独り言/2002
- 4 -


日本でのDV法に本当に意味でのケアを



人物紹介
Jack=夫
ローラ=最初のシェルターのセラピスト
アイコ=日本語のセラピスト
ローザ=サンフランシスコシェルターケースマネージャー
アン=サンフランシスコスタッフ
ジャッキー=最初のシェルターのスタッフ
ランディー=最初のシェルターのケースマネージャー
ナニ=Fの母
F&C=私がお世話になっている家の夫婦
ダン=Fの弟
アーニー=Fの兄
レイ=Rubyの旧友
キャシー=サンフランシスコ夜のスタッフ



12月5日(木)

リリーのメールにいつも心を救われる。
オンタイムで反応してくれて、その心遣いが身にしみる。
彼女は遠くから私の命を守ってくれている。
傍にいるわけではないのに、傍にいる人以上に
私を守ってくれている。
心の底から感謝している。

昨日ダンから手紙が来ていた。ローザとアンが心配して
読みたくないなら代わりに読んで内容を確認してあげようか・・・と
言ってくれた。
セラピストのローラに電話をしたということが、ダンの事を
要注意人物と言う印象を彼女達に与えてしまったようだ。
中に何が書いてあるかなど、どうでもいいと思うほど疲れてしまっていて、
知りたいとさえ思わなかったから今でもそのままにしてある。
少し落ち着いたら読んでみよう。

12月6日(金)

アンは5時までの人だ。
帰るときに今日はローラは電話を掛けられないと言っていたけど
月曜日に掛かってくるからといって帰っていった。
シェルターにいるときの週末は前の時とても苦痛だった。
話のできるスタッフがいないせいもあったと思う。
ローザもアンも週末はいない。
今は週末ここにいるわけではないことで随分と楽になっている。
それを知ってかアンが担当職員に言って片道分の電車のパスをくれた。
アンはパスをくれるときに今までどおり毎週、週末はレイの所に行く様に。
今それを止めるとまた以前の様に2度と出かけなくなるから・・・・と。
リナのこと、ダンの事、ナニの事や
スリ事件の事があったから気を使ってくれたのだと思う。
余計な事は考えないでゆっくりするようにと言って帰っていった。
アンにはよくして貰って、心から感謝している。

今日の夜のスタッフはキャシーだった。
なんだか今日はキャシーと話がしたいと思っていたから、
いいタイミングで嬉しい。
なかなか鬱から這い上がれない私にいつも優しく声を掛けてくれる。
スタッフとクライアントはあくまでもその関係を保ち、
それ以上に親しくなってはいけない事になっている。

12月7日(土)

今回の鬱は少し今までと違ってひどいような気がする。
変えてもらったお薬は私にあっているのだろうか。
睡眠薬を別に飲まないと眠れない。
眠剤を使っても物音などで簡単に目が覚めてしまう。
食欲は全く無く「何か食べなくては」と自分に言い聞かせて
やっとなんとか少し食べてはいるけど・・・・
外国で安心して暮らすことが出来ないという状況は、
今の私には負担が大きすぎるのだろうか。
感覚は少し麻痺しているような気がするけど何かがいつも
大きく私に覆い被さっている。
今日は書くのをやめよう。疲れてしまった・・・・

12月8日(日)

午後ナニからレイの家へ電話が掛かっていたのかメッセージが残っていた。
レイはすぐに掛けるようにと言ってまた出かけていってしまった。
何度か電話の送話機を取ったりボタンを押してみたりしたけど、
なぜかかけることが出来なかった。
もう少し待って欲しい!!
今日は素直に話ができそうも無い。
今は誰とも話をしたくも無い。
自分がとても悪い事をしているような気にもなる。
でもそんな思いをしている以上に今電話を掛けることが出来ない。
自分ではない自分が今ここにいる。
時間だけが流れ、夕方になっていた。
サンフランシスコまでの2時間を考えいつも5時半頃には家を出る。
そのことを知っているレイがいつのまにか帰ってきていて、
駅まで送るよとエンジンを掛けて待ってくれていた。

12月9日(月)

朝から、昨日の電話の事が、先週ダンからきていた手紙の事かもしれないと思い
読んでみた。
そしたら、またダンがAWS(アジアン ウオマンズ シェルター)を探し出し
勝手に電話して、私がそこに入るように手配をしたから電話をするようにと言って
日本女性の名前と電話番号、e-mailアドレスなどを記してきた。
私はローラにダンが電話を掛けた知ったときよりももっと驚いてしまった。

ダンは「彼女達は親切で話を良く聞いてくれた。
だからきっとRubyの事を助けてくれるだろう」とも書いてあった。
私はまた大きなショックを感じてしまい、
どうしたらあの人たちは今の私の状況を解ってくれるのだろうと・・・
どうしたらいいのか解らなくなってしまった。
自分たちはいい事をしていると信じているのだから
まさかそのことで私がこんなに苦しんでいる事など想像もしていないのだろう。
それに、AWSのChさんがこのシェルターに入るきっかけとなったのだから。
Mさんとe-mailで4ヶ月交信していて、やっと決心が付き、MさんからChさんを
紹介してもらい。話を進めてきた。
ダンは私がどれほどの努力をしてここまでたどりついたのか想像も出来ないのだろう。

私は解っている。
あの人たちがいい人である事は。
でもあの人たちが今している事は、
私の満足ではなく、自分たちの満足でしかない事には気がついていない。
どうかもう少し待ってください。
今は話をする事も辛いのです。
少しの間私のことを放って置いてください。

私は今感じている心地の悪さをアンとローザにも解って貰えるかと
話をした。
彼女達の返事は私には意外な返事だった。
「ラブレターでなくて良かったじゃない」
「・・・・・・・・・・・・・」私は何も言えなくなってしまった。

シルビアが「電話が掛かっている」と呼びに来てくれた。
一瞬ドキンとしたけど「女性から」と言ったときローラだと思い、
「ハローローラ」と待っていたとばかりに電話に出たらナニからだった。
ナニは「私よ」と言ってクリスマスに朝から迎えに行くからと言い出した。
私はこの事を今まで何度も断ってきた。
彼女の家族のクリスマスパーティーには私は参加できない。
ナニには逢いたいし、話もしたい。
でもFとはなるだけ顔を合わせたくない。
無理して挨拶したり笑顔を振り撒いたり、今の私には重すぎてとても出来ない。
その理由をナニは知らない。
ナニが私のことを心配しているように、家族の誰もが同じく
私のことを心配しているものだと信じているのだろう。
そしてアパートを借りてあげるから自由になりなさいとも言った。
この申し出は最初にシェルターにいたときのC&F夫婦の言葉と同じだ。
シェルターよりも家に来た方がきっと早く元気になるから・・・・・と。

折角の好意にこんな態度しか取れないことを心苦しくも思う。
でももう少し待って欲しい。
もう少し時間が欲しい。
きっといつかは元気になれるはずだから・・・・
少し話をしているうちにいきなりナニがダンと代わった。
声が変わった途端に私は思わず電話を切ってしまっていた。
どうしてだか良くは解らない。
今週もまた這い上がる事が出来ないで辛い日々を送るのだろうか・・・・

12月10日(火)

今日はアイ子さんのセラピーの日だ。
9時にアンと出かけた。
バスを待っている間アンが昨日の手紙の事を言い出した。
「彼はRubyの事を心配しているのよ」
私は何も言わなかった。

いつもは私とアイ子さんの二人で話をする。
でも最近の私の症状や、プログラムの終了の近いことで
三人で話をすることになった。
アンとアイ子さんは連絡をとっているらしく
私の先週からの様子はアイ子さんは承知している様だった。
でも昨日の手紙を読んだ件はしらなかった様で
アイ子さんはその事でどれほど私に負担が掛かったのかを
驚きを隠せないほどあらわにした。

私は自分がおかしいのかもしれないと迷ってしまったほどだったけど、
ヤッパリ今の私に負担が掛かる事の方が自然な流れであるとアイ子さんに
言われ安心した。
そしてその話をアンにもしてくれた。
勿論日本とアメリカのカルチャーの差もあるだろう。
でも人の理解の仕方にこれほどの差があるとは驚き以外のなにをもない。
私にとってはあの手紙の内容はラブレターであるよりも、
もっと強力で威圧的に感じられた。
なぜあなたが私の了承も得ないで、そこまでの事ができるの?
なぜあなたが私の行き先を決めなければいけないの?と・・・・

以前ナニに「ダンの事は嫌いか」と聞かれたことがあった。
私は意味もなく「そんな事は無いよ」と答えた。
そしたら今度は「レイは恋人なのか、いつか結婚するのか」と聞いてきたから
恋人ではないし、将来的に私とレイが結婚する事など間違ってもない。
まして私はまだ離婚も成立していないのだから。」といって話した事があった。
このことは私にとって普通の話で、ダンの事を好きだと言った訳ではない。
ダンに対しても友達以上の話をした事はない。

ナニがダンの事を心配して、大好きな私と大好きな孝行息子が結婚する事を
勝手に願っているのか、
それとも息子の思いを知って手助けしようとしているのか、
それは解らないけど
私の心をよそに勝手に私の人生を決めないで欲しい。

