<最新作>

 

こんなにも青い空の下で
(一)

思いのほかよく晴れた空の下。

気温はずいぶんと上がり、初秋だというのに汗をかくほど暑い。

こりゃあいいやと、バイクに乗って走り出したのだが。

 

峠道を駆けてる途中で、ポンコツのエンジンが悲鳴を上げた。

 

てっぺんの休憩所で、おつかれ気味のエンジンを休ませ。

誰もいない駐車場を眺めながら、タバコを一本つける。

晴れあがった秋の空は、やけに気持ちがいい。

 

と。

 

ころころころ

 

ドコからだろう、俺の足元にビー玉が転がってきた。

ガラス球の中に赤いリボンが踊る、よくあるタイプのビー玉だ。

何気なくつまみ上げようとすると、風もないのにころころと転がって、俺の指先から逃げてゆく。別に放っておいてもよかったのだが、なんとなくムキなってしまい、立ち上がってビー玉を追いかけた。

 

側溝に落ちる寸前、なんとかブーツの底で踏みつけ。

つまみ上げようとすると、今度はチーチーと妙な音がする。

かがんだ姿勢のまま、音のする方へ視線を移すと。

 

「ハムスター?」

 



五センチくらいの小さなげっ歯類が、後ろ足で立ち上がっている。

縁石の上で騒いでいるコイツは、ジャンガリアンハムスターだ。

昔、飼ったことがあるから間違いない。

 

「おまえ、どうしたんだ? 野良猫に食われちまうぞ?」

 

そう声をかけると、ヤツはこちらに向かってチーチー叫ぶ。

小さな身体で懸命に伸び上がる姿に気を取られながら。

俺は、ほとんど無意識にビー玉をつまみ上げる。

 

とたん。

 

「あー! 触(さわ)っちゃった!」

 

小さな叫び声がした。

驚いて後ろを振り返るが、誰もいない。

すると、その声は続けて言い放った。

 

「こっちこっち! 目の前!」

 

恐る恐る声の方を見る。

つぶらな瞳をこちらに向けながら、立ち上がってわめいているのは。

どう見ても、先ほどのジャンガリアンハムスター。

 

「うっわ、マジでやべぇ。俺、そーとー疲れてんだな」

 

独り言ちながら頭を振るが、しかし、現実は厳しい。

 

「そんなの知らない。ビー玉を返して!」

 

声はやっぱり、目の前のハムスターから聞こえてくる。

まさかそんなわけないだろう、と思いたいのだが。

しかしそういえば、叫び声なのに音量がやたら小さい。

 

俺は驚いたまま呆けてしまって、何も答えられないでいた。

するとハムスターは、ぷりぷり怒りながら詰め寄ってくる。

いや、ハムスターの表情なんて見分けつかないから、『たぶん』怒ってる。

俺は途方に暮れて、その場へ立ち尽くした。

 

 

最初の衝撃から覚めた俺は。

ごくりとつばを飲み込んでから、恐る恐る話しかけてみる。

 

「な、なんで言葉を話せるんだ?」

「そっちが解(わか)るようになっただけ」

「お、俺が? なんで?」

「いいからビー玉を返して!」

 

ケンマクに押されて、つまんでいたビー玉を差し出す。

宝物でも受けとるように、両手でビー玉をつかんだハムスター。

くるりと踵(きびす)を返すと、後ろ足だけでにごにご歩き出した。

 

「ちょ、待った! 説明してくれないか!」

「なにを?」

 

くるりと振り返ったハムは、黒目ばかりの瞳をこちらに向ける。

小首をかしげる様はなんとも可愛らしいのだが、今はそれどころじゃない。

この奇妙な状況に、合理的な説明が欲しいのだ。

俺の精神安定のために、どうしても。

 

「なんで動物の言葉をわかるようになったのか説明してくれ」

「ビー玉に触ったから。ダメって言ったのに」

「ダメって言った? ああ、チーチー鳴いてたアレか」

「でも、触っちゃったから、すぐ死んじゃう」

 

とんでもない言葉を吐いて、ハムスターは歩き出す。

 

「おい、ちょっと待てってハムちゃん! 死んじゃうってなんだ?」

 

ハムスターは、キッっとこちらを見返すと、イキオイよく叫んだ。

 

「ハムちゃんじゃない! 春菊だよっ!」

「シュンギク? そらまた苦(にが)そうな名前だな」

「ニンゲンのバカー! すぐ死んじゃうくせにー!」

「だから、なんだその物騒な話は。どういうことだ?」

「ビー玉に触ったから死ぬの。決まってるんだよ」

「決められてたまるか!」

 

どうも、このハム……春菊の話は要領を得ない。

しかし、『ビー玉に触った瞬間から、ハムスターと会話できてる』と言う奇妙な事実が、理由や理屈に関係なく、『死ぬ』という言葉への真実味を、実に強く感じさせる。俺は狼狽しながら春菊に話しかけた。

 

「ど、どうして死ななきゃならないんだ」

「ニンゲンはビー玉に触ると死ぬの。だいたいひと月くらい。わかった?」

 

まったくわからんし、わかりたくねぇ。

 

「じゃあボクは帰る、バイバイ」

 

春菊はビー玉を抱いて、よちよちと歩き出した。

このまま帰られちゃ困るので、俺は強硬手段にでる。

すばやく春菊をつまみあげ、ビー玉を強奪したのだ。

 

春菊はつままれたまま、おどろいて固まってしまう。

それから我に返り、盛大にわめきだした。

 

「はなせー! かえせー! 鬼! 悪魔! ニンゲン!」

「最後のは暴言なのか? まあいい、よく聞け春菊」

「いやだー! かえせー!」

「だったら、ちゃんと詳しい話を聞かせろ!」

「ニンゲンのばかー!」

 

どうにも埒(らち)が明かない。

 

