今月の神父様のお話 2

2009年5月~




愛の旗(あいのはた)
(2013年 4月のお話)

若者たちの中にいるわたしの恋しい人は
森の中に立つリンゴの木。
わたしはその木陰を慕って座り
甘い実を口に含みました。
その人はわたしを宴の家に伴い、
わたしの上に愛の旗を掲げてくれました。
旧約聖書「雅歌」2章参照

 京都正教会の桜の花が半分くらい咲いた3月下旬、朝の陽射し、青い空と白い雲の彩り、
その空間にそびえる聖堂が調和して美しく、いそいで撮影しました。
 雲の流れがとても速いので、一瞬の差、瞬きの内に、光と陰の微妙な風詠がにじむように
変化していきます。
 ちょうど満開の時に居合わせることのむずかしい信徒の皆様には申し訳ないのですが、
大斎祈祷の後、参祷して下さった人と共に、和菓子を友に、
桜の木の下で花見(茶話会)をしました。
 九州の人吉聖堂の桜も、京都の桜も、神父を優しい心持ちにしてくれます。
 いつの日にか、日本正教会に大きな広い庭のある教会ができて、そこには
聖書に登場する、あるいは聖地を彩る草花が植えられ、広場の中央には
木造の瀟洒な聖堂が建ち、みんなで祈ったり、緑の園を
散策ができたらいいのに……と、夢を見てしまいます。
 聖書には、たくさんの花や果実のなる樹が登場します。
 それはエデンの園や神の国(楽園)を連想させます。
 わたしたち信仰者、神の子どもは、鉄やコンクリの構造物に住むのではなく、
自然の中に暮らすよう恵まれているのではないでしょうか。
 桜の花には、ミツバチや花の蜜を好む虫が飛び交い、目白が何羽もやってきます。
 神の覆いの下に安んじているかのように。
 冒頭に引いた「雅歌」では、若者は恋人を我が家に伴って、心づくしの食卓でもてなし、
愛の旗を掲げてくれたと表現しています。
 これは「愛の衣で覆い包む」
 すなわち
「優しく抱擁する」
 ことを意味します。
 雅歌は神様の愛情の表現、いかに人を慈しみ、大切にされているのかを「詩」で
表現している書です。
 花の香り、果実の芳香につつまれて、神様が抱きとめてくださっているのであれば、
わたしたちはその無償の愛情にどう応えたらいいのでしょう。
 虫や小鳥の「欲得のない」、純真無垢の飛翔を目にしながら、いまは大斎祈祷に
集中し、自分が立てられる「愛の旗」をかかげてみよう、そう思いました。
                               (京都 パウエル 及川 信 神父)




聖なる水(生命の水)
(2013年 3月のお話)

祈る人は
祈ってくれる人を知る
信じる人は
信じてくれる人を知る
愛する人は
愛してくれる人を知る
家畜や 草木でさえ
知っているのだから
河野進「知る」

 正教会では、聖水を多用します。
 オーソドックス・クリスチャンとなる「聖洗機密」洗礼式に始まり、
あらゆる機会に聖水で祝福され(頭から散水され)、聖水を飲みます。
(上の写真は京都聖堂での大聖水式:神現祭)
 人の体は半分以上が水分だと言います。
 思えば、人の体を駆けめぐる血液は、生命の源となった海水にも似た水だと
聞いたことがあります。
 人の体は海陸であり、血液や血管は、聖なる泉であり、生命の川なのでしょう。
 こうした生命を育む水への敬愛と真情を忘れてしまったとき、人は生命を軽視し
はじめます。
 手首や首筋に手を触れ、脈動を聴きましょう。
 お母さん、母胎の中に元気に生きる赤ちゃんの映像(エコー)をみるとき、
ドクンドクンという母の心臓の拍動と共に、ゴーという血液の流れる音を耳にします。
 深い渓谷の滝と小川の清冽な流れ、絶えることのない川の音を連想します。
 人は自分自身で生命の躍動と熱情を体験していながら、あまりにも生命の川を
あるいは聖水を意識していません。
 持っているにもかかわらず、自覚していません。
 私たちの体内を流れる川の源泉は、どこなのでしょう。
 すすんでたずねてみましょう。
 自分の足で歩いて、たどってみましょう。
 水源をたどれば、神様に出会うことでしょう。
 わたしたちの故郷、生まれる里は、聖なる川の上流にきっとあるからです。
       浅い流れは音が高い
        わたしの
        祈りよ
        言葉よ
        行いよ
       音が高くないか
       深い流れは音を立てない(河野進)
                            (京都 パウエル 及川 信 神父)





生命の樹(いのちのき)
(2013年 2月のお話)

山や丘はあなたたちを迎え
歓声をあげて喜び歌い、
野の木々も手をたたく。
茨に代わって糸杉が
おどろに代わってミルトスが生える。
これは、主に対する記念となり、
しるしとなる。
それは永遠に消し去られることはない。
旧約聖書「イザヤ(イサイヤ)書」55章参照

 日米の教会学校の子どもたちの交流で、主の降誕祭の時期に、カードや絵を交換(贈呈)
しました。
 上記の写真はワシントンDCの聖マトフェイ(マタイ)正教会の子どもたちの美しい
手作りの作品です。
 この企画は、名古屋正教会のゲオルギイ松島神父様とマリア松島マトシカの呼びかけで
実現し、名古屋・大阪・京都が交流に参加しました。
 これからも続けていきたい企画ですね。
 さて聖書には生命を恵むはずの資源が、人や自然を滅ぼす原因となって荒れ狂う場面が
たびたび描かれています。
 たとえば、
 「水」 洗礼と生命の源(みなもと)   → 「ノアの箱船」大雨・豪雨・大洪水
 「土と石」 信仰生活の土台・基礎   → 「バベルの塔」人の傲慢と自滅・離散
 「火山と火」 生活の基本・エネルギー → 「ソドムとゴモラ」快楽に中毒する怖ろしさ
 などなど、
 枚挙に暇がありません。
 樹木への人の思いもそうです。
 巨木やおごそかな森林への憧憬が、擬人化した畏怖、支配者「御神木」化して
いったとき、楽しいだけではすまない「恐怖の宗教」は誕生します。
 作家ヴァン・ダイクは、「最初のクリスマスツリー」(ボニファティウスの旅)という作品で
8世紀にいまのドイツ地方でゲルマン民族へ宣教活動を行った、聖ボニファティの
挿話をつづっています(新教出版社)。
 人と共に、自然の営みの中にあるべき樹木が、神格化され、樹木礼拝の対象となり、
さらには御神木への犠牲(人身御供)をさえしてしまう怖ろしさ。
 日本ばかりでなく東アジアには、悲惨な災害や連続して起こる風水害、巨きな
土木工事の時には「人柱」をたてる悪しき慣習もありました。
 人命尊重を求める安全祈願に、人の死をもって希求してしまう矛盾と悪業。
 ほんとうの生命の木、復活を恵む十字架を、わたしたちは願い求めましょう。
 こどもたちの明るく弾むような樹のカード(絵)を見るたびに、健全な幸福が
わたしたちを満たしますよう、神様に祈らずにはおられません。
                                  (京都 パウエル 及川 信 神父)





贈り物(プレゼント)
(2013年 1月のお話)

シメオンが聖神(せいしん・霊)に導かれて、
神殿の境内に入ってきたとき、
両親(生神女マリア・庇護者イオシフ)は
幼子のために律法の規定通りに
いけにえ(奉献物)を献げようとして
イイススを連れてきた。
新約聖書「ルカ福音書」2章参照

ハリストス 生まる! 
 写真はサンタクロースの姿なのに(京都正教会のクリスマス祝賀会)、冒頭に引いた
聖書の場面は、救い主イイススの進堂の光景です。
 常づね、贈り物には、贈る人の気持ちと受け取る側の気持ちが合致してこそ、
贈り物に込められた「こころ」が生きると思っています。
 少し面倒くさいことにふれますと(歳をとると教訓を垂れたくなりますので)、
双方の意図が合体したときにこそ、贈り物は未来への架橋となります。
 これを教会では、恵み・恩恵・恩寵というのではないでしょうか。
 信仰者の贈り物といえば、やはり一番に連想するのは、東方の三博士が赤ちゃんの
イイススに献じた、黄金・乳香・没薬(もつやく)でしょう。
 その次に、わたしがつい思い浮かべてしまうのが、このイイススの進堂です。
 シメオンは、親が携えた鳩2羽の献げものには目もくれず、イイススを抱いて
神様に向かって高くさし上げ、晩祷で必ず歌う祈りを献げます。

「主宰よ、いま爾(なんじ)の言葉にしたがい、爾の僕を安然として逝かしめ給う。
けだし、わが目は、爾が万民の前に備えし救いを見たり、
これ異邦人を照らすの光と、爾の民イズライリ民の栄えなり」

 これを「聖抱神者(せいほうしんしゃ)シメオンの祝文)といいます。
 正教会(オーソドックス・チャーチ)における祈祷文のなかでも、もっとも古いものの
ひとつです。
 じつはこの祝文、聖体礼儀のおわり、司祭が宝座の前をしりぞく際にも唱えます。
重要なお祈りです。
 そして正教の信仰者ならば、祈りを耳にし、シメオンがイイススを抱いた場面を痛切に
感じたとき、旧約聖書の一情景を深く心身に刻むことでしょう。
 そうです。
 義人アウラアム(アブラハム)の愛息イサクの奉献です(創世記22章)。
おそらく聖シメオンも神秘的な巡り合わせに感動したことでしょう。
 正教会が旧約聖書を非常に重要視し、歴代の信仰者、聖職者、修道者たちが
旧約にその「ひな形」予兆・予象を敏感に体感するのは、当然のことなのです。
 神様はつねに、わたしたちに前兆を恵みます。
 そなえ、準備をととのえさせるために、わたしたちが気づくように、預言・象徴を
贈って下さっているのです。
 「親の思い 子 不知(しらず)」
 この言葉は、あまりにも鈍感なわたしたちへの警鐘です。
 神様からの贈り物、わたし、あなたは、何を感じ、どう接し、それから「返礼・答礼」
していくべきなのでしょうか。
 聖なる抱神者シメオンの生き方は(預言女アンナもそうです)、
わたしたちに神様からの贈り物をどう受け認め、生を全うするのかの
「範」を預告しています。
 崇め 讃めよ!                      (京都 パウエル 及川 信 神父)





紅葉(もみじ)
(2012年 12月のお話)

まだ人のいなかった大地に
無人であった荒れ野に雨を降らせ
乾ききったところを潤し
青草の萌え出るようにしたのか。
旧約聖書「ヨブ記」38章参照

 九州の山道を車で走っていて、あまりにも真っ赤で美しい、色づいた紅い葉を目にし、
いそいで引き返し撮影しました。
 この木だけ、なんという真紅。
 みごとな自己主張? いいえ、そう思うのは人間だけで、木にしてみれば
冬支度のために木の葉を染めたにすぎません。ごく自然なことなのでしょう。
 イオフ(ヨブ)は「わたしが大地を据えたとき おまえはどこにいたのか」
と喝破され、はっと息の飲みます。
 このときのイオフの横顔を連想すると、神様に向かい合ったその光景は、
まさに凄絶です。
 わたしの育った北海道 釧路。
 紅葉といえば、印象にのこっているのは、ななかまどの木でした。
 「ウィキペディア」にはこう説明されています(抄出)。

 落葉高木でバラ科、北海道~九州の山地に、広く分布。
高さ7~10m程度になり、夏には白い花を咲かせ、葉は枝先に集まって着き、奇数羽状複葉。
 秋にはあざやかに紅葉、赤い実を成らせる。実は鳥類の食用となる。果実酒にも利用できる。
 備長炭の材料として火力も強く火持ちも良いので作られた炭は極上品とされている。
 「ナナカマド」という和名は、"大変燃えにくく、7度竈(かまど)に入れても燃えない"
ということから付けられたという説が、広く流布している。
 その他に、"7度焼くと良質の炭になる"という説や、食器にすると丈夫で壊れにくい事から
"竃が7度駄目になるくらいの期間使用できる"という説などもある。

 ななかまどが赤く染まると、冬の到来を意識したものです。
 なぜ赤くなるのか、論理的・科学的に説明せよ、と求められると困ってしまいますが、
人も(赤い実をついばむ)小鳥も、ななかまどの色づきで季節を知り、生活しています。
 自然とはなんと優雅で、神秘的なのでしょう。
 何万年という時が、ななかまどに「生きる美」を恵んでいます。
 ある学者が、自分で自分を、明るく元気に笑顔で「ほめたら」、仕事や目標の
到達率がアップすると言ったそうです。
 これって、けっこう当たり前の研究成果なのですが、あまりにみごとな紅葉に
感動したとき、思わず山の木に「おまえはみごとに生きている」と語りかけ、
樹皮をなでてしまいました。
 来年、この季節に、同じ場所を通過するかどうかはわかりません。
 でもこの木と共に生きている感動・感激・感謝は、忘れずにいましょう。
 祈りのこころと共に。                  (京都 パウエル 及川 信 神父)




小 舟(こぶね)
(2012年 11月のお話)

すでに夜が明けた頃、イイススが岸に立っておられた。
だが弟子たちは、それがイイススだとは気づかなかった。
イイススが「子たちよ、何か食べ物があるか」と言われると、
彼らは「ありません」と答えた。
イイススは言われた。
「舟の右側に網を打ちなさい。
そうすれば獲れるはずだ」
新約聖書「イオアン(ヨハネ)福音書」21章参照

 ガリラヤ湖に浮かぶ漁師の乗る小舟は、おそらく二、三人が乗船すれば満員。
風のない時は艪(ろ)・櫂(かい)で漕ぎ、順風に恵まれればちいさな帆をかける舟
だったことでしょう。(写真は琵琶湖の一景)
 琵琶湖とおなじく、古来よりガリラヤ湖は「うみ」と呼ばれるほど大きな湖です
 冒頭に引いた挿話のとおり、弟子たちは、大漁の魚を目のあたりにするまで、その人が
最愛の師イイススだとは気がつかなかったのです。
 ガリラヤ湖の西岸、ティベリア。
 救世主イイススは、ガリラヤ湖で漁をしていた若者に声をかけて、
「あなたがたを人間をとる漁師にしてあげよう」と語り、弟子にしました。
 イイススの最初の弟子は漁師で、ティベリアがかれらの生まれ故郷でした。
 かれらはガリラヤ湖でラブヌンといういわしのような魚や、アムヌンという魚を漁っていました。 
 このアムヌンという魚は、日本では30年ほど前、養殖でもてはやされた熱帯の淡水魚で、
日本名は「いずみだい」、ティラピアといいます。
 アムヌンという魚、英語では「聖ペトルの魚(セント・ピーターズフィッシュ)」。
 聖書では、大きな魚と言っていますが、ティラピアモザンビカという種類は、
大きさが40~50cmにも成長します。
 このティラピア、昔から不思議な生態が知られています。
 結婚適齢期を迎えたオスのティラピアは、河や池の底に家というか、産卵用の床(とこ)を造ります。
それからオスはメスが来ると「結婚しようよ」一生懸命プロポーズをします。
 結婚相手を選ぶ選択権は、メスにあります。メスがオスと新居を気に入ると、産卵、卵からの孵化(ふか)、
そのあとたいていのティラピアは、オスとメスが交互に稚魚を口にふくんで育てます。
一度の産卵数、孵化する稚魚は100~せいぜい300匹です。その家庭生活? は、実に人間的です。
 わたしたち信仰者は、神の創られた海を自在に泳ぐ魚のような存在です。神の海は、命の海、
愛と信頼の水を湛えた豊饒の海、平和の海です。神の海は温かい海、わたしたちは神に暖められた魚です。
 信・望・愛を信仰生活の拠り所、基礎にした笑顔で生きる魚です。
 イイススが、最初の弟子の獲得、そして死よりの復活の3回目の顕現(あらわれ)に、大きな魚、
ティラピアを選んだのは、人間、信仰者は、愛を基盤とした家庭生活を全うするべきだという、
漁師たちの叡智を反映しています。
 ちなみにティラピアのヘブライ語名アムヌンは「魚の母」、育児をする愛情深い魚と言う意味です。
 漁のあとシモン・ペトル(ペトロ)に、三回も「わたしを愛するか」と問いかけた主イイスス。
その真情の重みをわたしたちは、痛切に感じます。
 これら魚にも劣るような人間、信仰者であってはならないと思います。
 魚の奇蹟は「完全な人間」、愛に生きる人間が真のテーマなのです。
                                   (京都 パウエル 及川 信 神父)




りんごの奇蹟(きせき)
(2012年 10月のお話)

北風よ、目覚めよ。
南風よ、吹け。
わたしの園を吹き抜けて、
香りを振りまいておくれ。
恋しい人がこの園をわがものとして
このみごとな実を食べてくださるように。

りんごの木の下で
わたしはあなたを呼び覚ましましょう。
あなたの母もここであなたをみごもりました。
あなたを産んだ方も
ここであなたをみごもりました。
(旧約聖書「雅歌」参照)

