鶏肋 〜楊修の話〜

鶏肋とは、たいした物ではないが、棄てがたい、そんな物を称した言葉である。
より正確には、もう少し難しい字である。が、表示できないので割愛します。
その使い方・・・・井伏鱒二を知っている方ならピンと来てましょう。そう、拙文集の意味で鶏肋集というつけ方がありますね。
その言葉は、三国時代、楊修と曹操のエピソードに由来する。

建安24年(紀元219)3月、曹操は長安目指して軍を進める。
迎える劉備は軍を緻密に固め、『曹公来るといえども、よくなすなからん、われ必ず漢川を保たん』と、自信を見せる。
流石は天下の要害:漢中。夏になっても堕ちず、脱走兵が出る始末で撤退せざるを得ない。
しかし、曹操は一言の命令『鶏肋』としか云わず、属官たちは意味がわからず困惑する。
その中主簿(事務次官)の楊修は帰り支度を始める。それをたずねられて・・・・
『それ
鶏肋は、これを棄つれば惜しむべきがごとく、これを食らわば得るところなし。もって漢中に比す(なぞらえた)。王(=曹操)帰らんと欲するを知るなり。』

曹操と楊修の理知溢れる話なのである。
同じような話を紹介したい。

あるとき、曹操と陽脩は、曹蛾(孝女として有名)の碑を通りかかった。碑の背には『黄絹(こうけん)、幼婦、外孫、韲臼(せいきゅう)』と書かれていた(書いたのは蔡ヨウといわれる)。
曹操はわからないが、陽脩はわかったようである。曹操はさらに考えながら旅を進める。結局解かったのは、三十里を行ったとき。
その答えを陽脩に言わせて見ると・・・・
『黄絹は、色(のついた)糸なり、字において絶となす。幼婦は、少女なり、字において妙となす。外孫(嫁にやった娘=
の産んだ:孫)は、女子なり、字において好となす。韲臼(和え物の臼)は、辛(いもの)を受くるなり、字において辞(本当は〔受辛〕)となす。いわゆる、絶好の好辞なり。』

この陽脩は飛び切り、優秀であった。曹操が門に書いた活の字をみて、『門中の活は、闊(ひろい)の字なり。王まさに門の大なるを嫌うなり。』と門を作り直したり、合の字を、人をして一口(一人一口)と見抜いたりしている。
しかし、あまりに優秀であったため、曹操の嫉妬深い性格からして長生きは出来ない。
しかもよりによって曹丕、曹植の争いの中、曹植に肩入れしてしまうのである。
恐らくは、一つとしてその文才を買ったのあろう。
結局、曹丕への引継ぎの邪魔になる・・・・そう考えた曹操によって、ある事件をいいことに処刑されてしまうのである。

恐らくは政治的に正しい判断だろう・・・・
しかし、惜しむ心は三国志好きには大きいのではないだろうか。
こんな悲しい話が背景としてあるのである。

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