今月の神父様のお話 1

2005年5月~2009年4月


凱旋旗(がいせんき)
(4月のお話)

主は、あふれんばかりの知識によって
人々に違いをつくり、
それぞれに、
異なった道を歩ませられた。
ある者を祝福して高め、
ある者を聖別して、
みもとに近づかせられた。
(旧約聖書続編『シラ書』日本聖書協会、
新共同訳、33章参照)

「ラクタンティウスによれば、決戦の前夜コンスタンティヌスは夢をみた。その
夢は麾下全軍の将兵の楯にキリストの頭文字二つを刻めと命じた、とされて
いるし、エウセビオスは、コンスタンティヌスは進軍の途中、天空に輝く十字
架とその傍に「これにて勝て」という文字が浮かんでいるのを仰ぎ見た。そこ
でコンスタンティヌスは、全軍の楯にはキリストの頭文字二つを、軍旗には十
字架を記して戦ったと伝えている」(『キリスト教史Ⅰ』山川出版)

ハリストス 復活!
 ローマ、ギリシャばかりでなく、世界各地に勝利を祝う凱旋門が築かれてお
り、観光地や名所になっていることはよく知られています。
 正教会の聖堂に入ると、たいてい正面に向かって、左右に「凱旋旗」が安
置されています。
 美しい刺繍のほどこされた布製であったり、装飾のみごとな金属製だったり、
大小さまざまです。(上記写真は鹿児島聖使徒イアコフ聖堂の凱旋旗)
 教会の祭日の十字行(じゅうじこう)ばかりではなく、新聖堂の完成(成聖)
や聖人の列聖式典には、各地の信徒や教会が凱旋旗を多数献納する慣習
のあったことが、それも各地から聖歌を歌いながら、信徒が行進し、十字行
(じゅうじこう)をして寄付したことが、『ロシア正教会と聖セラフィム』の本にも
描写されています(サンパウロ刊)。
 凱旋旗は、信仰者の生きていく上で、その信仰心を堅めるの大切な
「徴(しるし)」、象徴です。
 苦難からの救い、人生の勝利、天国への凱旋を表します。
 じつは聖堂ばかりでなく、わたしたち一人ひとりの生涯、信仰生活におい
てこそ、凱旋旗が必要なのです。
 いずれは救われる、ではなく、いままさに、わたしたちは、救われています。
 信仰の旗振り役、凱旋旗をになう人は、遠くにいる誰かではなく、もしかし
たらあなた自身かもしれません。
 神の救いと恵み、死よりの甦り、復活の徴として、凱旋旗を崇敬しましょう。
実に 復活!                (人吉 パウエル 及川 信 神父)



自印聖像(じいんせいぞう)
人の手にて描かれざる聖像(イコン)

(3月のお話)

そこへ、アレクサンドルとルフォスの父で
シモンというキレネ人が、
田舎から出てきて通りかかったので、
兵士たちはイイススの十字架を
無理に担がせた。
そして、イイススをゴルゴダという所、
「されこうべの場所」に連れて行った。
(新約聖書マルコ福音15章参照)

民衆と嘆き悲しむ婦人たちが
大きな群れをなして、イイススに従った。
(ルカ福音23章参照)

 人の手にて描かれざる聖像には、有名なお話としては以下の三つが知られ
ています。(上記のイコンは神戸正教会のアンゲリーナ今堀英子姉の作)

1、アガバス王のハンカチーフ
 イイススの話を聞いた敬虔な領主アガバス王は、ひと目でいいからイイスス
に会い、教えを受けたい、そしてかなうものなら自分の病気を癒してほしいと
念願し、使いの者(部下)をイイススのもとへ遣わしました。
 ところがイイススは多忙でアガバスの所へ行けません。あまりの熱心な使者
の懇願に接し、イイススはアガバス王が領民に愛されていることを知ります。
 そこで自分が行く代わりに、ハンカチーフで顔を覆い、それを使者に手渡しま
した。使者がそれを持って帰り、王に手渡すと、その布にはイイススのお顔が
はっきりと映っており、そのお顔を見た王の病気は瞬時にして癒されたといい
ます。
 のちにアガバス王の家族は洗礼を受けたと伝えられています。

2、イイススの体を包んだ聖なる布
 一枚は十字架にかけられる前に、イイススが着ていた下着。
 これは処刑に立ちあった兵士らが、クジ引きで分け合ったといわれています。
 もう一枚は十字架から降ろしたときに、婦人たちがイイススの御遺体をくるんだ
新しい亜麻布。
 これは長年、ローマ帝国の首都コンスタンティノープルにありましたが、1204年
第4回十字軍の首都攻略の際、略奪されて行方不明になったといいます。
(のちにイタリア、トリノの聖骸布がそうではないかという風聞が広まりましたが、
真偽不明となっています)

3、聖ヴェロニカのハンカチーフ
 イイススの十字架への道行に従った女性の一人が、よろめき倒れたイイススに
走り寄り、そのお顔の血と汗をハンカチーフでふいてあげました。
 その後、十字架から降ろしたイイススを新しい墓に葬った聖ヴェロニカが家に帰り
そのハンカチーフをみると、聖なる顔が鮮明に映っていたといいます。

 こうした聖なる伝承(聖伝)を正教会では大切にしています。
 自印聖像は、のちの聖像画の原点であると同時に、まことの神の子がまことの人
となった真実を証する、信仰の原点でもあります。
 わたしたちは自らの心と体そして信仰生活に、主イイススを「自印」いたしましょう。
                            (人吉 パウエル 及川 信 神父)



チーズとバター(乾酪・断酪)
(2月のお話)

主よ、なんじの恩寵は輝き、
われらの霊の光照は輝けり。
視よ、よく納るべき時
視よ、痛悔の時なり
われらは昏昧(くらやみ)の行いを除きて、
光明の甲(よろい)を布ん。
(『三歌斎経』乾酪週間、主日の晩課、讃頌)

 冷蔵庫の中をごそごそやって、お皿に盛っていましたら(上記写真の食品)
妻マルファさんから、スーパーに行ってもっと高級なゴーダチーズとかバター
などを買ってから、写真を撮ってください。そうでないと「及川神父様の家は
ろくなものを食べてないのねと言われそうでヤダ」といいます。
 むべなるかな。
 わたしとしては十分満足して生活しているので、恥ずかしくないのですが、
そういう見方もあるのかと、ある意味感心しました。
 さて復活大祭(聖大パスハ)に向かう大斎(おおものいみ、グレイト・レント)、
その前に大斎準備週間と呼ばれる週が続きます。
 税吏ザクヘイ(ザアカイ)の聖書の話が朗読された後に、「税吏とファリセイ」、
「蕩子」(放蕩息子)、「断肉」そして「乾酪(かんらく)」の主日(週)が続きます。
 西欧のカーニバル(しばしば謝肉祭と邦訳)は、カトリック教会等が断肉の
まえに、お祭り騒ぎをするわけで、正教会の風習ではありません。
 もちろんギリシャ、ロシア、ルーマニア、ブルガリア等の諸国では、断肉前の
祝宴はありますが、ブラジルのリオのカーニバルのような、ドンチャン騒ぎでは
ありません。もっと質素で、信仰的な楽しみの範囲内で行われています。
 断肉、乾酪(断酪)以降は、牛・ブタ・とり肉はじめ魚類などのすべての動物
性脂肪と牛乳・酪農製品(チーズ・バター等)を断ちます。オリーブ油などの植物
性オイルはだいじょうぶです。
 この時期、我が家では、納豆、豆腐など日本食が大活躍しますが、もともと
週2回は納豆を大量に食べていますので、さほど斎期間には苦労しません。
 さてここで間違ってはいけないのは、家庭生活や健康を害するような斎
(ものいみ)生活は、教会の信仰に適っていないということです。
 これはダイエット生活ではなく、またベジタリアン生活でもないのです。
 復活大祭、永遠の生命に向かって、祈りと節制、緊張と穏和の信仰生活を
培っていくものであって、過激な断食指向は慎むべきです。
 こうした心がけを忘れ、どれだけやれたのかを競う「斎競争」になっては
本来の意味を喪失してしまうでしょう。
 冒頭に引いた祈祷文は、こうつづいています。
「斎(ものいみ)の大いなる海を渡りて、わが救世主イイスス・ハリストス、
われらの霊を救う主の三日目の復活に至らんためなり」
                         (人吉 パウエル 及川 信 神父)



生命の木(クリスマス ツリー)
(1月のお話)

命の川の水は、
都の大通りの中央を流れ、
その両岸には命の木があって、
年に十二回実を結び、
毎月実をみのらせる。
(イオアン〈ヨハネ〉黙示録22章参照)

 いつの頃からでしょうか。主の降誕祭、クリスマスに、緑の木を飾るように
なったのは。
 今となっては定かではありませんが、中世ヨーロッパ、とくに北欧に近い
地域から自然に広まったと言われています。
 モミの木には、防虫効果もあり、のみ・シラミ・ダニなどの害虫を駆逐する
効能があったので、材木は家屋・調度などに、モミの葉は燻(いぶ)して
家畜小屋の害虫駆除にも使われました。
 身近にあった木がクリスマスツリーに使用されたのは、当然だったのかも
しれません。
 ただわたしたちクリスチャンは、たんなる飾りの木としてではなく、生命の木
としても重視します。
 創世記に記述があるように、アダムとエバ(イブ)は神との約束を守れず、違
反し生命の木の実を食べてしまい、「死ぬ者」となってしまいました。
 復活の信仰とは、この生命の木の回復を志すことでもあります。
 そうしたとき聖堂や家庭に飾られる木は、単なる飾りではなく、人々に真の生
命をもたらす「命の木」として存在します。
 また聖堂で受けるさまざまな恵み、とくに聖体(パン)と聖血(赤ぶどう酒)は、
命の木の果実でもあります。
 せっかく聖堂に来ていながら、生命の果実を食べない信仰者のなんと多いこ
とか。なんという不実、不信仰、なんと悲しい神からの離反でしょうか。
 本人はさほど自覚していないだけに、神との溝は深く、じつはそこに、人と神
との別離・離反の最深部の構造が宿っているのです。
 一般社会のクリスマス狂想曲の光景をみるたびに、非常に苦々しい怒りを
覚えます。
 そして、さらに祈らねばならない、謙遜、謙虚に神を求め、真の生命の木を
育て、その果実を一人でも多くの人と分かち合わねばならない、と確信します。
「ハリストス 生まる!  崇め讃めよ!」
                           (人吉 パウエル 及川 信 神父)



司祭埋葬式(しさいまいそうしき)
(12月のお話)

けだし彼、罪を犯したれども、
爾(なんじ)に離れず、疑いなく、
爾、父と子と聖神、
三位において讃栄せらるる神を信じ、
三位の一性、一性に三位を
正しく承け認めて、臨終の息に至れり。
(『聖詠経』永眠者記憶の祝文より)

 先日、親しい神父様のご永眠の報をうけ、東京復活大聖堂での埋葬祈祷に
参祷しました(上記写真は聖堂の中央に安置された棺)。
 埋葬式には大きく、三つあります。
 一般信徒を葬送(おく)る、信徒のための埋葬式。
 乳幼児のための嬰児(えいじ)の埋葬式。
 そして神品(しんぴん)のための埋葬式です。
 聖職者とはいっても、聖歌者、誦経者(読経者)、副輔祭、輔祭らは、信徒の
ための埋葬式で葬送(おく)られます。
 主教や司祭は、特別な長時間の祈祷によって記憶されます。
(ちなみに聖人には特別な尊敬が捧げられているので、もはやパニヒダ等の
ふつうの記憶の祈りが行われません)
 沐浴(もくよく)をほどこされた永眠した司祭は、司祭の祭服を完装され、手に
は十字架を捧げ持ち、まさに奉事、奉神礼(ほうしんれい)に立つ姿のまま、
棺に安置されます。
 自らの心身を、その最期の時においても、神への献げものとし、信徒らへの
信仰の証しとするのです。
 ダマスクの聖イオアンは神品聖職者の御遺体を前にこう祈ります。
「いずれの生命の喜びか、哀しみをまじえざらん。いずれの栄か変わりなく
地に留まらん。皆影よりも儚(はかな)く、皆夢よりも虚し、瞬く間に、死は皆
これを奪う。ハリストスや、爾が顔の光と爾が美麗の楽しみとの処に、選びし
者を安んぜしめたまえ、爾は人を愛する主なればなり」
 この悲傷の挽歌に打たれながら、わたしたちは、永眠した司祭の功績を偲び
涙します。生きるとはつらく、悲しいことも多いのです。
 陰のない光に行きつくためには、どれほどの苦渋の選択をせねばならないこ
とでしょうか。
 たんなる亡骸(なきがら)ではなく、生を全うした、「生きた姿」がそこにありま
す。その姿にわたしたちは、希望の光、復活の望みを捜し求めます。
「ハリストス 生まる!  崇め讃めよ!」
                           (人吉 パウエル 及川 信 神父)



