独り言/2002
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日本でのDV法に本当に意味でのケアを



人物紹介
Jack=夫
ローラ=最初のシェルターのセラピスト
アイコ=日本語のセラピスト
ローザ=サンフランシスコシェルターケースマネージャー
アン=サンフランシスコスタッフ
ジャッキー=最初のシェルターのスタッフ
ランディー=最初のシェルターのケースマネージャー
ナニ=Fの母
F&C=私がお世話になっている家の夫婦
ダン=Fの弟
アーニー=Fの兄
レイ=Rubyの旧友
キャシー=サンフランシスコ夜のスタッフ



9月18日(水)

今日は又今列車の中にいる。Fが病院に行く日でサクラメントまで来る日
だったから、私もC&F夫婦に便乗してサクラメントまで来た。
列車に乗ってベイエリアのレイの家に行くために・・・・
後4週間ほどしたらサンフランシスコに行くのだからもうどうでもいいけど
もしかしたらCともこれっきりになってしまうかもしれない。
11時過ぎに家を出て途中でガスステーションに寄ったりしてサクラメントの
駅には12時20分くらいに着いた。
私は一緒に来てもらうつもりも無いから、待合室の近くで降りて、
その場で別れた。そして切符を買いに窓口へ行ったら、
ベイエリア行きは12時10分に出てしまったから2時40分まで無いよと
言われてしまった。それでもあの人たちと一緒にいるよりはいいから
本を読みながら時間を過ごした。
あんまり苦にもならずに割とあっという間に2時半になってしまった。
今家にいないでこうして過ごしている時間が幸せだ。今ではCの家にいることは
とても苦痛になってしまっている。荷物も早く片付けて、箱詰めしなくては・・・
しばらくは預かってもらわなくてはならないけど仕方がない。
トランディッショナルハウジングでは荷物を持ち込めないのだから。
私は折に触れ必ずありがとうと言っている。でも彼らにはそれが無い。
きっと自分の家においてやっているのだとの思いがあるからだろう。
私も今ホームレスの身の上で置いてもらっているという負い目があるから
何も言わずに我慢しているのだけど、こうした抑圧された生活は
もうしたくはなかった。
でも結果的には夫のときと同じく被害を受けてしまう事になった。
なんとも自分が歯がゆい。どうすることも出来ないのだから。
でも私はこの苦境から無事に抜け出す努力を惜しむことなくしてきた。
その結果が今回の移動という事になる。
ここにいて又被害を受けているのだから・・・
でもこの事に関しては少しつらいという思いがある。
Cには何も悟られないようにはしているけど、シェルターは決して何も無い人を
かくまってくれる所ではない。
被害を受けていない限りは収容する理由が成り立つ事が無いので、
ホームレスのためのシェルターではなくドメスティックバイオレンスの
シェルターなのだから。
この移動が現実のものとなったと言うことはあのうちで確実に被害を受けたと
言う社会的な事実として記録されるのだから・・・・

9月20日(金)

今日は随分と原稿の編集が出来たと思っていたら、何かの手違いで全部
消えてしまった。うっかりミスだった。原稿の編集が出来たと思ってホッとして
接続を切っていたことを忘れてしまって送信ボタンを押してしまった。
先に接続をして押さなければならなかったのに・・・・・ウ〜ン悔しい!!
不正な処理をしたということでなくなってしまった。
毎日憂鬱な日を送っている。でも出ることさえ決まったら少し
元気になってしまった気がする。
私はきっと自分を守る。どんな事をしても自分の心と体は守ってみせる。

9月25日(水)

心療内科の日。Cが突然いけなくなったと言うから、ダンが代わりに連れて
行ってくれた。来週はもう連れてきてくれる人がいないから、診療に
これない事をローラに話したら、電話で1時間話しましょうと言ってくれた。
でももう家にもいないと言ったら、ナニの家に掛けてあげるからと言って
アポイントメントのカードをくれた。
ローラと毎週話していたからつらいときも我慢ができていた。
電話で話して同じように効果があるのかどうかは解らないけど、
これっきりになってしまう事は寂しいと思っていたから良かった。
帰りにチキンサンドイッチを買って、帰るつもりでいたら、
中で食べようと言うから「買って帰りたい」と言うことを伝えたけど、
今度は街の中をぐるぐる回って何をしているのかと思ったら、
「公園かどこか座って食べられる所を捜している」なんて言い出して・・・・
思わず私「この街はシェルター以外、どっこも快適な所はないのだから
早く帰路について」と言ったら「どうして」って聞くから、
もうどうしてこう鈍いのだろうと思ってしまった。
この辺でうろうろしていて夫が移動する時にもし見かけたりしたら
どうなるかとは考えないのだろうか。本当にダンは能天気だ。
仕方がないよね、解っているつもりでいても・・・難しい・・・よね。
でもダンの優しさには心から感謝している。
声を荒げる事もない、穏やかな性格の人だ。
今の私にはとてもありがたい存在。

今確かに自分が少し又おかしいのが解る。
どうしようもないほど落ち込んでいるもの・・・・

9月30日(月)

今日Cが来て私に送られてくるはずのフードスタンプが中身が抜かれていて
無くなっていたらしい。何があっても相変わらず、すぐ知らせてくれる
わけではない。先週その事が解り、サンフランシスコのローザからも
電話が入ったらしい。
とにかく今ではオンタイムでは何も知らせてくれなくなってしまった。
ローラの言うようにレイの家に移動した方が良いかもしれない。
そのためにも荷物の整理をしなくては。
今は全く数日先のことも計画する事ができない。
解っているのは週末にはレイの家で過ごすということだけ。

