独り言/2002


日本でのDV法に本当に意味でのケアを



人物紹介
Jack=夫
ローラ=最初のシェルターのセラピスト
アイコ=日本語のセラピスト
ローザ=サンフランシスコシェルターケースマネージャー
アン=サンフランシスコスタッフ
ジャッキー=最初のシェルターのスタッフ
ランディー=最初のシェルターのケースマネージャー
ナニ=Fの母
F&C=私がお世話になっている家の夫婦
ダン=Fの弟
アーニー=Fの兄
レイ=Rubyの旧友
キャシー=サンフランシスコ夜のスタッフ



July 29, Monday

HPを立ち上げて数日がたった。
中身を少しずつ膨らませているのだけど・・・・・
あせってはいけないと言い聞かせながら・・・・・

作業を始めた事によってそれがストレスにならないように
しなければならないと思っている。

立ち上げてしまったのだから、後は継続すること。

でも体調と相談しながらの作業。
いつも自分が言いたいと思っている事を文字にできる訳ではなく、
気力が続かなかったり、思考がまとまらなかったりと
作業をすることが難しい時があるのだから。

でも伝えたいことがあり、その必要性も感じている。

日本人には解りにくい所も多いと思うのだけど・・・・
社会のあり方や人間の生活習慣があまりにも違いすぎるところがあり、
人々の捕らえ方なども違っていると思う。

でもだからといって知らせないままだと日本のDV法が
立ち遅れてしまう・・・・・と、思う。

日本で発行されている本を読んでいて
社会の認識がまだまだ低いという事を感じる事がある。

被害者救済のための施設の数も今の状況ではごく、ひとにぎりの人たちだけで
いっぱいになってしまうという現状のようだ。

女性に対する暴力が人権に関わる大きな問題であり
深刻であるにもかかわらず、その重大性はまだ充分に認識されてはいない様子が
本の中から伺える。

私の場合を当てはめてみたと時、もしこれがアメリカではなく日本であったならと
考えた時に不安になるほどだ。
確かに日本でだったら私の状況自体もありえなかったかもしれないけど、
(日本では銃が普通の家庭には無いから、その意味でだけの言い方)
それでも、ここまでの対応をしてくれたであろうかと思ってしまう。

それほどの違いや遅れをDV事情を知ったときに感じる事があり、
決していい経験ではないけれど、私の経験した事で少しでも、
人の役に立つ事があればと思い、こうして書くことを決心した。

アメリカに於いても今のように「DVは犯罪である」と
社会に認識されだしたのは、近年の事で、
既に20年のDV対策の歴史があるけど、
始まった頃には大きな誤解や錯覚、間違いなどを繰り返してきたようだ。

そのことを考えた時、
今始まったばかりの日本でのDV法の早期の改善や、
正しい認識を持って欲しいとの希望も強く、
こうして書いていることで少しでもアメリカでも見過ごされてきた
あやまちに早く気づいて日本での適切な対応になってくれればと
心から思っている。

アメリカの場合、DVの被害者に対して今では警察も民間シェルターも公的機関も
大きな味方になってくれている。

私の事を例にあげて言っても、夫がいくら私の行方を捜そうとして、
捜索願いを出しても警察はすでに私がシェルターで保護されている事を
知っているから、捜索願が受理される事はなく
勿論、私がシェルターにいることなど夫に報せる事もありえない。
とにかく法律的に今私は確実に安全を約束されている。

20年と言う年月をかけてDV法を築き上げてきたアメリカでは
既に「DVは犯罪である事」を社会常識として大きく浸透している。
とは言うもののその犯罪が減っている訳ではないようだけど・・・・

私自身の事をここに取り上げて見たとき
日本での被害者の方々のことを本などで知ったときに
被害のあり方も大きく違う事が解る。

でもここには事実だけをありのままに綴っていきたい。

7月31日(月)

ゆうべとても不思議な夢を見た。
夢の中の私はなぜか日本にいた。そしてアメリカのお友達も一緒だった。
私は泣きながら一生懸命何か話をしていた。
誰と話をしていたのかは解らない。

夢の中で誰もが私を助けようとしているのに
夫がなぜか魔術を使っているようにパワーがあって
こうして身を隠しているのに見つけ出してしまって、
私を連れ戻そうとしていた。

