徒然綴SS総集編




・レティ 【東方妖々夢】 『ユキメ』
・風見幽香 【東方花映塚】 『花の叢雲』
・ランサー 【Fate/hollw ataraxia】 『虚数限界』
・博麗霊夢 【東方シリーズ】 『ism』
・小野塚小町 【東方花映塚】 『brassiere』
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『ユキメ』

 

 

 雪女を愛してはいけない。
 あれは妖怪だ。

 

 

 魔法の森は低温湿潤だが、太陽が当たるからこそ化け物クラスの樹木が生え揃うのだ、日陰を望むなら紅魔の館のような寝食を賄える空間が最上と言える。
 だが、あそこの主は気位が非常に高い。レティも、貸しを作ってまで春夏秋の別荘に仕立て上げようとは思わなかった。
 湖の傍、何物も寄せ付けぬ切り立った断崖、その袂に空いたがらんどうの洞窟。
 住み易いように寝台用具を備え付けて、冬までの長くも短い時節を安穏と通り過ぎる。
 干草を丁寧に編んで纏めた枕に、満遍なく顔を埋める。不意に眠りから覚めた意識を、そのまま沈めてしまおうと草の香りをいっぱいに吸い込み。
「――お休みのところを……」
 良い所に、邪魔が入った。
 首を巡らすと、鴉を連れた鴉が申し訳なさそうに佇んでいた。ご丁寧に正座までして待ち構えている。そうしてくれても、与えられるものは相応の仕置き程度なのだが、もう冬も近いから、今のうちに今年の空気に慣れておく必要もある。
 レティは、ぼやけた眼と意識を拭うために少し大きな声を出した。
「……誰よ?」
「はい、いつかの新聞記者です。本日は大変お日柄も良く――」
「知らないけど……」
 鴉天狗の背後に光る太陽の白は、いつの頃も眩いものだ。同じ白でも、雪のそれは好ましく感じられるのに、不思議なものである。
「なに、冬が恋しくなったの? その気持ちは分からないでもないけど」
「いえ、そういうのじゃなくてですね。冬の妖怪として、ひとつ冬に纏わるお話でもお聞かせ願えないものかと思いまして、はい」
 その手に手帳とペンを携えて、準備万端と言わんばかりに身構える。
 レティの承諾を得ないまま、勝手に話を進めてしまう。随分と勝手なものだと思う。
 が、薄らぼやけた頭で冬を謳歌するのも好ましくない。楽しみ方としても不出来に過ぎる。
「仕方ないわね……」
「お願いします。こういうのは、冬に入ってからじゃ遅いんですよ。ほら、十月なのに十二月号だったりするじゃないですか。そういうもんです」
「……そういうもんねぇ」
 そうですそうです、と適当に相槌を打つ天狗はもうレティを見ていない。
 気にはすまい、どうせ茶飲み話だ。
 湯飲みに注がれた熱さに、静々と蕩けてしまう物語でいい。
 その前に、ふあ、と間の抜けた欠伸を空洞の中に響かせておいた。

 

 

 昔、彼女の髪は長かった。
 足元に這う黒髪は生き物のように、肉感溢れる姿態は薄絹一枚によく映えた。
 彼女は、ある山の中腹に住んでいた。
 陽の当たらない場所を好み、万年雪のある凍えた大地を根城としていた。
 生き物を寄せ付けない空間が、彼女をずっと守っていたのだ。
 ずっと、独りだったということを除けば。
 それに気付いたのが、長く続いていた孤独の終わりだった。
 ある冬の日、久方ぶりに人間と出会った。
 外は暴風と大雪が吹き荒び、太陽が射す時間だと言うのに闇夜の黒を彷彿とさせる。
 転がり込んで来た男は、この厳しい土地に女が居ることに驚いた様子だった。
 しかし、それにもいずれ慣れた。
 彼女は、しばらく慣れなかった。
 人間の社会と隔離されながらも、人間に似た居を構える。
 男には、物置小屋のような場所を宛がった。
 死体が増えるのを嫌って、適当に防寒処置を施しておいた。吹雪がやむ気配を見せないので、簡単な食べ物も与えた。人間は女の存在を酷く不思議がっていたが、同様に喜んでもいた。
 何でも、あなたのような綺麗な人と寝食を共に出来るのは、至上の幸福だ――そうだ。
 今度は、彼女が驚愕する番だった。
 その呆とした顔を見て、男はよく笑ったものだった。


