。名目は何であろうと、錬金術を使うのだ。

11日(金)
12時前に有楽町の国際フォーラムへ行き、下河辺、高島、佐藤と弁当を食べ、木耐協の全国大会で下河辺さんが話をする。彼は足元がよろよろし声も細いが、中身はしっかりしている。雲霓が出たので、佐藤君のところへ行ってコピーをとった。加藤紘一さんの側近ナンバー1が脱税でつかまったが、どうなるのか。この人が雲霓の発行人だ。加藤さんも加藤の乱以来のご難続き。5時に出て第四合同庁舎の経友会に行き、7時に出て下山、菅野、小谷とやる。大荒れで結局はほとんど平らになった。

小金芳弘「神国日本の歴史と現代日本の課題―古代日本像の再構築から現代日本の問題点を探る」(雲霓、平成14年新春号)

17日(木)
 朝の温度は17度。歌舞伎。「熊谷陣屋」幸四郎 染五郎 「春興鏡獅子」勘九郎。「人情噺文七元結」吉右衛門 佐団次 玉三郎。これは面白かった。

18日(金)
 2時に神田の真生活ビルで香川、古宮、今城と会う。香川君に生文研の事務局をやらせようと思うが、彼も中々無条件では引き受けない。

24日(木)
11時に道子とホテルニューオータニのふくいインビテーショナルに行く。さんざん食べたり飲んだりし、後は 鴇田君夫妻とお茶を飲んでおしゃべり。

27日(日)
  午後、イブン・ハルドゥーン「歴史序説」1−4を買う。相撲では栃東が千代大海に勝って13−2で優勝決定戦に持ち込み、はたきこんで勝って大関初場所初優勝。

28日(月)
 「歴史序説」はやたら長いのと世界観が14世紀アラブのものだというところが問題だが、凄く良いことがあちこちにある。生文研で4月から真生活産業塾をやることになったので、佐藤君から事務局の仕事を引き離さなければならなくなり、香川君に期待したが彼は慎重なのでので無理だ。しかし今のエネスペースの事務局に任せたのでは、結局佐藤に依存することになる。俺は経理の仕事はやったことがないし、庶務は向いていないが、次に引き渡すまでは俺がやる外はないと思う。20年もやってきた生文研のためだ。結局こうなるのも運命だろう。

29日(火)
 朝、エネスペースの会議で生文研の事務局問題を3月中に決着させることを公約する。東京のアフガン復興会議にNGOを外務省が出席させないと外務省が通達したのは鈴木宗男の圧力のためだと田中真紀子が言うのを野上次官が否定。嘘かどうかで大騒ぎの結果、大臣、次官、衆院議員運営委員長の3人が同時に辞めさせられることになった。

30日(水)
 木曜に杉原さんと永谷君(生活局長)の会談をセットしておいたら、向こうから断ってきた。生活局の生文研不信が強いのに驚く。とにかく生文研の経理がどうなっているのかを見なければならんと思い、神田の真生活ビルで今城さんとダンボール箱を開けて調べてみたら、成果物が半分以上で、最近数年の金銭出納簿と受取が出ておらず、出金伝票も00年度のところは3月31日に何十万円も出ているのに受取がない。ここ2年間は事業も全くやっておらず、佐藤君が自分の会社とまぜこぜにして、理事長印を使って出金している。熨斗さんがやっていた時は熨斗さんの印が押してあるが、佐藤一人に任せ放しになった後はこれだ。香川君が近くにいるので呼び出して相談したら、彼は幹事の責任があるので大ショック。これでは佐藤君は背任横領になるし、杉原さんも理事長としての責任を問われる。とにかく事務を全部こっちへ引き取ってから善後策を講じなければならない。夕方古宮さんがきたが、彼女も唖然として、とにかく、今城と斉藤を理事にする総会をやることになった。手術はそれからだ。

31日(木)
 「歴史序説」は凄い本だ。歴史学とか社会哲学とかいうよりも、初めて「政治学」らしいものにぶつかった。多分マキアベリもそうだろうが、ウォラースタインやローズスタインよりもはるかに凄い。王朝の寿命が120年(4代)というのも卓見だ。明治維新が1868年で昭和が1988年。バブル以後の日本は、明治王朝が倒れた後の戦国時代のようなものだ。

2月
 
2日(土)
 田中真紀子の後任は川口順子さんになった。緒方貞子さんをずいぶん追いかけたようだが、断られたようだ。雪印食品が、輸入牛肉を国産と偽って買い上げさせた件で強制捜査を受ける。一昨年の牛乳中毒事件についで、雪印の社内の規律は完全に緩んでいる。

3日(日)
 小泉内閣は支持率が53%に落ちた。田中更迭が響いたが、田中人気は角栄内閣の初めの時と同じで、彼女をクビにした後、実質的には内閣の力は上がっている。

5日(火)
 株価は9630円まで下がっているが、もう少し下がって底を打つだろう。円レートは132円ほど。エネスペースの会議では古宮さんがいないので杉原さんとやりあい、18日の理事会で今城、斉藤を理事にしたらすぐに佐藤君を辞めさせるよう古宮さんにやらせることにした。

6日(水)
 株価は9420円までニ日連続で落ちる。狂牛病問題で武部農水相のクビは風前の灯火だし、田中更迭に対する世論の風当たりは強く、雪印問題と合わせて小泉政権の正念場だ。まだ50%近くの世論の支持はあるが、ここで投げ出したらそれこそ日本は終わりだ。

7日(木)
 神田へ行き、資料の整理と00年度の伝票の検討をやる。収入支出ともほぼ300万で、何も仕事をしていない。生活局の監査の結果はBとCばかりで、これではどうしようもない。12日に佐藤君が資料を全部引き渡して理事も辞めることになったという。この後始末をし、後どう仕事をするかを決めて今年中に役所に届けなければならない。生文研ができてから20年後に、また仕事が俺に回ってきた。

9日(土)
 11時からソルトレークシティのオリンピック開会式をテレビで見てから4時40分のロマンスカーで開成町へ行き、佐藤病院へ照雄に連れて行ってもらう。お袋はすることがないとこぼす。それからカーサへ行き、夜は照雄と2目で打って久しぶりに勝った。

10日(日)
 酒匂で8時54分スタート。間もなく雪がちらつき、11時頃から猛烈に降り出したので、ハーフで上がる。白井、小谷、菅野。菅野君に照雄の家まで送ってもらい、夢庵で昼を食べ、2時24分のロマンスカーで帰る。
 