 仕事柄、出張が多いので、空いた時間に本を読みます。
 働いている人の、屈託のない(そう見えてしまう)、すてきな笑顔につい魅(ひ)かれて
1冊の文庫本を手にしていました。
 石川拓治著 『奇跡のリンゴ』幻冬社文庫
 青森県岩木山のふもとに住むりんご農家 木村秋則氏の、格闘と苦悶……筆舌に
尽くしがたい半生を記録した書です。
 だれもがある程度の規模の農家の経営、農作物の無事な収穫には、化学薬品、つまり農薬や
化学肥料が絶対に必要だと疑いません。
 農薬なくして作物なし。
 わたしたちは、いろいろな「大前提」先入観、こうであるべきだ、という「防壁」を
盲信してしまうことがあります。
 じつはその防壁は人の進歩・発見をさえぎる「妨壁」であったり、
盲信は他の建設的な提案・意見に耳をふさぐ、
ときには「狂信」であり「妄信」につながることがあるのですが……
 これが絶対に正しい・正義だという前には、
そう言えることは、わたしには先ずないことなのですが、
仮にもしもそう主張できる人がいるならば、わたしはこう思います。
 ほんとうは何万回もの、ほかのひとの数十万倍の
試行錯誤と失敗の積み重ねが大事であり、その過去の積み重ねの上に立っての言葉だと。
 奇跡のリンゴの著者は述懐します。
「岩木山で学んだのは、自然というものの驚くべき複雑さだった。その複雑な相手と、
簡単に折り合いをつけようとするのがそもそもの間違いなのだ。
 自然の中には、害虫も益虫もない。それどころか、生物と無生物の境目すらも曖昧なのだ。
土、水、空気、太陽の光に風。命を持たぬものと、細菌や微生物、昆虫に雑草、樹木から獣に
いたるまで、生きとし生ける命が絡み合って自然は成り立っている。その自然の全体と
つきあっていこうと木村は思った。自然が織る生態系という織物と、リンゴの木の命を
調和させることが自分の仕事なのだ、と」 
 翻(ひるがえ)って、司祭(神父)という職にある自分はどうでしょうか……。
 本来、信仰、信仰生活は、教会という団体組織に、あるいは神の国という団体組織に
ひとりの人が、自らの素直で謙遜な意志のもとに、入信・入会していくものです。
 個と公は、手と手を緊密に携え合っているのが「正教会」の信仰生活です。
 日々新たな、発見と感動があって、初めて信仰生活が楽しく、永続きすることでしょう。
 わたしは司祭として「教えすぎて」、自然に伸びようとする信の芽をつんではいないでしょうか。
 また啓蒙者(入信希望者)や信徒は、学びに熱中しすぎて「狂奔(きょうほん)」してしまい
周囲への目配りが欠けて視野狭窄(しやきょうさく)となり、祈り・恵みによる、自らの自然な
成長を自分で止めてはいないでしょうか。
 わたしはようやく最近気づき始めました。
 一見、「冷たい」と思われても「待とう」……穏やかに静観し待っていたい、
そう努力し始めています。
「すべては神の御手(みて)のなかに」
 自然との調和が、司祭の仕事……。
 気づくのが遅すぎたのかも、そう感じ、自省しています。
 わたしはもしかしたらほんの少しだけ、 (もちろんこれもちょっとした勘違いで、
たんに馬齢をかさねただけなのかもしれませんが)
信仰の「歳」をとってきたのかもしれません。
                                   (京都 パウエル 及川 信 神父)




松は鶴の棲処(すみか)たり
(2012年 9月のお話)

主の樹、その植えたる
リワンの柏香木はあきたれり。
鳥はその上に巣を造る、
松は鶴の棲処(すみか)たり。
(旧約聖書「第103聖詠」、新共同訳聖書詩編104参照)

 初春、巡回先の九州の田園地帯を車で疾走していましたら、田植え前の水を満々と
たたえた水田に、白鷺(しろさぎ)が何羽もいました。
 くつろいだ風情で、羽を休め、のんびりしています。
 驚かさないように、遠い道路上から、遠隔撮影を試みますが、手にしていたコンパクトな
デジカメの悲しさか、ホームページ上に掲載してみると、にじんだようになっています。
 聖詠「松は鶴の棲処(すみか)たり」
 この松は糸杉、リワンの柏香木はレバノン杉をさすそうです。
 糸杉といっても、細い針金のような弱々しい木をイメージしてはいけません。
 ドーンと大きな樹木、あの大型の鳥こうのとりは、非常に大きな巣をかけるので
でかい木、安定した樹木です。
 こうのとりは、太い煙突やビル・家屋にも巣作りをします。
 こうのとりも糸杉も幸福を印象づけます。
 ではなぜ、こうのとりを「鶴」と訳したのでしょうか。
 これも諸説ありますが、白い大きな鳥、丹頂鶴・まなづる・なべづる・こうのとり・とき
(朱鷺)等を日本では古来から総称して「鶴」と呼んできた歴史があるそうです。
 幸福の象徴、いわゆる縁起物の鳥なのでしょう。
 また聖詠は「韻をふんで」編集されているので、松と鶴という、日本人には馴染み深い
取り合わせのほうが、詠唱しやすいし想像しやすいということがあるでしょう。
 もっとも翻訳者に聞いてみなければ、真相は判明しませんが……。
 預言者エレミヤは、神の定め・教えを守らない民がいると嘆き、こう言います。
「空を飛ぶこうのとりもその季節を知っている。
山鳩もつばめも鶴も、渡る時を守る」(エレミヤ書8章参照)
 ところでエレミヤの語った「鶴」は、じつはペリカン、ももいろペリカンではないか、
(あるいはフラミンゴ?)と言った人がいます。
 ペリカンも渡り鳥なのです。
 地中海東岸地域は、大昔は、ほんとうは緑豊か、鳥獣が戯れ遊ぶ快適な世界でした。
「乳と蜜の流れる国」
 こうのとりやペリカンがのびのび暮らせない国・土地は、人もゆったり幸せに
暮らせないことを、わたしたちは噛みしめましょう。
                           (京都 パウエル 及川 信 神父)




聖堂を建てる(祈願)
(2012年 8月のお話)

祝福されよ、主に信頼する人は。
主がその人の拠り所となられる。
彼は水のほとりに植えられた木。
水路のほとりに根を張り
暑さが襲うのを見ることなく
その葉は青々としている。
干ばつの年にも憂いがなく
実を結ぶことをやめない。
(旧約聖書「エレミヤ書」17章参照)

 7月9日~11日まで、東北、岩手・宮城、昨年3月11日東日本大震災で被災
した教会・地域を訪問してきました。
 上記写真は、津波後の火災ですべてを焼失した、岩手県山田正教会の会堂敷地。
左から大船渡・盛正教会の信徒2人、愛知県名古屋正教会の松島神父様、祈念碑すぐ
右横が東日本主教教区局長小池神父様(一関正教会)です。
 ありがとうございました。
 東日本東側・太平洋側地域は、地震、津波、火災、いろいろな災厄に見舞われ、
さらには福島原発による放射能汚染などの被害(風評)が広がりました。
 数年前の宮崎の鳥インフルエンザや口蹄疫の時には、病気の広まった地域の
子どもや大人を忌避する他県の人がいたり、実際、大分県の県境を越えて自動車を
運転していたら、心ない中学生か高校生が宮崎ナンバーの車めがけて、
罵声を浴びせながら石を投げてきたそうです。
 その体験をした人の話を思い出しながら、被災地の皆様にお会いし、共に祈り、
車で案内していただくうちに、わたしは自らの「不足」「無知」を痛感しました。
 口先だけで「絆」と言ってはいけない。
 見せかけの、うわべの同情ほど始末の悪いものはないと感じ、我が身を恥じました。
 祈りとは?
 聖堂とは何でしょうか。
 聖堂を建てるとはどういう「意味」「価値」をもつのでしょうか。
 わたしたちにとって聖堂、祈りとは何でしょうか。
 わたしたち一人ひとりが、ハリストス(キリスト)の肢体、善き果実を結ぶ聖なる枝、
生ける神の堂にならねば、それは深く深く体験できないのかもしれません。
 祈念碑には、「山田ハリストス正教会 願建立」と書かれています。
 「願」とは?
 人が人であるように、まっとうな人間として生活するように、
真の人間として生きられますように。
 絶望ではなく希望を、失意ではなく勇気を、萎縮ではなく一歩でも前進を、
下がりながらであっても未来に目を向けてその場で踏みこたえる忍耐を、
苦難の闇にあっても光を、死ではなく生命を、なにより生きることを。
 神様、救いを。
 救いの恵みに満ちた暖かい聖堂を。
 わたしはできないことが多すぎるので、今日も祈ります。
                           (京都 パウエル 及川 信 神父)






輔祭 叙聖(神品機密)
(2012年 7月のお話)

「兄弟たち、あなたがたの中から、
聖神(せいしん)と知恵に満ちた
評判のよい人を7人選びなさい。
彼らにその仕事を任せよう。
わたしたちは、祈りと
御言葉の奉仕に専念することにします」
一同はこの提案に賛成し、
信仰と聖神に満ちている人
ステファンと、ほかに、フィリップ、プロクル、
ニカノル、ティモン、パルメン、
アンティオキア出身の改宗者ニコライを選んで
使徒たちの前に立たせた。
使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。
(新約聖書「聖使徒行実(使徒言行録)」6章参照)

 6月17日(日)京都生神女福音聖堂における、主日聖体礼儀の祈祷中、
厳密には、聖変化後に「万民をも」と祈ったあとに始まり、天主経(天にいます)に
つながる増連祷の前までなのですが、・・・・神品(しんぴん)機密が執り行われました。
 聖体拝領(領聖)、輔祭の最初の仕事である、十字架接吻前の小連祷も加えると
それはずいぶん長い祈りになります。
 輔祭(ほさい、ディアコン)の任命祝福、叙聖です。
 不思議なもので、約28年前に自分が輔祭に叙聖されたときよりも、緊張しました。
神品機密、叙聖式は、何度見て体験しても、胸にぐっとこみ上げてくるものがあります。
 はじめに取り上げた聖書の場面は、聖使徒の広範な仕事を手伝う補助者・教役者(きょうえきしゃ)
の誕生を告げています。
 ステファンら、かれら7人から、正教会の教役者は、おもに奉神礼(ほうしんれい・祈祷全般)を
補佐する輔祭・副輔祭・誦経者・聖歌者等と、教会生活全般を補佐する執事(信徒役員)・婦人会・
教会学校の先生などに枝分かれしていきます。
 ステファンら7人は、輔祭職の草分け、嚆矢(こうし)、先駆者です。
 輔祭は、司祭(神父)のよき理解者・援助者として、教会の聖務・祈祷に精通し、ときには神父と信徒との
架け橋となる役割を担います。
 なにより温柔(おんじゅう)、謙遜が求められています。
 さらに大事なことは、上記の写真が示すとおり、神の子羊・小羊(羔)を守り、
聖体拝領(領聖)への準備を、遺漏なく万端にととのえる聖職であることです。
 叙聖式で輔祭は、翼を持った天使を象る「リピタ(聖扇)」を御聖体、神の子羊・小羊(羔)の上にかざし、
十字を画きつづけます。(上記の写真参照)
 輔祭自身が、有翼の天使(神使)のごとく、神のいます宝座のまわりを飛翔しながら
敬虔な聖なる歌を歌い、祈り、慎みて安和にして奉仕することを表現します。
 聖堂には、堂役(どうえき)という聖なる仕事がありますが、かれら堂役をリードするのも
輔祭の仕事の一つです。
 名古屋の聖堂に、いいえ西日本の教区に、日本の正教会に、一人の輔祭が生まれました。
喜び、祝い、楽しみましょう。
「幾歳も!!」                        (京都 パウエル 及川 信 神父)




水辺へ(湧水)
(2012年 6月のお話)

彼らは家畜を飼いつつ道を行き、
荒れ地はすべて牧草地となる。
彼らは飢えることなく、渇くこともない。
太陽も熱風も彼らを打つことはない。
憐れみ深い方が彼らを導き、
湧き出る水のほとりに彼らを伴って行かれる。
(旧約聖書「イザヤ書」49章参照)

 わたしの育った北海道釧路、道東地方、根釧原野には、見渡すかぎりの原野・湿原
そして牧草地がひろがり、雑林やダケカンバ(白樺に似た木が)ぽつらぽつら
生えていました。
 ちょうど今の季節、5月上旬から6月初旬、春の訪れを待っていた草花・木々の
萌え出でる新緑の鮮やかさ、いっせいに咲く花の美しさはたとえようもない見事さ。
百花繚乱とはこれなのだと納得させます。
 主イイススが「野の花を見よ」「野にさえずる小鳥を見よ」と言った光景がたしかに
うなずけます。
 牧場から水飲み場へ、あるいは隣の牧草地へと、牛の群れは移動することが
あります。道路を横断中の牛の群れに遭遇したら、ドライバーは牛の横断が無事終了
するまで、ハンドルにあごを乗せて、のんびり待つより仕方ありません。
 エンジンの空ぶかしやクラクションなどはもってのほかです。
 水辺へ。
 良い言葉、心休まる表現です。
 古来、人は水を生活の中心としてきました。
「我田引水」という四文字熟語は有名です。
 川、湧水・泉、井戸、用水路、運河、そして水車(上記写真はとっても小さな水車)。
 ペットボトルの水はお店で売っていますが、「信仰の水」は切り売りできません。
 それは自然の中での祈り、聖堂での祈り、神様との出会いと対話。
 そうした静寂と穏和の中に「信仰の水」が息づき、湧きでてくるでしょう。
 サマリアの女は、井戸(泉)のかたわらでイイススと出会います。
「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしの与える水を飲む者は決して
渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」
                                (イオアン・ヨハネ福音書4章参照)
 永遠の命の水辺へと伴われる主なる神。
 わたしたちの信仰は、聖洗機密、洗礼式から始まっています。信仰生活は神様からの
生命の水を受け回り続ける水車のように、潤いながら「信仰の水」を、欲する人、
希望する信仰者へと恵みつづけています。
                              (京都 パウエル 及川 信 神父)



(なぎさ)
(2012年 5月のお話)

「ああ、主よ、この男の命のゆえに、滅ぼさないでください。
無実の者を殺したからといって責めないでください。
主よ、すべてはあなたの御心のままなのですから」
彼らがイオナ(ヨナ)を海へ放り込むと、荒れ狂っていた海は静まった。
人々は大いに主を畏れ、いけにえを献げて、誓いを立てた。
(旧約聖書「ヨナ書」1章参照)

 主なる神の顔(おもて)をさけて逃避したイオナ(ヨナ)は、このあと大魚(鯨)に
飲み込まれ、ようやく本心に立ち帰って、祈りを献げました。
 海に投げ込まれる前には、大嵐、暴風波浪のなか、水面に揺れる枯れ葉のように
波にもまれていた船底で、イオナは熟睡していたと聖書は記録しています。
 神からも、人からも分裂・離反しつつある危機的状況にあるにもかかわらず、
当事者はそれに気づいていないことが、ままあるものです。
 しばしば大病や大きな事故の前には、前兆というか予兆があります。
 いわゆる「危険信号」「警告」です。
 その危険信号を体感していながら、鈍感にまったく対応していないことの
なんと多いことでしょうか。
 イオナは神の預言者、いわば前兆現象のエキスパートのような存在で
ありながらも、自らの信仰の危機には、きわめて「愚鈍」でした。
 ときに人は神様が「いま」救ってはくださらない、と、神様を非難します。
 神様が恵んでくださった前兆・予兆を、神様の救いの「手」と認識しないで
見逃してしまっているにもかかわらず、神様は救ってくださらない、信仰を
抱いていても仕方がないと、何度口にしたことでしょう。
 イオナが飲み込まれた「大魚・鯨」とはなんでしょうか。
 わたしは「台風の目」のような場所だと思います。
 荒れ果てすさんだ時空間のど真ん中に、静寂の場所があります。
 それは真に祈ることのできるところです。神様が恵んでくださった重要な
居場所です。
 そこに至るためには嵐の中をくぐります。
 その祈りの場、台風の目を出て平穏な地平に至るためには、またもや嵐の中を
くぐらねばなりません。
 でも信仰者は、台風の目に向かう乱高下の苦しみではなく、祈った後には
動乱の悲しみ・苦しみに耐えながらも、平穏な日々へと向かう勇気と希望を
心身に抱くことでしょう。耐えて祈り、耐えて神と共に歩むことができます。
 嵐を静めた主イイススはわたしちにこう語りかけています
「なぜ怖がるのか、まだ信じないのか」(マルコ福音4章参照)
 わたしはいつも思います。
「神様、まだ怖いです。でも信じる努力をします。
あなたの救いの手にしがみつかせてください。お願いです」
                              (京都 パウエル 及川 信 神父)




主イイススの葬り(眠りの聖像)
(2012年 4月のお話)

輝く衣を着た二人は言った。
「なぜ生きておられる方を死者のなかに捜すのか。
あの方は、ここにはおられない。
復活なさったのだ」
(新約聖書「ルカ福音書」24章参照)