(うま)
(11月のお話)

強き手にて戦いを滅ぼすハリストスは、
馬と騎者(のりて)とを、
紅(くれない)の海に落とし、
凱歌(かちうた)を歌う、
イズライリを救いたまえり。
(『八調経』第五調 主日の早課 第一歌頌)

 出エジプト記14~15章、預言者モイセイ(モーセ)率いる、イスラエルの民
が、神の神妙の力によって救われました。
「紅海の奇蹟」
 人々が歌った讃歌が15章を彩っています。この最も古い歴史を持つ讃美と
感謝の歌は、正教会にとって実に重要なテーマを示唆しています。
 この奇蹟の「ほめ歌」は、救い主イイススの復活の予徴(よちょう)として、
また生神女の福音の奇蹟(処女懐妊の神秘)を表しているからです。
 ただ一つ気になることは、馬がたくさん死んでしまったことです。
 戦争の犠牲になった、幾多の馬に哀悼の意を表します。
 その昔、ヒッタイトと呼ばれた人々は、銅や鉄の武具を持った精強な兵をも
って中近東を席巻しました。その機動力の一つが馬であり、のちの強力な国
々、たとえばアッシリア、ペルシャ、そして今日取り上げたエジプト、ギリシャの
都市国家、それからローマ帝国もその影響を受け、軍馬を育成・活用しました。
 のちのユダヤの民、イスラエルの人々も、馬やろばの恩恵を受けました。
 しかしながら、馬そのものは、群れで暮らす、穏和な動物です。
 集団で走ると、どの馬も先頭に立ちたがる馬の習性を利用して、競馬や馬車
(戦車)競争が誕生し、いまもって人気を得ているのは、皆さんもご承知のとお
りです。
 人吉正教会から車で15分ほどの相良村に、小型の馬を飼育しておられる人
がおり、時々見に行っては、にんじんなどをあげています。
(上の写真、ここには7頭の小型の馬がいます。じつにうらやましい!!)
 ああ、馬が飼いたい。子供のころからの憧れの一つが、馬と共に暮らすこと
です。これが実現すれば、ズーと、ほんとうにズーと、九州でひっそり暮らして
いたい、などと夢のような思いを噛みしめています。
 馬のまつげ、つぶらな瞳、流れるたてがみ、ぶらんとした尾っぽ。がっしりした
胴体、蹄のある脚。まあるいお腹。どこもかしこも可愛いのです。
 全世界に一つくらい、牧場のある教会。馬に乗れる、あるいは子供を乗せる
馬車のある教会があってもいいでしょう。すばらしいことです。
 司祭(神父)をしばしば牧者(司牧者)といいますが、わたしは本物の馬飼
(うまかい)になりたくて、ずーと、うずうずしています。
 今日は、教会・聖書とあんまり関係のない話をしてしまいました。
 深謝。                    (人吉 パウエル 及川 信 神父)



聖なる戈(ほこ) 聖匙(せいひ)
(10月のお話)

一人の兵卒、戈(ほこ)をもって、
そのわきを刺せり。
たちまち血と水と出(いで)たり。
見し者は証をなせり。
その証は真なり。
(新約聖書イオアン(ヨハネ)福音書19章参照)

 聖体礼儀(奉献礼儀)で、司祭(神父)は、
「神の羔(こひつじ)、世の罪を任う者は、世の生命と救いとのために
宰(さ)かる」
 と言いながら、戈(ほこ)によって聖なるパン、羔(こひつじ、小羊・仔羊)に
十字形に切れ目を入れ、さらに
「一卒、戈(ほこ)をもって、そのわきを刺す。たちまち血と水と出(いで)たり。
見る者、証をなす。その証、真なり」
 と祝文を唱えながら、手にした戈で、聖パンの左上部を刺します。
 このあと、(さきに説明した)甘い赤ぶどう酒とごく少量の水、聖合品を聖爵
に加えます。
(上写真、聖戈と聖匙、その下は聖パンの準備をする木皿です)
 聖なる戈は、主の体を傷つけた槍の穂先を象っているともいわれています。
 主の十字架の周りには、ローマ軍の兵士3人がいました。そのうちの百卒長
(百人隊長)の名はロンギン(ロンギヌス)、のちに一緒にいた2人の兵士と共に
洗礼を受け、信仰を全うし、致命(ちめい、殉教)したといいます。
 この兵士3人と、神の母、生神女(しょうしんじょ)マリヤと一番若い弟子、聖使
徒・神学者聖イオアン(ヨハネ)、そして数人の女性信徒が、主の痛ましい死を
見守りました。
 聖体礼儀はたしかに主の最後の晩餐が影響していますが、やはり主の十字
架が機密の内容に重要な影響をもたらしています。
 もちろん聖書本文とは微妙に言い回しが異なりますが、祈祷文からは、過去
・現在・未来を結ぶ「信仰のカギ」が垣間見えます。
 受難・十字架・死・復活を体験するのは、「いま」です。
 過去の儀礼的記念行事としてのみ、聖なるパンと葡萄酒の準備を行っている
のではなく、いま生きて信仰生活を送っている、わたしとあなたが、神妙の祭り、
無血祭(むけっさい)の奥儀、すべての人の罪の赦し、死よりの復活の機密を
体験します。
 死者の儀式ではない、生きとし生ける者の「生命の儀」がここにあります。
 正教会では、いま準備したこの聖パンと赤ぶどう酒が、万が一にも本物の肉
や血に見えたら、絶対に使用せず、ただちに別の聖なる祭品を準備するよう
教えています。大昔、そうした悪魔の仕業があったのでしょう。祈りは魔術では
ありません。神を信じ、その恵みが降るよう祈る聖なる業(わざ)です。
 そのことを肝に銘じ、忘れてはなりません。
                          (人吉 パウエル 及川 信 神父)



聖爵(ポティール)聖盃(ディスコス)
(9月のお話)

イイスス、餅(パン)をとり、祝福してこれを裂き、
かれらに与えて言えり。
「取りて食らえ、これ我の体なり」
また爵を取り感謝して、かれらに与えしに、
みなこれを飲めり。かれ言えり。
「これ我の新約の血、衆くの人のために
流さるる者なり」
(新約聖書「マルコ福音書」14章参照)

 聖爵と聖盃は、聖体機密には欠かせない聖器物です。
 十字架と共に、もっとも古い聖なる象徴(シンボル)の一つで、皆さんご存知の
ように、聖爵には甘い赤ぶどう酒が、聖盃には聖なるパンが安置されます。
(6月と7月のお話をご参照ください)
 おそらく主の最後の晩餐の食卓には、おおきな木の皿(お盆)に、おおきなパ
ンが置かれており、それが聖盃のひな型になったと思われます。
 また聖爵(聖杯)については、イイススの使ったものは木製ではなかったのか
とも言われていますが、あまりにも昔のことでその材質については、定かでは
ありません。
 アメリカ映画インディ・ジョーンズ、シリーズ第3作、「最後の聖戦」(邦題)では、
木製の聖爵が取り上げられています。
 後世、聖爵・聖盃等の聖器物は、その耐久性、またカビや腐敗を避ける意味
からも、金属製が主流になっていきました。
 上記、写真の聖盃の上には、十字形をした足台形状の聖器物が置かれてい
ます。これを「星架(せいか)」といいます。
 イイススご降誕のときの不思議な星の導き、また聖神の充満を表します。
「星は嬰児(えいじ)の在る所に至りて、その上に止まれり」
 聖体礼儀の「奉献礼儀」祝文では、たったひと言で、神秘の体験を伝えます。
 聖体であるパンと聖血である葡萄酒を領聖(コミュニオン)した信徒は、神の
もとに導かれるばかりか、その人のうちに神が生れ、その人は神と一体となり、
神の生命の中を生き始めます。
 星架のみが、神のもとにとどまるのではありません。
 導かれて歩むすべての人が、神のもとに集い、感謝と讃美の祈りの歌を捧げ
ねばなりません。
 せっかく聖堂に来ていながら、領聖せずに帰ってしまう人が、なんと多いこと
でしょう。全く残念でなりません。
 聖体礼儀は主の復活を記憶し、実現する祈りです。
 領聖後、司祭(神父)と信徒は、復活大祭でもないのに、
「ハリストスの復活を見て…」「新たなるイエルサリムよ、光り、光れよ…」
 と復活祭の讃歌を唱え、歌います。
 この素晴らしい喜びと楽しみを、もっとたくさんの人に贈りたいものです。
                           (人吉 パウエル 及川 信 神父)



いちじく(無花果)
(8月のお話)

悪い実を結ぶ良い木はなく、また、
良い実を結ぶ悪い木はない。
木はそれぞれ、その結ぶ実によってわかる。
イバラからいちじくは採れないし、
野ばらからぶどうは集められない。
(新約聖書「ルカ福音書」6・43~44)

 いちじくは、人間が食べた果実の中で、もっとも古い歴史を持つものの一つ。
 あのアダムとエバ(イブ)が神との約束を破り、裸であることを恥じたとき、いち
じくの葉をつづり合わせて下着を作ったことが、創世記3章に記されています。
 主イイススはたびたび、いちじくにかかわる話を語っています。聖使徒イアコフ
(ヤコブ)はイイススのたとえ話をよく覚えていて、手紙の中(ヤコブ書3章)でも
恩師の話によく似た例文を書いています。
 福音書を読んでいちじくに関連する話を探してみてはいかがでしょうか。
 いちじくは、アラビア南部原産のクワ科の植物で、日本には1630年ころに伝来
した帰化植物です。でも、いちじくを見て日本古来の果実と錯覚してしまうのは、
わたしだけではないでしょう。
 なぜ「いちじく」というのか、いくつかの説があります。
 いちじくを指すペルシャ語の「アンジール」が転じたのだという説。
 一日に一個づつ熟すから「一、熟」つまり、いちじくになったという説。
 またしばしば「無花果」と書きますが、食べる部分は果肉ではなく花房なので、
正確には無花無果だという人もいます。
 このいちじく、ビタミン・ミネラルの豊富な果実で、薬としてもかなりの優れもの
です。たとえば、果肉は便秘や下痢などを改善する整腸作用があります。また
葉を煎じて痔の患部を洗うと鎮痛効果が、さらに葉は入浴剤にも使え痔や神経痛・
腰痛のほか肌荒れの改善にも効能があるといいます。茎などから出てくる白い
液は、イボ・魚の目・水虫等に薬効があるそうです。
 イスラエルの人々にも親しまれていた果実は、シルクロード・南洋貿易を経て、
日本人になじみ深い季節の食べ物になっています。
 正教神学院、東京復活大聖堂の境内にも、いちじくの木があり、熟した実を
もいでは食べたものでしたが、いまもあそこにあるでしょうか。
 皆様、ぜひ聖書を読みましょう。いちじくのたとえ話を探してみましょう。
 二千年余の時を越えて、イイススのメッセージが、届いているはずです。
                         (人吉 パウエル 及川 信 神父)



赤ぶどう酒(聖血・尊血)
(7月のお話)

神の僕・婢(聖名)、主神われらの救世主、
イイスス・ハリストスの至尊、至聖なる体血を領く、
その罪の赦しと永生とを得んがためなり。
(「聖金口イオアンの聖体礼儀」領聖時の祝文)

 聖体礼儀の前、奉献礼儀(奉事経には「聖体礼儀」と記載)において、5つの聖
パンを準備するのと同時に、赤ぶどう酒に少しの水を和した聖なる合品が、聖爵
(ポティール)に注がれます。
 伝統として、甘い赤葡萄酒が使用されています。
 あの有名な最後の晩餐で用いられた赤ぶどう酒。カナの婚宴でふるまわれた
赤ぶどう酒。いずれも極上のものだったのでしょう。
 司祭は、この聖血をいただいたとき、唱えます。
「視よ、これ、われの口に触れたり、すなわちわが不法を除き、わが罪を潔めん
とす」(「聖金口イオアンの聖体礼儀」領聖時の祝文)
 輔祭に対しても同様の祝文を唱え、祝福します。
 冒頭に引いた祝文は、信徒の領聖時に唱える、司祭の祝福の言葉です。
 こうした祝文、聖大ワシリイ(バシレイオス)の聖体礼儀では、司祭は次のように
唱えるのです。
「主わが神や、われら、なんじが至上にして、不死なる天上の聖機密、なんじが
われらの霊体の施恩、成聖、医療として賜いしところの者を領くるによりて、なんじ
に感謝す。万有の主宰や、なんじ親らわれらがなんじのハリストスの聖体血を領
くるをもって、その恥を得ざる信、偽りなき愛、叡智の増益、霊体の医療、諸敵の
駆逐、なんじが戒めの順守、ならびになんじがハリストスの畏るべき審判において、
善く容れらるる對(こたえ)となるを致させたまえ」
 動物の犠牲による祭儀・礼拝から、血を流さない「無血祭」への大きな変化。
 その中間、基点となったのは言うまでもなく、主イイススの受難の十字架です。
 その原点には、兄弟の和平を祈りつつ、兄カインに殺害されてしまった、義人
にして致命者(殉教者)アベリ(アベル)の姿が垣間見えます。
 アベルは農耕の人だったといわれているのです。
 聖血の甘味は、人生の幸福であり、他人への温かい思いやりです。
 口から出るものが、悪意や中傷、人を無残な死へと追いやる無責任な讒言
(ざんげん)ではなく、人を幸せにする「祈り」が出るように、わたしたちは領聖
します。
 ぜひ毎主日、領聖し、主の言葉の甘味を体験いたしましょう。
                          (人吉 パウエル 及川 信 神父)



