心の叫び



一番安心できるはずである家庭の中で、一番信頼している相手から
肉体的、精神的な暴力を受け、どこにも相談できないで苦しんでいる・・・・
そんなあなたへ・・・・・
一緒に考えましょう。自分達の将来のこと!!




confidence / honor / self-esteem / dignity

No one should be allowed to take these basic rights
from anyone, woman, man, or child.

Domestic Violence, verbal, emotional, financial
and physical needs to stop.

It is illigal.
It is dishonerable.
It is wrong.







私がこれまで書いてきた日記やお友達に出した手紙などの抜粋を
元にして感じたことなど書きたいと思います。

多少前後したり、重複もあると思いますが、
それはお許しいただきたいと思います。

なおこれはあくまでも私個人の意見でありその時に受けた感情ですので、
学術的な見解の相違があったとしてもそれに関しては
責任は持ちません。
あくまでも被害を受けた本人の心の叫びとして受け止めてくださいますよう
お願いいたします。

それととても大切な事。
それはDVには肉体的な暴力と精神的な暴力のあり方の違いや
表現によって誤解を招く事もあるかもしれません。
それらに不適切な言い回しなどが出てくることがありましたら
お知らせください。

日本においては肉体的な暴力が無い限りは
取り上げてはもらえない状況かもしれません。
私が書くのはあくまでも自分で体験している事、
それもアメリカである事をご承知の上お読みください。

どんな形であれ暴力は振るうほうが悪いのです。
振るわれて苦しんでいる人の事を責めないでください。

そしてどんな事がドメスティックバイオレンスなのかを
一緒に考えてください。










苦しかった時間を今思うときに
この体験は無駄にしてはいけないとの思いで
こうして心の中を人々に知らせる決心をし、
そして、あの苦しい体験があったからこそ
こうして人々との交わりや助け合い、
そして社会の関わり方など
多くの事を学んだような気がします。

人は決して一人では生きていけない・・・・・

心の叫びをあなたに・・・・・











2年間こういう状況に中で居たこと決して何もしなかった訳ではなく、
ゆっくりではあっても日々自分を取り戻すべく準備にいそしんでいたのは
事実です。
人々は無責任でそのことを逆に非難したりする人もいました。
逃げないのが悪いと。
この人々の誤解と偏見に、今わたくしは大きく抗議したいと言う思いで
いっぱいです。
抗議というと戦いのような感じだから少し違う。
抗議というより、誤解する事なく真実を知って欲しいと言う事です。


現実問題今被害にあっている人の中でさえ勘違いをしている人も
いるほどですから。
大きな夫婦喧嘩がDVであるかのように錯覚している。
夫婦喧嘩の延長がDVでは決してありません。
なぜなら火山が自然爆発をするような事ではないからです。
抑える事の出来ない感情をぶつけて殴ったり罵ったりしている訳ではないのです。
そんな抑制の効かない、自分を失っている状況ではないのです。
そこには大きな錯覚、誤解があるのです。


夫の場合アルコールの量も多い事を近所の人なども知っていて
「飲まなければいい人なのに」などといってまるでアルコールの
せいであるかのような錯覚をしてしまう。
決してアルコールがその原因ではない。
そんな隠れ蓑をもてるような自分を抑える事の出来ないほど
意識を喪失した状況ではない事を
わたくしはこれから人々に知らせていきたいと思います。

確かにアルコールはきっかけになる事は間違いのないです。
でもそれはあくまでもきっかけであって原因ではないのですから。


こうした危険な夫から逃げない私が悪いと言うような方程式を
人々は作ってしまい錯覚してしまうようです。
決して抑制の効かない衝動的な爆発ではないのです。
その上人々は夫が少し変わっていることを知っているから
心理的なトラウマや人格障害や、精神疾患が原因とも考えるようですけど、
わたくしはこれも違うと思っています。

確かに担ってはいるし幼少期の家庭生活を聞くと世代間連鎖を隠す事は
出来ないのです。
夫の幼少期に父親のアルコール量は多かったらしくいつも母親を
殴っていたらしいですから。