初めてホームレスの経験?をしているけど、そのストレスだけなら
多分わたくし自身に跳ね除けるくらいのパワーはあると思う??
でもホームレスになる事など何も理由が無かったら考えられないのだから
その原因を思うと今の自分の置かれた立場が尋常ではない事が解る。
今の私には突然フラッシュバックが現れたり悪夢で目が覚めたり
パニックがいつ起きるか判らず、
自分でコントロールできない状況がありそれが怖くていつも怯えている・・・・

昔、留学していた時に本当のホームレスではなかったけど
そうなりかかったことがある。その時にレイに助けてもらった。
私は旅行会社にお金を払い込んでホストファミリーを紹介してもらった。
はっきり覚えていないけど今よりドルの方が高かった頃だから
大きなお金を払い込んだ様に思う。

そのホストファミリーでの私の暮らし振りにレイが不信感を持ち
いろいろ調べてくれた。
私はそのお金がホストファミリーに入っているものと信じていたけど
そうでなかったらしく、住まわせる事の代償に、家の手伝いをさせていた
ということが現実だったらしい。

アメリカでは多くの無料のホストファミリーがある。
それらのホストファミリーが全部悪い訳ではないけどベビーシッターを
する事で衣食住を与えられている学生はたくさん居る。

私のホストファミリーになった家は夫婦が二人だったけど、
友達とも会えないような学校にいくだけのほかの自由を与えて
くれない家だった。
そればかりか、掃除の後に知らないうちに犬や猫が散らかした事でも
私が掃除をしてないなどと怒ってきたりしていたのだから・・・・

時々そのときの話が笑い話で出てくる。
レイは冗談で「日本のお姫様がアメリカで奴隷になった話」と言っては
私のことをからかって喜んで?いた。

学校に毎日行きたいのに行けない時があったり、やる事を押し付けられたりで、
自由ではない私を見たレイが、自分の家の一部屋を、それこそ無償で
提供してくれた。
レイの友達がベッドを運んでくれたり、毛布を貸してくれたりして・・・・
でももし、レイに助けてもらって無くてもなんとかしたかもしれないと
思っている。知恵を授かってこの世に生きているのだから、何かしらの
方法を考えて自分がよりよく暮らせる事をしようとしたに違いない。
それに今のようにここまで落ち込む事も無かったのではないだろうか。
まだパワーがあったように思う・・・・

でも何はともあれレイに出会ったことはラッキーで、
本当に心から感謝しているのは間違いのないことだ。
最初の出会いは、私が学校の帰りに毎週行っていたFM放送局の
ライブコンサートの会場だった。
ジェイムスというミュージーシャンが自分の持っている番組に、ほかの
ミュージーシャンを呼んでリスナーや私たちに楽しい時間を提供していた。

毎週行っていた私はその番組のパーソナリティーをやっていた、
ジェイムスとお互い音楽家という事で親しみやすかったのか
いつのまにか話すようになり友達になっていた。
私の作る曲と彼の作る曲とは違うものだったけど、
作詞や作曲の事で国の違いを超えて話しができ楽しい時を過ごしていた。
そんなある日、ジェイムスの弟と友達と言う二人を紹介された、その友達が
レイだった。弟のジョンとレイはフレンドリーな人たちで楽しく時を過ごした。
そのときの二人の笑顔は今もはっきりと覚えている。
その後私が帰国しても、私たちはずっと手紙、はがき、クリスマスカード、
e-mail、バースデイカード、時々はプレゼントなども送る・・・・
と言ったことを十数年以上も続けてきた。
夫のJackともそうだ。留学していた時に知り合った友達、シンディー、モニカ、
ロザリーナ、ナンシー、スティーブ、など10人ほどの友人とは
誰も同じように交流を続けてきた。
その長い間培ってきた友情も夫と結婚した途端に全てを断たなければならなくなり
多くの友達とそれっきりになってしまっている。
私はアメリカに嫁いできても、これだけの友達がいるのだからきっと寂しい事は
あるまいと思っていた。
結婚前にも、それらの友達と再会できる事を喜んでよくその話をJackにしていた。
当時夫は笑いながらその話を聞いていたけど・・・・・
現実は大きく違っていた。

そんな中で去年の夏ごろe-mailでシンディーとコンタクトを取り、
なんとか助けて貰おうと思った事があった。
私から掛けることが出来ない電話だからと言う理由と、メールより
直接、話したいから指定した時間に電話を掛けて欲しい旨をメールして
無事に話ができる状況にはなったのだけど、この過酷な状況は彼女の
理解をはるかに超えたところにあったらしく、いい結果を生み出さないばかりか、
私の心は別の形で大きく傷ついてしまった。
そんな経緯もあり、やはり誰にも知らせないまま時が流れてしまった・・・・

今思えば私は必死に誰かを捜し求めていた。
毎晩、夫が眠ってしまった後インターネットと首っ引きで
誰かを捜し求めていた。
日本から友達が10日ほど来ていて、彼女が帰った9月始め頃からは
いよいよ寂しさもつのり探していた時にTさんのHPを見つけ出した。
そのHPを毎晩読んだ。そこから関連リンクへ飛び、色んなニュースを
読みあさっていた。
でも書き込みをする事がなかなか出来なかった。
と言うのはここがアメリカという事で又理解してもらえないかも知れない・・・
とか、状況のあり方の違いを読むほどに感じてしまい、
表現する事の難しい、なかなか人に話せない自分がそこにはいた。

でも夫の言葉の暴力は日々エスカレートしていき、
私を家の外に締め出してしまったり、銃で脅される回数も多くなり
本当に誰かと話をしたくなり私は書き込みではなくTさんにメールを書いた。