13日(水)
 神保町で今城さんと生文研問題の整理をした後、香川君がきて続きをやり、斉藤、山口とで5時すぎまでやる。会計処理と成果物を何とかしなければならない。雑務がたくさんあるが、今城、斉藤、山口を使えば何とかなるだろう。杉原さんは心筋梗塞を起こして入院した。生文研は結局、作ったところから再生手術まで全部俺がやることになったが、因縁だろう。運命は人智を以っては計りがたい。

19日(火)
 18日の理事会には佐藤君が出てこず、すぐ辞めるという話もできなかったそうだが、理事長印、伝票、現金、通帳を佐藤君が抑えているので、それをとりもどさない限りどうにもならない。
 
20日(水)
 「菅原伝授手習鑑」の昼夜通し。「加茂堤」梅玉 福助。「筆法伝授」仁左衛門 富十郎。「道明寺」玉三郎。「車引き」から「寺子屋」までは何度も見ているが、今日の分は初めてで、戯曲としてよくできていることが判った。竹田出雲の傑作であることは間違いない。
 
22日(金)
 12時にソテーとワコーの前で会い、さがみで昼飯を食べる。彼はパリ市の副市長で財政を担当し、その外に新企業を援助するNGOをやっていると言う。

25日(月)
 オリンピック閉幕。日本の金メダルなしは4大会ぶりの惨敗。昼飯は栗田、谷口、古新居、赤岩、渡辺とさがみで食べる。

26日(火)
 杉原さんがエネスペースの会議に出てきて大演説をする。心臓の動脈三つの内二つがいけなくなっていたのに風船を入れて何とかしたらしい。大変元気だ。

3月

2日(土)
 夜は、浅草橋の近くのイタリアレストランで道子の誕生日を純代がご馳走してくれる。道子は81歳。何時まで元気でいられるか。

4日(月)
 午後は神保町で生文研の理事会と懇談会。今城さんを事務局長にして、俺が予算や作文などをやることになった。

7日(木)
 佐藤三郎氏は逮捕されそうだし、加藤紘一も加藤派の会長を辞めそうだから、雲霓もどうなるかわからない。外務省問題で鈴木宗男は四面楚歌。しかし小泉は、支持率は下がっても元気が好い。橋本派は、橋本の心臓手術もあってもう駄目だろう。生文研の新しい構想と14年度事業計画・予算にとりかかる。

17日(日)
 午後、鉄砲州と住吉神社へ行く。隅田川沿いはもう桜が咲き、たくさん人がいる。こんなに早い開花は前代未聞だ。

19日(火)
 今城さんの資料の整理が悪いのには頭にくるが、仕方がない。会議での説明の仕方も駄目だが、訓練すれば何とかなるだろう。

21日(木)
 昼は白線クラブ。43浮く。このところついていて5連勝だ。生田澄江さんから瓜生のおばあさんの本の原稿がきた。非常によくできている。明治の女性史に一つのものを付け加えたと言える。今まで知っていたことを大きく上回り、肉親のことという以上に感動した。波乱万丈の人生を生きたというだけでなく、山あり谷ありを自然体で切り抜けて行くところがいかにも現代的。総合的に見れば幸せな人だが、人間誰でも心がけしだいでこうなれるのではないか。もちろん運も大事だが。

22日(金)
 11時から経団連会館で家計研の理事会。吉村君が辞めて池田君が専務理事になった。家計研も俺が作ってから15年、局長の行き先にまでなるとは思わなかった。三喜田、宮地と問題児の受け皿だったが、すべてアコムのお陰だ。それから神保町へ行って予算と決算をやる。夜は今城さんと白山で飲み、フリーダムの後、また家へ連れて行かれた。

24日(日)
 12時すぎに道子と出て大井のお寺に行き、それから青山墓地に行く。桜が満開で、お花見の人が一杯。屋台が出ている。瓜生家の墓の場所が思い出せず、さんざん歩き回ってやっと見つけた。おばあさんのお墓に本のことを報告する。

25日(月)
 昼はさがみ。赤岩、渡辺、市川、栗田、谷口、古新居。

26日(火)
 小雨。生文研では、電通、マルエツ、電通テックが退会し、新富印刷も倒産した。佐藤君が作った会は消滅して、杉原さんと俺の会になる。新しい会員が増えてくるまでになるのは大変だが、何とかなるだろう。午後は白線クラブで、最後に浮いて6連勝は記録。

28日(木)
 11時半に神保町へ行き、今城さんと打ち合わせをして昼飯を食べる。理事会は簡単に終わり、後は「永井繁子」を書く。加藤紘一は自宅の家賃を政治資金で処理していたことが分かり、辞職必至の情勢になった。

29日(金)
 雨。今城さんとルノワールで会い、フリーダムへ行く。神保町の「感性」の連中が5人もきて、猛烈に盛り上がった。俺は10時すぎに帰る。

4月
 
5日(金)
 夜は今城さんと飲み、来週からは水曜に4人で仕事をすることにした。一人一人に言いつけていたのではらちが開かない。神保町の「感性」では、古宮さんが5人をいっぺんにクビにしてしまい、誰もいなくなった。

7日(日)
 7時のロマンスカーで酒匂に行く。白井、小谷、吉田で、59と53。3時23分のロマンスカーに乗れたので、家には5時に帰れた。

8日(月)
 国会の喚問で加藤紘一は辞職を表明。辞めないと言っていたが、結局辞めることになった。すべて決断が遅いためにこうなる。

9日(火)
 弘章が永恵さんときて、築地の市場を道子に案内して見せてもらう。1時頃京橋会館へ行き、飯を食べてから家へきて4時前まで話して行った。お袋は少しずつ弱っていると言うが、弘章たちが毎日顔を出しているのが刺激になっているだろう。

12日(金)
 歌舞伎。「ほほとぎす孤城落月」芝翫 「口上」中村松江が魁春の襲名。「本朝二十四孝」八重垣姫。魁春 雀右衛門。「ぢいさんばあさん」勘九郎 玉三郎。これは好い芝居だが、俺たちから見ると、この二人のよれよれぶりは少し誇張しすぎだ。

13日(土)
 4時40のロマンスカーで延沢へ行く。佐藤病院でお袋に会ったら、弘章が喜んでいたと言っていた。照雄とは2目で打って4目負け。

14日(日)
リバーサカワで酒匂会。52と56。優勝はハンデ40の川名さんで、2位はハンデ4の庄野。5時半頃菅野君に送ってもらって、カーサで飯を食べる。ロマンスカーの時間が変わり、7時44分で帰る。