その後がまだあったのだけど泣いている自分と
背の高い夫がさらに大きな影を写している様子だけが
思い出されるだけであとの事は覚えてはいない。

風の便りに夫が今でも私の事を捜して回っている事を知った。
その噂を聞いたからこんな夢を見たのかもしれない。

それに去年の今ごろは毎日怯えて暮らしていた。
秋になるまではとても怖い日々を過ごしていた。

アメリカの今の季節は9時くらいまでは外が明るい。
夫の起きている時間がそれだけ長いという事になる。

長い時間起きていればアルコールを飲む量も多く、
気が大きくなるのか、飲みすぎてしまうのか
私を責める言葉が多くなる。

ただ人は夫が私を責める事をこのアルコールのせいだと思っている。

でも決してアルコールのせいで夫は凶暴になったり脅したり
している訳ではない。

確かに気が大きくなってきっかけにはなるのだけど
もしアルコールを飲んでいなくても
私を責めたり罵倒する事を止めることは無いのだから。

夫は私を脅す事でコントロールしようとしているのだから。
言葉の暴力を選んでいるのだから。

この辺の事が人に訴えることの難しい所だ。

まだ仕事から帰ってきたばかりの時に夫に
話をしたいと思いそう言って寄って行くと避けるのだけど、
時間とともに酔いも回ってくると
社会に対する不満の捌け口が全部私に回ってくる。

何の脈絡も無い事で怒られるという事になってしまう。

こんな事は気にしなければいいのだと
始めの頃は聞き流していた。

そうしているうちに自分の友達から電話が掛かってきたりして、
それで夫は機嫌よく話しているから、こちらがホッと胸をなでおろしていると
今度は「君にも昼間恋人から電話が掛かっていたはずだ」と
言いがかりをつけて騒ぎ出してしまう・・・・・


どんな話も全部夫の想像でしか無いのに銃を持ち出しては
私を脅してきた。「見つけ出して殺してやる!!」

もしかしたらこれも夫の選んだ行動で演技だったのかもしれない。

このことがあるから昔留学していた時の友達、クラスメート、
ホストファミリー等どこへも「今結婚してアメリカに来ている」
という事を知らせることも出来ないで暮らしてきた。

でもこれはあたかも私が自分で選択して知らせなかったかのように
錯覚をしていただけで、そうではなく夫のコントロールによって
私が友達との連絡をとらないようにさせられていたのだという事が
後になって心理学の本の中から学び解った。
でもその事が解った時にはすでにそう言うこともできない状況の中にいて
物理的な状況だけではなく自分の心も既に病んでいたのか
そう言う欲求が生まれてくる事もなくなってしまっていた・・・・


日本にいた時にはアメリカの友達に向けバースデイカード、クリスマスカード、
クリスマスプレゼントなどよく贈ったり贈られたりしていたのに
夫と結婚した途端に私はその友達からは行方不明の状態になってしまった。

今年の2月に家を出てその後何度かそのお友達にも連絡しようと
試みた事はあるのだけど、
夫との生活の中で受けた精神的抑圧によって
私の心は今までの自分ではなくなってしまい
仲良く大切だったお友達の誰にも連絡が取れなくなってしまった。

セラピストとのこの話のときに
「もう少しその事は待ちましょう」といわれた。

Drは「少し気分の楽になるお薬を出しますね、あせらないでください」
といってお薬を出してくれた。

カウンセラーは日々の私の行動をよく観察してくれ
外出の出来ない私に「出掛ける用事があったら一緒に行きますから」
と決して無理強いをする事も無く見守ってくれた。

それからもう半年という時の流れの中で
未だに一人で外出する事も出来ず、電話のベルがなっても
受話器を取ることも出来ず、お友達にも逢いたいなどと言う
欲求さえも湧かないで、お薬の服用を止めてしまうと
眠る事や食べる事の出来ない私がここにいる。

ゆうべはどうしてあんな夢を見たのだろう。
そのうち見つけ出されるという暗示だろうか。

8月1日

HPの掲示板。よく解らないままレンタルしてしまった。
どうしようと思っているうちに書き込みがあってとても嬉しかった。
返事をしようと思って、この掲示板に返信の出来ない事が解った。
なんだか初歩的なミスを犯してしまったような気になってしまった。
Tちゃんの場合HPのURLを入れてあったから返信ができるし、心配は
要らないけど、もし知らない人からきたときに返信がしたくても
出来ないと解るとなんだかがっかりしてしまった。
変更する事が可能なのか、何か方法があるのか調べてみよう。

8月5日

どうやらこの掲示板は変更が出来ないらしい。
方法としては返信のできる掲示板も申し込むことにするしか
方法はないようだ。
まだ読んでいる人も少ないと思うし、このHPにはカウンターも無い。
どれだけの人が読んでくださるのかも解らない。
でも自分の心をありのままに綴るしかないと思っている。

8月7日

しばらくこのHPの作業の出来ない日が続いた。
原因はわかっている。
以前のような鬱に入り込んで身動きの取れない状況になった訳では無い。
なんとか努力して気持ちを外に向け様とはしている。
でも気力が起きなく考え事ばかりしている。

