2000年(平成12年) 75才
1月

1日(土)
 2000年の年明けは道子がへたばって起きられず、俺は餅を焼いて食うだけ。年賀状を整理し43枚追加して出すのが精一杯。永恵のところで麻雀をやり、また負けて剛弘が勝った。

2日(日)
 10時40分のロマンスカ−で永恵たち4人と延沢へ行く。道子は行かず、皆心配する。向こうでは小林さん母娘、実君夫婦といっしょになって飯を食べる。4人は4時頃帰り、我々はお袋のところに行く。弘章夫婦と義一、邦ちゃんがきて寿司を食べ、7時24分のロマンスカ−で帰る。

3日(月)
 7時30分のロマンスカーで酒匂へ行く。白井、谷田部、小谷で62と54。これが酒匂の最後。大改造して再スタートは4月といっている、駅前で小谷君と飲み、6時23分のあさぎりの中でまた飲む。また居眠りをして、西大島まで行ってしまった。

4日(火)
 道子に寝られると、紅茶のあり場所もわからなければゴミ袋もわからない。お手上げ。

5日(水)
 午後、鉄砲州と住吉神社へ初詣をする。夜、康広から電話で、またお袋の具合が悪そうだから病院に入れるという。腰をひねったらしく、起き上がる時に痛いが、内部に異常はないそうだ。久恵さんに電話したら、杖をついて家の中は歩けるが、寒い内は病院に行きたいと言うので弘章が近くの病院に連れて行くと言う。

6日(木)
 道子は、相互館クリニックへ行ってみてもらったら、喘息が出ているそうで、注射してもらい薬をもらってきた。お袋は大井町の佐藤病院というところへ入ったが、入院はできず休憩室でベッドをもらって寝ているそうだ。骨は折れてはいないが、寝たり起きたりすると痛いらしい。ただ、1週間もしたらで出なければならず、あの家に住むのはもう無理かも知れない。ホームに入るのも簡単ではなく、どうするか。困った。

7日(金)
 白線クラブに駆り出され、マイナス。それから企画庁で経友会に出てから虎ノ門でやる。下山、海野、菅野。また負け。去年から続けて7連敗だ。

8日(土)
 12時に出て京王線高幡不動へ行き、タクシーで中央大学へ向かったが、10分遅刻。凄く大きい。総合政策学部の大学院で、「日本」という講義で坂本君に頼まれた話を3時すぎまでした。田中務もいて、結構面白かった。4時すぎにタクシーを呼んでもらって6時に帰る。康広がお袋に会ってきたが、大したことはないらしい。丁度部屋があいて入院したが、ここを出て施設へ入っても3ヶ月で出されるというので、どうするか。

12日(水)
 生文研のランチョンで、ゲストは中名生次官。来年1月から企画庁もなくなる。

15日(土)
 12時20分頃出て1時発の急行で新松田に行く。照雄にきてもらい、大井町の佐藤病院にお袋の様子を見に行く。老人用に新築した病棟で、明るいし綺麗だし、4人部屋だが大変いい。本人は背中が痛いと言うが、照雄は筋肉痛だから治ると言う。もう一人暮らしは限界だし、飽きるまでいていいというので、本人は死ぬまでいるつもりだと言う。ここへきた翌日退院する人がいて入院することができたのも、運がよかった。

20日(木)
 8時に出て成田へ行き、11時ちょっと前にNH002に乗る。飛行時間は約11時間。現地時間11時にダレス空港に着いたが、外は雪。一行は7人。アーリントンのシェラトンナショナルに12時一寸前に着く。日本人8人、中国人8人で、中国人は7人が女性だ。

21日(金)
 9時から12時半まで二つの朗読とコメントがあり、午後は2時半から4時までと4時から6時半くらいまで、グループ討論。夕食の後は若者と純潔運動の実践の報告。俺は8時半すぎに部屋に帰ってテレビを見る。

22日(土)
 9時に始まってコーヒーブレークを挟んで2回講義がある。どうしてもこの世界観にはついて行けないが、信者以外の人はどうなのか。午後は4時半に終わり、バスでヒルトンに行く。文さんの80回誕生日のアメリカのパーティで、3000人からくるというので、大変な混雑だ。文さんの話の後はキーロフバレー学校のバレーがあり10時半に終わる。

23日(日)
 9時に車がきてダレス空港へ行き、11時のANAに乗る。

24日(月)
日本時間で午後2時40分頃成田着。東日本橋には5時少しすぎに着き、剛弘に荷物をとりにきてもらう。麻雀を1回やって家には9時すぎに帰る。留守中に武双山が13−2で優勝していたのには驚いた。きんさんが、107歳で今日なくなった。

28日(金)
 白線クラブに行き、2度トップをとってやっと浮いた。9連敗で止まる。

31日(月)
 11時半に道子とホテルニューオータニに行く。「ふくいフェスティバル」で、栗田知事は、米審を辞めても呼んでくれた。鴇田さんと帰りにお茶を飲み、2時半に家に帰ってから歯医者に行く。

2月

2日(水)
 12時に白線クラブで経済・金融の話をする。お客は7、8人だが中々熱心だ。牛見さんという人が世話役。その後、石田、中村(佐賀)、森田とプライベートで3回やる。

6日(日)
 永恵、純代、竜輔と5人で10時15分のあさぎりに乗り、松田で照雄の車に乗って西福寺へ行く。おやじの17回忌で、照雄夫婦、康広夫婦に弘章と義一。お経は12時から10分ぐらいで終わり、その後、三平で皆と食べる。史明が加わって12人。それから照雄に佐藤病院に連れて行ってもらう。お袋はまあまあ元気だ。費用は月20万足らずらしい。すっかりよくなったら退屈するだろうが、もう延沢に帰る気はない。心筋梗塞で入院した時は、後5年は生きると言っていた。2年は一人で暮らせると言ったのが2年半暮らしたのだから、後3年は生きることになる。4時20分のあさぎりで帰ってきた。

7日(月)
 夕方池田さんの弟の嫁さんの神崎さんから電話で、池田さんがなくなったと言うので仰天する。腸閉塞で、手術が間に合わなかった。悪くなったのが日曜で、医者がいないので手遅れになったらしい。道子は飯を食べてから慈恵医大へ行き、遺体と一緒に家へ行って、10時頃帰ってきた。

8日(火)
道子は3時から池田さんの納棺に行く。俺は5時すぎに出て東陽町の東陽クラブの証券如蘭会へ3年半ぶりに行く。竹内、長岡、山口と三代の東証理事長が出てきた。15人だが中々よかった。8時に出た時は凄い雪で、ハイヤーを呼んでくれたので助かった。

9日(水)
 7時に起き、9時に中央区民センターに行く。9時半頃までお経と焼香。道子は桐ケ谷の火葬場まで行って3時に帰ってきた。池田さんは、早く手術していれば助かったと思う。

11日(金)
 午後、月島まで歩く。何時もと同じく、鉄砲州神社と住吉神社にお参り。これから先はもう、運を神に頼む外はない。

12日(土)
 10時に東日本橋で純代と会い、新宿のヨドバシカメラに行く。凄く大きい建物が全部パソコン関係だ。別館でビデオデッキを見て、17800円のやつを買った。その後、東口へ出てお好み焼きを食べてビールを飲む。

