独り言/2003


2003年1月1日(水)

31日の夜コンサートへ行き、カウントダウンで新年を迎え、
コンサートの終わったのが今朝2時半を過ぎていた。
みんなで帰ってきて少し話しをしていたらもう4時。
いろいろな事のありすぎた2002年は終わりを迎え、
今こうして2003年が始まった。

なんだかスッキリしている。
今までの新年の迎え方とはかなり違うけど、
今の私には似つかわしい迎え方だったようにも感じる。
今感じている爽やかな年明けが、果たして何時まで続くのかは解らない。
でも何か吹っ切れた感じで、今までとは違うような気がしている。
もしかしたら、お薬との相性などもよく、
やっとやっと、
これから快復に向かう時期に差し掛かったのではないだろうか・・・・・・

こんなに楽観していて良いのかどうかはわからないけど、
新年早々、鬱で落ち込んでいる事を思うと、
今の状況は、はるかにいい。
落ち込んでいる訳でも、悩みを抱えている訳でも無い。
確かに何も抱えていないと言ったら嘘になる。
でも苦しみの材料が減ってきている事は確かなのだから!!

私は自分を取り戻すための努力を怠ることなく、
心の居場所を捜し始める・・・・
これが今年の大きな課題なのだろう。
周りの人たちにもうあまり心配を掛けたくない。
遠くから見守っていてくれる人たちにも安心してもらいたい。
あせらず、急がず・・・・
自分のペースで、恐れることなく・・・・・
自分のあるべき姿を取り戻す・・・・・
そして自分の居場所を・・・・見つけ出す・・・・
これ以上の底はもう私には無いはずだから・・・・・
後は這い上がっていくだけ・・・・・
新しい年の初めに相応しく、新しい意識でスタートをきる・・・・
もう始まっている、今までとは違う何かが・・・・・




1月6日(月)

アメリカの新年は日本とは感じが違って特別な事ではない。
人によって違うのかもしれないけど、昔住んでいたときも、
今回も新年を迎えるたびに、日本のように意を新たにしてとか、
一年の計は元旦にありとか、そんなものは何も無い。
一日の流れの次の日でしかないような気がする。
私の部屋の机の上には毎年M子が送ってくれる可愛いお鏡餅が
飾ってあり、自分の中だけの日本的な新年の迎え方をしている。
去年はまだ家にいたからそれなりの飾り方をして楽しんだけど、
今はホームレス?だから仕方が無い????

新年を迎えた後のきのうまでの数日間、
私は、何もしない、何も考えない、何も悩まない、何も求めない、
何も起こさない、何事も起きない様、そして泣かない・・・・・という
ないないづくしの日々を過ごした。
あまりにもいろいろな事が起き過ぎた去年を思うと
どうか今年一年が、少なくとも私の内面だけは
穏やかで静かな日々が送れることを望み、
日本人的な発想で、やはり一年の計は元旦にありではないけど
年の初めに静かな時間を持つと、きっとこの一年は
穏やかな時の流れを得る事ができるのではないか・・・・との
勝手な発想から・・・・・

とにかく静かな時の流れに中に、自分の身を置き、
ひと時の安息の時間に浸って過ごしていた。
丁度、タイミングも良く、12月の下旬頃から体調もよく、
物事もスムーズに動き出し、私は次のハウスに入れる事となり、
シェルターの8週間のプログラムを無事に終え、延長はしないで、
友達の家で世話になりながら、ハウス入居の連絡待ちをする事になった。
延長すると、丁度ホリデーシーズンを自由に過ごす事が出来ない生活で、
折角良くなりかかっているのに、何かと不自由だろうと、
レイの家で待機して居られるように、アンやローザ、レイなどが考えてくれ、
シェルターから追い払われる?事無くハウスの入居の日を待つことになったのだ。
あの入院騒動のことを思うと、この好転は天のおぼし召し????
今年、何も起きないとは思わない。当然離婚の話がどう動くのか解らない。
でも現実の事として夫や私がそのことに直接立ち向かう事は事実で、
その経過がどうであろうと夫婦でなくなる日が来る事は確実だ。

