1998年(平成10年)(東洋学園大学)73才

1月

1日(木)
 9時すぎに起き、年賀状の整理は3時45分まで。それから2人で浅草にお参り。年賀状24枚追加。夜はかくし芸大会を見る。

2日(金)
 9時5分頃に出て10時15分のロマンスカ−で延沢へ行く。竜輔は塾なので5人。向こうでは小林さん母娘がきている。俺たちは、2人でぬいさん、中道、店に回り、4時半にお袋のところへ全員で行く。帰りは7時21分のロマンスカ−。

3日(土)
 ナベは時々家に現れるそうだ。稼ぎはなく、月に5万家に入れるそうだが、本人はもどれると思っていると純代は言う。朝8時に永恵と剛弘がきてスカラ座へ行く。「エアフォース・ワン」Harrison Ford, Gary Oldman in “Air Force One”directed by Wolfgang Petersen 「沈黙の戦艦」や「ダイ・ハード」を「暴れん坊将軍」「将軍家光あばれ旅」のコンセプトでやって、それにアメリカ的な政治的主張を色付けしたもの。帰りに4人で松屋で天ぷらを食べる。駅伝は神奈川大が連覇。

5日(月)
 株価はいきなり15000円を割り込み、為替も1ドル133円台。

7日(水)
 3時から経企で世界経済白書と生活白書の説明会。原田君と太田君。6時から1階で経友会の総会と懇親会。8時から下山、加藤和男、早川と3回やって負ける。

8日(木)
 午後から雪が降り出し、深夜まで大降りで都心14センチつもった。交通は大混乱。

15日(木)
 夜中からまた大雪になる。昼寝したが下痢がひどい。流感のウィルスが胃にきたらしい。

16日(金)
 雪は東京でも20センチ近く積もる。一日寝ていて夜お粥を食べる。

19日(月)
 経企へ行って江崎君の月例の話を聞く。景気は足踏みというが、水面下で今まで上向きだったものが明らかに下向き。倒産は増えており、お先真っ暗だ。

21日(水)
 試験を三つやった。夜は「西欧文化」の採点をやる。

23日(金)
 小雨。11時にホテルニューオータニのふくいインビテーショナルへ道子と行く。鴇田、山極、甲斐さんがきており、角道君にも会った。石鍋さんがゲストできており、彼とも話す。帰ってから寝る。

25日(日)
 一日寝ているが、風邪は中々抜けない。武蔵丸は蒼樹山にやっと勝って優勝。殊勲賞栃東、敢闘賞武双山、技能賞琴錦。

26日(月)
 試験をやり、帰ってから採点。5時半に升本へ行き、下山、海野、菅野とやり、やっと勝った。道路公団の理事の後、現職の銀行検査官が接待を収賄とされて逮捕。大蔵官僚の心臓部にメスが入る。

27日(火)
株はようやく17000円台を回復。景気は下降しているし貸し渋りはなくならないが、不景気の株高ということはある。三塚蔵相は辞職。

29日(木)
 10時に出て虎ノ門の霞山会館へ行く。謝敷さんに頼まれて加藤英一さんの造船後援会で話をする。大蔵の銀行検査官が事情聴取前に自殺し、次官が辞職した。大蔵帝国も今やがたがただ。

30日(金)
 香代ちゃんが東貨物ビルのサントノレというエルメスジャポンの子会社にいるので、道子と3人で、地下のサイゴンでベトナム飯を食べる。

31日(土)
 朝、内村さんから電話で治子おばさんがなくなったと言う。阪神大震災で大怪我をして寝たきりになっていたのだから、生きていたのはむしろ苦痛だったと思うが、それでも、好きな人だったからショックだ。寝たきりの時も威勢のいい人だった。あの世で、うちの親父や古海さんと冗談を言い合っているのだろうか。

2月

2日(月)
 竜輔が電話で白鴎高校の推薦入試を通ったと言ってきた。丈将は東海大相模に通ったし、やれやれだ。竜輔が大学を出るまでになれば一安心だが、それまでには7年ある。

4日(水)
 市川さんに順天堂でみてもらえと言われ、タクシーで行く。1時に河合さんという医者に話を聞く。緊急性はないが、時々変な山が出るので、24時間心電図をとると言われ、2時半頃帰る。夜は麻布のOECFの寮で太田会。宮崎勇、白井、田中誠一郎、佐藤、阿多、進藤、海野、黒田、坂本。8時すぎに終わり、家には9時半頃帰る。

7日(土)
 12時頃道子と山下さんへ行く。牧師さんがきて1周忌の式をやり、それから皆で高輪プリンスの桃李という中華へ行く。2時頃から4時まで、たくさん食べて飲んだ。夜は長野オリンピック開会式のニュースを見る。

9日(月)
 5時から経企で江崎君の月例を聞く。景気は「停滞」と言っているが、どうして「下降」と言わないのか。その後、下山、海野、菅野とやり、ばかづきして勝った。

10日(火)
 3時40分のロマンスカ−で延沢へ行き、タクシ−でお寺に行ってお墓参りをしてからお袋のところに行く。9時頃照雄がきて、2目で打ってやっと勝った。

11日(火)
 8時12分のJRで酒匂ロイヤルに行く。白井、菅野、小谷で52、57。スカイラ−クで夕飯を食べ、7時21分のロマンスカ−で帰る。オリンピックで、船木がノーマルジャンプで2位、モーグルでは里谷が優勝して女子初の金メダルをとった。

15日(日)
 朝から雪。白線クラブでやり、400浮き。オリンピック、ラージヒルで船木と原田が金と銅。1000メートルで清水が銅をとる。

16日(月)
 夜は6時に高円寺の平安祭典に行く。和子さんのお母さんの鈴木さんのお通夜。

17日(火)
 1時から歌舞伎。15代目仁左衛門の襲名で、「娘七種」「女暫」「熊谷陣屋」「吉野山」菊五郎の「女暫」は面白い。「熊谷陣屋」は孝夫改め仁左衛門が力演するが、寺小屋にくらべれば不自然。「吉野山」は、団十郎の忠信と鴈治郎の静。

18日(水)
 3時前に出て順天堂に行く。すぐ心電図をつけてくれた。

19日(木)
 3時半頃順天堂に行き、心電図をはずす。夜はラ・ブラスリーで轟、多田、倉林と飯。

21日(土)
 1時から白線クラブで5回やる。珍しくついて勝った。500メートルショートトラックで西谷が金、植松が銀をとる。

22日(日)
 オリンピック閉会式。

23日(月)
 2時に順天堂の河合さんのところに行く。不整脈がよく出るのと2回続くのがあるので、薬を出し、3月にまた心電図をくっつけられることになった。渡辺から電話で、大島が今月はじめにトラックにやられて意識不明になっていると言う。ショックだ。俺がやられたのがタクシーでなくトラックだったらどうだったかと思う。