でも今日は私の感じ方が変ではなかった事を確認する事が出来て
少し安心できた。
心が弱っている事も実感しているし、鬱が強く出ている事も解っている。
以前の私なら簡単に笑って流せる事であっても、
今の私には難しい。

12月11日(水)

今日もまたナニとダンからそれぞれ郵便が届いていた。
ナニのクリスマスカードの中には別の便箋でダンがまたAWSの事を、
しつこく書いてきていて、まさかナニからのカードの中に、ダンの手紙が
入っているなんて思わないから、開けて読んでしまった。
ダンの方からの郵便はPostCardで封書だったら
私が開けなくて読んでくれないかもしれないと思ったのだろう、
また別のインフォメーションを書いてきた。
「のびる会」と言って、私は2000年にこちらに来た時に
アメリカに来た事で夫の助けを得ることができず、
日本領事館に電話を掛け、手続きに付いていろいろと相談していて
その時に日本領事館の職員の人から「のびる会」を教えてもらい
届に関する法的なことの説明書などを送ってもらったりして、
利用もしてきた。

ただその時の電話の事で夫に日本領事館や「のびる会」に掛けた事を
「内緒で恋人と電話をしている」などと言われ、
電話を取り上げられてしまったと言う、
あまり思い出したくない出来事があり、
今ではほとんど思い出さなくなっていたけど、
なんだかとても、また嫌な思いをしてしまっている。

その上また、その「のびる会」の人たちと話をしたと書いてある。
私のことを相談し、いつでも電話を掛けられるようにしてある・・・・
とまで書いてあった。
きっといろんな相談に乗ってくれるはずだから・・・・と。

のびる会は確かに色んな相談には乗ってくれるけど
今回の私のような人を抱えるような組織ではない。
新しく移民してきた日本人が日常の事で困った場合の助け、
例えば弁護士が必要ならその事を教えてくれるとか、
「こういう場合にはどうしたらいいのか」などの
アメリカ生活におけるknow howを教えてくれるところで
既にアメリカ生活をしている人たちのボランティアと寄付でで成り立っている
慈善団体だと思う。
書類を送ってもらったときに寄付の事などが書いてある書面も同封されていた。
(「のびる会」さん。もしこの解釈が間違えていたらごめんなさい。)

いったいどこまで、関係のない人たちにまで私のことを宣伝しなければ
ならないのだ。
自分が何をしているのか解っているのだろうか。
もう私の手におえない世界の人たちなのだと思う。

セラピストのアイ子さんが先回これ以上しつこく行動するようなら
ストーカー行為ですからね。と言っていた。
私はその時「まさか」と思っていたけど・・・・・・・
夫のことも初めは自分がまさかDVの被害者だなんて・・・・と
思っていたら、超特級の???被害者だった・・・・・

なんともやるせない、せつない思いがする。
解決する方法は・・・・・・・どうすればいいのだろう。
give up ?????!!"!"!!
我慢して黙っているくらいでおさまる事ではなさそうだ。
このままお手上げ状態では済まされない・・・・・
アイ子さんは書面で報せる事をしたほうがいいとは言っていたけど・・・・・

12月12日(木)

ナニから電話があり、またダンと代わってしまい、その前に
電話を切らないで話をするようになどと言われてしまった。
今日はこの前の時の様に瞬間的にどうしたらいいのかわからず
きってしまうようなことはしなかったけど、
「話しをする気分ではないから」と言うことを伝えて電話を切ってしまった。

自分を一生懸命守ろうとしているけど、守れているとは思えない。
どうしたらいいのだろう。

12月13日(金)

今日はレイの所へ行った。
と言うのは2週間前に映画「ソラリス」を見に行った時に
12月13日公開「スタートレック」の予告編を見て、
私が「見たい」と言ったものだから
「もし雨が降ったら見に行く事にしよう」
と言っていたら、今週はなんだかずっと雨で水・木の昼間と中休みして
木曜の夜からずっと雨が降りつづけている。

こちらでは雨が降っても傘をさしている人をあまり見ない。
フードつきのパーカーやレインコートを着て、そのまま歩いている。
私は別にその真似をしている訳ではないけど、持ってきた荷物の中には
傘が入っていなくナイキのパーカーを着てジーンズにスニーカーという
日本ではまず、する事の無い男の子のような格好で出かけた。
でも、こうして雨に日に出かけることも、これから先
そうあるとは思えない。
ヤッパリ私には傘は必要なさそうだ。
荷物の中からわざわざ探し出す事もないだろう。

初めてウイークデイに電車に乗ってみて、人が多いのにも驚いた。
(私の住んでいた日本での東京や横浜とは比べる事は出来ないけど)
週末はいつも電車が、がらがらで座る所はどこにでもある。

そんな中で今日は電車を乗り間違えて、乗り換えたりしていつもより、
20分ほど余計時間が掛かってしまった。
でもこちらの電車は日本の東京駅や横浜駅の様に複雑ではなく、
4線しかないから簡単だ。
ピッツバーグ行きではなくダブリン行きへ乗ってしまったようで、
景色が違う事に気が付いてすぐ降り、乗換えの出来る所まで
引き返した。
次の電車が来るまでの間に、迎えに来てもらう時間の変更をして
乗る予定だった電車の次の電車に乗った事になる。
どの電車も20分ごとに動いている。
遠くまで行く時には便利でいい。

映画はとても面白かった。それに予告編のどれもが面白そうで
毎週行く事になるかも知れない????
ストレスの多い生活の中でのストレスを忘れて楽しめる
唯一の方法???かも・・・・
大好きなコンサートの時よりも、映画のほうが確かに気は楽だ。
かといって一人で行く気にはなれないから、連れて行ってくれるレイには感謝!!

ひどかった鬱が少しはいいような気がするもの。
お薬が効き出しているのだろうか。
使い出して身体になじむまで人によっては2週間から4週間くらいと
Drは言っていた。
この調子で快復に向かって欲しい。
もう昨日までのような思いをするのは嫌だ!!
とはいっても・・・・・・

映画を見て楽しかった事だけ・・・・今日はこれだけでいい。
もう余計な事は考えないでいよう。

天気予報では明日の土曜日がもっともひどく、日曜日も雨模様だと言っていた。
もしかしたら今日行ったから、今週はもう行かないでいようかな〜・・・・・

12月14日(土)

今日もひどい雨が降っている。風も相当強い。
いくら雨が好きだといっても、これでは出かける気にはならない。
こうしてPCをしながら窓の外の様子を見ているほうが、
今の私には似合っている。
雨の日に眺める外の景色は好きだ。
サンフランシスコは、町並みがきれいで、ビクトリア調の家々が
雨でもお天気でもその風格を保って、楽しましてくれる。

日本でも雨に日には窓からの景色を楽しんでいた。

日本は寒いとのメールが入っていた。
新聞にも雪の中を通勤している人の写真が載っていた。
寒いのが苦手な私は、サンフランシスコの冬がありがたい。
何でもいいから少しでもいいと感じることだけを考えるようにしている。
本来の私が自然とそうであったように・・・・・・
時には苦痛を伴う事もあるけど・・・・その努力を怠ると
今では大きなストレスになって自分の身に降りかかる。

12月15日(日)

リリーから香りの贈り物が届いた。
傍にいて話をしたりマッサージをしたり出来ないから・・・との
心遣いからだ。
本当に心からわたくしの身を案じ、
心からのいたわりと、心からの慈愛で私の命を守ろうとしてくれている。

早速、どれをどの様に使えば、今の自分に助けになるか
知っていることから試してみて、
今はとてもリラックスした気持ちでこのPCに向かっている。

私は夫との孤立した生活の中でも、夫の家族や夫の友人に
香りの贈り物をしてきた。
今回リリーが送ってくれたような、立派なものは持っていなかったけど、
時折お買い物などに行く機会があったときには、
必ず、その時に手に入る香りのエッセンシャルオイルなどを購入し、
毛糸でイチゴを作ったり、布でほおずきを作ったりと、
貰ってくれた人が喜んでくれる事が嬉しく、自分は作る事を楽しんでいた。

人が最も喜んでくれる香りは、ラベンダーとローズだという事も
色んな香り玉を作っての結果知った事だ。

確かに私もこれらの香りが大好きだ。
でもなんといっても「匂いスミレ」が一番好きで
何と今回リリーはその事を覚えていてスミレのエッセンシャルオイルも
入れてくれていた。
そのこまやかな心遣いに今更ながら感謝せずに入られない。

私は日本にいた頃ハーブのセミナーをしていた。
自分で育てたハーブを、どの様に生活に取り入れて役だてるか等の話を
自分のコンサートの後にハーブティーや、ハーブサラダ、ハーブクッキーなどを
紹介しながら人々と語りながら時を過ごしてきた。

勿論私の作った曲はヒーリングミュージックで
人々の心も身体もリラックスして癒されていたらしい。
来てくださった方々がそう言ってくださっていたし、
そう言ってお礼状をたくさん頂いた。
自作の詩など朗読していて、その詩を欲しいといわれる事も多くなり、
詩集やエッセイなどの本も作った。

わたくし自身は当時、人を癒していたなどと言うおごりはなかった。
ただ自分の好きなことをしていただけに過ぎず、
共感してくださる方々と楽しい時間を共有できる事に
喜びを感じ、その事がさらに次の曲へ、次のコンサートへと
意欲を沸き立たせていた。

