1942年(昭和17年)(府立1中5年生)17才

 新年の言葉
 今年こそは我が国の非常時、我が家の非常時、そして我が身の非常時である。即ち、大東亜戦争、親父の拘引、僕の入試だ。実に未曾有の超非常時である。僕としては先ず入試突破を第一の目的として突進すべきである。断じて入らなければならない。

1月

1日(木)
 朝刊にハワイのパール軍港爆撃の写真が出ている。実に凄い。お汁粉をこしらえて皆で飲む。お父さんは刑務所でのお正月で、気の毒。

2日(金)
 4時頃森さんへ行く。山下のおばあさん、文雄さん夫婦、松村さん一家4人がきて賑やかである。晩飯を食べる。結局は花と麻雀になり、僕は佐藤紅緑の「富士に題す」を読む。11時過ぎに帰る。

4日(日)
 シネマ銀座へ行く。「我等の仲間」Jean Gabin,Charles Vanel dans"La belle equipe" realisation de Julien Duviver 好い映画だ。しかし画面の余りの美しさと楽しさがその悲惨な凄味を相殺してしまっているのは惜しい。部分的にはどこも実にすばらしい。孝さん(父方の従兄弟、小金孝)がやってきた。仙台の飛行学校の助教に就職することがきまっている。相変わらず真正直で面白い。戦争には余り出たくないと本音を吐いた。

17日(土)
 シネマ銀座へ行く。「商船テナシチー」Albert Pregean, Marie Glory,Hubert Preliet dans "La paquebot Tenacity" realisation de Julien Duviver デュヴィヴェの傑作。彼としては珍しい叙情的な映画だ。武ちゃん(母の弟、山下武利、大蔵省勤務)と永山さん(永山時雄、後の通産省官房長)さんが来る。親父は、引っ張られた日に金を取ったと自供したそうだ。どうも驚くべきことである。そんなに簡単に吐くということがあるだろうか。やはり何か事情があるのか。実にこの事件は奇々怪々である。

21日(水)
 文雄のおじさん(母の兄、山下文雄、三井物産勤務)は昨日出発した。バンコックあたりでシンガポールの占領が終わるのを待ち、それからシンガポールで働くのだそうだ。皆、凄く張り切っている。小豆を食べ11時前に寝る。

2月
1日(日)
 銀座全線座へ行く。「禁男の家」Danielle Darrieux, Valantine Tessier dans "Club de femmes" realisation de Jacques Deval ずっと昔に見た映画。ダリュウを初めて見て綺麗な女がいるものだなあと思ったが、実に好い映画だった。

13日(金)
 帰りに吉川英治「三国志」を買って読む。巻7に至っていよいよ孔明の出場となり、実に面白い。支那大陸そのままのごとく豪壮雄大でつかみどころがなく、日本のコセコセした小市民的な生活などどこにもない。しかも、玄徳が負けても負けても人を引きずって行くところに、また支那の面目躍如として学ぶところが多い。蒋介石なども、見ようによっては劉備的な名将だと言えると思う。

14日(土)
 昼から渋谷松竹へ行く。「元禄忠臣蔵」前進座、三浦光子、高峰三枝子 溝口健二監督 従来の型を全然打ち破っている。殊に討ち入りをすっとばしたところなどはさすがである。しかし非常に演劇的だ。12時40分まで英作文をやり、1時に寝る。

16日(月)
 シンガポール遂に陥落。難攻不落の大要塞が2週間で落ちた。陸軍の総司令官は寺内さんと発表された。マレーは山下奉文中将である。

19日(木)
 武蔵野館へ行く。「プラーグの大学生」 "Der Student des Prag" Adolf Aoflbruck, Dorothea Wieck regie: Arthur Robinson 小学校6年ぐらいの時に評判だった映画だ。中々好いと思った。「日本ニュース」は、落下傘部隊、ジャワ沖海戦、シンガポール陥落などがあって、今までの中で最も見応えがあった。

20日(金)
 成績表をもらう。平均2等。学級8番。学年39番。10年1日のごとき成績を以て4年を終了した。1科目3日ずつかける予定だったが、国語は1日ですますことにする。あと8日ある。実にのんきだ。こんな調子で志願者1800人(200人しか取らない)の1高文科を受けようとは虫が好いというのもおろかだが、人生は測りがたい。

3月

1日(日)
 8時半頃1高に着いた。9ー11時に英語。柳下、河原、土井と昼飯を食う。何しろ3500人ほどきている。壮観である。1ー4時に国漢文作。英語もこれも素直な問題でやさしいが、それだけに見当が着かない。皇軍遂にジャワに上陸。

2日(月)
 物理は間違った。歴史も欠くべからざるところを落としてしまった。俺も上がっていたのか。ああもうだめだ。やけになって新宿の文化ニュースまで行った。「女だけの都」Francoise Rosey,Jean Murat, Louis Jouvet dans "La Kermesse Heroique" realization de Jacques Fayder トーキー芸術の極致を思わせる。その深さと広さは、「地の果てを行く」のデュヴィヴェの力、「自由を我等に」のクレールの軽妙さをしのいでいる。