理由は二つ。
一つは離婚の手続きがなかなか進まない様子を知ったからなのだろう。
何度も弁護士に連絡をとってもらえるようにシェルターへ電話し、
ケースマネージャーとは話をしているのだけど、どれだけ電話を入れても
返事が来ないということだった。

今この時期だから夏休みだということも考えられる。
でもいつになったら私の離婚の意思を夫に知らせることができるのかという
質問をシェルターを出て、ここにこうして住むようになってからずっと
してきている。

e-mailも出している・・・・・
出来ていないのならまだだということでもいいから返事が欲しいと思う。

そしてもう一つ・・・・これは今ここには書けない。
お世話になっているのだから・・・・・

このことで以前の状態からすると、随分と快復してきているようには
感じるけど、気が重い。

8月14日

今日はとても幸せな日だ。インコの雛が1羽孵っている。
朝餌を変える時に除いてみたら卵が3個しかないからおかしいなと思って
よく見てみたらピンクの小さなひなが動いていた。
とても嬉しい。今日は朝からとってもハッピーな日でとても機嫌が良かったの。
と言うのは待ちに待った赤ちゃんが生まれたから。
やっとやっとね。

タローと花チャンの第一子です。
この小鳥たちは奇跡の子たちなのです。
お外にかけていて鳥かごのドアがなぜか開いてしまって飛び出し、
翌日見つけ出した子たちなのです。
20エーカーの広さの中を口笛を吹いて小鳥たちの鳴き声を真似て。
このことはお友達にもメールを出しましたから別のところで
解るようにしておきます。

もう一度この小鳥達は瀕死の重症から生還した事があります。
夫の火の不始末からのボヤ騒ぎで煙の中で後5分後だったらダメだったという
事件がありました。このことは「希望の使者」のところにもう記載されています。

そう言うわけでこの子たちはどんな事があっても絶対手放せないのです。
2度も死にかかって生き返ってくれたのですから!!
その事たちが親鳥になりました〜〜〜〜ばんざーい!!
とても嬉しいです!!今日はとても幸せです!!

サンフランシスコのシェルターにいた頃に初めての卵を産んで、
それからこっちに私が引っ越してきてまた産んでと
過去2回4個ずつの卵が孵化しないでいたのですけど
先月また卵を産みました。

今度こそと思って毎日励ましていたのですけど今朝餌を換える時に見たら
卵が3個しかなくてそしたら端っこの方に赤ちゃんが動いていたのです。
きっと明日も1羽孵ると思います。1日おきに卵を産んでいましたから。

このことがあってやっと少し元気になったような気がしてHPの編集をしようと
開けてみたら、知らない方からの掲示板への書き込みが入っていました。
読んで私はその方に返信できない事を思い出し、返信のできる掲示板も
早速用意することしました。読んでくださった方には心からお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

8月15日(木)

ゆうべは結局徹夜をしてしまった。
雛が生まれた喜びと、相変わらず私を苦しめているもう一つの事。
そんな中で手紙とHPの編集をしていたら夜が明けてしまって、
今朝7時になっても作業が終わらなかった。

少し寝ようと思ってシャワーを浴びてベッドに入ったけど眠れなかった。
ここにいるのがつらい。

Cに郵便局に行きたいといって連れて行ってもらった。
そしたらヤッパリM子からの千羽鶴が届いていた。嬉しいね。
早速メールを打ってありがとうと言った。

千羽鶴は10代の頃作った事がある。
でも随分と長い事見ることは無かった。ありがとう。

今日は雛の鳴き声がチーチーと聞こえる。とても可愛い。
写真をとってしまった。初めての子だものね。嬉しいね〜嬉しいね〜。

そして今日は日本のお友達からの千羽鶴が届いた。
少し時間が掛かってなくなったかと心配したけど無時に届いて良かった〜!!
久しぶりに千羽鶴を見た。

私が作ったのは10代の頃だったし、その後日本ではどこかしらで見る機会も
あったりはしたけど・・・・
なかなか千羽鶴を自分の身近で見ることはもう無かったから。

子供の時からのお友達二人が500羽ずつ
私の快復を願って心をこめて折ってくれた折鶴。
早速ベッドの傍に掛けている。
お友達とその家族の思いがいっぱいつまっている。
この千羽鶴が遠い日本から柔らかい空気を運んできてくれた。
ありがとう。きっと元気になるから!!

友達や、今助けてくれている人たちや
みんなのお陰で元気になっているのを実感している。
幸せだよね〜。   この幸せは夫のお陰?????
変な言い方だけどこれホント!!