そんなある日、夫は母親をかばうために父親を銃で撃ってしまいました。
幸いにも衝撃で夫の体制は崩れ、父親は怪我だけの被害に留まった事は
そこにいた誰もの救いだったと思います。
これは夫が13歳の時に起きた事件です。


それ以来夫と父親との関係はうまく行かなくなった事は言うまでもありません。
父親がしばらく帰ってこなかった間に母息子の関係は強まり
母子依存症とも思える夫の性格の一部がこの時に形成されたのではないかと
思います。
私を買い物に連れて行きたがらない夫に、下着などを買いに行きたい事を話すと、
なぜか週末には両親の家に出かけることとなり、わたくし用の下着が買い揃えて
あったりした事は一度や二度ではありません。

始めは既に両親の他界している私には嬉しくもあり幸せに感じました。
必要だと思われる品物が母親が用意してくれている事に対して
少しくすぐったいような思いでありがたく感じていた時期もありました。
でもそれが私を孤立させるための一つの方法であった事を知ったときには
「なぜ」と言う思いが私の脳裏をかすめた事は事実です。
家庭用品、消耗品や雑貨類はまだしも、わたくしの下着や夫の下着などは
自分たちで買いたかった????・・・・

その上、行くのに2時間以上も車でかかるにもかかわらず、
夫の父親が母親に頼まれて
私が家を掃除しているかどうかのチェックに来るようになってしまい、
時間とともに夫からだけではなく、夫の両親からも精神的な虐待を
されている事に気がつきました。
これはどうしてそうなったかといえば、夫は近所の人が家へきたときに
「いつも家がきれいにしてある、掃除が行き届いていいわね」と言われて
私が褒められたりすると、そう言うことがあった日には余計、ベッドの下の
奥の方から埃を見つけ出したり、いつも触ることのない高い棚の上の
埃をこすってみたりして、「家が汚い!!」と言い出し、
私を脅す一つの手段としている事が何度もありました。
そしてその「掃除がしていない=汚い」と言うことを
私にさらに確信させるために母親に電話して「家が汚い」と
言い出すようになりました。
そのことで何度か違うのではないかと話をしたことがあったのですけど
到底、血縁関係の強さとでも言うのか私の声は夫の両親には届く事もなく
どれだけ家をきれいにしていても決して満足してくれる事は
ありませんでした。
こういうことを繰り返しているうちに仲良くなった近所のおばあさんが
夫や夫の母親に私がどれだけ気を使って家の手入れをしているかという事を
話してくれたことがありました。
でもそのおばあさんの行為はは意味もなくむなしいものでしか
なかったのですけど・・・

両親からのemotional abuseに気がついたのは私自身ではありませんでした。
今、お世話になっているお友達が私の立場が夫からだけの虐待ではない事に
いち早く気がついてくれて、私にアドバイスしてくれたのです。
何かの本に暴力を振るう家族で育った子供がまた暴力を振るうようになると
書いてあったことを記憶しています。
でもその世代間連鎖の夫のトラウマが原因で暴力を引き起こすと関連付ける事は、
これもやはりきっかけは作るかもしれないけど原因とはいえないと、
わたくしは感じているのです。
なぜならそう言う家庭に育った子供の全員がDVの加害者になっている訳では
ないのですから。


夫は決してわたくしを殴らなかった。
殴られない事でわたくしも人に相談できなかった。
表現することの難しい物理的な証拠の無い事で誰かに解ってもらうことが
とても難しかった。
もっと簡単な言い方をすれば、夫婦喧嘩をして1発殴られた妻が
警察に電話をすれば、夫は逮捕されて刑務所に行き、妻はシェルターに保護される。
これは誰もが認める暴力なのです。
そして誰もが加害者は夫であり、殴られて可哀想な被害者の存在を
理解するのです。


