時は夕暮れ時だろうか。 取り込み途中で放置された洗濯物が、風に揺らぐ姿をじっと見つめ続け早何時間が経過しただろう。 季節は秋へ足を踏み込み始めている。 時間帯もあり、手や足は酷く冷えているのに、思考がそれを無視する。 家主の戻らぬ家にそれ以外の居候たちが戻ってきて、皆がそんな剣心を中に入るよう勧めても、彼は庭に面した縁側から動こうとしなかった。 怪我人の彼に傷に触るからという声も届く事はなく。 「薫の奴、今度は何やらかしたんだか――」 手形はさすがに残らなかったものの、赤みが少し残る頬と、彼の想い人が戻らぬ事実で周りはそのうち説得を諦めた。 剣心から目を離し、居間に集合した居候の面々は勝手な推測で盛り上がり始める。 「ところで左之助の奴はどーしたんだ?」 「さあー?」 障子越しに聞こえる声に、剣心はぴくりと反応を示すが、少しするとまた自分の殻に戻る。 遡る記憶は全てたった数時間前の事。 自分と薫は恋人同士ではないと言ってのけたその時のこと。 薫は自分の前では泣いてなどいなかったというのに、思い浮かぶ姿は泣き顔ばかりだ。 いつもの彼女の笑顔など一つも出てはこない。 あんな言葉は咄嗟のものだったのだと、言い訳がしたい。 それで彼女の笑顔を取り戻せるものならば。 剣心は膝に置いてある手で袴をぎゅっと握り、薫が去っていった方向へと顔を向ける。 左之助を、他の男の手をとって出ていった方角。 自分ではない誰かに抵抗なく抱きしめられていた少女の姿が、胸に突き刺さる。 こんな時なのに。 迎えに向かう度胸すらないくせに。 好きだとすら言ってやれていないくせに、自分の痛みに酔ったような弱さが腹立たしい。 風が吹くたびにぴりっと痛む頬をさすり、再び視線を自分の膝の上に戻す。 そうして時間だけが過ぎていった。 一時はこのまま夜を通り越して朝までこのままでいそうだと、自分の情けなさに自嘲を浮かべた。 が、そこへやはりというか、嫌な奴が来てしまった。 今一番会いたくない、人を煽った張本人が。 「何の用でござる――?」 酷いご挨拶だ。 自覚はあるが、それ以外言葉を発したくはなかった。 ほぼ日が暮れて闇の濃さに紛れやってきた左之助が、目を薄く細め剣心を睨む。 「言い合いするつもりはねえ。早く迎えに行けや。俺んちで寝てっから――」 「――薫殿を一人にしてきたのか!?」 施錠のきかぬ夜の長屋は、女一人がいるには決して治安がいいとはいえない。 剣心は非常識だと、思わず声を荒げ立ち上がる。 だが左之助は返事を返すこともなく、すっと暗闇に消える。 「左之!!」 慌てて刀を腰に差し、その後を追えど、その後ろ背はすでにそこになく。 「くそっ」 舌打ちをして走り出す。 それを気配を消して家の片隅から見ていた左之助は、吐く息で腕を組んだ両肩を沈ませた。 「手のかかる奴ら――」 眉尻を下げ、見守るように剣心を見送った左之助は、恋など面倒くさいものだと思いながらも笑む。 おちょくるのは好きだが、お膳立ては何だか背中が痒い。 「お、左之助!」 「よお。酒の肴仕入れてきたぜー」 後は本人達の知らぬ場所で、酒の肴か賭けの対象にでもにして終わりにしてしまおう。 ニヤリと手に持った酒瓶を、皆が集合した居間の前で見せびらかし、どかりと席についた。 歩いて二十分。 走って十分。 それが神谷道場から左之助の自宅がある長屋までの距離だ。 その距離が今はとてももどかしい。 自分の吐く息も、心臓の音も。 左之助に焚きつけられてきっかけを得るまで動けない情けない男故、付き合わせる薫には可哀想だが、こんな男を選んだのだと我慢してもらうしかない。 いくら綺麗事を並べてみた所で、結局は一度手に入れた愛しい人を手放すほど自分が強くない事は知っている。 