15日(月)
 下山君に電話したら彼は前向きなので、山口の代わりに庶務を頼もうと思い、杉原さんに電話。彼は俺の紹介なら誰でもOKだと言う。

16日(火)
 白線クラブへ行く。谷口がゲストで入ってきて、初めは久しぶりに彼とやった。

17日(水)
 朝、神保町へ行き、平成13年度の金銭出納帳を6時頃までかけて作り直した。

20日(土)
 12時半に千駄ヶ谷へ行き、40分から真生活産業塾の開講式。1時から石川、福渡、下河辺がしゃべるのを聞く。下河辺節は例によって面白い。

22日(月)
 7時2分に乗り、辻堂へ。クラブバスで湘南カントリークラブ。いちはつ会のゴルフで10人。ゴールドマークでやり、56、54だったが、ハンディ25のお陰で同ネットの富田君より誕生日が3月早いので優勝した。5時15分のバスで帰る。

23日(火)
 4時に虎ノ門のプロントで下山君に会って協力を頼む。彼は2年前に心臓を手術しているので慎重だが、とにかく暫く試しにやって見ることになった。それから升本で飲み、小谷、菅野とやる。

25日(木)
 昼飯はさがみ。谷口、古新居、栗田、市川、赤岩で、全部で7人。永恵たち4人が誕生祝にゴルフのシャツをくれた。77の誕生日だが、去年はこんな具合になるとは全く思わなかった。「捨てる神あれば拾う神あり」とはよく言ったものだ。杉原グループがどうなるかは分からないが、とにかくやる外はない。

28日(日)
 朝10時に熊谷の呼びかけで駒込駅に集まる。石橋がこなかったが、去年こなかった石河と渡辺がきて、タクシーで根津神社のつつじ祭りに行く。この神社の大きいのに驚いたが、つつじはほとんど散った後。それから上野のぼたん園へタクシーで行く。ここも大変な人出。動物園の前でお握りといなり寿司を食べ、美術館のプラド美術館を見る。家には2時頃帰った。

5月

2日(木)
 朝は市川さんに行く。154/80 熱は6度前後だが、咳が止まらず参る。3時にエネスペースに行き、下山君と杉原さん、古宮さんを会わせる。

9日(木)
 神保町へ行って昼飯を食べ、監査。道場さんがよくやってくれた。香川君は後からきた。

10日(金)
 今日から下山君が出てくる。3人でソバを食べ、俺は白線クラブ。今までやったことのない清一タンヤオトイトイの親の倍万を上がり、4局目も清一タンヤオの5割増しで優勝。

13日(月)
 11時頃神田へ行き、下山、今城、山口と仕事の相談。秩父の今宮神社の宮司さんがきて真生活ビルの開所式をやり、その後7階でもやる。昼飯を食べて5時頃までまた相談。生活局からきた監査結果の文書への答えを一つ一つ作る。

18日(土)
 10時半に京王プラザの生命エネルギー学会へ行く。筑波の村上さんという人の遺伝子の話は面白かった。今城、下山と昼飯を食べ、4時半頃まで話を聞いてからパーティ。

19日(日)
 中国では、瀋陽の日本領事館に駆け込んだ北朝鮮の5人を武装警察が強行逮捕し、日本は主権侵害と抗議したが、向こうは領事館に頼まれたと言い、言った言わないの争いになる。これも実際は向こうの言う通りだろう。

20日(月)
 高田の馬場の「ふじ」という麻雀屋で、12時40分頃から5時頃まで一中の麻雀会。4卓で4位に入った。弘章から電話で、永恵さんのお父さんがなくなったとの知らせ。

22日(水)
 神田へ行き、今城、下山、山口と、これから何をやるかということと下山君の作ってきた規則の案の検討をやる。帰りに市川さんによる。138/80

23日(木)
 道子と高田の馬場から西武新宿線で新所沢へ行く。新所沢セレモニーホールで内野三九蔵さんの葬儀。12時に始まり、霊柩車が1時すぎに出るのを見送って帰り、松屋でてんぷら定食を食べる。弘章のところは、子供3人もきて泊まっていた。義一は剛弘に、双子の弟は竜輔に感じがそっくりだ。

25日(土)
 1時から千駄ヶ谷で塾。石川、香川、生田がやる。 

26日(日)
 5時半に西藤君がきて都留カントリーに行く。経遊会ゴルフ。途中で雨が降り、8番、9番ホールでは雷。俺は57と53。優勝は菅野、2位川名、ブービー白井。6時に出て帰りは渋滞し、9時すぎに着く。

28日(火)
 午後は白線クラブ。何とかマイナス6ですんだ。夜は今城さんと飲んでフリーダムへ行き、お母さんのところへもよって、家には10時半頃帰る。

30日(木)
 2時から神保町で生文研の理事会総会。その後は下山、今城、山口で今後のやり方を相談する。コンピュータは菊池さんという人がやってくれることになった。

31日(金)
 エネスペースの会議の後、神田に行く。日韓共催のワールドカップサッカーが開幕し、ソウルでセネガルがフランスを破る大番狂わせ。

6月

1日(土)
 4時40分のロマンスカーで新松田へ行き、照雄に佐藤病院に連れて行ってもらう。お袋は2年半も何もしないでいるので落ち込み、どうすりゃいいんだとすがりつく。常に行動する人間だから、こうして生きていることは拷問に等しい。可哀想だが、仕方がない。スカイラークで照雄夫婦と勇気とで食べ、2目で打って勝つ。

2日(日)
 いい天気で暑い。9時スタート。白井、菅野、長瀬で57と56。3時40分のバスに乗り、夕飯は夢庵で5人で食べ、7時44分のロマンスカーで帰る。

4日(火)
 白線クラブに呼び出され、2度トップをとって45浮いた。帰ってからワールドカップの日本―ベルギー戦を見たが、凄く好い試合だった。何回もピンチをしのいで2−2の引き分け。日本はワールドカップで初めて勝ち点1を挙げる。

8日(土)
 サッカーではイタリヤがクロアチアに2−1で負けるという大番狂わせ。ブラジルは決勝進出を決めたが、この大会は番狂わせが多い。

9日(日)
 昼は白線クラブ。一度もトップをとれず18やられた。夜はワールドカップの日本―ロシア戦を見る。後半6分、稲本がシュートを決め、その後はロシアの猛攻をしのぎきって初勝利を挙げた。これも大番狂わせだが、日本は確かに強くなった。

10日(月)
 6時からさがみで今城さんと飲み、フリーダムへ行き、その後、家へ行ってポルトガルーポーランド戦を見る。旦那さんが帰ってきてウィスキーを飲ませてくれた。