シェルターにもそう言う人が何人かいました。
彼女たちの苦しみをわたくしは決して否定はしません。
それぞれが人と違った本人にとっては絶対的な苦しみ悲しみの中に居たのは
事実なのですから。
でも彼女たちは保護された後とても元気なのです。
そしてとても自由なのです。
わたくしの様に誰もこもってはいません。
誰もカウンセリングを必要としていません。
食欲もあり良く食べ刑務所に行った夫のことを笑いながらみんなと
語らっているのです。出来たあざを見せ合っています。
これが悪いとは言いませんし、笑えるような状況になった事を喜ばしくも思います。

ただ、このことはアメリカと日本では差があると思います。
日本でのDVの被害を見たときに、肉体的な暴力のあり方というものが
日本のほうが深刻に思えます。
確かに暴力という被害自体同じなのです。
でも暴力に対しての人々の認識や、社会の受け止め方に大きな違いがあり、
被害者が訴える状況の差を感じてしまうのは私だけでしょうか。

私のいるカリフォルニアなど暴力は犯罪であると言う認識はとても強く、
私の事をいつのまにか知った近所の人たちが
手を差し伸べようとしてくれたりするのです。
というのも、暴力を見た人は通報する義務を持っているという
認識を人々が持っているからです。

多分これは社会的な文化のあり方や習慣の差も大きいのではないかと
思います。日本はまだ根強い男性社会が残っており、いくらDV法が去年の10月から
施行されたからと言って、夫婦の事だからと公にする事をためらったり、
しつけと称して体罰を与えることを正当化したりということがまだまだ
普通の生活の中にあるように思います。

人々の持っている意識のなかの暴力に対する理解のあり方が
違うのではないでしょうか。
アメリカでは男女の差よりも個人の尊重と言うものがあり、
男だから、女だからと言う差別に対する意識はアメリカのほうが
少ないように思います。
その結果、日本の女性よりアメリカの女性の方が、社会に対して訴える事が
もしかしたらしやすいのかもしれません。
日本女性の方が我慢を強いられる社会の中にいる・・・・というような・・・・

私の場合、目に見えるものが無いために、自分では誰にも言えなく、
日本人の考えに根強い「夫に迷惑を掛けてはいけない」とか
「私が我慢していれば、いつかはきっと優しくなってくれる」などと
自分を抑える事でこの重大な危機を収めようとしていたと思います。

確かに夫が私を脅すために発砲する音はいくら広いとは言っても
近所の家に聞こえるのです。

そんなある日、近所のおばあさんは電話を掛けてくれました。
「家のヤギが銃の音に怯えるから発砲するのは止めてくれ」と。すると、
夫は「いや、申し訳ない、日本人のワイフは銃が珍しいから、見たいといい、
見せてあげていたのだ」と・・・・・

その事で今までのような脅しのための発砲がなくなったかといえば・・・・
相変わらず、折に触れ発砲・・・・
決して無くなることはありませんでした。

暴力に対しては犯罪という認識の強いアメリカである事で確かに
訴えやすい環境は整っているのです。

だからきっと私の場合も、もし近所にお友達がいたり、電話で自由に話せる
人がいたら、きっともっと違っていたのだという事は今では解ります。

日本では話しても解ってもらえない事がまだ多くあると思います。
アメリカの20年前までがそうであったように・・・・・

でも本当のDVを知らなければいけない。
それは目に見えるあざを作ることが不利である事を知って、
見えないような暴力を振るう事もあるということ。
決して暴力の自然爆発ではない事。

被害者でさえこの事には気がつかないでいる人が多いのです。
現実に殴られている被害者がほとんどで、目に見えることで傷つけられた生活を
していた人が多いからです。
専門的な知識の無さだとは思うのですけど、そう言う言い方をするなら
わたくしも専門家ではありません。
だからどのように表現する事がいいのかはわかりません。

肉体的な暴力を受けている人は、
暴力を振るわれた時に、硬く身をすくめているだけ・・・・
受ける被害をなるだけ少なくする様に、

精神的な言葉の暴力や脅しを受けている人は・・・・
多分なるだけ夫の機嫌を損なわないように・・・・とこれもヤッパリ
受ける被害を少なくする様に、身をすくめているだけ・・・・・
そうするしか守る方法がないと感じてそうしているのです。