何度思考を回してみた所でそこに考えが戻るなら、もう今度こそ覚悟を決めた方が自分の為だろう。 急く気持ちとは裏腹に、もつれる足を必死に前に出し、長屋まで全力で走りきる。 そうして辿り着いたその場所で。 「っ―!は・・ぁっはぁ」 目にしたのは男三人ほどの集団。 彼らは左之助の家の前で暖を取るために着込んで、立っていた。 まさか、と思って剣心が一瞬体を固くさせると、その内の一人があっ、と声を上げて笑ったのが目に入る。 「緋村さん、やっときたー!」 「・・・?」 明るい声で大きな声を出したのは、少し見覚えのある風体の青年。 年頃は左之助より少し若いぐらいか。 人懐こい笑顔で、自分を手招きしている。 「・・もしや左之に――?」 「ええ、そうですよ。早く早く」 額にかいた汗を手の甲で拭い問いかける。 すると青年は白い歯を少し見せ、左之の影響を受けたしたり顔で剣心の腕を引きにきた。 「彼女の安全なら俺らがしっかり警護してたんで安心を。あ、お礼はいいですよ。今度左之助さんに奢ってもらう約束になってますから!」 「あ、いや、でも――」 自分の質問を先回り先回りで答え、とにかく中に入ることを勧める青年に、剣心は恐縮を表す。 青年はそんな剣心の人柄に好感を抱いた様子で、ニコニコと笑むばかり。 「待ってますよ彼女。あ、でも今は寝てますけども」 「・・申し訳ない・・左之にも――」 カラリとなるべく小さな音になるよう、静かに開けられたその中に、艶のある黒い髪が波打っている。 涙の後が見てとれたが、静かに上下するその胸は薫がよく寝ているのだということがわかった。 剣心は青年に背を押されて一歩中に踏み込んだ後、ゆっくりと後ろを振り返った。 青年達は、剣心の固い態度に笑みをもらし、ふるふると頭を振る。 「帰る前に一つだけ左之さんから伝言です」 「何でござろう?」 そして一人の青年が人差し指を前に突き出し、剣心は首を傾げる。 青年はまるでその後の反応を楽しみにするかのように、意地悪そうに声を弾ませた。 「結果報告は怠らない事――だそうです」 「え、まっ――!」 待ってくれ、そう言いきる前に彼らは去っていく。 しのごの言う暇も与えず去っていってしまう彼らもまた、左之助の回し者か。 左之助のちゃっかりさにしてやられた感が拭えない。 剣心は去っていった青年達の背中は追わず、すぐに中へと戻りくつくつと口元に拳を当てて笑った。 「――本当はもっと年上らしくさり気なく、一歩も二歩も前を歩ければいいのにな・・」 下手をしたら自分は彼女の後ろを歩いて尻を叩かれているだろう。 寝息を立てる彼女の横に座り込み、質感の良い黒髪を一房手に掴んで唇に押し当てる。 込み上げる切なさは、恋をしている証拠。 ほどよく長い睫毛、均整のとれた顔立ちを眺めているのは飽きないけれど、彼女に起きてもらわなければ話が進まない。 薫の肩にそっと手を当てて、軽くその体を揺さぶる。 つられるように身じろぎする薫に対して、緊張が走る。 上手く、伝えられるだろうか。 「薫殿」 「んぅ・・・」 ただ、好きだと一言。 伝えられれば、いい。 「――薫・・」 「・・ん〜」 発した名前の余韻に浸りながら、薫が起きるのを待つ。 相手がまだ夢の中にいるからこそ出来る事とはいえ、相手の名前を呼び捨てられるほどの距離に今の二人はいる。 剣心はゆっくりと薫の体を起こし、膝の上に横抱きにしてその背を支える。 徐々に覚醒し始める薫の顔を覗きこみ、起きた瞬間の彼女の反応を思い浮かべ、笑い出しそうになるのを堪えた。 「早く起きて?」 「――・・・後五分〜・・・あと・・っえ!!?」 