「よしわかった。じゃあ俺は今から、ビー玉ごと雪山に行って死んでやる」

「……?」

「雪山で凍って、百万年くらいたってから、マンモスと一緒に発見されてやる」

「マンモスってなに?」

「食いつくべきはソコじゃねぇよ! ビー玉は返さないって言ってんだ」

「そんなのずるいよ! ボクのなのに!」

 

背中をつままれてぶら下がったまま、春菊はチーチーと文句を言う。

その身体を、目のまえに持ってくると。

ゆっくり、はっきり、俺の言い分を聞かせてやる。

 

「春菊がビー玉を転がしたから、触っちゃったんだ。俺は悪くないだろ?」

「……そう?」

「つまり全部おまえの落ち度で、悪いのはおまえだ」

「でも……」

「いいや、悪いのは絶対におまえだ。おまえは俺を助けなきゃならない」

「なんで?」

「俺のオフクロに怒られるんだぞ。ものすげぇ怖いんだぞ?」

 

ナニが悲しくて、ハムスターを脅迫してんだろう、俺は。

 

「怒られるの?」

「怒られるね、間違いなく」

「怖いの?」

「怖いなんてもんじゃねぇよ。ビビってメシ食えなくなるぜ?」

 

ヘコんだ春菊は、下を向いて鼻をヒクヒク動かしている。

今までの会話から考えて、春菊はそれほど賢くない。

おそらく小学校低学年くらいの知能だろう。

ここは一気に畳み込んでやる。

 

「でも、それじゃあ可哀想かなぁ」

「じゃあ、かえしてくれる?」

「ああ、いいよ。ただし、俺が死なないようにしなきゃだめだ」

 

すると春菊は、口を半開きにしたまま、俺を凝視する。

おい、なんで固まってるんだ?

なんだよ? ダメなのか? 触ったらゼッタイに死ぬのか?

 

いやな汗が、背中をつーっと流れてゆく。

 

 

(ニ)

硬直するハムスターを見つめて、俺は冷たい汗をかいていた。

と。

思い出したように春菊がしゃべりだす。

しばらく固まっていたのは、どうやら考え込んでたらしい。

 

「ニンゲン、強いニンゲン?」

「ニンゲンって言うな、俺の名前はケージだ。強いってのは身体か、心か、それとも腕っ節か? 身体は頑丈だけど、心の方はどうかなぁ……まあ、女と酒の誘惑には弱いな」

「……ココロは弱いの? それだと死んじゃう」

「どういうことだ? <ビー玉の呪い>とかで死ぬんじゃねぇの?」

 

すると春菊のヤツ、チーチーと楽しそうに笑った。

 

「あははは、ニンゲン、バカだなぁ。呪いなんて『ひかがくてき』だ」

「おまえに言われるとヘコむわ。つーかケージって呼べ」

「ケージ、ココロ強い? 強ければ死なないよ」

「あん? どういうシステムで生き死にを決めるんだ?」

 

俺が小首をかしげてると、春菊がまた笑った。

 

「あはは、ケージ、カワイイね」

「うるせぇ、おまえのが百倍カワイイわ! つーか春菊、ちゃんと教えろ。ビー玉に触れた人間は、なんで死ぬんだ? きちんとわかるように説明しないと、ビー玉ぁゼッタイ返さないからな?」

「ダメだよ、返してよ!」

 

春菊はつままれてぶら下がったまま、ばたばたと暴れる。

 

「ニンゲンはね、ココロが弱いの。だから、ほかの動物の言葉がわかると、おかしくなっちゃうの。それでひと月くらいすると、だいたいみんな死んじゃうんだ」

「ああ、なるほど。ノイローゼになって自殺するとか、そういうことか。<ビー玉に触れたことが禁忌で、作ったやつに殺される>的な話じゃねぇンだな?」

「ニンゲ……ケージは?」

「ん? ああ、大丈夫だ。自慢じゃねぇが俺は、自分が大好きなことにかけちゃ絶大な自信がある。何があっても自殺なんてしねぇよ。200歳まで生きてやるんだ」

「200年も生きるの? ケージすごいね!」

 

どうやら死ななくて済みそうだとわかったら。

とたんに元気が出てきて、今までビビってたのもドコへやら、色々と好奇心が湧いてくる。

だってハムスターがしゃべってるんだぜ?

いや、確かに今さらナニ言ってるんだって話だけど。

 

「なはは、200年は無理かもな。でも100年くらいは頑張れば」

「僕よりずーっと多いね! すごいね!」

 

ふと、胸を突かれて俺は黙り込む。

そうか、ジャンガリアンは2年くらいしか生きられないんだっけ。

少し哀しい気持ちになって、俺は春菊に質問した。

 

「春菊、おまえは何歳なんだ?」

「ねえ、降ろしてよケージ。ぶらぶらしてると、ぶらぶらするよ」

「ナニ言ってんだか、ビタイチわからん」

 

まあ、つままれて宙に浮いてるのが不快なんだろう。

俺は左の手のひらに春菊をおろす。

それから、ビー玉を返してやった。

 

「よかった、ビー玉が返ってきた」

「で、おまえは何歳なんだよ、春菊」

「1歳半だよ。オトナなんだ」

 

そらハムの中じゃオトナだろう。

人間で言やあ、人生後半じゃねぇか。

だからって今さら、「春菊さん」とは呼ばねぇけどな。

 

俺は好奇心の赴くまま、春菊に尋ねた。

 

「このビー玉って、いったいなんなんだ?」

「ねぇ、ケージ。ケージのバイクはどうして片目なの?」

「イッコもヒトの話を聞かねぇな、おめーは。ライトは改造してあるから、片目で充分なんだよ。この方が何となくカッコいいだろう?」

「ねぇねぇケージ、あそこに入ったら速い?」

 