聖パン(聖なる供餅)
(6月のお話)

取りて食らえ、これわが体、
なんじらのために裂かるるもの、
罪の赦しを得るをいたす。
(「聖金口イオアンの聖体礼儀」祝文)

ハリストス 復活!
 聖体礼儀の前、奉献礼儀という祈りが行われ、5つの聖パンが準備されます。
供餅(プロスフォラ)といいます。とても大きな聖パン1つで祈られることもあります
が、基本は「5つの聖なるパン(尊貴なるパン)」です。
 聖パンの上部には、IC XC NI KA「イイスス・ハリストス ニカ(勝利)」と
刻印が印されています。
 信徒はまだほとんど聖堂に来ていませんが、もう聖体機密は厳かに始まって
います。
 まず一つ目の聖パン。小羊(子羊)といわれ、聖盃(ディスコス)に安置され、
わたしたちが領食する聖体(尊体)となります。
 二つ目は生神女(しょうしんじょ)マリヤの記憶のため。
 三つ目のパンは、九つの階級(九品)に分けられた聖人の記憶のために用い
られます。
 一、預言者、前駆、授洗イオアン(ヨハネ)
 二、預言者モイセイ(モーセ)、アーロン、イリヤ(エリヤ)ら旧約聖書に登場する
  ことごとくの預言者
 三、聖使徒ペトル・パウエルら、ことごとくの聖使徒
 四、聖なる神父、大ワシリイ(バシレオス)ら、ことごとくの成聖者
 五、聖使徒、首致命者、首輔祭ステファンら、ことごとくの聖致命者・致命女
 六、克肖捧神(こくしょう ほうしん)なる神父アントニーら、ことごとくの克肖者、
  克肖なる母(女性の聖人)
 七、奇蹟者、廉施者(れんししゃ)コスマ・ダミアンら、ことごとくの廉施者
 八、義なる神の祖父母イオアキムとアンナおよび、その当日に記憶される聖人
 九、聖金口(せいきんこう)イオアン〈あるいは大ワシリイ〉
 四つ目のパンは、生者(主教・司祭・輔祭はじめ、ことごとくの兄弟姉妹、国を司
る者)の記憶をします。
 五つ目は歴代の主教を含むことごとくの永眠者の記憶をします。
 こうして五つの聖なるパンを準備し終えたら、香炉をふりながら、祝文を唱えます。
「主や、みずからこの奉献に祝福して、これをなんじが天上の祭壇に受けたまえ。
なんじは善にして人を愛する主なるによりて、献ぜし者と献じて祈祷に進められし者
とを記憶し、およびわれらを、なんじが神聖なる機密の聖務において、定罪(ていざ
い)なく護りたまえ」
 正教会(オーソドックス)の祈りは準備が丁寧です。
 準備があって、すばらしい完成・成就のあることを証しています。
実に 復活!                    (人吉 パウエル 及川 信 神父)


主の寝りの聖像
(5月のお話)

尊きイオシフは、
なんじの潔き身を木より下ろし、
浄き布につつみ、
香料にて覆い
新たなる墓に蔵(おさ)めたり。
(『受難週間奉事式略』聖大金曜日、晩課、讃詞)

ハリストス 復活!
 主の寝りの聖像が、至聖所の宝座(ほうざ)上に安置され、復活大祭の祈りが始ります。
 主イイススが葬られた新たな墓から離れ、三日目になり、使徒や携香女らがさまざまな
場所で、主のご復活を体験します。
 その臨場感あふれる体験を、わたしたちも共有します。
 この聖像は、アンティミンス(代案)にも刺繍されています。
 また冒頭の讃詞は、毎主日の聖金口イオアンの聖体礼儀、ヘルビムの歌のあとの「大
聖入」後、聖なる祭品である聖パンを備えた聖盃(ディスコス)、聖なる赤ぶどう酒を献げた
聖爵(ポティール)を宝座に安置した時にも、司祭が唱えます。
 この聖像を目のあたりにするたびに、神との出会いを思います。
「なんぞ生ける者を死者のうちに尋ねるや、
なんぞ悲しみ泣くや、
かれはここにおらず、
すなわち復活せり」
 永眠者を目の前にして、永遠の生命、復活を讃美する。
 死を意味する不吉な十字架の徴(しるし)を胸にして、再生を、新たな生を約する。
 この大いなる矛盾を乗り越えて、人は信じ、愛し、生きています。
 信仰とは、矛盾を承知で乗り越えていく勇気、暗い淵や絶望を横に見ながら人生という
道を歩みつづける忍耐と希望、しだいに年老いて意気地がなくなるのを知りながら、身心
はなお若返り信仰者として生きたいという切なる祈願を内包しています。
 矛盾を突破し、乗り越えるのも信仰であり、その矛盾の上に架橋をかけ、怖ろしさに足を
すくませながらも人生の橋を一歩一歩、あるくのも信仰です。
 昔、ある修道士が、自分の棺(ひつぎ)をベッドにしていたと聞いたことがあります。
 多くの人は年をとるのは死に向かっている証拠だと思っています。
 でもそうなのでしょうか。
 年をとるのは、新たに生きなおす証明ではないでしょうか。
 死ではなく、生命が、神との出会いが待っている、そう信じて生きましょう。
実に 復活!                         (人吉 パウエル 及川 信 神父)


パニヒダ台
(4月のお話)

けだし彼、罪を犯したれども、なんじに離れず、
疑いなく、なんじ父と子と聖神(せいしん)、
三位において讃栄せらるる神を信じ、
三位に一性、一性に三位を正しく承け認めて、
臨終の息にいたれり。
(『聖詠経』永眠者への祝文より)

ハリストス 復活!
 永眠者の記憶の祈りに用いられる燭台を、ふつうパニヒダ台と呼んでいます。
 「パニヒダ」とはギリシャ語に由来し、「夜を徹しての永眠者記憶の祈り」を意味しています。
日本風にいう「通夜」に相当します。
 ロシア、ブルガリア、ルーマニア、ギリシャ等の正教徒にきいてみますと、通夜や埋葬式の
あと、故人を偲んでささやかな宴がおこなわれるのは、日本と似ているそうです。
 ただそれは暗くじめっとしたものではなく、神の国への凱旋を祝う、さわやかな祝宴である
ことが多いそうです。
 もちろんこれは、ごくふつうに天寿を全うし、老衰等で亡くなられたときのことだと思います。
 思いもかけぬ事故や戦争などでは、笑顔で送り出すことなど想像もできないからです。
 わたしたちは、「復活」を信じます。
 永遠の生命、尽きることのない神の豊潤な恵みを信じます。
 それは独り、孤独な天国での生活ではなく、多くの人と分かち合う「喜びの生活」です。
 ですからわたしたちは、こう聖歌を歌います。
「なんじが僕・婢の霊(たましい)を諸聖人とともに、病も悲しみも嘆きもなく、
 終わりなき生命のあるところに安ぜしめたまえ」
 祈りの多くは、自己保身、自分個人の利益のためにではなく、だれか他者のために
贈られるものです。
 死の壁は愛する者の交流を閉ざしてしまうものなのでしょうか。
 死や苦痛は、神への希望を、人から根こそぎ奪ってしまうものなのでしょうか。
 イイススの受難時の祈りの場面を想起してみましょう。
 主は自分におとずれる災厄、痛みに震えながら、できることならこれらの苦痛が過ぎ去る
ようにと祈りました(マルコ14章参照)。
「アバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。
 しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことがおこなわれますように」
 出会いがあって別離があります。
 でも「神の時」がわたしたちをつないでいます。
 誕生があって永眠があります。
 けれども「永遠の生命」、復活の信仰が人の絆となっています。
 闇を怖れることも、ままあるでしょう。
 しかし信仰者は、ずっと祈りつづけています。
 あなたのために。わたしのために。そうです、ともに、
「生命の光のところに入れられんがためなり」と。
実に 復活!                         (人吉 パウエル 及川 信 神父)


(はし)
(3月のお話)

「雲のなかに虹が現れると、わたしはそれを見て、
神と地上のすべての生き物、
すべて肉なるものとの間に立てた
永遠の契約に心を留める」
神はノアに言われた。
「これが、
わたしと地上のすべて肉なるものとの間に立てた
契約のしるしである」
(旧約聖書 創世記 9章参照)

 九州各地には、ここ数百年、とくに江戸時代に造られた「石の橋」「水道・用水路」が
たくさん見られます。
(写真は鹿児島の石橋の公園、祇園の洲、ザビエル上陸記念碑の近くにあります)
 郊外の田舎の道を走っていて、小川に架けられた小さなアーチ状の石橋に眼がとまり、
車を止めて、その光景に魅了され心奪われること、しばしばです。
 長い年月の中で、擦り減り、変色し、つたや雑草に覆われ、それでも橋の役目をひっそり
はたしています。えらいものだと感心します。自分もあやかりたいと・・・・・。
 熊本県で有名なのは、通潤橋(つうじゅんきょう)。高地に水をくみ上げ、人びとの利水に
役立った素晴らしい名橋です。放水時の爽快感はなんともいえません。
 こうしたアーチ状の建造物は、古代ギリシャ・ローマの建造物にも、無数に見られるもので、
地球の反対側、東洋の日本でも活かされていることに、壮大なロマンを感じるのはわたし一
人でしょうか。
 「叡智(えいち)」ソフィアという言葉があります。
 人知を超えた、神より賜った不思議で神妙な知恵です。
 このアーチを最大限活かしたものが「車輪」だそうで、車輪と車軸の発明は、人間の文化・
文明を支えた最大の貢献だ。「火」に匹敵するという人もいるくらいです。
 橋が架けていくものは、生命のつながり、絆(きずな)でなくてはなりません。
 愛と勇気、希望と信頼、こつこつと生きる実感「いきがい」が大切だと思います。
 人の多くは(わたしも含め)心の架け橋をつくるのが苦手ですが、なんとかがんばって、
たくさんの人と架け橋をつくっていきたいと願っています。
 1ミリでも、1センチでもいい、自分から橋を架けていってみましょう。
 神から人へ。天然・自然から人へ。
 そして人から人へ。
 その行動を「信仰」というのだと信じます。       (人吉 パウエル 及川 信 神父)



だいこん
(2月のお話)

わたしはイスラエルの人々の不平を聞いた。
彼らに伝えるがよい。
「あなたたちは夕暮れには肉を食べ、
朝にはパンを食べて満足する。
あなたたちはこうして、
わたしがあなたたちの神、
主であることを知るようになる。
(旧約聖書 出エジプト記 16章参照)

 昨年12月のお話でたまねぎを取り上げましたが、だいこんもコーカサスからパレスティナに
かけて自生していた植物で、昔から広く栽培された野菜の一つです。
 たまねぎ同様、エジプトのピラミッドなどの公共土木工事に動員された人々に、だいこんが
支給されたそうです。イスラエルの民も煮物・鍋物などで食べたことでしょう。
 あのクレオパトラやダビィド王、ソロモン王が、たまねぎやだいこんを食べたと聞くと、ますます
親近感がわくのではないでしょうか。
 日本には、千二百年以上も前、「古事記」「日本書紀」にも掲載されている、ユーラシア大陸を
横断してわたってきた野菜ですが、もっとも日本に馴染んでいる野菜でもあります。
 海外で暮らす邦人がもっとも恋しがる野菜が、だいこんだといいます。
 だいこんは、体を暖める効能のほか、美肌効果、毒素を分解する抗菌効果もあるそうです。
最近では抗がん作用のあることがわかり、さらに注目を集めています。
 かぜをひいたら、だいこんをおろして飲むといい、というのは単なる民間の医療伝承では
なく、ほんとうに効くからなのでしょう。
 日本では「春の七草」のひとつとしても知られています。
 生(なま)でも、煮たり干したりしても役に立つだいこん。すごい野菜ではありませんか。
 ひるがえって、わが身の処し方と信仰生活を見ると、だいこんほどの万能性がありません。
 ちょっとしたことで落ち込み、疲れ、グチっぽくなり、悩んでいます。
 だいこんのように、東地中海でも、中央アジアでも、東アジア、そして日本でも、どこででも
それなりに適応し、しぶとく生きていく、そういうタフな信仰心がもてないものでしょうか。
 もちろん、だいこんと人間は違うのですが、ついそう思ってしまいます。
 考えてみると、だいこんには、ものすごくたくさんの品種があり、長い、短い、細い、丸いなど
など、色も形状もさまざまです。味も甘いのから辛(から)いものまで千差万別です。
 だいこんのように、しぶとい信仰。ああ、これだな、と思いました。
                                    (人吉 パウエル 及川 信 神父)