 この福音の箇所を読み、復活大祭の聖歌
「膏(あぶら)を携うる婦人(おんな)ども、朝早く命を賜う者の墓に来たり、
石に座する神の使いに会う、彼に言えるは、なんぞ生ける者を死せし者のうちに
尋ぬるや、なんぞ朽ちざる者を朽ちるとして悲しみ泣くや」
 と歌うたびに、心が震えます。
 正教会(オーソドックス)には、ものすごく合理的なところと、ものすごく不合理で
世の中の常識の枠を大きく逸脱している曖昧模糊(あいまいもこ)としているところ
が如実にあります。
 教会の神父が言うべきことではないのかもしれませんが、大斎(おおものいみ)
受難週の祈祷は、とにかく長い、くどい、しつこい。
 これでもかと聖書を読み、ともかくも祈祷文を歌い朗読し、疲れた背を追いかける
かのように、旧約聖書の予兆・前兆の箇所をひろい上げ、救世主イイススの受難前後の
福音を繰り返し祈ります。
 頭で読んでいるうちはだめだ。体ごと根こそぎ没頭し体感せよ、と言います。
 恩師(ラボニ・ラビ)が非業の最期をとげ、泣いて疲れ果て葬り、それでも
毎朝香油を塗りにやってくる女性の姿に、悲哀と壮絶なものを感じます。
 体ごと愛する、愛する者を探し続けるとはこういうことなのかとさえ思います。
 理屈を超えた祈りを、それでも祈祷という形と言葉でくくって説明し、伝えねば
ならない、もどかしさのようなものが、いつもあります。
 ひと言で伝えられたら、一動作で示せたら、どんなに幸せでしょうか。
 でも不肖の司祭は、不当の神父は、それができません。
「主はこの日を創れり、これを祝うて楽しむべし」
 今日も「届かなかった」不足の心を抱えつつ、神のおゆるしを賜って、大きな声で
「ハリストス 復活! 実に 復活!」
 と祈っています。                (京都 パウエル 及川 信 神父)




目覚め(球根)
(2012年 3月のお話)

主なる神は嵐の中から仰せになった。

まだ人のいなかった大地に
無人であった荒れ野に雨を降らせ、
乾ききったところを潤し、
青草の芽が萌え出るようにしたのか。
(旧約聖書「ヨブ記」38章参照)

 早春、春の兆(きざし)は、どこに見られるのでしょうか。
 昔の信仰者は、自然の営みのなかに、天然の仕組み、神の配慮を鋭敏に
感じていました。
 信仰の世界にはいろいろな象徴(シンボル)・休徴(きゅうちょう)があります。
 たとえば、蝶(ちょう)、それも青虫(幼虫)から蛹(さなぎ)となり美しい蝶が
生まれてくる姿は、不思議・神秘でした。
 蝉(せみ)が土中で生活し、やごが水中から空中の生き物、蜻蛉(とんぼ)となり、
おたまじゃくしが卵から生まれて蛙(かえる)へと変容を遂げていく生き方のなかにも、
神の業(しわざ)を見たりしました。
 球根から芽が出て、美しい花が咲き、また栄養をたくわえる球根がのこる。こうした
およそ人の手のとどかぬ現象のすべてに「神の手」が見えました。
(上記写真は京都正教会花壇)
  畏怖(おそ)るべきことに、デジカメやスマートフォンからは、自然の体験はできません。
どんなに鮮明な画像や情報がえられ眼前に見られても、それは虚像の投影です。
「神の体験」はデジカメや携帯電話などを棄て、「聖堂」に入堂して祈り、
いわば人が存在しながら何も持たずに神の前に立ったときに、
体感できるものがあることでしょう。
 聖堂とは、祈りの場とは、神の創造された天然自然の世界を感じられる体験の場、
母なるそして父なる神の鼓動の感じられるところ、子どもの生まれる胎動を予感させる
聖なる地です。
 教会の奥底には、球根のような不思議な生命力が宿っていると言ったら、
おかしな表現と思われるでしょうか。
 雅歌の作者はこう謳っています(雅歌2章)。
「ごらん、冬は去り、雨の季節は終わった。
花は咲きいで、小鳥の歌うときが来た。
この里にも山鳩の声が聞こえる。
いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。
恋人よ、美しいひとよ、さあ、立って出ておいで」
                              (京都 パウエル 及川 信 神父)




トンネル(隧道)と洞窟
(2012年 2月のお話)

預言者イリヤ(エリヤ)は、四十日四十夜歩き続け、
ついに神の山ホレブ(シナイ山)に着いた。
イリヤはそこにあった洞窟に入り、夜を過ごした。
(旧約聖書「列王記」19章参照)

 トンネンルや洞窟を見ると、不思議なことにいつも預言者イリヤを思い出します。
 正教会では洞窟には深い意味があるので、トンネルを見たり、通過するたびに
つい物思いにふけってしまう自分がいたりします。
 たとえば聖像(イコン)をみると、主の降誕の聖像では、救世主イイススが
お生まれになった馬小屋が、洞窟で描かれていたりします。
 聖使徒・神学者・福音者聖イオアン(ヨハネ)の聖像でも、洞窟が描かれていたり、
聖アントニーや聖フェオドシイで有名なキエフの大修道院も別名洞窟大修道院です。
 初代教会のお墓や古い教会には洞窟が多く、またカッパドキアの洞窟都市や
世界各地には自然の洞窟や自ら掘った洞窟を聖堂や修道院にした例は、
枚挙にいとまがありません。
 洞窟の暗闇と静寂は、死を意識させるばかりではなく、人の感性を鋭敏にし、
神へと近づく「産道」の役割を果たしているのではないか、そう思えることがあります。
 さて預言者イリヤです。
 主なる神は、引きこもっていたイリヤに洞窟を出て、山の中で神の前に立てと
命じます。

見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。
主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。
しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。
しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。
しかし、火の中にも主はおられなかった。
火の後に、静かにささやく声が聞こえた。それを聞くと、
イリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。
そのとき、声はイリヤにこう告げた。
 「イリヤよ、ここで何をしているのか」 (列王記上19章参照)

 耳を澄ますだけでは足りません。心身を澄まし、祈りに満ちて、神の心にふれる
準備のできたときに、人は神と出会います。
 イリヤは、心身共になえきって疲れ果て、孤独な絶望に手も足も体もすくんでいた
ときに、神と出会います。
 ところが聖書は、イリヤに「あなたのもと来た道を引き返せ」と神様が命じた
記録しています。神様はそう言ったのです。
 なんと厳しい峻烈な言葉でしょう。
 わたしはこの箇所を読むたびに身も心も震えます。
 苦難の中に歩め、荒れ野に向かえ、あなたにはやることがあり、まだ同信の仲間が
いると神様は重ねて告げます。
 残念ながらわたしには、イリヤのように苦難に耐えて生きる自信がありません。
ですからなおさら、祈らずにはおられません。
「主イイスス・ハリストス神の子よ、われ罪人を憐れみたまえ」、と。
                                  (人吉 パウエル 及川 信 神父)



日本で初めての主教祈祷
聖インノケンティ
(その2)
(2012年 1月のお話)

若い聖ニコライは修道司祭でありましたが、主の言葉、福音書にある
「行って、すべての人を教え、父と子と聖神の名によりて、
洗礼を授けなさい」
というその命令に従って、日本の地に来られたわけであります。
最初は函館の領事館内での宣教でありましたが、
その後は日本全国に向けて、
この正教の伝道を始められました。そして
教会堂が建てられるようになり、また
奉神礼書の日本語化が
速やかに行われたわけであります。
〈2010年10月亜使徒聖ニコライ列聖40年・聖自治教会祝福40年
『記念誌』「全ロシアの総主教キリィル聖下の親書」より
通訳:イオアン長屋房夫師)

「主教祈祷には花(華)がある」
 と語った信徒がおりました。
 今から千年あまり昔、キエフ公国の使節一行(スラブ民)が
ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(いまイスタンブール)の
聖ソフィア大聖堂の主教祈祷を目にしたとき、
「まるで天国、神の国だ。この世の出来事とは思えない」
 と賛嘆・驚嘆したのは、当然のことだったでしょう。
 上記写真は、記念祭聖体礼儀、右から、仙台・東日本の主教セラフィム座下、
ロシア正教会渉外局長イラリオン府主教座下、全日本の府主教ダニイル座下、
聖セルギイ大修道院副院長フェオグノスト大主教座下。
 大阪生神女庇護聖堂です。
 さて日本で最初の主教祈祷はいつのことでしょうか。
 1861年9月聖インノケンティは日本の函館に来港し、9月20日に聖ニコライと共に
聖体礼儀を執行しています。
 日本で初めて主教祈祷の執り行われた記念すべき日です。
 おもしろいエピソードがのこっています。
 この時、聖ニコライが忘れないようにとフランス語やドイツ語の本を読んでいたら、
聖インノケンティはその頭を振りながら、こう言ったといいます。
「わたしがあなたに対してもし権力ある者であったら、このあなたのフランス語やドイツ語の
書物をみな取り上げて、海へでも投げ込んで了わなければならないのです。あなたは今
こんな事をしている時でしょうか。見なさい、あなたは今日本語で何が何やら分からない
話し方で話しているではありませんか。ですからもう専心、日本語の研究に時間を
献げなければなりません」(瀬沼恪三郎訳、聖ニコライから露国雑誌『明燈及び文士の日誌』
主幹クルグロフへの書簡、『ニコライ大主教宣教五十年記念集』正教神学院、明治四四年)
 このとき聖インノケンティは、聖ニコライの周囲に集まった日本人生徒(聴講生)を16人も
確認していますが、おそらくはロシア語や西欧の文物に興味を持ち、それらを見に来た人が
ほとんどであったでしょう。
 そうした光景を目の当たりにした聖インノケンティは、せっかく教会に来た人を空手で無為に
帰してはならないと、まだ若い聖ニコライを厳しく戒めたのではないでしょうか。
 7年後、68年聖ニコライは、聖インノケンティにこう手紙を書いて送っています。
「わたしはあなたの御忠告を胸に留めて置くことを心から誇りに思い、それに従うよう努力してきました。
わたしは宣教という仕事のため、日本へ来たのだと実感する次第です」(牛丸康夫訳)
 この聖インノケンティの影響を受けた亜使徒聖ニコライを長とする日本・ミッションが発足するのは、
1870年のことでした。                          (人吉 パウエル 及川 信 神父)






アリューシャン・アラスカ
・東シベリアの教化者
のちのモスクワ府主教
聖インノケンティ
(2011年 12月のお話)

願わくは神、光栄にして讃美たる聖使徒および福音者(その名を唱える)の祈祷によりて
なんじ福音を宣ぶる者に多くの力ある言葉を賜わん。
その至愛の子、イイスス・ハリストスの福音の行わるるがためなり、アミン
〈正教会『聖金口イオアン聖体礼儀』聖福音経朗読前の祝文)

 先月のお話に引き続き、イルクーツクの聖インノケンティの聖なる名を受け継ぎ、
広大な海陸を踏破して宣教した、もう一人の聖インノケンティを紹介しましょう。
 このインノケンティ(1797~1879)は、イルクーツクの出身です。
 彼は、イルクーツクで活躍した先駆者、日本正教会宣教団の守護聖人でもあった
聖インノケンティを心から敬愛していました。
 やがて若き司祭は家族を引き連れ、アリューシャン(アレウト・アリュート)のウナラスカ、
さらにアメリカ大陸西海岸のシトカ(シットカ)にも拠(きょ)を移して宣教に励みます。
 愛する妻を失った後には、子らの将来を図った上で、カムチャッカ・クリル・アリューシャンの
主教として広大な版図をもつ管区の宣教・牧会に挺身(ていしん)します。
 いろいろな教化活動を率先、聖書や奉神礼書の現地語への翻訳、印刷機を動かして出版物を作り、
ときには自ら斧やノコギリを手にして聖堂を建て、小船や馬車、犬そりを操作して宣教旅行を実行するなど、
労を惜しまずの献身を継続しました。
 その懸命な姿には頭が下がります。
 そうして前回もお話したように、彼の姿を見て共鳴し、共に労苦を背負った数多くの聖職者・
信徒の姿を思い浮かべることができます。
 1人でできることには限りがあります。
 二、三人集まる所に神はおられ、そこに教会が生まれます。
 ところがそうした評価の一方で、じつにいやな風評もあるのがこの世の常です。
 当時、僻地での宣教はロシア正教会にあっては「出世の早道」だったと言う人がいました。
 たしかに聖インノケンティはモスクワ府主教に昇叙しましたが、それは聖人の功績、人品骨柄、
なによりも宣教者として、卓越した神の事業の奉仕者であったことを評価してのことでしょう。
 何が教会における「立身出世」なのか、わたしには判然としませんが、そう言う人は
自ら赴いて、僻遠の地方で10年、20年、精魂こめ、骨をそこに埋めるつもりで実践してみることを
お勧めします。ぜひそうなさるべきです。
 まるでテレビや映画の画面を拾い見た感想風に、あるいはふとした空想でものを語っては
いけないことがあるとは思いませんか。
 聖なるものを見て、それをすぐに地に落とし、世俗の泥芥(どろあくた)にまみれさせて論評し、
けっきょく教会は世俗の一端なんですね、それみたことかと喜ぶ人には、神様の真実は
見えてこないことでしょう。
 もっと静謐な謙虚さが必要なのではないでしょうか。
 さて1861年9月、聖インノケンティは函館を訪れ、聖ニコライと共に祈っています。
 日本初の主教祈祷です。函館正教会は、いわゆる極東を宣教した偉大な二聖人の
交流を記念する、聖なる地なのです。
(函館正教会は、北海道観光の名所であると共に、いろいろな教会行事はじめ、聖歌CD・カレンダー
・写真集出版など、活発な活動をされています)           (人吉 パウエル 及川 信 神父)





イルクーツクの主教 奇蹟者
聖インノケンティ

(日本宣教団の守護聖人)

(2011年 11月のお話)

いと光明なる教会の燈(ともしび)、爾(なんじ)の諸徳の光線にて諸方を輝かし、
信をもって爾の柩(ひつぎ)に走りつく者に施す、
多くの医治(いやし)にて神を栄せし成聖者(せいせいしゃ)神父インノケンティよ
祈る、爾の祈祷をもって、この町を
すべての災害(わざわい)と憂愁(うれい)より護りたまえ。
〈正教会『祭日経』「聖インノケンティ祭」成聖者の讃詞〈トロパリ〉)

 さる10月10日、大阪での教区秋季セミナーで講演された聖人です。
 日本の国の光照者(こうしょうしゃ)亜使徒聖ニコライは、日本宣教団の希望の光、日本正教会の
守護聖人として、聖インノケンティを仰ぎ模範としつづけるよう、信徒らに奨励していました。
(上記のイコンは、白石孝子先生の作、九州・人吉生神女庇護聖堂、聖障の聖像)
 18世紀シベリアは、荒々しい開拓の波にもまれ、力ある者が勝利するという弱肉強食の
世界が広がっていました。
 武器を手にし、強力な武装集団を配下に置いた者がその地の法律執行者となってしまう、
いわゆる無法地帯が多々ありました。まるでアメリカの西部劇の舞台のようです。
 その中に宣教者として赴任した聖インノケンティは、苦難の中にあって、信仰者の神髄を
全うしようと渾身、努力します。
 おそらく自らの栄達や毀誉褒貶(きよほうへん)にまったく顧慮しない姿勢に共鳴した、
権勢や暴力とは無縁の、いまは名をとどめていない数多くの信仰者らが、聖人にしたがって
生きたことでしょう。
「わたしには夢がある」
 ある有名なアメリカの牧師の言葉です。
 聖インノケンティの伝道、牧会・宣教の歩みは実質、数年ほどに過ぎません。
 その聖なる波動は、静かに始まり、人と地を潤し、今日に伝わっています。
 しかしながら聖人伝などを読むと、じつに泥臭いものです。地を這うように苦闘し、固い不信の
岩盤を手足の指で穿(うが)つような、血のにじむ努力であったことがわかります。
 ちっとも華々しくはないのです。
 だからこそ、その生き方が胸を打ちます。
 信仰者には、夢があります。
 昔からの夢であり、現在の夢でもあります。

  慶べよ、神父インノケンティよ、無玷(むてん)と同名の者、教会の固め、恩寵の富、
  数えがたき奇蹟の宝蔵(ほうぞう)、司祭首(しさいしゅ)の誉(ほまれ)、牧師らの模範、
  被牧者の扶助者(ふじょしゃ)、疎(うと)き者および親しき者の祈祷者、イルクーツクの町
  の飾り、爾の修道院の装飾、聖なる教会の光栄や、これがために祈りて、神が常にこれ
  を平安に護りて、その教えを盛んに輝かさんことを求めたまえ。     (早課の讃頌)

 神の愛に抱かれながら、だれかを愛し幸せにする、あるいはその幸せを築きながら神と
共に生きるというのが、信仰生活者の夢ではないでしょうか。
 聖インノケンティの信仰は、いまも脈々とわたしたちの中に生き続けていると感じます。   
                                 (人吉 パウエル 及川 信 神父)

 ☆「二人の聖インノケンティ」は、長縄光男先生のご講演「聖ニコライの西国巡回」(横浜国大名誉教授)
  講演録と共に収録され、西日本主教教区より刊行されます。ぜひお読みください。




(2011年 10月のお話)

神は、ノア(ノイ)と彼と共に箱舟にいた
すべての獣とすべての家畜を御心に留め、
地の上に風を吹かせられたので、
水が減り始めた。
〈旧約聖書「創世記」8章参照)