 



致命的に省略されたセリフだが、言いたいことは解った。

「空っぽのライトケースの中に入りたい、そんで走ってくれ」

って言うんだろう。

くりっくりの黒目を輝かせて、春菊が俺を見てる。

 

「ものすげぇ揺れるから、あんなトコ入ったらゲロ吐くぞ」

「大丈夫だよ! バイクって速いんでしょう?」

「セリフの前後が繋がってねぇよ。なんだおめ、スピード狂か?」

 

すると春菊は、ビー玉をつかんだまま、下を向いて鼻をヒクヒク。

 

「速いの好き。ボク走るの遅いから……」

 

どうやら照れてるらしい。

 

「乗せるのはいいけど、気持ち悪くなっても知らないぞ?」

「わあっ! ケージえらいよ!」

「なんで上から目線なんだよ。そこは、ありがとうだろ、フツー」

「うん、ありがとう」

 

手のひらの上で、春菊はひょこんとお辞儀をした。

 

とは言え、さすがにぶっ飛ばすわけにもゆくまい。

春菊をライトケースへそうっと入れ、エンジンをかける。

どうやら平気そうなので、そのまま駐車場をゆっくり一周。

 

俺の方からだと、春菊の様子はわからない。

ドコドコドコドコ……駐車場を回る。

ほんの2、3分の冒険旅行だ。

 

元の場所へ戻ってきて、エンジンを切った。

ライトケースから春菊を引っ張り出して、手のひらに載せる。

春菊はやけに興奮して、チーチーと騒ぎ立てる。

 

「ケージ! 見た、見た? すごい速いの! ぶろろろろんって!」

「見たもクソも、運転してたのは俺だ」

「すごいねぇ! 速いねぇ! びゅーんって!」

「20キロくれえで、えらいはしゃぎっぷりだな」

 

手の上でぴょんぴょんと跳ねる春菊。

落っことさないように気をつけながら、俺は路肩へ座る。

その間も春菊は、興奮してしゃべり続けだ。

 

「ねぇねぇケージ、もっと速く走れる?」

「もっと飛ばしたら、興奮で血管切れるぞ、おまえ」

「すごいねぇ、バイクって速いねぇ!」

 

手放しの喜びように、こっちまで嬉しくなってしまう。

ハムスターと会話している不思議さえ、どうでもよくなってしまって。

しばらくの間、春菊を眺めていた。

 

「ところで春菊、おまえはドコに住んでるんだ?」

 

ようやく落ち着いたところを見計らって、俺はそう話しかけた。

春菊はキョトンとこちらを見て、ふるふるヒゲを震わせる。

 

「おうちだよ」

「説明しようとする意思が感じられねぇ。ここから遠いのか?」

「遠くないよ。今日はここ」

「ああ、ここで野宿か。ひとっトコロに住んでねぇのか」

 

ハムスターの生態には詳しくねえが、それが普通なんだろうか?

 

「まあいいや。よう春菊、俺と一緒に来ないか?」

「ケージと? いいよ」

「おめ、少しは考えてるんだろうな? 一緒に住もうって話だぞ?」

「ケージはバイクに乗せてくれたから好き」

「そうか、ありがとよ。そんじゃ俺ン家に行こうか」

 

結局、ビー玉の正体も、この状況の理由もまったくわからないまま。

俺は春菊を胸のポケットに入れて、バイクにまたがった。

ポケットから顔だけ出した春菊は、早くも目をキラキラさせている。

 

30分ほど走って、アパートにたどりつき。

 

単車を仕舞って、ポケットから春菊を引っ張り出す。

すると、春菊はヒクヒクしながら丸まっていた。

 

「おい、春菊! どうした? しっかりしろ!」

「ひっひっひっひひぃ!」

「もしかして……うれしすぎてヒキツケ起こしてんのか?」

「ケージ、バイク、すごい! すごい!」

 

過呼吸でも起こしてるのかと思ったが、どうやら回復してきた。

 

「あーびっくりした。楽しくて死んじゃうかと思った」

「ホント脅かすな。おめーは小動物なんだからよ」

「ねえケージ、おなか空いたね」

「おう、今から晩飯の買い出しだ。ひまわりのタネでも買ってやるよ」

「ひっ、ひまわり! ひまわり! ひっひっひっひ」

「だから、喜びすぎるのはやめろ、マジで死ぬぞ!」

 

さすがに食料品の売り場で、ネズミが見えるのはまずいだろう。

春菊をポケットに隠して、俺は近所のスーパーへ行った。

そして……そこで俺は。

 

春菊の言葉の、本当の意味を知ることになる。

 

 

(三)

スーパーの自動ドアを入る。

店の中は喧騒にあふれていた。

そして俺は、おどろきに動けなくなる。

 

「いらっしゃいませー!」(また客が来たようぜぇ)

「あら奥さん、こんにちは」(うわダッサい服)

「あらあら、奥さんしばらく!」(ち、安い肉が買いづらいわ)

 

スーパーにいる人の、言葉と心の声が、重なって聞こえるのだ。

 

相手が黙っていれば、なにも聞こえない。

だが、言葉を発すると、そこに重なって心の声がする。

俺は軽いパニックで、思わず固まってしまった。

 

同時に、心のすみっこで、「ああ、なるほど」と納得もする。

 

俺はポケットに隠れた春菊に話しかけた。

 

「春菊、おまえには俺の言葉が重なって聞こえるか?」

「聞こえたり聞こえなかったり。ケージの声は聞きやすいよ」

「今は?」

「今はちょっとわかんない。ごちゃごちゃしてる」

 

俺の脳内は、今、とても混乱している。

それが複雑すぎて、春菊にはノイズに聞こえるのだろう。

 