今思えば何ときらびやかな時を過ごしていたのだろう。
今の私とは大きく違って、とてもまぶしく感じてしまう。

今の私は作曲や演奏はおろか、詩を作る事も、絵を描く事も
そのイマジネーションさえも脳裏をかすめる事もない・・・・・
人に怯え、小さくなって隠れるように暮らしている・・・・・・

あの溢れるほどの感性はどこへ行ってしまったのだろうか。

リリーが心をこめて、
パニックアタックや不眠対策にとの思いで、送ってくれた
カモミール、プチグレン、ラベンダー、ローズなど
有効に使いながら、これから自分で自分を癒し、
少しでも気持ちよく過ごせる日々が多くなるようにならなければ・・・・

リリーや、M子、Mチャン、Fチャン、ベラ、Mrs塩原、トオルクン、Oさん、Mさん
など心からわたくしの快復を願ってくれている。

Tちゃんは、私がサバイバーになったことで知り合った人だけど、
そのほかの人は皆私のしてきたことを知っているし、
いつも応援してくれていた。

そして、Tチャン、Mさんを知ることがなかったら、
今の私はなかったかもしれない。
あの頃は(去年の今ごろ)わたくしの事を知っているリリーとベラ以外には
誰にも何も知らせてはいなかった。

今わたくしを励まして下さっている方々への恩返しの為にも、
幸せを感じるセロトニンをうまく引き出す事ができますように!!

いつの日にか、もしかしたらまた作曲する気持ちが起きてくるかもしれない・・・
いつの日にか、もしかしたら詩の朗読をする事もあるかもしれない・・・・

自分の心に自分で言い聞かせながら、遠くから応援してくれる友達に
少しでも答えてみたい。

12月16日(月)

ティナとシルビアが延期を許される事なく次のシェルターへと移っていった。
私たちは、今朝の今朝まで本人達同様、今日ここを
出て行かなければならなくなる事など想像もしていなかった。

8週間のプログラムである事は充分承知している。
でもその時の状況に応じて2週間の延期があり、
わたくしなど前の時にそうして延期して長いこと居たのだから、
日曜日の夜のミーティングの時など「今日は週末でスタッフがいないけど、
明日延期の手続きがあるのじゃない?」と言って話していた。

私は用事で外出していて、帰ってきたら、
私の帰りを待ち構えていたクリスが、泣きながら私の部屋に入ってきた。
突然の事で何があったのか理解が出来ず、とにかくクリスの話を聞いたら、
「ティナとシルビア、5人の子供達はもうここにはいない、
Rubyにサヨナラがいえなくて残念だと言っていた」と
話をしてくれた。
クリスが泣いているのが良く解るほど、私にもこの急な移動がショックだった。

私は自分が当然の様に延期を認められ、ここにまた再入所したのだけど、
この再入所のことにしても、前に私がリナの事でパニックアタックになった時に
ローザとアンが並々ならぬ努力をして
私がもどって来れるようにしてくれた事を知る機会があった。

「リナが誤りたいと言っているから話をしてくれ」といってきた時に
私が「誤りたいと思っている気持ちがある事が解ったからそれでいい」と
言ったときに、「それでは困る。」と言って、
「私達はこんなにしてRubyの為に一生懸命なのだから、私達の頼みも聞いてくれ」
という事だった。
この一生懸命云々が、私の再入所のことで、
シェルターにいてハウスの空がなかった場合に、
次のシェルターを紹介する事はあっても、同じシェルターに戻ってくるという
前例はどうやらなかったらしく、そのハードルはかなり高かったらしい。
それをローザとアンの二人で会議に何度もかけて、そうできる事を勝ち取った。
ということだった様で、その時に始めて知らされた。
そう言うことを言われてしまうと、申し訳ないという思いと、
リナと顔を合わせなくてはならないと言う思いで少し複雑な気持ちはしたけど
結局顔を合わせて話をする事にはなってしまった。

当時の日記にも書いたけど、リナは確かに謝ったけど「私は仕事をしていた」と
謝っただけではなく言った。
これではバタラーの言っている「酒に酔っていたから」などと同じではないかと
思ってしまったのが私の感情だった。
「あなたを傷つけて悪かった」と言ってそこに「でも私は仕事中だった」と言うことを
言わなかったら、きっと私の受け方は違っていただろうと思われる。

あの時に私の再入所に際しての彼女達の努力に対しては、
本当に感謝している。

話を戻すと
あの時確かに私はFから被害を受けていたのだけど、
もともと夫からの被害があったから、特例としてこのシェルターに
戻れるようになったという事で、
DVシェルターの本来の目的は「親密な間柄での命の危険性のあるDV被害者」を
保護する機関である。
Fからの被害の事だけを考えると
当然私とFは「親密な間柄」ではないのだから、
このシェルターの主旨とは違ってくる。

夫からの被害により、心療内科に通院しながらの、次のハウスの空が無かった為に
ハウスが空くまでの仮の対処の方法として、とった対策のその途中に起きた
出来事というのがFによるEmotional abuseなのだ。
確かに自分の心が病んでいた時だけに、当時はその家の中にいるだけで、
息も出来ないほど息苦しく感じ、辛かった。

あまり人を嫌ったり、憎んだりすることの出来ない私だけど、
夫のときは夫だけの事を誰もが言うように悪い思えばそれで納得が出来た。
夫は確実に私に精神的なダメージを与え、脅してきた。
夫は確実に「精神的な虐待」という言葉の暴力を選んで私を傷つけてきた。
銃を使って私を怯えさせ確実に支配していた。

人が、社会がそれを認め、私に援助の手を差し伸べてくれた。
その、暖かいと思った人、行き先のなくなった私に、さらに暖かく
受け入れて、「どうか私達の家で気兼ねなく過ごしてください」と
喜んで迎え入れてくれたはずの人達からの、いられなくなるような
ひどいしうちで、私は本当にこの世の中のどこにもいられなくなったような
厭世観に心はスッカリひしがれていた。

このときの思いは今でも大きく私に覆い被さっている。
夫というたった一人を「悪い」と思ってこの世の中を見ているのと違って
いわゆる善良な市民である人たちのことをも「もしかしたらこの人も」
と思ってしまうこともあるほど人を恐れている。

自分でこれを実感するのは、今ではたった一人の身近にいる友達レイにさえ
感じる事があり、心の中で申し訳ないと思うことがあるほどだ。

昨日のティナやシルビアの事を思うと不安になり、
ゆうべレイに電話をかけて話をした。
レイは「そんなこと心配しなくても、ハウスが開くまで家にいればいいよ」と
言ってくれるのだけど、できることならそうはしたくないと言う思いのほうが
どうしても強い。
もうこれ以上友達を無くしたくはないし、ダンやナニたちとは違って
レイとは安心して話のできる唯一の人で
十数年以上もの長い歴史を持っているアメリカでの最初の
お友達なのだから。
間違えてもダンの様に勘違いして「自分の事を好きなのではないか」と
余計な事を言ってくる事もない。
確かに私達はお互いにお互いの事が大好きだ。
この思いは昔も今も変わりはしない。
多分どんな事があっても好きでいられる人なのだろう。
何と言って表現したらいいのか解らないけど「家族のような」とでも
言えばいいのだろうか・・・・・
適当な言葉は見つからないけど自然体でいられる人・・・・なのだ。

少し話がそれてしまったけど、先回、今回と長いことシェルターで生活してみて
確かに私は優遇されているような気がする。
レイが言っていた「今のRubyに何人の人たちが関わっているか」って・・・・
確かに関わってくれているい援助者は他のクライアントの2倍以上???
医者、弁護士二人、セラピスト二人(英語・日本語)、ケースマネージャーなど。

ここに来るクライアントでケースマネージャー以外は
弁護士も医者もいらない人もいたり、身体が悪く医者が必要な人は
時々いる様だけど、結婚していなくて子供がいたりということが多く
離婚の必要のない人たちもたくさんいる。

多分私はDVシェルターのフルコースをたどっているのだろう???
でもそれも裏を返せば「重症クライアント???だからだ」って・・・・・???