そして目覚めの時がやってくる。 後五分と寝ぼけ眼で見上げてきた目が僅か後に見開かれ、薫が飛び起きる。 「剣心!!?え、あれ、何で、ここ、あれ、どこー!!?」 普段にない至近距離に一気に驚いて目が覚めた薫は、動揺に突き動かされ、要領を得ぬまま喋ろうとしてあたふたと周りを見回し始める。 「ふっくくっ」 剣心はというと想像通りの反応に、額を床に押し付けて床を叩き、笑いを堪えた。 「な、何笑ってるのよ剣心!!てか、ここ左之助のうち!?やだ私あのまま寝ちゃ――!?」 いきなりの衝撃で頭が混乱しつつも、薫は昼間の出来事も忘れ、気まずさも忘れ、捲くし立てる。 おろおろと着崩れた着物で部屋をうろうろする姿は、剣心が背後から忍び寄るのにも気がつかない。 「――薫殿」 「ひぁっ!!?」 突然の抱擁が背中越しに与えられ、薫の悲鳴がどもる。 三角巾を取り去り薫の肩を抜け、胸の前で組まれた剣心の両腕が緩く薫を拘束していく。 耳元で呼ばれた名前が思考を遮断する。 本人に了承を得ぬまま、すぐさま耳が真っ赤に染まった。 「昼間言ったこと、今から訂正しても遅いでござるか?」 「え――?」 「拙者と薫殿が恋人でなかったのは確かだったけれど、でもそれだけじゃなくて・・その・・正しくはまだ・・・だったわけで、その・・」 「剣・・心?」 けれどそれは薫だけではなく。 たどたどしく想いを紡ぎ出した剣心もまた同じに。 その遠回しな言いかた器用ではないけれど。 薫は表現しがたい瞬間に辿り着いた今に胸を震わせた。 今度こそ、欲してやまなかった答えがもらえる時が来たのだと。 それは自分が望んでいた答えに相違ないのだと確信して。 涙に滲む視界を必死に閉じぬようにして、全神経を剣心の声に向けて澄ます。 「・・拙者と一緒に・・・なってほしい」 何もかもすっ飛ばした告白が彼らしい。 薫は笑い泣きしそうになるのを堪え、重なっていた横顔を離し、視線を薫に寄せてきた剣心と目を合わせる。 「好きだ――」 愛の告白とともに伏せられていく瞼に薫は思わず目をぎゅっとつぶった。 そして両手を胸の前で合わせ緊張で顎を引いた薫の手を、剣心が握って彼女を引き寄せた――。 「おーおー、にやにや締まりのない顔しやがって」 縁側で前日と同じく布で三角に腕を吊るした状態の剣心にかけた第一声がこれだった。 「左之――」 前日と同じように緋色の髪を上からぐしゃりと弄るのは、背の高い彼の癖のようなものだろうか。 前日と違うのは彼が陽もてっぺんに登ろうかという時間に、家の中から現れた事ぐらいだ。 乱れた頭髪を適当に直す剣心相手に、左之助は豪快に笑う。 どうやら昨日皆で酒を飲みながら賭けた賭けは一人勝ちしたようだ。 所詮、最強の元人斬りも好きな女の前ではただの男だったということだ。 『あいつらは朝帰りに一口だ』 皆の悔しがる顔が目に浮かんだ―――。 終わり。 ====================================================== 日記に載せた剣薫左のらくがき(2006/03/07(火))から派生しました、 未来さんの素敵小説です。 どーして剣薫左ってこんなにも萌えなのでしょうか。 そこに嫉妬ネタの神である未来さんの文章が加わると、最早最強。 ちゃっかりしっかり嫉妬する剣心。 左之に相談し、煽る薫。 そして剣心と薫の2歩3歩先を見据えて二人を弄り回す左之。 ああ、最高。 未来さん、大好きです。 また未来さんの素敵な妄想力をかきたてるようならくがきを発見しましたら どうぞ、使ってやって下さいませ。 ======================================================