彼ら動物たちは、脳の中と発した言葉が同じ。

だが、人間の場合はそれが一致してない。

それが春菊たちには同時通訳みたいで聞きづらい。

 

ということになるわけだ。

 

そして、これこそが。

 

ビー玉を触った人間が、すぐに自殺する理由だったのだ。

いつも他人の本音が聞こえるのだから、たまったもんじゃないだろう。

気が弱いやつなら、死んでもおかしくない。

 

と、ここで俺は、恐ろしい可能性に思い当たった。

 

「ま、まさか、相手にも俺の頭の中身が漏れてるのか?」

「ニンゲンは別みたい。鈍いんじゃない?」

「そ、そうか……とりあえずよかった」

 

自分の気持ちがダダモレになるマンガ、サトラレ。

ああいう話にはならないようだ。

安心してると、春菊が感心したようにつぶやいた。

 

「ニンゲンってみんな、違うことを同時にしゃべるよね。すごいよね」

「すごかねぇよ。むしろ、そんなヤツはロクでもねぇ」

「だって、ニンゲンだけだよ、そんなの」

「おまえらのが、ずっとすげぇよ。人間はダメだ。俺も含めてな」

「ケージはダメじゃないよ! バイク乗せてくれた」

 

そう言ってもらえるのはありがたい。

だが、今はなんの慰めにもならないよ春菊。

軽い絶望に襲われて、俺は言葉をなくす。

 

俺はこれから、動物の言葉を理解できて。

しかも、人間の本音を聞かされ続けるわけか。

まったく、うんざり……ん? まてよ?

 

それって悪いことばかりじゃないよな?

 

なんたってサトリの能力だ。

人間との駆け引きなら最強じゃないか。なんだってやれる。

そう考えればこの能力も、まんざら捨てたもんじゃない。

それどころか、これからの人生をばら色に……

 

ま、まてよ? 本当にそうか?

人間の本音を聞かされるのもアレだが。

動物の言葉を理解できるってのも、これはシンドいんじゃないか?

 

今までは動物の声なんて聞こえなかったから平気だった。

 

だが、これからは、それがこっちにも理解できちまう。

つまり<意思の疎通ができる相手>なんだぞ?

気にしなきゃいいなんてのは、とんでもない間違いなんじゃないか?

 

「こらぁ、確かに狂うわ」

 

言葉を発しない限り、脳内を読まれない。

これがまあ、唯一の救いといっちゃ救いだろう。

ずっと垂れ流しだったら、間違いなく地獄だ。相手の心がわかるにしろ、自分の心が(動物限定とは言え)バレるにしろ、あっという間におかしくなる。もっと図太いヤツなら動物なんて気にしないかも知れないが。

 

それにしても……

 

「動物とは言え、コミュニケーションの成立する相手だもんなぁ」

「ケージ、困ってる」

「聞こえたか?」

「うん。困った困ったってずーっと言ってるよ」

 

口を開いたとたんコレだ。

春菊相手ならまだしも、他の動物にまで聞かれるのはいやだ。

俺は動物が人間の言葉を理解できると知ってしまったんだから。

 

もっとも、これはなるべく動物のいないところへ行けばすむか。

 

まあ、とにかく冷静になろう。

 

とりあえず、約束どおりひまわりの種を買うと。

逃げるようにアパートへ戻った。

自室で、『喜びのひまわりダンス』を踊る春菊を眺めつつ。

 

俺はこの先の作戦を練った。

 

 

春菊に大人しくしてるよう言い聞かせて、俺は家を後にした。

結論として、『心の問題は、精神的にキツくなって』から考える。

まずは手っ取り早く金を稼ごう。

 

とは言え、元手のない俺がこのチカラを利用して稼ぐには、ギャンブルくらいしか思いつかない。

しかも、機械相手のパチンコはもちろん論外、話にならない。かと言って競馬も馬と話す機会があるかわからないから、確実性に欠ける。となれば、人間相手の手軽なギャンブルとして、麻雀が無難だろう。

 

駅前の麻雀荘へ入ると、元気のいい声が聞こえてきた。

 

「いらっしゃいませー!」(貧乏そうなのが来たな)

「当店は初めてですか?」(昨日の女、今晩にでも電話してみよう)

「それではシステムを説明します」(だりー、早く帰りてぇなあ)

 

フリー客として、ほかの客と卓を囲む。

黙り込まれては困るから、注意されない程度に話の水を向ける。

雀荘でペラペラしゃべるのはマナー違反だし、イカサマ防止のために禁止されることが多い。

だが、ここではしゃべっても、目くじら立てられることはなかった。

若者の多い店だからかも知れない。

 

幸い、卓を囲んだ客が話好きだったので、俺は連勝する。

 

だが、言葉に重なる脳内の声を聞くのは、思いのほか疲れる作業だった。

やってるうちに頭痛がしてくる。

十万円ほど勝ったところで、俺は勝負を切り上げて立ち上がった。

 

店を出るとき、カゴに飼われている小鳥がぴよぴよ鳴いた。

 

「ぴよぴよぴよぴよぴよ」(上手くやったじゃねぇか)

「おう、ありがとな!」

「ぴよぴーぴよぴよぴー」(言葉も通じないくせに、タイミングよく返事するな)

「はは、通じてるよ。俺は他の人間とは違うんだ」

 

小声でそう答えると、俺は店から出る。

うしろから小鳥の声で、「あーびっくりした。こっちの言葉がわかるのか。おどかすなよ、ニンゲン!」と騒いでいるのが聞こえてきて、俺は思わずクスリと笑ってしまった。

帰りにペットショップへ寄って、ちょっと高めのハムのエサを買い。

俺は春菊の待つアパートへ戻った。

 

 

俺の生活は一変した。

 