3日(火)
 2時過ぎからお母さんと道玄坂映画劇場へ行く。「撃滅戦記」「朝やけ」"Morgenrot" Rudolf Forster regie: Gustav Ucicky ずっと昔に見た潜水艦ものだが、余り感心しない。帰りにモリエールの「ドン・ジュアン」を買って読む。実に辛辣に偽善者と宗教を罵倒している。

4日(水)
 卒業式。夜澄造さんがきた。澄造さんの話によると、親父は料理屋の払いを大谷さん(大谷米太郎、大谷重工業社長、後のホテルニューオータニ等の創業者)にしてもらったことがあり、後でお返しをしたが、それはどうにも仕方がないと思っているらしい。表面はいかにも奇怪千万な複雑な事件だが、案外真相は簡単なのではないか。ただ、阿部という商工省の課長は余程の悪党らしい。親父は阿部さんのことで随分つつかれているらしい。

5日(木)
 4時に新橋演舞場へ行く。前進座だ。おばあさんのおごりである。「若き日の山陽」「野の声」「元禄忠臣蔵」伏見撞木町 さすがに立派だった。

6日(金)
 「絶対の探究」を読み終わった。初めの方は中々気が進まなかったが、物語が発展して行くにつれて、その猛烈な筆勢にぐいぐいと引きずられて夢中になってしまう。バルザックは初めて読んだがさすがに素晴らしい。昼過ぎから新宿の太陽座へ行く。「戦艦エムデン」"Kreuzer Emden" 恐ろしく平面的だ。皇軍ジャワを席巻、バタビヤを占領する。

9日(月)
 日劇の5階の小劇場へ行く。「白き処女地」Madeleine Renaud, Jean Gabin, Jean-Pierre Aumont dans "Maria Chapdeleine" realisation de Julien Duviver カナダの風景を実に活き活きと描き出し、マドレーヌ・ルノーの好演技によって引き立っている。"Quo Vadis?"を英語で読む。割に読みやすい。

10日(火)
 全蘭印が日本に下った。これで、ABCD包囲網は切れるどころか粉々になってしまった。シネマ銀座へ行く。「おもかげ」"Capsa Diva" Martha Eggerth, Sandra Parmieri イタリーの音楽映画。音楽は実に素晴らしかったが、物語の甘さと途中でプツンプツン切れるのには閉口した。10回も切れただろうか。

11日(水)
 2時半頃1高へ第1次の発表を見に行く。見事に落っこちていた。もちろんそんなことは試験が終わった時に判っていたはずだが、それにしてもさすがに、暫くはその紙を眺めて突っ立っていた。どうにも仕様がない。もう1年この生活を続けるのはたまらないが、4年で入った方が好かったか悪かったかは、判ったものではない

14日(土)
 2時15分の電車で延沢から帰る。世界文学全集を2冊持って帰った。シュニッツラー、ハウプトマン、メーテルリンク。シュニッツラーの「恋愛三味」が一番好きだ。

15日(日)
 武ちゃんに渋谷日活をおごってもらった。「将軍と参謀と兵」板東妻三郎、中田弘二、田口哲監督。かなり長いので相当くたびれるが、とにかく戦争というものをこれだけ立体的に描き出したのは初めてだろう。

18日(水)
 康宏の小憎らしくなってきたことは驚くばかりだ。これが2年たたない赤ん坊とは思われない。犬にハーモニカを吹かせようと努力するところなどは愉快だ。とにかくあいつを見ていると1日中笑っている。

20日(金)
 三谷町へ行き、和子さんのお供で宇多川町の美都子さんの家へ行った。初めてである。松村さんのおばさんがいらっしゃった。和子さんに東横グリルで食べさしてもらった。味はそんなに落ちてない。和子さんは丸々と肥りおなかを大きくしている。東横映画劇場へ入る。「若い先生」原節子

21日(土)
 “Quo Vadis?" を遂に読み終わった。12日かかった。1日平均40ページ。康宏をつれて散歩。この頃は石炭不足で風呂に中々入れない。

22日(日)
 ツルゲーネフの「父と子」を読む。

24日(火)
 峠のおばさん、山下のおばあさん、森のおばさんと「3人姉妹」がそろってきた。昨日まで熱海でものを買いあさっていたのである。蜂蜜、草餅、メリケン粉、きび餅などを一杯持ってきてくれた。午後武蔵野館へ行く。「未完成交響楽」"Leise Flehen meine Lieder"Hans Jaray, Martha Eggerth regie: Willi Forst もちろん2度目だが、音楽映画中の絶品。夜永山さんがきて色々話して9時に帰った。