献灯(けんとう)の心
(1月のお話)

七日目に、主は雲の中から
モイセイ(モーセ)に呼びかけられた。
主の栄光はイスラエルの人々の目には
山の頂で燃える、
火のように見えた。
(旧約聖書 出エジプト記 24章参照)

 人吉に来てから、灯火の種類が増えました。
 とくに冬の夕暮れはつるべ落とし、あっという間に暗くなってしまうので、ロウソクやランプ
を灯し、聖堂内や玄関を照らします。
 電気による光にはない、不思議な暖かさ、なごやかな雰囲気。
 いま薪(まき)ストーブ、石炭ストーブや暖炉がひそかな人気を呼んでいるそうですが、
聖堂の中を満たしたいのは、一人一人が献じる、ロウソク一本一本であってほしいと思
います。
 サーロフの聖セラフィムの小屋には、ロシア各地から送られくるロウソクやランプの火が
絶えることなく燈っていた、といいます。
 そこには、さまざまな思い、心がこめられていたことでしょう。
 悲喜こもごも、うれしいこと、悲しいこと、喜び、悲嘆、失望と絶望、そして希望。
 託された火を灯すとき、そこには祈りによって結び合う、心の交流があります。
 時と場所を越えて励ましあう、心と魂の呼びかけがあります。
 献げられたのは、単なる献金や物ではなく、神への切実な叫びなのです。
 巨大なイルミネーションは、たしかに文明を感じさせますし、一抹の美を訴えます。
 でもわたしたちは、信仰者が捧げる、1本100円の灯火のほうに親しみを感じます。
 神様は、経済力に物を言わせた「バベルの塔の巨火」と、心をこめて供えられた聖堂
の1本の灯火のどちらを見てくださるのでしょうか。
 忘れてはならない原点が、きっとあります。
 ハリストス 生まる! 崇め 讃めよ!           (人吉 パウエル 及川 信 神父)
                              


たまねぎ
(12月のお話)

我われはエジプトの国で
主の手にかかって、死んだほうがましだった。
あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、
パンを腹いっぱい食べられたのに。
(旧約聖書 出エジプト記 16章参照)

 初冬をむかえ、鍋料理本番の季節となったとき、表記の聖句(ユダヤ人の嘆き)を思い
出しました。我が家も鍋が好きで、さまざまな鍋料理が食卓を彩ります。
 最近はポトフに凝っていて、そこでは美味しい「たまねぎ」が欠かせません。
 たまねぎは、アフガニスタンからイラン地方(ペルシャ)原産と言われ、中近東・北アフリ
カ・南欧では、4千年の昔から栽培され、ギリシャのヘロドトスも記録にとどめています。
 このたまねぎ、エジプトでは、あのピラミッド建設・造営の労働者にも支給されていたとい
われる歴史の古い、由緒正しい? 野菜なのです。
 ユダヤ人の食卓、料理を豊かにする野菜の一つが、たまねぎでした。
 当時エジプトを脱出したユダヤの民が、すでに砂漠化の始まっているシナイ半島の荒野
で鍋料理、肉と野菜の煮込み料理を懐かしがったのは、むべなるかな、と思います。
 暖炉の前での、食卓を囲んでの家族団らん、ことに鍋は格別です。身も心も、しっとりと暖
まります。
 ユダヤ人は、リーダーである預言者・義人モイセイ(モーセ)を恨んで、鍋を恋しがり、おも
いっきりグチったのです。
 こんなに神様にかまわれていて、何が不満なのだ、と思う人、それは間違いです。
 よく言うように「食い物の恨みは怖ろしい」のです。
 だからというわけではないのでしょうが、主イイススが正教会に伝えた大切な機密の聖餐
「聖体礼儀」では、聖パンと赤ぶどう酒をもちいます。
 中国の賢人は「衣食足りて礼節を知る」と言いましたが、神様は人間の根源的欲求をよく
ご存知で、はだかであった人に洗礼着という新たな着物と、復活と永遠の命という真の着物
をくださいました。また聖体礼儀では、生命の飲食物をあたえてくださったのです。
 主の降誕のとき、あなたはなにで満たされますか。
 ぜひ「領聖(聖体拝領)」で一年を締めくくりましょう。
 ハリストス 生まる! 崇め 讃めよ!           (人吉 パウエル 及川 信 神父)
                              


香炉(こうろ)
(11月のお話)

金の祭壇を
臨在の幕屋の中の垂れ幕の前に置き、
香草の香をその上でたいた。
 主がモーセに命じられたとおりであった。
(旧約聖書 出エジプト記 40章参照)

 聖堂を開け、お祈りの準備をします。
 けっこう準備する手順が多いのですが、ロウソクを灯し、香炉に火を点じた香炭(こうたん)
を入れ、上に載せた乳香から白い煙が昇りはじめると、平安な静寂が満ちます。
 子供の頃にかいだ乳香の香りは、妙にくすんだような渋い香りでしたが、いま教会で使う
乳香は、バラの香りなど、ほんのり甘い良い香りです。
 そうした雰囲気に酔ってはいけないのかも知れませんが、やはり正教会の聖堂に漂う
この香り、香の雲は素敵です。
 香炉を振るたびに、形骸化した祈りではいけないと、自らを戒めます。
 復活大祭へと向かう大斎(おおものいみ)に入ると、つぎのような聖歌を歌います。
「願わくは わが祈りは 香炉の香りのごとく 爾が顔(かんばせ)の前に登り、
 わが手を挙ぐるは 暮れの祭りのごとく 納(い)れられん」
 祈りは自然にゆらいで神様の前に立ち昇るのではなく、歩みをもってあなたと共に、
ある意志をともなって神様の前に「登って」行くのです。
「主よ 爾に呼ぶ。速やかに われに格(いた)りたまえ。
 爾に呼ぶとき わが祈りの声を納(い)れたまえ」
 神様は、「格」をもって人のもとにやって来ます。人格同士のふれ合いが実現します。
「主よ わが口に 衛(まもり)を置き わが唇の門を防ぎたまえ」
 新約聖書 イアコフ(ヤコブ)公書に述べられているように、「唇の門を守る人」は、
幸いです。そういう人は神に近づいていきます。
 雄弁は金、沈黙は銀、と言うではありませんか。
 この祈りは、さいごに次の聖句でまとめられています。
 ほんとうに、わたしもそう思います。心に刺さる一連の祈りです。
「わが心に 邪(よこしま)なる言(ことば)に傾きて、
 罪の推?(いいわけ)せしむるなかれ」
                                 (人吉 パウエル 及川 信 神父)


(かて)
(10月のお話)

わが日用の糧を
今日われらに与えたまえ。
(「天主経」より)

 人吉正教会から、ほんのニ、三分も車で走ると、稲刈りの光景が見られます。
 陽に輝く黄金色の穂の美しさは、たとえようもありません。
 糧(かて)という言葉にはこういう「糅」(かて)もあります。ほかに糒・?も「かて」と使用
することがあります。
 米は日本人にとって、特別な食べ物です。
 糧は、日々の生活に必需の主食をあらわし、糅・糒・?は、主食の米に加えるもの、ある
いは米が足りないときに補うもの(補助食)などをあらわすといいます。
 歴史を振り返ってみますと、世界のほとんどの国が金や銀を通貨の基本・基準にすえて
いたのに対して、日本では通貨は補助的なものとみなし、主要な流通単位には、米の収穫
高「石高」(こくだか)をすえていました。
 米が国の規模を表す単位となっていたのは、世界広しと言えど、日本くらいではないでしょ
うか。とにかく朝から、朝ごはん・朝飯(あさめし)、昼飯、晩飯など、三度の飯、米食なくして
一日が回転しない生活が千数百年、営々と続いていたのです。
 昔、真っ白な湯気の上がる炊きたてのご飯を、銀シャリといったのは、当然かもしれません。
金よりも銀の価値が高い時代があったのです。米は銀よりも尊い食物だったのでしょう。
 ひるがえって、わたしたちは、神様の恵みを、これほど尊んでいるでしょうか。
 神の愛なくしては生きられないと、痛切に感じているでしょうか。
 はたして神への祈りを、米(糧)ほど、必要としているのでしょうか。
 主日(日曜日)に、聖なる尊体(パン)と尊血(赤ぶどう酒)を領聖しないと、それから一週間
落ち着いていられないほど、聖なるものを欲していますでしょうか。
 じつに心もとないものがあります。
 あなたにとっての「日用の糧」とは何ですか。
 それはいま、あなたを生かしておりますか。あなたは糧を生かしておりますか。
 自分自身を、深く内省(かえりみ)たいと切望します。
                                 (人吉 パウエル 及川 信 神父)



(あめ)
(9月のお話)

この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、
天の窓が開かれた。
 雨が四十日四十夜地上に降り続いた。
(旧約聖書 創世記 7章参照)

 聖書で雨というと、やはり「ノアの箱舟」を思い出すのではないでしょうか。
 九州を走り回っていると、緑豊かな山間部のふと見上げた空に、「虹(にじ)」の徴(しるし)
を垣間見、ノアと動物の奇蹟、平和の祈りを想起してしまいます。
(写真は、8月31日早朝、3週間ぶりに降った雨を写真に撮ろうとしましたが、なかなか
むずかしく、ペトル侑君に傘を持って協力してもらいました。人吉正教会の庭にて) 
 人吉では3、40年ほど昔の球磨川大洪水が有名ですが、これはダム放水の失敗だと
いわれています。地震、大雨(豪雨)、台風は、日本の天災の産物ですが、これに近年、
地球温暖化が拍車をかけているようです。
 日本中の川や渕がみんなコンクリートで護岸工事をされ、降った雨が地面にしみ込む
余裕が無くそこへ流れ込み、まるで下水状態の川から、洪水が発生しています。
 これは人災です。
 天の恵みであるはずの雨を、ひとはうまく活用できていません。
 神の恵みを受けとめきれずにいるかのように、雨は汚され、捨てられています。
 雨が降らない、水が足りないと言っていながら、なぜこれほどに人は神からの恵みをお
ろそかにするのでしょうか。
 教会には水にかかわる祈りがたくさんあります。
 時には聖水をヒソプで、雨のように、人や物の上に降り注ぎます。
「天よりの恵みを、全身全霊で受けいれよ」
 わが祈りは香炉の香りのごとく天高く昇りますが、天の水の恵みは、人にしっとりとした
優しいぬくもり、渇きを癒す潤いをもたらします。
 雨、ときには傘なしに浴びてみませんか。顔を雨に濡らしてみましょう。
 洗礼の日の喜びを再体験できるかもしれませんから。
                                    (人吉 パウエル 及川 信 神父)


(もみ)の木 糸杉(いとすぎ)
こうのとり
(8月のお話)

鳥はその上に巣を造る。
松は鶴の棲処(すみか)たり。
(旧約聖書 聖詠103〈詩編104〉より)

 この聖詠を聞いて、子供の頃、ごく単純に、イスラエルや地中海東海岸地方には、鶴や
松の木が棲息しており、まるで日本のようだと思っていました。
 それが日本聖書協会の口語訳では「樅の木」、新共同訳では「糸杉」に変わっています。
 松、樅の木、糸杉では、その生態、生育域、形状がずいぶんと違います。
 (上記写真は人吉正教会のウラ庭に、ずんぐり育った樅の木です)
 日本正教会訳の聖書で、なぜ松と鶴として訳したのか、定かではありません。
 ただ日本では、樅の木は外来種で、松や杉が多かったのでしょう。
 明治時代、すでにこうのとりや鶴は、本州では全滅状態で、ことにこうのとりはまったく姿
を消しつつあり、また丹頂鶴は北海道東部にほそぼそと生き残っている状態でした。それは
同じく瑞鳥(ずいちょう)とされたトキも同様でした。
 余談ですが、江戸時代、鷺(さぎ)や上記の鳥たちには保護区が設けられ、大切にされて
いたことはいま知られていません。西洋化だけが文明の進歩ではないようです。
 糸杉はキリスト教会では「生命」「復活」の徴(しるし)として、たとえば教会や修道院の庭、
道路の並木として植えられています。
 こうのとりは、巣作りをするとき、いちばん高い安定感のある場所に巣を設ける習性があり、
糸杉、杉、樫ばかりでなく、人の家の屋根、煙突、望楼などにも巣をかまえました。
 こうのとりは賢く、家族仲が良く、一度夫婦になったら一生添い遂げるといわれています。
渡り鳥としても有名で、その家族代々が同じ場所に巣をかけるので、子孫繁栄、家の繁栄
につながるとして、大切にされています。
 こうのとりが赤ちゃんを運んでくるという逸話は、こうのとりの愛情深さを象徴しています。
 糸杉とこうのとりの取り合わせは、そういう意味では絶妙です。
 近年、日本ではようやく、野生のこうのとりを殖やそうという努力が実を結びつつあります。
 正教会は、家族の教会、家庭の教会です。
 信、望、愛。
 聖詠は静かにその大切さ、重要さをうたっています。
                                  (人吉 パウエル 及川 信 神父)