このことからTさんは本当に私にいろいろとインフォメーションを
送ってくれる事となり、Mさんともメールで交信するようになった。

この二人がいなかったら今の私は無い。

シェルターへの掛け橋となったこの二人とそのときに関わっていた方々には
本当にお会いしてお礼が言いたいと思うほどだ。

シェルターでは色んな事があった。寂しかったし恐ろしかった。
そんな中で後1週間でシェルターを出るという頃にレイに電話をかけた。
それを決心するのもとても時間が掛かった。
シェルターに入って1週間もすると自由に行動して良いようになる。
そうなっても身動きが出来ないでいる私にローザが「友達とでも
電話だけでも良いから話をしてみたら」と提案してきた。
その提案をやっと実行できたのがそれから2ヶ月近くも時間が
過ぎた時だったのだから・・・・

でも今回もまたレイに助けてもらった。
でもそれも運命等とはもう思いたくない。
運命も愛も今までずっと信じてきたけどそれで大失敗をしてしまった。

Jackとも友達のままだったらきっといい友達でいられたかもしれない。
(ウ〜ン・・・やっぱりこれはない・・・よね・・・難しすぎる!!
 言う事とする事がこれだけ大きく違うのだから・・・・・
 こういう風に考えると・・・・ヤッパリ自分を責めてしまう・・・・)

多分レイとは友達でいられると思う。
私がこうなってから始めて行ったコンサートでパニックアタックに
見舞われてしまい、レイのお陰で無事にその場をしのぐ事が
出来たのだけど、それが度重なってしまい、理解する事の難しさに
今度はレイの方が参ってしまい、ギクシャクして7月頃3週間も話も
出来ない時があったりした。

私の日本での人生は誰に邪魔される事無く本当に人生を謳歌してきた。
わたくしの人生は美しいままで終わるつもりだった。
事実自他ともに認めるような美しい人生を歩いてきた。

今自分がどこにいるのか解らない。
何をすればいいのかも解らない。
どうしてこうなったのか・・・・・これだけは少し解る・・・
わたくしが運命を信じて愛に生きたかったから。
この大きな間違いが今私を迷わせている。

10月2日(水)

Fは私がどれだけ声を掛けても返事もしてくれない。
私はほとんどここにいるときは部屋のこもっているけど、
仕方が無く出くわす事もある。
同じ家の中にいるのだから仕方がない。
その時必ず挨拶をする。それでも何も言わないし無視してしまっている。
もう2ヶ月くらいになるの・・・つらい、とっても。

なんであの頃ここに来ていいと言ったのだろう。
どこにも行き場の無い事が解っていて、これほどのことができると言うのは・・・
それがどう言うことか解っているのだろうか。

私は何度も「本当に行ってもいいの」と確認した。
電話でそんな会話を何度したか解らない。
当時はシェルターにいるのがつらかった。
人が本当に怖くて、スタッフ以外で自由にお話のできる人はCだけだった。
ほかに話のできる人も友達も、知っている人も、誰もいなかった。

そしたらCは「あんた頭悪いね、何回も来ていいと、これだけ言っているのに、
まだわからないの」と言われて・・・・・彼女の思いやりを込めた言い方
だと思った・・・それにありがたかった・・・・事実彼女はとてもいい人だ。

それで信じて本当にやっと、やっとの思いで決心した。
最後の最後までお世話になる事にはためらいがあった。

今思えば、あのためらいは当たっていたと言う事になる。
心は確実に弱っていた。
眠る事も食べる事も出来ないで、希望も将来も何も見えない私が
毎日苦しみもがいていた。

今、本当に本当に人とのかかわりが難しい。
メールでもそう・・・・・
数名のお友達にやっとの思いでHPの事を報せて、それで読んだ後にメールを
くれたのだけど・・・・・
ヤッパリこんな状況を把握するのは難しい事なのだろう・・・・

私の状況を見て・・・・異常さに気がついて・・・・
そして泣いてくれたり・・・・
それでも的外れな事を言ってくる・・・・・・

体験していないから仕方がないとは思うけど、もし本気で私と話をしようと
思うのなら少し勉強して欲しい・・・・
こう言うと傲慢と言われるかもしれないけど・・・・・
交信する事を希望するのなら一緒に学んで欲しい。
どう言う風に接する事が被害者の快復に役にたつのかが
どんなDVの本にも書いてある。

今の私には交流する事によって痛みを感じるような人との交信は
控えたいと思っている。
自分の心はせめて自分で守って行かないと・・・・いけない・・・・
今は誰にも守ってもらえないのだから・・・・・
傲慢といわれようと、わがままだと思われ様と・・・・今は仕方がない・・・
私は自分を自分で守るしか無いのだから・・・・

リリーやT.K君ははっきり「メールを控えたらどうですか」と言って来た。
私もそう思う。それしか方法は無いのかもしれない・・・

でももし本当に心から私のことを心配してくださる方が居たら・・・・
どうか学んでください。

DV関係の本などを買ってきて、少し勉強してみるとか、
DV関連のリンクを読んで見るとか・・・・
「そのうちなんとかなる」とか「時間が解決してくれる」では無く、
少しだけでいいから立ち上がってください。
安易な発想をしないで、もう少し歩み寄ってきて欲しい・・・・のです。

私は既にさりげなく誰にでも学んでほしい事を示唆してきた。
でもそれは本人の自覚で私が言う事では無いとも思っている。
それでも近しいと思うから、私はその事をお願いしてきた。
少しでも解っていてもらった方が私も話しがしやすくなるのだから・・・・・

でも・・・・

今、確かに難しい。とても優しい心の持ち主である事も、
よく知っているのだけど・・・・つらくなる・・・・
相手を思いやってしまう私が又返事を書いている・・・・
つらい思いをしながら・・・・・
書かれた言葉は鋭利な刃物となり、その刃物をグサリと突きたてられたような
思いをしなければならない。
良かれと思って書かれた言葉によって、私は深く傷つくことになる。