 正教会は、聖神(せいしん、聖霊)を「風」、神の風と信じます(聖使徒行実・使徒言行録・
使徒行伝2章参照)。
 いま現実に吹いている風は、時には大陸からの汚染物質に満ちた黄砂を運ぶ風であったり、
福島原発事故の大影響で放射能汚染物質を拡散する、いまわしいものになっている地域も
ありますが、風はほんとうは、人と自然への恵みの賜ものではないでしょうか。
(写真は阿蘇近郊の風力発電機の風車)
 冒頭に引いた聖書本文は、陸を覆った大洪水の水を海へと押し返す風です。
 人をとりまく自然災害をもたらすのも風、でも人に潤いある生活や天然の豊穣さを恵むのも
風の恩恵です。
 神との出会いを予兆する風もあります。
 苦難にもがき苦しみ、わたしの命を取ってください、と死を望んだ預言者イリヤ(エリヤ)は
モイセイ(モーセ)が神と出会ったシナイ(ホレブ)の山で、神に導かれます。
 神はイリヤに「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と厳命します。打ちしおれた人、
いまふうの表現では、心のぽっきり折れそうな人に、やや冷たい言葉かけです。
「見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、
山を裂き、岩を砕いた。しかし嵐の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。
しかし地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし火の中にも主は
おられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた」(列王記上19章参照)
 神の静かにささやく声は、穏やかで密(ひそ)やかな風の中に生まれたささやきでした。
この声は、実はかの初人アダムとエバ(イブ)が陥罪後に、神から逃げて木の繁茂(しげみ)に
隠れていたときに聴いた声でもあるのです(創世記3章参照)。
 アダムとエバは謙虚さのない傲慢にとらわれ、神の心を察しない屈折した人間となってしまい、
ついに神に姿を隠しましたが、イリヤは畏怖の念、また自殺願望まで口にしてしまったことへの
神の怒りを予感して震えながらも、勇気をもって神の前に進み出ます。
 イリヤに吹いた風は、イリヤの現況を破壊し、わずかに残った不屈の霊(たましい)を奮い立たせ
復活させた嵐の強風であると共に、真に人を生かす聖にして穏やかなる神の風でした。
「神の風を感じて生きる」
 あるいは、
「神の風の中に生きる」
 風に神の意図、その心、思いを察せられる人は幸いです。
 聖堂で香炉の薫香(くんこう)が、静かに風に流れゆく光景は、神の堂に吹く神の風を顕すのでは
ありませんか。
 香の風は、神の恵みの風、人のこころを神のみもとへと届ける祈りの風でもあります。
 神の風はあらゆる人に吹き寄せ、人の背を押し、人の歩みを支え、人を生かしています。
                                 (人吉 パウエル 及川 信 神父)



平和の架け橋(2011年 9月のお話)

わたしは雲の中にわたしの虹(にじ)を置く。
これはわたしと大地の間に立てた契約のしるし(徴)となる。
わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、
わたしは、わたしとあなたたち、ならびにすべての生き物、
すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。
〈旧約聖書「創世記」9章参照)

 以前にも取り上げましたが、九州各地を愛車で疾駆していくとき、
昔の人が築いた苔むした石橋のひょっこりたたずんでいる光景が、田畑水路、草原小川、
山間疎林に一瞬、垣間見えたりします。
(上記の石橋は大分県宇佐市の山中にて)
 熊本県の通潤橋のように有名ではなく、人や小さな車、あるいは動物が渡っていくのを
のどかにひっそり待っているかのように感じます。
 創世以来、人の最大の発見・活用品は、一は「火」、二は「車輪」、そして三は「橋」では
ないでしょうか。
 戦国時代が終わりを告げ、安土桃山から江戸時代へと移ると、大河に架かっていた橋は
構築をゆるされず、あるいは破壊されたといいます。
 江戸幕府を開いた将軍徳川家康が、反旗を翻した諸国の大軍が江戸へ殺到するのを
遅らせ、防備を固めるために、大井川などへの架橋をゆるさなかったからだとされています。
 これは意味深長な故事ではないでしょうか。
 国と国、人と人が意思の疎通、会話がないと、感情の行き来ができないからです。
 これは神と人にも同様で、たとえば「祈り」という「架け橋」架橋がないと、人は神様からの
音信・嘉音、すなわち赦しと救いを恵む福音・神のメッセージを受けとめることが困難です。
 ところで正教会には、虹の形すなわちアーチ状の構造物が、頻出しています。
 ビザンティン様式のドーム(円蓋)をいただいた聖堂しかり、聖堂内のアーチ状の装飾しかり、
扉やいろいろな文様・装飾にも虹の形が多彩に使われています。
 わたしたちは「契約の虹」、神の恩寵を心身に深く刻みましょう。そうすることで信仰生活、
信仰とは、つまりは「架橋工事」のようなものだと、心の底から痛感することができます。
 神は虹をはじめ、いろいろな橋を架けようとされています。
 その最大の現れがイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の降誕、福音の生活、受難、
十字架、死、三日目の復活、昇天、聖神降臨などの事蹟です。
 橋は、川や渓谷の両端に届き、しっかり支えられていなければ崩れてしまいます。
 でもその現実に気づかず、自分のことは棚に上げ、他者の不実のせいにして、
「信の橋」を崩している人のなんと多いことでしょうか。
 心を閉ざし、信の橋が伸びてくるのを拒んではなりません。
 虹の橋はあなた、わたしへと伸びてきています。
 その橋の一端を受けとめ、太く確固たるものにしていけるのは、あなたであり、わたしです。
 祈祷時に主教様や神父様が
「衆人に平安」
 と呼びかけ
「爾(なんじ)の神(しん)にも」
 と大きな声で応えるのは、信の橋が届いています、と神様に返事をしている表信なのです。
                                 (人吉 パウエル 及川 信 神父)



昇る太陽への讃歌(2011年 8月のお話)

暁(あかつき)の翼をとりて、海の極(はて)に移らんか。
かしこにも爾(なんじ)の手われを導き、
爾の右の手われを援(たす)けん。
〈旧約聖書「第138聖詠(詩編))

 早春。
 ちょうど夜明けに霧島を望む高速道を愛車で疾走していたとき、みごとな日輪を目撃。
ちょっと車を止め、いそいで撮影。
 荘厳な朝陽が山なみのもやをぬけて、光り輝いていました。
 その昔、もう40年ほども前、北海道釧路市の中学生だったわたしは新聞配達のアルバイト
をしていました。いまなら中学生のバイトは禁止されているかもしれませんが、当時
同級生らも新聞配達をしていました。
 風邪を引いたり、急用で朝の新聞配達を休む時には、お互い様で
交代して配達したりしましたから、背も低くケンカの腕っ節の弱かったわたしが
彼らの友人になれたのは不思議な巡り合わせと言うほかありません。
 あるとき、いわゆるガキ大将的なKくんが、
「おまえ、母親が病気で死んでいないんだって」
 とくりくり坊主の頭をかしげ、真剣な瞳をひからせながら聴いてきました。 
 うなずくと、
「苦労してんだな」
 とつぶやき、Kくんともすっかりうち解けて仲良しになりました。
 ま、そういう思い出話はさておき、新聞配達で千代の浦海岸の海岸沿線の家々を
配達していた時期がありました。
 冬の寒さは言うまでもありませんが、なんといっても早春の夜明け、まったく静まって
波一つ無い海面を照らす朝陽の美しさには、ほんとうに見惚れました。
 神様や天使は、きっとこのような鏡というか、ガラスのような海を渡ってやってくる
にちがいないと思いました。
 義人ヨブ(イオフ)は、主なる神にこう言われています。
「光が住んでいるのはどの方向か。暗黒の住みかはどこか。
光をその境にまで連れていけるか、暗黒の住みかに至る道を知っているか。
そのときおまえはすでに生まれていて、人生の日数も多いというのなら、
これらのことを知っているはずだ」(旧約聖書、ヨブ記38章参照)
 天地の境目・狭間に身を置いたとき、人は天地創造の神の前に立ちます。
 でもどれだけの人が感動するでしょうか。
 春の薫る冷気の中に身を置き、神様の栄光の光を浴びたとき、
たとえようもない原始的な感動が甦ってきます。
 あえていうなら、わたしたちの聖堂とは、天然自然の神の領域を
祈りのうちに体験するために、ここに建てられています。
「光が放たれるのはどの方向か。東風が地上に送られる道はどこか」
 神よ、わたしの乗るちいさな舟の帆に、神の光と風を満たしてください。
                                (人吉 パウエル 及川 信 神父)



中井木菟麿師(2011年 7月のお話)

わたしは、福音書や奉神礼用諸書の翻訳が大衆の教育程度まで降りてゆくべきではなく、
逆に、信者たちが福音書や聖体礼儀用諸書のテキストを理解できるところまで
昇ってゆくべきだと考えているのです。
福音書に卑俗な言葉を用いるのは認め難いことです。
全く同じ意味の二つの漢字あるいは言い方があって、
日本人がそれを読みあるいは聞いたときに、
両方とも同じ品位を感じるという場合であれば、もちろん、
わたしは一般に広く用いられている方を採ります。しかし、翻訳の正確さという点になると、
たとい日本ではあまり知られていない漢字を使わねばならないとしても、
いささかの妥協もする気はありません。わたしの翻訳を理解するに
日本人がときにはかなり神経を集中して読まねばならないということは、
わたし自身感じています。その理由の大半は、日本人にとって正教そのものが
新しいことだという所にあるのです。そのような批判は最初のころは今よりも強かったのです。
わたしたちの翻訳局の事業が発展してゆき、日本で正教神学の書物が出版されて
ゆくにつれて、日本人はおのずと正教・キリスト教の考え方に慣れてきて、
それによって日本人にとってわたしの翻訳も前よりわかりやすくなってきているのです。
〈ポズニェーエフ(一八六五~一九四二、東洋学者)中村健之助訳
『明治文化とニコライ大主教』講談社、1986年〉

 奉神礼書(祈祷書)や聖書の日本語訳・出版は、聖ニコライにとって、
日本人聖職者の育成、聖堂建設の推進と並ぶ、宣教目標の大きな柱の一つでした。
 その最大の協力者が、大坂懐徳堂出身の漢学者、中井木菟麿(つくまろ)(1855~
1943、号は天生・黄裳)です。
 幕末にあって東の江戸、湯島聖堂・昌平坂学問所に並び立つ学塾が
西の懐徳堂とされ、関西では蘭学の適塾、漢学・儒学の懐徳堂が双璧とされました。
 ところが1869(明治2)年明治政府は、大学制度を公布、大きな学塾の廃止を進め、
さらに72(明治5)年新たな学制を公布、旧来の寺子屋・学塾を廃し、
生徒は公立小学校に統合されました。この明治初期の大きな学制改革により、
1724(享保9)年創立の由緒ある懐徳堂も閉校となってしまいました。
 その後継者である中井の学識・人品に目を留めたのが聖ニコライです。
 中井は、1878(明治11)年大坂正教会(当時は聖パンテレイモン会)の
高屋仲神父より聖名パウエルで受洗、一時期兵庫県加古川や姫路あるいは
和歌山方面の伝教者として活躍。81(明治14)年聖ニコライの招聘に応じて上京、
伝教学校や神学校の教師、雑誌や本の編集・校訂、種々の文書作成(聖人の秘書的役割)
そして聖ニコライの永眠まで30年余り訳業を手伝いました。
 翻訳・校訂の仕事は、聖ニコライの書斎で、平日の午前7時半から12時まで、
夕方6時から9時まで行われることが多かったようです。
 中井はしばしば仕事を宿題として持ち帰り、さらに聖ニコライと協議・校合を重ねています。
 中井自身、ロシア語や教会スラブ語、英語、さらにはギリシャ語まで勉強し習得しています。
たいへんな努力です。
 日本正教会のおもな奉神礼書は、以下のように翻訳・出版されました。
 84(明治17)年、八調経略、小祈禱書、時課経。
 85(明治18)年、聖詠経。
 94(明治27)年、奉事経。
 95(明治28)年、聖事経。
 1900(明治33)年、領聖預備規程。
 01(明治34)年、我主イイスス・ハリストスの新約聖書。
 02(明治35)年、大斎第一週奉事式略、受難週間奉事式略。
 03(明治36)年、五旬経略。
 05(明治38)年、聖福音経、聖使徒経。
 09(明治42)年、連接歌集(イルモロギイ)。八調経(オクトイホ)(二巻)。
 10(明治43)年、祭日経(アンフォロギオン)。
 11(明治44)年、三歌斎経(トリオディ)。
 これ以外にも祈祷書や聖歌譜にも多大な影響をあたえています。
 これら奉神礼書・新約聖書本文は、明治時代にあっても、現在使用されていない漢語
・古語が頻出し難解すぎる、という指摘を多数の人から受けています。これについて
中井や石川喜三郎は正教新報誌上はじめ、ことあるごとに、この翻訳文の真価を強調して
おり、上記の聖ニコライがポズニェーエフに語った言葉にその真意が言い尽くされています。
 旧約聖書や月課経、さいごの翻訳となった五旬経は公刊されていませんが、
日本正教会は聖ニコライと中井の心血を注いだ「神の言葉」に紡がれて、今日に至っています。
 中井師の記念碑は、2010年10月、亜使徒聖ニコライ列聖40年・聖自治教会40年記念の
記念祭の時に、大阪正教会の正門わき、境内地に建立・成聖されています。
(この記念祭の概要、中井師の業績を網羅した『記念誌』は切手代を添えて御申し込み
いただければ、全国・海外どこへでも発送いたします)
                                   (人吉 パウエル 及川 信 神父)



つくしいばら(2011年 6月のお話) 

わたしはシャロンのばら、野のゆり
おとめたちの中にいるわたしの恋人は
茨の中に咲きいでたゆりの花
(旧約聖書「雅歌」2章)

 いまは西欧伝来の色鮮やかな豪華なばらの花が、花屋さんやご家庭の庭を彩って
いますが、日本にも昔からばらの花があります。
 つくしいばら(筑紫茨)がそのひとつです。ほかには、はまなすなども日本固有のばらです。
これらのばらは布地(着物)や和菓子の意匠にも使用され、清楚なたたずまいで、わたしたち
日本人のこころをなごませてくれます。
 つくしいばらは、九州から朝鮮半島南部に自生しています。いわゆる野ばらの変種の一つで、
河川敷や沼沢地周辺に群生し、こんもりと茂っています。
 わたしが鑑賞に行ったところには、人の胸くらいの高さから背丈を越えるおおきなものまで
ありました。
 見頃はここ九州、人吉地方では、5月連休明け~6月中旬、今年はいまからが盛りでしょう。
 白、桃色、薄いピンク、淡紅色など、意外に個性豊かに、それぞれが主張しています。
 そよ風の寄せくるたびに、ほのかに甘くやわらかな香りが漂います。
 人吉や近隣の錦町の皆様が熱心に保護にあたっておられ、しだいに群生地が増えています。
写真の場所は、球磨川鉄道木上駅ちかく、球磨川の河畔です。
 近年、コンクリートを駆使した護岸工事などで、これら固有種のばらの群生地が
激減し、全滅してしまった地域も多いと聞いています。
 わたしはいつも思います。
 開発か自然保護か、両天秤にかけるのではなく、「自然保護も開発も」の、共存でいって欲しい、と。
 しばしば唐突に「日本の技術力は世界一だから」という人がいます。
 何を前提・根拠にした、よくわからない主張です。こういう総花的な盲信は危ないと感じます。
 そこには過信と傲慢(強欲)が潜んではいないでしょうか。
 ただし、もし本当に世界一なのでしたら、共存共栄はできることでしょう。自然を保護しながらの
開発は「技術の進歩と生活の豊かさ」に直結してゆくことでしょう。
 時間と労力、お金がかかってもいいのではありませんか。
 かかっただけの価値のある世界が、生まれてくるとわたしは信じています。
 真の世界一の技術とは、人間の幸福追求が第一義であり、それは自然の中にしか生きられない
人間の本質を見ぬいている核心だからです。
 つくしいばらは、いま香水・ばら酒など、いろいろな形で地域振興にも貢献しつつあります。
わたしはコンクリートのダム・濁った緑色のダム湖などは見に行きませんが、湧水や森林、
緑と花の豊かな草原には喜んで見に行きます。
 そこに身を置いて、まったりゆったりします。
 空と緑、風とせせらぎ、真の世界一が、すぐそこにある、身近な幸福を実感します。
                                         (人吉 パウエル 及川 信 神父)                  



われは海の子(2011年 5月のお話) 

我は海の子 白波の
騒(さわ)ぐ 磯辺(いそべ)の松原に
煙たなびく苫屋(とまや)こそ
我がなつかしき住家なれ

生まれて潮に湯浴(ゆあみ)して
波を子守の歌と聞き
千里寄せくる海の気を
吸ひて童(わらべ)となりにけり

高く鼻つくいその香に
不断の花のかをりあり
なぎさの松に吹く風を
いみじき楽と我は聞く 

  『われは海の子(我は海の子)』は、1910(明治43)年に『尋常小学読本唱歌』で発表された
文部省唱歌です。
 文部省の懸賞募集に応募した鹿児島市出身の宮原晃一郎(1882-1945)の詩が採用されたと
いわれ、鹿児島市の磯海岸にほど近い、祇園之洲公園に歌碑が建てられています。
 近所には昔藩侯だった島津家の別邸も建っています。
 ここは桜島を臨む錦江湾(鹿児島湾)が眼前に広がる、絶景です。
 この歌碑の存在を知ったのは、じつは偶然のことでして、十数年前フランシスコ・ザビエルの記念像を
見学にきたとき、大きな碑のあることに驚いたのでした。
 歌詞は全部で七番までありますが、今日歌われるのは一般的に三番まででしょう。
 若い人には知らない人が多いでしょうが、雄大でおおらかな歌は、海洋民族である日本人の
心の琴線をふるわせます。
 あの東日本大震災、数多くの漁港が壊滅し、漁船がながされ、被災した漁民の皆さまも
たくさんおられます。
 けれどもニュース番組を観ていてびっくりしたのは、多くの漁民が、
「また舟に乗りたい」
 そして
「海と共に生きていきたい」
 と力強く語った姿でした。
 わたしのような、転勤族にしてみれば、数十年おきに大地震・大津波の起こる地方にあって、
それでも海と共に生きると言い切る心根は、驚異でした。
 ふる里・故郷があるようで定かではない、わたしのような旅人にとって、それはたいへんな
勇気を伴う発言、あるいは少しうらやましい言葉でした。
 恵みと苦しみ、楽しさと涙、活力とやりきれなさ、希望と絶望、あらゆるものが交錯する
「生きる場所」。
 わたしたち信仰者にとっては、
「神様と共に生きていきたい」
「仲間と共に生きていきたい」
 と祈ることにつながるでしょう。
「われは神の子」
「われらは神様の子供」
 と静かに、でも大きな声で、遙か地平線を眺めながら、海に向かって叫びましょう。
                                    (人吉 パウエル 及川 信 神父)                           