睡 蓮(すいれん)と (はす)
(7月のお話)

主の諸僕、夜中、
わが神の家の庭に立つ者よ、
 いま主を崇め讃めよ。
なんじの手を挙げ、聖所に向かいて
主を崇め讃めよ。
(聖詠133)

 ちょうど日本の梅雨に入りかけの季節、池はハスや睡蓮の花に彩られます。
 ハスや睡蓮の仲間はその分布範囲が広く、ヨーロッパ、アフリカ、中近東、さらにはユーラ
シア大陸を横断して、東アジア、日本へと及んでいます。
 日本では、ハス、睡蓮、オニバスなどが知られています。
 これらは水質の悪化に弱く、ここ数十年でオニバスの70パーセント以上が日本で姿を消し
た、絶滅したといわれています。人間とは罪深い生き物です。
 上記写真はハスの花、いろいろな色の花があります。睡蓮は水面ぎりぎりに咲く特徴があ
ります。睡蓮は夜とじて眠りにつき、朝目覚めて花開くことから命名されました。
 人吉では、近郊の天子公園や市内・青井神社、永国寺のハスや睡蓮が有名です。
 九州では、ハスの地下茎をカラシ蓮根として食べます。
 千葉県では、古代のハスの種から芽が出て、大賀ハスとして有名です。
 ハスや睡蓮は、しばしば仏陀の花、仏教とつながりが深いように思われがちですが、
どうしてどうして、旧約聖書の時代から、わたしたちにも馴染み深い花のひとつです。
 たとえばエジプト。あのレンコンは、古代エジプトの時代から、食用となっていました。
旧約聖書の創世記の後半、出エジプト記の時代のユダヤ人らも、その恩恵を受けていたは
ずです。
 かのクレオパトラはじめ、王家の人々、とくに女性が美容食にしていたとも伝えられています。
 観賞用としてばかりでなく、レンコンは医薬同源として親しまれていたのです。
 おそらくは、ソロモン王が造営した王宮庭園の庭、池には、ハスや睡蓮が繁茂していたことで
しょう。
 なぜならソロモンは、政略結婚を重ね、アフリカ、中近東の国々の王女と結婚したからです。
そして故郷を懐かしむ彼女らのために、ふる里の花や木を植えました。そしてやがては異教の
神殿も。
 身近な野菜や花を見たときにも、信仰者や聖なる歴史、聖書に思いをはせてみませんか。
 ハスや睡蓮はその良い一例だと思います。
                                     (人吉 パウエル 及川 信 神父)



(いぬ)(6月のお話)

息子トビアは天使と共に出発した。
トビアの犬も出て来て、
彼らについて行った。
(トビト書6章参照)

 すでに1万年以上も昔から、人はペット(愛玩動物)と共に暮らしていたといいます。
 マンモスや野牛の狩りをしていた、あのクロマニヨン人、ネアンデルタール人らは、犬を友に
狩猟にいそしんでいたそうです。
 おそらく野生の山犬や狼の子を拾い育て、人間に慣れた犬の子孫がペット化していったの
でしょう。
 はじめは使役(しえき)犬、つまり番犬、牧羊犬、狩猟犬として使われ、のちに品種改良が
進み、野生の本能がかなりおさまり、人なしでは生きられない動物となったのでしょう。
 猫は野生に戻れるが、一度人に飼われた犬のほとんどが野生では生きられないといいます。
  (写真は、人吉正教会の庭でおすまししている、我が家の愛犬「りん」1歳6か月です。
  事情があって、成犬近く大きく育ってからやってきました。ミニチュアピンシャー種です)
 ところで、さまざまな介助犬が活躍しています。
 たとえば有名なところでは、警察犬、盲導犬、生活介助犬、聴導犬、麻薬探知犬、爆発物
探知犬、めずらしいものでは病気探知犬もいるそうです。癌や重度の生活習慣病にかかって
いる人からは、犬にしかわからない独特の臭気が漂うそうなのです。
 さまざまな救助犬も知られています。水難救助犬に山岳救助犬。セントバーナードは修道院
で飼われていた大型犬を訓練したもので、飼い主の聖バーナードに由来するといわれていま
す。首にアルコール度数の高いブランディを入れた小さな樽が目につきます。
 こうして人と親しい犬や猫ですが、日本では1年間に約40万匹が保健所等で殺処分される
とききました。
 人間が年間40万人殺されたら、わたしたちはなんと叫ぶでしょうか。
 怖ろしいことです。
 江戸時代、五代将軍 徳川綱吉は「生類憐みの令」を出しましたが、あながち間違ってはい
ないのかもしれません。
 人間の友である動物がのんびり生きられない社会が、人に快適なはずがありませんから。
 あなたの人生の旅の伴侶は誰ですか。
 心安らげる友はいますか。
 トビアの旅には、つねに神すなわち天使と、愛犬が寄り添っていたのです。
                                    (人吉 パウエル 及川 信 神父)



白い たんぽぽ(5月のお話)

神のもとに立ち帰れ。
愛と正義とを保ち、
常にあなたの神を待ち望め。
(ホセア書12・7)

 「ハリストス 復活!」 
 人吉正教会の庭に、ひっそりと白いたんぽぽが咲いています。わずかニ、三株です。
 ふつう見かけるたんぽぽは、勢いのある鮮やかな黄色と緑色ですが、この白いたんぽぽは、
清楚な優しさにあふれています。
 この庭で隣に咲いている西洋たんぽぽのあでやかさ、そして在来種 日本たんぽぽの穏や
かなたたずまい。
 ここに日本のいま置かれている状況、生態系の縮図があるといってはおおげさでしょうか。
 西洋みつばちと日本みつばち。在来の日本のありと海を渡ってやってきたアルゼンチンアリ
などの外来種。
 日本中に広がりつつある、毒くも、さそり、あらいぐま、ハクビシン。
 市内を南北に流れる球磨川には、ブラックバス、ブルーギル。うそかほんとうか、ピラニアを見
たという人もいます。また川に仕掛けた漁網には、縁日の売店で売っている緑ガメ(その巨大
化)ばかりでなく、ワニガメやカミツキガメがかかるそうです。
 日本近海には、漁師の大敵エチゼンクラゲやサンゴを食い荒らすオニヒトデ。海中には日本に
はいないはずの魚や海草も殖えています。
 日本の固有種を守りたいというのは、わたしたちのセンチメンタルな郷愁なのでしょうか。
 でも古くから存続している良いものは、きっとあります。
 別な進化の歩み、かれらの生き様が、わたしたちに教えてくれるものもたくさんあるのではな
いでしょうか。
 「美しい国 日本」とは、美しい国土もさすでしょう。そこには、あるがままの姿を優しく守る、
強靭な魂が求められています。
 美しい国の美しい人とは、古き良き日本の大地・自然を愛する人にこそ、ふさわしい呼称です。
 正教会、オーソドックス・チャーチとは、そういう教会であり、わたしたちは、その信徒なのです。
 「実に 復活!」
                                    (人吉 パウエル 及川 信 神父)



菜の花(なのはな)(4月のお話)

我々は主を知ろう。
主を知ることを追い求めよう。
主は曙の光のように必ず現われ、
降り注ぐ雨のように、
大地潤す春雨のように、
我々を訪れてくださる。
(ホセア書6・3)

 「ハリストス 復活!」
 3月に入り、例年の2月のような寒さと冷えに震えていました。
 そのうちに梅の花が終わり、ひと雨ごとに春の勢いが増してきました。
 陽だまりでいちばん最初に元気に咲く花が、菜の花です。
 冬の終わりからもうひと月以上、咲きつづけています。(写真は人吉正教会の近所)
 日本でいうところの菜の花は昔はアブラナ、いまは野沢菜やチリメン白菜なども菜の花と呼ぶ
そうです。でもわたしたち素人には見分けがつきません。みんな「菜の花」です。
 夏目漱石は菜の花が好きだったとみえて、『草枕』や『虞美人草』で描写しています。
 最近では房総半島の菜の花畑が有名ですが、九州ではやはり指宿の花畑がきれいです。
開聞岳や池田湖周辺の満面の菜の花の美しさ。菜の花マラソンなどの行事も多く、人々に親し
まれています。わたしも何度も指宿へ行き、花の光のシャワーを浴びました。
 わたしの育った北海道では、網走の原生花園、湿原に咲く水芭蕉、白百合、黒百合、すずらん、
富良野や札幌でよく知られているラベンダーなど、春の花がたくさん見られます。
 しかし道東、釧路では、菜の花を見た覚えがありません。
 菜の花には、やはり南の国のイメージがあります。
 九州に来て、菜の花を見ると、大斎(おおものいみ)や復活大祭を意識するようになりました。
 九州では予定表のように、各地で大祭の祝いを行います。
 復活大祭。
 この日、赤卵やお菓子ばかりでなく、花を携えて聖堂へ来ませんか。
 やさしい花の心を持って、大祭、復活の喜びをいっしょにかみしめましょう。
 「実に 復活!」                           (人吉 パウエル 及川 信 神父)


(やま)(3月のお話)

モイセイ(モーセ)は、あるとき、
羊の群れを追って行き、神の山ホレブに来た。
そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現われた。
見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。
モイセイは言った。
「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。
どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう」
(出エジプト3章参照)

 歴史上、最も古い、聖地、巡礼地のひとつ、聖なるシナイ山。
 神に選ばれた預言者はそこで、「十戒」という聖なる石板をいただきました。
 聖櫃(アーク)には、十戒を刻んだ2枚の石板とマンナという不思議なパンが納められていました。
 (写真は 夜明けのシナイ山の遠景)
 宗教なんて、何を信じても同じでしょう。結局、死んで行き着く先は一緒なんだから、と言う人に
ときおり出会います。
 あまりにも乱暴な人生観なので、最近では、まともに答えないことにしています。返事をしても、
まったく意味の無い意見だからです。
 同じ学校を出ても、同じ会社に入っても、全然異なる人生を送るのが「人間」です。
 国会の質疑で「人もいろいろ、人生もいろいろ」と発言して物議をかもした総理大臣がいました
が、まさに人の生き方は千差万別。結局いっしょでしょう、では、真剣に生きている人に失礼です。
 わたしたちは、そういうことを言う、ちゃらんぽらんな「ニセ信仰者」になってはいけません。
 燃えていた柴を、たんなる焚き火の残り火、あるいは野火のたぐいだと軽んじて、見過ごして
しまったら、のちのモイセイ(モーセ)はありません。
 ちいさな出来事の奥に潜む神の姿の見えない人であったならば、別の道にそれることすら
思い浮かばなかったことでしょう。
 ほんのすこしでいい、神の手による神秘的な業(わざ)を見きわめる観察力と洞察眼、それを
わたしたちは持ちましょう。ただ漫然と「何でもいっしょだ」と生きるのではなく、ていねいに、
優しく生きてみましょう。
 しっかり丁寧に山、そして人生を歩く人は、たとえ遭難しても、きちんと救助されることでしょう。
 二度と戻ってはこない時間、二度無い人生です。
 一歩一歩、ほんとうにていねいに、神様に感謝しながら、信仰も人生も深めて生きましょう。
                                    (人吉 パウエル 及川 信 神父)



(かわ)(2月のお話)

あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。
月日がたってから、それを見いだすであろう。
(コヘレト11・1)

 川が豊か、水が豊か、森と緑が豊かな国。
 「美しい国日本」の原風景ではないでしょうか。
 明治以降、出稼ぎ・留学・戦乱からの帰国者はみな、日本の緑滴る山野を遠望し、涙したといい
ます。(写真は人吉市内 水の手橋からみた人吉城址と球磨川です)
 それがいま、海岸線や河川、あぜ道や田畑まで、コンクリートで固められた景色が広がっていま
す。雑草が生えなくてきれいだ、という発想の奥には、なにか怖ろしい醜悪さが澱んでいます。
 昨今、凶悪な事件がふえた遠因のひとつには、こうしたコンクリ工事のような思想・教育の蔓延
があるのではないでしょうか。
 信仰もおなじではないでしょうか。一律の美しい信仰、一糸乱れぬ規律正しい宗教の行き着く先
には、さまざまな新興宗教・カルトのおぞましい姿が見え隠れします。
 自由には責任と義務が伴います。信仰者はなおさら、それを意識せねばなりません。
 上記に引いた聖書の言葉には、重いメッセージがこめられています。
 「川に流してしまえば、後は安心」という発想は、キリスト教にはありません。
 日本には、犯罪に「時効」という制度・法律がありますが、教会には時効の考え方はありません。
 おなじコヘレトの9章には、人生の事実が鋭く指摘されています。
 天から降った雨のうち、海に行き着くのは5パーセントくらいで、あとはほとんどが蒸発するか、
地に浸透していくといいます。
 そのほとんどが、雨・雪等になって、大地に戻ってくるのです。
 川の美しさに、神の優しさと厳しさを見ます。
 あなたは人生に、川に、なにを見いだすのでしょうか。
                                   (人吉 パウエル 及川 信 神父)