26日(木)
 昼に光音座に行く。「罪と罰」Pierre Blanchard, Harry Baur,Madeleine Ozeray dans "Crime et Chantiment" dealisation de Pierre Chenal 長編小説の映画化としてこれほどの傑作は初めて見た。俳優は完璧のできに近い。夜アコーディオンをやる。

27日(金)
 銀座全線座へ行く。「蒼きドナウの流れ」"Le Danube Blue" 「ワルツ合戦」"Walzer-Krieg" Willy Fritch, Adolf Wohlbruck, Renarthe Muller ワルツをふんだんに聞かせるウファ得意のオペレッタ。実に楽しかった。

30日(月)
 光音座へ行く。「巨人ゴーレム」Harry Baur dans "le Golem" realisation de Julien Duviver デュヴィヴェとしては珍しくつっこみ方が浅く、いたずらに結末を急いだ感がある。出てから文化ニュースに入る。サイレントをやっていた。徳川夢声の漫談は面白い。「エルドラドー」"Eldorado" マルセル・レルビエというので見たのだが、恐ろしく安っぽいメロドラマだ。帰りにショーの「カンディダ、ウォーレン夫人の職業」を買って読む。


4月

1日(水)
 4年甲組へ入る。小林、三輪等と一緒だ。竹本、土井、河原は1高へ入った。4年から19人だという。全部で61人が高等学校へ行った。あと1年やるのはいやになる。休みの間に小北さんが死んだそうだ。1中名物がまた一人減った。「モリエール傑作集」「ヴェニスの商人」、筈見恒夫の「映画と民族」を買う。

2日(木)
 東横映画劇場へ行く。「父ありき」笠智衆 佐野周二 水戸光子 佐分利信。小津安二郎監督。小津のものは初めてだが、これこそ純粋の日本芸術だと思った。

3日(金)
 新宿文化ニュースへ行く。「にんじん」 Robert Lynan, Harry Baur dans "Poil de Carrotte" realisation de Julien Duviver 戯曲になったものしか読んでいないが、映画は戯曲よりも一段と身に迫るものがある。夜は「ヴェニスの商人」や「お気に召すまま」を引っ繰り返して見る。

4日(土)
 学校では色々改革をやった。毎朝校長に敬礼するなどはデモクラシーの廃止だが、その代わりに出席簿を生徒に管理させたり、合同体操と昼の時間だけは校庭に整列させるが後の休み時間は自由にしたところなどは、自由主義の復活である。将来国民の上に立つ者に画一主義の教育を施して皆同じような人間にしてしまうのはどうかと思っていたから、成否はとにかく中々味をやると思った。帰ってから東宝4階劇場へ行く。「パンドラの箱」"The Box of Pandora" Louise Brooks, Fritz Kortner G.W.Pabst パブストの傑作。実際深刻だった。

12日(日)
 6時起床。7時半に秋葉原へ集合。凸版印刷株式会社で勤労奉仕。僕は公債の最後の仕上げの記名刷りの校正係だ。柳下と組んだ。柳下が活字を拾い、もう一人の人が印刷し、それを調べて番号を言い、今度は柳下に次の名前を読み上げる。これがグルグル休みなしだ。8時から4時半まで。疲れる。(以後20日まで勤労奉仕)

18日(土)
 昼に外で話をしていたら、突然高射砲が鳴りだした。驚く間もなく空襲警報。僕達が部屋に入ると、その時はもう敵機が上空を飛び去ったという。僕はほんの一寸でとうとう見損なってしまった。市内の数カ所に爆弾と焼夷弾が投下され、火の手が上がった。初めての爆弾の洗礼。皆相当興奮した。何しろサイレンが鳴った時はもう上空にいたのである。実に不思議だ。余程高いところを飛んだのだろう。しかし白昼実に大胆な巧妙な戦法だった。アメリカ人をバカにするのは間違っている。家へ帰ると、昼間敵の飛行機を見たという話を聞かされて残念である。ノースアメリカンA40A双発爆撃機を確認したそうだ。

20日(月)
 2時半頃作業止め。8日間柳下と瀬味さんという菓子屋さんと、3人よく気を合わせて働いた。工場を見学し、式をすませて4時前に凸版会社を出る。まあ僕にしては初めての労働らしい労働だった。

21日(火)
 学校では、空襲について議論が沸騰している。3隻の航空母艦がきたと発表されたが、陸軍の双発爆撃機を積んでくるのはおかしいと言って、柳下はあくまで母艦ではないと頑張る。母艦は飛行機を出さないで帰ったので、飛行機は支那からきたのだと言う。小林は、昨日は空母否定説だったが、今は迷っている。僕は、どっちかと言えば、母艦からきて支那へ抜けたという方がとるが。