12日(水)
 神保町で今城、山口と昼飯を食べ、2時から下山、菊池、香川とホームページの相談。菊池さんは専門家なので、随分色々なことが分かる。とりあえずはパソコンを入れてもらって俺がいじれるようになるのが先だ。

14日(金)
 エネスペースの会議。3時から国立競技場でサッカーがあるので、外が歩けないほどの人ごみ。皆ユニフォーム姿だ。白線クラブへ回ったが負ける。サッカーは日本がチュニジアに2−0で勝ち、決勝トーナメント進出を決めた。韓国もポルトガルに1−0で勝って決勝進出を決める。ロシアとポルトガルという強豪が予選落ちし、史上まれに見る番狂わせ大会になった。

15日(土)
 1時から千駄ヶ谷に行き、石川さんと篠原三代平さんの話を聞いた後、生文研ができた時の経緯の話をする。6時前からパーティ、帰りに今城さんと一杯飲み、また家まで行く。

18日(火)
 一日雨で寒い。日本―トルコの前半戦だけ見て歌舞伎に行く。日本は不運もあり結局負けた。「鬼次拍子舞」「尾上松緑襲名披露口上」「船弁慶」団十郎 松緑 玉三郎 吉右衛門「魚屋宗五郎」菊五郎 田之助。帰ってから韓国―イタリアのテレビを見る。終了直前に1−1の同点においついた韓国が延長前半の終了直前にゴールを決めて逆転勝ち。優勝候補の筆頭を破り、大変なことになった。日本はベスト8に進めなかったが、韓国が共同開催国の代表としてここまでやったので満足できる。

19日(水)
 神保町へ行ったら、今城さんが下山君の作った原稿をなくしたためタイプが打てない。2週間も前にできているはずが、何時になってもできないので俺も頭にきた。あの整理の悪さは無能とかいうものではなく病気だ。下山君は辞めさせろと言う。

22日(土)
 家でアルバムの整理をする。00年の初めからだから2年ぶり。韓国はスペインと0−0で延長戦に入り、PK戦になって4本目で勝つ。とうとう準決勝まで進出してドイツとやる。大変なことになった。トルコはセネガルに勝って、ブラジルとやることになる。

23日(日)
 7時のロマンスカーで酒匂に行く。白井、菅野、長瀬で58と53。風呂に入らずバスに乗り、4時20分のあさぎりで帰る。

25日(火)
 昼は25会で、栗田、渡辺、谷口、古新居、赤岩、河野に俺で7人。夜は今城さんと飲み、また家まで行ってサッカーのテレビを見る。韓国は1−0でドイツに負けた。

26日(水)
 神保町では4時頃までかけて今城さんの机の上を片付ける。一旦帰ってから乃木坂クラブに出直し。柳川会で10時頃まで飲んだ。

28日(金)
 神田へ3人で行き、帳面つけをやり、3時半頃下山君と出てプロントでお茶を飲み、その後升本、それから麻雀。最後に大きくついて勝った。

30日(日)
 夕方、今城さんの旦那から電話で、もう駄目だから休ませると言ってきた。やっぱりアル中だそうだ。俺は、うつ病だから飲むのだと思っていたが、仕方がない。確かに脳か神経をやられている。鍛えればよくなると思ってプレッシャーをかけたのがよくなかった。とにかく休ませることにする。サッカーは2−0でブラジルがドイツに勝って優勝した。

7月

1日(月)
 今城さんの旦那が彼女を迎えにきて、カレーライスを3人で食べて3時に帰った。

2日(火)
 道子はお施餓鬼へ行った。昨日今城さんの旦那が杉原さんに電話してきて、辞めることで話がついたそうだ。外向きには病気で休むことにしておき、9月頃に人事にする。あれは病気なのだ。何とかしてやりたかったが、仕事をするのが一番悪い。

5日(金)
 エネスペースの会議では生活局対策をやり、午後は白線クラブ。夜、今城さんのお母さんから電話で感謝される。落ちついてはいるらしい。

8日(月)
 暑い。1時から神田で山口、下山と相談。決算の連続性をチェックしたら、平成12年3月の資産が31万だったのに13年度への引継ぎが48万あり、この間の繋がりが不明。11年度の金の動きが、48万残らなければならないのに帳簿上は17万も消えている。実際にはそれだけあったのだから、不可解だ。帳簿上はあるはずなのに実際はないというのならよくある話だが、これはその逆だ。とにかく佐藤君の経理の杜撰なのには参った。
 
11日(木)
 アメリカではエンロン、ワールドコム等の新興大企業の不正経理が発覚し、株価は9000ドルを割り込む。ITバブル崩壊で本格的不況の到来。日本のバブルは地価だが、アメリカのバブルは株価だ。その高値を前提にして経営実態を隠し利益を得ていた者が破綻すると、それが全体に及ぶ。

12日(金)
 エネスペースの会議で13年度の決算のやり方を議論して決めたが、夜の山口君の電話では、生活局の遠藤が自分の決めた通りにしないと言って怒っているという。仕方がないが、それにもとづいてメーキングすると14年度の経理を全部やり直さねばならない。オールスターは、アリアスと片岡が本塁打したセが4−1で勝った。
 
13日(土)
 4時40分のロマンスカーで延沢へ行く。お袋のところで20分ほど話し、照雄のところでは勇気一人なのでマックの出前を食べる。オールスターはパが4−2で勝った。

14日(日)
 酒匂で8時54分スタート。白井、長瀬、小谷で、58と53。夕飯はバーミャンというスカイラークの中華で5人で食べ、7時44分のロマンスカーで帰る。

16日(火)
 5時半に起き、7時に京王プラザへ行き、金融の会議にきている李さんと朝飯を食べる。日本でやる会議なのに参加者がひどく少ないらしい。夜はお盆の送り火をたき、ご先祖に守ってもらうように頼む。

17日(水)
 神保町で下山君と話し、午後は山口君と決算の数字を検討する。生活局の数字でやっても13年度は大赤字になる。

19日(金)
 エネスペースの会議の後、神田へきて池田さんという人に会い、とりあえず来週は水曜と金曜にきてもらうことにした。それから歌舞伎。「南総里見八犬伝」猿之助が犬山道節をやる。怪猫退治と猿之助の宙乗りは見せる。

21日(日)
 一日家にいる。相撲では朝清龍が若ノ里に負けて12−3となり、千代大海が武蔵丸に勝って14−1で3年半ぶりに優勝。朝清龍は大関が確定した。

23日(火)
 午後、弘章と永恵さんが買い物にきて、道子に着るものをくれた。パソコンの相談をしたが、場所と電話線は問題ないそうだ。

24日(水)
 池田さんはよさそうだ。2時から菊池さんがきて、下山君と4人でホームページの相談。少しずつ前進する。アメリカの株価は一時7800ドルを割る。日本は1万円割れ。

