2006.2作成
「陸奥鉄」を知っていますか?
 戦艦を調べていたところ、興味深いものを発見しました。旧日本海軍の戦艦陸奥の鋼鉄が現代でも利用されているというのです。戦艦陸奥の生涯とともにそのことについて触れていこうと思います。
(画像が無断転載でしたら法的手段に出られる前にご指摘をお願いします)
長門級戦艦(資料によって若干の違いがありますので大体これくらい、と思ってください)
建造艦
 長門・陸奥

建造時
 基準排水量:32720トン
 全長・全幅:215.8メートル×28.96メートル
 速力:26.5ノット
 主要兵装:41センチ砲8門、14センチ砲20門、
 8センチ高角砲4門、53センチ魚雷発射管8門

1936年(昭和11年)近代化改装後
 基準排水量39130トン
 全長・全幅:224.94メートル×34.6メートル
 速力:25ノット
 主要兵装:41センチ砲8門、14センチ砲18門、
 12.7センチ高角砲8門、25ミリ機銃20挺、
 水偵3機・射出機1基
陸奥誕生
 陸奥は長門級二番艦として1918年6月1日に起工されました。しかし陸奥建造中に、戦艦・空母等を建造・保有を制限するワシントン軍縮会議(1921年11月11日〜1922年2月6日)が開かれ、完成していない陸奥は建造中止に追い込まれます。
 未完成のまま竣工させるなど、陸奥を諦め切れない日本は、アメリカのコロラド級戦艦の建造とイギリスにネルソン級戦艦の建造を許すという条件の下で、陸奥の保有を許可してもらいました。
 現在では、戦艦といえば大和ですが、当時の人々が思い描くのは長門級戦艦でした。大和が誕生するまでの約20年間、長門級戦艦は海軍の切り札として先頭に立っていたのです。
←著作権はOKみたいです
↑戦艦「陸奥」の絵はがき(当時物)
爆発〜引き上げまで
 1943年6月8日正午過ぎに三番砲塔付近で爆発が起こし沈没します。乗組員1121名が犠牲になりました。調査チームが結成され原因の究明に努めますが、真相は現在に至るまで判明していませんが人為的な爆発の可能性が高いとのことです。陸奥は1943年9月1日に除籍となります。
 戦後、乗組員の遺族の方たちの願いで船体の引き上げ作業が始まりまりましたが、200メートルを超える巨体ですので、引き上げ作業は困難を極めます。1970年から大がかりな引き上げが開始された結果、現在まで75パーセントが引き上げられ、乗組員の遺品や陸奥の部品は各地の博物館等に展示されています。
陸奥鉄
 現在の鉄は精錬の課程で、溶鉱炉の耐熱壁に含まれているコバルト60という放射性物質が微量ながら混入しています。しかし戦前の鉄には製鉄技術の違いから含まれていません。そんな放射性物質を含まない陸奥の船体は微量の放射能を測定する装置(国内の原子力施設、長崎大学ヒューマンカウンターなど)に重宝しました。陸奥は意外な形で復活を遂げたのです。
 ※ヒューマンカウンターでネット検索をすると陸奥の「ソレ」を見る事が出来ると思います(^^)