25日(水)
 さがみで渡辺、河野、市川、赤岩と昼飯。大島は、1月26日に自転車で右へ回ろうとしてやられ、頭蓋骨骨折だったそうだ。運の悪さはどうしようもない。夜は下山、海野、菅野とやり、負け。

28日(土)
 4時半から学士会館で統一教会の宮原周、矢野里子の結婚式。入江道政さんが仲人をやってくれて、俺は花嫁の来賓代表でしゃべる。隣に太田さんの奥さんとアカデミーの中山さん。3月にパラグアイへ立つそうだ。

3月

1日(日)
 朝起きたら凄い雪。9時に道子と出て内村の治子おばさんの35日に行く。三田の実相寺。三田駅からタクシーに乗ったが、お寺を間違えて下ろされ、坂を下がって上らねばならず、参った。埋骨式はパスさせてもらい、全日空ホテルへ行く。中華料理3卓。森岡さんの園子さん(黒川さん)と健さんといっしょになり、森さんや山下さんの話をして懐かしかった。この2人は治子さんの姉さんの子供で唯一の肉親。3時半に終わって帰る。

2日(月)
 テレビで、水をたくさん飲むと老人は心臓の負担で不整脈になると言っていたので、朝4杯半飲んでいたのを1杯にすることにした。

4日(水)
 5時にホテルオークラの佐伯喜一さんのお別れ会へ行く。平和研究所の中曽根さんと野村総研の社長がきて大変な盛会。福田さんの「しのぶ会」なみだった。8時頃帰る。

5日(木)
 神宮前の南国酒家で富山さんの送別会。池谷、扇、木全、長谷川、宮井、ミューラー、長井、行方、西川、横山、浅野、遠藤、河島で2卓。6時すぎから9時すぎまでやって愉快だった。彼女はICUへ行くが、教師としてはやりがいがあるだろう。

8日(日)
 昼に日比谷まで歩く。名古屋女子マラソンで高橋が日本記録を出して優勝した。

11日(水)
 5時から経企で江崎君の景気の話を聞き、バスで天現寺へ出てフランス大使の公邸へ行く。ソテーが予算担当大臣になり、彼の強い要望で俺と篠原三代平さんが大使の晩餐に呼ばれた。7時半頃から始まり、客は20人以上。カトリーヌもきていて、大変楽しかった。テーブルではソテーの隣にすわった。10時すぎに終わって帰る。

12日(木)
 日銀の課長が接待の見返りに銀行に情報を流していたとして逮捕され、日銀総裁の辞任にまで行きそうだ。大蔵キャリアの逮捕がありそうだし、日本の金融システムはメロメロ。3時に順天堂に行き、24時間心電図をくっつけて帰ってくる。

13日(金)
 3時に順天堂へ行って心電図を外す。帰りに慶応病院に今城さんを見舞いに行ったら、技術研修館の加藤君がきているのでびっくりした。神経精神科だが、肝臓で2,3ヶ月は入院するそうだ。婦人生活課長は更迭される。

14日(土)
 3時40分のロマンスカーで延沢へ行く。お袋はすっかり元気になった。お弁当のおかずをジュースにして全部飲むので栄養はよく、何も気を使わないのが好いらしい。

15日(日)
 9時半スタート。強風と雨から雪になる。白井、菅野、吉田で64と58。

16日(月)
 1時少し前に全日空ホテルの短大の卒業謝恩会へ行く。3時少し前に帰り、道子と歌舞伎に行く。「忠臣蔵」5段目から11段目まで。菊五郎の早野勘平、幸四郎の由良之助、玉三郎のおかる、勘九郎の平右衛門。何度も見ているが、やっぱり忠臣蔵は泣かせる。

17日(火)
 10時から米審。渡辺五郎を会長、俺を副会長に選んで終わり。後は米価のあり方などについてフリーディスカッション。日銀総裁は日銀OBで商社の社長をやっていた速水優さんになった。72歳。これも苦し紛れの人事のようだ。

20日(金)
 昼は生文研のランチョンで、松本哉さんのすみだ川の話を聞く。中々面白かった。その後理事会。

21日(土)
 7時30分のロマンスカーで酒匂へ行く。菅野、星野、藤沢で59,56。帰りに永恵のところへよって「こち亀」のビデオを見る。

22日(日)
 10時半頃道子と日暮里へ行き、谷中墓地で内村治子さんのお墓参りをする。帰りに京橋会館で飯。相撲は若乃花が琴錦をはたきこんで優勝4回目。殊勲賞魁皇、技能賞千代大海、敢闘賞蒼樹山 

22日(月)
 11時から経団連会館で家計研の理事会。評議員の喜多村、林、宍戸、理事の篠原さんが辞め、加藤雅、田中務、辻、時子山ひろみがなった。理事評議員の75歳定年を今年から始めたらしい。生文研はどうするのか。代わりになるやつがいなかったら仕方がないだろう。下山君に理事長でこいと言ったら断らず、熨斗さんに電話したら彼も了承した。

23日(火)
 大井町のお墓に行く。宮川で昼飯。夜は下山、海野、菅野でやり少し勝つ。

25日(水)
 昼飯をさがみで食べる。栗田、赤岩、河野、尾花と俺。大島は、意識はもどったようだが、しゃべれないそうだ。とにかく見舞金だけ送ることにする。

26日(木)
 朝は床屋。夜は太田さんに呼ばれて、恵比寿ガーデンプレイスのウェスティン東京ホテルの世界平和女性連合の懇親会に行く。大変盛会なので驚いた。パラグアイ大使のペレスと太田さんの間にすわり、通訳をする。田邊靖雄と九重裕三子が歌いまくった。

28日(土)
 政府は財政改革を棚上げして16兆円の景気対策をやり、公的資金で株を買って引上げを狙うというが、皆しらけている。構造対策を何もやらず、後追いだけだ。行革もただ省庁の数を減らすだけなので対応する役人が忙しくなるだけで、全くの末期症状。株価は17000円を切り、円レートは130円。午後月島まで歩く。

31日(火)
 午後月島まで歩く。南高橋のたもとの桜は咲いており、隅田川の佃大橋のたもとでは5分咲き。

4月

2日(木)
 朝佐藤君と打ち合わせ。下山君をつれてきて理事長にしようという案には反対で、とうとう1年間様子を見ることになった。これまで2人でやってきたのに、その上に1人が乗っかるのには抵抗があるというのが根拠だ。