水鳥(みずどり)(1月のお話)

「生き物は水の上に群がれ。鳥は地の上、
天の大空の面(おもて)を飛べ」
(創世記1・20)

 イスラエルの国、いまのパレスティナ、地中海東岸域は、渡り鳥の通過場所として知られています。
 とくに有名なのは、こうのとりですが、ほかにも鴨、シギ、つばめ等が渡っていきます。
 余り知られていませんが、鷹や隼の仲間も渡りをする種類が多く、日本では小型の鷹の仲間、サ
シバの渡りが有名です。北海道、知床のオジロ鷲などもシベリアや千島列島から南下したりします。
 人吉市にはたくさんの鳥が住んでいます。白鷺、ごい鷺などの鷺の仲間、またこの季節にはやや
赤みがかった薄茶色の頭をしたアマサギも見られます。
 越冬するつばめやヒヨドリもいます。
 上記写真は、市内山田川の五十鈴橋付近に住んでいる鴨たちです。30羽ほどもおり、近所の人が
パンなどをちぎっては与えるので、半ばペット化しています。人が近づくと喜んで寄ってきます。
 羽毛はクッションフトン、枕・衣類の中綿代わりばかりでなく、羽ペンや衣服・帽子の飾りに。
 肉は食用に。
 ときにはガチョウは家畜、ペット、番犬代わりに飼われました。ガチョウは仲間意識が強く、同じ敷地
(グループ)内をしっかり守る性質があるので、意外と重宝されています。
 先日みたニュースでは、ブラジルの刑務所で番犬代わりにされていたほか、野犬の多い農園など
でも群れで飼われていました。ちなみにガチョウは鳥目ではないので、夜に眼が利くのです。
 最近では合鴨農法が有名になってきました。
 ただ使われるのは子供の合鴨で、親用にとっておく以外の合鴨は、大きくなると田んぼにいれず、
食用になってしまうそうです。ちょっとかわいそうです。
  聖書を読むと、水鳥が人々の身近な存在であったことがわかります。
 おそらくノアの箱舟には、いろいろな種類、たくさんの水鳥が乗り込んだことでしょう。
 みじかなところに、聖書を読み深めていくヒントがあります。
 水鳥ばかりでなく、鳥の登場する場面を求めて、聖書を読んでみましょう。
 きっと聖書が親しく感じられることでしょう。
                                      (人吉 パウエル 及川 信 神父)


  茶(Tea)(12月のお話)

わが日用の糧を、今日われらに与えたまえ。

 聖書を読んでいくと、イスラエルの民は、あまり日常の嗜好品、たとえばお茶やお菓子には気をつか
っていなかったことがわかります。もしかしたら聖書に記録しておくほど気に留めていなかったのかも
しれません。神様とは関係のない、ささいなことですから。
 ところで日本には「日常茶飯事」という言葉があるほど、お茶が日々の生活で大切な位置を占めて
います。九州はいたるところがお茶の名産地で、この人吉・球磨郡も茶所として有名です。
 人吉正教会の生垣の一部はお茶の木で、いま白い可憐な花を咲かせています。純白の花びらのう
ちに黄色なおしべ・めしべが寄り集まり、その多くはなぜか地面のほうを向いています。
 人吉に来て生まれて初めて茶の花を見ました。美しいものです。
 あの煎茶、玉露、番茶、ウーロン茶、そして紅茶も、同じお茶の葉から作られています。
 これには驚きました。
 緑茶に含まれるカテキン成分は、覚醒作用、利尿効果、ストレス解消ばかりでなく、ビタミンCも豊富
なのでカゼ予防、美肌効果もあるそうです。ヨーロッパで恐れられた壊血病が日本になかったのは、
お茶のおかげだという人もいます。
 ところがこの緑茶、体を冷やす効果もあるそうで、余り運動をしない人が緑茶を飲みすぎると、痛風や
神経痛の痛みが増すのだそうで、それに気がついた英国人らは、紅茶として温めて飲むことを発見しま
した。温めた紅茶は、緑茶とは反対に体を暖める効果があるそうで、同じお茶でも正反対の効能がある
ことにもびっくりしました。
 お茶の原産地はインドといわれ、インダス川近くまで東方遠征した、かのアレクサンドロス大王もお茶
を飲んだかもしれません。シルクロード周辺の民もお茶をたしなみます。
 わたしたちの信仰は、お茶のように「日常茶飯事」になっていますでしょうか。
 熱心過ぎたり、冷淡になったりして、そのときの気分や出来事で、信仰が正反対の道を交叉してはい
ないでしょうか。
 神様と親しみむすぶ、温かみのある交わりをしていますでしょうか。
 お茶の花を見るたびに、常日頃、質素で、素直な信仰を持ちたいものだと思います。
                                       (人吉 パウエル 及川 信 神父)


 霧(きり)(11月のお話)

イスラエルよ、わたしを忘れてはならない。
わたしはあなたの背きを雲のように
罪を霧のように吹きはらった。
わたしに立ち帰れ、
わたしはあなたを贖(あがな)った。
  (旧約聖書 イザヤ〈イサイヤ〉44章参照)

 わたしの育った北海道 釧路は、霧のことを「ガス」と呼び、手を伸ばしても指先の見えないほどひど
い濃霧のときには霧笛が響き渡りました。
 人吉もけっこう霧が深いですが、あるとき仕事で大分の別府へ行ったとき、高速道をつつんだ濃い霧
の深さにはまいりました。車のライトを点けても、さっぱり前が見えません。それでも時速70キロほどで
走行したのは、追突されることを恐れたからでした。
 考えてみると、人生そのものが霧の中を進んで行くようなものではないでしょうか。
 自分の前途を完全に把握し、すべて予定通りに仕切っていける人がいるのでしょうか。
 ただしその先の見えない人生に恐怖を覚えるか、わくわくして生きていけるのかは、ほんとうにその人
の人生観というか、信仰心、生き方にかかわってくるでしょう。
 希望とか、夢は、この「わくわく感」、先が読めず何が起こる鮮明にはわからないけれども、きっと神様
が恵みを下さる、いいことがあるはずだという確信が大切ではないでしょうか。
 もちろん、ことにあたっての事前の準備、勉強、備えは必要です。
 天候、地図・地形、装備、日程そして自分自身の体調・健康を見極めないで登山とするとどうなるので
しょうか。遭難し、救助者に迷惑をかけるばかりでなく、自分がケガをしたり、死ぬかもしれません。
 それは信仰者が一番してはいけないことです。
 油断大敵、過信禁物です。
 霧の向こうに射しこんでいる光、そこには神様が待っています。
                                       (人吉 パウエル 及川 信 神父)



ば ら(野薔薇)(10月のお話)

野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。
働きもせず、紡ぎもしない。
しかし言っておく。
栄華を極めたソロモンでさえ、
この花のひとつほどにも着飾ってはいなかった。
  (新約聖書 マトフェイ〈マタイ〉福音書6章参照)

 空の鳥を見よ、そして野の花を見よ。
 主イイススの、一見わかりやすい話の根底に、非常な厳しさを垣間見るのはわたしだけでしょうか。
 美しい花にはトゲがある、という言い古された表現には、人が物事の奥底、真実を見ぬくことのむず
かしさが隠されています。
 「優しさ」が求められている時代だといいます。
 恋人や結婚相手を求める女性の第一の要求、条件は、男性の優しさだといいます。
 でも「真に優しい」とはどういうことを言うのでしょうか。
 鋼鉄(はがね)のような厳しさをうちに秘めた優しさは、きっとわかりにくく、一般的に受けないかもし
れません。でも、無責任な放棄をする人、思いやりがありそうでいて内実、自分の利益誘導しか求め
ていない人と「真にやさしい人」を比較してはかわいそうです。
 教会にも、信仰にも、わかりやすさ、優しさが求められています。
 でも分かりやすい祈り、聖歌、教理はあるものなのでしょうか。
 人である自分への「わかりやすい神・信仰」を求める人は、結局自己満足を欲しているのではない
でしょうか。自分にとって都合の良い、神様、信仰を求めることを「偶像崇拝」というのではありません
か。
 ほったらかしで手入れもしていないミニバラ、野薔薇が人吉正教会の庭にあります。
 四季折々、いつの間にか咲いている、野生の美しさ。
 春の遅霜、夏の炎熱、秋の台風、冬の積雪にも負けない、しなやかで強靭な生。
 写真を撮るのも忘れ、しばしバラの傍らに座し、夕焼けを眺めていました。
                                         (人吉 パウエル 及川 信 神父)


ひまわり(向日葵)(9月のお話)

暴風雨のごとき自然界の変化に 善人も悪人も同じく遭遇するように
人の子は皆 艱難辛苦に遭遇する。
神に対するわれらの信頼 偽りなき愛は、
暗き日の向日葵のごとく、特にかくのごとき時に
認められなければならないのではないか。
不幸憂愁の日にも 神と離れず 神の聖旨を羅針盤として
その指すところに従い、世の海を渡り、
永劫の平安なる港に達することができるほど、
われらの心の太陽である神に対する愛は 熱烈でなければならないのである。
          (ロシア トボリスクの成聖者 聖イオアン、修士アントニー日比訳)

 ひまわりといえば、あの職人芸の監督ヴィットリオ・デ・シーカの名画「ひまわり」。ソフィア・ローレンと
マストロヤンニの共演、1969年の作品。
 想い起こせば、いまから30年近く昔、北海道立釧路湖陵高校の修学旅行で、はるばる京都まで行っ
た、その旅館の部屋で、先生の見回りを気にしながら、深夜映画をテレビでこっそり観ました。
 純情でした。
 「ひまわり」を観て、17歳~18歳のむさい青年たちがみな涙を流しました。
 先日観た、なかにし礼作の戯曲「赤い月」では、第二次世界大戦末期、ソ連軍の大攻勢、中国人の蜂
起などから逃げ惑った日本の人々が、野原一面のひまわりの群生地に逃れる場面がありました。
 そうして、信仰者の花としての「ひまわり」があります。
 ひまわりは、観賞用としてばかりではなく、その種は食用として(いまではペットのリスやハムスター
にも)愛用され、ひまわり油はオリーブ油やゴマ油などとともに、1万年ほど昔から使用されたといわれ
ています。
 身近な植物であっただけに、教会でもさまざまな説教や講話に引用されたのでしょう。
 ひまわり、昼間 神に顔を向け、夜には祈るようにうつむき、頭をたれる静かな花。
 そういう信仰をもちたいものです。
                                        (人吉 パウエル 及川 信 神父)

(くも)(8月のお話)

祭司たちが聖所から出ると、雲が主の神殿に満ちた。
その雲のために祭司たちは奉仕を続けることができなかった。
主の栄光が主の神殿に満ちたからである。
ソロモンはこのときこう言った。
「主は密雲の中にとどまる、と仰せになった。
荘厳な神殿を
いつの世にもとどまっていただける聖所を
わたしはあなたのために建てました」
          (旧約聖書 列王記上8・10~13)

 創世記「ノアの箱舟」のエピソードで、神は雲の切れ間に、美しい七色の虹をおき、永遠の契約の徴
(しるし)としました。
 モイセイ(モーセ)の率いたイスラエルの民を導いた、荒野の目印・道標は、雲の柱と火の柱でした。
 この雲の柱には諸説あります。
 竜巻、暴風、あるいは局地的な豪雨、つまり広範な周囲は雨が降っていないのに、そこだけ激しい
雨の降っている、雨の柱というか遠くから見ると雲の柱があったように見えたのではないか、という説
もあります。
 雲は、ときには陰鬱、または晴れ間に浮かぶ綿菓子のような甘い希望、そして太陽の陽に照らされ
る神の光栄のようではないでしょうか。
 大斎(おおものいみ)のとき、わたしたちは祈ります。
「願わくは、わが祈りは香炉の香りのごとく、なんじが顔の前に上り、
 わが手をあぐるは暮れの祭りのごとく入れられん」
 聖堂内にも香のただよう、雲の柱があるようです。
 夏の入道雲・雷雲、秋のうろこ雲、冬の雪雲、そして春の霞雲。
 神の国、天国を思わせるような真っ白な雲をみるたびに、祈りがますます深まるように、願わずにはお
られません。                                (人吉 パウエル 及川 信 神父)

新船成聖祈祷

(しんせんせいせいきとう) (7月のお話)