目に見えない暴力があることは事実です。


でもどちらの結果も自然な成り行きなどではない事、
私がはっきり言えることは
夫は暴力を選んでいた という事です。
決して対等な立場ではなかった事。
相手をコントロールする事でしか絆を保てなかったということ。

普通の夫婦喧嘩はあくまでも対等である場合だとわたくしは認識しています。
上下関係の無い夫婦のあり方の中のケンカはどこの家庭にもあると思いますから。
違う人格が共同生活をするのですから何か意見の食い違いが起きても
当たり前の事だと思います。
この辺が夫婦喧嘩とDVの差ではないかと思っています。

夫の場合はわたくしがこれまで誇りにさえして来たわたくしの生き様を
全て否定して人として扱わなかった事など、
日々の生活の全てが対等ではない中での暮らしでしたから、
思い出すことも辛いです。

日本で去年の10月(2002年10月)にDV法が適用されたのですけど
多分この大きな勘違いは当然あると思います。
アルコールのせいや、人格障害、世代間連鎖を原因にする事のほうが解りやすいですからね。


わたくしはそのどれも否定しています。前にも書いたようにきっかけになったり
担ってはいてもそれを原因とはいえないということです。
体験が物語っているのですからどうし様もありません。

人々にも何がDVなのかわかって欲しいと思っています。
この法律はいわゆる親子や兄弟などの家庭内暴力ではなく
Gender violenceです。
夫や恋人からの暴力で、
今まで夫婦喧嘩だからと、法律もなかったのです。


アルコールのせいや、人格障害、世代間連鎖等が原因では無く
もっと根深いものがあることを解って欲しいと思います。



私は2002年2月中旬から2002年4月下旬までシェルターで暮らしました。
シェルターでは毎週月曜日にDVに付いてのお勉強会がありました。
サポートグループの集まりで、サバイバーの体験した事を話しあったり、
日本でも広く紹介されている「緊張蓄積期、暴力爆発期、ハネムーン期」
と言う3段階の理論を学んだりしたのです。

私の場合はこの理論には当てはまりませんでした。
そうである場合が多いようですけど、そうでない場合があっても
仕方の無い事だと思います。

このサポートグループとは暴力を受けた女性達がその経験を話し合うことで、
お互いに支えあいながら自立への方に向かうようになる事を目的としている
集まりだったと認識しているのですけど、
私にはこのサポートグループの集まりがとても苦痛でした。

最初の頃は毎回パニックになりました。
汗をかいたり、咳が止まらなくなったり、呼吸困難になったりし、
そして過敏性腸症候群と言う症状があらわれ、
席を立たざるをえなくなったこともありました。

サバイバー同士が体験した事を話す事で、
同じような体験をした仲間がいるという連帯感により、
すこしでも心が軽くなったり、励ましあって
将来の展望をもてるようになることを目的として行われていた、
この毎週のサポートグループの集まりが
私には最後まで苦痛以外の何をも無く、
毎回スタッフに助けられながらの参加でした。

(注、このサポートグループの集まりは全員が参加する事で開催されていました。
多国籍のサバイバーの集まりですからサバイバーのほかにこのシェルターの
スタッフ、通訳の方々、カウンセラーなどで多くの人々の集まりになります。

アメリカで住んでいると普通の事のようにスペイン語を耳にする事が
あります。南米の人やメキシコ人が多いからです。
でもこのシェルターで普段知らないような国の人達との出会いもありました。

私がいた頃のサポートグループの日には6ヵ国11人のサバイバーがいました。

サポートグループはサバイバーのための集まりですから、その時、子供達は
スタッフの他にその日の為にベィビシッターの人も来ます。
それで赤ちゃん以外の子供達は公園に連れて行ってもらったり、
図書館に連れて行ってもらったりしてサポートグループの終わるまでを
スタッフと過ごします。

都合で誰かの通訳の人の欠席が明らかになるとその時点でサポートグループは
開催されなくなります。
サバイバーの誰もが同じように理解できる状況の元で開催されると言うのが
基本的な在り方のようでした。)