仕事をやめて、麻雀荘へ出入りするようになる。

そしてそこで、俺は人気者になっていた。

よくしゃべる気のいい男。上手くはないが、たまに驚くほどの読みをする。真剣にやる気はないようで、真面目な大勝負はあまり好まない。みんなでおしゃべりしながら気楽に打つのが好き。

 

これが俺の得た評価だ。

 

いや、こっちだってホントは大勝負で勝ちたい。

だが、ペラペラしゃべりながらそういう大勝負をするやつはいない。

相手がしゃべらなければ心は読めないから勝てない。

仕方ないので、しゃべっても見逃される程度の、軽い勝負で勝ち負けを繰り返す。

それが真相なんだけどな。

 

稼ぎはサラリーマンのころと、それほど差がない。

だが、気楽だし面白いし、時々は手に汗握る勝負も出来る。

それに、知り合ったばくち打ち仲間に教わって、非合法のカジノへも出入りできるようになった。

もっとも、こっちでも大勝はほとんどない。

 

だが、代わりに人脈が出来た。

 

色々な人に紹介され、そこで会話を繰り返すうち。

俺は交渉人としての仕事を請(う)けるようになった。

そしてその仕事は、ばくちよりずっと大きな儲けを生んだ。

 

相手の思うことを見透かすような、腕のいい交渉人。

 

そう呼ばれるまでに、それほど時間は掛からなかった。

 

まあ、ホントに相手の頭の中身がわかるんだから、当たり前の話だ。

俺がやることは、とにかく相手にしゃべらせること。

相手がしゃべってくれさえいれば、考えてることはすべてわかる。

 

交渉を依頼してくるスポンサー相手には、

「相手の言葉や表情から、本心を推察できるんです」

とかなんとか、適当なことを言えば、みな簡単に騙された。

 

俺の前でウソをつくことは出来ない。

だから俺は、政治家や経済界の大物、暴力団幹部などに重宝された。

中には、精神分析について本を書かないか? なんて話もあったりして。

 

さすがにそれは断ったけどな。

 

「ハムスターのビー玉が」なんて、書けるわけないし。

 

 

俺はやたらと忙しくなった。

同時に、預金の額が天井知らずに増えてゆく。

腕のいい交渉人は、どこでも重宝されるのだ。

 

特に、ウラの社会では。

 

俺は春菊のためにひと部屋を借り、エサやオモチャを山ほど用意した。

春菊は喜んで、最高級のエサを食い、色んなおもちゃで遊ぶ。

彼にとってはとんでもなく広い部屋の中で、春菊は自由に暮らした。

 

俺はあまり家に帰らなくなった。

 

そんな生活が、半年ほど続いたある日。

 

 

春菊の姿が消えた。

 

(四)

俺は春菊を探さなかった。

 

あいつは、もう二歳になる。

もしかしたら、自分の死期を感じて出て行ったのかもしれない。

俺もアイツの死の瞬間なんて見たくないから、これでいいんだ。

そんな風に思っていた。

 

だから。

 

目の前の大仕事をこなすことで、そこから目を背け。

銀行の残高が増えてゆくことで気をそらし。

夜の街で遊んでは、気持ちを紛らわせた。

 

それでも。

 

「つまんないよ、ケージ。遊ぼうよ」

ひょいと立ち上がって鼻をヒクヒクさせながら、時々そんな風に言っていた春菊の姿を思い出す。

放っておいた罪悪感と、なんともいえないやりきれなさに堪えかねて。

俺は春菊のことを忘れるように努力した。

努力しなきゃならないってコトは、忘れがたいってことなんだが。

 

 

そんなある日、俺は接待を受けて、銀座のあるクラブにいた。

 

「お仕事は、何をなさってるんです?」(若いのに羽振りがいいわ)

「スーツ、お似合いですね」(うわ、このブランド高いんだよね)

「恋人はいらっしゃるんですか?」(金持ちっぽいから貢がせよう)

 

女たちを適当にあしらっていると、別の女がやってきた。

 

「いらっしゃいませ、サヤカです」(へえ、これが例の交渉人ね)

「よろしく」

 

ほう、俺が交渉人と知ってるのか。

どうやらウラの世界と無縁じゃないらしい。

生返事をしながら、俺がそう思ったとたん。

 

女はおどろいた顔で、俺をじっと見つめる。

 

そして。

 

「よろしくお願いしまーす!」(あなたも<言葉>がわかるのね!)

「……え……あ……いや」(…………!!!!!!)

 

俺は絶句したまま、固まってしまう。

状況を理解するまで、まるまる一分間。

俺たちは見つめあったまま、硬直してしまった。

 

「サヤカもお客さんも、どうしちゃったの?」(こいつら知り合い?)

「あやしいな、昔の恋人?」(ちぇ、またサヤカかよ!)

「そうなのか、ケージ君?」(交渉人め、店のNo.1と知り合いか?)

 

接待してくれてる政治家や、店の女の子のこと。

すべてを忘れて、俺はサヤカという女に見入っていた。

そのサヤカは、ひと足早く自分を取りもどしている。

 

「そんなんじゃないですよー! ステキだなーって思って」 

「おいおい、ケージ君やるなぁ。サヤカはカタブツで有名なのに」

「サヤカったら、珍しく積極的ー!」

 

わいわいやってる間にも、サヤカの思考が流れ込んでくる。

 

(聞こえてるんでしょ? 変に思われるから何かしゃべって)

「あ、ああ」

(バカ! 口に出すのは別の言葉よ! 私には心で返すの)

「あ、いや、思わず見とれちゃって」(あ、そうか。すまん)

「おや、お安くないなぁ」(これで交渉人の機嫌が取れれば安いな)

「サヤカ綺麗だもんね」(おいしい客はみんな持ってっちゃうのね)

 

今までは、一方的に他人の心を読んでいた。

それが、今度はうっかりしゃべると自分の心も読まれてしまう。

俺は恐怖に近いあせりの中で、なんとか時を過ごした。

 