3日(金)
 6時15分の小田急で本厚木へ行く。厚木国際カントリー。一中のいちはつ会ゴルフ。13人。俺は藤芳ジュニア、馬場、寺島と組んで62、56。優勝は太田、2位金沢。

4日(土)
 鈴木光司の「リング」「らせん」を純代が貸してくれたが、面白い。新種のホラーだ。為替は1ドル135円となり、株価は16000円台。財特法を改正して減税するというが、こういう風に小出しに政策を変えて行くのは敗戦のパターンだ。後、当分は駄目だろう。

6日(月)
 雨。本郷で国際事情をやる。かなりたくさんきていた。

8日(水)
 「ヨーロッパ」は去年より大分学生がすくないが、「経済発展論」は同じぐらいだ。帰りは乃木坂の柳川会に行く。OBは6人。

11日(土)
 7時30分のロマンスカーで酒匂ロイヤルに行く。藤沢、楠田、吉田で60,52。5時のバスに乗り、家には7時半に帰る。

14日(火)
 白線クラブでやり、久しぶりについて2度トップをとった。それから虎ノ門に回り、海野、下山、小谷とやって勝つ。

16日(木)
朝、市川さんで健康診断。心電図は正常。やっぱり朝に水を4杯飲んでいたのが不整脈の原因だったようだ。夜は学習院のクラス会。5時半から8時前まで。久しぶりに浅野に会えたのはよかった。「離島の神様」の彼は、まだ島を回っていると言う。

17日(金)
 帰りに高島屋の6階へ行く。成木さんの絵の展覧会で、丁度いた。河村さんと石井さんもいたので、しばらくだべって楽しかった。

18日(土)
 3時前に上智大学の聖イグナチオ教会に道子と行く。新しい納骨堂に和子さんのお骨を入れるミサ。これはお墓のアパートで、一人一人の箱ではなく、相部屋のようになっている。60年もの長い付き合いだった和子さんも、遠くへ行ってしまった。

19日(日)
 永恵と竜輔をつれてシネパトスに行く。「リング」「らせん」佐藤浩市 松島奈々子 真田広之 監督 中田秀雄。あの長編を中々うまくダイジェストしてある。2時前に出てきたら行列ができているのに驚いた。銀座ラフィナートで道子と4人で飯を食べる。

24日(金)
 景気対策は13兆円。財政改革法も凍結することになり、何もかも目茶目茶だ。支那事変末期の日本と同じ。

25日(土)
 3時40分のロマンスカーで延沢へ行き、9時ころまでお袋のところで飲み、テレビを見る。照雄と2目で打って3目負け。

26日(日)
 雨。8時12分のJRで酒匂ロイヤルの経企酒匂会へ行く。2人キャンセルで10人。52、66。優勝吉田、2位白井、3位長瀬。スカイラークで皆と食べて7時20分のロマンスカーで帰る。一日で「ループ」を読み終わった。

27日(月)
 純代と剛弘に誕生祝いのケーキをもらう。73歳の誕生日は忘れてしまった。働き出してから48年。4年1ラウンドとして12ラウンドを終わり、一段落したと思う。まだシルバータウンなど仕事が残り、永恵のところが一息つくまでは働かねばならないが、これから先は学校が雇ってくれるかどうかわからず、売り出すことができなければ自然消滅することになる。生文研で仕事ができるようになるのが当面の目標だ。大蔵は接待問題で112人の処分を発表。長野証券局長、松井審議官他1人が辞職した。

29日(水)
 昼ちょっと前に照雄たちがきて、近くで支那そばを食べる。夜は銀座ラフィナートで永恵たち4人と食べる。オーストラリアのオージービーフのステーキ食べ放題を6人が食べ、竜輔は6枚。それでも11人で22000円は安かった。

30日(木)
 細川前首相が議員辞職を発表して皆を驚かせる。日本の政治家にいやけがさしたのではないか。俺は何十年も前からそうだった。

5月

2日(土)
 6時半すぎに西藤君がきて酒匂ロイヤルに行く。菅野、藤沢で58、56。完全に110オーバーが定着した。剛弘がきて英語をやる。

5日(火)
 7時30分のロマンスカーで酒匂へ行く。白井、小谷、香川で59、54。帰りは松田でのんだ後、車内でまた飲み、東日本橋で剛弘の英語を11時半近くまで見る。

6日(水)
 経済発展論は140人いるが、ヨーロッパは32人と去年の3分の1ぐらい。西欧文化比較論は43人。

7日(木)
 朝、青木さんへ行って終わりにする。10ヶ月やった。10時半にWACの鷹野さんと松木さんがきて、一緒に麹町の大野さんの事務所に行って会計監査をやる。俺はこれで監事を辞めるが、彼は残る。夜は今城さんと飲み、10時半頃帰る。

10日(日)
 6時半前に西藤君がきて東京駅で下山君を拾い、都留カントリーの経遊会に行く。53、56。家には8時半に帰った。優勝は平野、2位中藤、3位白井。

11日(月)
 X−JAPANのhideというロッカーが自殺して7日に葬式。5万人が本願寺にきて、十何人も自殺ないし未遂が出る。若者の心理はわからないが、凄い才能が若い層にあることと、そこが苦しいということは理解できる。学校でサンドイッチを食べ、新宿の大東京火災のビルでWACの理事会に出る。下河辺、降矢、長澤等と俺の最後の理事会だ。3時半に終わった。インドが地下核実験をする。

14日(木)
 夜はパレスホテルで理事長招待のパーティ。

15日(金)
 インドが核実験をやったので世界は騒然。インドネシアでは反スハルトの暴動が広がる。韓国とタイは何とか経済危機に対応しているが、インドネシアはそうは行かないようだ。5時から経企で江崎君の話を聞く。不況は個人消費から雇用へ進んできた。

21日(木)
 スハルトは、猛烈な反対運動で遂に大統領を辞職した。32年独裁というから凄い。夜は下山、海野、菅野でやる。

22日(金)
 明日レントゲンをとるので、一日腸注食というのを食わされる。お粥とスープと下剤だ。

23日(土)
 8時すぎに出て順天堂へ行き、腸のレントゲンをとる。肛門からバリウムを入れ、空気も入れ、上になったり下になったり、横を向いたり、ぐるぐる回しを30分もやられて、腹はパンパンになるしフラフラ。大したことはなさそうだと言われて安心し、10時半頃帰ってきた。