本人は優しい言葉を掛けたつもりなのだろう。
だからこっちがどれだけ嫌な思いをしたかなんて、考える事もない。

こんな事をここに書くと、交信を断たれる事になるかもしれない・・・・

まだパワーがあった時には今まで、その事を受け止めてきていたのだと思う。
今でも結果的には受け止めているから相手は気がつかない。
心が健康な時は受け止めてあげても平気だけど、
今ではこっちが病んでいるからつらく感じる・・・・これだけの事だと思う。

今私が安心してメールを交信している人も数人いる。
大学で中国文学を講義をしているOさん。
Oさんが書いてきた、「Rubyさんが受けた状況はあまりにも重大でどう
慰めていいか解らない」と、「そんなに生易しい事態でない事が強く
感じられて手紙を書くのも遅れてしまった」と言って・・・・
私の今までの生き方に強く共感してくれていた人だ。

そしてT.K君。T.K君には今まで説明していなく最近初めて知らせた。
もう9月に入っていたと思う。わたくしのWebsiteを読んで欲しいと知らせた。
そしたらT.K君は「ホームページ読みました。まだ、全部読んだ訳ではないですが、
大変な日々を送られたことと思います。したがって、生半可な、
なぐさめの言葉をかけてもしらじらしく響くだけでしょう。」って書いてきた。
彼は若い科学者。先月までOxford大学で研究していて最近日本へ帰国した人で、
本来なら、たやすくT君なんて呼べないような人なのだ。
全部は読まなくても理解してくれた。
そして自分の身内に起きた事実だけを伝えてきた。
余計な質問など何もしてこないで・・・・

リリー、彼女は大丈夫。小さな痛みを感じた事はあった。
こちらが病んでいるのだから、少しの痛みを感じる事があっても、
それは当然だと思われる。
私のスタンスをよく知っていて書いてきてくれているのだから、
嬉しかったり、少し痛いと感じる事が逆にとてもありがたくもあった。
臨床心理士ではないけれど、自分の身を使って、学んでいるような気がした。
彼女は病んでいる人とどう付き合えばいいかと言う事をお勉強しているのだろう。
彼女自身も鬱で長い事戦ってきた人で、自分を振り返りながら
メールを書いてくれる。
それに私のWebsiteのチェックを折に触れしてくれているようで、
私の日記を読んで現状をいち早く察知してくれている。
だから的外れになどなる事はない。
心遣いが行き届いている。それに何より優しい心の持ち主だ。
彼女とは日本にいるとき夜を明かして話し合った。
意思の疎通の優しい間柄だった。
お互い人に理解されにくいような事でもその事を話すと説明する事もなく
分かり合うことが多くあった。
とにかく話しやすかった。
今こうして病んでしまっている時に、それでも同じように
話のしやすい人がいると言うのは本当にありがたい。

友達から来た嬉しいメールを、その嬉しさをもって読むと
いきなり深淵の底に突き落とされてしまうことが度重なっている中で、
いつも安心して、それも楽しみにして読む事ができる友達だ。
彼女とも何年になったのだろう・・・・・本当にありがたい。

もう一人、大丈夫なのはHPで知り合ったTチャン。
彼女からのメールは安心して読める。
同じ心の痛みの解る人だからなのだろう。
勿論、いつも読んでくれているようだ。
私も彼女のWebsiteは毎日チェックしている。
今ではあった事もない彼女が本当にずっと知っていた人かのように
錯覚する事さえある。

今日はこんな事を書いてしまって・・・・本当に落ち込んでいるのだろう・・・
人が怖くて・・・・人が恋しい・・・・・
そんな思いが・・・・・こういう事を書かせてしまった・・・・・

又引きこもってしまうのだろうか・・・・・

10月4日(金)

今レイの家に居る。少し落ち着いてきたようだから今日のことを書こう。
本当ならもう少し自分の気持ちを取り戻せてからの方がいいのかもしれない。
でも後で思い出しながら書くよりは行き届かない所はあるかもしれないけど、
事実をそのままにかけるかもしれない。
今日パニックが起こった。もう既に心は疲れていて、もし今朝パニックに
ならなくても、どんな事でも引き金になりそうな気配はあった。

今の生活全てがストレスになっているのだから、いつからどうだったと書くのは
正確な言い方ではないのかもしれないけど、今朝の事件の事を特に書くとすれば、
10月1日の夜にC&F夫婦のうちに戻った事が大きなきっかけだったと思う。
家に帰る、と思うだけで憂鬱になり気が重くなリ、出の荷物をまとめるためには
仕方が無いと自分に言い聞かせ、勇気をふりしぼって・・・・
まるで戦いの挑むかのような大きな力を使わないと行動できない事に
なってしまっている。
そして3日(木)昨日の夜、ダンが迎えにきてくれるまでの48時間はとても長く
ナニの家に着いた時にはなんだか本当にホッとしてしまった。
ダンも疲れていたのだと思う。朝の早い人だから、すぐ帰ってしまった。

帰っていったダンは1時間ほどして電話をかけてきた。
彼は仕事で毎日サクラメントに行っている。
それで時々一緒に車に乗せて貰って、ベイエリアに行く列車に乗ってレイの所
まで行くのだけど、ダンと一緒に出かけると言う事は朝がとても早い。
いつも6時迎えに来て出発している。
その電話の内容はいつもの様に、ダンと一緒にサクラメントまで行くためには
早朝6時には家を出発しなければならない。その事を思い、
私がもう少し遅い時間にベイエリアに向かうつもりであればCの仕事がoffだから、
バス停まで送ってもらって行ってもいいのではないかと言って来た。