 

やがて酒宴は解散となる。

 

俺は政治家先生と店の女の子に冷やかされつつ。

サヤカとふたり並んで、夜の街を歩き出した。

 

人気の無い公園を探し出して、そこでようやく向き合う。

心を読まれて動転していたから気づかなかったが。

こうしてみるとサヤカはすごく色っぽかった。

 

「情報交換ってことでいいかな?」(うわ色っぽい。綺麗な女だな)

「ありがと。でも、もう少し思考を隠す練習をしたほうがいいね」

 

考えを読まれ、俺は真っ赤になってうなずく。

 

「あなたは、どうやって? 私は猫のビー玉なんだけど」

 

もちろん、言葉の意味はすぐに理解できた。

 

「ハムスターだ。ハムスターの持ってたビー玉」

「ヒトでも動物でも、声を出してる相手の、心が読める」

「声が二重に聞こえる感じだ。慣れるまで大変だった」

 

他人が聞いたら、ワケがわからないだろう言葉で。

俺達は情報を交換しあった。

細かい違いはあるものの、経緯はほぼ同じだった。

 

「それで、ハムちゃんは家に居るの? 誰かが見てる?」

「……いや。出て行ってしまった。そろそろ死期が近いからかも」

「はあ? どういうこと? あんたナニやってんの?」

「どうしようもないだろう。アイツの決めたことなんだから」

 

俺は力なく肩を落とす。

するとサヤカは、あきれ返ったという表情で俺を睨んだ。

 

「あんた、なんにもわかってないの?」

「どういうことだ?」

「あんたのハムちゃんが、どういう思いだったのかを!」

 

サヤカは明らかに怒っていた。

俺は彼女が何を怒ってるのか見当も付かず。

ただ、途方にくれて立ち尽くす。

 

「ハムスターの寿命って、たしか数年よね?」

「ああ、ジャンガリアンで二年から、長くて三年ってところか」

「なのにその子は、放って置かれながら、半年間も待ってたの」

「まあ、そういうことになるか」

 

ぱん!

 

平手打ち。

それから俺にヒトコトも言わせず、サヤカはまくし立てる。

 

「わかってるの? 半年って、人間で言えば約15年よ!?」

「……あ、いや……」

「あんたに一緒に暮らそうと言われて、たぶん、うれしかったんでしょう」

「…………」

「だから放って置かれても、15年間、ずっと待ってたのよ」

 

サヤカは泣いていた。

このときは、ずいぶん感情的な女だと思ったのだが。

彼女が泣くには、それなりの理由があったのだった。

 

「その子はハムちゃんだから、上手に説明できなかったかもしれない。でも私のゴンスケは猫だから、脳の容量が多いんでしょう、詳しく説明してくれた」

 

言葉を切ったサヤカは、俺をにらみながら泣き顔で言った。

 

「命の玉の話を」

「命の玉?」

「ビー玉のことよ。ビー玉の出所や作った者が何かは、動物たちもよく知らないらしい。生まれたときに持ってたとか、ある日どこかで拾ったとか、いろんなパターンがあるみたいだけど」

「そんなに色んな動物と話したのか?」

「当たり前でしょ? あんたみたいにすぐ金儲けなんて方が卑しい」

 

そのとおりだから、黙り込むしかない。

 

「ハムちゃんは知らなかったかもしれないけど、ビー玉は盗られようと失くそうと、持ち主のところへ帰ってくるの。ゴンスケは猫の長老に聞いたって言ってたけど、長生きの動物はだいたい知ってるみたいね」

「あいつは知らなかったと思う。俺に取られて焦ってたから」

 

俺は春菊とのやり取りを話して聞かせた。

 

「ふん、イジワルなオトコ。ただ、帰ってくることは知らなくても、コレだけは知ってたはず。ビー玉が命をやり取りできる装置だってことは」

「命をやりとり?」

「そう。ビー玉は命の力を取り出して、別の生き物に与えられるの。ビー玉に触らせて<言葉>の能力を与える代わりに、人間の命を分けてもらうのよ」

 

俺は狼狽しつつ、サヤカに訴える。

 

「そんなこと、あいつはヒトコトも」

「知らなかったはず無い。それだけは自然にわかるのよ」

「いや、だって……」

「長老猫はそう言ってたし、ゴンスケもわかってた」

 

言い放ったサヤカは、またも俺をにらむ。

 

「寿命でもいいし、体力や気力でもいい。それをビー玉を介して動物にあげれば、動物は長く生きられる。人間の方は、まあ寿命はイヤだから、気力や体力を分けてあげる。そして、その代わりに、<言葉>の能力を得るのよ」

「や、やりかたは?」

「私にはわからないけど、動物たちは知ってる」

「それじゃあ、なんで春菊は!」

 

春菊と言う言葉にいぶかしげな顔をするサヤカ。

俺はあわてて、ハムスターの名前だと説明した。

 

「春菊ちゃんには、上手く説明するのが難しかったのね」

「だからって!」

「一緒に住めば、時間をかけて説明できると思ったんでしょ」

「……そうか、それなのに俺は能力を確認するばかりで」

「エサとおもちゃだけ与えて、話そうともしなかった」

 

そのとおりだ。

 

「あたしだったら、寿命をもらってるわね」

「……そんな」

「文句は言えないでしょう? すいぶん儲けたみたいだし」

「…………」

「でも、春菊ちゃんは、ただ待っていた」

 

……春菊、おまえ……

 

「体力でも、寿命でも、黙って持っていけばいいじゃねぇか」

「よっぽど、あんたが好きだったんでしょうね」

「そんな……春菊……」

「あんただったら待てる? 15年間ひとつ所に閉じ込められて」

 

春菊……春菊っ!