私は2002年の2月11日以来夫とは話もしていないし、顔も見ていない。
このまま顔を見ることも無く離婚できれば、もうそれだけで充分だと思っている。

2000年からの3年間はわたくしにとって本当に学びの時期だったと思う。
それに、ここまで苦しめられた事に悔いは無い。
とことん苦しんで、知ることが出来た事も沢山ある。
当然解っていたかのような事まで、人は頭で感じているだけでは
解ってはいないのだという事実も知ることが出来た。
人が「そのつもり」である事、その事が既におごりである事もわかった。
自分が知っているつもりでいるだけで、その事は世の中の出来事からすると
ほんの針の穴ほどに小さな事である事もわかってきた。
だからわたくしが苦しんだ出来事も、わたくしにはまだ経過中で、
既に3年という時間はたっているのだけど、
ほんの針の穴ほどの出来事でしかない・・・・くらい?の事??なのかもしれない????
そうでも無いな〜、死と隣りあわせで暮らしていたと言うことは・・・・
人にはとても解りにくい辛い状況ではあったのだから・・・・

出来事の大小はともかく、
その渦中にいるときは私にとっては絶対的な苦しみであり、
他と比べる事の出来ない事実であるということも解っている。
きっといつの日にか、自分の身に起きた事を自分で認め、
苦しむことなく話ができたり、思い出す事も少なくなったりする日が来るのだろう。
この3年間に学んだことは決して私にとっては無駄ではないし、
きっと何かの役にたつに違いない。
たとえ、針の穴ほどの小さな苦しみであっても、
何の意味もないなどという事は決してないはずなのだから。
生きるか死ぬかの戦いをしてきたのだから・・・・・

今私は穏やかな一人の時間を充分に楽しんでいる。
シェルターにいるとどうしても色々なルールや共同生活であるという
わずらわしさは否めない。
そして1月中に入居するハウスも同じだ。
共同生活と言う意味では、今のような自由さは無い。
今の友達の家は、朝5時半を過ぎると一人きりの時間が訪れる。
夜までは一人で自由に過ごすことが出来る。
勿論、ここの家族が帰ってくる夜になっても自由な時間は持てる。
約束事など何も無い。
だから今だけ、以前日本にいたときと同じように、
自分の時間を感謝しながら過ごしている。
本当に2000年にアメリカに来て以来の、自由な時間を
今、私は心から楽しみ、生きている事を実感しだしてきている。

さっき、私のケースマネージャー、アンと電話で話をした。
クリスマスのプレゼントをいつ引き取りに来るのかと言っていた。
私はその前に明日の打ち合わせなどした。
明日はアイ子さんのアポイントメントが取ってある日だからだ。

このクリスマスプレゼントの件なのだけど、
以前プレゼントは要らないと辞退していた。
もう充分にしてもらっているのだから、プレゼントなど何も要らないと。
夫からの逃亡生活で、本来なら路上で?暮らすことになっていたかも???
知れないところを、安心して暮らせる個室と
暖かいベッドを与えてくれているのだから・・・・・
でもこれは毎年の恒例で、
その人それぞれが今必要としていると思われるものを
プレゼントする事になっているらしく、そのために事前調査が行われた。
日本のように盆暮れの付け届けなどという形式的なものと違い、
クリスマスという1年に1度の大イベントに、その人の必要なものを
プレゼントする・・・・・
いかにもアメリカ的な発想のプレゼントの仕方だと思う。

私はその時に「その分を他の人にまわしてくれてもいい」という
申し出をしていた。
でもこれもやはり決まりごとで、逆に断る事がわがまま?な事となってしまう???
多くのクライアントは、欲しいものだらけなのだから。
子供を連れて入った人などは、なおさらだろう。
子供にも欲しいもののリクエストインタビューはされていた。

それで今欲しいものはなんだろうと一生懸命考えた。
私には欲しいものは何も思い浮かばなかった。
そしたらその時リクエスト調査をして回っていたのがマーサだったのだけど
「あの人はこんなものを言っていたし、この人はこんなものを言っていたわよ」と
色々アドバイスをしてくれたのだけど・・・・やはり何も思い浮かばなかった。
着る物は充分に持っているし、食べ物も要らないし・・・・・
必要なものは一応持っているし・・・・ヤッパリ何も思い浮かぶ事は無かった。
仕方が無いから「7足の黒いソックス」と答えたら、「それだけ」とマーサ。
日本のお友達から送ってきたお部屋の中で履く可愛らしいソックスはあるけど、
外出する時の薄手のソックスの黒いのが3足しかない。
白や色物を入れると充分にあるのだけど、着る物に黒が多いため、
白や色物では合わなくなってしまい、その薄手の3足を、履き終わるたびに、
手で洗って干しては乾かし使っている。
箱いっぱいにソックスがあっても、そう言う意味では用が足りない。
1週間、手洗いしなくてもソックスが履ければいいと思い、
やっと思いつきリクエストした。