15日(火)
 1時から証券会館で生文研の総会。新体制の研究委員会の報告で、3月の理事会総会で決める。理事長と専務理事を定年で辞めさせ、一般会員が中心で運営し、インターネットの上で参加型の研究を展開して行こうというもので、富永さんが提案した。電通の牧野さんが後についていて佐藤君が中心になるだろうが、彼が何を考えているのかわからない。俺は、金にならないことがハッキリしている生文研から切れるのは丁度よく、名目だけの顧問になるが、佐藤君と喧嘩をする気はないし、これからも友好関係は維持したい。

17日(木)
 11時から道子と歌舞伎座。「恋湊博多風」団十郎の毛剃に鴈治郎の宗七。「三人吉三巴白浪」団十郎の和尚、菊五郎のお嬢、吉右衛門のお坊、左団次の伝吉。さすがに面白い。

22日(火)
 朝、白線クラブから呼び出される。2勝2敗で2千浮き。かろうじて4連勝した。

25日(金)
 11時半に出て大隈会館の。日仏経済学会の理事会に行く。西川、諏訪、大町さんと3人しかいない上に、西川さんは病気で声がほとんど出ない。去年の夏から半年入院したそうだ。喉頭がんか何かだろう。日仏学会も高齢化して、このままではどうにもならない。

3月

2日(木)
 夜は永恵のところへ行き、6人で両国のカプリチオーゾへ行く。道子の79歳の誕生日で、純代のおごり。バースデーケーキが出て、電気を消して歌を唄ってくれるサービス。

3日(金)
 昼は白線。3卓だが、中川、高間、前田、井上等の強豪と当たり、38浮いて2位。これで5連勝だが、まだ8連敗はとりもどしていない。

7日(火)
 田中さんのご主人がなくなった。憲子さんが5年以上寝たきりになった後、旦那さんは2年以上生きて97歳だった。

9日(木)
 佐藤君に頼まれた雲霓のペーパーのゲラが出たので、10時前に生文研へ行き、手入れをする。これは加藤紘一さんの後援会誌で、佐藤君が編集長をやっている。

10日(金)
 午後は、4時から5時半まで芝の日本女子会館でWACの顧問会。横溝が理事長になり一番ケ瀬さんが会長になった。

11日(土)
 8時ちょっとすぎに起き、9時の小田急に乗る。渋沢に10時10分頃着いて、堀の桂林寺というお寺に行く。キクちゃんの1周期だ。1時20分頃中道の謙ちゃんに葉子ちゃんと乗せてもらい、照雄のところへ連れて行ってもらう。犬が凄く喜んだので5分ほど遊び、佐藤病院へ連れて行ってもらう。お袋はうとうとしていたが、間もなく気がつき20分ほど話し、新松田へ出て3時10分のロマンスカーで帰る。

12日(日)
 名古屋女子マラソンは 高橋尚子が2時間22分10秒で独走優勝した。

17日(金)
 急に白線に」呼び出される。高等学校対抗で5卓。よくしまって打ち、3度トップをとって優勝し、賞金8000円をとった。優勝は3回目だ。

22日(水)
 昼は生文研のランチョンで篠原三代平さんの話を聞く。長期不況の話から日米逆転論になり、面白かった。俺は、今は戦争末期の状態で、もう一遍日米逆転はあると思っているが、果たしてどうなるか。その後、理事会と総会。俺と熨斗さんが辞めて佐藤君が副理事長になり、当分は一人でやることになろう。俺も肩の荷が下りる。

23日(木)
 11時前に経団連会館へ行く。家計研の理事会評議員会。今回で江見さんと岡田さんが辞める。5月に塩野谷さんが会長になるだろう。木下社長は脳の動脈瘤を手術したそうで休み。1時すぎに終わってから2時まで下山君と話す。彼は心臓に風船を入れる手術をしたのでしばらく安静だが、大事にはならなかったようだ。

26日(日)
 午後月島まで歩く。相撲は、貴闘力が雅山を土俵際で突き落として勝って、13−2で優勝した。幕尻の最高優勝は史上初。武双山は12−3で大関昇進を確実にした。

30日(水)
 ロシアではプーチンが第1回の投票で大統領になったが、この国がどうなるのか、日本との関係がどうなるのか、依然として不透明だ。

31日(木)
 北海道の洞爺湖に面した有珠山が噴火し住民が避難。雲仙のようにならなければいいが。夕方急に海野君に呼び出されて、新橋の雲竜という麻雀屋に行く。尾崎さんと会計士の石川さん。よくついて猛烈に勝ち、この前の大負けを取り返した。10時半近くまでやる。

4月

1日(土)
 自由党は連立政権から離脱。小沢一郎は4度目の離脱カードを出し、引っ込みがつかなくなった。小沢について行かないのは野田毅、二階俊博ら20人と見られる。

2日(日)
 大森からバスに乗って、北麹谷の熊谷君の新京成病院に行く。昔の学習院の渡辺、石河、石橋と院長室で会い、昼を焼肉屋で食べてから呑川跡の緑地で桜を見ながら歩く。お医者が3人もいて、本音の話がたくさん聞けて面白かった。家には4時半頃帰る。ニュースで、小渕首相が過労で入院したことを聞く。現職総理の入院はただごとではない。石橋湛山は辞職ですんだが、池田と大平は死んだ。

4日(火)
 小渕総理は「臨床的脳死」と診断され、集中治療室に入ったきり。もう助からないだろう。器量の小さい人間が気配りと気働きだけでガラにないことをやると、こういうことになる。夜、青木官房長官は臨時閣議を開いて内閣総辞職。森喜朗幹事長を明日総理に指名する。小渕さんは昏睡状態で、死んだのと同じ。首相が「欠けた時」という憲法の規定の初めての適用だそうだ。

5日(水)
 甲子園では東海大相模が優勝。森内閣は発足した。野中幹事長以外は全員留任。自由党は分裂し、20人以上が「保守党」を作って連立に残る。

6日(木)
 建ちゃんから電話で、武ちゃんがなくなったと言ってきた。今年になってから大分悪く、入院したが手術もできなかった。約2年あそこにいたことになる。これでお袋はいよいよ一人だけ残るが、まだ元気でいてほしい。4時すぎに出て中目黒へ行く。遺体を棺に入れ、聖ミカエル教会へ持って行った。87歳で、脳梗塞をやったのは1984年、2度目が93年、和子さんがなくなったのが95年だった。77歳で駄目になってから10年。お通夜は8時から始まって9時前に終わり、静代ちゃんと帰る。今あそこの家は、隣家の工事を避けて広尾のワンルームマンションに入っているそうだ。

8日(土)
 12時前に中目黒の教会へ行き、1時から葬儀・告別式。130人きた。長岡さん、高橋元さん、藤井さんなどもくる。2時前に終わり、桐ヶ谷へ。お骨はおやじや古海さんとは違って下の方がバラバラで、長い間病人生活をしていたために骨が弱ったものと思う。4時半頃松屋へ行き、道子と天ぷらを食べる。