わが助けは
天地を造りし
主より 来たる

(2011年 4月のお話)

 神は興き、その仇は散るべし、
彼を悪む者はその顔より逃ぐべし。

全能者、
この地の諸王を散らししとき
地は白まりしこと、
セルモンの雪のごとし、
ワサンの山は神の山、
ワサンの山は高き山なり。
  〔旧約聖書「第67聖詠」詩編68参照〕

 3月初旬の北部九州巡回は凍える寒さ、雪の舞うなかの巡回となり、大分高速道
由布岳駐車場から眺めた山は、真っ白に冠雪し、陽光にまばゆく輝いていました。
 聖書には、山に関連する奇蹟や物語・挿話、山を謳う詩が数限りなく登場します。
 とくに聖詠(詩編)は、山にかかわる詩が多く、大斎の今の時期、祈祷書を詠んでいて
朗々たる心気に満たされるのは、わたし一人ではないことでしょう。
 山の写真を撮ったわずか一週間後に、(そのときわたしは宮崎県南部を巡回中でした)
3月11日東日本大震災が発生し、地震と津波と火災が多くの人を飲み込みました。
 さらに遡ることひと月半前の1月下旬、鹿児島巡回中にわたしは、新燃岳の、
本格噴火の前兆だった水蒸気爆発、その翌日の真っ黒な噴煙すさまじい噴火の光景を
目のあたりにしています。
 東日本大震災の被災者の安全無事と早急な救済を心より願い祈らずにはおられません。
 自然の猛威と人は言います。
 自然を守れるのは人間だけという傲慢な人の欲望を見透かしているかのように、
ときに自然は、その美しい山々、島々、海岸線、河川と湿原・草原などが、いかにして
形づくられたのか、その「創造の現実と歴史」を、厳然と明瞭に顕わします。
 ときおり、故郷とは、ふる里とは何だろうかと思います。
 わたしのような転勤族には、いくつもの故郷があります。
 思い出深い地は、一つではありません。
 自然はわたしたちを癒し、楽しませ、喜びをもたらし、その一方では大地震のように
一瞬で、すべての景色、親しい人を失わせます。
 存在とは何でしょうか。生きるとは何でしょうか。
 光とは何でしょうか、希望とはどこにあるのでしょうか。
 思い出とは、記憶とは何でしょうか。
 そしてすべての人には寿命というものがあります。
 そうした悠久の時のなかに、神の時の中に、ひとは生きています。
 聖詠者ダヴィドはこう謳っています。
    主は日々に崇め讃めらる、神はわれらに重荷を負わすれども、
    またわれらを救い給う、神はわれらのために救いの神なり
 そこに山があるから登る、と語った人がいます。
 ここに人生があるから、神の救いがあるから、わたしたちは生きましょう。
希望と勇気を胸に、友情を携えて。
                              (人吉 パウエル 及川 信 神父)



森の夜明け(2011年 3月のお話)

 お前は一生に一度でも朝に命令し、
曙に役割を指示したことがあるか。

まだ人のいなかった大地に
無人であった荒れ野に雨を降らせ、
乾ききったところを潤し、
青草のもえ出るようにしたのか。
  〔旧約聖書「ヨブ記」38章参照〕

 南九州には、名産の杉の産地がいくつもあります。屋久杉、飫肥杉、市房杉など。
濃霧の中に太陽の光の射しこんでくる、幻想的な光景は、人の心を森閑とさせます。
 どこか遠くで、フクロウが鳴き、春ですと、かすかに鶯(うぐいす)や雲雀(ひばり)の
さえずりが聴こえてくるかもしれません。
 ダビィド(ダビデ)王と親交の深かった、ツロの王ヒラムは、子ソロモン王が、神のために
祈りの家、神殿を造営したい、ついては材木を提供して欲しいと懇願したとき、勇躍、
喜んで建材を輸送しました。
「御用件はたしかに承りました。レバノン杉のみならず糸杉の木材についても、お望み
どおりにいたしましょう」(列王記上5章参照)
 ツロ王国は膨大な建材を寄進し、ソロモンはその在位にある間、ツロの国に大量の
小麦とオリーブ油を贈るという契約を結びました。
 レバノン杉は、東地中海沿岸、いまのシリア・レバノン地域の名産の杉で、樹齢は
ゆうに3千年を超える巨木であったと言います。
 森の民でもあったツロ王国の臣民は、森を育て、すばらしい樹木を、通商の有力な
資産としていたのです。
 建材としてばかりでなく、家具・調度品にも使われていますが、いまやレバノン杉は
市場からほとんど姿を消しています。
 ある歴史家は、文明の進化は、森の(木の)文明から、石と煉瓦(コンクリート)
の文明へと進化することだと言っています。
 すなわち水と大地、森と木から、火と岩石、鉄とコンクリートの文化へと変遷して
いくのだ、と。
 でも、わたしは、森と木のほうが好きです。
 鉄と石は確かに堅牢です。ですが、火は樹齢3千年の森をあっという間に
燃やし尽くしてしまいますが、水は大地を潤し3千年かけて、
人と動植物の住むところを養い育てます。
 わたしは水と森の方がいい。
 車の騒音よりも、鳥のさえずり、木の葉のそよぎ、虫の音、木漏れ日のほうがいい。
「神はわれらと共にす」 
 しっとり朝露に濡れながら、早朝の、まだ肌寒い九州の森を散策しました。
                               (人吉 パウエル 及川 信 神父)




雪の日に
(2011年 2月のお話)

 雪白の雪の上はとても青く
緑の樅の木はとても黒く
静かに駆けていく鹿が
どうしても断ち切れない悲しみのように
灰色にみえる

雪の調べに足音がぎしぎしとまじる
風が白いヴェールをかぶった木々に
雪片を吹きもどす
ベンチが夢のようにたたずんでいる

光たちが落ち 影とたわむれる─
果てしのない輪舞
遠くの灯火が雪明かりから借りた
くすんだ光をまたたいている
  〔「色彩」1939年12月18日 15歳4か月〕

 ドイツ、ナチス親衛隊が管理した強制収容所で、1942年12月に、18歳の若さで
永眠した少女ゼルマの詩です。
(『ゼルマの詩集』岩波ジュニア新書)
 この詩を書いた、わずか3年後に、強制収容所の恐怖の生活の中で病死するとは
ゼルマ自身、想像もしなかったことでしょう。
 真っ白な雪。
 何色なのでしょうか。
 太陽、青空、くすんだ曇天、太陽光線に照らされながら粉雪が冬虫のように舞う日、
真っ黒い雲が押し包んでくる重い空気の日、月明かり、星影、いろいろな種類の光に
彩色された雪、樹木・家屋・ビル・山や丘そして人影など、雪はその輪郭・表情を
千変に万化させます。
 その昔、中国の莊子は、まったく人気のない谷に響き渡る足音をこう表現しました。
「空谷の跫音」(くうこくのきょうおん)
 青光りする漆黒の闇の中、しんしんと降り積もってゆく雪の音は、この莊子の表現を
喚起させます。
 思春期の多感なゼルマも、めまぐるしく変化する雪景色に、親愛と哀憐を感じて
いたのでしょう。
 わたしは雪は、神様からの純白の贈り物だと思っています。
 冬の「雪の洗礼」があって、うるわしい春がめぐってくるのだ、と。
 感傷的に過ぎるのかもしれませんが、雪化粧で彩られた聖堂のよこ、雪の静寂のなか、
ぽつんと立っています。すると「よみがえり」の春をたずさえて歩み来たる「神の足音」が、
聴こえてくるような気がします。
 空耳(そらみみ)ではなく……
                          (人吉 パウエル 及川 信 神父)




聖使徒 ルカ
(2011年 1月のお話)

 ルカ(Lucas)とは、
みずから立ちあがる人、
または持ちあげるひとという意味である。
あるいは、〈光〉の意の lux から来ている。
というのは、ルカは、
現世の愛から立ちあがり、
神の愛へとみずからを持ちあげ、
高めたからである。
彼はまた、
全世界をあまねく照らしたから、
世の光であった
  〔ヤコブス・ウォラギネ『黄金伝説4』人文書院〕

 聖使徒、福音者ルカほど、多芸多才の使徒はまれです。
 多芸多才という表現がやや俗な表現であれば、神の恵みによって多能な異才の人であった
と言い換えましょう。
 ルカは、イイススと同じユダヤ人出身ではなく、シリアのアンティオケア出身のギリシャ人
であったと伝えられています。
 ユダヤの言葉のほかギリシャ語に堪能でした。
 ただしルカは、12人の聖使徒の一人ではありません。
 七十門徒(使徒)の一人に数えない人もいますが、正教会は七十徒の一人として認識し、
主教ドロフェイ(4世紀)編集の『七十徒伝』にルカの名が加えられ、さらにロシアの聖人、
ロストフの主教聖デミトリーが編集した『七十徒伝』にもルカの名が記載されています。
 ルカは多才を誇ることなく、静穏・静謐な高徳の士として信仰生活を送ります。
1、聖使徒として
 ルカ福音書24章の「エマオの旅人」に記されているように、ルカは聖使徒クレオパの
友人、のちには宣教者パウェル(パウロ)の同労者でもありました。
 ギリシャ、マケドニアばかりでなく、イタリア、そして北アフリカを伝道し、エジプトで永眠
しています。一説ではドミティアン帝の迫害時に絞殺刑で致命(殉教)したとも言われています。
 ルカはキリスト教を世界の信仰へと広めた功労者でもありました。
2、医師として
 ルカはクリスチャンばかりでなく、いろいろな人をいやしました。心身に平穏を恵む
癒しの人でした。ルカ福音10章「良きサマリヤ人」は、旅の多かった医師ルカの、
自分の体験に裏打ちされた、印象深いイイススの思い出話かもしれません。
3、聖像画家として
 最初に生神女マリアの聖像を描いた人とされています。まことの神がまことの人となった
秘密の奥義(機密)を「聖像(イコン)」という形で啓示したのです。
(上の聖像は白石孝子姉作、少しピンぼけでごめんなさい)
4、聖なる福音記者として
 福音書と聖使徒行実(使徒行伝)を著しています。ルカは最初から地中海世界の公用語で
あったギリシャ語で文筆活動をしています。福音書冒頭の前駆授洗イオアン(ヨハネ)誕生や
主の降誕にまつわるお話は、マリア様に親しく接した者にしか書けない物語ですし、15章の
放蕩息子、16章の不正な管理人、18章のやもめと裁判官のたとえなど、ユーモアに満ちた
真摯で優しいまなざしが感じられます。
 こうした諸点を胸中に秘めてルカ福音と聖使徒行実を読みましょう。
 新たな発見と感動があなたを包むことでしょう。
                                   (人吉 パウエル 及川 信 神父)



受難者 聖ニコライ
(2010年 12月のお話)

 老幼悉く小舟に乗り、
アゾワ号を囲繞するもの数百隻、
警吏その制止に苦しむ、
その群聚想ふべし。
市民予め御上陸の便を計り、
端舟数十艘を連接し橋を架し、
ムシロを敷き、桟橋を架設し、
かつ埠頭に大緑門を樹て、
上に日露両国の大国旗を交叉して、
以て歓迎の意を表す。
  〔碑文より〕

 鹿児島市中心域にほど近い城山のふもと、照国神社の東側、公園の奥、
丘を少し登ったところに「露国皇太子ニコラス殿下来鹿記念碑」が建立されています。
 ロマノフ王朝さいごのロシア皇帝、ニコライⅡ世。
 若き日の東方旅行の訪問地の一つに日本があり、神戸へ行く前に、長崎、そして
鹿児島に立ち寄っています。
 東方旅行は1890年11月4日に始まりました。
 ニコライは多感な22歳。サンクトペテルブルグからオーストリア、トリエステから軍艦
アゾヴァ号に乗り、ギリシャ、エジプト、スエズ運河、インド、スリランカ、シンガポール、
ジャワ、ベトナム、バンコク、香港、上海等々を経て、1891年(明治24)年4月27日に
長崎へ、5月6日に鹿児島に寄港しています。
 冒頭に引いた一文は、記念碑の碑文です(一部欠落箇所は西元肇氏が補筆)。
 このとき大歓迎を受けた皇太子は、県庁でイアコフ高屋仲神父様が謁見したわけ
ですが、このあと鹿児島市内には次のような風聞(うわさ)が広まったといいます。
 市内視察中、ニコライ皇太子が人力車を飛び降り、高屋神父様の前にひざまずき、
その手の甲に祝福の接吻をしたというのです。
 おそらくは県庁で司祭から祝福を受けるという、正教会の伝統的挨拶の敬虔さ、
森厳さに驚いた(閲見に参列していた)鹿児島県民らが語った話が誇張されて
弘まったのではないかと思われます。
 このあとニコライ皇太子は、歴史上有名な「大津事件」に遭遇、さらには日露戦争、
ロシア革命と激動の日々を送るわけですが、青春の一景が鹿児島にあったことは
忘れてはならないでしょう。
 かたや日本の国の光照者、亜使徒聖ニコライは、1970年に列聖され、さいごの
ロシア皇帝は、受難者として2000年8月に列聖されています。
 平和を守り日露戦争時には傷ついたロシア兵捕虜を救った聖ニコライと、宣戦布告の
勅書を発し、ロシア軍の総帥でもあった受難者聖ニコライ。
 軍人でもあったニコライが、ロシア革命という血塗られた出来事の中に非業の最期を
とげたのは、じつに象徴的な事象です。
「剣を持つ者は剣によって滅びる」
 聖人は歴史を映し出す鏡のような存在でもあります。
 二人の聖ニコライは歴史を刻む「神の手」を、時空を超えて、
わたしたちにまざまざと顕現(あらわ)しています。
〈『二人のニコライ~大津事件前後の二人の接点から探る聖人の在り方』
エイコーン39・40合併号、2009年12月発行に、詳しく紹介しています〉
                              (人吉 パウエル 及川 信 神父)



ひまわり
(2010年 11月のお話)

 向日葵(ひまわり)はギリシャ語で
「イリオトウロピオン」といい、
「イリオス」(太陽)
「アントウロポス」(人)
の二語より成立っております。
此の書を斯く名づけましたのは
「義の日」ハリストスに向かって
豊かに其の日を受け容れている
本書の内容を この植物を以て
象徴したのであります。
  〔『ひまわり』序文より〕

 亡き日比義夫神父様から冊子『ひまわり』をいただいてから、はや
30年近い年月が流れようとしています。
 その頃、日比師は京都正教会の管轄司祭で、神学生だったわたしに親切に
語りかけ、この冊子をくださったのです。
 本書は京都正教会開教100年を記念して出版されたもの(1978年)。
 シベリアのトボリスクの府主教イオアン・マクシモビッチ師(1715年歿)原著を
修道司祭アントニイ日比七平師が抄訳、名古屋正教会の機関誌『ぱんだね』に
掲載していたものでした。
 『ぱんだね』はずっと昔に絶刊となり、この『ひまわり』もいまやきわめて入手困難
な本です。
 神に向かって清楚に咲いているひまわりの群落(上写真)。
 出張先の街道で思わず車をとめ、一景を撮りましたが、秋霜の今日この頃、
枯れ始めていることでしょう。
 さて本書では「善き基督者の特質」として、いくつかを挙げています。
1、謙遜なる沈黙
  公衆の面前においての無数の侮辱と苦難、いわれのない中傷と羨望、
 侮辱、讒言、誹謗、名誉の毀損等々があっても、十字架上の主イイススのように
 神を信じ、神の愛に満たされて、耐えて祈りつづける、そこに希望の光があります。
2、誠 実
  神に基づく公義正道をすすみ、小事においても、なおさらに忠実であることです。
3、恐れないこと
  神の前に信徒としての義務を遂行していくときに、いかなる憂愁艱難(ゆうしゅうかんなん)
 があっても、恐れない、むしろ耐えて希望し、弱っている人を勇気づけることすらします。
4、真の謙遜
  生活の中心は神であり、時に応じて痛悔・領聖して自己を備えつづけていること。
 人が本当に幸福だと実感するのは、年収610万円くらいのひとが一番多数だそうで、
これを境にして、幸福を体感する人が減っていくと言います(そういう新聞記事を読みました)。
 金持ちほど幸せなのでは・・・・と思いがちですが、そうでもないようです。
 ささやかな幸せと言いますが、ひまわりは陽の光を求めて生きています。
野山の動植物は皆、神の恵みに満たされて生きています。
 ニュースをにぎわせている熊も、害獣としてきらわれる猿や鹿、イノシシやウサギも
カラスも、人と接触したがために不幸な境遇になっています。
 人とは実にやっかいで複雑な生き物なのですね。
 『ひまわり』を読むと、ほんとうに人に必要なものとは何か、改めてしみじみと考えさせら
れます。わたしたちは傲慢不遜を避けねばなりません。
 いまこそ人に真の「謙遜」が求められているのでしょう。
                              (人吉 パウエル 及川 信 神父)