今の幸せは夫がいなかったら手に入らなかった???
夫と一緒には幸せになれなかったけど、
わたくしはまた自分の幸せを探し出すことが出来た。

でも裏腹に、ヤッパリ毎日つらい・・・・・

8月16日(金)

家にいるのがつらくて友達のうちに行く事にした。
今、自分が恐怖を感じることなく安全でいられるところが2箇所ある。
一つはここなのだけど、今はここでもつらい思いをしている・・・・
なぜかということは今このHPには書けない・・・・・
でも夫からの逃亡生活という事を考えると確かに安全だと思う・・・・

その回避のためにも、時々はもう一つの安全な場所である、友人の家に
3時間の道のりを出かけなくてはならない・・・・

1人でバスや列車を乗り継いでいくのはとても怖い・・・・
でも今はそうするしか仕方がない・・・・

独身の頃は1人で何度もアメリカには来た。
留学中、学校が休みの時に1人でグランドキャニオンにも行き、シアトルにも、
カナダにも行った。
アメリカでは人に頼っては生きてはいけない。自分の事は自分でする国だ。
自分で電話を掛け列車やホテルのリザベーションをし、行動した。

それなのに・・・・今は・・・・
でも行かなくては・・・・ここから30分掛かるバス停までは送ってもらう。
そこからバスで1時間。サクラメントまで行って、そこからは列車に乗り換える。
そして列車で1時間5分。
お友達に迎えに来てもらって。帰りはもう自分で帰るエネルギーはない。
友達に3時間の道のりを送ってもらって帰ってくる・・・・・

今日で3回目。
それまでは家まで迎えに来てもらって、送ってもらっていた。
そうするにはさすがに遠すぎる。

思い出すと1回目は幸いにもバスも列車も人がいなかった。
バスには3人しか乗っていなかったし、列車も私の周りには誰もいなかった。
それで大丈夫だったのか、少し自信がついた???様な気だけかしら・??

2回目は・・・・・やはり同じような状況だったけど、夏休みに入っているから
少し人が多くなっていた。
でも隣の席には誰もいなかったし、最初の時と同じように列車の後部の
その席だけ壁を向いているシートに座った。


バスを待っていたら、犬を連れた目の悪い人とまた一緒になった。
もうこれで3度目になる。
また一緒にバスに乗って座れる椅子の所まで一緒に行き、今日は話をした。
知らない人と話をしたのは2000年以来?

ここにはサクラメントから仕事できているらしい。
彼は点字に変換してくれる機械を持っていてe-mailもできると言っていた。
すごいよね。確かに耳がいいのがわかる。
前の時私が連れて椅子までいったことが解っていたようだもの。
連れて行っただけで話はしなかったのにね。

1時間が短く感じるほどすぐサクラメントに着いてしまった。
確かに黙って1時間乗っているより話ながら来たらすぐ時間はたってしまう。
サクラメントでは恋人だと思われる人が待っていて彼が優しくキッスをして
いたもの。幸せそうな人を見ると嬉しい。

今日はPCを持ってきた。今列車の中だ。
このバッテリーがどのくらいもつかは解らない。
どうも動いている時の振動が大きくて使っていて少し心配になってしまう。

今日は列車も時間どおりに出発した。
何もなければこのまま着くのだけど・・・・・日本のように正確ではない。
でも良かった〜 今日は無事に着いたよ!!
日記の続きは家にに着いてからね。バッテリーもピコピコ言い出した!

無事に着きました。さっき書き忘れたこと。
列車の中でジーンと言う人に逢った。通路の向こうの席にいて話し掛けてきた。
彼女は56歳で夫が37歳だと言っていた。
とても優しくて何でもしてくれると言って自慢していた。
幸せでよかった。なんだか幸せな話を聞いて嬉しくなってしまった。

私は今日知らない人二人と話ができた。
この調子で、自由に外出ができるようになると良いな〜

8月18日(日)

タローと花の様子を見に行った。赤ちゃんと卵がなくなっていた。
一瞬見ている景色が間違いだと思った。
雛鳥がいると思って中を見て、何も無い空っぽの空間が目に入ったときには、
理解の域がパニックになったのか、自分で「アレっ!!
今何をしようとしていたのだろう」って感じで、
自分が雛を見ようとしていたことがどこかへ飛んでいってしまった。

でもこの箱を開けたのはなぜなのだろうと、どのくらいだったかはわからない、
多分一瞬なのだとは思うけど自分の行動を把握する事が出来なかった。

すぐに自分は今ここで雛の状態を見たかったのだと言う事に気がつくと同時に
いないことがどう言うことか悟ってしまって愕然となってしまった。
多分死んでしまったのだろう。そしてCが巣箱から出したのだろう。
タローと花は雛鳥にえさを上げていなかったのだと思う。
一生懸命温めてはいたけど、生まれてからも温めているだけだったのかも
しれない。生まれてすぐにとっていたらどうなっていたのだろうか。
ちゃんと育てられたかどうかは解らないけど、そうした方が良かったのだろうか。

