透明
あの日、緑色の音を聞いた

翠川 敬基

第一章
その一 As Time goes by
(3)

 ベースを弾く翠川は、姉が桐朋学園のピアノ科だった関係で、小学生の頃から半ば強制的にチェロを習わされていた。遊び盛りで彼自身は全くやる気になれないでいたのだが、皮肉なことに教師は一流だった。また姉に連れられてクラシックのコンサートにも度々行った。これも別に好きだったからではない。姉が一人で行くのが嫌で、お供をさせられていただけのことである。だが、そのために図らずも数多くの生音に触れ、その後の翠川の感性に徹底的な影響を与えたことも事実だ。物心ついたときには、父親は愛人を作り家を出ていた。翠川には法律的に弟がいることになっている。父親が愛人に生ませた子供で、籍だけ妻の子供として、つまり翠川の弟として入れたのだ。
 そういう時代だった。姉がピアノを勉強していたのは、浮気によって辛酸をなめた母親が、これからの女は手に職を持たなければダメだと考えたからに他ならない。六畳と台所だけという小さな借家にアップライトピアノを据えつけ、姉は四六時中ピアノを練習していた。その姉と八歳離れていた翠川は、ピアノの下に敷かれた布団で、姉の弾くピアノをそれこそ子守歌代わりに寝ていたのだ。小学校に通う道すがら、彼はよくショパンのソナタを口ずさんでいた。まるでサブリミナルのように、姉の弾くピアノが寝ている翠川の脳に進入して、無意識のうちにメロディを覚えてしまったのである。
 藤川と翠川は杉並の都立豊多摩高校の同窓である。藤川は学園祭でジャズを吹き、翠川は室内アンサンブルでビバルディを弾いている。その後二人は高校卒業後、一緒にグループを作り、以後数十年にわたりつきあうことになるのだが、何故か高校時代には殆どつきあいがない。翠川にとっては、むしろ室内アンサンブルの一年先輩であるギターの望月英明との行き来の方が多かった。
 ドラムを叩いている田中保積は新宿のDIGで偶然二人と知り合った。田中はやはり高校を卒業後、幾つかのアマチュアジャズバンドを転々としたのだが、メンバーとの技量との差は歴然で、まとまりがつかず、いつもすぐに解散になった。誰に教わったというわけではなかったが、エルビン・ジョーンズが好きだった保積の叩くドラムには天性のしなやかさが備わっていた。
 新宿二幸裏のロールキャベツで有名な「アカシア」の三階にDIGがある。新宿には他にも「木馬」、「ビザール」、「ジャズ・ヴィレッジ」、「ヴィレッジ・ゲート」などのジャズ喫茶があったが、いうならばここは草分けともいうべき場所である。耳を覆うばかりの大音量で鳴るジャズに、客は一様に黙して一心に聞き入っていた。友人と話などしていると、すぐ店の人間に注意されたのだ。ストイックであることが、ジャズを聴く人間の必須条件だった。
 例えば、翠川と藤川がよく通っていた「木馬」は、もう少しソフトだ。大音量でジャズを流すのは同じだし、フリー系のラジカルな盤を率先して流すのもDIGとさほど違わないのだが、集まる人種や、一階にある和風喫茶にうどんなどを注文が出来るユニークさが、逆にジャズ喫茶の色濃さを薄めていた。

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つづく


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