アメリカはこのような小物が日本とは違いとにかく安い。
日本で買う一足のソックスと、この何足かのソックス。
多分このわたしのリクエストしたソックス全部より、
日本の1足のソックスの方がきっと高いと思う????
なんとも不思議だけど・・・・事実だから仕方が無い。

マーサはそれ以上のリクエストの答えを得られない私から、
服のサイズや靴のサイズや色の好みなど聞いて書いていたけど、
本当に何も要らないとの思いで、「誰にでも使いまわしのできるもので用意すると
私が使わなくても誰かに使えるのでは」と話をしていたのだけど、
結局私の分のプレゼントは用意されていたらしい。

さっきアンに「何が入っているの」と聞いてみた。
そしたら「中は私にも解らない」といい、「明日取りに来てもいいように
私の机の横に置いてある」と言った。
年末に電話した時も「いつ取りに来るの」と聞かれたのだけど、返事をしていなかった。
でも明日取りに行くことは無いと思う。
確かにアイ子さんのセラピーの日だから、診療所には行く。
でも、もし受け取るのなら、ハウスに入るときにと話をして電話を切った。
アンは「チャンと取っておくから引き取りに来るのよ」と言っていた。
そういえばクリスはドライヤー、ポータブルCDプレイヤーやセーター、
ズボン、スカート、そのほかいろいろなものが入っていたと言っていた。
リクエストどおりだったと言っていたから、一人頭の予算が組んであるのだろう。

私、クリスマスパーティーには参加しなかったのに・・・・・・
勿論、今のように出来事が好転する事が無かったら、
私は当然シェルターでクリスマスを迎えたことだろうけど・・・・

私の体験がきっといつかお世話になったシェルターへの
恩返しが出来ますように!!と心からそう思っている。

今、時は私に優しい・・・・・
今、私の時は静かに流れている・・・・・




1月7日(火)

調子に乗らない様にしなければ!!
静かな時もそう長くは続かないようだ。
ただ、アイ子さんに逢った時(10:00am)はまだ
調子の良い状態も続いていたから、
顔つきも、言葉使いも、全部違っていると言われた。
なんだかいろいろな事が、また自分でできるような気がしている・・・
と思っていたのは、今日で小休止に入るのかも・・・・知れない。
少し鬱の気が入って来ているようだ・・・・

今日はセラピーの後、郵便物の受け取りにコミュニティーオフィスへ、
一人で行ってきた。
シェルターにいたときの様にシェルターで受け取る事は出来ない。
以前シェルターを出てCの家へお世話になった時には
転送と言う形を取っていた。
今回は出るときに、「転送」では無く、「自分でオフィスまで行って
受け取る」と言うリクエストを出していた。

シェルターは住所が公になっていないことから、
郵便物など全てこのオフィスの住所になっている。
そしてスタッフが、その郵便物を1週間に一度受け取って
シェルターへ持ってくるということで、
私たちの居住の秘密性が保たれている。
それはどこのシェルターでも同じのようだ。

それで以前は、転送と言う形を取っていたのだけど、
そのやり取りの最中に「フードスタンプカードを盗まれる」
と言う災難に遭った。
さすがにチェックの方はサインが無いと現金化されないから
盗まれる事も無かったのだけど・・・・・
今まで私のような事例がなかった事から、
私自身は当然だけど、スタッフにしてみても始めての試みで
こういう状況は予想さえしていなかったようだ。

このことから、もし次回、私のように仮の住まいをサンフランシスコ
以外で過ごすような人が出た場合、多分、転送という
システムはもう使わなくなってしまうと思われる。

今まで全ての行動をアンやローザ、その他のスタッフと
行動を取ってきたけど、今では自分一人でその行動を取っている。
この普通の事が出来なかったのだな〜・・・・・

スリに取られたバンクカードの再発行されたものや、
その他の郵便物が届いていると昨日アンと話したときに
言われていたから、アイ子さんのセラピーを終え、友達の家へ帰る前に
オフィスへ寄り、6通ほどの郵便物を受け取ってきた。
その中にナニからのカードがまた入っていた。
でもその時点で、今までとは違う自分に気が付いた。
鬱が強かった頃は、その郵便物に気がついた時点で、呼吸が苦しくなり、
動悸がして捨ててしまいたくなるような衝動を抑えるだけで
精一杯の状態だった。

でも今日はそれが無かった。
多分もう全ての事情をナニやCに知らせてしまっているという事実が
私の心を楽にしているのだろう。
相手がたとえ理解することが出来ないままでいても、
私の身に起きた事実を知ってくれているという事だけで
今の私には充分のような気がする。