 世捨て人なのか、勢いを増す吹雪に焦る様子もない。
 彼女が聞いても、笑って誤魔化すだけで判然としない。言わなければ叩き出すと脅しても、ならば仕方ないと腰を上げるのが落ちだった。野垂れ死にしては心が晴れぬと、彼女も無理強いはしなかった。
 不思議と、雪はやまなかった。
 心の内で、やまないでくれと望んでいたせいかもしれない。
 長く生きていれば、その程度の力は付くものだ。
 男は、面妖なこともあるものだなあ、と顎を擦るだけだった。
 そういえば、彼女はどうして人間を受け入れたのだろう。
 珍しいものに興味を持ったのか、肥やして食べてやろうと思ったのか、それとも。
 独りが嫌で、道連れが欲しいと望んだからなのか。
 これは昔々の物語だから、答えを望むのはお門違い。
 語り手はただ語るのみ、真実は各々の捉え方次第。
 物置も多少整理され、寝台が付き、箪笥が備わり、枕が増えた。
 初めは男一人に食わせていた食事も、暇だからという理由から彼女も付き合うことになった。
 男が女に慣れたように、女もまた男に慣れる。
 冬は、徐々に更けていった。


 ある日、男が帰らせてくれと言った。
 何故と聞けば、雪を降らせているのはあなただろう、と臆することなく答えた。
 そうかもしれない、としか告げられなかった。妖怪として長きを生きてはいたが、力を発露することは少なかったから、やませる術など知らなかった。
 そうか、と残念そうに俯くので、何故帰りたいのかと尋ねる。
 男は、故郷に残して来た女が恋しくなった、と彼女を前に嬉しそうな素振りを見せた。
 吹雪が降り始めて、一ヶ月が経っていた。


 今年に入って、最も強く吹雪いた夜。
 彼女は、男の部屋を訪れた。何の警戒もなく、彼は女を招き入れる。
 私は妖怪ですと告白すれば、男には当たり前のような顔をされる。
 何故畏れないのですかと問えば、あなたが妖としか思えぬほどの佳人だからと答える。
 ――私が好きですか。
 好きだ。
 私にはその気持ちが分かりません。だから、それが分かるまで、どうか傍に居てください。


 男が首を横に振ったので、女は男に覆い被さった。
 遣り方は知っていたが、行為そのものは初めてだった。
 男は拒まず、冷えた身体をお互いに抱き締め合った。
 あまりに強く抱いたせいで、お互いを殺し尽くしてしまいそうだったけれど、死んだら駄目だから何とか堪えた。死なせてはいけない。その為に繋がっているんじゃない。
 では、何の為なのか。
 それさえもよく分からぬまま、身体は無理やりに熱せられていった。
 不快な熱も、今は、今宵だけは快楽と共に浸れそうだった。


 お腹に感じる熱が、いつか子を生せばいい。
 それは、必ずや男を縛る鎖となるだろう。
 けれども、その審判が下される前に吹雪はやみ、彼女が目覚めるより早く、男は小屋を去って行った。
 別れの言葉はなく、彼女が久方ぶりに見上げた空は、瞳を焼き切るくらい眩しく輝いていた。


 半日か一日かの時が経って、降り続いた大雪が太陽に熱せられて、稀に見る雪崩を生んだ。
 それは呆気なく女の住む家を押し潰し、誰も知らなかった妖怪は、誰に伝わることもなく消えてなくなった。


 これでおしまい。
 麓にあるひとつの村が大雪崩に呑まれたとか、彼女が後々の雪女伝承を作って行くとか、そんなものは蛇足に過ぎないし、そもそも御伽噺に現実を求める方が間違っている。
 だから、これはこれで。
 未来永劫、どんづまりの物語なのだ。

 

 