26日(日)
 遺族の有楽座招待に、森のおばさん、卓ちゃん、禎子ちゃんと行く。11時に始まる。ロッパ。「花の富くじ」「ロッパの音楽手帳」「新婚歌日記」3時頃帰り、芥川の「侏儒の言葉」を借りて読む。憐れむべき小市民。今生きていたら何と言うだろう。しかしその筆には全く引きつけられてしまう。やはり彼は偉い。終わりの方などは、小悪魔たらんとしてなり得なかった彼の人間性をよく表している。孝さんが泊まって行った。

5月

3日(日)
 馬をやることにして、卓ちゃんが教えてくれた渋谷の井上乗馬クラブというのへ行った。雨なので今日は乗るのを止めて三谷町へ行く。武ちゃんも和子さんもいる。本を読んだりレコードを聞いたりし、晩ご飯まで御馳走になった。

6日(水)
 サッカレーの「虚栄の市」を1巻から5巻まで買う。実に面白い。

8日(金)
 遂にコレヒドールが落ちた。開戦以来5カ月。

9日(土)
 谷崎潤一郎の「盲目物語」を買って読む。恐るべき傑作だ。昨日の発表で、わが海軍が6日珊瑚海で航空母艦2隻(サラトガ、ヨークタウン)を撃沈。戦艦2隻(カリフォルニア、ウォースパイト)を撃沈大破したことがわかった。正にハワイ、マレー沖と並ぶべき大戦果である。後、巡洋艦1隻を大破し敵機80を落としたことが追加されたが、わが軍も小型航空母艦(給油艦改造という)を失い、30機を失ったことが発表された。今度は敵も少しがんばったらしい。

31日(日)
 7時に起きて8時に乗馬クラブへ行く。ようやく9時過ぎになって馬が出てきた。僕は3番目に乗った。乗り方はすぐできたが、馬が動かないことは奇妙だ。いくら蹴飛ばしても動かない。主人が号令をかけるとトットと走るんだからしゃくだ。速歩で走ると、ごとんごとんと飛び上がって尻も痛いし、もももつれる。のどもカラカラになった。余り爽快とは言えないが好い運動である。代金は1時間2円。

6月

1日(月)
 いったん学校へより銃と剣を持って8時半に品川へ集合。汽車は貸切りで9時半頃出る。外に2、3の学校が乗った。12時ちょっと過ぎに御殿場へ着き、板妻の廠舎まで歩いて1時間。恐ろしいほこり。棟がいくつも並んでいてその一つが1中の宿舎だが、板の上にアンペラが敷いてあるだけである。殊に凄いのは食堂で、殆ど光が入らない。夜は毛布が5枚だが、板の上に寝るようなものだ。9時消灯だが10時半に非常呼集をやられた。大体予期していたので、僕などはゲートルをつけたまま寝ていたし、月夜なので僕達の班が一番先に集まった。

2日(火)
 5時起床。5時半点呼。軍人勅諭の奉読をやるが、全部読むのだから全く参る。7時頃からいよいよ教練が始まる。恐ろしく広い裾野。富士山は実に素晴らしい。しかし、戦闘教練が始まるとたまらない。突撃だ、早駆けですっとんで行って伏せる、撃つ(ただし音はしない)。丘のかげを廻って飛びだす、また伏せる、溝を飛び越える、手榴弾を投げる―これは空気。そして猛然と突っ込む。これを2回やると、心身ともに綿のように疲れてしまう。小林などは、今朝飯を少ししか食べなかったのが睡眠不足とともにたたって真っ青な顔になり、殺してくれと絶叫。僕も全く死んだ方がましだと思った。実に昼までの時間は長かった。飯は全くまずい。午後は勤労奉仕で土掘り、これはラクだった。夜は歩哨と斥候の動作。歩哨をやっている間は好かったが、夜襲になると真っ暗なところをテクテク歩く。恐ろしく凸凹があるので殆ど絶え間なく凹地に落ちる。全神経を足に集中したのと凄く眠いので、苦しさは昼間に劣らなかった。山本の隊だったが、カリ公の部隊に夜襲をかけた。宿舎へ帰ったのは11時過ぎ。消灯は12時だ。

3日(水)
 全身が恐ろしく痛い。板の寝床と過労のせいだ。食堂の暗さと飯のまずさで腹が減らない。朝は分隊教練。午後は小隊戦闘教練。今日は空砲が撃てる。タマを2発ずつもらったが、1発しか撃てなかった。時間が終わり、朝の内2時間近くも使って仲間の落とした剣身をさがしたが、これは実につらかった。一人が失敗すると皆に迷惑がかかる。糖分欠乏で皆酒保へ殺到するが中々買えない。余りうまくもない。夜は小隊の夜間戦闘。高原の夜は恐ろしく寒い。鼻をつままれても判らない。闇夜に冷え冷えとした大地の草の上に腹這いになる。完全に腹を冷やしてしまった。歩き廻るのもつらいが、この寒風にさらされてシャツと夏服1枚でじっとしているのもたまらなかった。幸いに戦闘まで行かず、警戒だけで11時頃には宿舎に帰れた。11時半消灯。