 

「でも、さすがにもう、待てなくなったんでしょう」

「それは仕方ない。いや、当たり前だ! 俺なんか見捨てて……」

「バカじゃないの! 全然わかってない!」

 

サヤカは完璧に切れていた。

 

「あんたを見放してたら、あんたは今頃、能力を失ってるの!」

「それは……?」

「他のヤツにビー玉を触らせれば、あんたの能力は消えるのよ」

「それじゃあ、あいつはまだ、誰にも命をもらってない?」

「能力が消えたら、あんたが困るからでしょ!」

 

また平手打ちを食らうが、そんなことはどうでもいい。

 

「春菊……俺なんかのために……俺は放っておいたのに」

「あんたの体力のちょっとでもあれば、春菊ちゃんは生きられるのにね」

「体力でもなんでも、いくらでもやるのに!」

「本当に誇り高いわ。そのまま死んでゆく気かも知れないわね」

 

限界だった。

俺はその場に立ってられず、膝から崩れ落ちる。

両手を地べたについて四つんばいになり。

 

「ああああああああああ!」

 

大声を上げて泣いた。

 

春菊を思うと、胸が張り裂けそうだった。

切なくて、苦しくて、どうにかなりそうだった。

腹の底からわいてくる何かを、吐きだすように。

 

俺は泣き続けた。

 

「いい加減にしなさいよ。泣くのがあんたのやること?」

 

厳しいが、さっきまでより少しやさしい口調でサヤカが言う。

 

そうだ、泣いてる場合じゃない。

 

春菊を探すんだ!

 

「春菊を探す方法を知らないか? ビー玉の力か何かで」

「言い出すのが遅いのよ! 付いてきなさい!」

「わかった! ありがとう!」

「あんたのためじゃない! 春菊ちゃんのためよ!」

 

ああ、だからこそ、ありがとうなんだ!

 

俺はサヤカに続いて、夜の街を走り出した。

 

 

(五)

ニンゲンのことはニンゲンって呼んでた。

ニンゲンはボクのことをネズミって呼ぶ。

ネズミじゃないよ、春菊だよって言っても呼ぶ。

だからボクもニンゲンって呼んでた。

 

ニンゲンはすぐ死んじゃうから、哀しかった。

 

ケージはケージって呼べって言った。

ケージはボクを春菊って呼んだ。

ケージはバイクでびゅーんって走ってくれた。

ケージはニンゲンじゃなくてケージ。

 

ケージは死んじゃだめ。

 

ビー玉をもったときから、わかってたんだけど。

いろんなことがケージに上手く教えられない。

ケージの元気をちょっともらうと、ボクは長生きできる。

上手く教えられたら、ケージならちょっとは分けてくれたかな。

 

ケージは忙しくなったから、分けてくれないかな。

 

おいしいご飯と、いっぱいおもちゃ。

たくさん遊んだけど、誰もいないとちょっとさみしい。

ケージが帰ってこないから、ボクは冒険に出た。

マンモスを見に行くんだ。

 

ビー玉が重くて、なかなか進まない。

誰かに触られたらケージが困るから、隠れて冒険。

たまに猫に見つかると、逃げるのが大変。

でも、猫はホンキじゃないから、何とか逃げる。

 

猫はボクより、カリカリの方が美味しいんだって。

 

マンモスは雪山にいるんだ。

初めて会ったときケージが言ってた。

雪山に行くには電車に乗るんだ。

ボクはいっぱい旅をしたから知ってる。

 

何日も歩いて、やっと駅に着いた。

駅にはたくさんニンゲンがいた。

見つかると困るから、隠れて駅の中に。

もう少しで駅に入れると思ったら。

 

すごく大きな猫に見つかった。

 

「おい、おまえは春菊か?」

「なんでボクの名前を知ってるの?」

「俺はゴンスケ。サヤカの猫だ。おまえを連れにきた」

「サヤカってだれ? ボクは美味しくないよ?」

 

ボクはドキドキしながら、猫に食べないでと言った。

 

「食わないぞ。カリカリの方が美味しい」

「ああ、よかった。食べられたらケージが困るんだよ」

「放っておかれたんだろ? 別にいいじゃないか」

「ダメだよ。ケージはニンゲンじゃないんだ。ともだちなんだ」

 

ともだちと言ったら、猫はクスッっと笑った。

 

「まあ、いい。こっちに来い。くわえて運んでやる」

「食べない?」

「大丈夫だ。食ったら俺がサヤカに怒られる」

「サヤカ怖いの?」

「ああ、怒ると怖いぞ。普段はやさしいけどな」

「ケージはいつもやさしいよ」

 

また猫がクスッと笑った。

 

猫がそうっとボクをくわえた。

痛くはないけど、ちょっと怖いや。

それから猫は、すごいスピードで走り出した。

 

ひゅうっ!

 

ボクの横を風が吹き抜けてゆく。

うわぁ、速いや。ケージのバイクより速いかも。

猫にくわえられて怖かったけど。

びゅーんって速いのは楽しかった。

 

 

 

ドアに穴が開いてて、そこにぱたぱたがあった。

ぱたぱたをくぐると、お部屋の中だった。

中には、変なにおいのするニンゲンの女と。

ケージが立っていた。

 

「ケージ! 元気だね!」

「元気じゃねえよ! 心配させやがって!」

「あのね、冒険なんだよ。マンモスを見に行くの」

「そうか、そうか……よかった! ホントによかった!」

 

ケージが泣いてる。

 

「こんにちは、春菊ちゃん。サヤカよ」

「サヤカは怖いんだよ。猫が言ってた」

「ちょ、ゴンスケっ! あんたなんてコト言ってんのよ」

「事実を述べたまでだ。ケージ、こいつ、おまえが優しいとさ」

 

ケージはいっぱい泣きながら、ボクを手に載せた。

 