そう言う中でのサポートグループの集まりでしたから自分のわがままで
参加しないなどとは言えなかったし、いつでもスタッフの人たちは
私のことに注意を向けてくれていました。

時は2月で外は寒く、建物の中は空調がしてありますから
普通にしていれば快適な温度の中にいるという状況です。
サポートグループが開かれて、そう時間もたたないうちに
深くソファーに座っているだけであるにも関わらず
したたるような汗がでて来たり、鼓動が激しくなり、頭痛や吐き気、腹痛と
その場にいることが出来ないような事が何度も私を襲いました。

そのことはシェルターのスタッフ、クライアントの全ての人の目に見えることで、
いつのまにか参加していないクライアントの子供達にも行き渡ってしまい
いつのまにか、折に触れ、子供から「どうしてどこにも行かないの?」
「どうしてお外に出かけないの?」
との質問が向けられるようになってしまいました。

それは子供の私に対する質問ではなく、
同じ立場のサバイバーである母親の聞きたいことであった事と解り、
二次的な被害をこうむる結果となった事もありました。

同じクライアントであるサバイバーから、こうした心無い言葉で傷ついたり、
スタッフが一生懸命手助けしようとしてくれていることが解ってはいても、
発した言葉によって傷ついたりと、精神的なダメージを長い事受けてきた
私には小さな一言によって二次被害になる事を
シェルターの中でも経験する事となってしまい、
今ではどう言う言葉が禁句で、どう受け止めることが
サバイバーには必要であるかなど身をもって体験してしまいました。

助けてくださった方々へのお礼の気持ちもあって
いつかこの事で役に立てる事が出来たら恩返しもしたいと思っています。

私がお世話になったシェルターにはクライアントのための部屋が
12部屋ありました。
私のように一人で入っている人もいれば、子供を連れて来ている人もいるので
常時大人が11〜2人と、子供がいます。
私がいたときに一番人数が多かった時は
大人と子供で 27人だったと思います。
生まれて数ヶ月の赤ちゃんから14歳の少年までです。
子供達はシェルターから編入した学校へ通っていました。
バタラーである父親からの呼び出しや誘拐の被害が起こらないように
子供達本人は勿論、母親もスタッフも細心の注意を払っていました。

それだけの人々が集まると何かしらトラブルが起こります。
お友達になれる人との出会いもあります。
それらのことや、シェルターでの話は
別の章で書きたいとは思います。

次から次とクライアントは後を絶つことがなく
10人以上もいるスタッフはいつもてんてこ舞いをしていました。
スタッフやカウンセラーのアドバイスのもと、
クライアント自身で福祉の手続きに出かけたりしているのですけど
私のように付きっきりで世話をしなければならないクライアントの
場合も、たまにはあるようでした。
ただ私がいた時は私以外の人たちは皆、自由にシェルターで
過ごしていましたし、私のケースマネージャーは初めてだと
言っていました。そしてこのシェルターでも当然初めてだったようでした。
(申し訳ございません。本当にお世話になりました。)

現実問題シェルターではドアから外に一人では一歩もいけない状態が
長い事続きました。
スタッフの助けを借りて一人で外に出てみようと試みた事は何度もありました。

初めて一人で10メートルほどドアから外に出たときには
「行こう」と構えているだけなのに、したたるほどの汗をかき、鼓動は早くなり、
ドアの手前で30分以上もの時間を費やしました。
自分で自問自答したり、人に同意を求めてみたり、不安な思いを
確認してみたりと、人から見たら何をしているのだろうと言うような
状況だったと思います。
その時スタッフのミーガンは私が外に出るまで一緒にいてくれました。
決して無理強いすることなく・・・・・出かけるまでずっと・・・・

やっとの思いで外に出て10メートルほど行った時に
外出していた母子のクライアントと逢ってしまい、
そこから一緒に帰ってきてしまいましたから、
もしそこで逢わなかったら、もう少し先までいけたのかどうかは
今では判りません。
正直言って、逢った時にホッとしたというのは事実です。