4日(木)
 朝から猛烈な雨。銃の手入れをやり、11時頃出発。病人が続出したが、今朝も3人出てバスで先に駅まで行った。考えれば実際苦難の連続だった。ただ苦しかった。おまけに最後に雨中行軍ときたから全く世話はない。薄着なので骨までしみとおった。12時50分頃汽車が出る。3時半に品川に着いた時は全くホッとした。学校では、明日授業があるというのだからたまらない。それにしても、今度だけは、兵隊の苦労というものがしみじみ判ったような気がする。その苦しみを身をもって体験したということは、従来の観念的な理解・同情・感謝とは根本的に違う。もう一つの収穫は、あの美しい富士山の姿を思う存分見ることができたことだ。5時過ぎに家へ帰り、3時間前後不覚に眠る。

5日(金)
 くたくたになってとても柔道はできないので見学した。乙組の奴などは15人も休んだ。しかし、案外つかれないで元気一杯の奴もいるので驚いた。日本海軍はマダガスカルを襲って、クィーン・エリザベスと軽巡洋艦を撃沈。また特殊潜航艇がシドニーを襲撃して1隻を沈めた。

6日(土)
 帰ってから東横映画劇場へ行く。「母子草」風見章子、滝花久子、葉山正雄、小杉勇 田坂具隆監督。非常に美しく、人の心を清らかにする映画だ。

7日(日)
 7時一寸過ぎに起きて乗馬クラブへ行く。どうも相変わらずである。この前は主人が号令をかけてくれたから動いたが、今日はビクとも動かない。動いたかと思うと同じところをグルグル廻ったりする。

10日(水)
 またまた戦果が発表された。海軍は陸軍と協力してアリューシャンのダッチハーバーを攻撃し、各要地を占領し、戦果を広げている。もう一つは、ミッドウェイ島を急襲して敵航空母艦2隻(エンタープライズ、ホーネット)を撃沈したが、これは、我が軍も空母1隻を失い1隻大破。巡洋艦1隻大破だ。敵も頑強に抵抗し、こちらも強引に攻撃したのだろう。平出大佐がラジオで「肉を切らして骨を切る」、また「1対1の相討ちでもかまわないつもりで行った」とうまいことを言った。実際その通りで、もう相討ちをやっても大丈夫だ。一つでも敵を減らせば好い。アメリカの母艦はもう2隻(ワスプ、ホーネット)しかない。お握りを食べて10時半に寝る。

14日(日)
 三谷町へ行く。和子さんはすごいおなかをしていた。レコードを聞かせてもらう。中々好いのがたくさんあるが、僕にはまだベートーベンなどは判らない。2時半頃森さんへ行こうと武ちゃんが言うので一緒に行った。今度隣へ引っ越したが、中々立派な家である。イカの天麩羅でご飯の後、禎子ちゃんを入れて3人で山下さんへ行く。

24日(水)
 いよいよお父さんが、5時半頃自動車で帰ってきた。丁度半年だ。それほどやせてもいないが、顔の色は白くなった。牢屋は3畳で壁はコンクリートだそうだ。窓が一つしかないので夏はたまらない。調べもしないでただ6カ月以上もぶちこんでおくのはひどい。「俺の不明と不徳だよ」と繰り返して言っていた。「お前にも苦労をかけてすまなかった」と言われたが、生来ののんき者で個人主義者の僕は、ただ汗顔のいたりである。山下のおばあさんもきた。夜お母さんと二人で牢屋の話を聞いたが、中々面白くてしかも好い参考になる。朝野の名士が一堂に会している。誰が引っ張られたなどということは非常によく知っている。新聞を半年も読まなかったのだから大変だが、週報は読んだらしい。風呂に入って10時半就寝。


7月

12日(日)
 午後アコーディオンをやり、「東京温泉」を読む。獅子文六の快作だ。

15日(水)
 2時頃から和子さんの入っている病院へ行く。沢崎さん。5日に女の子が生まれて、ユミコと仮名でつけた。

16日(木)
 38式銃の手入れ。新宿の文化ニュース劇場へ行く。「今宵こそは」Jan Kiepra 監督Anatole Litwak 中々面白い音楽喜劇だ。帰りにマルセル・パニョールの「ファニー」を買った。実際好い戯曲だ。


8月

25日(火)
 新宿映画劇場へ行く。「モナリザの失踪」"Raub der Mona Lisa" Willy Forst, Trude v.Molo成功作とは言えないにしても、見応えのある作品だ。帰りに駅前でケーキを食べソーダ水を飲む。

27日(木)
 おばあさんと康宏をつれて三谷町へ行く。ユミコちゃんはもう50日ぐらいで、僕を見てしきりにお愛想を使う。第2次ソロモン海戦。新大型航空母艦大破、中型航空母艦およびペンシルバニア型戦艦中破。我が方は小型航空母艦大破、駆逐艦沈没。今度は敵が攻勢に出たらしい。