もう隠していることが無いと言う解放感。
Fの事はCに、ダンの事はナニに背負ってもらうしか無いのだから。
何も私が一人で背負い込んでしまう事ではないだろう。
それで無くても私には夫との離婚とそれによりホームレスでいると言う
重いものを背負って生きている。
私が背負う事のない事例は、
それぞれの相応しい人に背負ってもらうのが当然の事だろう。

今回の好転はこういう当然ともいえる思考にまで行き届いたのだから
単にちょっとしたいい調子ではなく、
快復への道程の一つだと思われる。
ただこの快復への道程であっても、ずっと上り坂的に
上向きでばかり進行するものでは無いのかもしれない。
それが今の状況なのではないだろうか。
とにかく、あせることなく快復に向かっていると信じて行きたい。

郵便物を受け取ったその足で、銀行へも行き、
チェックは無事銀行へ。
今、もし、またすられても、困るものは何もハンドバックの中には入っていない。
随分と用心するようにはなった。
でも私たち日本人からするとハンドバックの中にお財布を入れているということは
ごくごく普通の事なのだけど・・・・・
多分アメリカに住んでいる多くの人たちもそうしているのではないだろうか?
別に聞いて回った訳では無いから、この辺のところは解らない。
ただあのスリにあった時に一緒だったアンは、財布はいつも身につけている
とは言っていた。

サンフランシスコの用事を全部済ませ、レイに電話をしたときは
まだ家には帰ってきていなく、SFダウンタウンのカフェで時間を過ごし、
次に掛けた時にレイとのコンタクトが取れ、迎えに来てもらえる事が解った。

今日は朝から一人でバスに乗りサンフランシスコへ向かう電車に乗った。
10時のアポイントメントの為に、家を出たのが朝7時。
バス、電車、バスと乗り継ぎ診療所へ着いたのが9時40分。
シェルターからレイの家までの行き来は片道2時間くらいだったけど、
ここから心療内科へ通うのは片道3時間弱掛かってしまう。
サンフランシスコに着いてからの、バスの移動する距離に関係している。
やはりここからサンフランシスコに通うと言うことは容易な事ではない。
それを毎週続けてきたから今の私が確かにあると思う。
途中でやめようと思った事もあった。
雨が降ってやめた日もあった。
でも他の日に、その週は出かけていた。
とりあえず、毎週2回、小旅行?をしながら来た。
そのことが出かけることの自信へとつながっていた。
毎回励ましてくれていたアンと、来る事に何も言わないでいてくれたレイには
感謝しなければならないと思う。

私の良好な体調も今日の昼間サンフランシスコにいた間は、大丈夫だった。
夕方帰ってくるという、その頃まではまだ明るいものだったのだけど・・・・・
家へ着くまでの車の中から様子がおかしくなってしまってきた。
と言うのはレイの様子が昨日までのそれとは少し違う気がしてきたからだ。
どうも私の心はまだ自信を取り戻した訳ではなく、
こうして今、時間を共有しなければならない人の心のあり方と
大きく関連しているようだという事を自分で確信してしまった。

夫がいつも不機嫌でいたこと、それと同じようにFの同じような
態度を取られたことで、私は混乱してしまったらしい。
シェルター再入居の原因となった事も、Fが悪かったというよりは
夫とのトラウマにより、それと同じ状況が起きた事で、
より大きく私に影響を与えていたのだろう。

今読んでいる心理学の本によると、トラウマを受けた事実を
思い出したくない事や、その事を避け様とするために、
そのことを思い出さないための思索をする???とか
部分的な記憶喪失状態になる事もあるとかのことが記されている。
もしかしたらFの事や、レイの今日のことなど、
それに値する事例なのではないだろうか。
大きな事を思い出したくないために、他の事柄で自分の思考を満たして
そのことにより大きな鬱をカバーしている????
ウーン、少し無理があるかな〜
でもそうかもしれないな〜
夫との重い出来事を、思い出したくないためにFの事や、
レイともギクシャクした事も何度もあったし・・・・・・
これは快復した後にでもきちんと調べる必要があるようだ。