12月17日(火)

今日はアイ子さんのセラピーの日。
初めて一人で出かけた。
アンは病気で昨日は休み、今日は午後から来る事になっている。
アポイントメントはいつもの様に10時で、
9時にはシェルターを出なければならない。
これは私のためにはいいきっかけになった。
ローザは「お友達の家の様に、あんなに遠い所までいけるのだから
大丈夫よ」と言って出かけるときバス停まで一緒に行ってくれた。
22系統のバスに乗り、日本町のあるGearyで38系統のバスに乗り換える。
ここを出てから着くまでの所要時間は約1時間。

前にGearyから乗り換えて弁護士事務所に行く時にスリの被害にあったから
あそこからバスに乗るのがどうも怖い。
今はあの時と同じ格好は絶対しないし、もうその時の服もバッグも持っていない。
ただ乗り換え場所は同じだけど、弁護士事務所に行くのと
診療所に行くのでは方向が逆だから、その事が少しだけ助けになっている。
こんな小さな事で不安になるのだから、心が病んでいることが
自分でも解る・・・・・・

今日はセラピー以外に書類作成があった。
弁護士からDrHeldmanとアイ子さんに書類の提出依頼があったそうだ。
そこに私が「承諾します」と言うサインをしなければ
医者の守秘義務に違反するからという事らしい。

今回は書類が確実に整ってきている。
離婚が現実のものとなって近づいてきている。

それと次のハウスの為に私はある検査をしなければならないらしい。
それは結核の検査のようだ。
その相談をローザやアンとするようにとアイ子さんに言われた。
今日の様子では年明けには次の所に移るような感じだ。

そしてもう一つ、楽しいホリデーシーズンの今、余計な事で心を
煩わさせたくないと言う話をした。
なんだかんだと手紙が来たり電話が掛かったりして
また落ち込んだりしないようにしたいと思っていることを
話したらアイ子さんから、ダンにははっきり手紙で
知らせたらどうですか?と言われて、
私もそう思うということを伝え、早速今日実行する事にした。
この編集作業が終わったらダンとナニに手紙を書こう。

今日は自分の事を、随分と建設的にとらえ、
計画を立てることが出来たような気がする。

本来ならこれらの事は当然の様に自分で考え実行してきたことだと思うけど、
病んだ心は決心する事にも自分に対する自信のなさというか
不安を伴い、自分で自分の心を痛めてしまう。

でも今日のこの決心は揺るぐ事はなく実行される。
やはりここでも人の助けがあり、
今の私があることを認識せざるを得なくなってしまう。
アメリカの福祉には感謝しなければ・・・・・・

12月18日(水)

午後4時の予約でツベルクリンの検査へ。
行く時は私とアンをリナが運転して送ってくれた。
診療所へは3時45分には着いてしまい、
4時までがランチタイムらしく、その間に書類作成をして待っていた。
DrBerkerという若い女医さんで、
色んな問診と血圧、身長、体重などの測定と、
ツベルクリンの注射などをして約1時間かってしまった。

問診の途中の質問にエイズの検査とC型肝炎の検査の話も出たけど、
エイズの心配が無いことと、8月にC型肝炎の検査をして陰性だった事を伝えた。
あの頃はC&F夫婦の事でとても心を痛めていて、
日記には書いていなかったかもしれない。

レイのアドバイスで検査をしたのだ。
夫が昔ドラッグをやっていた時期があった事。
夫の付き合っていた女性のほとんどが、
ドラッグの常習者であった事などのことを踏まえ
「私自身にC型肝炎の可能性が無いともいえないから、
検査をしたほうがいいかもしれない」と教えてくれた事があった。

その頃はローラの所に行く時はまだCに送ってもらっていたのだけど、
ローラの行き届いた計らいで、C夫婦には何も知らせることなく
検査を受け、結果を知ることが出来た。
別に隠す事ではなかったけど、
それまでの様に心置きなく話ができるような
雰囲気はなくなってしまっていたから、
あえて報せる事が出来なくなってしまっていた。

と、いうことでC型肝炎の検査は済ませていることや
入管の手続きの時に検査の全てをして書類を出さなくては
ならなかったことなども伝え、作業は終わった。

私が今度行く所はシェルターではなく、
カウンセラーが常駐している所へ入ることになったようだ。
私にはまだまだ援助の手が必要で、次のシェルターや、
ハウスでの生活は到底無理だと判断されてしまったらしい。

そう言うことで、私の行き先は別の所になってしまった。
今日の検査もその為だった。

シェルターに入るためには検査はいらない。

ハウスという所は公にはされていないけど、
普通に仕事に行きながら暮らしていける。
自分の居場所さえ知らせなければ、友達に逢いに行ったり、
仕事に行ったり、普通に暮らしていける。
そしてその期間もハウスによって多少の違いはあるようだけど、
1年とか2年とか長く居ることができる。
その間に生活設計を立て独立して行くステップハウスだ。
シェルターよりは決まりなどももう少し緩やかなように聞いている。
そのハウスに入るのはもう少し先になってしまったという事になる。

2週間カウンセリングを受けながら、
次に行く施設は私にとってどこがいいのかと言う事など
一緒に相談に乗ってくれるらしい。

そう言うことを昨日アイ子さんが言っていた。
いずれにしても移動という事になるとまたまた不安が襲ってくる。
まして2週間したらまたそこを出なければならないのだから・・・・

不安に思うことをアンに話したら、
「ここにいるよりは安心なはずだ」と言っていた。
「なぜなら常駐している人はアイ子のように専門家ばかりだから」と・・・・

今週中にはもう少しはっきりした事が解ると思う。
今の私にもこれだけの事しか解らない。

外に出たらもう外は暗くなりかかっていて、
サンフランシスコのダウンタウン、
マーケットストリートには大きな満月が浮かんでいた。

私は思わず「今日は満月だ」と叫んでしまった。
アンは「ホントだね〜」と言って月のほうに向いた。
アンの目には満月がどのくらい見えるのだろうか・・・・・
でも私には解る、アンにはこの満月をはっきり感じられる
目があることを・・・・・・
彼女の生き方を見ているとハンディキャップがあることなど
忘れてしまう。
彼女のお腹の中には二人目の新しい命が息づいている事を
随分前に二人でGAに行った時に話してくれた。
スタッフは知っているけど、クライアントは誰も知らない。

聞いたその日の内に毛糸でイチゴの香り玉を作ってプレゼントした。
本来スタッフとクライアントでものを貰ったりあげたりという事を
してはいけないことになっている。
でもここには私が作った折鶴がペンダントライトにたくさん吊るしてあるし
香り玉も壁にピンで留めてある。
アンは今までに色んなものを内緒で用意してくれた。
ローザもそうだ。

私にはアンの事も忘れる事の出来ない人となってしまっている。

帰りはアンとバスに乗って帰ってきた。

クライアントのためのフォーンブースがある。
いつも誰かが電話を取っているから、
私はほとんど取った事が無い。
7時半頃電話がなった。
なぜかその時丁度そこを通りかかった。
ヨヤンダが廊下の向こうの方にいて、
私がフォーンブースの前に居る事を認めてしまい、
私に「電話に出て」と言った。
彼女は新しいクライアントで、私がほとんど電話に出ない事など
知らないから、普通の事の様に言った。
ダンとナニの事がふっと頭をかすめた。「もしかしたら」と・・・
もし彼らだったらどうしよう・・・・・
でも「まさかそんな偶然は無いよね」と思いながらブースのドアを開けた。
前の電話の時あれだけはっきり、電話を掛けてくれるなという事を
伝えたのだから、しばらくは掛かる事も無いだろうと思っていた。

電話に出たらナニだった。傍にダンがいるような様子もわかった。
相変わらず「いつ離婚ができる、クリスマスの準備が出来ているし、
迎えに行くから来るように、アパートはどうなった。
持っているグリーンカードは今のままでも有効か。」・・・・etcなど
毎回同じ事を聞いてくる。
そして私の答えも毎回同じなのだ。
確かに少しずつ動いてはいるけど、今の時点では何も結果が出ていない。
そして答える意志をも無くしてしまうような的外れな質問にも、
折角調子が良くなってきていた様に思うのだけど、
何とも言い様の無い不機嫌な思いが一気に溢れてきて、
なんだかとても疲れてしまい、やっとの思いで
声を荒げる事も無く、相手を傷つけないように
受け答えをしている自分がいる。

またここでもやはり受け止めている私が居る。

「クリスマスプレゼントも用意してあるから」とまた言った。
私は「とてもありがたいけど、今の私には何もいらない」と答えた。
そしたら「自分の部屋があるだろう。鍵はあるのだろう」
と言って来る。
勿論自分の部屋もあるし、鍵もついている。
でもここは私の部屋ではなく、仮の住まいなのだから。
ホームレスとして今、生きているのだから・・・・・
それに何より、今は本当に何もして欲しくない。
とにかくそっとしておいて欲しい。
既に日本のお友達みんなからのプレゼントで
もう充分にクリスマス気分は味わった。
逢いたくないのだから、受け取れる訳もない。
今までの事だけで充分だから。
昨日書きだした手紙もまだ書き終えてはいない。
なるだけひどい言い方にならないように、
そしてはっきり解ってもらえるようにと工夫して書いている。

日本語でなら、いくらでも配慮しながら書くことができるけど、
英語で書くことに、本来、私が報せたい事のニュアンスを
どう書けば一番解って貰えるかと、考えたりしている。
今しているこの事さえも放棄したいと思うほどで、
でも、これをしなかったら、あの人たちはいつまでたっても
私に気持ちなど解ってはくれない。
まさか今日、電話が掛かるとは思ってはいなかった。
きっといつかは笑いながら話せる時がくるかもしれない。
それまでそっとしておいてほしい。
その時は連絡できるかもしれない・・・・から・・・・

少し良くなっていた思いがしぼんでしまった。
そのことを知ったアンが「明日は絶対手紙を出してしまおう。
余計な事は考えないで、レイと行く映画やコンサートの事でも
考えていなさい」等と励ましてくれた。

こうして何かにつけレイの名前が出てくると、
なぜか人がレイの事を恋人か何かと勘違いしてしまいそうだけど、
現実問題、アンも誰かの名前を使いたくても、私の知っている人が
夫とその家族、レイ、ナニ家族しか知らないのだから、
レイのことを話すしか無いのだ。
本当に大きなアメリカの小さな世界で生きている。