13日(木)
 「雲霓」ができてきたので5部もらう。あれを書いたのは3月6日だからまだ1月しか経っていないが、今書いているのとは中身が大違いだ。小野さんの本と取り組んだのが大きな刺激になった。5時半に学習院へ行く。理甲理乙の会の復活だ。

小金芳弘「新しい成長への道とは何かー技術革命と不況からの脱出」(雲霓、平成12年陽春号)

17日(月)
7時半に出て50分のJRに乗り、藤沢へ行き、湘南カントリーのいちはつ会のゴルフへ行く。8人しかいない。俺は堀江、太田、富田と組んだが、結局58と60。優勝は富田。家には7時前に帰った。先週末にニューヨークの株が暴落。日本もそれを受けて1000円以上下がり、19000円になる。

18日(火)
 夜は歌舞伎。「一条大蔵卿」吉右衛門 芝翫 梅玉。「口上」中村勘三郎の13回忌公演のためで、中々よかった。「鯛売恋曳網」勘九郎 玉三郎 佐団次で大変面白い。三島由起夫も面白いものを書いた。「鏡獅子」勘太郎が踊り、大拍手。

21日(金)
 日銀に全国銀行勘定のことを聞いたらファクスで送ってくれた。銀行の作り出す債権が経済の血液になって循環するという俺の理論をバブル前後の状況から説明するのに役立つ。

22日(土)
 凄く暑い。9時半に出て、横浜の慶運寺というお寺で田中憲正さんの49日の法事に行く。その後、横浜の料理屋でご馳走になり、3時半頃家に帰る。邦ちゃん夫婦に桂治さんとも久しぶりに会った。

23日(日)
 12時に京橋プラザの2階に行く。日蘭協会と日蘭学会の主催のパーティで、日本オランダ修好400年のイベントの一つ。オランダの皇太子がきた。留学生として呼んでくれたものだが、知っているのは建設の竹林さんだけだった。3時半頃まで食べたり飲んだりして帰る。ファン・ディスという人の講演「禁じられた国」は非常によかった。

25日(火)
 昼飯は、栗田、谷口、渡辺、赤岩、河野と俺の6人。4時から新橋の雲竜で海野、尾崎、石川とやる。久しぶりに4アンコをつもって約10万勝った。今日は75歳の誕生日で、純代にケ−キをもらう。

29日(土)
 永恵のところへ行って麻雀をやる。この家の経済は、竜輔の塾の費用や剛弘がアルバイトをやめたことなどで火の車になっている。俺も貯金をどんどん崩している状況なので、とても助けてはやれない。その上に大学新卒の就職は最悪だ。

5月

2日(火)
 3時から尾崎、海野、石川と新橋で10時までやる。何とか頑張って少し浮いた。

11日(木)
 アメリカの株がおかしくなったら日本の株も下がり始め、16000円台まで落ちる。為替も1ドル110円近くなり、せっかく景気が底を打ったのにまた三番底か。

13日(土)
 延沢へ行き、佐藤病院に連れて行ってもらう。お袋は大分弱っているようだが、話していると元気が出てくる。トイレには歩いて行くようだし、毎日弘章がきてくれるので、一番いい状態だ。夕飯は三平で、照雄、丈将、勇気と4人で食べる。

14日(日)
 酒匂ロイヤルが改名してリバーサカワGCになってから初めて行った。まだ試打の段階だが、すっかり模様が変わって、別のゴルフ場のよう。カートなので楽だ。白井、谷田部、長瀬で59と56。インとアウトを一遍に回るので、8時54分にスタートして1時半に上がった。3時21分のバスで帰る。夕飯は照雄、利子、勇気、史明と食べ、7時24分のロマンスカーで帰る。小渕さんが、一度も意識がもどらずになくなった。

15日(月)
 11時から歌舞伎。「源氏物語」新之助 辰之助 菊之助 団十郎 菊五郎。新之助の光源氏中心の配役で大人気。始めて見たが面白い。「源氏」それ自身をほとんど知らなかったが、やはり小説として凄い。千年も前にこれを生み出した日本文化はやはり凄いと思う。

16日(火)
 4時からは企画庁で中城君の月例。篠原委員会は99年4月に景気が底を打ったことを確認したが、株安と円安でもう危なくなっている。

18日(木)
 佐藤君のところで雲霓の原稿料をもらい、またペンネームで書いてくれといわれ、引き受ける。テ−マはITだ。とにかくこっちは、金にさえなれば何でもやるというスタンス。ストックはいっぱいあるので、一寸バリエーションを変えれば何でも書ける。

19日(金)
 1時から電気屋がきてクーラーの取り付けをやる。19万円プラス取り付け料というものを、12万円でやってくれた。前のやつは昭和61年に本体18万円、取り付けコミで20何万だった。これでまた10年以上住むことになるのか。

21日(日)
 6時40分に西藤君が迎えにきて都留カントリーの経遊会に行く。公務員倫理法というものができて、現役は利害関係のある先輩と飯を食ったりゴルフをしてはいかんということになった。公務員の能力増強には何の役にも立たず、民間の活力増進にもならず、世の中を暗くするだけの世紀末的現象だ。おかげで経遊会も現役がこられなくなり、OBだけになる。もともと現役だけで始めたゴルフ会だったが、45回で完全に高齢化してしまった。俺は、木岡社長、西藤、澤田と回り、58と55。澤田君の飛ばすのには驚く。優勝はハンデ36の加藤雅で2位は長瀬という大番狂わせ。相撲は曙が貴乃花に負け、魁皇が優勝した。ここ3場所、横綱、大関の優勝がない。

23日(火)
 11時から経団連会館で家計研の理事会。木下さんは今日も休み、新会長の塩野谷さんも風邪で休み。常務理事はアコムの清水さんという人がなった

24日(水)
 剛弘は、今年いっぱいは駄目だと思っていたが、天ぷらチェーンとスーパーの両方から内定をもらったと言うので安心した。夜はアルカディア市谷で Institute of Social Studiesの同窓会。学長のOpachoor さんが日蘭400年記念のイベントで日本にきている。天皇皇后はオランダ訪問中。尾上さんが奥さんときていたが、奥さんは元気だが旦那は脳梗塞をやった後なので動きが鈍く、口も重い。
 
25日(木)
 昼はさがみ。渡辺、谷口、栗田、赤岩、河野、市川、飯田と俺で8人。夜は久しぶりに梅北で、岡田さんと西藤君とで飲んだ。渋谷が変わっているのに驚く。岡田さんは6月には西宮に帰ると言う。アコムの木下さんは、去年の秋に60歳で脳血腫をやり、5月に会長になって、弟が社長になった。

27日(土)
 12時一寸前に高田の馬場の麻雀屋でいちはつ会の麻雀。4回やってマイナス。12人中7位。優勝は堀野。

6月

1日(木)
 ESPがくる。特集論文の後の方の席で、これで果たして何人が読んでくれるか。それでもやらねばならない。衆議院は明日解散だが森首相の評判はひどく、自民党敗北の公算もある。