24日(日)
 昼前に道子と出て国際文化会館に行く。古海のおばさんの1周忌で、約20人。3時頃終わって帰る。瓜生の武夫さんの車で送ってもらった。相撲は若乃花が武蔵丸を倒して12−3となり、連続優勝で兄弟横綱になったが、これ以後、協会の売りものはあるのか。

28日(木)
 11時に東京商工会議所ビルのスカイルームで企画協会の理事会総会。俺たちは理事をやめ、常務理事は下山から遠山に、会長は矢野から宮崎勇に替わった。

29日(金)
 4時40分のロマンスカーで延沢へ行く。お袋のところで9時すぎまで飯を食べてビールを飲み、後は照雄と2目で打って負ける。

30日(土)
 8時54分の電車で酒匂ロイヤルへ行く。星野、菅野、藤沢で62と53。5時10分ころ上がり、菅野君の車で送ってもらって、照雄たちと三平で食べる。インドへの対抗でパキスタンが核実験。この広がりは愚劣だが、止めることはできない。

6月

1日(月)
 日興證券がトラベラーズと提携。業務を3分割して事実上傘下に入った。後藤さんがドルを買え買えと言うのを拒否していたら、とうとう140円まで上がってしまった。参ったが、俺は為替投機はやらない。

2日(火)
 7時15分頃出て順天堂に行く。ポリープらしいものがあるので、組織検査をしろと言われた。2時に食糧庁に行って説明を聞く。渡辺五郎さんが検査入院で出られないので、会長の代わりをやることになる。後、今城さんとお茶を飲んだ。

4日(木)
 9時半に九段の公邸に行き、10時から米審。会長代理をやらされて疲れた。議事は、コストプールをやめて市場原理に移行するという諮問で、非常にゆっくりではあるが、改革は進んでいる。4時に大臣に答申し、4時に農水省へ行って記者レク。

5日(金)
 午後は経企の436号室で研究所の40周年記念セミナー。6時頃から霞ヶ関ビルでパーティ。7時すぎに帰る。平年より1週間早く入梅。

8日(月)
 為替はとうとう1ドル140円になってしまったので、短大の「国際事情」では為替市場の話をする。帰ってから市川さんに行く。144と80。

12日(金)
 5時から企画庁。QEが発表になり、97年10−12と98年1−3が連続してマイナス成長。97年度通算でもマイナス0.7%と戦後最悪。しかし俺はそう悲観的には見ない。長い間には色々なことがある。1934−36年から45年までは、日本のGNPは半減した。今の失業率は4%を越え、もっと悪くなるだろうが、戦争中のように命までなくなるわけではない。問題はむしろ、環境のような根本的なことがおろそかにされ、新しい動きが止まることだ。

14日(日)
 W杯のテレビを夜見る。アルゼンチンに1−0で負けたが、日本は中々よくがんばった。株は14000円台、為替は1ドル146円まで落ちる。

15日(月)
 昼飯をユミちゃんと食べる。同僚の平田さんという人もきた。夜は赤坂のルプランスで白井君の叙勲祝い。例によって一杯になる。

18日(木)
 夜は乃木坂クラブで柳川会。20人ほど出席。日米協調介入で為替は135円ほど。日本発世界恐慌とか日本経済は弱い弱いとか、扇情的な報道が多すぎる。バブルの時は天下無敵のようなことを言っていたのに。それでいて、環境や高齢化のために何をやるべきかは誰も言わない。

20日(土)
 暑い。午後、月島まで散歩。大分前から鉄砲州だけでなく住吉神社にもお参りすることにしている。結局最後は運しかないので、神頼みだ。
22日(月)
 2時に日本交通の吉村さんという人がきて、事故の示談金をくれた。総額155万3千円から医療費その他68万を引いて、87万4千円。青木さんに10ヶ月通ったのでこれだけになった。事故以来丁度1年、本当に運が好かった。2度とごめんではあるが、こんな事故も珍しいのではないか。

23日(火)
 昼を京橋会館で香代ちゃんと道子とで食べる。竜太君は慶応をやめたらしいが、もったいない。

25日(木)
 昼は生文研のランチョンで加藤三郎の話を聞く。久しぶりだが、25、6年前と変っていない。環境庁を飛び出し、NGOと環境関係のシンクタンクを作って奮闘する勇気と行動力には敬服する。彼の会に入会することにした。




7月

3日(金)
 4時40分のロマンスカーで延沢へ行く。お袋のところで9時半までテレビを見て、照雄と2目で打って3目負ける。

4日(土)
 10時スタート。白井、谷田部、小谷で53、53。ものすごい暑さで汗が噴出してシャツが白くなってしまった。照雄たちとスカイラークで食べ、7時20分で帰る。

10日(金)
 昼に不在者投票に行く。比例区はさきがけ、個人では困ったが、民主党の小川に入れた。どうせだめだろうが。

12日(日)
 7時のロマンスカーで酒匂ロイヤルに行く。矢田部、楠田、藤沢で50,55。楠田さんに松田まで送ってもらい、4時50分のロマンスカーで帰る。参院選は、自民が改選61議席を守るどころか40台にまでなるという惨敗。東京では小川が当確になり、自民が1人入るかどうか。

13日(月)
 ワールドカップはフランスが3−0でブラジルを破って優勝した。自民党は無所属の蔵替えまで入れても47という惨敗で、首相は今日辞任する。3役も辞任。民主党は24で、どうしてこんなに勝ったのかわからない。さきがけは比例区でも1人もとれず、社民は5。1994年以来の自社さへの国民の審判だ。道子はお墓。夜お迎え火をたく。

14日(火)
 フランス大使館がパリ祭のパーティに招待してくれたので、道子と5時半少し前に行く。

15日(水)
 授業終わり。今日李さんが着いて、京橋会館に泊まる。

16日(木)
 京橋会館で李さんを拾って証券会館へ行き、生文研のランチョンで話してもらう。その後、月刊現代の佐藤さんという人がきてインタービュー。6時すぎに奥さんとうの丸へ行く。昼間は永恵が奥さんを観光バスに乗せた。永恵の家で8時すぎまでお茶を飲む。

17日(金)
 昼飯は京橋会館で4人で食べ、その後我々は企画庁でアジア通貨危機の研究会。研究所長は代わったかりの貞弘君で、交流部長の田町さんが司会をし、李さんが2時から4時まで話してディスカッション。昨日も今日も、中々よかった。その後、李さんは奥さんと歌舞伎へ行く。

