[福州市内]

●鼓山エリア

琉球金将軍廟(鳳洋将軍廟・象洋境将軍廟)・鼓山

●市内その他

福建省博物館・閩浙総督衙門跡・福建布政司衙門跡・福建按察司衙門・福建巡撫衙門跡・鎮閩将軍衙門跡・塩道(管理塩政道台)跡・貢院跡・南門跡・福州市舶司跡

 

・琉球との関連性を「(小)〜★★★(大)」で示します(※作者の独断によります)。

・琉球とは直接的に関係のない史跡もあります(※日本ほか広く海外交流に関する史跡についても説明しています)。

・自由に見学ができる史跡には「」のマークがついています。「」マークがないところも手続きを踏めば基本的に見学できます。

・見つけにくい史跡や個人旅行では行きづらいと思われる史跡には「」のマークがついています(※これも作者の独断によります)。

 

●鼓山エリア

●.琉球金将軍廟(鳳洋将軍廟・象洋境将軍廟)  ★★

りゅうきゅうきんしょうぐんびょう(ほうようしょうぐんびょう・しょうようきょうしょうぐんびょう)

http://www.geocities.jp/ryukyu_history/china_ryukyu/Kin-syogun-byo.JPG

鳳洋将軍廟(写真):福州市鼓山鎮遠洋村(閩江沿い)にある廟。遠洋路沿い。「琉球の久米村出身の金将軍という人物が嘉靖年間に進貢した際、遭難して遠洋村に漂着したために村人が廟を建てて祀った」と伝えられている(あくまでも口伝で史料では確認できないことに注意)。文化大革命で破壊されたが1875に再建されている。1992年に琉球史研究者に知られるようになった。閩江に南面し、廟内の向かって左に金将軍が祀られている。「琉球大福将」「鳳洋金将軍」の対聯もある。

象洋境将軍廟:福州市市晋安区遠洋(鳳洋将軍廟からほど近く、遠洋駅の近く、福馬路と前嶼東路に挟まれたエリア)。琉球金将軍を祀る廟。1564年創建、1880年再建ということだが、現在の建物は1985年に改築されたもので非常に新しい。

 

[掲載写真撮影日2002/01/06by高橋俊和氏)/最終調査日2011/02/16

 

●.鼓山 

こざん

http://www.geocities.jp/ryukyu_history/china_ryukyu/Ko-san.JPG

市内東方にそびえる海抜969メートルの山。福州に滞在する琉球人はこの山にしばしば足を運んだ。山の中腹には908年に閩越王の王審知(862925)が創建した古刹・湧泉寺がある。現存する天王殿・大雄宝殿・法堂・鐘楼・鼓楼・蔵経殿などは清代と民国期の再建であるが、寺前には北宋に作られた陶製の大型宝塔・千仏陶塔[写真]がある。明代の南京大報恩寺版大蔵経、清代の北京勅版大蔵経、日本の大日本続蔵経などの経典と版木を所蔵していることでも名高い。境内には琉球渡来とされる大鉄樹(ソテツ)がある。

鼓山の岩壁には400余りの題刻が彫られ(鼓山摩崖題刻)、宋代の蔡襄や朱熹、近代では郭沫若などの書が刻まれている。その中に1652年に来琉した冊封正使・郭汝霖の五言絶句もある。1560年に鼓山に遊んだ感想を詠んだものである。

〔参考文献〕田名真之『近世沖縄の素顔』ひるぎ社、1998〈※一般向け〉。真栄平房昭「琉球の唐旅と中国体験」『歴史の道・再発見』8、フォーラム・A、1999

 

掲載写真撮影日・最終調査日2002/11/18

 

●市内その他

●.福建博物院 ★★

ふっけんはくぶついん

http://www.geocities.jp/ryukyu_history/china_ryukyu/Fujianstate-museum.JPG

西湖公園の中にある福建省の博物館。福州市湖頭96号(電話0591-83758310)。2002年に新装オープンした。琉球人の墓碑3基が収蔵されている。

開館時間9:00-5:00(写真撮影可、フラッシュ禁止)。

 

◆墓碑

1.「琉球国/乾隆己卯年七月十七日造/那覇府西村進貢船/直庫島袋親雲上墓/辛丑八月念四吉日改葬」(1759年)

2.「琉球国/卒於乾隆五十四年十月初四日/大船官舎宜野湾里之子親雲上章克復公墓/墓地長二丈五尺横一丈八尺」(1786年)

3.「琉球国/同治参年甲子捌月貳拾伍日卒也/王舅通事鄭兼益外間里之子親雲上墓/坐丑向未地長貳丈横壱丈陸尺也」(1864

 