2日(金)
 10時前に恵比寿の日仏会館の日仏コロックへ行く。ガーデンプレイスの中ではなく、そばの新築の建物で、築4年というが中々立派だ。テーマはレジャーの日仏比較。東大の広田さんという人が世話役。西川さんが病気なので引き受けさせられたと言う。知っている人はいなかったが、終わり頃諏訪さんがきて、レセプションにも一緒に出た。

4日(日)
 夜、東日本橋へ行って麻雀をやる。剛弘はY’S MARTというスーパーに内定を受ける返事を出し、やっと落ち着いている。東洋学園では早い方だろう。

7日(水)
 いい天気で暑い。10時半頃出て道子と南青山のNHKの寮に行く。船舶の卒業50年会で、先生では元良さんと安藤さんがきた。中村、金山、野崎、角田、市川等、ふだん会わないのも含めて、奥さんも入れて24人。大島と尾花はこられず、河野は検査入院で出られなかった。12時頃始まって3時頃までやる。菊池や角田は話し出すと止まらず、ぼけが出たかとも思われたが、とにかくよかった。死亡者は、櫛田、橋本、伊東、中原の4人だけで、同窓会としては皆元気な方だろう。

8日(木)
 2時から小渕さんの政府自民党葬(武道館)のテレビを見る。衆院選の直前にやって弔い合戦のムードを盛り上げよというわけだろうが、死んだ上に党利党略の道具に使われるのは気の毒だ。クリントン、金大中、ワヒド等の人たちがきた。

10日(土)
 企画庁は今年1〜3月のQEを発表。年率10%の成長で99年度の成長は実質0.5%となり、3年ぶりにプラスになったと与党は宣伝しているが、公債を600兆円も出したのに、政府見通しの0.6%より低い成長だ。しかも名目GDPはマイナス。俺に言わせれば、インフレのない時代の成長に実質GDPを使うのは間違いだ。しかし、名目を論じている人はいない。経済学も日本の政治も間違っているが、。俺のメッセージは宙に消えて、どこにも届かない。このまま俺の知識とビジョンが消えてしまうとしたら、誠に残念だ。1時から四谷の聖イグナチオ教会で武ちゃんの納骨式ミサ。お祈りや賛美歌を聞きながら、恵比寿の家の廊下でボールを蹴り合ったことや、企画庁で話をしたことや、日興リサーチのビルでうなぎを食べたことなどを思い出す。「人間の評価は棺を覆って後に定まる」と何時も言っていたが、彼の評価はどうなるのだろう。そして俺の評価は?その後、スクワール麹町というビルでパーティがあり、4時頃帰ってテレビを見る。オリックスー日ハムでオリックスは大敗したが、イチローは4打数2安打で打率を4割1厘とした。

13日(火)
 金大中がピョンヤンへ入り、金正日が空港まで出迎えて、沿道100万人が歓迎する中を二人が同じ車に乗って話し合うという、これまでの北朝鮮の態度からは信じられないような南北親善ムードを出した。北朝鮮の人にとっては金正日は日本の天皇と同じ存在なのだろうか。政治的統一はまだまだ先だろうが、南北雪解けが急速に進むことは間違いない。

14日(水)
 南北首脳会談は順調に進み、体制の違いや安全保障問題をおきざりにしたまま統一ムードが一気に高まった。

16日(金)
 雲霓のゲラを出す。夜は星陵会館でいちはつ会。6時に始まって8時20分頃終わる。皇太后がなくなった。97歳。

17日(土)
 4時40分のロマンスカーで延沢へ行き、照雄に佐藤病院へ連れて行ってもらう。お袋はすっかりここの生活に適応している。9時頃照雄のところへ行き、三平で4人で食べる。2目で打って10目負け。

18日(日)
 8時12分のJRでサカワへ行く。白井、谷田部、吉田で65と53。吉田君に開成町へ送ってもらい、7時24分のロマンスカーで帰る。

19日(月)
 竹下登さんがなくなった。76歳。梶山と小渕に続いて経世会の中心がなくなったが、経世会的政治はどうなるのか。

21日(水)
 夜は歌舞伎。「義賢最後」仁左衛門の最後の死に様のところだけが印象に残る。「道行恋環」団十郎 鴈治郎。「縮屋新助」幸四郎 福助。黙阿弥の芝居だが、さすがに面白い。

23日(金)
 6時半から「うめ北」で小谷君の勲章のお祝いの会をやる。酒匂のメンバーで13人。9時頃まで、大分飲んだ。

25日(日)
 京橋プラザで投票。民主党と中山よしかつに入れた。選挙は自民党が233をとり、公明党と保守党を合わせて270と安定多数を確保したが、東京2区では深谷が落ち、1区で与謝野が落ちるなど敗北。結果的には今の体制は生き延びた。

26日(月)
 ソテーがきているので、1時にワコーの前で会い、「さがみ」で3時頃まで話す。うなぎとビールをご馳走になってしまった。彼は3月に大蔵大臣を辞め、地方選挙に出るとか、団体の会長になるとかの選択肢があると言う。森首相の続投と野中幹事長の留任が決まった。日本の政治の地滑り的変化はいつ起こるのか。

7月

2日(日)
 暑い。道子はお寺へ行き、俺は純代に借りたスティーブン・キングの「グリーン・マイル」を読む。靴を買う。道子は2足。

3日(月)
 東洋学園の馬渡さんが85歳で自宅でなくなった。心筋梗塞だという。

4日(火)
 森内閣ができた。宮沢大蔵、河野外務、堺屋経企が留任で、大事なところは小渕内閣と変わっていない。津島雄二がまた厚生大臣になった。建設大臣になり手がなく、保守党の党首の扇千景を持ってきた。女性としては、通産の川口順子さんを連れてくる。これは森さんが通産大臣をやっていた時に使ったという因縁か。

5日(水)
 ブックセンターへ行き、森博達「日本書紀の謎を解く」(中公新書)を買う。日本書記を書いたのは日本人と中国人で、しかも雄略記から書き始められ、神代以降そこまでは後から日本人が書いたという推理は衝撃的だが、言語学の精緻な実証分析の上に組み立てられているので、恐らくこれが真実だろう。しかしそれにしても、日本の歴史の初めの中に至るところに中国史書からのパクリが入っているということを知ると、俺の日本人としての心境は複雑になる。これだけの知的業績を挙げる日本人がいることに感銘はするが、日本全体としての知識人と指導者の知的水準が西欧なみになるのは何時かということになると、何しろ国としての始まりがパクリだというのだから、絶望的にもなる。

6日(木)
 「日本書紀の謎を解く」は全く衝撃的だ。日本だけが、ジョルジュ・バロンディエの言う「伝統社会」の体質を保ちながら「歴史社会」としての発展を続けてきたのは何故かという俺の永年の疑問は、「神話」と「歴史」を合体させた日本書紀が社会全体に浸透してきたためだと考えると氷解する。日本書紀の成立の過程を解明することによって、それが可能になるのだ。聖徳太子の17条の憲法がこの時に作られたという説も衝撃的だ。「伝説の人」の権威を借りて「和」の精神を日本人に植え付け、革命を起こさせないようにすると同時に言論の自由にも枠をはめ、和を乱さないために「言挙げしない」という「言霊の呪縛」が確立された。これらすべてが意図されたものだとは思われない。実際は逆で、日本人得意の「成り行き」を積み重ねて行く内にそうなったのだろう。