私もあまり誰にも迷惑は掛けたくない。そうできるのならそうしたいとも
思っている。でもそうすると又Fの機嫌が余計悪くなって私につらくあったて来る。
Fにしてみれば、Fの家族の誰かが私の為に動いてくれることは迷惑が掛かって
居ると感じてしまうのだろう。特にそれが妻の場合ならなおさらだ。
私ははっきり「もう迷惑だから、出て行ってくれ」と言われた方がよっぽど
スッキリするけど、何も言わないで無視したり威圧的な態度で接してくるから、
それに耐え切れなくなった私はここを出て行くための準備をしているのだから・・・・
Cは私がどれほどの思いをしているかは知らない。
本当にもう、自分をどんな小さな事であっても傷つけたくはない。
なんとか自分で守っていく努力を必死でしている。
今では自分ではない自分を認めてしまうしか仕方が無いのだ。
シェルターにいた頃、自分が自分では無いように感じていた時期があった。
判断力や、思考や、感じ方がまるで自分らしくなくて・・・・・
そんな今までの私ではない私を認めるしかなくなってしまった。
それが今の私なのだから。
そんな私がこの世の中でなんとか生きていこうと必死に何かと戦っている。

私はいくら朝早くてもダンの迷惑にならないのならダンに送ってもらいたいと
思っていた。そして当然その事はダンには解っているものと思っていた。
それなのにこうしていってきた事で、本来の私ならなんとも無かったのかも
知れないけど、「あぁぁ、この人にも迷惑をかけているのではないか、でも
どうしよう、ここにいるよりベイエリアにせめて週末居るだけでも次の作業の
為のエナジーの蓄えができる。ダンがだめだということは、ここからどうやって
行けばいいのだろう。それともこのままここにいるしか無いのだろうか・・・・」
と、色んな思いが駆け巡り、今一人では何も一人前に行動を取る事の出来ない
もどかしさが私の心を占めだした。
電話口で無口になってしまった私に気が着いたダンは「どうしたの、何か
気に障るようなことを言った?」と言っているようだった。

生活の不安。福祉のお金も切られてしまって、フードスタンプも盗まれた・・・
私の頭の中は自分がどうやって生きていけばいいのかわからない思いで
いっぱいになっていて、
ここが日本ではない事も、安心できる場所が無い事も、
今なぜ生きなければならないかの意味も、
信じた愛が私の心をズタズタに切り刻んで、
ボロ雑巾のようになってしまった事も
全部が確実に自分の身におきていることで、
自分がどっちをむいて歩いていけば良いのか、どこへ行けばいいのか、
それとも本当に向かう場所などもうなくなってしまっているのか・・・・・
私の耳にはダンの声は届いては来なかった。

どのくらいボンヤリとしていたのだろうか。
誰かがノックしている音がしたけど、私の身体は重くて動かない。
ナニが「Ruby誰か来たみたいだからドアを開けて」と言ったけど
身体が鉛のように重く、身動きが出来ない。
そうしているうちにナニは自分でドアを開けに行ったのか
ダンがいつのまにか私のそばにいた。
何があったのか知らないナニがダンを怒っている。
「Rubyに何を言ったの」と・・・・・

何も話さない時間が過ぎて行き、ダンは自分が予定を変更しようとしたことで
私にストレスを与えたことに気が付いてくれて、「余計な事言ってゴメン。
心配しなくても僕が朝から連れて行くから、少し遅く出よう」と言って
帰っていった。

ナニはとても暖かく私を包んでくれる。だから自分の息子たちが
私の世話をする事を当然だと思っている。
Fによって今私がつらい思いをしている事など微塵も疑っては居ない。
それを思うとCに知られないのと同様にナニにも知られたくは無いと思っている。

やはり疲れているのか書けません。未完です

10月5日(土)

昨日描き終わらせることが出来なかったところを、続けます。
まだ落ち着いた訳ではありません。
普通の人にとっては、ほんの些細な事が、ある人にとっては
大きなきっかけとなって覆い被さってくるのです。


そんな事がゆうべあって少しナーバスになっていた。
朝5時半に起きてダンがいつ迎えに来てもいいように支度をして待っていた。
いつもが大体6時くらいだから、6時半くらいに来るだろうとナニが言って、
洗濯物をダンが来たら洗濯場まで持ってくるように言って、
と言って出かけようとした。
(ナニの家は高齢者専用のアパートで、家にいるよりはお友達が出来るのと、
地理的に友人が訪れやすいと言う事で、7月からここに引っ越してきた。
それぞれの家のガーデンは住んでいる人の個性を現しているかのように
いろいろあり、ナニの家のお庭にはバラが咲き乱れていて、歩くだけで
バラの香りが漂ってくる。芝生で整えられた敷地の中にコインランドリーも
設置されていて、彼女は今そこに行こうとしている)
私は「ダンが来てからでいいのではないの、それとも私が一緒に持って行くから」
と言ったのだけど、もう来るはずだし、今日はたくさんありすぎて重いから、
それに、Rubyはダンを待っていて持って行く様に伝えて欲しいから」と言って
出て行ってしまった。
私はもう来ると思いながら待っていたけど、6時45分になっても来ない。
ここに来たすぐの頃ナニは教会へ行った時に足首を捻挫してしまい、今歩行器
を使わないと歩けない。それで歩くのがすごく遅く人より時間が掛かる。
でもいくら時間が掛かるといっても私だと2分くらいで着く所だから、
もうコインランドリーには着いているはずだ。