「春菊、放っておいてゴメンな?」

「ケージ、忙しいから仕方ないんだよ」

「俺の元気とかチカラとか、おまえにあげるよ」

「本当? うれしいな! ケージえらいよ!」

 

ケージは泣き笑いしながら、指先でボクをなでる。

気持ちがいいや。

それからボクは、猫に向かって言った。

 

「ほらね、ケージはやさしいんだ」

 

猫はふんと言いながら、ちょっと笑う。

 

「ああ、わかった、わかった。いいからまずはチカラをもらえ」

「そうよ、春菊ちゃん。ぼろぼろになってるじゃない」

「毛づくろいする暇がなかったんだよ。冒険だからね」

「やり方はわかるのか?」

 

僕は猫にうなずきながら、ビー玉でチカラをもらう。

 

「ケージ、大丈夫?」

「ああ、ちょっとダルくなったが、全然平気だ」

「ボクはいっぱい元気になったよ!」

「そうか、よかった! ホントによかった!」

 

ケージはまた泣いてる。

目玉が壊れちゃったのかなぁ。

チカラをもらい過ぎたのかなぁ。

 

「春菊、あのアパートも俺のマンションも引き払ったんだ」

「ひき……なに? もう住まないの?」

「そうだよ。仕事もやめた。田舎に行こう」

「仕事やめたの? 忙しくなくなった?」

「ああ、いっぱい遊ぼう! 田舎で暮らそう」

「うわあ、すごいや!」

「遊んだり、冒険したりしような」

「うわ、うわ、うわ……」

 

ボクはうれしくて声が出なくなる。

 

「喜びすぎんな! またヒキツケ起こすから!」

「よかった、いつものケージだ。目玉、治ってよかったね」

「目玉? ああ、そうか。うん、もう泣かないよ」

「よかったねえ」

 

でも、またケージは泣いてる。

サヤカも泣いてる。ふたりとも、やっぱり目玉がおかしい。

猫は笑ってる。

 

「俺はゴンスケだって言っただろ」

「ゴンスケはボクを食べないから、一緒に遊ぼうよ」

「あん? ……ま、いいか」

「私も遊ぶよ」

「サヤカはお風呂に入らないとダメだよ。変なにおいがする」

 

サヤカは黙ってしまった。怒ったのかな?

怒ったら怖いから、イヤだなぁと思った。

そしたらゴンスケが教えてくれた。

 

「サヤカのにおいは香水って言うんだ」

「へえ、なんでくさくするの? 敵をやっつけるの?」

「まさかスカンク扱いされるとは思わなかったわ」

「スカンクってなに?」

 

サヤカは「今度はお風呂に入ってくる」と笑った。

うん、その方がいいよ。

 

すると、ケージがビー玉をとった。

 

「ダメだよ、ケージ! ボクのだよ!」

「こいつは俺が預かる。重たいだろう?」

「でも、なくなっちゃうと困るよ」

「なくしても戻ってくるらしいが、誰かに触られちゃ確かに困る」

 

ケージはニコニコしながら、ビー玉をポケットに入れた。

 

「なくさないように仕舞っとく。使うときは言え」

「でも……」

「いつか俺が死んだら、自然に戻ってくるさ」

「そうなの?」

 

するとサヤカとゴンスケが、笑いながらうなずいた。

 

「だから俺が死ぬまで、お前は俺のチカラをとって生きろ」

「でも、ケージは疲れちゃうよ」

「そしたら縁側で日向ぼっこしながら、おまえと昼寝するさ」

「うわあ、すごいや! ボク、いっぱい生きられるね」

「当たり前だ! お前は俺が死んでもずーっと生きろ」

 

ケージがいないと、さみしいなあ。

 

「そのころには、俺の子供がいるさ」

「そうなの? どこにいるの?」

「今はいないけど、そのうち生まれるよ」

「サヤカが生むの?」

 

ケージは真っ赤になってふにゃふにゃ言ってる。

サヤカは「そうかもね」と笑いながらケージを見てる。

ゴンスケはあくびしながら、「どうでもいい」って言った。

 

「あはは、ケージ、カワイイね」

 

そしたらみんながそろって、大きな声で笑った。

 

「おまえのが、百倍カワイイわ!」

 

ケージが笑って、サヤカが笑って、ゴンスケがあくびして。

 

ボクはなんだか、とてもいい気分になった。

うれしくて楽しくて、でもヒキツケないように気をつけなくちゃ。

ボクはケージに向かって言った。

 

「ねえ、ケージ。マンモスを見に行こうよ!」

 

するとケージは、ちょっと困った顔で笑ってから。

 

「そうだな。それじゃまず、このハンカチで身体をくるめ」

「なんで? 寒くないよ?」

「これから寒くなるんだよ。バイクに乗るんだから」

「うわっ! バイク! ケージえらいよ! うわ、うわうわ!」

 

ケージが「ヒキツケるぞ!」って言ってる。

でも、うれしいのは止まんないからしょーがないよ。

だって、バイクに乗るのは久しぶりだからね。

 

するとケージが、ニヤニヤしながら言った。

 

「そうだ、春菊。途中であそこに寄ろうか」

「どこ?」

「ひまわり畑」

「ひまっ、ひまわっ、ひっひっひいい!」

 

ボクはうれしくてヒクヒク。

ケージが驚いて、「やめろ、喜びすぎんな!」って怒鳴る。

するとサヤカが、ケージの頭をゴツンてやった。

 

「いっぺんに喜ばすからでしょ! 春菊ちゃん、疲れてるのに」

 

ケージがサヤカに怒られてる。

ゴンスケはこっちを見て、おおきなあくびをした。

ボクはあんまりうれしかったので。

 

ひまわりダンスを踊った。

 

 

窓から見える空が、とっても青かった。

 

 

 

 

こんなにも青い空の下で/了

 

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