 ちゃんちゃん、と分かりやすい挨拶で締め括る。
 鴉天狗は、ぽかんと口を開けていた。少女の肩に留まっている鴉は、それ以前にレティを見ようともしない。途中、間の抜けた鳴き声をしてくれたのもこの鴉だ。
 全く、躾がなっちゃいない。レティは、欠伸をこぼしてベッドに倒れ込んだ。
「――あ、ちょっと!」
「終わり終わり……。他のが知りたきゃ、あの氷精にでも聞きなさいよ。私、これ以外のはあんまり知らないし」
 えー、と不満そうな声が飛ぶ。
 冬の妖怪なのに、それに纏わる話を知らないのが気に食わないのか。そう言われても、知らないものは分からない。捏造するのも面倒だし、上手に作る自信もない。
 むー、と唸っていた天狗も、溜息と一緒にようやく重い腰を上げてくれた。
「何と言いますか、実に容赦のないお話でしたね。実体験ですか?」
 さり気なく聞いて来る。とんだカラスだ、と心の中に吐き捨ててみた。
 眠りかけていた身体を起こし、干草のベッドから身を離す。しょうがない、たまには外の空気でも浴びて来ようか。
 乾燥し、澄み切った空気は心を強く締め付ける。
 そのえもいわれぬ縛りが、どうしようもなく愛しいのだ。
「で、どうなんですか。レティ・ホワイトロックさん、冬の妖怪として一言!」
「……あー、どうもこうもないわよ。だって」
 身体に纏わりついた大量の草を払い、長く伸びきった髪のようだと呟く。
 その全てを簡単に払い落としてから、情け容赦なくぼやいてみる。


「これ、私のお母さんから聞いた話だもの」


 肩を竦める。
 天狗のペン一式が、全部丸ごと綺麗なくらいに凍り付く。
 ……ああ、この空気も実は心地良い。
 場の空気を読んでか、真っ黒な鴉が天狗を溶かすように白々しく鳴いていた。


 だから、それはそれ。
 これからもずっと、どんづまりの御伽噺なのだ。

 

 

−幕−
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『花の叢雲』

 

 

 強さを求めることに理由はない。
 強いて言えば、只の暇潰しなのだ。
 ……ああ、それでも。
 最近は、随分と暇になったものだ。

 

 