12月19日(木)

フードスタンプを受け取るためと、GAからのチェックを
現金に換えるためにマネーマートに行かなくてはならないのだけど、
未だに行っていない。
GAからのチェックは、おとといスタッフのジョーが持ってきてくれた。
でもチェックだと思っていなかったから、そのままにしてあった。
今朝ジョーが、チェックはもう取り替えてきたの?と聞いてきた。
毎日色んなアポイントメントで出かけている事を知っているから、
ついでに現金にもう換えて来たのかと思って、聞いてきたのだと思う。
それにスリ事件の事があったから、用心するように言いたかったのだろう。

私の場合毎月7日を過ぎたら受け取れる事になっている。
多分混雑を避けるために日にちを分けてあるのだろう。
この間からローザがチェックが来たら「行かなくてはね」とは
言ってくれていたからチェックが来た事を話した。
でも今日は彼女にはもう時間が無いたみたいで、
リナか誰かに行ってもらう様に頼むと言い出したから、
私は練習の為にアクセスを聞いて行って見ようかと思った。
ローザは月曜日から木曜日までの人で、時間も夕方4時までの人だ。
明日は来ない。

夕方クライアントのクリスと一緒に行く事になった。
クリスが私を連れて行ってくれると申し出てくれたのだ。

私がクライアントと出かけた事が無いことを知っているアンは
「今日、チェックは現金に換えないで、フードスタンプだけにしてね」
と言いに来た。
クリスを悪い人だと思って言っているのでは無いのだろうけど、
とにかくスタッフと一緒ではないのだから、それはしないで欲しいと
言われてしまった。
私はクリスが一緒に行ってくれるのなら、
未だに行けないままになっている、バンクカードの再発行の手続きも
したいと思ってしまったほどだった。

アンは私が、明日午後2時、スーとツベルクリンの結果を知るために
診療所へ行く事になっているから
その時に行ってくるようにと言っている。
別に急ぎ必要な訳ではないのだから、それでいいとは思った。

夕方3時半ごろクリスと私は最寄のマネーマートへ行くために出かけた。
バスへ乗り10分ほどで着き、私が手続きに行く間クリスは近くのカフェで
待つ事になった。
マネーマートへ行ったら、「コンピューターが動かないから今は
フードスタンプが出せない」と、言われて
他のマネーマートへ行く様に促された。

私は今までいつもローザに連れてきてもらっていたから、
ここ以外のマネーマートを全く知らない。
サンフランシスコの市内に4箇所のマネーマートがあるようだ。
(もっとあるのかどうかは解らないけど、貰った書類には
4箇所のアドレスが載っている)
カフェに戻ってクリスにその話をしたら、「じゃこれから行こう」
と言ってくれた。もう4時10分になっている。
5時までだとクリスがいい、間に合うからと飲みかかっていた
コーヒーを私たちは持って外へ出た。

私にはここからどうやっていけばいいのかさっぱり解らない。
クリスは次の行動の為のバス停へ向かい、途中でまた違うバスに乗り換え
次のマネーマートへは5時10分前に着いた。
私の前に数人の人がいて、私の後にも数人の人が来た。
人々がなにやらゴタゴタ言っている。
そしたらここでもコンピューターが動かないと言って、
待っている人たちが職員と話をしていた。
口の立つクリスは、そこでも今来たばかりなのに
みんなの代わりに言わなくてはならない事を、一気にまくし立て、
結局それはフードスタンプを受け取る作業にはつながらなかったけど、
来ていた人たちの気持ちを、少しは和ませて、私たちはその場を去った。
今の私にフードスタンプは、それほど必要なものではないけど、
他の人にとっては、きっと大切なものに違いない。

週末の早朝にレイの所へ行く時、バートステーションに向かう途中で、
路上に寝ている人や、人の捨てた食べ物をさぐっている人など、
見かけることがある。
サンフランシスコでは、どこの大都市もがそうであるように
お金持ちと貧乏人が雑居している。
同じホームレスでも、本当の?ホームレスの人たちから見ると、
きっと私たちはホームレスではないのだろう。
毎日食べきれないほどの食品がシェルターには溢れている。
私などはあまり食欲のあるほうではないから料理をする事など
ほとんど無いけど、子供を連れて入っている人は、子供の為に 
色んな献立を考え作っている。
デザートのためのケーキやアイスクリーム、果物、
そして、ジュースにスナック菓子など、無いものは無い??
ただ、和食を作ろうと思うと少し無理はある。
でも私はお味噌、鰹節、焼き海苔、わかめ、梅干は持っている。
レイとTちゃんからの差し入れだ。

居住空間は冷暖房も完全で、温かいお湯もふんだんに出る。
荷物も持たずに出てきた人の為の衣類や、日用雑貨と
何でも用意されていて、不自由なく生活ができる。
勿論お薬や化粧品なども心配する事は無い。
幸いにも私はたくさんの衣類を持っているし、
こちらの人と比べると細くて小さいから、靴も衣類も合う物は少ない。
日本では決して小さい方ではなかった。小さいCと並んで写真をとると
頭一つ違う。AWSのChさんも小さいし、私はこちらであった日本人は
誰も私より大きい人はいない。
ここで今まで逢ったアジア人も、皆私より小さい。
確実に中年太りして以前よりお腹が醜く?なっている事は
自分が一番よく知っているのだけど、外目にはそのお腹が見えない?らしく、
誰もが私のことを「痩せている」という。
シェルターにいるときにスパッツと半そでTシャツで過ごしているから
そう見えるのだろうか。

マネーマートを出た5時はもう真っ暗だ。
ここからどうやって帰るのだろうと思っていたらクリスが、
ディナーに行こうと言い出した。
私は今日、クリスと食べようと思って夕食の下ごしらえをして来ていた。
お魚をホイル焼きするように、レモンペッパーをふりかけ、
ディル、オレンジスライスなどをお腹の部分に詰め込んで冷蔵庫に入れてある。
そのことを伝えたら、それでも「折角サンフランシスコのダウンタウンにいるのに
家に帰って料理する事など無い」と言ってどこかへ行きたそうにしている。
帰らなくなった私たちは街を楽しみながら歩いた。
レイやスタッフ以外の人と、こうして夜に歩くのは初めてだ。
来週クリスマスという事で人出も多い。
あちこちとクリスマスの飾り付けがしてあり、賑やかだ。
でも街の飾りつけの事だけで言うと
日本のほうが派手な気がする・・・・な〜・・・

私たちはクリスの希望で中華料理店に入った。
こちらの多くの人がメキシカンフードを好んで食べる。
日本食に関しては私の知っている限りで、食べている人は今まで二人しか知らない。
今と違って昔たくさんのお友達がいた頃から
現在に至るまでの知り合いでということだけど。

私たちはエビの料理、ビーフの料理と餃子をオーダーしたけど、
結局食べてしまう事が出来ずに、詰めて貰って持って帰る事にした。
私は日本で、ほとんど中華料理を食べる事が無い。
脂っこいものが苦手だから、和食であるてんぷらも食べない。
さっきシェルターでは和食を作る事が難しいと書いたけど、
シェルターにいて、私が何か作ることがある場合に
何を作るかといえば、ほうれん草を茹でておかかとしょうゆをかけて食べるとか、
お豆腐をあんかけにして食べるとか、いたってシンプルなものを食べている。
こういうアッサリ味が好きな私には中華料理は重すぎて食べにくい。
でもこういう時間を持てた事が嬉しく充分に楽しんだ。

帰りにケーブルカーに乗ってインバーカーデロまで行き電車に乗り、
バスに乗り換えシェルターに着いたら7時半になっていた。
クリスは「明日またマネーバンクに行って見よう」と言って
自分の部屋に入っていった。
クリスのお陰で少しずつ自分を取り戻しているような気になったのだけど、
これはただの錯覚かな〜

12月20日(金)

午後2時ごろ、スタッフのスーとツベルクリン検査の
結果を調べるためにこの間行った診療所へ。
そしたらサンフランシスコ総合病院でX線を撮って来てくれと言われ、
今度はマーサと車で出かけた。
初めての所がやたら大きいと、迷ってしまう。
でも無事にX線を撮り、検査は無事終了。
何も心配する事は無かった。

12月23日(月)

今日メールを開けた時ローマ字で書かれた
「Ruby sensei e」と書いてあるメールに目が止まった。
友人からのメール、メールマガジン、その他のインフォメーションなど
毎日10通以上のメールが入ってくるメールの中で、
そのメールに気がついたときに、私の心は躍った。

今メールの交信をする対象の人が日本を離れたばかりの頃からすると
4分の1ほどに減っていて
私には誰が「Ruby sensei 」と言ってメールを書いてきているのか
すぐに解った。
日本語の使えないPCで私にメールを送ってくるのは
彼女しかいない・・・・・そう直感していた。

どう書いて良いのか解らないけど
私には、今自分のできる限りの事をしながら捜している人がいた。
確かに今私ができることは限られている。
でもどうしても捜さなくてはならない人だった。
それが今書いている彼女の事だ。