8日(土)
 雪印の骨太牛乳が汚染されていて、全部回収という大騒ぎになった。日本全体のタガがゆるんできた。

12日(水)
 6時すぎに家を出て7時のロマンスカーでリバーサカワに行く。白井、川名、佐藤で、48と54。3時40分のバスに乗り、4時20分のあさぎりで帰る。

13日(木)
 夜は歌舞伎。「君臣船浪宇和島―宇和島騒動」猿之助が4役で大活躍する。長いせりふがあるところは冗長だが、本水を使っての滝の乱闘は見せる。

15日(土)
 11時前に本願寺の馬渡さんの葬式に行く。一種のパーティで、左側の建物の1階と3階を使い、我々はスピーカーからの話を聞いた後、一杯飲んで昔の仲間と話す。朱、ミューラーとは「日本書紀」の話をした。そごうの債権放棄はまた白紙にもどり、結局倒産と同じになった。不良債権はいくらでも出てくる。膿を出さずに何とかしようとするからだ。

20日(木)
 明日から沖縄サミットだが、アメリカはイスラエルとPLOの仲介のためにオルブライト国務長官がこられず、クリントンもとんぼがえりになる。首脳の奥さんが6人もこないのでイベントは取りやめだ。

21日(金)
 森博達さんへ手紙を出した。言語研究一筋の人に俺の社会学や歴史学の話はどう受け取られるか。もし共同で日本学の研究がやれたらすばらしいが、どうだろうか。小野経済学とは為替レート論で真っ向から衝突してしまった。

22日(土)
 夜はオールスターのテレビ。5−4でセが勝つ。(投)パ 岩本 建山 吉田 石井 ペドラザ。セ メイ 五十嵐 高橋 岡島 高津。引き分けをはさんでセが6連勝となった。

23日(日)
 照雄が講習会にきたので昼を京橋会館で食べ、夜は永恵、剛弘、竜輔と5人で食べる。それからオールスターのテレビを見たが、松坂がいきなり山崎に2点打され、高橋由にも打たれて3−0となり、8回にはロッテの小林が7連打されるなどメタメタ。12−3というだらしない試合になった。相撲では魁皇が11勝して大関昇進を決めた。

26日(水)
 ドゴール空港を飛び立ったコンコルドが2分で墜落。郊外のホテルに突っ込んで4人が死んだ外、乗員乗客100人以上が死ぬという大惨事になった。開発以来20何年になるが、その後は、超音速機はできていない。やはり無理があるのではないか。オールスターは9−3でセが3連勝した。

31日(月)
 5時前に出て交通会館へ行く。二高の絵の展覧会のパーティで、下山君にひさしぶりに会った。真っ黒に焼けている。糖尿なので歩いているそうだ。

8月

2日(水)
 中央公論の宮さんに電話したが、自分のところから出した商品なのに、「日本書紀の謎を解く」は読んでいない。これは日本の歴史が変造されていることを立証した点で、本居宣長や津田左右吉にも匹敵する、あるいはそれ以上の業績なのだ。

7日(月)
 佐藤君に、企画庁が大阪でやるシンポジウムに旅費が出ないかと聞いたら、ペーパーと報告書を出せば出してくれると言う。

10日(木)
 12時一寸すぎに出て成田に2時前に着く。山崎、中山さん等と一緒で、飛行機は3時55分のKAL。ソウルの空港に着いたのは6時半頃。7時半頃バスが出て、加平(カピョン)というところのホテルに9時半頃着いた。ここは凄い田舎で、ホテルもかなり原始的だ。純代に借りた「千里眼」を読んでしまった。

11日(金)
 7時半にバスが出て、9時半に戦争記念館に着く。1994年にできたというが、ここの展示品は中々大したもので、見ごたえがある。朝鮮半島は昔から随分戦争で痛めつけられたことがわかった。ここが日本との大きな違いだ。11時に出て昼飯。12時から景福宮を見物する。ここは、まだ旧朝鮮総督府の建物があった時にきたが、96年に壊された。2時すぎからリトルエンジェルスセンターで国際大学生シンポジウムの開会式。アメリカ、ロシア、中国、日本、韓国から2000人きている。4時すぎに終わり、ウォーカーヒル・ホテルで夕飯。凄い人数の立食だ。7時にリトルエンジェルスでバレーを見る。「白鳥の湖」で、中々よかった。10時までかかり、ホテルへ着いたのは12時。

12日(土)
 8時10分頃バスが出て、清平(チョンピョン)というところの統一教会の研修所へ行く。凄く大きな建物で、講堂には2000人が入る。10時に始まり、セッション1から3まで、文さんの書いたものを読んでコメントと討論だが、ああいうメタフィジカルなものには俺はついて行けない。庭で写真をとったが、凄く暑いのは参った。5時半頃終わり7時にバスが出て、ホテルには8時半頃着いた。

13日(日)
 リーディングは午前中に終わり、午後は閉会式のセレモニーの後、文さんが1時間近く話す。6時前から7時近くまで夕食会。バスが9時半に出て、1時間一寸でホテルに帰る。寝たのは結局1時近くだった。

14日(月)
 6時10分にバスが出て、臨津閣(イムジンカク)へ8時半すぎに着く。他のバスが遅れたため、10時半近くに、2000年世界平和宣言大会というイベントが始まった。2500人が集まり、何人かがしゃべった後、風船を飛ばす。学生たちはその後行進をするようだが、我々は統一展望台のあるオードゥサンというところへ行く。ここはイムジン川を挟んで対岸の北朝鮮が見えるところだ。向こうには民家らしいものが立っているが、これはにせもので、兵隊がいるだけ。こちらは観光客が結構多い。それから渡辺さんと野原さんとでソウルからタクシーに乗って飛行場に2時半頃着いた。6時10分から搭乗し、成田着は8時50分。9時半に出て東日本橋に11時近くにつき、剛弘を電話で呼んでチョコレートとウィスキーを渡す。今回の旅行は、凄い強行日程と暑さに参った。

15日(火)
  10時40分のロマンスカーで延沢へ行く。竜輔は塾でこないので5人。丈将抜きで、9人でスカイラークで食べ、照雄に佐藤病院へ連れて行ってもらう。2ヶ月ぶりのお袋は寝ていたが、頭はしっかりしている。ただ、身体はかなり弱っており、早く楽になりたいと言う。気の毒だがどうすることもできない。それからボーリングへ行く。俺は105と117。その後、夢庵でうどんを食べ、7時27分のロマンスカーで帰る。

18日(金)
 北朝鮮離散家族の韓国訪問終わる。50年ぶりの再会。少しずつ雪解けが進む。ある時期一気に進むだろうが、それは何時か。

20日(日)
 6時一寸すぎに出て7時のロマンスカーでリバーサカワに行く。白井、星野、吉田で、55と47。2時45分のバスに乗り、3時25分のロマンスカーで帰った。

21日(月)
 「日本書紀」については、やっと電話で宮さんと電話で話したが、彼は単に似たような本の一つとしか評価していないので、新書で担当した人に話したいと言ったら、糸魚川さんという人が出てきた。こちらは結構話がわかる。甲子園の決勝戦をテレビで見たが、和歌山の知弁が8回5点をとって東海大浦安を破る。