25日(木)
 さがみで昼飯。栗田、赤岩、古新居、市川、渡辺で6人。それから京王プラザへ行く。真生活創造のシンポジウムだが、つまらない。

29日(月)
 4時半頃、交通会館のニ高の絵の展覧会に行く。下山君が幹事。渡辺五郎、馬場良幸に会った。NY株価は反発して8400ドル、日本は8600円。

30日(火)
 自転車振興会の補助でやる真生活創造の研修ということで、古宮さんに駆り出された。7時20分頃出て新宿西口でバスに乗り、調布の京王閣競輪へ行く。立派な建物の貴賓室で話を聞き、弁当を食べ車券を買う。競馬を見に行った時と同じだ。

31日(水)
 神田で下山、鈴木と話した結果、とにかくパソコンを買おうということになり、山口君と電話で交渉したら25万持ってきたので、午後3人で秋葉原へ行く。物凄い暑さの中、2時間歩きまわり、IBMのやつをLAOXで買った。本体、モニター、プリンターが一緒で18万8000円。

8月

4日(日)
 7時のロマンスカーで酒匂へ行く。白井、谷田部、長瀬で57と53。暑くてフラフラするが、すいていて快適だった。4時20分のバスで俺だけ先に帰る。

5日(月)
 一日家で「ホームページの構想」と「これからの道」をやる。小泉さんはペイオフでも当座預金を全額保護する方針を打ち出した。自民党は普通預金までそうしろと言っているようだが、これではペイオフの意味がない。

7日(水)
 暑い。神保町で池田さんとパソコンの荷をといたが、どうして良いか分からず、隣の鈴木さんを呼んできてセットしてもらった。それから一寸やって見たがサッパリ駄目だ。2時から菊池さんもきて、パソコンのセットアップを皆やってくれた。

9日(金)
 午後は神田へ行って、池田、下山と一緒にパソコンと格闘する。どうやら1ページを書いて印刷するところまでは行ったが、まだまだだ。田中真紀子が議員辞職。日本ハムが輸入牛肉を国産と偽って補助金をとった事件で大騒ぎ。

12日(月)
 午後、神田へ行ってパソコンをやる。つまらないことができず、一々鈴木さんに教えてもらって、なんとかホームページの作文をやったが、一人前になるのは大変だ。それからさがみへ行って今城さんと飲む。仕事をやめるふんぎりがついてサッパリしたと思ったが、旦那が杉原さんに辞めさせると言ったと言ったら怒り出した。あの時、本人は疲れたから少し休みたいと言っただけで、辞める気はなかったと言う。まだ自分の能力を過信してこだわっている。10時にフリーダムから帰った。

14日(水)
 10時15分の「あさぎり」で延沢へ行く。純代は、ほほが腫れる原因不明の病気で熱があり、医者へ行くのでこられないと言っていたが、車中で、慈恵医大から追いかけると携帯で知らせてきた。検査の結果、大したことはなかったらしい。10時40分のロマンスカーで追いついてきたので、12時前に照雄にきてもらい、佐藤病院に行く。1時頃、利子さんが子供3人をつれてやってきて、ココスに行って食べる。物凄い暑さなので、皆部屋でゴロゴロし、6時に出て夢庵で食べる。丈将と史明はバイト。坊さんがきてお経を上げるのにつきあえてよかった。小金家の先祖にも守ってもらいたい。俺の最後の仕事を仕上げ、道子と永恵の面倒を見終えるのは大変だ。
 
15日(木)
 日劇へ9時15分に行ったらもう行列でどんどん入場している。永恵、剛弘、竜輔と4人。「スターウォーズ2・クローン軍の攻撃」Euan McGregor,Natalie Portman in”Starwars 2” directed by George Lucas 確かに面白いが、本を読まずに行ったら理解できないだろう。それから道子を入れて銀座ラフィナートで食べる。

21日(水)
 神保町でパソコンをやる。大分わかってきたが、まだよちよち歩きで、メールのところまでも行かない。高校野球は明徳義塾が智弁和歌山を破って優勝した。

23日(金)
 エネスペの会議で9月の理事会総会を決める。佐藤君がつぶれてしまったそうだ。雲霓が駄目になったのが直接の原因だろうが、正進社も倒産した。俺に対してやったことに文句はあるが、俺は人に利用されても腹は立たない。

24日(土)
 千駄ヶ谷へ行って産業塾に出る。杉田さんの感性産業論は全く駄目。青山三千子さんはまあまあで、加藤三郎の環境文明論は凄く良かった。帰りに下山君とビールを飲む。

25日(日)
 午後、秋葉原のコンピューター館の5階でパソコンを買うことになった。ウィンドウズXPオフィスパーソネル搭載のIBMで、生文研のやつと全く同じだが、一寸高い。プリンターをヒューレットパッカードの安いやつにして、何とか18万2659円。
 
27日(火)
 昼頃、神田へ行ってパソコンで、ランチョンミーティングのベルクの話(1983年)をまとめ、情報技術シンポジウムの増田米二の話もパソコンに入れる。

文化と政治、オギュスタン・ベルク「空間としての日本文化」
技術と経済、増田米二「産業社会から情報社会へ」
参照

28日(水)
 神田で菊池、下山とホームページの相談。俺のワープロのフロッピーをパソコンで読めるように直してきてくれた。

29日(木)
 9時頃出て、宝町から花月園前まで行き、真生活の連中と競輪へ行く。やはり30人足らずで、京王閣の時と同じ二人が講師。俺は1000円の負けで6時頃帰る。

31日(土)
 夜は、コラムの入ったフロッピーと昭和13〜22年の日記をMS−DOSに変換する。小泉首相が北朝鮮へ行って金正日に会うことになった。結果が出るかどうか分からないが、向こうからくるはずはないので、とにかくやるしかない。彼は、度胸がある点で加藤紘一とはまるで違う。

9月

2日(月)
 ソフマックで買ったフロッピーをMS−DOSに初期化して、日記のフロッピーの中身を移す。1992年2月まででワープロの日記は終わり、一段落してからパソコンで書き始めることにする。

3日(火)
 10時すぎにJPSSの篠崎さんという人がきて、パソコンを設定する。昼から神田へ行く。インターネットができるようになった。増田、村上泰亮の話と俺の作文をパソコンからフロッピーに移し、持って帰る。

