正教会 
ピン・ポイント ガイド

 正教会にはじめてふれる人のために、簡単な説明をいたします。
 詳しいことは、これからゆっくり学んでほしいと思います。


           

亜使徒(あしと) 聖ニコライ の 日本宣教
   聖ニコライ師(上記・聖像の聖人)
   本名イオアン・デミトリヴィチ・カサートキン、1836年8月14日生。
   シベリア鉄道のない時代に、24歳の若さで日本宣教の大志を抱き、単身シベ
  リアを横断。約1年の月日を費やして、ロシア領事館付司祭として函館に到着。
   1861(文久1)年のことでした。その後、50年の長きにわたって福音宣教に励
  み、1891(明治24)年には、東京復活大聖堂(通称ニコライ堂、国・重要文化財)
  を建立(下左側写真、関東大震災後の修復された現在の大聖堂)。
   ニコライ師は、1912(明治45)年2月16日、75歳で永眠。
   1970年「日本の光照者(こうしょうしゃ) 亜使徒 大主教 聖ニコライ」として
  列聖。現在、日本全国に函館復活聖堂(下右側写真、国・重要文化財)はじめ
  約70か所の聖堂・伝道所があります。

 

奉神礼(ほうしんれい)
   正教会の祈祷全般を奉神礼(神の民の協働の仕事)といいます。
   奉神礼はハリスティアニン(正教信徒)の信仰生活の基盤です。

聖像(イコン)
   キリスト(ハリストス)・その祭日、生神女マリヤ・その祭日、聖人らを描いた
  平面画。木板・キャンバス・石板・金属板等にテンペラ、油彩(油絵)、アクリル
  絵の具などで描かれます。また壁画(フレスコ画)、モザイク画も知られていま
  す。(プリント印刷されたものも聖像として扱われています)
   日本の神道(神社)などのように、聖像そのものを御神体として礼拝すること
  はありません。それらは偶像崇拝です。
   聖像を通して、神に祈りを献げます。

聖 歌
   正教会では讃美歌といわずに聖歌といいます。オルガン等の伴奏を用いず
  に歌います。ひとつの旋律で歌う単音聖歌、混声四部合唱の聖歌などが知ら
  れています。魅力いっぱいの聖歌をいっしょに歌ってみませんか。

文語訳の聖書と祈りのすばらしさ
   日本正教会では、新約聖書が明治時代に文語訳で刊行されています。聖ニ
  コライと漢学者 中井木莬麿(なかいつぐまろ)の翻訳です。この聖書はじめ、
  奉神礼・祈祷はすべて文語で行われています。キリスト教ニ千年の重みと伝
  統、さまざまな国・民族の信仰者が織りなし紡いできた心、精神が宿った祈り
  です。このすばらしい祈りを、聖堂でともに献げてみませんか。

    2010年秋には、大判の「新約聖書」が刊行され入手しやすくなりました。
    一緒に読みましょう。

むずかしい正教会用語の説明
  
  主教(しゅきょう)  正教会の高位の聖職者で、修道士(独身者)から推戴されます。
            お呼びするときには、「座下(ざか)」という尊称をつけます。
            「主教座下」というふうに。主教・大主教・府主教の順で高位になります。
            「総主教」は完全な自治独立正教会の統理者で、とくに「聖下」の尊称で
            呼ばれています(総主教聖下)。
  
司祭(神父)  司祭は職名で、神父(神父様)は呼称です。学校で、
          教諭という職名を、みんなが先生と呼ぶのとほぼ同じです。
  生神女(しょうしんじょ)  神を生んだ女性、ギリシャ語のテオトコスの邦訳。
                 マリヤ(マリア)への尊称です。マリヤには、聖母、
                 神の母、神の嫁、女宰(じょさい)、
                 永貞童女(えいていどうじょ)、
                 童貞女(どうていじょ)、生命の母など
                 たくさんの尊称があります。
  亜使徒(あしと) キリスト(ハリストス)の聖使徒と同じような働きをした聖人
            に与えられる尊称です。マグダラの聖マリヤ、スラブ民の宣
            教者聖キリィル・聖メフォディらも亜使徒と呼ばれています。
  光照者(こうしょうしゃ) 聖なる福音の光で、全地・全民をあまねく照らすよう
                に宣教した聖人に与えられる尊称です。
  致命者(ちめいしゃ) 殉教者、女性の場合は致命女。神の与えた生命を
               全うし、人々に信・望・愛の深さを教導する聖人。
  克肖者(こくしょうしゃ) もっとも一般的な聖人の呼称。主イイススや諸聖人
                に肖(に)た人生を生きたことを証します。
  ☆むずかしい言葉は、お気軽にお尋ねください。

                   

 タイトル写真 「暁に向かっての鶏鳴」
                      には深い意味があります
   《意味》 
     しばらくありて、かしこに立てる者またペトル(ペトロ)に言えり。
    「まことに爾(なんじ)もその党(ともがら)の一人なり。
    けだし爾はガリレヤ人にして、爾の言語(ことば)は似たり」
      彼は呪い、かつ誓えり。
    「われ爾が言うところの人を知らず」と。
      このとき、鶏再び鳴けり。
      ペトルはイイススの彼に、鶏が二次(ふたたび)鳴かざる先に、
    爾三次(みたび)われを諱(い)まんと、
    言いし言葉を憶(おも)い起こして哭(な)けり。
                    (正教会訳 マルコ福音書14・66~参照)

表紙へ戻る