砂漠日記


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(ページの一番下が開始日です)

@9月30(水)

縮図。

今回の旅行で初めて、
イスラエルに住むユダヤ人とつながった。
サウジへ戻ってきてからも、その人とのやりとりは続いている。

自分の思想を過去から追ってみると、
イスラム教徒は危険だという先入観から、
今はシオニストこそが危険だという先入観に傾いている。

彼女はイスラエル建国の後に生まれた人だから、
前の世代のように意思を持って移り住んできたのではなく、
生まれた場所が複雑な背景を持つ場所だったに過ぎない。
他の誰とも同じく、故郷は選べない。

ある場所に住み、学ぼうとするなら、
その土地に住む人の考えを尊重することが大前提。
一方で友人とは誰であろうと等しく親睦を深めたいとも思う。

今、両者は必ずしも一致しない。
これは初めて感じる違和感だ。

どちらかの側に立つのは簡単。
敵と味方を区別して、一方を弁護し他方を糾弾すればいい。
本当に難しいのは、両者の間に立つこと。
そこでバランスを取ること。

@9月29日(火)

偽善。

サウジ人の友人と買い物に出かけた。
英国系のレコード店に勤める彼は、
比較的異文化に対する寛容度が高い。
それでも時々、彼もやはりサウジの人だと思うことがある。

あくまで傾向としてだけれど、
敢えて外に出る必要のないこの国の人たちは、
自分達以外の価値観の存在を、そこまで容認しないように見える。

無論、それは彼ら個人の責任ではないし、
外に出ないのは制限があるからでもある。
特にイスラエル、イラン、タイなどへの渡航は難しい。
ビザの概念すら薄れつつある日本とは雲泥の差。

「日本に行くにはどうすればいいの?」
そう問う彼に対して必要な書類を説明するうち、
果たして自分は彼を自分の身元保証で日本に招聘することを
どう思っているのか、分からなくなってきた。

外に出て違いに触れるのは絶対にいいことだ。
けれど個人レベルでそれを本気で支援する覚悟は自分にあるのか。
綺麗ごとを並べ立てていいとこ取りしているだけなのでは。
そんな疑念に苛まれる。

@9月28日(月)

突き止めた。

「突然のメールで恐縮ですが、
現在、私は30年程前に自分の命を救ってくれた
あるドクターを探しています。」

「とあるサイトでこのアドレスを見つけ、
お名前が一致しているので、もしやと思いメールしています。
ただの勘違いであれば、どうぞご容赦ください。」

そう綴って送った一通のメールに返事が来た。

「あなたのメールは正しいアドレスに送られました。
アドレスを探すご苦労はさぞ大変なものだったことでしょう。」

「あなたからの連絡を受け取り、大変嬉しいです。
今でも、あの時の3歳の坊やのことは覚えていますし、
27年前の手術は、未だに私の記録に残っています。」

「又、日本での滞在は大変思い出深いものでした。
それを実現してくれたご両親にもどうぞよろしくお伝えください。」

アンマンに住んでいた3歳の自分は、エキノコックスという寄生虫を孕んだ。
当時、日本では北海道でしか事例がなく、手術の実績もなかった。
母親と帰国した自分を追って、ドクターはアンマンから東京へ飛び、
日本で初の事例となった自分の手術を執刀してくれた。

それから30年近く、自分は大きな病気もせず事故にも遭わず、
毎日よく食べよく睡眠を取って、好きな土地を訪れ、人に会える体を持っている。
全て、あの時分かれていた二つの道のこちら側を歩めたお陰。

生まれてくることも生きていることも、当たり前ではない。
常に分かれ道に晒され、常に生きる方に片足を踏み出し続けた結果、
今という瞬間まで、自分の人生が続いているに過ぎない。

@9月27日(日)

一枚のコイン。

ほんの24時間と少し前は、
砂漠に横になって、溢れる程の星を見ていた。

そこから車と飛行機を乗り継いで、
ジーンズとサンダルからスーツと靴に着替え、
空調の効いた部屋でキーボードを打っている。

どちらも自分。
どちらも本物。

どちらが欠けても、自分でなくなる。

9月16日(水)−9月26日(土)
断食明け休暇でヨルダンへ。

@9月15日(火)