技術と経済、村上泰亮「産業文明の歴史と現代」
技術と経済、増田米二「産業社会から情報社会へ」
参照

4日(水)
 山口君がきて15日に辞めると言うので、後のことを相談する。今年に入ってから、佐藤修、斉藤健一、今城、山口と次々に辞めて行った。天下国家の方も、株価は9000円を割り、長野県知事選をはじめ古い体制がボロボロ崩れて行く。日本の革命的変化の歯車は進行を始めた。

5日(木)
 10時半前に道子と明治座に行く。「佐渡島他吉の生涯」北大路欣也 杜けあき 星由里子 まあまあ見せる。

11日(水)
 神保町で菊池さんとホームページの相談をする。彼女がトップページの画を書いてくれ、俺が作文を担当することになった。今日は9.11テロの一周年で、小泉さんもアメリカに行く。ブッシュはイラクに武力侵攻するといきまいており、日本もヨーロッパも困惑。イラクが大量破壊兵器を作っているというが、フセインがそれで攻撃するわけではなく、テロ集団に渡す恐れがあるというだけでは、戦争の正当化にはならないだろう。

12日(木)
 神保町で山口、保田、下山で庶務事項の打ち合わせをし、それから二人で椿山荘のパーティに行く。宮沢さんをはじめ元大臣がやはりたくさんきた。6時半に、下山、小谷、菅野で出て池袋でやる。

14日(土)
 7時のロマンスカーで酒匂に行く。白井、楠田、佐藤印刷で54と61。楠田君に乗せてもらい、4時20分のあさぎりに乗って帰る。

17日(火)
 小泉首相が訪朝。北朝鮮は拉致11人の内4人生存、6人死亡を認め、金正日が謝罪した。よほど行き詰まっていたとは言え、国家の面目丸つぶれなのによくここまできたと思う。しかし6人も死なせたとは、20年以上も経ったとはいえ多すぎる。遺族は皆怒っていて、これは当然だ。しかしこれは、北朝鮮の正常化への第一歩にはなるだろう。不審船問題も北朝鮮の海軍であることを認め、ミサイル実験も無期限凍結を約束し、共同宣言に二人で署名した。

18日(水)
 北朝鮮問題は、外国の評判は大変良いが、国内的には、10人中6人も死んだのに国交正常化を決めたのはけしからんと言う人が多い。しかし拉致家族はそうだとしても、外の連中にはもっと大局的な見地はないのか。

21日(土)
 産業塾で井原哲夫、堤、北畠の話を聞く。どれもそれなりによかった。野球では西武が4年ぶりに優勝。カブレラがホームラン53本。

22日(日)
 11時頃家を出てお墓参りに行く。例によって木の枝が繁茂しているのを道子が刈り込む。81なのによく働く。帰りに松屋でうなぎを食べた。相撲では武蔵丸が貴乃花を破って13−2で12回目の優勝。朝清龍は10−5。

24日(火)
 歌舞伎に行く。「時平の七笑」我当。「年増」芝翫。「籠つるべ」吉右衛門 雀右衛門。これはよくできているが、芝居としては八橋の心理が今ひとつだ。

25日(水)
 昼飯は、栗田、赤岩、渡辺、谷口、市川、古新居と俺で、さがみで食べる。飯田がこの間なくなり、栗田が花を出しておいてくれた。それから神保町へ行く。菊池さんがホームページの案を作ってくれた。帰りに東日本橋へより、富士通のパソコンを見て、麻雀を一寸やってから、敬老の日のすし券11000円を使って、うの丸で6人で食べる。

26日(木)
 昼は飯田橋の鴻雲という中華料理で小学校の同窓生と食べる。鵜沢、中野、高木、早川、島。久しぶりだ。12時半に切り上げて神保町へ行き、総会理事会を下山君と二人でやる。菊池さんは凄く熱心にやってくれる。

29日(日)
 釜山のアジア大会開会式に、北朝鮮と韓国の選手600人が合同で参加した。行きかえりを繰り返す南北関係だが、少しずつ前進する趨勢は逆転しないだろう。ベルリンマラソンで高橋尚子が2連覇。これで6連勝だ。

30日(月)
 朝、市川さんと相互館へ行く。146/88 午後は白線クラブ。団体と個人の両方で2位。

10月

1日(火)
 小泉内閣改造。小幅と言っていたが、6人入れ替え。不良債権処理は進んでいると言って公的資金投入に反対していた柳沢を辞めさせ、竹中平蔵に金融相を兼務させたのは妥当な人事だ。護送船団から足を抜けない旧大蔵省の人脈はこれで一掃される。小泉は、派閥の顔役たちの思惑を全部蹴飛ばしてやりたいようにやることによって、恐らく吉田茂以来のリーダーシップを発揮できる。彼が吉田と違うところは、占領軍ではなく世論をバックにしている点だ。しかし吉田も、ワンマンとか独裁者とか言って非難されはしたが、大衆の人気がなかったかというと、そうではなかった。

2日(水)
 生文研へ行ったら、生活局から生文研の現状調査を11月7日までに出せという文書がきていて、あわてる。拉致事件では、死亡した8人の死因は自殺・事故・心臓病などばかりで、墓が洪水で流れるなどのために一人しか遺骨がない。しかもそれも、2度火葬したためにDNA鑑定が不可能で、これでは遺族ならずとも納得はできない。

7日(月)
 菊池さんに電話して、パソコンのテキストデータをワードにするやり方を聞く。昭和13〜17年と18〜22年の日記のフロッピーをワードにし、フォルダーに入れた。株価は、本腰を入れて不良債権を処理することになったので、不況を懸念してどんどん下がり、指数は8500円になった。しかしこれは、どうしても通らねばならない道だ。ペイオフ実施はまた2年延ばしたが、ただ漫然と延ばすのでなく不良債権処理とセットになっているところが、今までとの違いだ。

8日(火)
 午後は白線クラブ。3万も負けた。東大名誉教授の小柴さんという人がノーベル物理学賞をとる。ニュートリノの実験というもので、全くわからない。

9日(水)
 神保町で下山、荷見、池田と仕事をやり、生活局対策を優先して雑務をこなし始める。午後は菊池さんがきてホームページの相談。来年1月に第1号を出す予定にする。島津製作所の田中さんという人がノーベル化学賞を受賞。43で、日本人が年に二人は初めて。

11日(金)
 市谷グランドヒルで舶成会のパーティに出る。蒲さんは緑内障で片目が見えず、杖をついている。湊さんは肺気腫で、酸素ボンベを引っ張ってきていた。5年ぐらい前から坂で息が切れるようになっていたそうだ。千葉、謝敷、下河さんたちに会って帰る。