逃げろ、振り返ってはならない
(2010年 10月のお話)

 ロトはためらっていた。
主は憐れんで、二人の客にロト、
妻、二人の娘の手を取らせて
町の外へ避難するようにされた。

主は言われた
「命がけで逃れよ。
後ろを振り返ってはいけない。
低地のどこにもとどまるな。
山へ逃げなさい。
さもないと、
滅びることになる。
  〔旧約聖書「創世記」19章参照〕

 北海道から親しい友人が旅行でやって来て、阿蘇山がみたいと言う
ことで案内しました(写真は火口)。
 不思議な緑色の水がたまった火口は、入浴剤バスクリンを入れたわけ
でもなく、火山の噴出する有害な成分が満ちた死の水たまりです。
 この日本有数の活火山は数十年前、突如噴火し、火山弾と有毒ガスで
修学旅行生を直撃。死者も出た悲劇の現場であり、頑強なコンクリート
製の避難所と、有毒ガスの風向きによっては立ち入りが禁止になる所など、
わたしのように臆病な人間には、恐怖と戦慄の場所でした。
 行った日はたまたま爽快な秋晴れだったので、生と死の落差に衝撃を受けました。
 いま目の前で談笑している、おそらくは修学旅行生らの笑顔は、
何十年という時を超えほんの一瞬で、生と死が交差することを物語っています。
 さて正教徒、旧約聖書を読む者ならば、ソドムとゴモラの滅亡と義人ロトの
救出の話は、間違いなく記憶されているはずです。
 その前段は、太祖アウラアム(アブラハム)の人間味に満ちた、温情と
正義感、慈愛と謝恩にあふれた神の使いとの問答が圧巻です(18章)。
 この切迫した緊張感に満ちたやりとりを、正教会はこう記録しています。

  アウラアムの希い(ソドムとゴモラ、創世記18章)

 主曰えり、ソドムおよびゴモラの號呼は甚しくなり、
 彼らの罪は大いに重し、ゆえにわれ降りて、われに達れる
 彼らの號呼の如く行わるるかを見ん、否ずば、われこれを知らんと。
 二人彼処より身を旋してソドムに往き、
 アウラアムはなお主の前に立てり。アウラアム近づきて曰えり、
 爾は義者を悪者と共に滅ぼさんか、義者は悪者と均しくならんか。
 もし邑の中に五十人の義者あらば、彼らを滅ぼさんか、
 五十人の義者のために、これその中に在らば、悉くその処を恕さざらんか、
 爾この言の如く、義者を悪者と共に殺すことを敢て為さざらん、
 義者を悪者と均しくすることを敢て為さざらん、
 全地を鞠く者は、あに公義を行わざらんや。
 主曰えり。もしわれソドムの邑の中に五十人の義者を見ば、
 彼らのために盡くその処を恕さん。
 アウラアム応えて曰えり、
 われは塵および灰なれども、敢てわが主に言う、
 もし五十人の義者の中、五人缺けたらば、
 爾五人の缺けたるによりて全邑を滅ぼさんか、
 曰えり、われもし彼処に四十五人を見ば、滅ぼさざらん。
 アウラアムまた重ねて主に言えり。
 もし彼処に四十人見えば若何、
 曰えり、四十人のために滅ぼさざらん。
 また曰えり、主よ、怒るなかれ、われ言わん、
 もし彼処に三十人見えば若何、
 曰えり、三十人のために滅ぼさざらん。
 また曰えり、敢て主に言う、もし彼処に二十人見えば若何、
 曰えり、もし彼処に二十人見えば滅ぼさざらん。
 また曰えり、主よ、怒るなかれ、われ今 一たび言わん、
 もし彼処に十人見えば若何、
 曰えり、十人のために滅ぼさざらん。
 主はアウラアムと言い竟りて去れり、
 アウラアムもまたその所に帰れり。
    *ふりがな(ルビ)付の聖書本文は『聖語拾穂』参照

 アウラアムが神に直言したのは、自らの正義を誇り、名を揚げ、名誉欲
を満たさんと欲する利己心、自己満足ではありません。
 ここにあるのは、なんとしても隣人、それもソドムとゴモラという汚辱に
まみれた街に住む、もしかしたら不埒千万(ふらちせんばん)な怠惰な日常生活
を送っているかもしれない人を救いたいという、深い憐情の心です。
 主イイススの受難・十字架の献祭に相通じる純粋無垢な心情にあふれて
います。贖罪(しょくざい)の祈りと言ってもいいでしょう。
 わたしたちは「逃げる」という言葉にいやなイメージを持っていますが、
真に生きるためならば、そこに本当の幸福な人生が待っているのならば、
勇気と希望を持って逃げ走り、うしろを振り返ってはなりません。
 逃げろ、振り返るな。
 この言葉に秘められた「神の愛に飛び込め」というメッセージは、いつの日にも
あなた、わたしを恵みと救いに導く、一条の道なのです。
                           (人吉 パウエル 及川 信 神父)



聖事経(せいじけい)
(2010年 9月のお話)

 この『聖事経』全編は、
一体にして
生命を施す分かれざる聖三者、
父および子および聖神を
栄するがために、
大日本国東京において
印行せしところなり。
  〔1895年、明治28年7月〕

 『奉事経』と同様に、教会(聖堂や会堂)に常備され、あるいは司祭や
輔祭が携行して奉神礼を執り行うための重要な祈祷書が、『聖事経』
です。
 奉事経が、聖体礼儀(聖体機密)を中心に編まれた祈祷書だとすると、
それ以外の6つの機密と諸祈祷が網羅されている、日用の祈祷書が
聖事経だといえます。
 (いまのところ本書は一般信徒向けの頒布はされておりません)
 聖事経、冒頭の祈りは「生産後第一日の祝文」です。
 出産という大きな仕事を成し遂げた母親、神の婢(ひ)の心身の
疲労をいやし慰め、母親と赤ちゃんが神の庇護のもとに、生涯を純全・
平安に全うするよう祈ります。
 つづいて「生産後第八日名を受くる子に印畫する祝文」などが祈られます。
 そのあと重要な機密が連続して掲載されています。
  一、(啓蒙式のあとに)聖洗礼儀
 この祈りでは洗礼と傅膏(ふこう)の両機密が連続して行われています。
  一、告解礼儀
 この機密は、ふつう痛悔機密、悔い改めの祈りといいます。
  一、聘定式
  一、戴冠礼儀
 これらを総称して婚配機密と言います。
  一、聖傅(せいふ)機密
 これは信徒が重病の時に執り行う機密です。
  一、病危き時速やかに聖体を授くる式
  一、臨終規程
 永眠後の祈りとしては、
  一、俗人埋葬式
  一、司祭埋葬式
  一、嬰児埋葬式
 が掲載されています。
 このほか聖水を祝福するための「聖水式」、「聖大パスハに食肉に降福する祝文」、
「乾酪および雛卵に降福する祝文」、「8月18日に葡萄に降福する祝文」など、
年間の大祭時に執り行われる祈祷が掲載されています。
 珍しい祈りでは、井戸を掘るときの祝文、汚水や汚物にまみれたものを潔める祝文、
塩や食物の種・漁網や新船に降福する祝文なども見られます。
 聖事経には、全部で46編もの祈祷・祝文が載っています。
 こうした日用の祈りは、わたしたちの神との距離を縮め、神の臨在を認識させます。
 聖事経は、人の生と死、信仰者の一生、信仰生活の原点を痛感させる祈祷書です。
                              (人吉 パウエル 及川 信 神父)



奉事経(ほうじけい)
(2010年 8月のお話)

 この『奉事経』全編は、
一体にして
生命を施す分かれざる聖三者、
父および子および聖神を
栄するがために、
大日本国東京において
印行せしところなり。
  〔1894年、明治27年12月〕

 教会(聖堂や会堂)に常備され、あるいは司祭や輔祭が携行しては
奉神礼を執り行うための重要な祈祷書、『奉事経』。
 この祈祷書には、正教会の根幹を成す祈りが網羅されています。
(いまのところ本書は一般信徒向けの頒布はされておりません)
 奉事経扉のカラー挿絵が示しているように、この祈祷書は、聖堂が
何のために建てられ、信徒が何を目的に聖堂に参集し祈るのかを、
明らかにしています。
 これは奉事経の「目録(目次)」に一目瞭然です。
  一、晩課式
  一、早課式
  一、聖体礼儀(奉献礼儀)
  一、わが聖神父金口イオアンの聖体礼儀
  一、領聖感謝祝文
  一、主宰の諸祭日の晩課・早課・聖体礼儀の発放詞
  一、神母および諸聖人の祭日の発放詞
  一、一週間内の毎日の発放詞
  一、わが聖神父大ワシリイの聖体礼儀
  一、先備聖体礼儀式
  一、先備聖体礼儀式補
  一、先備聖体礼儀
  一、糖飯祝福式
  一、寝者の記憶のために糖飯に臨みて祈祷する式
  一、寝者の記憶のために行う熱衷公祷(リティヤ)式
 いわゆる夕べの祈り(晩課)、朝の祈り(早課)、もっとも頻繁に
日曜日に執り行われる主日聖体礼儀「わが聖神父金口イオアンの聖体礼儀」、
年10回執り行われる、わが聖神父大ワシリイの聖体礼儀、
復活大祭への準備期間、大斎(おおものいみ)中に執り行われる先備聖体礼儀
(ローマのパパ問答者聖グリゴリーの聖体礼儀)、そして永眠者記憶の祈り、
珍しいところでは「寝者の記憶のために糖飯に臨みて祈祷する式」が
掲載されています。
 永眠者記憶の祈りに際して、「糖飯すなわち蜜を和し諸種の甘果をもって
装飾するところの熟麦」を献げるのは、正教会の重要な慣習です。
 とはいうものの、奉事経の中心は、なんと言っても「聖体礼儀」です。
 成聖された聖パン(仔羊・羔、こひつじ)・赤葡萄酒を領食する
「領聖(聖体拝領)」こそは、信仰生活の起点であり原点です。
 奉事経を手にし祈るたびに、領聖の重要さを痛感します。
                        (人吉 パウエル 及川 信 神父)



荒れ野に水を
(2010年 7月のお話)

 見よ、新しいことをわたしは行う。
今や、それは芽生えている。
あなたたちはそれを悟らないのか。
  わたしは荒れ野に道を敷き、
砂漠に大河を流れさせる。
野の獣、山犬も駝鳥(だちょう)もわたしを崇(あが)める。
荒れ野に水を、
砂漠に大河を流れさせ、
わたしの選んだ民に水を飲ませるからだ。
  〔旧約聖書、イサイヤ(イザヤ)書43章参照〕

 このホームページ上のお話では、たびたび「水」を取り上げますが、
先日、おそろしい話題を耳にしました。
 ガソリンや灯油、軽油や重油、さまざまな化学薬品・製品の原料と
なっている原油の産出国。
 当然のことながら、莫大な利益を計上していることでしょう。
 それらで砂漠や荒れ野の緑化をしないことに、不思議さを感じていました。
なぜ緑豊かな大地の回復を目指さないのでしょうか。
 原因はお金でした。
 深い井戸を掘って地下水をくみ上げたり、海水を淡水化し利用した方が
安上がりにすみ、手間暇がかからないから、単純に言えば、お金と人手を
かけずにすむので、大地の緑化という難事業に乗り出さないというのです。
 なんという傲慢な姿勢でしょうか。
 人間はできることをしない、屁理屈を言って、傾聴に値する提案や意見を
聴かない一面があります。
 かのユリウス・カエサルは、人は「聴きたいと思った言葉しか聴かない」
と喝破しています。
 この世の中では、すばらしい意欲を持ち、正しい未来図を予告し描くことの
できる人の提案をつぶしてしまい、つぶした本人はそれすら自覚せず、責任の
取らないことのなんと多いことでしょうか。
 この緑化の話は、真の教会の建設・成長にも相通ずるところがあると思います。
正教会が発展し、多くの信徒を獲得するためには、いまいる信仰者自身、
わたしたちが善く変わっていかねば、それらは実現できません。
 不可能を可能にするのが信仰の力です。
 いま弱い者が永遠に弱いのではありません。
 世の中の、建設的な卓見・対案なしに、ただ理屈を言い、反対する人の多い現状を
わたしは憂います。教会ではそうであってはならないと思います。
 わたしたちはそれを、他山の石としてやめましょう。
 もし批判するのであれば、きちんと建設的な意見、計画を示すようにしましょう。
 信仰を持つと言うことは、自分の人生にも、他者の人生にも、そして教会(と属している
信徒全員に)対してもきちんと責任を感じると言うことです。
 無責任な傍観者のような態度を信仰者は皆、厳に慎しむべきではないでしょうか。
「砂漠に大河を、荒れ野に水を」
 これは信仰者にとって永遠のテーマです。
 この世にあって、真の信仰者であることは、信仰者として生きることは、
なかなか困難で、難しいものであるかもしれません。
 でも喜びも元気も、笑顔も希望の光もあります。
「砂漠に大河を、荒れ野に水を」
 不屈の信仰を持つ者が、荒れ野に水を引く、掘削者となることでしょう。
 (上記の写真は早春の菊池渓谷の清流)
                        (人吉 パウエル 及川 信 神父)



亜使徒 聖ニコライ
(2010年 6月のお話)

 使徒と等しく同座なる者 
忠実にして神智(しんち)なる
ハリストスの役者(えきしゃ)
  聖なる神(しん)に選ばれたる笛 
ハリストスの愛に満ちたる器(うつわ)
  日本の国の光照者 
亜使徒 大主教 聖ニコライよ
  なんじの牧群のため 
および全世界のために
  生命(いのち)を保つ聖三者に祈りたまえ
〔聖ニコライの讃詞(トロパリ)4調〕

 本年秋、10月9日(土)、10日(日)、11日(月)に、
「亜使徒聖ニコライ列聖40年記念祭
   ――日本正教会聖自治40周年記念」
 を祝う、記念行事・祝典が開催されます。
 いまのところ下記のような日程案です。
 正式な御案内は7月以降に皆様に配布の予定です。
 皆様、ぜひ参加しましょう
10月9日(土)午後、記念講演会(会場:大阪大学講堂)
         夕方、晩祷(大阪生神女庇護聖堂)
             ☆記念展示会(信徒会館)1週間程度の予定
10日(日)午前、列聖40年記念聖体礼儀(大阪生神女庇護聖堂)
       午後、記念祝賀会(大阪正教会信徒会館ホール)
11日(月)午前、記念感謝祈祷(京都生神女福音聖堂)
 日本の国の光照者、聖ニコライ大主教が、日本の使徒「亜使徒」の名称で
聖人の列に加えられたのは1970年のことでした。
  聖ニコライの記憶日は、旧暦2月3日(新暦16日)とされ、正教会暦に
記入され、聖ニコライの事蹟を顕彰し祈るための奉事が作成されました。
 上掲の聖像は、白石孝子先生(岡山県赤磐市 工悦邑)の大聖像です。
 聖ニコライは、シベリアを旅し、いわば地球を横断して、極東の地、日本へ
福音を宣べ伝えました。北の函館に始まり、南国九州へと広まった正教を
このイコンは見事に表現しています。
 もうひとつ、聖人の生涯がじつによく描かれている、祈祷文を掲載します。
 〔小讃詞(コンダク)4調〕
 「成聖者 亜使徒ニコライよ
  日本の国はなんじを旅人および寄寓者(きぐうしゃ)として受け
  なんじも初め日本において 己(おのれ)をよそ者と知れども
  ハリストスの光と暖かきを流し なんじの敵を属神(ぞくしん)の子に変え
  彼らに神の恩寵(おんちょう)を与え ハリストスの教会を築けり
  いま我が教会のために祈りたまえ
  けだし我ら その諸子(しょし)はなんじに呼ぶ
  我が善き牧者よ 慶べよ」
  10月の祝祭を、みんなで大いに慶びましょう。
                        (人吉 パウエル 及川 信 神父)



リティヤの祭台
(2010年 5月のお話)

主イイスス・ハリストスわれらの神、
五餅(ごへい)に福を降して
五千人を飽(あ)かしめし者や、
なんじ親らまたこの餅(へい)・麦・葡萄酒・油に福を降し、
これをもってこの都邑(まち、あるいは修道院)と
なんじの全世界とに満たし、および
これを領食する信者を聖にせよ、
けだしハリストスわれらの神や、
なんじは萬(よろず)の者に福を降し、
これを聖にする主なり、
われら光栄をなんじとなんじの無限の父と
至聖至善にして生命を施す
なんじの神(しん)とに献ず、
今も何時も世々に、アミン。
(晩課式、熱衷公祷の祝文)