22日(火)
 午後は白線クラブ。8卓満席で、何とかして11残した。

23日(水)
 糸魚川さんと電話で話したら、森博達本人と直接会うことを勧められる。夜は虎ノ門で下山、小谷、菅野とやり、とにかく勝った。

25日(金)
 昼はさがみで船舶の連中と食べる。栗田、赤岩、小野、谷口、市川、飯田と俺で7人。河野は手術だ。

31日(木)
 朝、マリオンへ行く。永恵、剛弘、竜輔。「ホワイトアウト」織田祐二 松島奈々子。スペクタクルは結構よくできているが、シナリオが練れていない。しかしそれにしてもよくヒットしている。昼飯は京橋会館で道子を入れて5人で食べる。

9月

3日(日)
 三宅島は、保安要員だけ残して全島民が東京へ避難する。何時終わるのか。

6日(火)
 尾崎さんから電話で、海野君がもう駄目だと言ってきた。すい臓癌で手術ができないそうだ。桜新町の病院の地図をファクスで送ってもらう。

7日(水)
 大雨だったが、2時すぎに桜新町の小島病院に行った時はカンカン照り。海野君は個室で本を読んでいた。小さい病院だ。結構元気に話をしたが、人に言うなと口止めされる。胆管閉塞で、胆汁を管で9割も捨てていると言う。本人は、太い管にもう一度取り替えたら普通の生活に戻れると言っている。

8日(金)
 尾崎さんと電話で話した。海野君はやっぱり告知されているが、癌でもう駄目だという診断には納得せず、胆管閉塞だと信じて、その治療をする医者のところに行ったということらしい。彼はまだ69だから、他の者には話さないことにする。

12日(火)
 夜は椿山荘のパーティ。来年は企画庁がなくなるので、最後になる。出席者もいつもより少なく、宮沢さんもこなかった。

14日(木)
 オリンピックの開会式がある。

15日(金)
 5時から9時半すぎまでシドニーのオリンピック開会式を見る。オーストラリアの歴史のショーの後、選手の入場行進では南北朝鮮が一緒に朝鮮半島の旗の下に行進し、満場の喝采を受ける。聖火の点火では、アボリジニーの出場選手キャシー・フリーマンが最後の点火を行い、世界をあっと言わせた。白豪主義の国オーストラリアがここまできた。これにくらべると日本は、未だに戦前的な態度の人たちが政府与党の中枢に座っているほどだ。

14日(土)
 4時40分のロマンスカーで延沢へ行き、照雄に病院へ連れて行ってもらう。お袋は病院ですることがないので退屈しており、行くところがないと言って消耗している。夕飯は三平で食べ、照雄と2目で打ってジゴ。

17日(日)
 大雨注意報が出ているのでやめることにし、丈将は北海道へ修学旅行なので、5人でスカイラークで食べ、1時に普通の急行で帰る。オリンピックの野球の予選では、13回に杉内がサヨナラ3ランを食って負けた。相撲では武蔵丸が曙に負けて全勝はならなかったが、1年ぶりで優勝した。武双山は10勝して大関カムバック。

20日(水)
 企画庁へ行って大守君の月例の話を聞き、永恵の家によってうの丸で6人で食べる。オリンピックのサッカーは、ブラジルに勝っていた南アがスロバキアに負けたので、32年ぶりに決勝に出られることになった。

21日(木)
 朝、大井へお墓参りに行き、帰りに松屋でうなぎを食べる。お墓では、木の葉っぱのボサボサを1時間半ぐらいかけて 道子が刈り込んだ。夜は歌舞伎。「妹背山婦女庭訓」「菊晴勢若駒」福助の子供の児太郎(8歳)、橋之助の子供の邦生(4歳)と宗生(2歳)の初舞台で大爆笑。「口上」「二人椀久」富十郎 雀右衛門。「魚屋宗五郎」勘九郎 福助。封建時代の不条理と条理のやや定型的な描き方ではあるが、面白い。

22日(金)
 9時23分のひかりで新大阪へ行き、リーガロイヤルホテルで、「21世紀の日本を考える国際フォーラム―環境・高齢化の視点から」というシンポジウムに出る。隣の国際会議場で、高齢者グループの会議が始まった。イタリーのローマ、日本の清家、イギリスのボルトーの基調講演の後パネル。定年、年功序列、年金等の問題が中心だ。俺のペーパーは、とにかく部屋の中においてあったので一安心した。出席は近藤、富元、新村、辻、長沢。6時すぎから立食パーティ。ボルトーは7時すぎに東京へ行ってそのまま帰国するが、とにかく会えてよかった。高齢化のグループだけでも5,60人はいたようだ。

23日(土)
 会議は9時半から始まったが、グループ2はマクロ経済成長問題で、生産関数とマクロの労働力供給の議論になり、高齢化の産業構造や技術革新は抽象論に止まった。4時からのドイツのハイルブリッツの年金の話には気がめいった。日本の年金基金の破綻は確実だ。高齢化社会の前途は暗い。日本は敗戦からは復活できたが、21世紀には復活できるのか。6時半すぎから堺屋大臣招待の立食晩餐会。午後は野球の日韓戦のテレビを見たが、松坂が初回に4点とられたのが痛く、5−5で延長10回、松中と中村のエラーで2点とられ、7−6で負けた。夜はサッカーの対アメリカ戦で、PK戦で負けて準決勝進出ならず。

24日(日)
 最後の林文夫さんの発表は銀行貸出とGDPは関係ないというものだったが、これは府県別のクロスセクションでやっているので、俺のようにマクロの時系列でやれば非常に高い相関が得られるということを指摘する。彼も、やって見ると言っていた。今回は会議では発言しなかったが、きた意味はあった。4時のシャトルバスに乗り、40分のひかりに乗って家には8時に帰る。マラソンでは高橋尚子がリディアを破って優勝した。女子陸上始まって以来の金メダルだ。

27日(水)
 オリンピックの野球は、松坂が中三日で登板したが8回に3点取られて負け、メダルを逃がす。アメリカが優勝した。

30日(土)
 7時のロマンスカーで酒匂へ行く。藤沢、小谷、長瀬で59と56。

10月

1日(日)
 一日家でゴロゴロする。オリンピックのマラソンは、エチオピアのアベラ、ケニアのワイナイナが1,2位で、日本は20位以下の完敗。夜は閉会式。次はアテネだが、俺は今までは、そのオリンピックまで生きていられるかどうか考えたことがなかった。生きていれば79で、大来さんがなくなった年だ。大来さんにしても、ティンバーゲン、おやじ、古海のおじさんにしても、やれることは全部やってからなくなった。俺の場合、個人的には何時死んでも文句はないだけ人生をエンジョイしたが、まだ、やらなきゃならないことがある。道子も永恵も、今のまま俺が死んだら困るし、俺が稼げないで金がかかるだけになったらもっと困るからだ。そうして、俺が稼ぐためには売り出さねばならず、そのためにやる経済学や日本学の仕事は、日本と世界を20世紀から21世紀へ橋渡しする水先案内という革命的なものだ。そんな大それた仕事をやらなければ女房も娘も困るという厄介なシチュエーションになっている。円レートは108円、株価は1万6000円。