12日(土)
 5時から7時まで、うすけぼーで経済研究所の集まり。鏡味、小菅、小泉、仙石、照井、西藤、根本、前原と俺で9人。ひどく酔っ払った。

13日(日)
 バリ島で爆弾テロがあり、187人死亡、300人以上が重軽傷。アメリカのテロとの戦いが強まれば強まるほど抵抗は強まる。イラクへの攻撃が始まればもっとひどくなるだろう。しかし、ブッシュは引っ込みそうもない。カーターにノーベル平和賞が行き、アメリカへの批判をノーベル委員会が公言する。

15日(火)
 神保町で池田さんとエクセルの表の印刷をやる。4時からは内閣府で月例。景気はせっかく上向いたのにまた弱まった。不良債権処理の掛け声だけで株価がバブル後最安値になり、アメリカの景気がおかしいので皆が弱気。拉致された5人が一時帰国して記者会見。一人が一言しゃべっただけで、後は家族がしゃべる。これだけでも大変な前進だ。

17日(木)
 北朝鮮が核開発をしていて、94年の米朝合意に反するとアメリカが公表した。核は、拉致と並んで北朝鮮との国交正常化の最大の障害だ。

19日(土)
 午後からエネスペースで産業塾。1時から「文化と社会」をやる。次は岡橋さんで3回目は浜崎さん。これが一番面白かった。この後、終了式をやり、それから懇親会。卒業免状は6人で、パーティは6時から7時まで。

20日(日)
 6時40分に西藤君がきて、都留カントリーの経遊会に行く。大来、田中章介と回ったが、66と57でメーカーになってしまった。優勝は大来、2位川名、3位平野。小野と河野が相次いでなくなったと栗田から知らせがあり、がっくりする。
 
21日(月)
 5時すぎに出て、浦安の花輪葬祭センターの河野卓の通夜へ行く。彼はリンパ腺腫瘍で、今度は入院して1ヶ月でなくなったそうだ。そんなに悪いとは知らなかった。

22日(火)
 朝、10時すぎに篠崎さんがきてパソコンをインターネットに繋ぐ。LANケーブルを床にはわせるだけで、とにかく繋がった。午後は白線クラブで、何とか浮いた。

23日(水)
 神田では、午後から荷見と保田がきて経理をやる。帰ったら道子が寝ているのでに驚いた。痔で出血したので手術してもらったと言う。大したことはないらしいが、あれに倒れられたらもう駄目だ。国家では、竹中平蔵の不良債権処理案に自民党と銀行界が猛反発。小泉は断固やると言っているが、全く日本は救いがたい。戦争中の日本と同じだ。小泉がマッカーサーの役割をやることを期待する。
 
26日(土)
 4時40分のロマンスカーで延沢に行く。お袋は相変わらずだが、弘章のところの雅弘が結婚したそうだ。式などはしないらしいが、めでたい。照雄のところで日本シリーズのテレビを見たが、4−1で巨人が勝った。

27日(日)
 9時46分、酒匂会でスタート。井川、庄野、三田で55と57。優勝は吉田、2位庄野、3位長瀬。西藤君に送ってもらって着いたのが6時半なので、飯は抜きで帰る。日本シリーズの初めだけ見たが、石井貴が3回で7点もとられて西武が惨敗。

28日(月)
 夜は純代がきてモデムの取替えをやってくれ、ホームページとメールができるようになった。モスクワではチェチェンのゲリラが劇場の客800人を人質にして独立を要求。政府は3日後に特殊部隊を突入させて50人を殺し人質を救出したが、100人以上の人質が死んだ。ロシアのやり方は荒っぽい。
 
29日(火)
 日本シリーズのテレビを見たが、10−2で巨人が楽勝した。クアラルンプールで日朝会談。拉致被害者5人は北へ返さないことを日本政府が決定した。問題は、北朝鮮が子供たちを返さないことだ。
 
30日(水)
 神田で下山君と仕事。午後は菊池さんとホームページの打ち合わせをやった後、色々教えてもらう。エクセルを覚えるのは大変だ。80近くなって仕事が山のようにある。日朝会談は物別れ。日本シリーズのテレビを見たが、西口の代わりに出した松坂がいきなり3点とられ、結局高橋尚に抑えられて西武は4連敗した。

11月

1日(金)
 巨人の松井はFA宣言して大リーグ入りを決めた。世論は7割が賛成する。

3日(日)
 7時のロマンスカーで酒匂に行く。白井、小谷、吉田で63と58。4時20分のバスで新松田へ出て一杯飲み、5時19分のロマンスカーで帰る。

4日(日)
 「ハリーポッター第4巻上」を読む。岩田(一政)君を塾に引っ張り出せないかと思って電話したら、東大に行っていた。休みには大学に行っているらしい。

6日(水)
 アメリカの中間選挙は共和党が勝ち、ブッシュの対イラク強硬姿勢がいよいよ強まる。本当にこっちから戦争を始めるのか。これまでは、強気派がソ連の崩壊をもたらしたことは事実だが、軍事力の脅威だけで相手が参ったわけではなく、ソ連経済の行き詰まりがその背景にあった。アラブのゲリラは経済をベースにしているわけではなく、フセインも金正日も国民の困窮を気にしているわけではないから、怖いのは軍事力だけだ。そうだとすれば、それを倒すには戦争しかないことになるが、倒せばすべてが解決するのか。

9日(土)
 12時前に出て藤沢で森ちゃんに会う。すごく太っているのに驚いた。3年ぶりぐらいか。うなぎを食べ、マルタツで6時頃まで飲んで帰る。

12日(火)
 新宿西口の高村という麻雀屋で、10時から4時半まで小学校の仲間の中野、鵜沢、高木とやる。一寸勝ったが大荒れだった。

18日(月)
 昼から神田でペーパーを書き、夜は霞ヶ関ビルで経企同友会に出る。宮崎、金森が最長老になった。俺はその次。

20日(水)
 神田で下山、荷見と仕事の打ち合わせ。午後は菊池さんがきてホームページのURLを決めたりする。日記のフロッピーのウィンドウズ化は終わった。1997年1〜3月まででフロッピー12本になる。
 
24日(日)
 朝清龍は結局14−1で優勝した。貴ノ浪、隆乃若、岩木山が敢闘賞。

25日(月)
 雨。昼はさがみで古新居、赤岩、栗田、谷口と食べ、1時頃神田へ行く。拉致家族の問題では、向こうは5人を返せと言うのにこちらは返さず、物別れになる。25年もかかった問題だからそう簡単には行かず、返したら終わりになってしまう。イラクに対する国連調査団は入国したが、これでどうなるか。イラクは核も大量破壊兵器もないと言い、英米はあることが確実だと言い、きりがない。