19日(日)
 4時40分のロマンスカーで延沢へ行く。お袋のところで野球のテレビを見てから照雄のところで碁を打ち、2目で7目負け。

20日(月)
 9時42分スタート。白井、谷田部、庄野で51,54。5時のバスで帰り、スカイラークで皆と食べ、7時20分で帰る。

22日(水)
 5時から企画庁で月例の説明会。今度は池田君がやる。夜はオールスターのテレビ。4−1でセの勝ち。投手 パ 高村、ウィン、金村、武田、デニー。セ 川上 ミンチー 野口 小林幹 佐々木。HR松井。最高殊勲は新人の川上。

23日(木)
 朝市川さんへ行く。148と88.夜はオールスターを見た。3−3で引き分け。

24日(金)
 2時20分に調布の南口で渡辺寅年と会い、病院のバスで調布病院に行く。後から尾花もきた。大島は車椅子に乗っていたが、元気でしっかりしているのに驚く。記憶がおかしくなっているところはあるしテレビのチャンネルが変えられないというような障害はあるが、ここまで回復したのは奇跡的だ。自民党総裁選は、小渕225、梶山100、小泉80で、小渕が過半数を取った。世論は一斉にブーイングだが、選択肢がこれしかないのでは仕方がなさそうだ。

25日(土)
 一中の荻野に頼まれた「いちはつ会」の会報に「銀座に住む」を書き上げ、夜、永恵のところへ行って印刷する。雨だが、隅田川の花火はある

27日(月)
 暑い。帰ってからトミーへワープロを持っていって修理を頼む。それから試験の採点。

28日(火)
 一昨日、和歌山市の自治会のお祭りで食べたカレーに青酸化合物が入っており、4人死亡、70人も入院するという事件があった。松本サリン事件や地下鉄サリン事件を思わせる無差別殺人だ。

30日(木)
 一日採点をやる。小渕内閣発足。とうとう宮沢さんが大蔵大臣に引っ張り出された。政治家が素人ばかりになり、元総理の大蔵大臣は戦前の高橋是清以来。日本は困ると老人を引っ張り出す。戦時中の米内、鈴木貫太郎や戦後の幣原と同じだ。企画庁長官堺屋太一、郵政野田聖子、文部有馬朗人と宮沢が目玉だが、蔵相は売り物ではない。78という年は問題ではないが、自分で決定する度胸がなく秘書官としての能力だけでやって行く性格が問題だ。オイルショックの時の福田さんのようにやれるか? 

31日(金)
 小渕内閣では与謝野通産、高村外務、大田総務長官の外は大して知っている人はいない。官房長官は野中弘務。

8月

2日(日)
 明日内視鏡検査なので、ウドン、豆腐ゼリー、プリンしか食べない。

3日(月)
 5時に起き、下剤を水にといたものを2リットル飲む。8時半に順天堂へ行き、9時に内視鏡を覗きながらポリープをとる。痛いがこの前よりは短くてすんだ。その後、1時間ばかり寝て家には11時半頃帰る。5時頃交通会館へ行く。旧制二高の連中の絵の展覧会で、下山、海野、菅野と一緒になり、虎ノ門でやる。関東梅雨明け宣言だが雨。

6日(木)
 10時15分前にマリオンへ行く。永恵と子供2人。「ゴジラ」Mathew Broderick, Jean Reno in ”Godzilla”directed by Roland Emerichゴジラというよりジュラシックパークで、とかげの化け物が凄い勢いで飛ぶ。その後道子と5人で松屋で天丼を食べ、剛弘は家へきて英語をやる。俺は5時頃から白線で横山、大島、本多とオープン戦。

11日(火)
 為替レートは147円まで下がり、株は15000円台。長銀の株は37円まで売られて、この状況は一寸やそっとでは直りそうもない。太平洋戦争でいうとガダルカナル戦以後、沖縄戦以前というところか。夕方永恵のところへ麻雀をやりに行った。竜輔がはまっている。道子もきて皆でそばを食べる。

14日(金)
 企画庁で月例の話を聞く。池田君。当分今の経済は上向きそうにない。銀行を二つ三つつぶさなければ本格回復は無理だし、その結果もっと悪化しても日本経済はつぶれたりはしないが、政治家にもジャーナリストにもそれを言える勇気がないのが日本だ。戦争の時と同じだ。

15日(土)
 10時15分のロマンスカーで永恵たちと延沢へ行く。照雄も利子さんも12時半まで働き、昼飯をカーサで食べる。それからボーリングを5ゲームやり、お袋のところへ。俺は辛うじて110を二度マークした。利子さんは140〜150ぐらいを出す。すしを食べて6時半頃までだべり、7時20分のロマンスカーで帰る。

20日(水)
 高校野球の準々決勝をテレビで見たら、横浜とPLが延長17回、9−7で横浜が勝つ。松坂は250インニングを投げきる。昨日までは150も投げており、あと2試合も投げたらつぶれてしまうだろう。

21日(木)
  大陪審でモニカ・ルインスキーとの不倫関係を告白したクリントンは、アフガニスタンとスーダンをミサイル攻撃。ケニア、タンザニアの米大使館爆弾テロへの報復だという。横浜は明徳義塾に6−0とリードされながら8回に4点とり、松坂が9回を抑えた後に3点とって大逆転。永恵のところへ行って3時から5時まで麻雀をやる。

22日(金)
 横浜は京都成章を3−0で破って優勝。松坂はノーヒットノーラン。昭和14年の海草中学の島以来だ。尾崎、江川、桑田もやれなかった怪物ぶり。

26日(土)
 7時のロマンスカーで酒匂へ行く。白井、菅野、小谷で54,57。6時20分のロマンスカーで帰る。

25日(火)
 8時に出て順天堂に行く。ポリープはたいしたことはないが、できやすくなるので来年また検査してくれとのこと。昼はさがみで食べる。谷口、小野、河野、栗田。尾花と赤岩は入院しているそうだ。帰ったら白線クラブから呼び出され、9時半までやった。

28日(金)
 日本の株も14000円を割り、世界全体が迷走を始めた。3時半から企画庁で古川君が経済白書の説明。今年のやつはわかりにくくトーンが暗い。

29日(土)
 白線クラブで東西南北対抗戦。8卓。15000負ける。永恵のところへよって10時まで麻雀。お袋がころんで手首を折り弘章のところへ行っている。電話で照雄に聞いたら、水曜にやり、木曜に見に行ったら腫れがひどいので上病院へ連れて行ってレントゲンで見て、折れていることを発見したそうだ。弘章に知らせたらすぐつれて帰ったと言う。