2〜3週間前からある事でナーバスになってしまっていた。
その前まではやっと元気になっていたのに・・・・・ナーバスになっていても、
嬉しい事がいろいろ続いていて、なんとか保ってきていたのに・・・・・
ヤッパリつらい・・・・お庭に穴を掘ってもらって鳥の赤ちゃんを埋めて
しまった。最近調子が悪くなってきていたけど、こんな事があってよけい
つらくなっているのかもしれない・・・・・

8月19日(月)

さっきサンフランシスコのシェルターに電話をしたけど
ローザもアンもいなかった。
電話をくれるように伝言をしたけど返事が来ない。
そうしているうちにDrローラとのアポイントメントの為にジャキーから
電話が入った。今週の予約を水曜日の10時ではどうかと言ってきている。
でもCちゃんが金曜日が休みだと思うから金曜日で無いと行けないと
言ったけど・・・・・
その話のときにジャッキーにはここにいることがつらいと言う事を話した。
もう4ヶ月近くにもなってしまう。4月末にここに来たのだから。
後でもう一度サンフランシスコに掛けてみたらジョディスが出て
やっぱりローザは何時に病院から戻ってくるのか解らないと言っていた。
それでアンのことを聞いたらランチに行っていると言うことで
帰ってきてから電話が欲しいと伝えた。
後でアンから電話があってここにいることがつらいこと、
いつになったらハウジングが私のために開くのかなどを聞いた。
アンは困っていたけど考えてくれるとは言っていた。
そしていつでも掛けていい事を伝えてくれて電話を切った。

そうしているうち今度はまたジャッキーから電話が入った。
金曜日の10時はどうだと言ってきた。もう何度も変えてもらうのは悪いから、
それで良いと言って話を終えようとしていたら
私の声がおかしいのにジャッキーは気がついて「泣いているの」と聞いて来た。

私は今不安でいっぱいになってきていること。
少しよくなってきている気がしていたけど、ここにいることが苦しくなって
きている事を話した。
今の状況を話したら、深刻な状況になっていると判断したのかミーティングを
する事になった。

8月21日(水)

ずっと眠れない日が続いている。
昨日はサンフランシスコのシェルターの人と、
このカウンティーのシェルターの人とそれぞれ電話で話をした。
今度の金曜日にセラピーがある・・・・・
そのセラピーの後にまたミーティングをするよう・・・・・
今後の私の事の相談。

私の居場所がなくなってしまって・・・・・
今度のミーティングの時に両方のシェルターでの
話し合いも電話でするようになるかもしれない。

今のわたくしのはどこにも居場所が無い。
アメリカにも日本にも・・・・・ここにもサンフランシスコにも・・・
本当にまた消えたくなってしまう・・・・

折角少しいいような気がしていたのだけど・・・・・・

なんだか良くなってきていると思ったのだけど・・・・
もうどのくらい前になるだろう、この兆候はあった。
自分で「今度はもう大丈夫、もう落ち込んだりしない」って
ずっと言い聞かせてきてはいたのだけど・・・・・

すごく頑張って元気でいるようにはしてきていたのだけど・・・・・
14日ごろからまた眠れない日が始まってしまった。

昨日までは1分も眠れないの。お薬は飲んでいるのだけど・・・・・
食欲も減ってきている・・・・・

いつになったらこんな事がなくなるのだろう・・・・


9月2日(月)

友達の家からいつもなら日曜日の午後に出発して帰ってくるのだけど
お休みだったから今日帰ってきた。家についてトビーが居ないからきっと、
お庭にでも出ているのだろうと思って捜したけど居ない。
なんだかもうトビーが死んでしまったのではないかと自分で感じてしまった。
トビーはここの家のダックスフンドで13歳になる老犬で、
とても可愛がられている。
もしかしたら病院にでも行ったのかもしれないとは思ってみたけど・・・・
なぜだか死んでしまったのだという思いのほうが強く、自然と涙が出て、
いつもの様に、私が帰ってくるときはこの家には決して誰もいないから、
帰ってきてから聞くしか無いのだけど・・・・・・

C夫婦が夜10時過ぎにビンゴゲームから帰ってきた。
私の部屋に来てCが「もう犬は居ないよ」と言った。
今日の昼間Cがお昼寝をしている間に死んでしまったと・・・・・・