今回も私に原因があるわけではない。
単にレイの状況が悪いのだろう。
なぜそうなのかは私には解らない。彼の生活は彼のものであって、
私には関係のない事なのだから。
私にはもう悩まなければならないような人間関係を作りたくないという、
強い願望が根付いてしまっている。
こういうことを恐れ私はレイとの友人関係を保ってきている。
でも人の心の動きが良くわかる今では
こうして時間を共有しなければならない相手の心の動きが
とても私に影響を及ぼすものだという事が解ってきていて、
そのことで、今回もレイの家にお世話になる事を、
極力避けようとしてきた。
もしかしたら、私の状況が好転していたという事は、
レイの調子も良かったという事の証なのではないだろうか。
共存する人の心のあり方に影響されて私の鬱が強くなったり
減少したりしている・・・・・・ような気がする・・・・・
これは怖い事だ。

早くハウスが空いてくれることを願うばかり!!
レイとはいい友人でいたいと思っているし、もう何事も起きて欲しくはない。
このことが大きく影響することなく、時が流れて欲しい。




1月11日(土)

今日は炊飯器を買ってきた。
日本だと、どこの家にでも炊飯器はある。
アメリカだとそうではない。
お米を食べる事が少ないのだから当然ともいえる。

私たち日本人はお鍋で炊く事を知らないから、
よっぽど注意して炊かないとこがしてしまう。
それがこちらの人にして見れば不思議らしくて
「ご飯のこげない炊き方教えてあげるよ」と笑いながら
皮肉まで言われてしまう。
その上、そのお焦げが今では恋しい食べ物である事を言っても、
私の負け惜しみにしか聞こえないらしく、
「いいから、いいから」なんて言われてしまう。
も〜おっ!!!
でも一度お焦げに塩をふって食べさせてみたらおいしかったらしく、
いつもの皮肉っぽい冗談を言いながらおいしそうに食べていた。
でも、これで気にしながらご飯を炊く事がなくなったよ。明日早速使ってみよう。

外出から帰ってきたら荷物の不在通知書が入っていた。ベラからのものだ。
月曜日に郵便局へ取りに行こう。

この3週間ほど調子がよく、無事に過ごしている。
ただ、昨日までの数日間、少し体調が崩れていた。
自分の心と身体を、まだ自分だけで支えている訳ではないということに
気が付かされたときを過ごしていた。
でも今までと違い、大きく落ち込む事もなく回復する事が出来た様に思う。
余計な事を考えないで、今のこの平安なひと時を大切に過ごそう。
このような時間が私には長いこと無かった。
とにかくこの時の流れは今の私には貴重なものだ。
自分をいたわり、何も無いこの喜びの中に自分の身を浸しておきたい。
今を大事にして生きていくしか方法を見つけることが出来ないのだから・・・・・




1月12日(日)

アジアンフードストアに寄ってお米の「錦」を買ってきた。
(Caではこれが私には一番おいしい)
値段が随分と違う分やはり日本人にはおいしい。
夫にはそれが最後までわからなかった。
どんな御飯も同じだと言って私をいつも貶めていた。
最も夫の場合はもし解ったとしてもそれを言うより、
私をいじめる材料にしたほうが都合が良いのだから、
解るなどとは間違えてもいう筈はないのだけど・・・・

友達のレイは最近その違いがわかってきたようだ。
レイが一度中華料理店から御飯を買ってきて、
私に「海苔巻を作ってくれ」と言ったことがあったのだけど、
私が「この御飯では出来ない」と言ったときに、理解できなくて
喧嘩になった事がある。
海苔巻は無理だったけど、大変な思いをしながら
やっとの思いで、なんとかおにぎりを作った。
でも食べる時にレイには私の言っていた意味が解ったらしい。
食べる事も容易ではなく、御飯がぼろぼろとこぼれていってしまう。
勿論おいしいはずのおにぎりがおいしくない。
嫌でもわかってしまう。

私は早速、昨日買ってきた炊飯器で心配することなく御飯を炊いた。

少しずつ自分を取り戻しているような気がする・・・・
なんでもない普通の営みが私を包み癒してくれている・・・・・

過信をしてはいけないとは思っているけど・・・・・
随分と用心はしているのだけど・・・・・
なんだか大丈夫のような気がする。
こんな楽しい時間は夫とは絶対無かった。
レイは遠くまで行く事も、一緒に行く事も、
お買い物することも何も嫌がらない。
頼めばしてくれるし、当たり前の話が当たり前にできる。
それに自分だけで何かできるようにもなってきている。
一人で出かけて無事に帰ってくる事ができる。
体調も良くなってきているようだし、先の見通しが少しはついてきたし・・・・・
その後の事は少しずつ進展しながら考えていくしか仕方が無い。
解らない事はいくら考えてもしょうが無いのだから。
きっと元気になる。
私の長い冬はそろそろ終わると思う。
今年は私にも春風が吹くかもしれない・・・・