私は持っていこうかと思いながら、でも、もし、いない間に来てしまったら
等と思っているうちに7時を回ってしまった。
電話のベルがなってダンだと思い出てみた。
なんだかもう少し遅くなるような様子だったけど、ナニが既に洗濯場で
待っている事、私も支度が出来ている事を伝えたら、それじゃすぐ出るからと
言って電話を切った。
しばらくしたらドアの開く音がしたから出て行ったら、知らない女の人がいて
ナニの洗濯物を運び出そうとしていた。私は瞬時にナニが痺れを切らせて
誰かに頼んだのだと判断して「ハロー」と声をかけた。
そしたらその知らない人が私に向かって「なんであんたか持って行かないんだ」
とすごい剣幕で怒ってきた。私は事情を知って取りに来てくれているものだと
思っていたけど、そうでなかったのか、今度はドアにさしたままになっている
キーを私にとってくれと言っていたらしく、ナニがキーを持って行った事を
知っていたし、ドアの鍵は開いていたしで、その人が鍵を使ったとは
思っていなかったから「鍵をくれ」と言われて「ナニはキーを持っている」
と言ったら、言い終わらないうちに自分でドアから鍵を抜き、怒ったように
洗濯物を三輪車の荷台に積んで去っていってしまった。

私は彼女の思いがけない怒りの言葉と、それが全くの知らない人であったことで、
頭の中が真っ白になってしまい、今何が起きたのか解らなくなってしまった。
どうして私が、何の事で知らない人から怒鳴られたのだろう・・・・
身体がガタガタと震えだし、座り込んでしまい、彼女の声や、
怒った顔が、始めはさっきの女性だったのが夫の声と夫の顔になって
私に襲い掛かってきた。
私は一生懸命打ち払っていた。これはJackでは無い。知らない人が
何か間違えて勘違いしたのだからと。
でも確かに私のことを怒っていた。あなたは悪い人だと言わんばかりの
態度で私の事を責めてきた。
知らない人から何か解らない事で怒鳴られた・・・・・
どうして、どうしてなの、私が何をしたというの・・・・・
なんだか疲れた、疲れてしまった、もう何がなんだかわからない、
もうこのまま眠ってしまいたい、このままずーと・・・・
まとまりの無い思考が脳裏がぐるぐると回り、
この数日のストレスがもろに表面化してきたのか
身体も心も重くなって沈み込んでしまっていった。

ダンがそのときに来て私の様子がおかしい事に気が付いた。
すぐダンは出かけていき、帰ってきたときはさっきの女性と一緒だった。
彼女は私に「何も怒っていないのに」と言って来たけど、
どうしてさっきあんな態度を取ったのか私にはわからない。
今、何も考えられない。誰とも話もしたくないし、一人になりたい・・・・

ダンはすぐローラに電話をしていた。
8時にもなっていない時間ローラが電話に出るはずが無い。
でもダンは事情を話し、返事の来るのを待っていた。
ダンは何度か私の知らないスタッフと話していて、
私に話をしてみたらと電話を持ってきたりしていた。
私は今知らない人とはとても話す気持ちにはなれず、身動きも出来なかった。
何度かの電話のやり取りの後、10時近くになってやっとローラと連絡が
取れたのか私に電話を渡して「ローラだから」と持ってきてくれた。
部屋をしめて出て行き、私はローラと朝から起きた出来事やここ数日の事を
話した。

(未完)

10月18日(金)

書けなくなった未完のままの日記の後、こんなに時が流れてしまっている。
あの後も、次々とことが進展し、自分でもあまり自分の置かれた状況を
理解しないままここまで来てしまったような気がする。
まだ荷物の整理があるからと思っていたのに、いつのまにかそれも済ませ
レイの家へ来てしまった。
あの家にはもうほとんどいなかったのだけど、それでも早く離れたかった。
苦しかった、とっても。
いい人なのだとは解っているし、嫌いたくも無いと思っていた。
今でもそう思っている。
でも人が怖いと思うことが以前のそれとは大きく違うと言う気がしている。

それは夫のときの人の怖さと言うものは、今思えばなぜか
自分でも錯覚しているのでは無いかと思うほど現実味が無かった???
あまりにも今まで体験した事も無い事ばかりの連続で、
まるでドラマの中に自分がいるのではないかと思うほど
頭に?マークがいくつもでてくるほど、解らない事だらけで・・・・
でも本当に苦しかったし、つらかった。
訴えても訴えても、解ってくれないばかりか、普通の静かな時の流れを
自分のものにする事がとても難しく、普通に息をする事さえも
苦しく感じるような、そんな生活だったから、かえって現実味が
無かったのかもしれない・・・・・
今までの自分の人生を振り返ってみても、まさか銃で脅かされて暮らすような
ことが、普通にあるとは思ってもいなかったことなのだから・・・・

それからすると、今度の事は悲しくも現実そのものを突きつけられてしまった
思いがして本当につらかった。

本当に今まで人が好きで生きている事が幸せで、活きたくて生きてきた。
でも夫から受けた傷は確かに深いとは思うけど、でも人を信じる思いが
無くなった訳ではなかった。
夫のことを信じてはいけないのだとは思ったけど、
自分を信じ、人を信じ、自分の人生をもう一度歩き出すために、
とてもつらい思いをしながら夫からの逃亡生活を始めた。

私はあのパニックの後、相当疲れていたのか、それとも思考が既に
麻痺していたのか、今まで長いこと生きて来て、色んなことを経験してきた
のだけど、初めて「死」と言うものを意識してしまった。