ほとんど一人で家にだけいる私の友達だった・・・・・


9月3日(火)

小鳥ルーが始めての卵を産んだ。
キーキが餌を取り替えようとすると私を威嚇してくる。
タロー、花達のペアとは大違いだ。タローと花は私が餌を取り替えると、
遊んで欲しくて手から餌を食べようとする。
ルーはまだキーキとペアにする前は私にいつもくっついていて、決して
誰にも行こうとはしなかった。
まだ家にいた時など、時々気が向くと夫のところにも行っていたけど、
この家で世話になる様になってからは一度もCの手に止まることもなく
ケージからも出てくる事は無かったらしい。
どれだけ馴れていたかはCは時々家に来てくれていたから知っている。
それが全くケージからも出て来ようとはしないし、
手を差し出すと突っついて来ていたらしい。
シェルターに居た頃その話を電話で聞いたときには、
もう私のところにも来ないかもしれないと思って寂しい思いをした。
4月末に私がここに来て、3ヶ月ほど離れていたのだからルーから忘れられて
しまっているのではないかと思っていたけど・・・・ルーは忘れていなかった。
私が手を差し出すとすぐ来て、それからキーキとパートナーになるまでは
私の肩から離れる事は無かった。でも決して誰の所にも行かないで
私の周りにいつも居た。動物は忘れないね。飼い主を!!
2週間ほど前にケージに巣箱を設置して、ルーとキーキをペアにした。
そうしているうちにエサを換える時にキーキの様子が少しずつ変わってきた。
餌が必要な事は解っているのだろうけど、それでもケージに手を入れられる事を
とても嫌がっている。それで、もしかしたら卵を産むかも知れないと思っていた。
そしたら・・・・ルーが卵を産んでいた・・・・
ルーはさっき餌を換える時に守るようにして卵を抱えていた。
このペアはきっと雛をうまく育ててくれるのではないかと・・・思っている??
タローと花は相変わらずで卵は産むけど、遊んだりしている。
でも一度雛が孵ったのだから・・・・・

きっとルーは大丈夫のような気がする。
雛がかえるといいな〜

9月4日(火)

今日ローラの所へ行く日、そしてランディーと病院へ。
書類作成が出来ずに帰ってきた。何をするのも時間が掛かる。
ローラが今の状況をなんとかしないと私が又大変な事になってしまうと
とても心配してくれている。そのためにどうすればいいかを毎回
いろいろと考えてくれている。サンフランシスコのスタッフとも相談したり
と、これ以上深刻な状況を作らないようにとの配慮が私にはわかる。
とてもありがたいと思っている。
終わってからのおばあちゃんの所へ。
今ではこのナニ(おばあちゃん)のところに居るのが一番楽だ。
どこに居ても心が休まらない。
こんな季節なのに、本格的な風邪の様で頭が痛い。

日本でのDVの被害者の人から離婚に2年ほども掛かったと
メールに書いてあった。
わたくしは家を出たのが2月で手続きを始めたのが3月だから
まだ半年くらいしか経っていないのだから仕方がない。
もうあせらないで待つしかないと思っている。
全く知らない人から「もしご主人が謝ってきても惑わされないで
ください。」と書いてきた。
「きっとまた同じ事の繰り返しになります」と。

そんな気はさらさら無いけど逢う事があるとも思って
いなかったから、そうか、もしかしたら裁判所とかで
逢う事もあるんだと改めて考えてしまった。
なるだけ逢う事も無く離婚が出来たらいいなと思っている。

だってきっとかわいそうだと思ってしまうと思うもの。
迷惑を掛けたくないってね。
メールの人が言ったような理由ではなく
自分の性格を知っているから、Jackを見ると
つらくなってしまうと思う・・・・・・
可哀想な人なのだから・・・・・・病んでいるのだから・・・・

でももうわたくしにはJackを助けてあげる事ができない。
もう次元の違う所で生き出しているのだから。

CにとってはJackは悪魔か鬼だから。
そしてその悪魔をかばうわたくしは「ばかたれ」だそうだ。
Cからは「こんなに頭がいいのにどうしてバカたれなんだろう」
としょっちゅう言葉の暴力?を受けています???あれっ!!
ここでもDV??  ハハハまたシェルターへ行こう!!