ハリストス 復活!  実に 復活!
 おもに祭日の前晩祷、晩課式の後半に「熱衷公祷(リティヤ)」の祈りが執り行われます。
 信徒の皆様の手にする祈祷書や聖歌譜には掲載されていない祈祷式なので、
急に始まって、戸惑う人も多いことでしょう。
 (上記写真の通り)リティヤの祭台には火燭が輝き、五つの聖パン(聖餅)・麦・
赤葡萄酒・油(オリーブの香油)が準備され、聖堂のほぼ中央に安置されます。
(このリティヤ台は大阪正教会のものです)
 祈祷文では、数多くの聖人の名が記憶されます。
 また国家元首・国を司る者、教会を司る尊貴なる主教品、同信の朋友、さらには教会・
聖堂に来て共に祈ることができない、信仰者の記憶のためにも祈ります。
「憂患困難(ゆうかんこんなん)にして神の憐れみと佑(たすけ)とを要するハリスティアニン
の霊(たましい)のため」
「全世界の安和と整斎(せいさい)とのため」
「神の聖なる諸教会の堅立(けんりつ)のため」
 この祈りには自分さえ助かればいいという、狭量な信仰はありません。
 神への信仰ゆえに、苦役につながれ服役している信仰者や捕虜となっている人々の
救われんがため、また各地に葬られ記憶されている永眠者のためにも祈っています。
 同時に教会、わたしたちは、自分たちの暮らしているこの都邑(まち、あるいは修道院)の
平穏・無事を祈願します。
「饑饉(ききん)・疫病・地震・水難・火難・剣難・外攻・内乱」などから守られますように、と。
 こうした願いをこめて祈りつつ、祈祷式のさいごに、司祷者(主教や神父)は、冒頭に引いた
祝文を唱えます。
 これら成聖された五餅と葡萄酒は、早課式中の福音書朗読後に領食され、香油が額に
塗られます。
 わたしたちは、この祈りを通して、あらゆる艱難(かんなん)辛苦(しんく)に立ち向かう勇気、
悪から離れる善なる意志を心身に秘め、希望を抱いて人生を渡っていくことができます。
 自分を含む多くの信仰者が、住んでいるところが、萬(よろず)の者が、神様の愛と恵みに
満たされ、幸福に生活してゆけますように、わたしたちは日々に祈りつづけましょう。
                                (人吉 パウエル 及川 信 神父)



道・徑(こみち)
(2010年 4月のお話)

視よ、
われ、わが使いを
なんじの面前に遣わし、
なんじに先立ちて、
なんじの道を備えしめん。

野に呼ぶ者の声ありて云う、
主の道を備え、
その徑を直くせよ。
(新約聖書、マルコ福音書1章)

ハリストス 復活! 実に 復活!
 宗教・信仰は、どれも同じ。山の登り口、登山道が異なるだけで終着点はいっしょでしょう、
というひとがいます。聞くたびにこのものすごく乱暴な意見にショックを受けます。
 こう言う人は最初から、宗教・信仰についての話を拒絶している、「聞く耳を持たない」
わけなので、残念ながら会話が成立しません。
 同じ山でも、春夏秋冬ちがいます。やさしい山もあれば、険しい山もあります。
 無防備に登山をして大過なく下山できる山があれば、最大限のあらゆる準備・装備を
しても、遭難し帰ってこられない人、行方不明の人を秘めたままの山もあります。
 心身の最大の課題である信仰、すなわち人の人生・生き方について、全部いっしょだと
断じてしまうのは、選んだ就職先・結婚相手・住居等々、どれを選んでも幸福になれると
いうのと同じで、無責任きわまりない、悲しむべき発言です。 
 主の十字架を背負うて歩く道は、みなちょっとずつ違うことでしょう。
 幅の広い「道」もあれば、山や森の「徑」もあります。
 (上記の写真は早春の菊池渓谷の徑)
 聖書の言う道を「直くせよ」とはどういう意味でしょうか。
 とにかく荒々しく工事をして、自然破壊をしてもかまわないから、なにがなんでも
コンクリート舗装の一本道にしてしまえ、ということなのでしょうか。
 神の恵みを受け容れるにふさわしい、心身、生活の準備をしなさい、と言う意味では
ないのでしょうか。
 振り返ってみますと、自分の歩いた人生という道は、あっちへふらふら、こっちへふら
ふら、行きつ戻りつ逡巡し、自分が原因で迷路を造っていることもある難路のようです。
 なぜ、まっすぐにすーと神様を見つめることができないのでしょうか。
 なぜ他の人の親切を身近に感じ、素直に感謝できないのでしょうか。
 なぜぶっちょ面(づら)をして、ひとのアラばかりを探し、他者を論評し揚げ足をとるばかり
で、ひとの長所や良い所をほめてあげられないのでしょうか。
 ああ、自分の道は曲がりくねっています。自分の植えてしまったイバラや背の高いカヤ
草にふさがれて、光の見えない道になってしまっています。
 なんとかして直くしたいものだと思います。
 神様、どうか手を貸して下さい。もっと「ありがとう」をいえる人間になれるよう努力する
ので、わが歩みを神の救いの山に、救いの道に導いてください。
 この救いの道を、みんなでいっしょに歩めますよう、迷子がおりませんよう、そして
落伍者がでず、みんなで手を取り合い、助け合って歩めますよう、心から祈りたいのです。
                                (人吉 パウエル 及川 信 神父)



宝 座(ほうざ)
(2010年 3月のお話)

人間とは何者か。
その存在の意義は何か。
その行う善、その行う悪とは何か。

大海の中の一滴、
砂のなかの一粒のように、
永遠の時に比べれば、
この寿命はわずかなものにすぎない。
このゆえに、主は、
人々に対して忍耐し、
憐れみを彼らに注がれる。
(シラ書18章 新共同訳聖書旧約続編)

 成聖された聖堂の宝座は、このように整えられます。
(上記写真、大阪生神女庇護聖堂、至聖所内の宝座)
 これは日常、ふだんの光景です。
 宝座の中央には「福音書」が置かれます。神言(かみことば)は、天地創造、あらゆる
被造物の始原です。万物の創造は「光あれ」という神言から始まりました。
 わたしたちはこう祈ります。
「その声は全地に伝わり、その言葉は地の極(はて)に至る」
「諸天は神の光栄を伝え、蒼穹(おおぞら)はその手の行為(しわざ)を告ぐ」
 正教会は心身、五感を総動員して祈ります。
 福音、喜ばしきおとずれ(嘉音)は、耳で聞くだけではありません。
 人の内奥にも到達します。
 聖体礼儀(聖体機密)の執り行われるときには、ふだんは福音書の安置されている場所
に、聖なるパン(聖体・尊体)と聖なる赤葡萄酒(聖血・尊血)が置かれ、聖職者・信徒は
領聖(りょうせい・聖体拝領)するわけです。
 福音書の横には接吻十字架が安置されます。
 十字架への接吻は、主イイススの救贖(きゅうしょく)の業(わざ)を想起させます。
 憎しみではなく親しみを、恨みではなく信じることを、悪への転落ではなく神の愛との
一致を、死への歩みではなく新たなる生命、復活、甦り、永遠の生命への凱旋を、
十字架は光輝をもってわたしたちに恵みます。
 宝座の奥には、予備聖体が安置されます。これは病者はじめ緊急に必要な領聖者
のために、あらかじめ準備されている御聖体です。復活大祭の直前、聖なる受難週間
の聖大木曜日、聖大ワシリーの聖体礼儀において準備されます。
 さらに宝座は、燭台の灯火、大十字架などで飾られます。
 この宝座を前にわたしたちは祈ります。
「神よ、なんじの宝座は世々にあり、
なんじの国の権柄(けんぺい)は正直(せいちょく)の権柄なり」
 宝座とは、神と人、人と人の一致と創造をになう信仰生活の動力源ではないでしょうか。
 シュメーマン神父はこう述べています。
「神からのものであるゆえに一致はこの堕落した世界にあっても輝き続け、
そのいのちを創造し続けている。家族や友人たちの間で、特別な集団に属し
その運命に責任を負うという意味で、愛すなわち憐れみと慈善にあって、芸術すな
わち永遠の天的な美への飛翔にあって、精神のより高い次元への探求にあって、
善と謙遜の神的な美にあって、すべてにあって、言葉を変えれば、神の像と似姿
─ それは傷つけられてはいてもいまだ破壊し尽くされてはいない ─
として創造された人とこの世にある一切のなかで一致は輝き、
いのちを創造し続けているのである」(松島雄一神父訳『ユーカリスト』新教出版社)
 宝座はじつに、わたしたちの衷心(ただなか)に生きて存立しています。
                                (人吉 パウエル 及川 信 神父)




宝 座(ほうざ)
(2010年 2月のお話)

ただ主の憐れみは、
彼を畏(おそ)るる者に
世々に世に至り、
彼の義はその約を守り、
その誡(いましめ)を懐(おも)いて、
これを行う子々孫々に及ばん。

主はその宝座を天に建て、
その国は万物を
統(す)べ治む。
(第102聖詠、
103詩編)

 1月11日(月・祝)、名古屋 神現(しんげん)聖堂、成聖祈祷に参祷しました。
神現とは、父なる神、子なる神イイスス、そして聖なる神・鳩のかたちのように降臨
した聖神(せいしん)、聖三者(至聖三者)の顕現(あらわれ)を象徴しています。
(神現祭といった場合には、主の洗礼の記念を意味)
 新聖堂の成聖祈祷で真っ先に成聖されるのは、至聖所、とくに宝座です(写真)。
 新しい木(まれに石)で組まれた宝座(写真下)の内部中央には、小さな十字架の
飾られた、聖なる箱があり、その中へ聖人の不朽体(ふきゅうたい、聖遺骸の一部)が
安置され、奉神礼を司る、聖堂の中心としての宝座が誕生します。
 聖堂の心臓部にあたるところが宝座と言ってもいいでしょう。
 正教会は「座」を強調します。
 主教座、府主教座、そして宝座。
 座は、教会の正統・伝統のあり方、かたちを表し、聖職者・信徒・教会がいかなる
在り様で信仰生活を営まねばならないのかを鮮明に示します。
 座には、信仰心ばかりでなく、神の恵みを受けた霊体(れいたい)としての信徒の
肢体(からだ)、信仰生活全体が統合されていきます。
 座は、神の恵みの源泉、いいえ神の在すところ、人がおらねばならない本来の居場所、
国籍のあるべきところ、「天の座」、神の懐(ふところ)を指し示しています。
 宝座理解の一例をここにあげてみましょう。
 「宝座と栄冠とは、物質的に製造されたもので、霊神的(れいしんてき)本質ではない
という主張があるが、これをどう理解するべきなのか」と問われたエジプトの聖大マカリイ
は、こう語っています(堀江復訳『克肖なる神父 エジプトのマカリイ全書』明治38年)。
「神性の宝座とは、これすなわち、わたしたちの智である。智の宝座とは、すなわち神性と
聖神(せいしん)である。けれども暗闇の力がある。またその闇の力の首領であるサタン
(悪魔)も、戒めを犯して以来、アダム(人間)の心と智と体とに座している。それはあたか
もサタンが神性の宝座に座しているかのように見えてしまう状態なのだ。それゆえついに、
救い主が降誕なさり、己(おのれ)のために体を処女(マリア)より受けられた」
「主は人の体の中に座する凶悪の諸神(しょしん、いろいろな悪の思いや心)を、人の心身
より退け、すなわち人が統御する概念と思いより退け、良心を清め、智と思いと体とを、
救い主のための宝座となされたのだ」
 聖使徒パウエル(パウロ)が言うように、欲に生きる旧人(古い人)ではなく、復活の主、
新たな生命の主ハリストス(キリスト)と体合した、新たに生まれた神の人が存在し、
生きているのです。
 そしてその最大の顕現(あらわれ)の一つが聖堂の宝座であり、そこから信仰者に恵まれる
聖体(尊体、成聖された聖なるパン)と聖血(尊血、成聖された赤葡萄酒)の領食、聖体拝領、
領聖(りょうせい)が重要なのです。
 領聖によって、信仰者は、「救い主の宝座」となります。
 いまあなた、そしてわたしには、神が生きておられます。
                                 (人吉 パウエル 及川 信 神父)



オリーブ(橄欖の樹)
(2010年 1月のお話)

ただわれは
青き橄欖(かんらん)の樹の
神の家に在るがごとし、
神の恵みを恃(たの)みて、
永遠に至らん。
(第51聖詠)
わたしは生い茂るオリーブの木、
神の家にとどまります。
世々限りなく、
神の慈しみに依り頼みます。
(52詩編)

「ハリストス 生まる!  崇め讃めよ!」
 主の降誕祭に合わせて、毎年鉢植えを求めて飾るのですが、花屋さんに
まん丸帽子のオリーブが置いてあり、つい買い求めてしまいました。
 くるんと可愛らしい鉢植えですが、上手にまるめられた樹形からはみだして、
新芽がすくすく伸びていきます(上の写真)。
 九州・人吉の大地に地植えして、生き延びるかどうかは五分五分の可能性
だと花屋さんに言われました。もともとは西アジア原産といわれ、太陽の燦々と
輝く小雨常温の地中海沿岸に広まりました。
 果樹としては非常な古い歴史を刻む木で、聖書にも枚挙にいとまがないほど
登場しています。
 オリーブの木の生えている庭、果樹園は、強烈な陽射しをふせぐ、憩いの場
としても人々に愛されました。
 主イイススがオリーブ山、ゲッセマネの園で祈ったのは、ごく自然な光景だった
のです。
 オリーブの木は食用の実ばかりではなく、家具等の材、香油などにも用いられ、
捨てるところがありません。
 搾り精製された油は、明かりを灯す燈油、髪や皮膚のための香油(コンディ
ショナーオイル、マタイ福音26章等)、ときには外科手術の薬用に使われたそ
うです。
 教会の言う携香女(けいこうじょ)とは、香油を携えている聖なる女性をさします。
 果実は食用油はじめ、オリーブ漬など料理に活用され、いまや健康食品として
重宝されています。
 丈夫で成長が遅く寿命が長い木としても知られています。材質は堅牢緻密、
木によっては琥珀色だったり、きめの細かいまだら模様が木目となって彩っ
ていますので、戸棚などの高級家具材としても有用です。
 オリーブは、神の祝福、繁栄、美と豊穣、強靱さの証(あかし)ですが、なんと
いっても創世記8章の、鳩がくわえて帰ってきたオリーブの葉が有名です。
 大洪水が引き、陸地が現れ、神の怒りがおさまった証拠としてオリーブが
紹介されています。
 この挿話以降、鳩とオリーブは、「平和と友情」の象徴(シンボル)となりました。
 教会では、祈祷時の香油(橄欖油)が、神の恩寵・祝福の徴(しるし)
として大切に生かされています。

 切り倒されたオリーブの根株からは、新たな芽がのび、いく本もの木が育つ
ことが多く、オリーブは蘇り、復活の木としても重要です。
 わたしたちは、根のしっかりと張った、幾度でも甦るオリーブのような生命力を
維持する信仰者でありたい、とつねに願い祈りましょう。
                        (人吉 パウエル 及川 信 神父)



(くも)
(12月のお話)

彼は雲をもって天を覆い、
地のために雨を備え、山に草を生ぜしめ、
人の需(もとめ)のために、野菜を生ぜしむ。
(146聖詠)
彼はその言(ことば)を地に遣わす、
その言は疾(と)く馳(は)す。
彼は雲を羊の毛のごとくに降らし、
霜を灰のごとくに撒き、
その雹(ひょう)を塊(つちくれ)のごとくに擲(なげう)つ、
たれかその厳寒を陵(しの)がん。
(147聖詠)

「ハリストス 生まる!  崇め讃めよ!」
 11月、晩秋というか初冬の澄みきった午後の南西の空に、西に向かって
青みがかった灰色の厚い雲。南から北に向かって真っ白な綿のような雲が
波打った白銀の衣裳のように、うるうると伸びていきます。
 色彩の複雑玄妙な光景に目を奪われ、神妙な面持ちで眺め入っていました。
その刹那、はっと我に返り、思い立って家に飛び込み、カメラをかまえて撮影
しました。
 ぼーと見ほれていた時間が長すぎたせいか、衝撃的な美しさは、残念ながら、
上層気流の速さに流されてしまったようですが、それでもこの写真を見ると、
感動がよみがえってきます。
 白山才蔵氏の解説(ホームページ)によると、わたしの見た雲は、
おそらく高積雲の一種でしょう。
「大きな雲のかたまりとなって中層(2000メートルから7000メートル)
の空に現れる ひつじ雲とかむら雲とよばれる大きな広がりがあること
もある。 巻積雲のいわし雲よりもかたまりが大きい。 一つの大きな
かたまりとなることもあり、レンズ雲と呼ばれることも」(白山氏)
 なんというすばらしさでしょう。
 わたしには表現することが困難です。
 伝えることがもどかしい、むずむずするような心の高揚があるとき、ひとは
言葉を失うのかもしれません。
 聖使徒ペトルの嵐の湖での奇蹟を想起すると、わたしたちは、激浪の中に
ぬうっと神が現れ、奇蹟が起こると思いますが、そうではないような気がして
きました。
 神は静寂の中に、真理は沈黙の中にこそ、雄弁に息づいているのでないか、
そう思うようになります。
 科学やロケット、自然をすべて人の把握する理論・理屈で説明しようとした
とき、最も大切な心が、霊能的な感覚の力が、神を感じる知性が衰退します。
 形のあるようでその形のない雲のうちに、真実を見極めることができれば、
人は幸福に満ち足り、天国の至福を回復できるにちがいない、と。
「なんじの慈憐は大いにして天に戻(いた)り、
なんじの真実は雲に戻(いた)る」(56聖詠)
                        (人吉 パウエル 及川 信 神父)



聖ゲオルギー(龍退治)
(11月のお話)