私が外に出たことを見ていたのは丁度スタッフの会議中で
電話番をしていたミーガンだけだったのですけど、
会議が終わった時にはスタッフの間にはそのニュースも
伝わったらしく、みんなで褒めてくれました。
手をたたいてくれたり、抱きしめてくれたり・・・・・
当時の事を思い出し、他のクライアントとの事を比較してみても
重症のクライアントだったのだという事を
今になると自覚しないではいられません。
(スタッフの皆様には本当にお世話になりました。心から
感謝いたしております。ありがとうございました。)

シェルターにいた間に一人で出たのはそのときだけだったと思います。
道路を渡ったところにポストが見えているのですけど、
結局手紙をポストまで投函しに行く事は最後まで出来ませんでした。
どこへ行くのもケースマネージャーのローザと一緒でした。
それも必要な書類作成の時の外出(弁護士や福祉事務所など)か
Drやセラピーに行く時などで、他のクライアントのように
お買い物に行くとか友達に逢うとかの外出ではないのです。
(シェルターは自宅のように自由です。人にシェルターの場所を
知らせないことと、夜の門限を守れば、プログラムの間は衣食住を
約束されています。
だからクライアントによってはシェルターから仕事に通ったり
学校に通ったりしています。)

私にはPTSDの症状が強く引きこもりの生活でしかありませんでしたけど・・・・

その状態は家を出てもう半年近くになろうとしているのに未だに同じです。
一人での外出は到底無理で相変わらず家の中にいることがほとんどです。
信頼している人、数人としか未だに話をする事も外出する事もできません。

なぜこうして外に出ることが出来なかったのか、
そして未だに出来ないでいるのかはっきり言って今でもよく解りません。
未だに一人で外出する事の無い生活を送っているというのが
現状であり、一人で外出する事に対する不安は
私の中から消え去る事は今も無く、こういう状態が続いている間は
到底社会生活をまともに送ることなどできないのだということは
解っているのですけど・・・・・
だからといってどうする事も出来ないのです。
その不安があるから当然外出したいと言う欲求も出てくることはないのです。
知らない人とすれ違った時の緊張感や、突然の物音にびくついたりと
以前は感じる事も無かった苦痛が私を襲う事があることに対しての
防御法として自分が引きこもっているのではないかとは思っています。

ただ今そばにいる人たちが心から私の快復をねがってくれていて
よく何かあると外に連れ出してくれています。
ここに住みだした5月のころはその思いやりも苦痛であったりしたのですけど
最近は誰かが一緒だと外出先でも楽しめるようにはなってきました。

6月に外出先でパニックになった時の話をこれもまた
別の機会に書きたいと思います。


こうした被害のあり方を知ったとき、
DVは決して夫婦間で解決するものではない事。
間違えた偏見や誤解を取り除いて欲しい事等をきちんと伝えたいと思いました。



アメリカでのDVの20年の歴史がその偏見や誤解と錯覚により
裁判官、検察官さえ間違えをおかしてきたこと等、
それと同じ事を日本のDV法が繰り返さないで欲しいし、
私のような目に見えない暴力の被害者のために少しでも
その対策に役に立つ事が出来たらと思っています。

もしかしたら日本の場合だとまだ
「虐待されても夫から逃れる事が出来ない妻」と、
あたかも妻の方に非あるかのような考えの方が根強いのではないかと
思われます。
暴力を生み出している社会のあり方、男尊女卑の社会構造の
根強さ、人々に意識のあり方など考えなければならない事は
山積みされていると思われます。

DVは犯罪であるという人々の意識の強いカリフォルニアでさえ
私は近所の人から「どうして日本にも帰らないで夫のそばにいるのか」
と言われた事があるのですから・・・・・

余談ですが、ここカリフォルニアでは既に暴力は犯罪であると言う
認識が人々には根付いており、母親が人前で子供をぶったりしただけで
そのことを通報された場合には母親から子供は引き離されてしまいます。
子供は安全を約束され母親は留置され裁判を待つことになります。

どんな形であれ暴力は振るう方が悪く
暴力は犯罪である事をはっきり人々に認識して欲しいと
心から思っています。



2002年7月
Ruby








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