29日(土)
 久しぶりに光音座へ行く。「かりそめの幸福」Charles Boyer, Gaby Morrey dans "Le bonheur" realisation de Marcel L'herbier ボワイエの眼、演技、エロキューションは素晴らしい。レルビエは大した監督ではないが、恋愛映画としては彼あるがために凡作となっていない。それは好いが、その混み方はすさまじいもので、押しつぶされるかと思った。女が実に多い。アメリカ映画でボワイエが見られなくなったことにもよるだろう。

9月
11日(金)
 お母さんを引っ張って東横映画劇場へ行く。「西遊記」(鉄扇公主)9巻にわたる長編漫画を支那映画が生んだということは驚くべきことだ。「空の神兵」これもまた驚くべき傑作だった。帰ったら卓ちゃんがきていた。もう間もなく海軍へ入るのだそうだ。

20日(日)
 東横映画劇場へ行く。「南の風」佐分利信、高峰三枝子、笠智衆 吉村公三郎監督。後半になって引き締まり、東京風俗を描いて跳ね返るような弾力を表すが、「南の風」映画化としては失敗だ。佐分利信は影が薄い。

21日(月)
 小林が今度上映禁止になった洋画の名前を書いて持ってきた。最も驚いたのは「ゴルゴタの丘」の禁止だ。あれさえ見ればデュヴィヴェの傑作は全部見たことになったのに。その他、今まで生き残っていた名画傑作は全滅した。フェーデは「旅する人々」を除き、クレールは「巴里祭」を除くだけで全部ダメ。デュヴィヴェなどは、十数作中僅かに「商船テナシチー」と「我等の仲間」しか残っていない。悲惨だ。こうなってはもはや洋画は日本から姿を消したと言うことかできよう。どうしてこんなことをするのか。

22日(火)
 「悪霊」第2巻と「三国志」第9巻を買う。今朝ポチさんが死んだ。胃潰瘍。好い先生ばかりが次々と死ぬ。カッパ、小北の後3人目だ。

26日(土)
 第64回創立記念日。式の後で、企画院の迫水久常という人の講演。大東亜建設は、すべて支障なく行ったとしても20年かかると言う。丁度我々の最も働ける時代だ。康宏をつれて森さんへ行く。帰りに卓ちゃんに会い、「フランス近代戯曲集」「谷崎潤一郎集」「徳富芦花集」を借りる。

29日(火)
 「井伏鱒二集」を買って読む。面白い。


10月

2日(金)
 夜東横映画劇場へ行く。「新雪」水島道太郎、月丘夢路、美鳩まり 五所平之助監督。品の好く明るくまとまった大衆映画。現代風俗を描いて一流のものだろう。帰りにレコード「ドン・ホセ」を買う。素晴らしく血を沸かせる。これからアコーディオンの練習だ。

9日(金)
 5時15分に起き秋葉原に6時50分に集合し、稲毛へ行く。府下中等学生連合演習。1中は南軍長谷川連隊の第2大隊第10中隊だ。9時半頃から行動を起こして三原原目指して行軍。まるで走るような速さで、山道、林、崖っぷちを通り過ぎる。疲れで目がくらくらする。もうてっきりだめだと思った。道はもうもうたる砂塵。息がつまる。ようやく戦場へ着いた時はホッとした。僕は、第2小隊―小川小隊―の第1分隊(分隊長安倍川)だ。間もなく攻撃前進。横散開から速駆けに移り、双方パンパン撃ち出す。こっちの方の人数が圧倒的に多かった。それから民家で食事。午後は行軍6キロで練兵場へ。飯を食ってすぐ陣地構築。間もなく夜になる。星一つない闇夜だ。それから2個小隊で夜襲。帰りがまた大迂回。こっちもまた夜襲を食った。その内に雨が降り出してきた。寒くて凍えそうだ。12時過ぎに演習中止。懐中電灯を頼りに集結し、それから騎兵学校の前に集まる。5000人からの大部隊が殆ど物音一つ立てずに行動したのは見事だった。厩で寝た。

10日(土)
 8時頃から馬場で講評。去年にくらべ格段の進歩だと言う。10時半に出発。11時47分津田沼発で帰校。校長の話があり、のりまきが出る。中々うまかった。家へ帰って風呂に入る。実に好い気持ちだ。

13日(火)
 高田の英米崇拝は、まるで日本は敵うはずがないと言わんばかりである。UPあたりの受け売りとしか思えず、どうしても人心攪乱・流言飛語の罪に問われそうなものばかりだ。けしからん。

15日(木)
 10時頃控訴院へ行き、裁判の傍聴。二つ判決がある。一つは女で、白痴の妹を殺害。本人も精神錯乱していたらしい。懲役2年、執行猶予3年。次は強盗殺人。死刑。次は初めから終わりまでの裁判。殺人未遂。懲役4年の求刑があって2時半閉廷。