囚虜(とりこ)を放つ者、貧者を護る者、
病者をいやす者、諸王を助くる者たる凱旋者、
大致命者ゲオルギーよ、ハリストス神に
我らの霊(たましい)の
救われんことを祈りたまえ。
(光栄なる聖大致命者・凱旋者聖ゲオルギー
祭日・大晩課、餅の祝福の讃詞)

 聖ゲオルギーは、4世紀ローマ皇帝ディオクレティアヌスの時代の軍人で、
信仰を堅く守ろうとして迫害に遭い、さまざまな拷問の末に致命(ちめい)した
聖人です。
 半ば伝説化している聖人でもあり、龍退治の話がよく知られています。
(この聖像は大阪正教会・生神女庇護聖堂にある美しいイコン)
 聖人伝によれば、このとき皇后アレクサンドラも刑場にいく途中永眠している
ので、合わせてその祭日に記憶されています。
 聖ゲオルギーの龍退治は、聖人の永眠後しばらくしてのことです。
 ある湖水地方に巨大な龍が現れ、毒のこもった息を噴射するため、多くの人
が苦しんでいました。そこで占い師(巫女)に頼ったところ、龍の現れる日に、
少女を一人ずつ献ぜよ、と託宣を垂れました。
 異教を信ずる人々がその通りにしたところ、悪龍の怒りは収まりましたが、
ついに領主の王女の順番がやってきました。
 湖のほとりで死を待つ一人の少女を救いに現れたのが、白馬にまたがり
長槍を手にした軍装の麗人、聖ゲオルギーでした。
 この龍に象徴される毒をもった怪物は、異教を信奉し、少女を次々に手に
かけた豪族や盗賊の首領であったのかもしれません。
 悪の権化のような支配者は、いつ、どこに誕生するか、わかりません。
 聖ゲオルギーのような純粋・無垢な存在は、つねに少数者です。
 占い師(巫女)は結局は、強者である加害者の味方であって、神の側に立
って真理を証したのではないことが明白です。
 そして歴史は、この占い師のように、日和見で、つねに強者の論理に味方
する者がいかに多いかを示唆しています。
 信仰を守るとは、少数者の真実・真理を擁護することも含まれ、勇気と希望に
裏打ちされている必要があります。
 聖ゲオルギーの記憶日は5月6日(4月23日)です。
                          (人吉 パウエル 及川 信 神父)



聖なる約櫃(約匱・聖龕)
(10月のお話)

亜使徒(あしと) 日本の大主教 聖ニコライよ、
我らのために 神に祈りたまえ。
(約櫃に刻印された祈祷文・上記写真)

 日本の国の光照者(こうしょうしゃ)、亜使徒 大主教 聖ニコライが列聖され
たのは1970年。それから東京復活大聖堂の南側に聖ニコライ記念聖堂が建
てられ、大聖堂内には写真のような約櫃(約匱・やくひつ、聖龕・せいがん)が
安置されました。約櫃は聖櫃(匱)ということもあります。
 この櫃には、聖人の不朽体の一部が納められています。
 古来、正教会では、聖人らの墓所(洞窟)などで聖体機密が執り行われまし
た。その伝統が受け継がれ、アンティミンスという聖なる布の中央には、聖人
の不朽体の一部が縫いこまれます。アンティミンス(代案)とは、文字通り、
聖堂の聖体礼儀を執り行うべき場所の代わり、を意味します。
「移動式聖卓・宝座」とアンティミンスが呼ばれるのは、聖体礼儀執行のための、
主教職から司祭職への聖なる権限の移譲がなされているからなのです。
 日本ばかりでなく、ギリシャやロシアなど世界各国の正教会の聖堂・修道院等
には、聖人の不朽体の一部、いいえ聖なる遺体そのものが安置されています。
 敬虔な信仰心を抱いた信徒は、それらに接吻し、恵みを賜わられます。
 ではこうした聖人の不朽体は、煽情的に信仰をあおる為の、信仰宣伝の広告
塔・道具なのでしょうか。
 ちがいます。
 人には避けられない永眠・死の向こう、未来に神が準備されている「復活・永
遠の生命」を証するものです。
 「生」とは限定された尽き果てるものではなく、生とは神の賜物・恩寵、永遠の
恵みであり、人にはその永遠を甘受する生き方・道が用意されています。
 それがイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の生きた証(あかし)であり、
イイススが人として神として生き抜いた先、光の照らすところ、天国(神の国)
なのです。
 聖人の不朽体には、「致命(ちめい)」の信仰が息づいています。
 致命とは単なる殉教ではありません。神から賜られた恵み、生命を完全燃焼
する人生、致命(まっとうする命)を意味します。
 神と共に、イイススと共に、生き抜き尽くした、さらに未来に、真の命が息づい
ています。聖人の不朽体は、その確信・証明です。
 聖ニコライが日本に伝えたのは、単なる「教え」ではありません。それは、
真の命、生命の慶び、至福の福音であることを、身心に刻みましょう。
                         (人吉 パウエル 及川 信 神父)



野の花を見よ
(9月のお話)

なんじの家に住む者は福(さいわい)なり。
彼らは常になんじを讃め揚げん。
力をなんじに恃(たの)み、
心の路(みち)をなんじに向くる人は福なり。
彼らは涙の谷を過(とお)りて、
その中に泉を得、
雨は降福(こうふく)にて、これを覆う。
(旧約聖書「聖詠」83、詩篇84参照)

 春先、山道を車で走り、ふと眼をとめた畑の畔(あぜ)の斜面いっぱいが
黄色な小さな花に埋まっていました。あまりのみごとさに思わず撮った一景が
上の写真です。おそらくキンポウゲの花の群落でしょう。
 マトフェイ(マタイ)福音書では「山上の説教(垂訓)」と言っている個所は、
ルカ福音書では「平地の説教(垂訓)」といいます。
 おそらくは野に出て、草はらに座し、皆で語り合ったのでしょう。
 余談になりますが、ソクラテス・プラトン・アリストテレスといった古代ギリシャの
三哲人も、路上や郊外の野に出ての会話を楽しんだといいます。
 本(いまだとパソコンや携帯電話?)を室内に置いて、野に出よう。
 理屈ばかりの学問としての信仰に凝り固まるのではなく、虚心に、
素直な心で、まっすぐに神様を見つめ、祈りたい。
 野の花を見よ、イイススは語ります。
 これは刹那主義、一瞬の快楽主義ではなく、真の生き方、生きる意味を
問うています。
 あなた、わたしは、何をもって自分を飾り、自らを満たしているのでしょうか。
 添田知道著『小説 教育者』(玉川大学出版)の主人公の教諭、坂本龍之介
はあるたとえ話を語ります。
 きわめて豪華絢爛な弁当箱でも、馬糞が入っていたら食べられない。
でも質素な弁当箱に美味しいおはぎ(あんころ餅)が入っていたら食べられる。
坂本龍之介は、金持ちを鼻にかける着飾った女子学生と、貧しい純朴な女子
学生の双方に愛情をもって語りかけます。
 大切なのは外面ではない、中身だ、といいながら、その中身が真実伴って
いる人はどれほどいるのでしょうか。
 日々、自らに問いかけずにはいられません。
 野の花を見るために野に出よう。
 神の心を知り、神と共に生きるために、希望に満ちた、光降り注ぐ、緑豊かな
神の招く草原に出かけよう。そして心と体をこめて共に祈ろう。
 そうです。いっしょに願い祈りましょう。  (人吉 パウエル 及川 信 神父)




神品機密(しんぴんきみつ)
(8月のお話)

見よ、わたしの僕(しもべ)、
わたしが支える者を、
わたしが選び、喜び迎える者を。
彼の上にわたしの神(しん)は置かれ、
彼は国々の裁きを導き出す。
主であるわたしは、
恵みをもってあなたを呼び、
あなたの手を取った。
(旧約聖書「イザヤ書」42章参照)

 7月の全国公会時に、神品機密が行われ、一人の司祭(神父)が選立され
ました。この特別な祈祷・祝福を正教会では「叙聖(じょせい)」といいます。
 祈祷中には、婚配機密(結婚の機密)の聖歌が歌われ、新たな司祭は
神の花嫁として、奉神礼(祈祷全般)に聖務(せいむ)に、純粋・誠実である
ことを誓います。
 この祈祷のあと、ある信徒から、至聖所内の聖職者と聖所の聖歌隊・信徒
が掛け合いで歌っていた言葉の意味を問われました。
 その信徒は初めて、この機密を体験した人でした。
「アクシオス!」
 これは「適任」という意味です。
 主教が新司祭に対して「アクシオス!」と言い、全聖職者が「アクシオス!」
と返答し、さらに聖所の全会衆が等しく「アクシオス!」と連呼・呼応します。
 適任、重い言葉です。
 罪深い人の子ですから、深刻に考えれば、だれ一人として、神の前に
「適任者」はおりません。
 にもかかわらず、わたしたちは「アクシオス!」と祈りました。
 ここには「そう成りたい人(自薦の傲慢な人間)ではなく、皆が同意し推薦
できる謙遜な人を」、なによりも神が受け容れる人を、「神の前にふさわしい
温柔な人を」という心があります。
 もちろん、普段の努力は欠かせませんが、司祭職の重さを痛感します。
 新司祭は、聖変化の祈りのころ、その両手に御聖体(聖なるパン)をのせ、
深く祈ります(上の写真)。信徒の皆様からは見えにくいのですが、至聖所
の宝座(ほうざ)の上で、尊貴なる御聖体を献げもちます。
 聖体礼儀(聖体機密)を日々に執り行い、その御聖体を、生涯、尊び敬い、
人々と分かち合う「神品(しんぴん)」となったのです。
 この神品機密に参祷するたびに、感動し、こころが震えます。
 すっかりゆるみ、だらけてしまった我が身を痛悔(つうかい)します。
 わたしを含む、すべての司祭が、その職を致命(まっとう)できますように、
と心をこめて祈ります。精励・努力したく祈ります。
 新司祭に「光あれ」と祈ります。   (人吉 パウエル 及川 信 神父)



饗応(もてなし)の心
(7月のお話)

主はマムレの樫の木の所で
アウラアム(アブラハム)に訪れた。
暑い真昼に、アウラアムは
天幕の入口に座っていた。
目を上げて見ると、三人の人が立っていた。
アウラアムはすぐに
天幕の入口から走り出て迎え、
地にひれ伏して言った。
(旧約聖書「創世記」18章参照)

「お客様、よろしければ、どうか、僕(しもべ)のもとを通り過ぎないでください。
水を少々もってこさせませから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさって
ください。何か召し上がるものを調(ととの)えますので、疲れをいやしてから、
お出かけください。せっかく僕の近くをお通りになったのですから」
 アウラアムの誠実さが如実にあらわれている「もてなしの言葉」です。
 いままさに横を通り過ぎて行く神を、わたしたちは目に留め、その足を止め
させ、滞在してもらい、なおかつ饗応していますでしょうか。
 非常に心もとないかぎりです。
 修道院などを巡礼すると、かならず足を洗う水、甘い砂糖菓子、飲み水、
ときには一口のお酒(ぶどう酒や現地のお酒)がふるまわれたそうです。
 正教会の主日(日曜日)聖体礼儀では、ご祈祷のおわり、十字架接吻の
ときに必ず、一口大に準備された「聖パン」が提供されます。
 信徒も未信徒も、すでに信仰を保っている人も、求道者(あるいは、どう
しようか迷っている人)へも、アンティドルという聖なるパンが恵まれます。
 ここには、聖堂に来た人は、なにか心身を満たす新たなもの「聖」を獲得して、
日々元気に信仰生活を送ってほしいという、切なる思いがこめられています。
 神はどこにおられるのか。
 人はいつもそう問いかけ、探しています。
 ところが神は、あなた、わたしの、真横におられます。
 いま神は通り過ぎつつあります。
 復活大祭を正教会では「聖大パスハ」といいます。
 パスハ(パスカ)とは、旧約聖書「出エジプト記」12章の「主なる神の
過越(すぎこし)」を意味します。そうです。復活とは、神がわたしたち自身と
その周囲の社会と人にかかわるすべての自然の中を過ぎ越されて行く体験、
生命のすべて、その根源を揺るがす感動を現わすのです。
 神と共に、神の中に生きるのかどうか、ひとえにわたしたち一人ひとりの
信仰心にかかっています。
 このアウラアムのもてなしが、サラの懐妊・子供の誕生、そして義人にして
友人のロトの家族の救いにつながったことを忘れてはいけません。
(上記の至聖三者(聖三位一体)聖像はエウゲニア白石孝子姉の作)
                        (人吉 パウエル 及川 信 神父)



蜜蜂(みつばち)・蜂蜜(はちみつ)
(6月のお話)

主における畏(おそれ)は浄くして、
世々に存す。
主のもろもろの定めは真実にして、
みな義なり。
その慕うべきこと金にまさり、
多くの純金にまさる。
その甘きこと蜜にまさり、
房より滴る蜜にまさる。
(旧約聖書、第18聖詠、詩篇19章参照)

「乳と蜜の流れる国」
 ユダヤの民が、故郷イスラエルの大地に憧れ、慕う、望郷の情熱は、
わたしたちにも実感できます。第二次世界大戦後、大陸はじめ世界各地
からの引揚者は、船上から日本の緑野の大地を目にし、涙したといいます。
 乳と蜜のイメージは、安寧と豊満な天国、かつて初人(しょじん)アダムと
エバが追放されたエデンの園(楽園)の光景を思い起こさせます。
 ですからパニヒダ(永眠者記憶の祈り)のとき、糖飯(とうはん、クチア)と
いう甘く味つけされた穀物・果実・菓子などを飾って祈るのは、「乳と蜜の
流れる国」、神の国への凱旋・復活を表しているわけです。
 ここ数年、カナダ、アメリカ等、北米大陸に始まった蜜蜂の集団脱走? 
行方不明は、南米・オーストラリア等にも広まり、日本でも養蜂や野菜・果樹の
受粉に欠かせない蜜蜂(やマルハナバチ)の不足が話題になっています。
(上記の写真は、人吉正教会のクローバー・白爪草の小さな群落に飛来した
ちいさなハチ。日本蜜蜂もくるのですが、動きがすばやくて写真に撮れなか
ったので、この黒いハチに協力してもらいました)
 まだユダヤの国を国王が統治する前、神は士師(しし、さばきつかさ)を立て、
信仰と国民を導かせました。
 その士師の一人が、古今無双の怪力の持ち主、義人サムソンです。
 サムソンは、あるとき巨大なライオンの死骸、テントのように盛り上がった
骨格にコロニー(群棲)・巣をつくった、蜜蜂の大群と大量の蜂蜜を見たあと、
不思議な謎かけをして、カナンの異教民ペリシテをこらしめました(士師記
14章参照)。
 ダビィド(ダビデ)王の親友にして、ユダヤ初代の王サウルの嫡男ヨナファ
ン(ヨナタン)は、甘い蜂蜜を食べて異教の宿敵ペリシテ人と戦いました
(サムエル記上14章参照)。
 預言者イエゼキリ(エゼキエル)は、神の言葉「巻物」が蜜のように甘く、
心身を満たしたことを告白しました(エゼキエル書3章参照)。
 神様の教え、祈りの言葉が、本当に甘く、心身を満たすことがありますか。
 人を活かし、生活に潤いをもたらす、蜜の甘さをたたえた信仰のなかに
生きていますか。
 うれしそうに、懸命に喜んで生きている蜜蜂の姿、また蜂蜜の味わいに、
信仰の奥深さ、神の招きを感じましょう。
                       (人吉 パウエル 及川 信 神父)



湧水・泉(いずみ)
(5月のお話)

見よ、わたしはホレブの岩の上で
あなたの前に立つ。
あなたはその岩を打て。
そこから水が出て、
民は飲むことができる。
(旧約聖書『出エジプト記』17章参照)

ハリストス復活!
 湧き出た水が、そのまま飲めることは、じつに幸福なことです。
 日本は、世界一安全でおいしい水道水が飲めるそうです。
 世界各地では、湧き出た水が飲めないことも多く、さまざまな地下資源、
食糧そして飲料水をめぐる争いが絶えません。
 冒頭に引いた「出エジプト記」では、指導者モイセイ(モーセ)の苦悩が
うかがえます。信じつづける大切さを噛みしめましょう。
(上の写真は熊本県奥球磨、球磨川の源流の一つ、美しい清水です)
 心身の疲れ、その渇きを癒す人は誰でしょう。
 どんなに美しい水も、飲まなければ、その人の体内に息づきません。
 たとえ疑いながらでも飲まなければ、信仰生活を生かす水とはなりません。
 主イイススは言います(イオアン(ヨハネ)福音書4章)。
「わたしが与える水を飲む者はけっして渇かない。
 わたしが与える水はその人の内で泉となり、
 永遠の生命に至る水が湧き出る」
 イイススは、サマリアの里に2日間とどまり、人々と会話し、多くの人が
信じたといいます。
 せっかく目の前におかれ、差し出された水を、わたしたちは手で汲み、
ごくごくと飲み、しっかり消化しているでしょうか。
 心と体を閉ざし、拒絶してはいないでしょうか。
 心身と生活に浸み込む水、わたしたちの精神と霊(たましい)を潤す水。
 霊体の癒し、そして人から人へと滲み渡っていく、地下水のような水。
 わたしたちは求め続け、自らも湧きださせるよう努めましょう。
実に 復活!                (人吉 パウエル 及川 信 神父)

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