四国霊場71番大本山弥谷寺【公式HP】

四国/香川県

四国霊場第71番 弘法大師学問修行之遺跡 弥谷寺(いやだにじ)
〒767-0031香川県三豊市三野町大見乙70 Fax 0875-72-3755

2014/07/28
2014/03/20・21
3月20・21日の両日、弥谷市お水まつり(詳細はクリックして下さい)が開催されます。
四国71番弥谷寺(いやだに寺)へのアクセス。
2012/07/05
四国霊場開創1200年を記念して当山では、H26年に大師堂御本尊・秘仏『厄除け大師像』を320年ぶりに御開帳させて頂きます。また、諸堂修繕勧進行として奥之院納経をされた方に御開帳記念の厄除腕輪御守をお授け致します(H26/1/1~H27/3/19)。

弥谷寺(いやだに寺)

創建について

 今からおよそ1300年前。当時蔓延した天然痘降伏の為、行基菩薩が堂宇を建立し、人皇第45代聖武天皇の勅願により、皇后光明子書写の大方広仏華厳経を奉納し蓮華院八国寺を創建したのがはじまりといわれます。
 その後、大師7才の砌学問に励み、唐から帰国の大同2年再度登壇し獅子窟にて護摩を修し、蔵王権現のお告げにより、五柄の剣と唐にて師の恵果和尚より授かった金銅の五鈷鈴を納め、山号を剣五山、寺名を弥谷寺「仏教では仏の住む山を弥山(みせん)と呼び、弥谷は仏の谷という意味とされる」に改めたと伝わります。

霊場有数の難所

 弥谷寺は霊場有数の難所で知られ病厄に霊験ありといわれてまいりました。境内口から山頂の本堂迄はおよそ540段の石段が続きますが、健康で歩けることをおかげと発心頂きますれば、きっとご本尊様やお大師様によりお導き頂けるのではと存じます。

弘法大師の伝説

 弘法大師が真魚と呼ばれた幼少の頃、天応1年(781)から延暦5年(786)まで寺院の前身である蓮華院八国寺(八王山)で勉学に励んだと伝わり、唐から帰国の大同2年(807)再度獅子窟に籠り千座の護摩を修し、満願の日、蔵王権現のお告げをきき五柄の剣と唐にて恵果和尚より授かった金銅の五鈷鈴(金銅四天王五鈷鈴)を納め、山号を剣五山、寺名を弥谷寺に改め霊場に定めたとされます。 
 宥沢法印によれば八国寺は、三院六坊(一説によると十二坊)を備へ東院・西院・中尊院及び弥之坊・谷之坊・独鈷坊・龍華坊・安養坊・海印坊・納涼坊ありと記され、当時としては非常に大きな寺院であった事が分かりますが、天正の兵火により現在は中尊院のみとなっています。

霊山信仰とお水まつり

 弥谷山は、古来より霊山(仏山)として信仰されたといわれ、日本三大霊場(恐山・臼杵磨崖仏・弥谷山)の一つに数えられたといわれます。
 古来より、人々は山々に仏や神が宿ると信じ、その山を霊山と呼び信仰の対象としたとされ、この信仰は、お遍路の元となった、辺(遍)路信仰(へじしんこう)の1つともいわれ、弥谷山では、『水場の洞窟が仏の住む世界への入口とされ、特別強く信仰された』とされ霊山信仰を持った修験者により刻まれた摩崖仏が今も多く点在しています。
 現在は、お水まつりと呼ばれ、お水場の洞窟に、真言の書かれた経木を山頂からの水で洗い清める事で、水場の地蔵尊が、霊山に住む仏や神に後世利益や現世利益の願いを届けるといわれ参拝されています。

洞地蔵尊

 首から上の病におかげがあるといわれます。獅子之岩屋に向かう途中の大師堂内より参拝でき、座って岩壁の10㍍上方を見上げないと姿を見る事ができない石仏のお地蔵様です。弘化年間の中国名所図絵には、洞ノ薬師と洞ノ地蔵と描かれていますが、現在は洞地蔵のみ参拝する事ができます。

表参道と中腹への送迎バス

 当寺は本堂まで540段ある難所です。徒歩にて参拝頂ける方は表参道をお進みください。また、足腰に不安のある方は中腹(378段・大師堂)への送迎バスが運行しております。

(注意)送迎バスの詳細はこちらをクリックしてください【クリック】


看板用境内図.jpg
寛政年間境内図(LinkIcon

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