25日(日)
 夕方禎子ちゃんが「ファニイ」を返しにきた。代わりにサンテグジュペリの「夜間飛行」を借りる。兄貴の卓ちゃんは、海軍の体格検査で落とされてどこかへ姿をくらましてしまった。どうも精神科の病院らしい。神経衰弱だろう。国雄さんもそうだ。

27日(火)
 9時のニュースで南太平洋海戦の発表。航空母艦4隻、戦艦1隻を撃沈。他に数隻を大中破。我が方の損害は軽微だ。次いで第2次ソロモン海戦以来の戦果の発表。これが、敵に与えた損害もさることながら我が軍の損害も相当以上に甚大だ。今までそれで発表できなかったのが、今度圧倒的な勝利を得たのでようやく発表できたらしい。どうもここ暫くの新聞の論調が余りに悲観的で、日本は負けていると言わんばかりなのはおかしいと思っていた。軍の心配は大変なものだろう。

11月

1日(日)
 日劇小劇場に行く。「赤ちゃん」 Lucien Baroux dans "Le mioche" realisation de Leonide Moguy 久しぶりに気持ちの好い映画を見た。帰りには凄い混みになる。ここは若い女が非常に多い。昔なら50銭で2本も見られた映画を1本80銭も出して、大学生や女学生が押しかけてくるんだから大変なものだ。シンクレア・ルイスの「アロウスミスの生涯」を半分読む。

4日(水)
 帝大の富塚博士の講演。「飛行機と国防」という題だったが面白かった。要するに、これからはもっと総合力を持つようにならなければいけない、ということで、同感である。機械の技師が他のことを何も判らなかったり、政治家が科学知識を全然持っていなかったりでは駄目だ。スケールの大きな人間が、指導者として必要だ。

8日(日)
 昼から康宏をつれて山下さんへ行って「永井荷風集」を借りる。それから三谷町へ行って武ちゃんと近所の坊やと4人でボートに乗った。4時半頃帰る。幾何をやる予定だったが、永井荷風を耽読したためできなかった。

11日(水)
 「戦争と平和」第4巻とショウの「悪魔の弟子」を買う。

12日(木)
 8時に神宮競技場に集まって体力検定。100メートル14秒6 運搬40キロ14秒5 懸垂10回 走幅跳び4メートル70 手榴弾42メートル それからいよいよ2000メートルだ。初級だったが、ゴールへ入った時はまるで夢遊病者だ。あんなに苦しいものはない。風邪を引いた。昼寝をし、熱を計ったら7度8分。

18日(水)
 第3次ソロモン海戦の発表。聞くだけでもすさまじい戦いだ。敵の補助艦は随分やっつけたらしいが、こっちも戦艦1隻を失った。

19日(木)
 朝、海兵入学者を送る。夕方禎子ちゃんがおばさんと一緒に挨拶にきた。いよいよ海軍将校と結婚して奥さんとなった。いやにしおらしくしていた。呉で結婚して帰ってきたが、また行って暫く一緒に住むのだそうだ。

21日(土)
 数学の模擬試験。惨憺たる成績だ。クラス会が2時頃から始まる。西洋菓子、すし、あんみつという豪華版。僕も一席、少し古いが「洋行帰り」という落語をやったら皆驚いた。やはり昔とった杵柄だ。今日は海兵へ入った安倍川の送別会を兼ねているので、彼の挨拶があって6時前に散会。

22日(日)
 7時前に起き、お父さんと根府川の青木さんという家へ行く。お父さんの友達で土地の顔役だ。ここは、後ろが蜜柑山で前は海だ。魚が凄く豊富でうまく、山海の珍味だった。夜の海の景色が凄く好い。

23日(月)
 青木さん父子とお婿さんの弟と5人で家を出て真鶴へ行く。市場でしまがつおの素晴らしいのと、かますをたくさんお土産に貰う。9時19分の汽車で東京へ帰る。

24日(火)
 6時に起き、学校へ行って38式の銃を持ち、大久保の射場に8時に集まる。実弾を撃つ音は凄い。僕の銃はひどく錆びついている上にレバーも動かず、すっかりもてあました。4発中2発外れ、計7点という惨めな成績だ。12時過ぎに解散。よく当たった奴はまた撃つために残された。東劇の中央劇場へ行く。「早春」 "Das Moedchen Irene" Lil Dagofer, Sabine Peters 生き残りの洋画の中ではまんざらでもない代物だ。

12月

2日(水)
 武道大会。甲組は僕が大将だから情けない。田中勝男は実力初段だが、それにしても2級2人、3級3人だ。僕の相手は4人とも初段である。優勝はやはり戊組だったが、甲組は2勝2敗でまず善戦した方である。僕も2敗2引き分けでは善戦の部類だろう。剣道は決勝で負けてしまった。