1月13日(月)

今日は朝から郵便局へ。ベラからの荷物を受け取ろうと思ったら、
本局ですと言われ、ここの郵便局ではない事を知った。
ついでに図書館へ寄ってカードを作ろうと思ったら12時からで
1時間半ダウンタウンでランチを食べながら過ごした。
図書館へ戻ったら、まだ開いていなくて、その間にベラから届いた
荷物の再配達を頼むのに公衆電話から電話をかけた。
図書館が開き、13年前の図書貸し出しカードを、出したら職員が驚いていた。
私は当然使えない事は知っていて、出したのだけど、
こういう行動一つにしても、今までとは違うゆとりを
自分の中に感じる事ができる。
新しいカードを作り、本を2冊借りてきた。

夕方リノに住むシノに電話をした。
私のサイトが読めたらしくて、驚いていた。
どこまで解るかはわからないけど、彼女の日本語は大丈夫だ。
私の優秀な生徒だったのだから。
そばにいるのだから隠すよりはいいと思いサイトを知らせた。
もし逢った時に隠していると何かと面倒なことになる。
でも多分、今だから話せるようになったのだろう。

夕方レイの友達、クリスから電話。彼女とは初めて逢った。
4人でメキシカンレストランへ。
今私の体調が良いのがわかる。
以前何度もレイにお友達が私に逢いたがっていると言われても
なかなかOKを出せなかった。
知らない人と時を過ごす事が楽しくないのと、
もし、パニックにでもなって迷惑を掛けたくないとも思っていた。
人と逢う事が本当に苦痛で仕方がなかった・・・・・

レイに連れて行ってもらってパーティーへ行ったり、コンサートへ行ったりして、
何度かお互い嫌な思いをした事がある。
それを思うと、本当に嘘のように知らない人と逢う事が
それほど嫌ではなくなっている。
2時間ほど楽しく時間を過ごした。

その後、夜はいつもお互い読書かPCに向かっている。
昔からレイの家にはテレビが無かった。
それは今でも変わらない。
私の日本の生活でもテレビを見ない生活を長い事してきた。
その分映画にはよく行った。




1月14日(火)

今日はアイ子さんのセラピーの日だ。
いつもの様に7時過ぎに家を出て9時40分頃診療所に着き、
相変わらず彼女は現れるのが遅い。
二人が向かい合った時には10時20分を過ぎていた。
アイ子さんに「今日の顔が今までで一番いい」と言われた。
本当に落ち着いてきているのかもしれないと嬉しくなった。
でもお薬の量が増えた事で、
今の私に丁度合う状態になったのだろうと思う。
本当の快復ではない。
お薬によって脳内物質のバランスが保たれているだけなのだろう。
でも前のお薬の時よりは調子のいいのが解る。

セラピーも終わり、帰りに日本町へ出かけた。
おしょうゆと生イカとお刺身の盛り合わせなど買って帰ってきた。
(キッコーマンがなんと1150漫激安と書いてあった。確かに!!そう思う。)
他にこんにゃく、大福餅、厚揚げ、イカボール、大根、お煎餅など・・・・
こう言う事も初めてだ。今までは診療所の後、コミュニティーオフィスや
銀行など、用事があるから行くという行動は取れるようになって来ていた。
でも行っても行かなくてもいい場所へ行くと言う行動は初めての事だ。
それも食品を買いに行こうと思ってしまったとは・・・・・
なんとも生活感に溢れていて、生きている事を実感する。

そしてレイに迎えの電話をすることなく、電車に乗った。
荷物は結構重たかったけど、バスも駅に着いたら丁度いたから
電話しないで一人で帰ってきた。
家に着いたらもうレイは仕事から帰ってきていて、驚いていた。
「あれ???」「そう、一人で帰ってきちゃった」
私の迎えの事を考えて早めに帰ってきていたらしい。

そして日本からのベラが送ってくれた荷物も届いていた。
わたしの必要なものがそれぞれ入っていた。
勿論、咳止めドロップも。
相変わらず夜中に咳き込む。
寝るときに邪魔にならない小さなシルクのスカーフを
首に巻き忘れると、もっとひどい。
今ではシルクのパジャマとスカーフは何にも変える事が出来ない。
他のものを着ているときは咳がひどいし寝つけない。
なんとも手のかかる私の身体だ。

早速夕食に支度をして、お刺身を買ったことを知らせた。
そしたら、なんと夫と違いレイが、お刺身が大好きだったとは・・・・
そうだと知っていたら、もっと沢山買ってきたのに・・・・