26日(火)
 6時15分前に出て劇団未来劇場へ行く。学習院下から都電に乗り、30分で着いた。水森アドのレビューで、50人の席。硬いし喧しいが、まあまあだった。

27日(水)
 昼前に市川さんへ行く。166/86。午後神田へ行き、菊池さんに色々教わった後、下山君と3人で5時すぎに出て勝どきのクイーン・アリスへ行く。トリトンスクエアのビルの2階で、凄くデラックスなレストランだ。菊池さんは前にきたことがあり、ご機嫌だった。9時に出て馬喰横山で下山君と別れる。
 
12月

1日(日)
 7時のロマンスカーで酒匂へ行く。白井、菅野、吉田で59と62。4時20分のあさぎりで帰る。

3日(火)
 夜は乃木坂クラブで柳川会。牛嶋君と久しぶりにゆっくり話した。出席者は現役5人で15人。

4日(水)
 荷見君が辞めると言うので仰天する。彼の前の会社の上司が新しく仕事を始めるのでどうしても一緒にやってくれと言われているのだそうだ。下山、杉原と話し、とにかく保田をフルタイムで働かせてもらうことで、何とか乗り切ることにする。

5日(木)
 昼はさがみで25会の忘年会。野崎、古新居、渡辺、赤岩、市川、谷口、栗田、小金、別所と、出られる者はほとんど揃った。尾花と大島は車椅子でこられず、今年は3人も死んだので、7人がなくなり、3分の1はいなくなった。

9日(月)
 朝から雪で、12月としては記録的な降り。9時半に家を出て、ほぼ2時間で第二空港ビルに着いたが、JALに乗り込んだのは11時近く、ハワイ島のコナに着いたのは午前6時頃で、現地時間では9日の午前11時だった。入国審査が2時間ぐらいかかり、オハナリゾートというホテルに入ったのは午後2時近く。日韓中から50人ずつくる。統一教会のイベントだが、フラフラだ。昼飯を食べて3時前にやっと部屋に入る。6時半から夕飯で、その後文さんの長い話を聞き、11時半に寝る。

10日(火)
 朝4時半に起き、5時から講義を聞かされる。4時間以上で、参った。10時からまた一つやり、その後は日韓米から一人ずつ出て姉妹都市を作る。俺の相棒はアメリカがジョーダール、韓国が朴で、昼飯はジョーダールと食べた。午後は2〜3時と4〜5時半で、夜は庭でバイキング。ここでも文さんが長い演説をやる。82で元気だが、同じことが多すぎる。10時に寝る。

11日(水)
 5時から話を聞き、朝飯の後一つ、午後は話を二つ聞く。夕飯はまた庭で、並んでいたら小山田さんの席に連れて行かれた。8時半頃終わり、「指輪物語」を読んで11時頃寝る。

12日(木)
 小山田さんの日本における文さんと統一教会の活動についての話は面白かった。夜はジョーダール等アメリカ人と食べ、ディスカッションをさぼって星新一を読む。

13日(金)
 朝、飯はジョーダールと一緒。彼は大佐で海軍と陸軍にいたので、話が面白い。8時にバスが出て、11時に港のあるところで写真をとり、12時に土産物屋に入る。それからキラウェアビジターセンターというところに行く。ヴォルケーノ・ハウスホテルで昼食。このハワイ島は全部が火山の上に乗っていて、このクレーターは確かに凄い。3時50分頃、サーストン溶岩チューブというところに行く。これは溶岩が流れた後がトンネルになっていて、そこを歩く。ここの溶岩は爆発せずにこういう風に流れるということを知った。5時に黒砂海岸へ行き、それからコナへもどる。5時50分頃、海への日没を見る。ホテルには6時半にもどり、7時から9時半まで夕食会。

14日(土)
 5時頃起き、7時半にバスが出て、コナの空港で10時40分頃搭乗。JAL79はホノルルへ30分で着き、12時20分に搭乗し、成田までは8時間半ぐらいかかったが、日本時間で15日(日)の4時半頃外へ出る。家へ着いたのは7時半。11時頃寝る。

16日(月)
 昼から神田へ行き、ホームページの直しをやる。杉原さんがまた入院したという。彼が潰れたら全グループが倒産で生文研も終わりだが、仕方がない。ただし俺の感じでは、歯車は確実に回り出している。日本経済の方は、株価が8500円になり、改革が一向に進まないといって小泉内閣の支持率も50パーセントに落ちているが、大改革はそう早くできるものではない。

18日(水)
 夜は歌舞伎。「椿説弓張り月」猿之助 勘九郎。筋立てがバタバタし、いやに見えを切る場面が多いが、最後に馬の宙乗りで見せる。
 
19日(木)
 午後から布団をしいて寝る。韓国の大統領選は、太陽政策継承のノ・ムヒョンがハンナラ党を破って当選した。

24日(火)
 午後は神田で池田さんと出納帳をやり、それから内閣府で月例の話を聞く。株は8500円で低迷し、見通しは悪いというが、基調は悪くないようだ。

25日(水)
 神田で下山、保田とこれからのやり方について相談。菊池さんが朝からきてHPをやる。塾の講師名簿の作り方を教わったが、エクセルは難しくて大変だ。

26日(木)
 朝は神田で池田さんと出納帳をやり、やっと間違いが見つかった。午後は白線クラブ。久しぶりについて優勝した。

29日(日)
 一日家。北朝鮮はIAEAの監視員を退去させるなどして核施設再開を進める。拉致を認めたり市場制度を入れたりして改革を試みても事態はよくならず、体制が緩み始めたので慌てているのではないか。しかしもう元へはもどれない。

31日(火)
 夜は東日本橋で竜輔を入れて4人で年越しそばを食べ、俺は「指輪物語」のDVDを見る。今年はものすごく働いた。これで来年のホームページや塾がどうなるかはわからないが、大きく動いたことは確かだ。道子は痔の脱肛になってしまい、耳は遠くなり、どうなるか心配。俺は、身体はまあまあだが、杉原さんの事業が潰れたら終わりだ。ただこれを心配しても仕方がないし、日本経済も同じで、とにかく小泉と竹中に任せる外はないだろう。自民党は小泉を下ろそうとしているが、他に誰がいるのか。北朝鮮は、核と拉致家族が両方とも年を越す。どんなものにも終わりはあるが、この体制はどうなるのか。