3日(木)
 昨日の柔道で身体中の筋肉が痛い。模擬試験の成績発表。思ったよりよかった。5年197人中29番。総員521人中90番。1高は一寸あやしいが、外なら大抵どこでも入れるだろう。

4日(金)
 渋谷松竹へ行く。文字通り立錐の余地もない。何も見えないのをやっと割り込み、爪先立ちのし通しだ。「ハワイ・マレー沖海戦」伊東薫 藤田進 中村章 真木順 大河内伝次郎。山本嘉次郎監督 その主題の大きさと言い、特殊技術と言い、気迫と言い、日本映画史上特筆されるべき画期的な作品だ。この映画には主役はなく、記録映画との区別は殆どつかない。日本映画は、これによってトリック撮影に一大飛躍を遂げただけでなく、世界映画界をさえリードしたものがあろう。

5日(土)
 8時半に上野美術館前に集まる。大東亜美術展覧会。「三国志」第10巻を買って読む。やや単調に陥る。夜はアコーディオン。このところ毎日やるので確かに腕は上がったが、タンゴには音階が不足勝ち。せめて2オクターブ半のものが欲しい。

8日(火)
 宣戦の大詔後1年たった。正に世界を震撼させた1年だった。歴史は驚くべき飛躍を遂げた。さすかの僕もあの日の感激は恐らく生涯忘れ得まい。だがその後の1年間を反省して見ると、果してそれだけの飛躍を遂げたかどうか疑わざるを得ない。ただ一方では、そんなに急激に変化しないのもいいのではないかと思われる。とにかく僕ぐらいの時は成長が激しいので、ものの考え方も1日1日と変化する。それは時代の波でもある。それはとにかく、僕はこの時代に生まれたことを感謝する。なるほど昔のようにぜいたくな暮らしはできないし、殆どすべてのものについて束縛が加えられる。しかし、どんなに束縛されても、何の懐疑も煩悶も持たずに伸び伸びと暮らせたらそれ以上のことはない。大東亜戦争は恐らく10年やそこらでは本当の解決はできないだろう。それは、「勝つための戦争」ではなく、「負けないための戦争」だとさえ思う。ヨーロッパでは、スターリングラードは落ちず、第二戦線はできたし、アフリカでは独伊が圧倒されている。ソロモンでは、我が軍は敵の制空権下にあって死闘を続けている。敵の潜水艦は跳梁する。絶対に楽観はできない。ただ頑張るしかない。

12日(土)
 お母さんは今日例の易者のところへ行って入試のことを占ってもらったが、1高が一番好いでしょうと言われたそうだ。新宿映画劇場へ行く。「コゼットの恋」Harry Baur, Jean Servais, Charles Vanel, Charles Dullin dans "Les Miserables" 凡作。どうしてもこういうものは「忠臣蔵」的になりやすい。豪華キャストだが。

29日(火)
 ようやく休みなし10日間の補習授業が終わった。午後成績発表。前と同じくらいだろうと思っていたら、ガタンと下がったので驚いた。平均2等、学級11番、学年53番。点は前より好いのに20番も落ちたのは心外。

30日(水)
 歯医者の帰りに久しぶりに武蔵野館へ行く。「幽霊大いに怒る」佐分利信、高峰三枝子 三浦光子 渋谷実監督。ひどい映画だ。渋谷実にこんな映画を作らせるようでは、松竹大船はもう救い難い。 日記帳を買おうと思ったが、この日記帳はもう出さないらしいので、「その日その日」というのを買う。今の日本は「その日その日」を生きているのだから皮肉である。しかし、とにかく3年も日記をつけると止められない。長与善郎の「青銅の基督」を買って読む。中々の傑作だ。

31日(木)
 昭和17年も終わる。僕も今年は高等学校に入れなかったが、来年は入らねばなるまい。親父は保釈になってのんきにしているが、事件は当分片づきそうにもない。大東亜戦争はいよいよ大変なことになってきた。来年一杯もてば好いが......初め外米に文句を言っている内はよかった。外米が入らなくなって麦に変わり、これがたちまち足りなくなって馬糧のとうもろこしを人間が食い始めた。それも危くなって、この間などは暫く純米を食わされた。こうなると相当深刻だ。
 日露戦争の時は、それでも勝ち続けたあげくに仲裁が現れたからよかったが、今度はそうは行かない。恐らく第二の日本海々戦はあるだろう。どのような形で行われるかは判らぬが、我が軍は必ず勝つとは信ずる。しかしその後はどうするか。ワシントンまで攻め込むわけには参らぬのだ。初め考えられたような世界四分―アメリカ、東亜、ヨーロッパ、ソビエト―が実現するだろうか。しかし、ドイツとイタリーは欧州とアフリカで苦戦しているから、そこまで行けばよしとせねばなるまい。