30日(日)
 お袋に電話する。元気は好いが弘章の家に厄介になるのが苦痛らしく、「長生きしすぎた」と弱音を吐く。

31日(月)
 北朝鮮はミサイルを太平洋まで発射。長銀問題は債権内容を発表しないまま公的資金導入をはかる政府に野党が抵抗し、株価は14000円を切ったまま。アメリカでも7900ドル台に落ち、世紀末的状況は深刻だ。

9月
1日(火)
 アメリカの株は7500ドル台まで暴落。しかし円は139円まで上がり、株も14000円台までもどした。世界同時株安というが、金がもどってくれば日本の株も上がる。

3日(木)
 アカデミーの研究会に出てくれと頼まれたので、6時に東京国際フォーラムに行く。鳥羽欽一郎さんの話で、けっこう面白かった。フォーラムは初めてだが、すごく大きい。

5日(土)
 7時半のロマンスカーで酒匂へ行く。白井、小谷、楠田で55,56。例によって食堂、松田、小田急で飲む。

7日(月)
 守屋さんで薬をもらったが、風邪はだんだんひどくなる。黒澤明がなくなった。88歳。「姿三四郎」以来のファンだった。日本映画の全盛時代を作った人。

9日(水)
 1時から歌舞伎の敬老会に道子と行く。「菊」「二条城の清正」吉右衛門 羽左衛門 梅玉 「身代わりお俊」「良弁杉由来」話は単純だがわかりやすい。

11日(金)
 道子はまた風邪をぶり返した。俺も、ビールスが抜けそうで抜けない。椿山荘へ6時頃行ったが、下山君がいなくてメンバーが成立しなかった。

14日(月)
 4時40分のロマンスカーで延沢へ行く。お袋は結構元気だ。照雄に針をやってもらったのがきいたらしい。8時頃照雄がきてまた針をやる。

15日(火)
 朝雨なのでゴルフをキャンセルし、10時すぎに照雄とお袋のところに行く。後、史明、勇気と4人でスカイラークで食べ、1時20分のロマンスカーで帰る。

17日(木)
 昼は白線クラブ。その後ホテルオークラへ行く。アカデミーがアレキサンダー・ヘイグを呼んで夕食会。もう引退しているので大した話はない。

18日(金)
 道子はいつまでもせきが抜けないし、俺も抜けない。株価は13000円台まで落ちる。長銀の決着が何時までもつかず、何もかもハッキリしない。小渕は何を考えているのか。夜、渋谷寮で白井君の勲章祝いをゴルフ仲間でやる。吉田博、星野、谷田部、藤沢、長瀬、小谷、菅野、川名。家には10時頃帰る。

19日(土)
 東京都から、借地契約の更新をしろと言ってきた。延夫さんに聞いたら、まだ戸塚松平からの切り替えをやっていない。至急何とかしてもらうことにする。これに限らず、この土地をどうするか頭が痛い。4時前にフランス大使公邸に行き、ソテーに会って5時まで話す。

21日(月)
 長銀がどうなるかまたわからなくなって、株価は13600円とバブル後最安値まで落ち込んだ。政府は、「破綻させない、公的資金投入、破綻したら大変」とテープレコーダーのように繰り返すだけで、どうにもならない。

23日(水)
 大井町のお墓へ行き、帰りに松屋でうなぎを食べる。

24日(木)
 お袋は手のギブスもとれたようだ。夜は今城さんと飲み、竹とんぼに行く。

25日(金)
 生文研のランチョン。愛知県の生活学校の太田さんという人で、なかなかよかった。NIRAの研究報告「高齢社会に関する市民フォーラム」がきた。シルバータウンは俺の最後の仕事になり得るものだが、金がなくては実行はできない。どうすれば好いか。

27日(日)
 永恵のところへ行って麻雀を2回やる。相撲は、若乃花が武蔵丸に負けて3敗となり、曙を倒した貴乃花が優勝。連続で20回目。

28日(月)
 ドイツ総選挙で与党が負けてコール首相が退陣。16年の政権だった。日本とはえらい違いだ。銀行問題については与野党の話し合いがどうやらついたようだ。長銀は一時国有化で、何とか少しずづつ行くのではないか。問題はその後だ。

10月

1日(木)
 1時半に永恵と会って日本橋の石原さんという司法書士に会う。戸塚さんの建物の相続の話をしたら、そちらの方が本職だと言う。建物の登記謄本をとってもらう仕事から都有地の契約更新のことまで頼むことにした。

2日(金)
 株価は遂に13000円を割り込み、バブル崩壊後の安値を3日連続で更新。失業率は4.3パーセント。求人求職倍率は0.50と、どこまで落ちるかわからない不況だ。3時半に譲二君と笑ちゃんに話し、石原さんに頼むことにする。

3日(土)
 7時半のロマンスカーで酒匂に行き白井、小谷、楠田で56,58。6時20分で帰る。

4日(日)
 和歌山で知人に保険をかけて砒素をもったという林夫妻が逮捕され、大変な騒ぎだ。

5日(月)
 株価は12000円も危ないし、昔で言えば昭和19年末の状況になってきた。1万円を割れば沖縄戦だ。今度は米軍がくるわけでないので、底がわからない。

8日(木)
 2時半すぎに譲二君と石原事務所へ行く。戸塚さんの遺言書というのを見たが、平成3年に延夫さんが書かせたもので、確かに問題はあるが、とにかく弟2人との合意をとりつけて新しい公正証書なり覚書なりを作らなければ相続登記ができないことがわかった。

9日(金)
 夜、市谷グランドヒルで舶成会。湊、謝敷、千葉、下河等に会う。8時すぎに帰った。

10日(土)
 3時40分のロマンスカーで延沢に行く。お袋は照雄が月曜に見て火曜に上病院へつれて行き、CTスキャンをすると言う。その後、照雄と2目で打ち、負ける。

11日(日)
 経企酒匂会。3組しかできない。59,68で危うくブービーを免れた。優勝は吉田博で、2位は76才の楠田。俺はスカイラークで4人と食べ、7時20分で帰る。

12日(月)
 プロ野球は全部終わり、松井が本塁打と打点、鈴木尚が首位打者。最多勝は川崎17.パではイチローが5年連続首位打者で、ウィルソンが本塁打と打点の連続2冠。最多勝は西口、武田、黒木の13。セーブ王は佐々木と大塚。

15日(木)
 11時から歌舞伎へ行く。「業平吾妻鑑」染五郎 「双喋々曲輪日記・引窓」鴈治郎 団十郎。これは初めて見たが、中々面白い。「お夏狂乱」雀右衛門 幸四郎。「極付播髄長兵衛」団十郎の長兵衛(初役)に幸四郎の水野。まあまあだ。