葉書が届いた。

北フランスの祖母の町に里帰りしている、
日仏夫婦からのメッセージが書かれていた。
お祖母ちゃんからも一言添えられている。

ロワールは確かワインの名産地だったか。
そんなことを考えながら、二人のその土地での姿を思い浮かべる。

二人がパリで結婚式を挙げてから、ほぼ一年が過ぎた。
世界を賑わせた証券会社の破綻からも、同じ時間が経った。
二人の世界はあの日を境に変わっただろうし、
世界もまた、その日を境に変わった。
けれど、どちらも今、その続きを生きている。

自分はどの日を境に変わったのだろう。
或いはこれから、どの日を境に変わるのだろう。

考えるだけでは世界は変わらない。
思い描くだけで旅はできないのと同じこと。
きっとどちらも、偶然を楽しめばいいのだろう。

@9月14日(月)

旅の前。

いつものこと。
下調べはしても、予定は決めない。
目星はつけても、限定はしない。

自分でコントロールできる領域と、
向こうから勝手にやってくる範囲。
旅路では常に後者を優先させたいと思う。

望まぬトラブルがやってくることもある。
だからいつも出発の前には、ある程度の不安が、
自分の後ろから囁き始める。

「もし盗難や誘拐にあったら」
「もし事故や災害にあったら」
「もし」「もし」「もし」

それは健全な感情だとは思うけれど、
それに小突き回されることはない。

むしろ余りにそれを警戒して、
偶然を失うことの方が自分は怖い。

@9月13日(日)

妄想。

あることないこと、あれやこれや。
今までのことも、これからのことも。

床についてから眠りに落ちるまでの時間、
5分なのか10分なのか、それとも1時間か。
色々な顔や、様々な出来事が頭をよぎる。

夢の入口なのか、
現の出口なのか、
どっちつかずの曖昧な世界。

いくつも重なる結びつきの中、
たった一点に立っている自分。
それを辿っていく中で立ち上がる風景。

右に行くか、左に曲がるか。
組み合わせによっては、真と偽が入れ替わる。
生きるとは、巡り合せと選択の連なり。

@9月12日(土)

風の通り道。

曇り空。
日本にいたら、これから一雨来そうな気配。
気温は40度を少し下回るくらいしかないだろう、
とても涼しく感じる、気持ちの良い昼下がり。

自分の口から吐く煙草の煙を眺めるのが好きだ。
いつものように部屋の両側の窓を開けると、
部屋の中で煙がどう動くのかを目で追えば、
空気の動きまで見えるようになる。

窓の外に出た煙が強い横風に流されて、
一気に色を失うとこまで見える。

互いに関連しない様々なことが頭をよぎる。
久しぶりに、家にいながら旅路にあるような気分になった。
これからまた、ポーランドの追憶を辿ろうと思う。

@9月11日(金)

お祝い。

テレビでは繰り返し、
8年前の出来事を流している。

大統領がスピーチをして、
名前の変わったあの場所には、
献花やロウソクが沢山捧げられている。

「真珠湾以来の、インテリジェンスの失敗」
本土への攻撃は国民の逆鱗に触れた。
そしてその後の「正義」の戦いへなだれ込んでいく。

今日を喜ぶことは、地球のこちら側では当たり前。
敵にばかり肩入れする国は敵と同じ。
けれどその国の代表はようやく変わって、
今、少なくとも対話を求める姿勢は見せている。

今日改めて、この土地に石油が見つからなければと思う。
代理戦争も傀儡政権もなく、誰にも見向きもされない、
砂漠と水を求めて大地を転々と移り住むベドウィンだけの世界。
余計なモノがなく、価値観の揺さぶりも知らない世界。

世界との関わりを持つことはプラスだ。
けれどそれには間違いなくマイナスも付いてくる。
そのことを、忘れてはいけない気がする。

@9月10日(木)