私はすぐそのメールを開けてみた。
でも、インターネットの調子が悪かったのかページの表示が出来ないと出た。
インストールの不備ではない事は自分で知っているけど、なぜか表示してくれない。
どうしてこんな時に、この大切なメールが・・・・・・
なぜe-cardに書いたのだろう,e-mailを出してくれればいいのに!!
と、はやる思いでPCのチェック。
時間帯の問題で接続に問題があるのかもしれないと
自分のサイトを出してみた。
初めての事だったけど私のサイトも表示されない。
仕方が無くPCを閉じる事にしたけど、なんともはがゆい。

今年4月末にシェルターを出てC夫婦の家へ世話になる事になり
5月に入った頃、電話をした。なぜが通じる事はなく、次の機会まで
2ヶ月ほどが過ぎてしまった。
と言うのも体調の悪い時や、タイミングが合わなく
時だけが流れていった。
多分2度目に掛けたのは7月ごろだったと思う。
去年のクリスマスに彼女は私にプレゼントを送ってくれた。
私もプレゼントを送っていた。
その頃の私は最悪の状況を続けていた。
まして電話も出来ないし、プレゼントが無事に届いたのか、
送られてきたプレゼントのお礼を書いた返事の手紙が着いたものだかどうか
私には知ることが出来なかった。

ずっと彼女のことが気になり、今回のシェルター再入所では
サポートグループが開催されるたびにベトナム人の通訳者が来ていた。
12月2日に出て行ったクライアントのナンシーがベトナム人だったからだ。
私は何度と無くそのベトナム人の通訳者の人に事情を話し、
私が捜す手伝いをしてほしい事を頼んだりしたけど、
やはり機会を持つ事もないままナンシーが出て行くことになり、
その作業も続けられなくなっていた。
でもいつも彼女のことが頭から離れる事は無かった。

彼女はベトナム人。
私がインドシナ難民の日本語学校で
日本語を教えていた時の生徒であり、
当時彼女は高校生だった。
多感な思春期の彼女は色々な心の悩みや等を
授業を離れて、何かと話をしに来ていた。
彼女は高校を卒業し、数年後には同じベトナム人の男性と結婚した。
勿論私も彼女の結婚式には参加した。
伝統的なベトナム式の結婚式というものを見せてもらって
そのあでやかさに、喜びとともに、とても嬉しかった事を覚えている。

横浜ランドマークタワーでの私のコンサートに
ご主人と赤ちゃんの三人で花束を持ってきてくれたこともある。
そんな彼女が2000年11月にアメリカに来てしまった。
彼女達は2000年11月に日本を離れることになった何年か前に、
既に日本に帰化し、日本名の取得をしていた。
その時にはもう子供も二人になっていた。
私たちは同じ2000年にはアメリカに住む事となってしまった。
私はカリフルニア州、彼女達は隣の州のネヴァダ州。
私が住んでいた家からネヴァダ州リノまでは、
多分2〜3時間で着くところだったと思う。
州が違っても私がいたところとリノがお互い端っこに位置する所だからだ。
カリフォルニア州だけでも日本くらいある。
面積を数字的に言うとカリフォルニアの方が少しは大きい。
それだけの広さの所にいて、ネバダ州のリノまで3時間は掛からないで
行ける所にいたから、私は逢いに行きたいと何度も思った。
でも私には行くことも、そのことを夫に相談することもできなかった。
彼女達家族が来てからすぐの頃(11月)に電話を貰った時には
「来月には三人目の赤ちゃんが生まれる」と言われ驚いた。
大きなお腹で知らない国へ来て、どんなに不安に思っているだろうと
自分の事を忘れて心を痛めた。
できることならそばで手伝ってあげたいとさえ思ったりもした。
これが日本なら、すぐにでも飛んで行ってあげられるのにと、
自分の思う様に出来ない事に歯がゆい思いもした。

2001年の春、留守にしていた時に、
彼女から電話にメッセージが残っていた事がある。
電話を使う事の出来なかった私は、入管の作業で出掛けた時に
泊まったホテルから夫が出かけていた間に部屋からではなく
ホテルの公衆電話から彼女に電話をしたことがあった。
夫はホテルから出かけるときも私がどこへも行けないように
ルームキーを自分が持って出かけてしまう。
でも部屋から電話を掛けるとチェックアウトの時に
伝票に記載されるから掛けられない。
折角のチャンスで電話をかけたのだけど残念な事に、
この時もなぜか電話が通じなかった。
1泊しかしないその時に、もう二度と私にはそのチャンスは
与えられなかった。
夫との事は何から何まで、こうして思い出すだけで哀しくなる・・・・

当時はなかなか電話を掛けるチャンスは私には無かったけど
それでもe-mailも通じていたからまだ安心をしていた。
でも今年に入って私がもしかしたらこの家を出てしまうかもしれないと
言う状況になってしまってからは、
クリスマスプレゼントの中に入っていた手紙に、
PCが壊れてしまったと書いてあったから気にはなりながら、
そのままになってしまっていた。

その後10月か11月にダメかもしれないと思いながらも
彼女にメールを出した。
そのメールは迷子で戻ってくる事も無かったけど、
だからといって返事が来た訳ではなく、
やはり私には心配なことで、
それでサポートグループでのベトナム人の通訳の人に
話をしてみる事にしたのだ。
と言うのは彼女の電話番号だったところに電話をしたときに出てきた女性が
ベトナム人であまり英語の話せる人ではなかったから、
もしかしたらベトナム語で話してもらったら彼女達家族の事が
もしかしたら判るかも知れないと、一縷の望みを持ったから。
でもそれもむなしく時が流れただけだった。

e-cardが入っている。良かった、とにかく良かった。
今は見られないけど、きっと通じる。
本当に人の事どころではないのだけど、でもとても気になっていた。
PCが動くようになったのか、それともメールが出せない何かがあったのか・・・・
何も判らないけど、とにかく良かった。

12月24日(火)

今日もう一度PCをチェック。無事に読みこむことが出来、
彼女のアドレスを知ることが出来た。
今の連絡方法や、もうあの家へはいないことなどを書き込み送信した。
良かった。通じたよ、本当に良かった。よ・か・っ・た〜〜〜〜〜
神様、ありがと〜〜〜〜〜〜〜

今日はレイと友達ケビンの家のクリスマスパーティーへ。
ケビンは私が昔、留学中、レイの家から学校へ通っていた頃から
知っている友達の内の一人だ。
十数年ぶりに見るケビンの懐かしい顔と、成人してすっかり
大人になってしまっている娘達二人。初めはわからなかったくらいだ。
それと他に大勢のお友達。
私には他に知っている人はいなかったけど、そのお友達の中には
私のことを知っている人はいた。
この街の当時日本人が他にいたのかどうか・・・・
多分いなかったのだろう、私は色んな人に当時、
名前を呼びながら声を掛けられる事がたびたびあった。
そして「自分はどこそこのだれだれだ」と名乗ってくれるのだけど
いつも知らない人だった。
この街では当時日本人は珍しかったのかな〜

アメリカ人は楽しむ事が上手だ。
今日のクリスマスパーティーは歌を歌ったりクイズをしたりして
とても楽しかった。

12月25日(水)

今日の予定だったパーティーがキャンセルになった。
予定していたお友達の体調が悪く開催が難しくなったようで、
昨日そのお友達の様子を聞いたときに、
私には「何もそんな時にクリスマスパーティーなどしなくてもいいのに」
と思ってしまったくらいだったもの。
以前から予定はしていたけど、急に容態が変わり、手術を昨日する事になったらしい。
その手術の1日後がクリスマスの今日ということで、婦人からの昨日の電話では、
「予定通り夫がしようと言うから」と連絡は入っていた。

私はアメリカを不思議な国だと思ってしまった。
ガンの手術をしてもその当日帰ってきてしまう。
Cが10何年か前に乳がんの手術をしたときも、その当日帰ってきたと
私がお世話になっていた時に、聞かされたことがあり、驚いた事があった。
日本ではおよそ考えられない事だけど、そうした話を他でも聞いたことがあるから
それは本当なのだろう。
社会制度や、保険のあり方の違いもあると思う。

今日のクリスマスパーティーの突然のキャンセルも、
当然の事でむしろ良かったと思うほどだった。
何よりも養生して欲しい。手術の日が予定より早くなったからとは言え
体調の悪い事を承知で昨日までは開催の予定であった事を思うと
ありがたくも、申し訳なくも思い、なんともせつなくなってくる。
私の知らない人たちで、昨日までそう言う事情であった事さえも
知らなかったけど、今では一日も早い快復を願わずにはいられない。

予定していた時間が空いてしまったことで私たちは映画
(The Lord of the Rings)を見に行った。
映画は大好きでいつも楽しんでいる。
レイからのプレゼントも嬉しかった。

何より嬉しかったのは、捜していたシノからメールが入っていたこと。
電話番号引越し先などが書いてあり、早速電話を掛け、
私たちは長いこと電話で話をした。
私に多くのことが起こり過ぎていて説明する事は難しかったけど、
もうあの家にはいないことを伝え、
もうお互いが行方不明にならないように、どうすることがいいかなど
話し合い、これから先同じ事を繰り返さないように
しっかりと約束をした。
日本でと違ってお互い行方不明になると、もう探しようも無いほど、
アメリカは大きな国だから。