本当に言葉でいえないほど彼女には感謝している。
本当に心から心配してくれて・・・・・

Jackが彼女とは引き合わせてくれた。彼女はガソリンスタンドにあるストアで
働いている。夫は通るたびにそのストアに寄って買い物をしていた。
Jackにとっては皮肉な事になってしまったけど・・・・だからJackにも感謝。
そしてそう言う運命でもあった時の流れを与えてくれた全能の神にも感謝。

多くの人の善意を身体いっぱいに感じる事ができた自分の人生にも感謝。

でも・・・・それとは別に・・・・ヤッパリつらい・・・・


9月5日(木)

お友達からのメールが少しつらい。的を得ないといえばいいのか・・・・・
私はどんな時でも相手を受け止める立場であるらしい。
今までは確かのそうだった。
日本ではその事で多くの人々が私の元へ来ていた。
それは心が健全で心身ともに健康であったからという事ではなかったらしい。
こうして病んでしまっていても、結果的に相手を思いやってしまわないと
いけない状況がどうしてもでてくるのだから!!
これは人のあり方が当然その用に形成されているからではなかろうかと
思ってしまう。ウ〜ンなんともやりきれない思いである。
レイとの事をとってもそう思わなければ片付かない事が多々おきている。
夫の時もそうだった。誰の時でも私が受け止めるしか方法はないのだろうか。
私だって甘えて受け止めて欲しいよ〜!!
思いを振り切って今日の料理は日本で行こう!!
大根、昆布、厚揚げ、こんにゃくを煮て、鮭釜飯を炊いたよ。おいし〜い!!
Cも喜んで食べていた。良かった!!


9月6日(金)

明日早朝からCとFがアイダホの息子の所に行く。帰ってくるのは月曜日の夜。
静かな日が送れるのが嬉しい。

9月8日(日)

PCのファンの様子がおかしい。大きな音を出して回っている。
心配だから今日これでPCを閉じ様。毎日使いすぎで疲れているのだろう??
一日中眠る以外は本当に使いっぱなしだから。音が大きい!!では切りましょう!!
頑張ってくれ私のPC。

朝からビックフット(この家の老猫)がウサギを捕ってきて内臓だけ食べて
残っているのをリビング見つけた。
仕方が無いからテーブルを動かして見えないようにしたけど、
ヤッパリ行き来していると横から見えてしまう。
それで毛布をテーブルに掛けて見えないようにした。
夕方になったらダンから電話があってウサギの事を話したら片付けに来てくれた。
そして明日アーニーと3人で食事に行く事になっているから
私はおばあちゃんの所で泊まって明日、迎えにきてくれることになった。
Cの家ではつらいけど、本当にこの家族には感謝している。
でもこのギャップに押しつぶされそうになる・・・・・


9月9日(月)

朝からチコへ。ダンが用事を済ませている間に私とアーニーは歩いて
モールまで行った。そしてカフェでコーヒーを買って、すぐ帰ってきて
往復1時間弱歩いた事になる。
これを毎日続ければきっと身体に為にはいいのだろうけど・・・・・
私たちが戻ってきたらもうダンは終わって出てきていた。
それからダウンタウンに行ってブラッククロウと言うレストランへ。
私はシーフードのパスタとマルガリータ、ダンはチキンサンドイッチ、
アニーはお肉とマッシュルームのサンドイッチ、ビールとそれぞれ違うものを
食べ、全部で50縫廛薀好船奪廖
このレストランはこの町では高級?なレストランだ。
チコは学生の街だから比較的安いお店の方が多い。

弁護士から指紋採取カードの書類が届いた。入管の手続きの時に、両手の全部の
指紋は前にもたられたことがある。そのとき、私は「日本の警察にも私の指紋は
無いのにどうしてアメリカで10本の指の指紋をとられるのか」と聞いたことがある。
そしたら答えは犯罪暦のある人の入国をさせないためだと聞かされ、
それなら仕方がないと、あきらめて指紋の採取の作業をした。
私のイメージではTVドラマで見る指紋の採取方法しか思い浮かばなかったけど、
実際にアメリカで取られた方法はコンピューターでの採取だった。
コンピューターに移す出される自分の指紋を大きな画面で見ながら
丁寧に何度も一番良い状況の指紋を保存していた様に記憶している。
あの時の指紋のデータではダメなのだろうかと思いロザリンに聞いたら、
「管轄も違うし、別の用途で使うから・・・・・」と解らない?返事が
帰ってきた。なんだか「本当?」と聞き返したくなるような気がしたけど、
それ以外の返事が返ってくるとは思えず止めてしまった。
そしてそのときに「何か犯罪でも犯していれば紹介ができるとは思うけど!」
等と笑いながら冗談を言っていた。
明日、警察署に行って指紋採取をしてもらってくる。
指紋採取に12ドル、その後サクラメントのオフィスに書類を送って
中に32ドルの小切手を同封する。

9月10日(火)

私がここにいるのがとてもつらいと感じていることをCは知らない。
Fが私にどう言う態度を取っているかを知らないから。
ここにはもう長くいられない。夫からの安全は確かだけど、それ以外の自由
と言う意味で考えると夫といたときと同じ状態でしかない。