激しい突風が起こり、舟はなみをかぶって、水浸しになるほどであった。
しかしイイススは艫(とも)の方で枕をして眠っておられた。
弟子たちはイイススを起こして、
「先生、わたしたちが溺れてもかまわないのですか」と言った。
イイススは起き上がって、風を叱り、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。
すると風はやみ、すっかり凪(なぎ)になった。
                (マルコ福音書4・35~41)

 マルコ伝6・45~では、波風に荒れる湖をわたる主イイススの姿を見た弟子たちが、怪物だと
思い、あわておびえる状景が描写されています。
 2千年の昔も現代も、船の旅は命がけです。「船板一枚下は地獄」という表現は、いまもって健
在です。
 教会では、聖堂ばかりでなく、新居(家)や仕事場の増改築、自動車やさまざまな車両、おおき
な機械、列車から飛行機、ロケットにいたるまで、成聖の祈りを献げることができます。
 これは単なるお清めの水撒きではありません。
 成聖されたものが人々に事故や災厄をもたらさず、あるいは天災による崩壊をしないように、
またこれらにかかわる人が不幸にならず、神様の恵みに満たされて、信・望・愛の信仰生活を
完全(まっとう)するようにと、祈りつづけるのです。
 新船成聖祈祷のときには、使徒行伝(聖使徒行実)27章の聖使徒パウエルの船旅が読まれ
ることもあります。
(写真は6月30日に成聖された30万トンのギリシャ船籍 巨大タンカー「グロリック号」。ユニバ
ーサル造船所の蕪木さん(写真中央)が祈祷を手伝ってくださいました。感謝。玉名郡長洲町)
 人生において、周囲の嵐のすさまじさ、吹き荒れる光景に足が止まり、挫折・絶望し、つい愚
痴って嘆き、「もうだめだ」とうなだれてしまう・・・そういう体験は、誰にもあります。
 恐れてはいけない、と言葉で知ってはいても、いざ自分がそういう場に置かれ、周囲の荒れ
果てた風浪に身をさらしたとき、だれもが意気地なく神様を疑いそうになります。
 悲しみ、怒り、傲慢、嫉妬など、いろいろな波風でおぼれてしまわないようにしましょう。
 そういうときにこそ、ゆっくり、深く信じ、祈りたいと思います。
 静かな祈り、静寂の海にこそ、神様の光が宿っています。
                                     (人吉 パウエル 及川 信 神父)


もっと牛乳を飲もう (6月のお話)

あなたの敵の牛あるいはロバが、
迷っているのに出会ったならば、
必ず彼のもとに連れ戻さなければならない。
                (出エジプト23・4)

 牛は、大昔から現代に至るまで、最も高価な家畜あり、農家の財産、そして旧約時代におい
ては最高の和解の献げ物(酬恩祭)でした。
 上記に引いた聖書の言葉(律法)では、味方(同胞)ばかりではなく、敵の牛(あるいはロバ)
等の家畜を大切に取り扱うように戒めています。
 牛、ロバ、ヤギ等の乳は、子供ばかりではなく、病気の人、妊婦、高齢の人の貴重な栄養源
であり、それはユダヤ人だけでなく、あらゆる農耕民、遊牧民にとって共通の認識だったので
しょう。(写真の牛は、人吉市近郊の牧場の牛です。のんびり陽なたぼっこをしていました)
 さまざまな説がありますが、人による牛の家畜化は1万年以上も遡るといわれています。
 乳や肉ばかりではなく、皮、骨・角などを工芸品・日用品として活用します。また内蔵等は、
日本などではホルモン料理として食べますし、中華料理には牛の脳みそ料理もあります。
 乳からは、バター・チーズ・ヨーグルトなどの乳製品が作られます。
 牛は農耕ばかりではなく、牛車(乗り物)にも使用します。世界各地には、牛のかかわる競技、
闘牛、牛相撲などの伝統芸能も知られています。
 ところが近年、牛乳は高カロリーなので太る、ダイエットの敵だという、誤った主張のために、
牛乳が余り、捨ててしまう現象が起こっています。脂肪太りの原因は、運動不足や偏った食生活、
ストレスの多い神経過敏な日常生活等の、総合的な原因があるでしょう。
 それをすべて「牛乳」のせいにしてしまうのは、現代人の教養不足、認識不足です。
 北海道でも、九州最大の酪農王国、熊本県でも牛乳あまり、牛乳投棄が深刻です。
 1日1杯(200cc)のミルクは、人にとって大切な栄養素を補給しますし、ヨーグルトには、
花粉症などに効く薬効があるといわれています。
 みなさん、もっともっと牛乳を飲み、乳製品を食べましょう。そして酪農家を応援しましょう。
 人と最も付き合いの古い家畜、牛は、神様からの大きな贈り物です。
                                      (人吉 パウエル 及川 信 神父)



赤 卵 イースター・エッグ (5月のお話)

主宰、主、われらの神、万物の造化主、造成主や
堅まれる乳と雛卵とに祝福して、われらをなんじの慈しみに護りたまえ。
 われらがこれを食らいて、なんじの豊かなる賜ものと
なんじの言い難き恵みとに満てられんがためなり。
けだし権柄および国と権能と光栄は
なんじ父と子と聖神に帰す、今も何時も世々に、アミン。
(『聖事経』「乾酪および雛卵に降福する祝文」)

 いくつかの伝説がありますが、もっとも代表的なものは携香女の一人、マグダラの聖マリヤの
話です。
 主降生70年頃、時のローマ皇帝ティトスに謁見したマリヤに、皇帝は奇蹟を見せてくれたら
イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の復活、キリスト教を信じてもいいと言いました。
 マリヤは白い卵を見せ、静かに祈りました。すると白い卵がみるみるうちに「赤卵」に聖なる
変化を遂げたというのです。
 このころユダヤの国は、絶望的なイスラエル独立戦争を終え、完全にローマ帝国の支配化に
置かれていました。国を失ったユダヤの民は、離散(ディアスポラ)の民となってしまいました。
 いっぽうのキリスト教は、同じく国は持ちませんが、民衆にゆっくりと浸透し始めていました。
赤卵の伝説には、ユダヤ教とキリスト教の交叉の歴史の一部が刻まれているのかもしれません。
 マリヤは、のちに「亜使徒」の尊称を受け、いまもなお使徒と等しい働きをなした聖人として敬愛
されています。
 卵一個には、人の成長に必要な栄養素のすべてがバランスよく保たれているそうです。
 信仰もそうではないでしょうか。過剰に熱を上げたり、視野が狭くなって平衡感覚を失うような
信仰心・信仰観を育ててはいけません。身も心も豊かに、精神の安定と、静謐な信仰の目が
とても大切だと思います。
 復活の赤卵は、信仰の奥深さ、正常・正統なバランス感覚を、教えつづけながら、生命力、
神の恵み、聖神の充満をわたしたちにもたらしています。
「ハリストス 復活! 実に 復活!」              (人吉 パウエル 及川 信 神父)

桜 さくら  (4月のお話)

大地が草の芽を萌えいでさせ
園が蒔かれた種を芽生えさせるように
 主なる神はすべての民の前で
恵みと名誉を芽生えさせてくださる。
(イサイヤ(イザヤ)61・11)

 古くは滝廉太郎作曲の「花」、最近では福山雅治、森山直太郎、河口恭吾・・・・といえば「桜」
です。桜は日本の花の代表格で、秋桜(コスモス)は名は桜を冠していますが、別の花です。
 たくさんの詩(詞)の中では、なんといっても、日本古謡の「さくら」が秀逸です。
 
一  さくら さくら 野山も里も 見わたす限り   二 さくら さくら やよいの空は 見わたす限り
   かすみか雲か 朝日ににおう            かすみか雲か 匂いぞ出ずる
   さくら さくら 花ざかり                 いざや いざや 見にゆかん

 桜はバラ科で、明治以降、急速に品種改良が進みました。有名なソメイヨシノは、
明治18~19年頃、上野公園を調査した藤野寄命(ふじのきめい)が不思議な桜を確認。
 その誕生は江戸時代 ? といわれていますが、定かではありません。突然変異かもしれま
せんが、雑種です。藤野は吉野の山桜と区別するために染井吉野と命名したといわれています。
 葉の出る前に花が開くので、その潔い立ち姿が、日本人の心の琴線にふれたのでしょう。
 桜が咲くのは、いつも大斎(おおものいみ)のころ。
 聖堂の窓から、満開の桜を眺めながらの大斎祈祷は、充実感をもたらします。
 桜の染料は、どこから採るか、知っていますか。あの花びらではないのです。そうです。
地味なゴワゴワした樹皮から、美しい桜色が生まれます。
 桜は根からはじまり、木の全身を桜色に染めながら、あの白桜色の花をひらきます。
 その神秘を知ったとき、感動に胸を打たれました。
 わたしたちも、すこしずつ、神の 信 望 愛 に満たされ、復活の色に染まりながら、命を
全うしたいと思いませんか。
「ハリストス 復活! 実に 復活!」              (人吉 パウエル 及川 信 神父)
           

チューリップ  (3月のお話)

恋人よ、美しい人よ、さあ、立って出ておいで。
ごらん、冬は去り、雨の季節は終わった。
 花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。
この里にも山鳩の声が聞こえる。
(雅歌2・10~12)

 まだ寒さが残っているころ、東京復活大聖堂のロシア人の御厚意で、チューリップの
球根が送られてきます。ちょうど桜の花が咲く頃には満開となります。
 その頃には遅咲きの水仙はじめ、いっせいに花が咲くので、百花繚乱の美しさです。
(写真は昨春のものです)
 オスマン・トルコの皇室では、「皇帝の花」として、ゆり咲きのチューリップが珍重されま
した。
 すでに東地中海諸国では、観賞用、庭園用に欠かせぬ花でしたが、中世ルネサンスの
ころに西欧に輸入され、とくに17世紀、オランダで品種改良が進み、一躍、世界の名花に
押されました。
 フランスの作家アレクサンドル・デュマの作品に『黒いチューリップ』がありますが、珍しい
花の球根は、高値で売買され、世界中に広まる要因のひとつになりました。
 イイススの時代には、物の流通が盛んで、またさまざまな庭園芸術が競われていたので
もしかしたら、気候の温暖なイスラエルにも植えられていた可能性があります。
 ただ春先に咲くので、山上の説教での「野の花」には該当しないかもしれません。
 残念なのは、遺伝子組み換え等の品種改良によって、1年限りで絶えてしまう弱い球根
がふえていることです。
 本来は毎年、命を受け継いだ球根から、新芽をきざす花なのです。
 あまり命をおもちゃにしないで欲しい、野生のものは野生のままにと願うのは、凡人の
ささやかな願望でしょうか。
 チューリップが咲くと、大斎(おおものいみ)祈祷、復活大祭の足音がきこえてきます。
 「神よ、われらを憐れみたまえ」            (人吉 パウエル 及川 信 神父)

 (2月のお話)

主が彼らを導いて、乾いた地を行かせるときも
彼らは渇くことがない。
 主は彼らのために岩から水を流れ出させる。
岩は裂け、水がほとばしる。
(イザヤ書48・21)

 全国には、名水が湧き出すところがあります。
 かつて「日本名水百選」なるランキングがありました。いまでもきっと、効力・
宣伝力をもっていることでしょう。
 キリスト教でも、水は欠かせないものです。洗礼の水、建物・船・車をはじめ
さまざまなものを成聖する水(聖水)。
 聖体機密、奉献礼儀のときには、聖爵(ポティール)に赤ぶどう酒を注いだ
あと、ほんの少し水を加えます。
「一卒、戈(ほこ)をもってその脇を刺す、たちまち血と水と出たり、見る者
証をなす、その証、真なり」
 と司祭は唱えます。
 生命の水は、創世記の「ノアの箱舟」の奇蹟では、大洪水を起こし、
人々におおきな警告を与えました。驕ってはいけない、と。
 大洪水の後、祈りを捧げたノアたちは、美しい虹をみました。
 この虹も、水蒸気と太陽光線が織りなす神秘です。
 虹は平和と友愛のしるしとなりました。
 水。大地を潤し、生命を育むもの。
 人はもっと、水を大事にしなければなりません。
「神よ、われらを憐れみたまえ」            (人吉 パウエル 及川 信 神父)


 (1月のお話)

神は命じられる。
雪には、「地に降り積もれ」
 雨には、「激しく降れ」と。・・・・
神が息を吹きかければ氷ができ、
水の広がりは凍って固まる。
(ヨブ記37章参照)