なんだか嬉しい。
本当に久しぶりの喜びだ。
心から嬉しい。

12月27日(金)

今日10時がDr Heldman.
その後にアキ子さんのセラピーのアポイントメントになっていた。
10日ほど前から少し調子もよく、23日にCと少し話しをした事や
生徒のシノとの連絡が取れたことなどで、心がとても軽やかに
なっているように感じている。
Drもそれらの事を聞いて「良かった」と言ってくれた。
処方箋はまた少し違って、薬は増えているし、
眠剤も増えたりして・・・・・
調子がいいと話をしたのだけど・・・・・
まだ回復したわけでは無いのだろうから、仕方が無いけど・・・・
お薬を止めたら、また落ち込むのかな〜
気分が良くなっているのだけど・・・・

でもやはり過信は出来ない・・・・・・
まじめにお薬飲まなくっちゃ・・・・・・

12月30日(月)

体調がいい。気分がいい。
少し気になる事があっても、いつもの様に落ち込む事も無い。
確かに今までと違うような気がする。
でも今まで何度もこんな思いをしたことがあるし、
その後にまた鬱期に入ってしまった事が何度もあるから
もしかしたら、それと同じかも知れないけど・・・・・
でも過信は出来ないけど・・・・・少し違う気がする・・・・・
なんと言っても今回の症状の原因とも言える、Fから受けたダメージを
自分の中に抱え込んでいた状態から、ある形で外方へ発散する事が出来た。
それも一番気にしていた人に対して最良の方法で!!
今日はその話を書こう。

先週の月曜日23日の日記に書かなかったことがある。
それは私の生徒であるシノのことがあり、日記を書く時間には
その喜びのほうが大きく、両方を書くことが出来なかった。
私にとっては23日の出来事はどちらも大きい。

朝の時点では、もしシノのことが無かったら、
これから書こうとしていることを書いていたに違いない。

12月23日月曜日の朝から、私はローザと話をしていた。
その途中で電話が入ったから、私は席をたった。
オフィスに居てクライシスラインなどへ電話が入ってくると、
クライアントは外に出なければならない。
個人の秘密に関する事だからだ。

その時はクライシスラインではなかったけど、
私は話も終わっていた事から、自室へ戻ってきた。
15分ほどたった時に、私は一つ聞き忘れていたことが
あった事を思い出し、またオフィスへ行った。
ローザはまだ電話中で、同じ電話だったのか、
別の電話だったのか解らないけど、後にしようと思い帰ろうとしたら、
ローザが私の名を呼び、引きとめた。
「今Cから電話が入っている。話をするか?」と・・・・
私は一瞬戸惑った。今私に話ができるだろうか。
ダンやナニの時の様に不愉快な気持ちに又なるだろうか。
自分の親切が自己満足でしかないことに気がつかないで、
また押し付けてくるだろうか。
話をする事で、ここ数日少しずつ気分が良くなってきているのだけど、
また落ち込んでしまうだろうか。
やっとダンとナニの事が少し解決した。
(とは言っても、こちらの意図する所をくむ訳ではなく、また追いかけて
次の何かを起こしてくるから、ストレスはなくなることは無い。
暴力が無いと言うだけで、自分の気持ち以外の事には全く無頓着というか
私の気持ちなどはお構い無しなのだから、自分勝手としか言い様が無い。
これが高じれば、もうストーカーなのだろう。もうそれに近いのかな〜)
私はダンにもうこれ以上、関係の無い人に私のことを相談しないでほしい、
私の気持ちを無視して、勝手に自分達で行動しないでほしい、
本当に私のことを思っていてくれるのなら、
私に自分達の親切を押し付けないでほしいと話し、
お願いしたい事がある時には、
きちんと頼むからと、無事?に話をつけることが出来た。
(こう言う事も何度もあったけど、それでもお構い無しに掛かってきているな〜、
アンとローザが助けてくれて私が電話に出なくても良いようにしてくれたり、
私への電話を誰もつながなくてもいいようにまでしてくれたリモしたのだけど・・・)

また抱え込む事が出てくるのではないだろうか・・・・・
ローザは一瞬のうちに私の思考を判断したらしく、それでも
「Ruby、心配しなくてもいい、でも話したほうがいいよ」と電話をくれた。
渡しながら、今、私の入院の手続きをしている事などの
私たちがとろうとしている状況を説明したとは言った。

「・・・・・・・・」
私は電話を受け、話を始めた。
「体調が前よりも悪いらしいわね、どうしてなの」Cが聞く。
「・・・・・・・」
「ローザが、今回は前より状況が悪く、パニックも多いし、
鬱が強いと言っているけど、どうして?」Cはまたも聞いてきた。

私には今まで黙っていた事が良かったのかどうかの判断は出来ない。
でも今が話のできるチャンスかもしれないとの思いで話をする事にした。

そう思わせたきっかけが、先週またあったからだ。
それはダンがまたしても手紙で母、兄、姉や、その友人など、
なぜ私がクリスマスパーティーに出たがらないのかもう理解させる事が困難だから、
Fのことを話して、出られないことを解らせたい。と書いてきた。

私がクリスマスパーティーへ出席できない理由の一つは、はっきりしている。
物理的に片道4時間ほどの道のりの所へ出かけることが困難である事。
どうやら、このどう考えても難しい現実は彼らには通用しないらしい。
自分達がベイエリアに来る時に日帰りをしない事は全く別の意識なのだろうか???
送り迎えを考えても一日のうちでサンフランシスコまでの2往復は不可能だ。
16時間も掛かってしまう。
このことをいくら言っても「朝から迎えに行くから」と言ってくる・・・・
本当の理由の言えなかった頃から何度もこう言って断っていたにも関わらず
何度も電話を掛けて来ては同じ事を繰り返し言って来ていた???
そのたびに私は激しく落ち込み彼らにパワーを吸い取られて言っていた・・・・
一人で帰るにして夜の列車で戻る事は容易ではない。
ここは日本とは違うのだから、危険性を考えると、まともとは思えない。
とにかく建設的ではないし、わがままとしか言い様の無い押し付けとは気が付いていない。

そしてもっとも大きな理由は、
私が「心から喜べない集まりに行ける訳が無い」ということ。
家族も来なく、私の関係の無い友人がくるだけなら、
もし嫌でも参加した場合に、そう苦しむ事はないだろうけど、
家族が中心のパーティなのだからFと顔を合わせることになる。
もしフラッシュバックにでもなったらどうしようとの思いもある。
確かにダン以外の人は何も知らない。だから、その事を知らないから
ナニやアーニーが「なぜ来ない」と言ってくるのは解る。

それで、ダンの手紙の依頼を先週聞いて「話してもいい」と言うことを伝えた。
その時に、「それが自分の息子Fであること、自分の息子が原因でであること、
それらの事を、誤解無くナニに伝える事ができるか」とダンに話した時、
彼は「それは大丈夫、今まで自分はそれを解ってきて、
ここまで来たのだから」と言っていたから、もう任せる事にした。
でも私はこの事実をダンに解ってもらうために、気の遠くなるほどの
時間を費やした事を覚えている。
5分や10分で話し終えるものではない。

結果は・・・・・単に無駄なだけだった・・・・・・
ダンが「母は判らなかった、兄もわからなかった」と言って来た・・・・・
彼は単に意味も無く、私とコンタクトを取りたいだけの為に
何かと書いてくる。何かと電話してきている。
ダンには到底人に理解してもらえるだけの話術力も、
ナニやその他の人たちには、話を理解する能力も備えてはいなかったらしい。

そのいつも無責任なダンの行動に、いささか今まで「いい人だから」と
こっちが引いて我慢していた事もあり、もしかしたら既にCの耳にも
入っているかもしれないとの思いで、今更隠しても仕方の無い事が
明らかだと思い、話し始めた。

事実を聞いたCは驚いていた。
そして「どうして言ってくれなかったの」とも言った。
私はFの事に関してはCが全く知らなかったとは思えない。夫婦の事なのだから。
当然、当時彼女も不審な行動を私に対して何度もしてきた。
それでも私には何も言えなかった。
彼ら夫婦を避ける事でしか自分を守る方法を見つけ出せなかった。
ローラが当時居なかったら、私には本当に自分の場所の確保は難しかった。
いたたまれない思いをしながらも、ローラによって生かされていた。
ナニの家にいた頃はFのことで居場所をなくしナニの家へ避難した形になったのだけど
今度ナニの家からサンフランシスコへではなく、居心地の悪くなった私は
サンフランシスコに入る前にレイの家で待機するようにとローザやアンと
話し合いをして、その行動をとった。
その行動はひと時の安らぎは与えてくれたけど、
彼らは執拗に私に暗い気持ちを与えて来ていた。
必要以上の電話攻撃、次から次と来る郵便物と・・・・・

Cと話してわかった事がある。
ナニの家を出、サンフランシスコに来てからの彼らの行動は
私と話している事と、Cに話をしていた事が違っていたという事に
この時の私とCとの電話での会話で知ることができた。
Cは彼らから直接聞いていた事とは大きく違い、自分の家族によって
私が脅かされていた事実を知り、その事に関しては心から謝って
いてくれたように思う。
そして、そう思うことが出来た事により、
今私自身が少しは救われた。