夫との生活は毎日が死の恐怖と隣り合わせの生活ではあったのだけど、
先にも書いたようにまるでドラマではないかと錯覚するほどで
現実味に欠けていたと感じていた事は事実なのだ。
それにどんなに苦しくても、もしかしたら事故がおきて死ぬかも知れないとは
思ったことは何度もあったけど、苦しいから自殺しようとは一度も
思わなかった。
私はいつも今在る自分が幸せで、活きたくて生きてきた。
苦い経験をしても、いつもきっと自分らしく生きていくと言い聞かせ
とことん落ち込む事はあっても、立ち直ってきた。
それに何より自分の中では自殺と言う行為に対して、
それは罪であると言う思いがあって、
自ら命を無くす事に対しての罪悪感は相当強く持っていた。
与えられた命が何かの事故や病気によって召されるのであれば
それはそれで自分のさだめなのであろうと思うしかないのだけど、
どんな事があってもその罪を犯すことは出来ないと信じていた。

シェルターの入居の時の質問事項の中にもこのことが書いてあり
「自殺しようとしたことがありますか?自殺を考えた事はありますか?
自殺行為をしたことがありますか?」などの質問がある。
私には当時そうした考えは全く無かったから「No」
これはシェルターの調書にもDrのカルテにもきちんと記載されている。

でも今回の事で、夫のように特殊?な人でない人からのこの行動?で
私の思考は混乱を超え錯乱してしまったのか、何度も死を考えた。
夫からの逃亡生活は確かにつらいし苦しいし、悲しい。
でもまだきっと自分の生きる場所はあると確信して決断をした。
多くの方たちに手をさしのべられて、そして大きく一歩を踏み出した。
シェルターや、C夫婦のいつでも来ていいと言ってくれていたことで
一時的にはそれらの場所に身を置く事になっても、その先には
自分の場所があることを確信して家を出た。
その先で私がPTSDに見舞われることや、離婚の手続きにこれほどの
時間が掛かる事や、日本に帰ることも出来ない状況になる事など
その当時は思ってもいなかったことで、
必ず自分の居場所はあるものと確信していたのだから・・・・

それが日本にも一時帰国さえも出来ないことが解り、GAも切られ、
どこへも行き場所の無くなった私に、唯一の場所であったはずの所で
いづらくなってしまうような出来事に途方にくれてしまい
身の置き所も何もなくなってしまい、
自分の存在価値が見えなくなってしまい・・・・・・
そして初めて自分で罪を犯してしまうかもしれない所まで考えていた・・・・

そんな私にいつも励ましてくれたのがローラだった。
機関のメールアドレスではなく個人のメールアドレスから
「これはシェルターの人も誰も読む事は無いから、なんでも話して」と
言って私が返事を書かなくても何度も何度もメールを書いてくれた。
既に毎週ローラの診療を受けていた時とは違い、ローラの所に行くには
誰かに連れて行ってもらわなかったら車で1時間の所へは
私にはどうしても行ける所ではなかったのだから。
それで急遽ダンに一度行って貰うことが出来て、その日でローラに逢ったのが
最後の日となっていた。

ローラはその後も毎週私が来るのではないかと待ってくれていたようだ。
電話をくれ、e-mailをくれ、行けない事が解ると、それなら電話で話を
しましょうと電話を掛けてくれたりした・・・・・・
私の苦しみをいつも聞いてくれ、私が何も話をしなくても、メールを送って
私に生きる希望を持たせてくれて・・・・・・

言葉には表せないくらい大きな暖かい大切なものを私にくれた・・・・

10月21日(月)

今日ローザから電話があった。
私はもう既にレイの家に来ている。
いつでもシェルターにいける準備は出来ている。
ローザは電話を切っては向こうでいろいろ相談しているのだろう、
又掛けてきて、結局私が一人ではいけない事を踏まえて
レイに送ってもらうのが一番良い方法だと結論が出たのだろう、
そうするようにと言う事で、明日行ける日にちを知らせてくれと言って
電話を切った。
レイが今日仕事から帰ってきたら話をしてみよう。
ローザとの話し合いのとき多分週末になるだろうとは話していた。
ウィークデイは仕事があるのだから頼めないと思うもの。

10月22日(火)

日曜日の夕方レイが送ってくれることになりローザには連絡。
ローラから又メールが2通入っていた。
一通はe-cardだ。面白いものや、きれいなものなどよく送ってくれる。
Tちゃんもよくカード送ってくれる。
最近知らない人からレスが入ったりもしていて・・・・とても嬉しい。
こんなにいい人たちがヤッパリたくさんいる。
レイがいて、日本にも良いお友達がたくさんいる。
リリーも心配してくれている。幼友達も優しく見守ってくれている。
横浜の友達もみんないる。みんないる・・・・・

10月27日(日)

今、日付が変わり、今日から時間が戻った。
昨日なら午前3時だけどサマータイムが終わったから午前2時。
PCはおりこうさんで、さっきインターネットをしている時に時間を設定するように
知らせてきて、既にタイムも変わっていた。
これから少し寝よう。夕方にはサンフランシスコだ。

折角眠れるようになっていたのに・・・・・お薬は飲んでいるのに
眠れない日が多い・・・・

10月28日(月)

夜のスタッフはキャシーだった。
私を見た途端に彼女は驚きの声を上げた。
普通一度シェルターを出て行ったクライアントがそうそう戻ってくる事も
きっと無いのであろう。
「Ruby、なぜここにいるの?」といいながら以前にそうであったように
私のことを抱き上げた。
彼女は女性としては筋肉質で大柄である。
私には言う言葉は無かったけど、なぜか懐かしいお友達に逢ったような気がした。

キャシーは戦争で、両親、兄弟姉妹、おじ、おば、その家族など
全員を無くしてしまい天涯孤独となってしまった。
そして国を捨て、6年前にアメリカにやってきた。
20代だった彼女にはその出来事が重過ぎて相当苦しんだと
以前話してくれたことがあった。