 満天の灰色に、牽制の意味を込めて大きな傘を広げる。
 雨は嫌いではないが、身体が濡れてじっとり蒸れるのは非常に気持ち悪い。
 この時節、ただ外に居るだけでそのような危険と隣り合わせだから、賢明な者なら通気の良い部屋で息を潜めているだろうし、むしろ何らかの故あって身体を濡らしたいと望む者なら、何も持たずに外界へ躍り出るだろう。
 当の幽香は、そのどちらを選ぶこともない。
 簡単な話だ。掌に感じる微かな傘の重みが、梅雨を楽しむ術を教えてくれる。
 この森も、小雨が舞えばいつもに増して歩き難くなる。地面は露の重みに負けて柔らかくふやけてしまうし、力強い生命力を誇示していた枝葉も、長く雫に打たれればその分だけ低く項垂れてしまう。
 人の目には、それが死んだ世界に映るかもしれない。
 馬鹿げた妄想だ、と幽香は思う。詰まらないから、地面に咲いた傘の花をくるくると回す。
「――くるくる、と。変なトンボがとまったかしらね」
「トンボ違う」
 何処からか、不機嫌な女の声がした。
 特に敵意を感じないので、しばらく待つことにする。その間も、掌で傘を回し続ける。
「あなた、随分と暇ね……」
「よく分かったわね」
「そんなもん見りゃ分かるわよ」
 幽香の前に姿を現したのは、傍らに一体の人形を置いている洋風の少女。
 青と白を基調にした簡素なドレスと、肩の辺りまで伸びた流麗な金の髪が特徴的だ。
 加えて、片腕に携えているのは禁呪の法が刻まれた文書。
 見覚えがあるな、と言うことは告白しないでおいた。
「こんな泣き出す寸前の天気に、よくもまあ好き好んでそこらへんを放蕩出来るわね。ほとほと感心するわ」
「良い感じね。その調子で私を崇め奉りなさい」
 軽く踏ん反り返る。
 口にはしなかったが、何となく相手がうわーと言ったような気がした。
「一体、何様なのよあんた……」
 彼女がげんなり肩を落とすので、幽香もそれなりの誠意を見せることにした。
 それが余計に彼女の神経を逆撫でるにしても、何もしないよりは生産的だろう。
「まあ、強いて言うなら風見幽香様ということになるけど」
「……風見、幽香ね。ああそう」
 ふうん、と思わせぶりに溜息をひとつ。
 礼儀がなっていないのはどちらだろう、と腰に手を掛ける人形師を見ながら思う。
 だからせめて、幽香は礼儀正しいところを見せてやろうと考えた。
「お初にお目に掛かります。多分」
「こちらこそ。多分」
「どうもねアリス」
「しっかり覚えんじゃない!」
 怒られた。
 目の前の少女――アリス・マーガトロイドは幽香に借りがある。過去、魔界の秘奥を用いても己の技量が足りずして呆気なく敗北を帰した。……ような記憶が、幽香の頭の隅っこにこびり付いている。
 これまた、随分と昔の話を穿り返して来たものだ。感心する。腕組みして、ふーん、へえーとか頻りに感心したような空気を出してみた。
「……あんたねえ」
 と、アリスのこめかみに何らかの筋がそそり立つ。顔は笑っているが、目は笑っていないというあれだ。
「一応言っておくけど、私はなかなか強いから気を付けた方がいいわよん」
「……結構な自信ね。夢遊病患者みたいに当てもなくふらふらしてる妖怪とは思えないわ」
「別に当てが無い訳じゃないんだけどねぇ。単に、花がいっぱいある場所に居たいだけで」
「あんたは蜂か」
 アリスも闘う気があるのかないのか、天衣無縫の妖怪に翻弄されているのか、なかなか相手の懐に踏み入ろうとしない。無理もない、彼女は一度幽香に敗北しているのだ。足が進まないのも当然と言える。が。
 幽香には、他にも何か――詰まらないことなのだろうけど――理由があるようにも思えた。
「んで、蜂じゃないあなたが私に突っ掛かって来たのはなんでかしら。他人を暇人呼ばわりするくらいだから、さぞや高尚な訳があるのでしょうけど」
「……そんなんじゃないわ。ただちょっと見覚えがあったから、本人かどうか確かめたかっただけで」
「本人だった?」
「それは、まだ分からないわ。ここいらの連中は、本当のことを言わない奴が多すぎるから」
「その言い草だと、私もその一行に含まれているみたいね」
「みたいじゃなくて事実その通りなのよ。傘といい仕草といい行動理念といい、何もかも胡散臭いったらありゃしない」