このうちは森の中で家にいることだけを思えばとてもいいところだ。
でも夫といた時と同じで孤立させられている状況は同じなのだ。
始めは「いつでもどこへでも連れて行ってあげる」と言ってはくれていたけど、
それは所詮口先だけでしかなく、私が友達のうちに行きたいなどと言うと
どうやっていくの?と言う顔をされてしまう。

確かに何をするにもどこへ行くにも人の手を借りなかったら決して可能では
ない状況の中にいる。

まだ家にいた頃は免許を取りたくても夫が試験場へは連れて行ってくれなかった。
ここに来てからは、免許を取りに行くというその行動を起こす事が出来ない
状況にある。実地試験の時にパニックが起きたら・・・・と思うと、今は
とても免許を取りに行く事など考えられない。

ここからはどこに行くのも歩いてはいけない。
私のうちのときと同じで、バスに乗ってどこかへいける環境の所まで行くのに
車で30分以上は掛かってしまう。

セラピストのローラは、Bay areaのレイのうちに住ませて貰って、自由に
行動の取れる環境を作らないといつまでも病気も治らないし、チャンスもない。
と言って、「そんなにつらいのならCに話をしよう」と言ってくれる。
私はそれをずっと断ってきている。Cには心から感謝しているし、
ここにいるのがつらいのだなどと知らせることは出来ない。
まさか自分の夫が私を抑圧した態度を取っている事など知らないのだから。

9月14日(土)

サンフランシスコの福祉事務所から給付されているこ金の支給を停止すると
メールが来た。

9月16日(火)

午前中ローラと一緒に病院へ、1ヶ月分のお薬を受け取り帰ってきた後でローラの
オフィスからサンフランシスコのシェルターへ電話、ローザと話をした。
これから先のことでいろいろな相談。ロザリンもいろいろ調べて折り返し
電話をくれるという。後30分はローラの患者のアポイントもないからと
待っていたけど、調べが終わらなかったのかローラの所にいる間は
電話は入らなかった。
家についてからローザからの電話。彼女はまだCがいることが判ると
「後で掛けなおす」とCに気づかれないように「これからランチタイムだから」と
言ってCが仕事に行った後から掛けなおす約束をして電話を切った。

1時40分頃ローザから電話が入った。
私は今でも電話の受話器を誰かわかるまで取る事をしない。
2〜3週間ほど前、またここに夫からの電話が入り、Cが「知らない」と言って
無事に電話を終わらせてくれたけど、相変わらず夫が探していることが解った。

ローザは私の状況をシェルターの会議で発表し、こちらのカウンティーの
シェルターのスタッフとも相談して、出した結論が「二時被害を受けている」
ということでまたシェルターでの保護が必要となった事を報せてきた。
そのためにもう少し我慢ができるようだったら後4週間たったらと言って
サンフランシスコのシェルターへの移動を報せてきたのだ。

自宅へ戻ってしまったサバイバーがまた保護されるという事はたまには
あるらしいけど、私のようなケースはヤッパリ無い・・・・・らしい・・・・

私はシェルターへ帰ることが良いとは思えないけど、それしかない事を
よく知っている。
今の私にはこの地球上にどこにも居場所は無い・・・・・
夫からの逃亡によって、社会的にも宙ぶらりんで、日本にも帰ることも
出来ないのだから。

今日本へ帰ると離婚の手続きがここで終わってしまう・・・・
弁護士から今、日本へ帰ることは得策ではないと言って来た・・・・
仕事も出来ないし、もうお金も入らなくなってしまった・・・・・

今まで日本で仕事をバリバリして、しっかり生きて来ていた自分の影は
どこにも無い・・・・

多くの人と時間を共有して、楽しい時間を過ごしていた私はもういない・・・
生徒達との語らいも、コンサートに来てくださったお客様との語らいも・・・
音楽の仲間や、アートの仲間達との語らいも・・・・・

今は何をする事も出来ない無力な私がここにいる。

9月17日(火)

今日はだいぶHPの編集が出来たような気がする。リリーからメールが来ていた。
メールを出す前に私のHPを覗いてみて、
私がシェルターへ行く事になった事や、GAが切られた事を知って、
いち早く、そのことを書いてきた。
リリーのその辺はほかの友達とは大きく違う所だ。

メールだけで話をしてきたMさんは私に大きな負担を掛けてきた事は無かった。
本当に直接お礼を言いたいくらいだけど4月いっぱいで辞めてしまったと
言われてもうどうすることも出来ない。
わたしのHPを見つけてくれたらいいのだけど・・・・






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