でも二人でおいしいと言いながら食べる事が出来た。
こういう普通の事が無かったのだもの。
自分の食事の為にお買い物をする・・・・・
とても新鮮で気持ちのいい時間を過ごした。
昔、日本にいた頃、重たいと思いながら夕食の材料を買いに行っていた
あの根岸のスーパーを懐かしく思い出してしまった。




1月15日(水)

今日朝から外周りの掃除をした。
ポーチ、エントランス、階段、車庫の前と落ち葉が落ちているのを掃いて回った。
結構、見た目にもはっきり綺麗になった。
外に出る事もそう嫌でもなくなった。
今までは郵便物や宅急便が届いても出なかったから、レイと喧嘩になった事もある。
行く予定のコンサートチケットが届き、それを受け取らなかった。
日にちも迫っていて、レイが怒りながら取りに行った事もある。

受け取らなかった事は何度もあった。
人の気配がしただけで奥へ隠れてしまっていた。
去年の秋、再度シェルターへ入る前の話しだから、
9月か10月のことだったと思う。

とにかく、つい最近まで心療内科に行く時以外は、
外に出ることは無かったのだから、
1時間近くも外回りを掃いていたなど大きな快挙???だ。

1年も掛かってしまった、こうなるまでに・・・・・

午後からアンと電話で話した時に
「昨日、アイ子に今日が今までで一番綺麗だって言われた」と話したら
「Ruby、魔法の化粧品使ったの?それは何?どこの?」と言って来た。
それで「よく解ったわね、私の持っている魔法の化粧品、教えて欲しい?」
と言ったら、アンが大きな声で笑い出した。
アンも私もお化粧は一切しない。でもアンはいつだったか
「日本のだから」と洗顔石鹸をくれた事がある。
確かに日本語で書いてあるのだけど台湾製で日本語も間違えている。
「天然アロエーでラ配合」と書いてある。
「アロエベラ配合」と書くべきところなのではないかと思うけど、
「アロエーでラ配合」と書いてあるし「で」がひらがなだ。
これは調べた訳ではないから解らない。
もしかしたら書かれている通りなのかも?知れないけど・・・・
(そんな事ないよね〜)でも面白いと思った。

日本も沢山そんな間違いをしている、
私が気が付いた一番大きな(?と言っていいかな???)間違いは
エリック、クラプトンのCDジャケットのつづりの間違い。
確かLのところがRになっていたようで、
これはとても悪い意味の言葉になり、これはいけないと思った事があった。
とてもここに書けないから意味を知りたいと思う人はcrapを調べて??みて???
多分、訂正を出す前に平謝りの状況が合ったのではなかろうかと
人事ながら、心配した記憶がある?????

なんだか調子に乗って、話までそれてしまった。

アンは私の体調がいい事を心から喜んでくれている。
こういう冗談も言えなかった筈だし、
私の声のトーンも違っていただろう。
アンは私に「長かったね。きっと今度は大丈夫、きっと良くなっているから。
ハウスに入ったら、また学校にも行けるよ」と力強く言ってくれた。
彼女は私が一人で勉強している事も知っている。
家を出てからいつも一番身近にいた人だ。
いつでも一番の相談相手だった。
こうしてシェルターを出ても、その行動は続いている。
ありがたい。本当にありがたく思っている。
その彼女には私の声の調子、話し方の様子など詳細にわかっているのだろう。
まして彼女の耳はそれこそ魔法の耳?なのだから。
私たちのように五感をフルに使っても見る事の出来ないものでも、
彼女の耳は感知する事ができる。
誰に言われる言葉より私には心強い。

夕方4時ごろChさんにも電話をしてみた。
元気になっている事を喜んでくれた。
Chさんが電話の中で「私本当にあなたにとっていい事をしたのか
悩んだりしたことがあった」と言っていた。
思わしい快復を長いこと見る事が出来なかった事で、
彼女は不安になってしまったのだろう。
去年の今ごろは彼女と電話で何度も話をしていた。
「命の危険を考えて一日も早く家を出る様に」
と電話のたびに励ましてくれていた。