 幽香は、改めて自分の傘を観察する。
 純白の骨格と純真無垢な布皮。傘は太陽や神の力を象徴するという。神に会ったことはあるが、それに勝る力を秘めた自分は一体どういう存在なのか。上には上が居て、そのくせいくら上ったところで行き着く先は青天井。
 ……ああ、だから暇だと思ったのだ。
 上を見上げても切りがないから、仮初の太陽になって花を照らしてやろうと。
 真の太陽からすれば、こっちもひとつの白い花弁に見えるのだろうが、そんな中間管理職のような存在が居てもいい。
 あちらこちらを渡り歩く、奔放な花があってもいい。
「復讐、かしら」
「違うわ。意趣返しよ」
「どっちにしても、やるからには本気でね。じゃないと詰まらないし、まあ、本気だから禁書なんか持ち出しているんでしょうけど。にしても物騒ね」
 言った後で、アリスの表情が固まる。
 何か、触れてはいけない箇所を突いてしまったようだ。
「……半分あたりで、半分はずれ」
「半々だったら後半の台詞要らないと思うけど」
「うるさい黙れ」
 黙らされた。
 自嘲するアリスの顔は、こう言っては何だかとてもよく似合っている。
 いろいろと苦労が絶えないのだろう、とどごぞの巫女や魔法使いを顧みながらにして思う。
「八つ当たりは良くないわ。でも憂さなら晴らしてあげるわよ、一方的に」
「そうね。特に思い入れもないからね、あんたには」
「嘘」
 ぽつり、と一つの雫が傘を打つ。
 遠く、冷たい風が頬を撫ぜた。
 間もなく雨が通り過ぎるだろう。紫陽花は、雫に濡れてこそ美しく輝くものだけれど、どうせなら乾いた花弁が雨粒に打たれていく様相をも眺めてみたいものだ。
「兎にも角にも、全力でやるに越したことはないわ。閑静な道程を遮られた訳だから、私もそれなりのお礼をしなければならないし。この期に及んで本気出さないとか調子に乗ってると、ついうっかり殺しちゃうかも」
 せめて、可憐に笑ってみた。
 嘘偽りも打算もない微笑に、アリスの魂がどれだけ抜かれたのか。
 結局グリモワール・オブ・アリスが紐解かれることはなく、人形師は人形師のまま、最強を自負する妖怪の前に立ち塞がってみせた。
「へえ」
 どこか、感心したような言葉が口から零れた。
 多少、アリスという人材を侮っていたのかもしれない。
 アリスは、淡々と話し始める。自嘲も謙遜も邪心もなく、ただ目的を遂行する理論的な兵装と化したかのように。
「本当言うと、ここには私以外に強い奴なんて腐るほどいる。紅魔の魔女も、人間の魔法使いも、普通の巫女も、月の天才も。数え上げりゃ切りがないし、数えたところで次々増えるからいたちごっこもいいところよ」
「そう、肩身が狭いのね」
「同情してくれなくてもいいわ。私は、魔法使いであることを誇りに思っているから」
 構える。右に人形、左に魔導書。しかして左手は完全に塞がっている。
 万全と言うならば、せめて左手を解放するべきだ。
「ちっぽけな矜持だけどね。そんなものが、今の私にとって掛けがえのない――」
 左手を前に突き出す。
 呟かれたスペルは、魔導書を解放するものではなく――否、順序が逆なのだ。
 魔導書は只の増幅装置であって、真に効力を発揮するのは――。
「……人形!」
 傘によって生まれた死角から、一体の人形が刃を振るう。
 左側面から飛び込んで来る刃を、素手で受け止める。痛みはない、浅い鈍痛があるだけだ。
 人形の瞳は紅く輝き、無表情であるはずの存在が活き活きと蠢いているように思い。
「――掛けがえのない、存在意義なのよ」
 武装した四体の人形が、樹木の隙間から襲い掛かる。
 逡巡は、その実一瞬だった。
 右腕が振り翳した純白の傘に、次々と突き刺さる人形の剣、槍、斧、鋏。
 左の掌に収まったままの人形は、ちょうど左手から精製した弾丸で吹き飛ばしておいた。
 上空に留まっていた灰色の天井が、幽香の髪に無数の雫を落とす。
 今回は、彼女もまた何らかの故によって、身体を濡らす類に属してしまうらしい。
 まあ、それでもいいか。
 どうせ天井には届かないのだ、ならば地上で踊るとしよう。
 優美に舞い揺らぐ白い花弁は、さぞや美しく見えるだろうし――。