ものの値段。

夕食を採った後に、
用事ついでに買出しに行った。
仏系スーパーの入っているモールで、
しばらくの間ウィンドウ・ショッピングをしてみた。

それとはなしに探しているものはあった。
機内持込みできるスーツケースと旅行鞄。
機能的で最低限のデザインなら、華美なものは必要ない。

いくつか店を覗いてみて驚いた。
2,000リアルのスーツケースはまだ許せるとしても、
革のボストン・バッグが3,500リアルや16,600リアルときた。
1リアルは約30円だから、ビジネスで日本往復できる金額。

国際的なブランドということを差し引いても、
50万円の旅行鞄を持って旅する人は、
全てファーストで飛んで、スイートに泊まるのだろうか。

300円もあればお腹一杯夕食が食べられる国に、
その1500倍以上の鞄も売っている。

物欲は必要性とは関係ない。
それは外部によって作られ、
又自分で作り出すもの。

@9月9日(水)

幹事。

ジェッダにいる駐在員が帰国する度、
日本人会という団体が歓送会を開く。
幹事は都度くじ引きで決まり、
今回は自分にお鉢が回ってきた。

折角なので楽しんで欲しいし、
食べるならおいしいものの方がいい。
そういう単純な気持ちで1ヶ月程準備したが、
そこはさすがにサウジ、何事もそううまくは運ばない。

ケータリングを頼んだホテルは直前にキャンセルしてくるし、
別の店は料理を持ってきてくれるが皿は回収してくれない。
デリバリーの時間はお祈りの時間に左右されるし、
会場設営も自分達で行わなければいけない。

まぁでも、楽しかった。
思いが形になって、そこに集まる人がいて、
「ありがとう」と言われることの、喜びの大きいこと。

場を作ること。
これは一生の夢だ。

@9月8日(火)

日本。

日本人がアラブ人の見分けがつかないように、
アラブ人はアジア人の見分けがつかない。
だから日本人とぴたりと当ててくる人は少ない。

ダンマンからの戻りの飛行機の中、
無事にイフタールを終えて水を飲み干す隣の乗客。
着陸してから少し話してみると、仕事で日本へ行ったと言う。

1984年の話。
まだ自分は7歳の頃。

懐かしそうに日本は素晴らしいと言うその人は、
これから断食月中の巡礼に行くべく、
二枚の布で身を包んでいる。

聞けば、今テレビで日本の文化・風習を紹介する番組が流行っているらしい。
日本で毎日サウジの文化・風習を紹介する番組は、果たして現れるだろうか。

@9月7日(月)

おもてなし。

イスラムでは客人を丁重に扱うのが美徳。
ラマダンの夜長に、シーシャに誘われた。

普段なら喫茶に出向くのだけれど、
今晩は特別な場所に招待された。

客先が友人と共有するアパートの一室。
自前のシーシャにお手製の紅茶。
葉を盛り付け灰に火をつけ、
冷やした水とパイプを用意する。

今まで何回も楽しんできたシーシャも、
一から自分達で準備すると一味違う。

自分も兼ねてからずっと持ちたいと思っていた、
気のおけない仲間達とのプライベートな空間。
自分をそのラインまで受け入れて、
友と違わずそれを経験させてくれた彼に感謝。

人とのつながりが強くなればなる程、
その土地への愛着は増していく。
そして次第にその土地が、
「自分が住んだ」と呼べる場所になっていく。

@9月6日(日)

逃げ去る時間。

つかんだと思ったら、
それは途端に手の平から
するすると音も立てずに消えていく。

世界は、自分の見える範囲だけで成り立ってはいない。
見えていないことの方が、途方もなく多い。

全ては大きな流れの中にある。
その流れが右を向けば右へ、左へ行けば左へ。

翻弄され濁流の中でもがいても、
手足はしびれ、やがて息も果てる。
ならいっそ全て体の力を抜いて、
上に下に揉まれながら、ただ流されてみる。

たとえ何をしたところで、
その流れを押し返すことも飛び越えることも、
今の自分にはできることではない。

早くも、始まった。
けれど、これは喜ぶべきことだ。
今はただ、じっと体を浮かすことだけ考える。
一度大きな滝を過ぎれば、流れは穏やかになるだろう。

@9月5日(土)