ハリストス 生まる! 崇め 讃めよ!
 主イイススの顕栄(変容)の奇跡が起こったヘルモン山(一説ではタボル山)の
頂上には、真っ白な雪が積もっていたという話があります。
 エーゲ海の北岸に位置する聖なる山(アギオン・オロス)アトス山にも、冬には
雪が積もります。
 主の降誕された季節も、小雪舞う寒さ厳しい季節でした。
 キリスト教では、雪は清楚・清純の証(あかし)、洗礼の衣、変容と復活の光を
あらわします。雪が解ければ、水を生み、その水は生命の源になります。
 雪は熱しすぎた人の心をやわらげ、祈りに静寂をもたらします。
 千年の昔、キエフ公国のロシア人がドニエプル川の河畔で洗礼を受けたのは、
2月だったといわれています。雪が積もり、さぞかし寒かったことでしょう。
 主の神現(洗礼)祭はもっとも寒冷な季節に行われますが、その「寒の水」を
成聖した聖水は、夏場にも腐りません。
 雪。
 冷たさばかりではなく、うちに豊かな成長力を秘めた純白の魅力があります。
「神よ、われらを憐れみたまえ」            (人吉 パウエル 及川 信 神父)


り ん ご(12月のお話)

女(エバ、イブ)が見ると、その木はいかにもおいしそうで、
目を引きつけ、賢くなるようにそそのかしていた。
女は実をとって食べ、
一緒にいた男(アダム)にも渡したので、彼も食べた。
(創世記3章参照)

 ハリストス 生まる! 崇め 讃めよ!
 最初の人間が食べた「生命の木の実」がいったい何であったのか、昔から議論
のある話題です。
  いちばん一般的なのは、(上記写真のような)りんごですが、ほかにも、いちじく、
ぶどう、すもも、ザクロ、オリーブの実など、いろいろな果実が候補にあがりました。
 その中でいちばん有力なのは、杏(あんず)、それも希少な黄金色の甘い杏です。
 大昔から杏は地中海世界、中近東、アフリカでは、最もポピュラーな果物のひとつ
でした。ギリシャ神話に登場し、りんごと邦訳された果実は、おそらく杏だろうといわ
れています。
 聖書には、人の目を引きつけ、賢くなるように誘惑したと書かれていますが、その
杏はよほど美味しそうだったのでしょう。
 「誘惑の甘い罠(ワナ)」という言葉もありますが、うかうかと甘言(かんげん)に乗っ
てはいけません。「きれいなバラにはトゲがある」という格言に見られるように、人は
怖ろしい地獄の罠に陥らぬように、精緻(せいち)な叡智(えいち)を持たねばなりま
せん。
 叡智とは、神より賜った信仰心、神の懐(ふところ)に耳を傾けた、聖使徒・神学者
聖イオアン(ヨハネ)のような真の洞察力をあらわします。
 でも、これからは、りんごの美味しい季節です。
 りんごを食べるときには、ちょっとだけ、創世記のこの話を思い出しましょう。
 「神はわれらと共にす」              (人吉 パウエル 及川 信 神父)
 

か ら す(11月のお話)

イリヤ(エリヤ)は、主が言われたように直ちに行動に移し、
ヨルダンの東にあるケリトの川のほとりに行き、そこにとどまった。
数羽の烏(からす)が彼に、朝、パンと肉を、
また夕べにも、パンと肉を運んで来た。
水はその川から飲んだ。
(列王記上17章参照)

  人吉正教会の境内(庭)には古い柿の木が二本あります。
  にぎやかな小鳥のさえずりが消えると、その柿の木にからすがとまり、 周囲を
 睥睨(へいげい)しています。すずめ、むくどり、とくにヒヨドリは、にくまれていて、もの
 すごい勢いで追い払われてしまいます。
  3年程前には、何も知らずに柿の木にやってきたヒレンジャクの群れがからすに
 攻撃され、一羽のヒレンジャクが司祭館の窓に激突死。家族でお墓を作ってあげ
 ました。
  今秋の柿は、うら年にあたり、数個の実がなっているだけなのに、からすの夫婦
 (つがい)は「ここはわたしたちの庭、柿の実は自分のものよ」と主張しています。
  わたしとは顔なじみなので、十歩くらいの距離では逃げません。
  からすは、鳥の中で唯一、ひとけたの数が数えられるそうです。
  色が黒く、冬には群れで過ごし、地域によっては、空が無数の黒い点で埋まるくら
 いに舞っています。そのため、昔から不気味な鳥、魔女の使いとしてあつかわれてき
 ましたが、ほんとうは賢い、家族思いの鳥。
  日本の童謡「七つの子」などでも人気者です。
  動植物がどう描かれているかを探しながら、聖書をぜひお読みください。
  「神はわれらと共にす」              (人吉 パウエル 及川 信 神父)
 


い な ご(10月のお話)

モーセ(モイセイ)がエジプトの地に杖を差し伸べると、
主はまる一昼夜、東風を吹くかせられた。
朝になると、東風はいなごの大群を運んできた。
いなごはエジプト全土を襲い、
エジプトの領土全体にとどまった。
(出エジプト記10章参照)

 ときどき映画やテレビのドキュメンタリー番組で、大発生したいなご(ばった)の大群が、
西南アジアやアフリカの大地を埋めつくし、草木・果樹・野菜のすべてを食い尽くす光景を
見ます。
 これらのいなごは、体形もがっしりしていて、翅(はね)も通常のばったよりも長く丈夫、
長距離飛行が可能な突然変異のようなもので、土地の人々は「飛行ばった」と呼ぶとい
います。
 人吉正教会の庭の二匹のばったが写真撮影に協力してくれましたが、一匹一匹は小さ
くてかわいいのに、食欲旺盛な群れが凶暴性を発揮すると、人間はとうてい太刀打ちでき
ません。
 出エジプト記では、かえる・ぶよ・あぶといった生き物のほか、血・疫病・はれもの・暗黒
(暗闇)などの災いが記録されています。
 すべてが人の意のままになると思っていたら、大きな間違いです。
 もっと巨大な、神の意思の働きを知らねばなりません。
 感謝の気持ちが薄れたときに、不慮の災いが訪れるような気がしてなりません。
 神の恵みへの感謝と讃美。
 わたしたちの信仰生活の根底に、その心を息づかせたいものです。
 「神はわれらと共にす」               (人吉 パウエル 及川 信 神父)
 

つ ば め(9月のお話)

主の庭を慕って、わたしの魂は絶えいりそうです。
命の神に向かって、わたしの身も心も叫びます。
あなたの祭壇に、鳥は住みかを作り、
つばめは巣をかけて、ひなを置いています。
(詩編84・3~4)

 春から秋にかけて、つばめが巣をかけ、ひなを育てます。
 巣は雨風をさけ、安心して子育てができる軒下につくられています。
 いつもヒナがいるようにみえるので、あるとき宮崎の野鳥の研究者に訊ねてみ
ました。すると、シーズン中、ふつうのつばめは4~5回は卵を産み、ヒナをかえし、
育てあげるのだといいます。上手な親鳥は、7回くらい出産・育児をするそうです。
 それでも空がつばめだらけにならないのは、天敵のタカやカラス、風水害、病気
やケガ、そして渡って来る途中で死ぬ鳥が多いからだと思います。
 あのちいさな体に、神の恵みを受けて、力いっぱい生きています。
 つばめを見るたびに、この聖句を思い出し、天を仰いで祈ります。
   「空を飛ぶコウノトリもその季節を知っている。
    山鳩もつばめも鶴も、渡るときを守る。
    しかし、わが民は主の定めを知ろうとしない」(エレミヤ8・7)
 ほんの少しでいい。神の思いにふれ、信を深めたいと祈ります。
「神はわれらと共にす」               (人吉 パウエル 及川 信 神父)

赤い百合 誕生秘話(8月のお話)

わたしは背く彼らをいやし、喜んで彼らを愛する。
まことに、わたしの怒りは彼らを離れ去った。
露のようにわたしはイスラエルに臨み、
彼は百合のように花咲き、
レバノンの杉のように根を張る。
(ホセア書14・5~6)

 主イイススがゴルゴダの丘で十字架にかけられ永眠されたあと、その御遺体を
引き取ったのは、アリマタヤの議員で義人といわれたイオシフ(ヨセフ)とその友人
ニコディム(ニコデモ)でした。そこに若い使徒イオアン(ヨハネ)や聖なる携香女と
呼ばれる女性たちが加わりました。
  かれらはイイススのお体を水で清め、聖なる膏(香油)をぬり、新しい亜麻布に
包んで新しい墓に運びました。御遺体を載せた、ろばの荷車が進んでいくと、道の
両わきに生えていた木や草がみな、花や葉の先を垂れました。
 そうです。すべての動植物が(多くの人が神の子、救い主の死に鈍感であったに
もかかわらず)、悲しみの涙を流しました。
 そのとき、真っ白だった百合の花が、御遺体の荷車の通り過ぎるそばから、次々に
赤く染まっていったといいます。
 赤い百合をみるたびに、主の苦難、十字架、そして三日目の復活を祈るのです。
「神はわれらと共にす」                 (人吉 パウエル 及川 信 神父)


蝶の舞い(7月のお話)

春先のバラの花
泉のほとりの百合
夏の日のレバノンの若草のようだ。
(シラ書50・8)

 人吉、鹿児島の境内には、みかんの木を植えています。アゲハ蝶が来やすいよう
に。アゲハのほかにも人吉正教会の庭には、いろいろな種類の蝶がきます。
 一匹の小さな蝶が、写真撮影に協力してくれました。(上の写真)
 エデンの園、楽園、来るべき神の国(天国)には、蝶が可憐に舞うことでしょう。
 その昔、古代ギリシャの科学者は、さなぎから蝶が羽化する瞬間を見て、驚嘆した
といいます。さなぎをむいてみると、どろどろの状態だったので、それが固体といいま
すか、蝶の形になったことに驚いたのでしょう。
 また、あるときには、蝶が出てくるはずのさなぎから、黒っぽいハチのような虫が現
われびっくりしたといいます。寄生バチの生態など知らなかったでしょうから、その驚
きたるや、たいへんなものであったでしょう。
 初代キリスト教の時代に入ると、さなぎから羽化する蝶は「復活」「永遠の生命」
のしるし(徴)となりました。その舞い姿の美しさはたとえようがありません。
 わたしたちも、蝶のように、神の恵みを追い求め、光の中を舞う、素直な生き方を
選びたいものです。
「神はわれらと共にす」                 (人吉 パウエル 及川 信 神父)

麦秋の季節(6月のお話)

主をにくむ者は彼ら(神の民)に服事し、彼らの安寧(あんねい)は永く続かん。
われ嘉麦(よきむぎ)をもって彼らを養い、蜜を岩より出だして彼らを飽かしめん。
(正教会 聖詠80・16~17  詩編81・16~17)

 熊本県はじめ九州は、麦の産地です。球磨郡人吉地方でも、みごとに麦が
実りました。麦秋。九州の広大な麦畑をみて、その意味がわかりました。
 有名なミレーの名画「落穂拾い」をご存知の人も多いことでしょう。
 異邦人のルツは落穂を拾うことで、ボアズと結婚し、その子孫はイイスス・
ハリストス(イエス・キリスト)へとつながっていきました(マトフェイ・マタイ1章系図)。
 打ち場でふるい分けられる麦(ルカ3章)、毒麦のたとえ(マトフェイ・マタイ13章)、
ひと粒の麦のたとえ(イオアン・ヨハネ12章)など、麦にまつわる話には、こと欠き
ません。
 聖パンをつくる麦。人々の日用の糧である麦。
 うどん、ラーメン、パスタ、ビール、ウイスキー、焼酎、麦茶、みそ、しょうゆなど。
そして家畜の食用にもつかいます。
 麦は世界の東西をつなぐだけではなく、神と人をも深く結びつけています。
「神はわれらと共にす」                 (人吉 パウエル 及川 信 神父)

 


  

 水仙(すいせん)の花(5月のお話
  ~春を祝う~

 天より主を讃(ほ)めあげよ、至と高きに彼を讃めあげよ。
 そのことごとくの天使よ、彼を讃めあげよ。
 そのことごとくの軍よ、彼を讃めあげよ。
 日と月よ、彼を讃めあげよ。
 ことごとくの光る星よ、彼を讃めあげよ。
 諸天と天の上なる水よ、彼を讃めあげよ。
       (第148聖詠  旧約聖書:第148詩編)

 主イイスス(イエス)の山上の説教には、野の草花が登場します。
 「野の花を見よ」(マトフェイ(マタイ)福音6章)の花は何でしょうか。アネモネ、野ばら、
すみれ、しろつめ草、それとも水仙でしょうか。
 ギリシャ神話では美少年ナルシスの化身といわれる水仙。日本の室町時代には、
水仙華、雪中華の名で、人々に愛されました。
 人吉正教会の庭に水仙が咲く頃、桜も満開になります。
 (上記写真は、人吉正教会の境内に咲く水仙)
 春は、復活の季節。復活大祭の季節です。
 安らぎと穏やかさ、生きる元気の恵みを求める人は、ぜひ正教会に来て、いっしょに
祈りましょう。
「神はわれらと共にす」                 (人吉 パウエル 及川 信 神父)

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正教九州