「幽華に咲かせ白染めの傘。
 ――『花鳥風月、嘯風弄月――』」


 幻想郷に花が咲く。
 枯れない花は種を残さず、災いのみを撒き散らす。
 ……ああ、それはなんて美しく、鬱陶しく、潔い存在なのだろう。
 華やかな傘を中心に巻き起こった弾丸が、人形を凶器とまとめて打っ飛ばす。
 一気に視界が開けると、相変わらず自信に満ち溢れた人形師の顔がある。
「良い顔してるじゃない」
「そいつはどうも」
「伊達に年齢重ねてないわね」
「あなたに言われたかないわ」
「……ふ」
 違いない。
 可笑しくて、幽香は掛け値なしの自嘲を浮かべる。
「じゃあ、次は私から」
「宣言するのも、なかなか潔いわね」
「そりゃあ、ね」


 最強だから。


 幻想郷の花が舞う。
 降り注がんとする雨を溶かすように、熱く、眩く、輝かしくも儚げに――。

 

 

−幕−
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『虚数限界』

 

 

 パイプオルガンの、荘厳な音色も幻想。
 見習いの神父が醸し出す、荘重な雰囲気も所詮は仮想。
 一人のサーヴァントは言った。『どうして』ではなく『どうやって』と。
 ならば、この箱庭を楽しまずしてどうする。
 響く演奏に熱は入らず、精神に皹が入る余地もない。
 長く長く伸びた空洞から、重々しくも儚い旋律が縦横無尽に迸る。
 可憐でも柔和でもない、神を重んじるだけの淡白な結界にあって、それでもこれを素晴らしいと称えられるのならば、永遠に続き得る四日間の庭園にあったとしても、大抵のことは笑い飛ばせるだろう。
 ――と。
 そんなことを、青い英霊は思う。
 長椅子の背もたれに寄り掛かり、大仰なだけのステンドグラスを仰ぐ。
 子守唄には程遠い賛歌でも、まどろみを得ることくらいは出来る。無神経なのか神経が図太いのか、当の本人にも判断が付かないが、積極的に意味を求める必要もない。
 何にせよ、人を眠りに誘えるだけでそれは神秘足り得るのだ。
「――珍しいわね、ここに来るなんて」
 耳鳴りが続いていたから、まだ演奏が続いていると思っていた。
 その思い込みも、いつの間にか自身を見下ろしている神父見習いのせいで、呆気なく霧散した。
「私のことが嫌いなのではなかったの」
「……うーん、とな」
 果たして、どう答えるのが最善だろうか。
 女との付き合い方はこなれているが、扱い方はさして手馴れていない。
 わざと面倒臭そうな顔をして、ぼろい椅子をぎしぎし軋ませる。彼女――カレンの眉間にかすかな皺が寄ったところで、ランサーは適当に答えた。
「嫌いじゃねえよ。ただちょっと使い方に文句があるだけだ」
「それは心外ね。使われてこそのサーヴァントでしょう」
「そりゃあ、全くもってその通りだけどよ」
 どう言ったらいいものか、首の後ろを乱暴に掻き毟る。
 オルガンの姿はとうになく、教会はほぼ完全な静寂に包まれていた。
 港なら、静かであってもウミネコの鳴き声や波打つ音、魚が跳ねて竿を引き上げる水飛沫――等々、無音とは掛け離れた空間である。生者の世界には、無音など有り得ない。胸に手を当てずとも、心臓の鼓動は耳朶の内側から響き渡る。呼吸気の擦れ合う音も、関節が軋む音も、全てこの世に生を受けていればこそだ。
 ならば。
 この不愉快な静寂は、この空間に生者が存在していないことを意味するのか。
 仮に意味するのなら、青い英霊は、敬虔なる信者は、一体どんな存在なのだろう。
「何か、可笑しいですか」
 にやついてしまった顔を見て、カレンが訝しげに問い掛ける。
 適度に火照った顔の表面を撫で付けて、ランサーは飄々と語り始める。
「ま、細かいことはいいじゃねえか。アンタを守るんなら、別に俺の身体をどう使おうが――まあ問題ない訳でもねえけど、基本的には命令に従うさ」
「当たり前のことね。言うまでもない」
 この神父見習い、血も涙もないように見えて実は博愛主義者である。
 だからこそ、その性格は相当に歪んでいる。
 慈悲深いようで、残酷。
 愛することと虐めることが同義であると、半ば本気で信じているような娘だ。
 本気で付き合うと、かなり痛い目を見るだろうとランサーの直感が告げていた。
 だから、彼には珍しく口説くのも控えた。
「ただ、な」
「はい」
「身体が鈍ってしょうがねえ、とか思ってよ。まあ釣りだの水泳だの徒競走だのは日常茶飯事だが」
 後ろに垂らした青い髪を、肩の上に乗せる。
 見下ろされているという立場も、気には食わないが、慣れてはいる。
「それなら――」
「断る」
「あら、残念」
 肩を竦めるカレンが本気だったかどうかなど、ランサーには知る由もない。
 身を売ることに対する貞操観念は、神話時代を生き抜いて来たランサーと比較しても然程大きな差異はない。ただ単に、ランサーはこういうタイプが苦手なのだった。というか張り合いが無くて困る。よほど女に困っているのならまだしも、興味本位でカレンを抱くのは毒手に捕まるのと同等のリスクを負うものだと考えている。実際、その認識は正しいだろう。
 カソックに身を包んでいれば敬虔な空気くらいは醸し出せようが、彼女の底から這い出てくる悪意のような好意は、決して布皮一枚で覆い隠せる類の瘴気ではない。カレンも態々それを隠蔽しないものだから、羊の皮を被った悪魔、という表現が非常に的確なのである。
 だが、人間の社会に紛れるのなら、中身が悪魔でも外見が羊である限り問題はない。
 カレンも、それがよく分かっている。
 ランサーは背もたれに寄り掛かり、後頭部を長椅子の縁に落ち着ける。カレンも、何を思ってかランサーの視線と交わるように、長椅子の後ろに立って彼の瞳を覗き込む。
 へ、とランサーは失笑せざるを得なかった。
 カレンもついでに笑ったが、それが嘲笑以外の何ものでもないことは、二人ともよく分かっていた。
「似てんなあ」
 ぼそりと、本音を漏らす。
「心外ですね」
 それもきっと、彼女にとっての真実だろう。
 誰が誰に似ているのかは、当事者よりも傍観者の方が的確に判断出来る。ランサーは、しばらくこれをネタにしてカレンを虐めようと考えていた。必要以上に突っつくのは好ましくないし、そもそも過度に接触したくない人物ではあるが――、まあ、それでもだ。
 何にせよ、弄り甲斐のある人間には違いあるまい。
 それ相応のリスクが伴うにしても、それがまた面白いのだと笑えるのだから。