18日(日)
 夏服の片付けと冬服の取り出し。夜はテレビで日本シリーズを見る。9−4で横浜が勝つ。(投)横 野村 阿波野 佐々木。 西 西口 竹下 森 杉山 デニー 橋本 HR 高木大 西口と森がこんなに打たれるのはシーズン初めと同じだ。
 
19日(月)
 夜は日本シリーズのテレビを見る。4−0で横浜が連勝。投手は横浜が斉藤隆の3安打完封。西武は豊田、竹下、石井貴、杉山、橋本。

22日(木)
 夜は日本シリーズのテレビ。7−2で西武が勝つ。(投)横 三浦 福森 戸叶 関口 横山 西 潮崎 橋本 デニー 竹下 西崎 HR 谷繁 

23日(金)
  8時10分の京浜快特で上大岡の海外造船協力センターへ行く。9時半から昼食をはさんで4時までやった。最後の1時間は質問。帰ってから日本シリーズのテレビを見る。4−2で西武。(投)横 野村 島田 阿波野 横山 西 石井貴 橋本 西崎 HR 中島 鈴木尚 マルチネス 
 
24日(土)
 長期信用銀行はついに公的管理下におかれて一時国有化されることになり、株価はゼロになった。日本の金融システムは泥沼の中に入り、いつになったら出られるのかわからない。夜は日本シリーズ。17−5で横浜。(投)横 斉藤隆 五十嵐 佐々木 西 横田 森 竹下 新谷。

25日(日)
 6時10分に出て新宿ハルク前の高速バスに乗る。7時発で9時に仙石ゴルフ場に着いた。自閑会だが、徳永、赤沢、宮崎仁さんはこなかった。俺は白井、小林淳、牛嶋と回り、53,55。帰りは白井君の車に牛島君と同乗させてもらい、向ヶ丘遊園で降りる。箱根がひどくこみ、家に着いたのは10時前。

26日(月)
 午後食糧庁へ行って説明を聞く。夜は日本シリーズのテレビ。2−1で横浜の勝ち。西口はよく投げたが西武はチャンスに打てず、川村を8回まで保たせてしまった。発表のあてはないが、長期波動論にもとづいて現在の危機を分析し、政策を提言する英語のペーパーを書き始める。同じようなものは3年前に書いて、あちこちに出したがだめだった。それでも危機はいよいよ本物になったので、何としても俺のメッセージを伝えたい。日本のマスコミは駄目なので外国が頼みだ。見込みはほとんどないが、それでも書く。

27日(火)
 生文研の昼食会で糠谷君の話を聞く。夜は白線クラブでやり、72000も勝った。

30日(金)
 夜は倉林、多田、轟さんとレ・シューへ行く。日興リサーチは年内にトラベラースグループに入ったゴールドマンサックスに吸収され、彼女たちもどうなるかわからない。えらいことになった。日本全体が沈没しそうになっている。

31日(土)
 朝10時半から日本青年館でアカデミーの理事会。午後は講演とシンポジウム。夜は会食。文鮮明さんの訪日問題は難しい。

11月

1日(日)
 夜になってワープロがダウン。年賀状の郵便番号が変わったこともあり、修理してもまた駄目になりそうなので、買わねばなるまい。参る。

5日(木)
 朝、床屋へ行く。トミーの早原さんがワープロのカタログを持ってきたが、LXIC300というのは32メガバイト。郵便番号7桁変換が一発でできるという。永恵に去年買ったLX14300は数百キロバイトというから100倍の能力だ。10万一寸だというので、買うことにする。3時に農林省へ行き、米審の説明を受ける。
 
6日(金)
 10時に九段下の農林分室に行き、米審。米の買い入れ価格と売り渡し価格をやる。900万トンの内30万トンを買うだけなので、ほとんど問題はない。17パーセントと1.04パーセント値下げ。5時前に諮問通りの答申を出して終わりにする。

8日(日)
 6時45分に西藤君の車がきて都留カントリーの経遊会へ行く。大来、田中章介、宮本と回り50と57.大来が優勝し2位平野。帰りは5時前に出て8時15分に着いた。

10日(火)
 4時からは企画庁で月例。池田君。銀行に60兆円もの公的資金を投入するというが、わからない。

19日(木)
 12時半に信濃町の千日谷会堂で浅野献一の告別式があるので行った。東大、新潟、医科歯科大、JR中央病院長と歩き、大変に立派な葬式だった。一中卒業以来ほとんどあったことはないが、映画が好きでよく話が合った。肝臓がんで1年苦しんだそうだ。彼は仕事を終わって去った。俺はこれからだが、身体はとにかく社会がそれを許してくれるかどうか。夜は歌舞伎に行く。「鬼一法眼菊畑」団十郎 富十郎 芝観。これはあまり面白い芝居ではない。「暗闇の丑松」菊五郎 福助。長谷川伸の戯曲だが、中々見せる。今見ても古くない。「三人形」菊之助 新之助 辰之助。踊りは、若いのがやっぱり綺麗でいい。

21日(土)
 4時40分のロマンスカーで延沢に行く。お袋は元気で、腰の具合はいいようだ。9時に照雄のところへ行って2目で勝つ。寒い。

22日(日)
 酒匂で10時スタート。白井、菅野、小谷で、57と49.スカイラークで食べ、7時20分で帰る。

25日(水)
 シラバスを作れと言ってこないので心配して教務で聞いたら、やっぱり来年はもうなしだと言う。何も話はなしで、73まで雇うという初めの約束はその通りだというのだから頭にくるが、仕方がない。孫に講義できないのは残念だが、雇われ者としてはやむを得ない。問題はお金だ。来年から1年に400万ずつ足りないと、預金だけでは3年でなくなる。まだドライバーは飛ぶし、麻雀は強くなったし、英語のペーパーも書けるが、それを元手に俺のしぶとさが発揮できるだろうか。

26日(木)
 ペーパーをがんばって仕上げ、ケンブリッジのベス・モーガンあてに出す。あまり大して期待はしていないが、俺としては今までの蓄積と考えをフルに出したものだ。夜は久しぶりに虎ノ門でやる。下山、海野、菅野。ひどくつがず、やられた。

28日(土)
 1時半から労働スクエアの「環境と文明を考える会」の全国大会に行く。出席は7〜80人か。環境研究所の西岡さんという人が初めにやり、それから分科会。俺はロールプレーイングゲームというのをやらされた。20人ぐらいで、けっこう面白かった。後でパーティがあり、7時すぎに帰ってワープロをやる。