苦手な人。

なるべく好き嫌いはない方がいいけれど、
相性の合う人と合わない人は存在する。

出世や名誉に対する執着の強い人。
細かい文句をいつまでも繰り返す人。
こういう人とは、どうも居心地が良いとは言えない。

ただそれは、その人の他の面を知らないせいかもしれない。
仕事に人格は出るけれど、仕事の人格だけが全てではない。
自分だって仕事に見せている面は極一部。
同じことが、他人にだって言えるはず。

面と向かって会う時間と、
人間関係の良さは比例すると言う。
一緒にいる時間が長ければ長い程、
その人との関係は良くなると言う。

確かに会わずに壁を作るより、
会って壁の向こう側に回る方がいい。

@9月4日(金)

胃痛。

昨夜、突然始まったみぞおちの痛み。
食事やウイルスの可能性はないので、
考えられるのは溜まった疲労とストレス。

今までストレスとは無縁と思っていたけれど、
ストレスのない人間はいないらしい。
奔放な休暇を過ごした直後に、
ラマダンに沿った生活に変えたのが原因かもしれない。

薬をとりながら、柔らかく煮たシチューを食べる。
このことを予見していたかのように数日分の食事を
料理しておいて良かった。

今日はバスケも見学だけにして、
ゆっくり疲労を取ることにしよう。

@9月3日(木)

Al Balad。

ダマスカス、カイロ、フェズと並んで、
イスラムの四大旧市街の1つとされるジェッダ。
普段は一人で彷徨うことが多いけれど、
年に1回アレンジされるツアーに参加した。

日本人が集団であちこち見て周っているので、
現地の人もそれなりに「観光客」として認識してくれるだろう。
通常は難しい撮影も、この機会なら看過してもらえるようだ。
願ってもないチャンス。

名家の旧豪邸から学校、食料品スークを練り歩き、
モスクを外から眺めて更にゴールド・スークを進む。

ラマダンの夜しかも週末なので、どこも人でごった返している。
何故か血が騒ぎ、この活気に高揚せずにはいられない。
旧市街の熱量は新市街と比較にならない。

興奮しすぎたのか、途中から胃が痛み出す。
訳が分からないが、楽しかったから良し。

@9月2日(水)

1996。

いつもこの曲を聴くと、
どこで何をしていても、あの時の気持ちが蘇る。
胸が締め付けられるような、という表現そのままに、
恋に落ちて、束の間それを味わって、そして失った。

あれからもう10年以上も経って、
18だった自分は気づけば30を越えていて、
世間から見れば立派に「大人」というものになって、
同級生は伴侶を見つけ、また親になっている。

けれど自分は、あの頃とちっとも変わっていない。
恋に捕らわれ、恋に惑わされ、いいように翻弄され、
自分のことも、相手のことも分からず、今ここにいる。

あの夜、高校の同級生を集めて、
朝まで語り合うかと思ったら、
自分はさっさと寝てしまった。

今思えば、何をしてたのか、よく分からない。
いや今だって、何をしてるのかなんて、よく分からない。

@9月1日(火)

プライド。

ラマダンの夜は長い。
夜明け前まで食事をしてから、
昼は極力休んで日没後に活動開始。
だから外出も深夜になるし、買い物も2時3時は当たり前。

サウジ人の友人とモールに出かけた。
ラマダンはセールのシーズンでもある。
この時期に施すと、徳が沢山着くからだそうだ。

新しくできたばかりのモールは、
買い物に張り切る人々で一杯。

何故T シャツは英語ばかりなのか。
そんな疑問を元に、アラビア語を前面に出したデザインで、
サウジから発信していくブランドも段々と増えてきた。

ある時期までは、舶来のものに憧れる。
そして、やがて自らのアイデンティティを再認識。
まるでどこか東洋の国と、そっくりじゃないか。




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