「面白いよな、アンタ」
「前から思ってたんですが、犬にはそれなりの調教が必要ですよね」


 ――まあ、楽しくはなるのだろう。

 

 

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『ism』

 

 

 サラシがきつい。
 また、大きくなってしまったらしい。
「……はー」
 鏡を覗き込む。己がまだ矮躯であることは自覚しているが、極めて標準的な体型であるとも自負している。ならば、年が経つにつれて熟成する身体に溜息を吐く道理もない。が、それはそれだ。成長が単純に歓喜と繋がるのであれば、上背が高い女性、肩幅が広い女性、安産型に収まった女性は誰もがみな万歳三唱して然るべきだろうが、現実は常に過酷である。否、苛烈だからこそ人生だ。真実は決して生温くなどない、氷点直下絶対零度の衝撃をもって人々の精神を打ち砕く。ああ怖い、饅頭は怖くないけど寒いのは嫌い。
 閑話休題。
 曝け出した自身の身体は、一年前と比べて相応に膨らんで来たように思う。鎖骨から胸部、肋骨を滑り臍の窪みを越えて、ついには局部に達するまでほぼ水平に維持されていたはずのフラットラインも、今となっては第一関門に難攻不落の砦――と言うほどでもない小山を迎えるまでに成長してしまった。恐るべし第二次性徴。
 膨らんだ乳房に掌をさらし、呆と磨き抜かれた鏡を見ている。訪れた曙の火に障子は紅く染まり、鏡の中にも束の間に茫洋とした朝焼けが舞い降りる。その間隙を縫うように、少女から女に変わりつつある霊夢の裸身が君臨していた。
 女には少し足りない。けれど、事を為すには十分過ぎるほど足りている。
「……はぁ」
 やはり、溜息は出た。
 襦袢一枚、前紐を解いて胸だけを晒している自分がどこか滑稽に映る。娼婦じゃあるまいし、まあでも巫女にはそういう役割もあったみたいだけど、と自身を慰める思考に耽る。まさか、処女である自分がそういう役割を演じることなどないと思うのだが、適度に、女として扇情的な肉体になってしまった自身を顧みれば、単純に、好ましくないという理由だけでそれを却下するのは愚策なのではないか、とも思う。
 例えば、必要に駆られたとして。
 博麗霊夢は、そういう儀式に身を投じるのか、などと。
「……っ――」
 下らないことを考えていると、触り過ぎたせいか胸が痛くなった。成長期にはよくあることよ、と紅魔館のメイドがしたり顔で言っていたような気がする。何の慰めにもならなかったが、この非常に女性的な痛みを感じていたという共通項だけで、ほんの少しだけ、無意味な同朋意識が芽生えたりもする。
 もう一度、床に落ちたサラシを巻き直す。今度は、もっときつくしなければ。特に胸が強調されて困る服装でもないのだが、なにぶん隙間が多い衣装であるため、サラシを付けないイコール露出狂の証明になってしまい、引いては売春巫女の誕生にもなりかねない。ああ嫌だ、饅頭は好きだけど饅頭っぽい胸は嫌だ。
 ぎゅ、と音がするまで引っ張る。腹の底から、変な息が漏れた。もしこのペースで胸が大きくなったら、来年はサラシではなく衣装の方を変えねばなるまい。少し残念だが、露出狂呼ばわりされるよりは数億倍はマシというものだ。誰しも、清純に生きたいものである。結果としてそれが果たせなかったにせよ、そう成りたいと思った心は清純なのである。
 最後に、はぁ、と溜息とも疲労とも付かない吐息が漏れた。
 鏡の中では、白いサラシで胸を隠した、妖艶な巫女が膝を付いている。前に垂らした長い黒髪が、サラシと臍の上を泳いでいる。指先は、何故か唇に触れていた。
 その姿が、やけに蠱惑的だなあと思ってしまった。
 その日は何故か、世界が無駄に大きく見えた。

 

 

−幕−
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『brassiere』

 

 