6日(金)
 鳥取の西でM7.3クラスの地震。阪神大震災なみだが、山の中なので死者はなかった。ユーゴでは大統領選挙のやり直しをめぐって大規模のデモとストが起こり、とうとうミロシェビッチ政権は倒れた。品川プリンスホテルで国民生活センター30周年のパーティに出席する。弘章から電話で、またお袋の具合が悪いと言う。また心筋梗塞らしい。

7日(土)
 4時40分のロマンスカーで新松田へ行き、タクシーで佐藤病院へ行く。お袋は個室で点滴と酸素吸入の管をつけられ、息も絶え絶えだが、看護婦は昨日よりずっといいと言う。その内照雄がきて家へ連れて行ってもらい、スカイラークで食べる。

8日(日)
 経企酒匂会。俺は57と52。優勝は小谷で、2位は佐藤印刷、3位は小林進。三平で夕飯を食べ、照雄に病院へ連れて行ってもらう。お袋は酸素吸入を外し、ベッドを立ててもらって色々なことを話す。

11日(水)
 冬服を引っ張り出す。元筑波大の白川秀樹氏がノーベル賞をもらい、大変な騒ぎ。日本人のノーベル賞は9人目だ。

12日(木)
 APECの創立20周年パーティの案内状がきたので経団連会館へ行く。オリックスがポスティングシステムによる放出を決めたので、イチローの大リーグ行きがきまった。7年連続首位打者という空前絶後の記録を立て、日本ではもうすることがないのは事実だ。

13日(金)
 金大中韓国大統領にノーベル賞。73歳。73年の拉致事件、80年の光州動乱と死刑判決などを経て4回目に大統領になり、今年初めて金正日との会談と、凄い男だ。日本文化の解禁についても、功績が大きい。

17日(火)
 昼は白線クラブへ行き、帰りに歌舞伎へ行く。「加賀見山再岩藤」猿之助が4役で、宙乗りや剣戟で大奮闘。玉三郎が尾上で付き合う。

18日(水)
 アメリカの株価は3月以来1万ドルを割り、日本も15000円を切る最安値となる。世界が新しい時代へ向けての生みの苦しみだ。寒い。一番の木枯らしが吹く。

21日(土)
 日本シリーズではダイエーが5−3で巨人に勝った。投手 (ダ)若田部 渡辺正 田之上 吉田 ペドラザ (巨)工藤 木村 槇原 HR 松井 城島 松中 ニエベス

22日(日)
 7時のロマンスカーでサカワに行く。白井、小谷、矢田部で61と57。4時20分のあさぎりでもどったが、満席なのでグリーンに乗る。帰ってからテレビを見る。8−3でダイエーが連勝。(投)ダ 永井、田之上、渡辺正、長富、吉田、ペドロザ。巨 メイ 木村 平松 三沢 桑田 (HR)城島  

23日(月)
 夜は日本シリーズのテレビ。9−3で巨人が勝つ。(投)ダ ラジオ 渡辺秀 星野 篠原 斉藤正。巨 上原 岡島。

24日(火)
  アメリカはオルブライト国務長官が北朝鮮を訪問。日本は拉致問題を逆に人質にとられた感じで、森首相がまた不用意な発言、釈明、取り消しなどでゴタゴタする。どうしようもない人だ。

26日(木)
 中川官房長官が色々なスキャンダルを暴露されて辞任。森内閣は死に体だ。夜は日本シリーズ。巨人が2−1で勝つ。(投)巨 斉藤 岡島 ダ 田之上 渡辺正 吉田。

27日(金)
 昼は白線クラブ。夜は日本シリーズ。6−0で巨人が高橋尚でシャットアウトした。ダイエーは若田部、篠原、斉藤和。HR 高橋由 江藤 村田真。
 
28日(土)
 夜は日本シリーズ。9−3で巨人が勝って、94年以来の日本一になった。(投)巨 メイ 木村 平松 岡島。 ダ 永井 渡辺正 吉田 星野 篠原 HR 松井 城島。このシリーズ、ダイエーは小久保の故障と松中の不振がひびき、元木やマルティネスをベンチにおくほどの巨人の戦力の厚みが勝因になった。

29日(日)
 雨、6時半に西藤君が迎えにきて都留カントリーの経遊会へ行く。51と53。優勝は三田で2位が澤田。俺は久しぶりに3位になった。

30日(月)
 夜、尾崎さんから電話で、海野君がなくなったと知らせてきた。9月7日に会ったのが最後で、4月25日に麻雀をやってから半年だった。

31日(火)
 朝、南雪谷の海野君の家に行く。遺体は葬儀社だったが、奥さんと息子さんに会って話をした。

11月

1日(水)
 小雨。6時に下目黒の羅漢会館で海野君のお通夜。家には7時半頃帰った。

2日(木)
 11時に出て羅漢会館の葬式へ行く。久しぶりに下河辺さんに会った。大分迷ったが、結局バスで桐ヶ谷まで行った。企画庁の人間はこなかったが、待ち時間にたまたま兄さんと一緒になり、色々話をする。その後も、結局水仙という料理屋まで行って話を聞くことになった。2年も新聞配達をするなど、随分苦労していたことがわかった。69で死ぬのは残念だったろうが、これも人生だ。4時半頃帰る。

7日(火)
 5時すぎに起き、6時に出て9時30分のKE706に乗る。ソウルには12時すぎに着いたが、ヨージューとかいう町に行くためのイチョン行きのバスが、2時すぎしか出ない。これに乗ったら、イチョンまで2時間半。ここからまたタクシーに乗って30分走って、やっとコンドニミアムに着いた。大きな町ではあるが、大変なところだ。7時からのディナーが9時に終わる。純代に借りた「奇跡の人」を読み終わる。面白い。

8日(水)
 7時半に朝食。9時にバスが出て、イェオジュー工科大学でオープニングセレモニー。講演を学生たちと聞き、昼飯を食堂で食べる。2時から第一セッション。グローバリゼーションと高等教育というテーマだが、抽象的な議論とITの組み合わせで、どうも日本人にはピンとこない。俺は日本の和魂洋才の話をしたが、どうも連中にはピンとこなかったようだ。4時半に終わり、6時から8時まで夕飯。純代に借りた宮部みゆき「火車」を読む。面白い。

9日(木)
 7時30分朝食。9時から昼までやり、午後は2時から4時までAUFのやり方についての議論だが、こちらはメンバーでもなければ大学の経営にもノータッチなので、何も言うことがない。夕食はカンボジアの人と一緒で、ポルポト時代の話を聞く。この10年で人口が700万から1100万になったが、その前に300万は死んでいるというから絶句した。朝鮮もひどいことになっているが、つくづく日本は運の好い国だと思う。