今では笑い話になってしまったけど、なんと
当時私は「家の中を全部掃除して綺麗にしないといけないから
今は無理だから、出るのをもう少し待ってください」と言っていたらしい???
思い出すと「今からシェルターの人がタクシーで迎えに行く」とまで
言われた事があった。
緊迫した状況の中にいて、周りはピリピリしていて、
私の心は既に正常心をなくし、出て行ってしまうのだから
もう夫から脅される事も、いじめられる事もないのに、
掃除をして行かないと怒られる・・・・と思っていた・・・なんて・・・・
そうやって何度もやり取りをしてきた。
出ることを決心してからの私は、自分が悪い事をしているようで
本当につらかった。
夫が怖くて仕方が無いのに、寝てしまった夫を見ると
今自分がしようとしていることが夫のそれより悪い事であるかのように思い、
自分を責めて責めて、夫に許しを乞いたいような衝動に
何度もかられ、申し訳ないと声を殺して泣いていた。
そんな時、マサチューセッツ州のMさんに随分と助けられた。
「あなたが悪いのではない。家を出なければならなくなったのは
あなたのせいではないのです」と・・・・・・

あの頃から一年が経ってしまった。
今、命のあること、今までお世話になってきた人たちに、
どうやって恩返しができるのだろうという私にChさんは
「Rubyさんがこうして少しずつ元気を取り戻し、社会に復帰できるように
なってくれる事が私たちの望みですから、今のように元気な声が聞ける事が
もう既に恩返しです」と言われ、また頭の下がる思いがした。
本当に長い長い一年だった。




1月16日(金)

午後電話がなって出てみたらアンだった。
この自然に出来た行動。アンが驚いていた。
彼女の第一声は「Rubyさんは居ますか?」と言うものだった。
「私です」「・・・・・エッ?Ruby?Oh my god!!」
私も不思議だった。
2000年の渡米以来、始めて自分で電話を受けたのだから。
初めて出た電話がアンだったこともまたラッキーだと感じる。

掛けてきた内容は、ハウス入居のインタビューの為に
担当者と話すと言うことだった。
インタビューは来週という事になった。
いよいよ少しずつではあるけど踏み出している気がする。
独立にはまだほど遠いけど、それでも確実に進んで行っている。
どうかこの調子でうまく事が運びますように!!
多少の紆余曲折は、仕方が無いと思う。
それに少々の事はつらいとは思わない。
私にとっては地獄を這いまわるような思いに、どれほどの時間費やしたかと思うと
あれ以上の苦しみを味わう事はそうないと思われる。

とにかく次の一歩への橋掛かりが出来た事に間違いはない。
有頂天になりすぎないようにはしなければならないけど、でも嬉しい!!
用心用心!!でも今の幸せに感謝!!
生あることにも感謝!!
見守ってくださる方々と全能の神にも感謝。

そして今、掛かっているボレロにも感謝???
ここに来てからは大好きなクラッシックを一日中聴いていられる。
ただ自分一人の時だけだけど!!
シェルターではこれが無い。
箱いっぱいにあるCDをプレイヤーに5枚セットして日替わりで聴いている。

シェルターにはポータブルCDを持ち込めなかった。
盗難の危険もあるということで私の場合はPCとプリンターを
持ち込んでいたから、貴重品は少なめにとの事でだ。

今度のハウスはPCやCDはどうなのだろう。
インタビューの時に聞かなくてはならない事を色々とメモしておこう。

去年のクリスマス前にここに来てからの生活は、
本来の自分のライフスタイルにとても近い。
このこともリラクゼーションになっていて、快方へ向かっているのだろう。
励ましてくれる友達は勿論、こうして住む場所を与えてくれているレイには
本当に心から感謝している。
後しばらく、お世話にならなくてはならないけど、
いる間、無事で過ごしていきたい。

このような静かな時の流れを、私は随分と長いこと夢に見ていた。
昨日レイのお友達が持ってきてくれた自家製生ビールで乾杯?かな








申し訳ございません。都合によりしばらく更新をお休みさせていただきます。
体調が整い次第再開いたします。
2003年2月10日









やっと少し体調も整いました。壊れていたPCも直りました。
8月からは今までとは違う生活の流れにもなってきました。
少しずつ芸術感覚も戻ってきて制作意欲も出てきています。・・・・・
タペストリーとモザイクのガーデンテーブルのふたつを作る予定で
準備を始めました。
いつ出来上がるかは解りません。
自分のペースでやるしかないと思っています。
お世話になったある二人の人のために心をこめて作りたいと思います。


これから先、この章は今までのような日記を書くことはしません。
他の章でエッセイなど書いていきたいと思っています。
苦しかった頃の心の中をこの章に吐き出して来ていたように思います。
重く読みにくい心の叫びを読んでくださった方々に心より感謝いたしております。
長い事何も書いていないのに、いきなりこんな文で申し訳ございません。
別の形でわたくしの近況などは解るようにしていくつもりです。
ありがとうございました。

2003年9月 Ruby










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