掲載写真撮影日2003//最終調査日2008/12/23

 

●.閩浙総督衙門跡 

びんせつそうとくがもんあと

http://www.geocities.jp/ryukyu_history/china_ryukyu/Soutoku-gamon.JPG

省府路のあたり(※写真は省府路1号にある福州省府礼堂電影院。山水大酒店の向かい)。乾隆『福州府志』に「総督撫院署、在宣政街西、原按察司署、宋為提刑司署」とある。当初は東街にあったが1661清・順治十八)年に時の総督・李率泰によってこの地に移転された。また東街の衙門は鎮閩将軍署となった(※現在の省立医院のあたり)。

なお鼓西路と省府路の間は、総督署の馬房があったことに因んで、かつては「馬房巷」という名称だった。

 

掲載写真撮影日2003/07/05最終調査日2008/12/22

 

●.福建布政司衙門跡 

ふっけんふせいしがもんあと

(準備中)

鼓屏路の、鼓楼から屏山の間。乾隆『福州府志』に「承宣布政司署、[万暦府志]当三山之中、後枕越山、前案方山…明洪武初改為福建承宣布政司」とある。なお布政司衙門の西に福州府衙門があり、その東南の秀実坊(九仙山の山麓)に閩県衙門があった。

[最終調査日2008/12/22

 

●.福建按察司衙門跡 

ふっけんあんさつしがもんあと

(準備中)

鼓東区の西側(民政庁のあたり)。布政司衙門の東側。乾隆『福州府志』に「提刑按察使司署、在布政司東新街、旧都司署也」とある。1674(康煕十三)年にこの地に移設された。上記の総督衙門跡の解説も参照のこと。

[最終調査日2008/12/22

 

●.福建巡撫衙門跡 

ふっけんじゅんぶがもんあと

http://www.geocities.jp/ryukyu_history/china_ryukyu/Junbu-gamon.JPG

現在の鼓楼区人民政府(津泰路の真ん中)。乾隆『福州府志』に「巡撫都察院署、在福星坊嵩山麓」とある。また『榕城考古略』には「南営口之東、為巡撫署」とある。なお津泰路のあたりは「軍門前」という旧称であった。

 

掲載写真撮影日2003/07/05最終調査日2008/12/22

 

●.鎮閩将軍衙門跡 

ちんびんしょうぐんがもんあと

(準備中)

五四路(現在の省立医院)。総督衙門の移転跡に設置された。

 

●.塩道(管理塩政道台)跡

えんどうあと

(準備中)

鼓西路の東側。

 

●.貢院跡 

こういんあと

(準備中)

中山路(現在の省商業庁・省供銷社)。清以前の科挙試験場であった。

 

●.南門跡 

なんもんあと

http://www.geocities.jp/ryukyu_history/china_ryukyu/Fuzhou_nanmon.JPG

福州明代城跡の一部。于山の南麓、五一広場観礼台の西側にある。福州城1371(明・洪武四)年に重築され、1559(嘉靖三十八)年に倭寇防御のため城壕が掘られた。

 

掲載写真撮影日2003/06/08最終調査日2008/12/22

 

●.福州市舶司跡 ★★

ふくしゅうしはくしあと

http://www.geocities.jp/ryukyu_history/china_ryukyu/Fuzhou-Shihakushi.JPG

乾隆『福州府志』(巻19)に「福州市舶提挙司、在布政司西南、候官県之西、都指揮僉事王勝故宅、旧置司于泉州址、番舶入貢多抵福州河口、成化五年、巡撫都御史張瑄奏請移建于此、内有吏目庁」とある。同書によれば候官県の衙門は「府治(福州府衙門)の南の官賢坊」にあり、福州府の衙門が布政司の西にあったという。なお布政司の場所は拙サイトの該当項目を参照されたい。さらに万暦42年刊の『福州府志』では、澳門橋のすぐ外側に「(海防)督捕館」が書かれ、これはもともと市舶司であったという(康煕『福建通志』)。これらのことから考えるに、福州市舶司の跡は、旧・澳門橋のそばにして府城の外側、すなわち現在の澳門路付近=林則徐記念館のあたりであったと見なすことができる(※拙サイトの林則徐記念館の項目も参照のこと)。なお福州市舶司は1580(万暦8)年に廃止され、その仕事は福州府同知が引き継いだ。

〔参考文献〕梅木哲人「福州柔遠駅と琉球・中国関係」『中国福建省・琉球列島交渉史の研究』第一書房1995

 

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