30日(月)
 5時すぎに起き、6時13分羽田空港行きの地下鉄に乗る。飛行機は9時半ころ出て12時ちょっとすぎに台北に着いた。時差1時間。鳥羽、一松等7人だが、片倉もとこさんがいるのに驚いた。NIRAの旅行でパリに行って以来10何年ぶりだ。バスで、3時すぎにAsia World Plaza に入る。純代に借りたグリシャムの「評決のとき」を読む。

12月

1日(火)
 9時半頃から全体会議。昼飯後、二つに分かれて分科会。俺は第一と第三に出る。教育問題だから余りピンとこない。特に第一は価値の問題で抽象的にすぎる。第三では、長期戦略目標の必要を説く。この間のペーパーが役に立った。夕飯は鳥羽さんのお供できた永谷さんといっしょになった。旦那さんが俺と一中の同級生らしい。

2日(水)
 朝9時から第5分科会というのがあって、午後は第6。これはAsia University Federation (AUF) という鮮文大学中心のネットワークをつくろうというものらしい。俺はよくわからなかったが、今度の会議の狙いはそれらしい。宣言を採択し、最後は各分科会の議長が報告をやって終わり。夜は、クローズセレモニーで飯の時に京劇のチャンバラの余興。各国代表が歌をやり、7時半に散会する。

3日(木)
 9時すぎにバスで観光に出かける。故宮博物館は、前にきたのは10以上昔で、あの時はKALがソ連の戦闘機に撃墜されて大変な騒ぎだった。あの時の細かい象牙細工は展示されてなかったが、すごいものであることは確かだ。12時に飯を食べ、淡江大学へ行く。ここの図書館は完全に情報化されていて凄い。日本では慶応の藤沢キャンパスがそうらしいが、他の大学はどうだろうか。東洋学園などはパソコン端末が学生に行き渡ったぐらいで原始的。俺などはもっとひどく、やっとこれから佐藤君に頼んでeメールをやらしてもらおうかというところだ。それから海事博物館を見て、副学長の話を聞く。その後、淡水オックスフォードカレッジへ行く。飯はベランダで食べ、ホテルには8時半頃帰った。

4日(金)
 11時半にバスが出て飛行場へ行く。2時半發で羽田着は6時半。時差があるので実質は3時間ちょっとだ。家には7時40分頃着いた。

9日(水)
 自民党は自由党との連立で延命しそうだ。自社さ連立以来、政治は悪くなる一方だと思うが、どういうことになるのか。大学では部屋の中を整理し、本を持って帰る一方で、図書館に引き渡して処分を頼む。

10日(木)
 昼飯を香代ちゃんと3人で、京橋会館で食べる。9時半に農林省へ行って明日の米審の説明を聞き、それから霞友会館のOECD東京センター25周年記念パーティに出る。会場にはOECDの報告書の日本語訳が並べてあり、「21世紀の街づくり」もあった。

11日(金)
 朝10時前に分室へ行き、麦の政府売り渡し価格の米審。3.2パーセント引き下げで問題はない。完全政府管理から市場化への方向もまずまずだ。農林省も結構やると思う。3時前に答申案を決定し、いったん家へ帰ってから学士会館へ出直す。宮崎勇さんの勲一等叙勲祝いのパーティ。結構盛会ではあったが、下河辺、喜多村、宍戸駿太郎、金森といったところはこなかった。

12日(土)
 2時からアカデミーの研究会。道徳教育の問題で、加藤、井上、一松、滝本、小金に鈴木博雄、長谷川義援。5時までやる。後はスティーブン・キングの「ニードフル・シングス」を読む。純代から借りたが面白い。人間は本当に欲しいものを正当な代価を払わないで手に入れたがるが、それには結局代価を伴うという主題は教訓的だ。

13日(日)
 芝増上寺の青木慎三さんの葬儀に行く。76だったが、肺がんだったそうだ。田中誠一郎が初めに弔辞を読む。下河辺さんの隣にすわった。企画庁では糠谷、塩谷、谷村、井川、小島といった次官クラスの外、長瀬君等局長級がたくさんきた。彼が次官を辞めたのは俺が生活局長になった昭和54年で、好い男ではあった。

14日(月)
 午後、建ちゃんがきた。絵の展覧会の後、久埜の正ちゃんのお通夜に行く。昭和2年生まれだから71だ。2時半から佐藤君のところへ行ってこれから先のことを話す。彼は生文研の会員を2〜30増やすことを考えて動いているようだ。俺はeメールとホームページのことを頼む。パソコンの操作は簡単ではないらしいが、英語、フランス語、車の運転などのことを考えれば、できないことはあるまい。古い本を整理し、段ボール箱三つを東洋学園に送る。新聞 120 寄付 3000
 
17日(木)
 1時半にサンフロンティアという会社の人がきて、この土地を買おうと言う。よく調べており、譲二君も乗り気のようなので、恐らく売ることになるだろう。都との契約の切り替え時でもあり、タイミングは好い。この土地は借地権が1億1千万。底地が2千万で、約1億3千万という見積もりだ、その半分として6千万ぐらいにはなるだろう。都がいくらで払い下げるかはわからぬが、3千万とすれば1500万は必要で、差し引き4000万ぐらいになれば、家賃月15万ぐらいのマンションは買えるのではないか。

20日(日)
 6時30分すぎに出て7時半のロマンスカーで酒匂へ行く。白井、小谷、菅野で52と55。帰りは新松田6時20分のロマンスカーで、いつものように3人と飲む。

23日(水)
 11時40分に三原橋のシネパトスに行ったらもう行列。永恵、純代、竜輔とバラバラでやっとすわれた。「ムトゥ・踊るマハラジャ」評判の高いインド映画だが、ここしかやっていない。歌と踊りと活劇で、昭和30年代の東映映画を思わせるが、よくできている。その後道子もきて、三越でお茶と食事。

25日(金)
 昼は相模で食べる。いつものメンバーの外に野崎、菊池、飯田、赤岩が加わって11人。尾花は脳溢血で3月前に入院しているそうだ。

27日(日)
 失業率は4.4パーセントと史上最悪、求人休職比率も0.49と0.5を割り、昭和5年以来の不況となる。97,98年のマイナス成長は確定し、99年はやたらに赤字をばらまいてプラスにしようとしているが、財政赤字はGDPの10パーセントに達するのに、景気回復の兆しはない。

30日(水)
 午後、東日本橋へ行って麻雀をやり、後から道子もきてそばを食べる。剛弘と竜輔の勉強を見た。

31日(水)
 11時半まで寝てしまった。夕方から永恵のところへ行って麻雀。8時に帰って飯を食べ、紅白を見る。