先週の月曜日に話せたことで、私の心は本当に不思議なくらい軽くなり
日に日に快復してきた。
Fの事を抱え込んでしまっていた事。
そのことを知らないナニが自分の別の孝行息子の事を思い、
気をまわして来ていたこと。
それにそのことに気を良くして何かとコンタクトを取ってくるダンの事。
それらの事が私に大きなストレスを与え、こちらでの生活のストレスと重なり
強く鬱が現れていた事など・・・・・
今まで心に秘めていた事を話せた事で、本当に心が楽になっていた。

私は話している途中も、はなし終わってからも、
「この事を言う事でCチャンに負担をかけたり、
気が重くなるようなら話はしない」と言い、何度も確認した。
Cは「大丈夫よ、そんなに大変な思いをさせていて申し訳なかった。夫だけ
では無く私の家族からそんな嫌な思いをさせられていたなんて・・・」と言い
「その責任の為にも、これから先ダンやナニには電話を
無理に掛けなくてもいいから、私が何とかするから」と言ってくれた事が
私にはとてもありがたかった。

私がナニの家に住むようになってからはダンも何かと言ってはナニの家に
よく来るようにはなっていた。ダンはレイの事を
私の恋人と思っていた様で私はその事を否定する事はしなかった。
レイは決して私の恋人ではない。
でも様子でダンが私に好意を持っていることが面倒だったしうっとおしかった。
まして私はその事を隠す事も無く、その気のない事を誰にでも示唆してきた。
今自分が抱えている離婚やその他の事が健康とはいえない心には重いし、
何よりダンに対して特別の思いをいだいたことが無い。
ある日思い余ったダンが私に質問してきた。
「自分達(私とダン)はこれ以上近づく事は無いのか、自分は
Rubyとレイのように仲良くはなれないのか」と。
私の返事もとてもまじめなものだった。
あなたとはこれ以上クロスする事はないし、レイとは今までどおりだ・・・・と

この話は一度ではなく何度となく繰り返され、そのこともあり、
サンフランシスコに行く前に早めにレイの家で待機するようにも
なってしまった。
Cの心をよそに、Cの家族との生活は夫からの逃亡生活に一時の安息の場を
与えたわけではなく、それ以上、余計な苦痛を味わう場となってしまった。
でもCと逢えた事は決して悪かったとは思っていない。
二人だけの関係の事を思うと、幼友達と話をしているような
穏やかな時の流れを感じる事が多かった。
私の作る料理を喜び、私から学ぶ事を彼女は何でも楽しんでいた。
そして私も彼女の息子家族や彼女の孫達、娘夫婦と楽しく時を過ごした。
同じ日本人として時間を共有できた事には本当に感謝している。

連絡は直接Cの仕事場に掛けることを約束し、
Cの家や、ダンの家には掛けなくてもいい事になったことで
本当に心の負担はさらに軽くなっていた。
AWSの話やのびる会での話をしたら、本当に驚いていた。
「どうしてダンがそんな事するのよ」と私に食って掛かってくるほど!!
「私が聞きたい」と言ってしまった。
お花が届いた事や、何通もの手紙が来た事などは
まだ話ができなかったけど、彼女にはそれで充分だったらしい。

Cと話ができたことで自分の中での整理がついたような気がする。
鬱や、PTSDがすぐに出てくるものではないことも、前の時と今度の時で
さらによく解ってきた。
いくつかのその予兆、前兆やパニックが繰り返され、そして
大きな波となって本人に覆い被さってくる。
入眠困難、不眠、怯え、感情の麻痺、孤立感、無気力感、
人生への不安、自分の将来に対する絶望感等。
日記に記して来ていた何度かのパニックなどはその前兆だったのだろう。
日記には書けなかった11月26日(火)の出来事が今回私の入院を
決定付けたと言ってもいいと思う。

それからのスタッフ達の対応は違ってきた。
私が絶望感にさいなまれた場合のことを前提に、
これまで予定していた次のハウスではなく、もう少し手の行き届く所への
入所を選択し計画を立てていった。それが12月の2週目に
入っていた頃だったのだけど、その後、Cと話ができたことで
、 私の心の中からフッと何かが抜けた気がして
自分でも確実に心が軽くなっていることを実感する事が出来た。
そして27日のDrの診察。

23日からのこの快復は目覚しい。Cと話ができたことは本当に良かった。
もし話をする機会がないままだったり、
機会があったとしても診察を受ける後だったりしたら
私の置かれる状況はまた違っていたと思われる。
今もそうして快復に向かっている事を実感する事ができる。
何が起きてもそう心に負担が掛からない。
お薬の量が増えたせいもあるかもしれないけど、
それより心の負担が軽くなったストレスの減少に寄る事は間違いないだろう。
確かに過信は出来ないと思っているけど、
入院するためにツベルクリン検査やX線を受けたりしたほどなのだから。

そのベッドは自傷行為や自殺行為を繰り返す人などがカウンセリングを受けながら
生きる意義や望みを見出して自立の道へと導いてくれる施設だ。

私はそんな施設へ入院しなければならないほど強い鬱にさいなまれていた。
まるで自分らしくない自分を、何だか他人を見るような思いで感じていた事も事実だ。
今思い出しても不思議な気がする。
ストレスは本当に人の心を無気力にしてしまう。
うまくは書き表せないけど、今までの長い人生の中で、
ここまでの思いをしたことが無かった。

今の私には、今まで自分で自殺は罪であると
強く認識していたはずの心はもう無い。
死を選ぶ権利を主張するつもりはさらさら無いけど、
それらの選択が出来なくなる状況があることを知ってしまったのだから・・・・・
年の瀬にこんな事を書いてしまっている・・・・・

明日で今年も最後の日だ。
17時間早い日本は既に大晦日で、それぞれの人がさまざまな形で
今年最後の時を過ごしている事だろう。
もし私が日本にいたらどんな時を過ごしていただろうか。
日本にいた頃の大晦日を思い出して、いつもしていた事といえば
大晦日の夜中近くになると、年越し蕎麦は毎年作っていた。
そして、母が作っていたような派手なものではなかったけど
御節も作っていた。
おとそも準備していたし、新年になっていつでも食べられるように
お雑煮の下ごしらえもしていた。
この作業をたった3年間しなかっただけの事なのに
なぜか遠い昔の事の様に感じてしまう・・・・・

明日で今年も終わりという日に日本での事、夫との結婚生活、
今年に入ってからの夫からの逃亡生活と
さまざまな出来事を思い出してしまっている・・・・

私の人生はこれからどうなるのか解らない・・・・・・
でも少し明るい兆しを感じている事は事実だ。
どうかこのままこれ以上悪くなりませんように・・・・・

12月31日(火)

今年も今日で最後。今、午後1時、日本は元旦早朝6時くらいだ。
さっき自分の日記を読み返してみた。
自分の事だから、読む事で色んな場面を即座に思い出す事はできる。
でも自分で読んでいて、やはり書けないでいることや、
露骨な表現を避け、事実にベールをかけ、
あまり自分も人も傷つかないような書き方をしている個所が
相当あることに改めて気が付いた。
ベールをかけても書けない日には何も書いていない。
こんな書き方で果たして読んでくださっている方に
解ってもらえているのだろうかと、思わず思ってしまった。
ウ〜ン、これはきっと来年の課題かもしれない。
でも全てを書くことも確かにためらいがある・・・・・・
どうしたらいいのだろう・・・・・

ただ、こういうことに気が行くと言う事は、気持ちにゆとりがあるせいで、
鬱に時にはこういう風には考える事が出来ない。
と言う事は、今日も調子がいい!!
良かった〜〜・・・・最後の日は元気だ〜〜〜〜〜・・・・

今日は夕方からコンサートに行く。
今日のコンサートは元気で楽しむわよ〜〜〜〜・・・・・
その前にお友達が来てランチを食べる。
朝からギョーザとサラダを作って準備してある。
御飯も炊いたし、お味噌汁もある。

ここ数日の静かな時の流れがなんとも心地いい。
長い、本当に長い闇の中に居たような気がする。
まだその闇を抜けきった訳ではないけど・・・・・それでも
今までの深淵の底ではない事を感じる事ができる。
きっとまだまだ本来の私の行くべき道を探し出すことは難しいのだろう。
でもその兆しを感じている。
少しずつ、やっと少しずつ一歩一歩と違ってきている。
これから先も長いのかもしれない。
でもその長さは今の私にはもう苦痛でも何でもない。
どれだけの時間が掛かっても仕方の無い事なのだから。
自分で抜け出すしか方法は無いのだから。
あの闇の中の時間を思うと、
一筋の光が見えているだけでも、それで充分だとさえ思える。
たった一筋の細い光であっても、それがあればもうそれは闇ではないのだから・・・・・
今の私には、その細い光が見える・・・・気がする・・・・・
生きている。わたくしは生きている・・・・・
多くの人に支えられて・・・・・人は決して一人で生きているのではない・・・・
人によって生かされている・・・・・
助けてくださった方々に心から感謝している・・・・・
そのためにもきっと元気になる!!
急がないで、自分を見つめながら・・・・・






この章はここまでです。
2003年からの日記は「独り言/2003」として新しく章を作ります。



< PAGE 1 2 3 4 5 >





TOPページに戻る