 彼女は、出会い頭に言った。
「ぶらじゃー置いてません?」
 嫌がらせか、と霖之助は思った。
 これは魔理沙がしたり顔で言っていたところのセクハラに値するかもしれない、と覚悟しておいて、霖之助は悪意のない客を観察する。
 鮮烈な赤髪、時代がかった和服、低く逞しい声色から察するに、豪胆な気質なのだろう。  それなりに丁寧な言葉遣い、片手に収まった銭の束等々から推測する限り、店主と顧客という関係性も理解している。そこまではいい。
 ただ。
「置いてないっすか。ぶらじゃー」
 嫌がらせなのか、と霖之助は思う。
 その前に、何故うちの店を頼るのか。
「いえ、ね。だって紅魔んとこのメイドが、此処になら売ってるんじゃあないかって言うもんでして」
 悪びれる様子もなく、彼女はそう言ってのける。
 世にも素晴らしい誤解であるが、霖之助は女性の下着に相当するものを仕入れも売出しもしていない。そう彼女を説得する。が。
「そんなこと言って、どっかに隠し持ってるんじゃないんですか? ぶらじゃー」
 嫌がらせだ、と霖之助は確信する。
 そも、どうして彼女は件の下着を欲しがっているのか、と訊くのは酷く無粋な気がしたが、散々恥ずかしい思いをさせられたのだから、霖之助にはこれを訊く権利がある。
 渋々――というより、霖之助が覚えたような羞恥心は全く感じさせず、
「いやあ、仕方がないんすよ。手持ちのサラシじゃあ如何ともしがたいくらいになっちまいまして。あ、どこのことかは聞かないでくださいよ? これでも一応、女としての慎みはあるつもりなんで」
 屈託なく、からからと笑い飛ばす。
 冗談じゃない。嗜みとやらを重んじる人間が、おいそれと女性用下着の名称を口にするはずがないではないか。
「うーん……。そうは言っても、現物を見たことないから実感がないんですよ。まさか、メイドに見せてもらう訳にはいかんでしょう」
 困った素振りを見せる彼女に、女同士なのだから気にする必要もないのではないかと尋ねる。  すると彼女は張りのある胸の前で腕を組み、体格に相応しい低音で唸り始める。霖之助への説明をまとめるのに、酷く苦心しているようだ。
「例えば、旦那が男の方にそういうことをする、てのを想像してみれば」
 霖之助は、想像するまでもなく首肯した。
 彼女も、満足げに頷いた。問題はその解決の糸口さえ見えていないのだが。
 誰が何と言おうと、この難題は自分じゃどうしても解決出来そうにないのだから仕方がない、と霖之助は素直に告げた。
「いや、だってサラシがきついんですよー」
 知りません。
 と、霖之助は言った。
 きついんだろうな、と思ったことは胸の中に秘めておく。
 とりあえず、そのメイドさんにこっそり見せてもらえばいいんじゃないかと適当な打開策を提示する。
「でも、あんまり好意的じゃないんですよねえ。理由は分かりませんが」
 霖之助にも詳しいことはよく分からなかったが、恐らく思春期的な意味合いだろうと強引に納得する。正直、その辺の深い話には首を突っ込みたくないというのが嘘偽りのない本音だった。
「どうしても駄目っすか」
 駄目も何も、そんなものは始めから存在しないと口を酸っぱくして言っていた。
「あー、あれだ。実は旦那が愛用してるとか」
 成る程、と手を叩かれても非常に困る。
 それでいて、彼女には何の悪意もないのだから対処にてこずる。
 断固として違います、と至極丁寧に釈明した。彼女も、霖之助の鬼気迫る表情に理解を示してくれただろう。霖之助はそう信じている。信じたい。
「……ないんでしたら、仕方ありませんねえ。現物だけでも見たかったんですけど、今後のために。……あ、じゃあ他に誰がブラジャー付けてそうなひと知りませんか?」
 知りません。
 と、霖之助は繰り返した。
 確かに、付けていそうな人物に心当たりはあるが、それを言ってしまったら自分が培ってきたイメージが水泡に帰してしまうこと請け合いだ。迂闊なことを口にしてはいけない。それが、信用を維持するための秘訣である。
「分かりました。面倒をお掛けしてどうもすみません、しかしこっちも物入りなもんで」  申し訳なさそうに会釈し、彼女は慌しく店から退出しようとする。
 そうして玄関の扉に手を掛けたとき、唐突に彼女は振り返った。
 どうしました、と訊くだけ訊いてみる。
「あの、もしブラジャーが手に入ったときはですね」
 はあ、と生返事を返す。
 彼女は、悪びれる様子もなく自身の胸元を指差して。


「使い古しのサラシ、買い取ってくれます?」


 お断りします。
 店主として、霖之助は言った。

 

 

−幕−
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2005年10〜11月 藤村流継承者