私がまだ日本に居た頃、インドシナ難民の人たちに日本語を教えていた頃に
何人もの生徒から同じような話を何度も聞かされていて、
その過酷な運命の元に生きる人たちと時間を共有できた事を
学びの場として受け止め、決して自分が教えている立場ではなく、
逆に生きることの意義や、意味などを教えてもらった場であったと
ずっと思ってきていた。
お互いの立場を尊重して学べた事が、相手は私のことを先生として
敬ってはくれたのだけど、こちらにしてみれば、日本という社会が
命を掛けて生きていくような社会ではなかった事で、簡単に「あなたの気持ちは
よく解るわ」なんて事を結局誰にも、一度も言わないまま、それでも
仲良く毎週お勉強できる日を楽しみにして過ごしてきた。

今思えば、確かに私は口に出して「解る」とは言わなかったけど、
今でもそうは言えないけど、それでも今のほうが、彼らのためには
もう少しわかってあげる事ができるのではないかと思い、
あの頃の自分の力不足であった事を今更ながら認識してしまっている。
ということは、勿論当時「解る」と言わなかった理由は「自分の知らない事で
相手の本当の気持ちをさっしてあげられるなどと言う行為はおごりでしかない」と
自分の中で戒めていたからには違いないのだけど、
出来る事なら、彼らのためには私自身も今のように命がけの経験をしていて、
そして接してあげたかった・・・・
そしたら、同じ「解らない」でも、もう少し違ったかもしれない・・・・

なんだか今日は少し訳の解らない事を書き出してしまった。
話がそれた感じがする。キャシーの話から、こんな話になってしまった。
ただ書きたかった本来の事は
母国でない所で大きなトラブルの元暮らさなければならない苦労を、彼女は
経験しているから、私の気持ちが判りやすいから、いろいろと気を使って
くれるのだろうと書きたかったのだ。
シェルター再入居の始まりである。

こうしてHPの作業をさせてもらえるように今日のスタッフ会議の時に
ケースマネージャーに一つの案として話を持ち出してもらい
無事に所長やスタッフの同意を貰う事が出来、
私は自分のPCを使う事が出来ることになった。

最初に入ったときもPCは持ってきていたけど、クライアントの部屋には
電話線が引いていないためにシェルターに備え付けのPCでしか
インターネットをする事が出来なくて、個人のPCを使う事が出来なかった。
私はシェルターのPCでe-mailをして、
自分のPCでは手紙を書くなどした。

自分のPCをこうして自由に使えるようになったことは嬉しい。
でもPCを持ってくるクライアントは居ない!!といわれた。
まして私はプリンターまで持ってきている。
私には必需品だ。

10月29日(火)

10月はこちらではDV月間で、このシェルターのコミュニティーオフィスのある
女性会館のオープンハウスがあった。
ローザ、アンなどと一緒に出かけ、以前同じ時期にシェルターにいた
クライアントとの再会があった。
ファームは下の娘を二人つれてきていた。シェルターには4人の子供を連れて入居
していたので、彼らはどうしたのかと聞いたら、来るのは嫌だと言ったらしい。
丁度難しい年頃の子たちだから、来たくはないという思いは本当だろうと思った。

今日、日本の家族へ電話を掛けてみた。この間、無理やりレイに掛けさせられて、
そうしたら、あんずるより産むがやすしで、一度話したものだから
何と言う事も無く今日はかけることが出来た。
今度からは時々掛けるようにしようと思っている。

リリーにも長いメールを書いた。
彼女とは同じ次元で話しているような気がする。
そして何でも話しやすい。そしてよく解ってくれる。

10月31日(木)

午前中のローザとアンが私をオフィスへ呼んだ。
何かと思ったら、私がローザ当てに出した手紙の破れた封筒だった。
中身は無く、汚く開封された様子がわかる。
私は、Cに聞かされていた「フードスタンプが盗まれたらしい」と、
知らされたときのことを思い出した。

その話を聞いたときに、おかしいと思い頭に?マークがいくつか飛んだ。
と言うのはローザがマネージャーとしてマネーバンクに行って、
私の変わりにフードスタンプを受け取り、そして送り返してくれる。という
プロセスを毎回踏むのだけど、フードスタンプをローザが郵送するのだから、
受け取った後に、どこかへ放置しない限り、そんな事が起こるとは、あまり
考えにくく、それでおかしいなと思ったのだけど、
私のその質問に対してCは「ローザがフードスタンプが無くなったと言った」
との返事しかしてくれなかった。
それが今日の封筒を見て、私の言っていたことのほうが正しかったと
言う事が解ったのだ。
私が送った封筒の中に、住所から福祉に関する公的機関であることを
配達する人が知っていたのではないだろうか。
私が投函した後、封筒だけがシェルターに届いたという事は、
あまりほかに考え様が無いような気もする。
違った何かがあったのかもしれないけど・・・・・
今日書きたいことは、その犯人探しの事ではなくて、Cが常々言っていた
30年も住んでいるけど英語が未だによく解らない、と言っていた言葉の
信憑性が確かになった・・・・と言う話である。
彼女の英語は確かに公的ではない。身内には通じるカタカナ英語??なのだ。
そのカタカナ英語でしかないのだけど、彼女の夫が大きく
フォローしてくれているので生活上困る事も無く30年という月日が流れて
しまったらしく、未だに英語が解らないと言いながら、アメリカで
普通に暮らしている。
その未熟な英語であった事で、フードスタンプと換える事の出来るカードが
盗まれた、ということが解らなかったと言うことだったのだろう。
それなら話は判ったのだ。?マークが頭の周りを飛び交う事も
無かっただろうと思う。

もうなくなったことは仕方がないと思うからいいのだけど、持っていた
疑問が解けたことで、今日は少し気分がいい。







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