10日(金)
 4時15分に起き、5時に車に乗って6時半に空港に着く。ボーディングは9時50分。成田には12時半前に着いた。家に3時半に帰ると、新聞もテレビも見ていない間にアメリカも日本も大騒ぎになっていた。アメリカでは7日に大統領選があったが、フロリダ州で勝ったブッシュとゴアの差が再集計で300に縮まり、海外集計分がまだ集計されていないので勝敗が決まらない。日本では、加藤紘一が「内閣不信任案が出たら欠席することもあり得る、森は支持できない」と宣言し、それに対して橋本、森、村上・亀井、河野派が結束して対立。これは、派閥の中では選択の自由がないという日本的集団管理が限界にきたことの表われだ。イチローに対する大リーグの入札は、マリナーズが14億でオリックスから買うことになった。
 
11日(土)
 5時から「うすけぼー」で元研究所の連中の会。鏡味、鈴木、川名、西藤、照井、前原、小泉、淺川、江藤と俺で10人。7時すぎまでやったが、結構愉快だった。

12日(日)
 昼から白線クラブ。久しぶりについて、2回トップをとって優勝した。アメリカの大統領選は混迷。集計を手作業でやりなおしている。

13日(月)
 加藤紘一は不信任案に賛成もあると発言し、主流派は切り崩しに回る。結局倒閣はできないだろうが、ここまできたら加藤の離党と派閥分裂は避けられないだろう。日本的「和の政治」は崩壊に向かうが、時代の必然だ。

14日(火)
 瓜生の忠夫さん夫妻が、瓜生のおばあさんの話を聞きたいという学者を連れてお袋の病院へ行ってきた。大変元気だったそうだ。あの生命力には驚く。

15日(水)
 朝は床屋。ブックセンターで「古事記日本書紀必携」を買う。夜は霞ヶ関ビルで経企同友会のパーティに出る。自民党もアメリカ大統領選も混迷。

17日(金)
 相互館へ行って渡辺さんに風邪の薬をもらう。松川さんがなくなった。

19日(日)
 相撲では、琴光喜が武双山にまで勝って13勝2敗で3賞を独占したが、曙が武蔵丸に勝って久しぶりに優勝した。夜は宝仙寺に松川さんのお通夜に行く。大変な人で、かなり待たされた。竹本と一緒になる。

20日(月)
 7時2分の小田原行きで藤沢へ行く。湘南カントリーへはバスで8時半に着いたが、いちはつゴルフは雨なので中止になり、1杯飲んで11時に臨時バスが出て帰る。13人きた。夜は内閣不信任案が出たが、加藤紘一は最後のところで数を集められず、野党に賛成できずに欠席しただけの腰砕けで、皆ガッカリする。党を割って勝負に出るだけの度胸がなかったからで、このままでは駄目になってしまうだろう。

22日(水)
 11時から明治座へ道子と行く。「国盗り物語」北大路欣也 水谷八重子 多岐川裕美。話は面白いのだが、脚本が平板なので劇的な盛り上がりがない。

27日(月)
 アメリカ大統領選は、500差でブッシュがフロリダで勝ったというが、手作業集計を期日が間に合わないと言って州が打ち切り、ゴアは裁判に訴えるので、決着はまだ着かない。数え方のルールが州によって違うということは初めてわかった。200000票の内500の差だから、ほとんどゼロに等しい。

29日(水)
 夜は5時からグランドヒル市谷の家計研のパーティに行く。下山君がきているので、6時すぎまで飲んで話した。

12月

1日(金)
 自民党の野中幹事長が辞任し、後任は加藤派で加藤に造反した古賀誠。日本の政治はいよいよガタガタになってきた。俺も年はとってくるし、物書きで行こうにも、加藤紘一があのザマでは「雲霓」さえどうなるかわからない。

2日(土)
 4時40分のロマンスカーで延沢へ行く。佐藤病院へ照雄に連れて行ってもらったが、お袋はすっかり元気になった。ここにいる外はないと納得したのだろう。テレビも見ているようだし、車椅子を押してトイレへ行ったりしている。

3日(日)
 9時34分スタート。白井、川名、菅野で54と56。スカイラークで5人で食べ、7時24分で帰る。純代に借りた宮部みゆき「蒲生邸事件」を読む。面白い。

5日(火)
 森内閣改造。宮沢財務、河野外務は留任。堺屋太一さんは辞めたが、代わりに橋本竜太郎が行革担当で入り、橋本派と江藤・亀井派の連立の感じだ。誰がやっても今の経済はどうにもならないが、政治改革の見通しは益々なくなった。戦争末期の状態と同じだ。

9日(土)
 アメリカの大統領選は二転三転している。州の裁判と連邦の裁判と二つあるために問題が複雑になり、しかも判事が民主党系と共和党系に分かれるので、その度に判決が変わる。アメリカ的制度の落とし穴だ。純代が、ボーナスが出たというので、カプリチオーゾでご馳走になる。竜輔も一緒で6人そろった。純代の会社も危ないというが、どうなるのか。

13日(水)
 夜は梅北で藤沢君の叙勲祝いの会。酒匂のメンバー11人が集まった。9時まで飲んでひどく酔っ払った。

14日(木)
 アメリカ大統領選は、連邦最高裁が手集計差し止めの判決を出してやっとブッシュの勝利が確定した。道子と1時頃家を出て、北千住の田中務の家に行く。西村計雄さんが4日になくなったのでお線香を上げ、4時頃まで話す。田中君はちょうど家にいて、お母さんもいた。同じ年の91歳。

18日(月)
 昼飯を香代ちゃんと3人で、京橋会館で食べる。今度、エルメスジャポンを辞めて東大の天文学センターへパートで行くと言う。4時半から企画庁で大守君の話を聞き、その後は懇談会。景気は早くもまたあやしくなり始めた。バブル崩壊の痛手はまだ続いていて、小川君などは15年説。俺は戦争でもなければ駄目だという説だが、もちろんあんな戦争はもう起きない。生きている内にこれの結末が見られるだろうか?

21日(木)
 午後、月島まで歩く。株価は1万3千円台を割りそうになり、為替も1ドル112円台。今度不況になったらもう財政政策は使えない。

25日(月)
 昼をさがみで食べる。栗田、市川、谷口、渡辺、赤岩、河野、野崎と俺で8人。小野と河野は癌の手術後で通院なのでこられず、尾花は脳梗塞の後遺症、大島は相変わらずで、飯田も心臓が悪く、別所はニコチン中毒。古新居は外国だが、14人中6人は病気でこられない。

30日(土)
 6時に東日本橋の蕎麦屋で年越しソバを6人で食べ、その後は永恵の家で竜輔の誕生ケーキを食べてから麻雀をやる。竜輔は東京理科大を受けるというが、偏差値は大分足りないようなので大丈夫だろうか。弘章から電話。お袋は大分弱っている。肺がほとんど水浸しになり、心電図も目茶目茶で物もほとんど食べないそうだ。大晦日は弘章、元日は康広が行くという。2日は俺たちが行くことにする。

31日(日)
 今年は、マクロ経済と銀行貸出の関係も突っ込んだし、日本書紀と古事記の謎も解明した。今まで俺が到達できなかったところに到達したが、これを他に伝える方法がない。あと何年生きるかわからないが、どういうことになるのか。夜は12時まで12チャンネルの懐メロの後紅白を見て、除夜の鐘を聞き、21世紀の花火が上がるのを見る。20世紀最後の株価は1万3千円台、為替は114円。