ぎゃーてーさん

 

 

 

 犬走椛は現在の職務をそれなりに誇らしく思ってはいるが、それとは別に暇を持て余す職場であると感じてもいる。哨戒天狗という、侵入者がいなければ待ちぼうけを食らうだけの仕事であるから、如何に気を緩めずに時間を潰すかが重要になる。無論、侵入者を詰問し、誘導するか撃退するかの境目を見極める判断力、交渉能力、戦闘力も試されるのだが、椛が突破されたからといって大きな問題になるような脆弱な組織でもない。彼女はあくまでも哨戒天狗、自分では解決できない事態に遭遇した場合、すぐさま上司に報告するのが本来の役割なのである。
 妖怪の山、という名の通り、人間がやって来ることは滅多にない。妖精は頻繁に現れる。幽霊はどこにでもいる。故に退屈である。戦う相手もろくに見付けられない。将棋の相手なら、首を巡らせばいくつか見繕うことはできるけれど。
「終了」
「ぎょっ」
 今日も白狼の銀が唸る。
 盤面から弾かれた王将は漆塗りの枡に消えて、しかし恐れを知らぬ河童はなおも不敵に笑う。摘まんだ悪狼をこれ見よがしに振りかざして、よくわからないポーズを取って格好付ける。いつものことだ。
「ふ、ふふ……だが、しかし! ここに太子がある限り、河城にとりは死なん! 何度でも蘇るさー!」
「いいから早く指しなって」
「いい気になっていられるのも今のうち……だぁっ!」
「はい、太子も終了」
「ぎゃあぁぁっ!」
 にとり、撃沈。
 討ち取られた勢いのまま後ろに倒れこみ、加減を間違えて後頭部を打ちつけ、うーうー呻きながらごろごろと転げ回る。悪乗りしすぎるとろくなことにならない好例である。悪狼のくだりも含め。
「……ったく。しばらくそこで寝てなさい」
「うぅぅ……う、椛、どっか行くの?」
「侵入者。ていうほど、害のある生き物にも見えないけどね。警告がてら、ちょっと行ってくるわ」
「ふうん。おつかれさまだねぇ」
 友人は他人事のように呟く。倒れたまま昼寝に移行しようとする彼女にそっと嘆息し、椛は小さく手を振った。
「じゃ、またね」
「あーい」
 呑気な台詞を背中に受けて、椛は地面を蹴る。日は傾き、雲の影もなく、身体を動かせば汗ばむほどの陽気であった。桜は散り、葉の色も濃い。河童のように何の憂いもなく寝転がれたら、と思う気持ちもあるが、それはそれ、今は職務を全うすることのみを考えよう。
 身を切る風も、木枯らしの冷たさには遠く及ばない。春一番を越えた今となれば、温もりを孕んだ風はむしろ心地よくさえ感じられる。
 一度、上空に昇って侵入者の正確な位置を把握する。将棋の最中、視界の端に移りこんできた何者かの存在を、椛はずっと意識し続けていた。勝負を中断してまで現地に赴くべきか悩んだものの、見るからに害のなさそうな外見であったから、椛は将棋の決着を優先させた。これで、侵入者がいつぞやの人間たちよりも性質の悪い存在であったならば、椛のクビも危ういというものだが。
 千里を見通す目を持つ者にしては、人を見る目がないのだな、と自嘲して。
「――よし」
 目標を補足。
 空中で静止し、風を浴びながら浅く呼吸を一回。まぶたを閉じ、束の間に開眼する。瞑想の時間はそれほど必要ない。要は、意識を切り替えられれば十分なのだ。
 椛は、陽気に歩く人影を注視し、空を翔ける。わずかでも不穏な素振りを見せれば、即座に抜刀できる姿勢を保って。
 距離が近付くにつれて、さっきまで聞こえなかった侵入者の呟きが聞き取れるようになってくる。何やら楽しげに口ずさんでいる様子は見て取れたが、その内容までは解らなかった。
 もっとも。
「ぶーせつまーかーはんにゃーはーらーみーたーしんぎょー」
 内容は解っても、意味は解らないままであった。表情から察するに、呪いの類でないと信じたいところだが。
 差は一気に詰まっていき、旋風が木々をざわめかせる。同時に侵入者の足を止め、無言の警告を与える。ゆっくりと地面に降り、土の感触を確かめるように踏み締める。
「ぎゃ……てー」
 相手は突然現れた天狗に目を見開かせ、舞い上がりかけたスカートを押さえながら、どんぐり眼を更に丸くして犬のような耳をピンと立てている。
「わ……」
 純粋に、驚きしか表れていない声だった。
 既に歩みを止めている者に
「止まれ」というのも変な話であるから、椛は威嚇から始めることにした。
「――ここから先は、天狗の縄張りになる。それでも進むというのなら、身の証を立ててからにして頂きたい」
 刃を構えずとも、警告は十分に与えられていると判断した。身を竦めて縮こまっている、というほどではないにしろ、椛の存在を意識していることは窺い知れた。
 胸の前で手を組んで、ひとつ唾を飲みこんでから、少女はおずおずと言う。
「こ……こんにちはー」
 挨拶である。
 椛の言葉が理解できなかったわけではあるまいに、退くよりも大切なことがあると言わんばかりに、少女は先程よりも柔和な笑みを浮かべた。
 その笑顔を裏切るのも何か悪い気がして、椛は仕方なく少女の挨拶に応える。
「……こんにちは」
「こんにちはー!」
「いやもうそれはいいから」
 調子が狂う。椛が挨拶を返した途端、少女の目は爛々と輝き始めた。心なしか、鼻息も荒い。
 対処に困る。
「あ、そういえば、名前言うの忘れてました! わたし、幽谷響子っていいます!」
「あ、うん、そう。私は犬走椛。天狗、ね。見ればわかると思うけど」
「かっこいい!」
 緑の髪をした少女――響子の耳が、凄い勢いでぴこぴこ動いている。どこにそんな興奮する要素があったのか不明だが、犬のような耳をしているから、同じイヌ科の匂いを嗅ぎ取って仲間意識が芽生えたのかもしれない。響子が犬に類する妖怪なのか否か、椛には判断が付かないのだけど。
 いずれにせよ、肩透かしもいいところであるし、ふたりの温度差も甚だしい。響子のテンションに合わせると椛の気力が持たないので、とりあえず響子を落ち着かせる方向で話を進めることにする。
「えーと」
「えーとー」
「あのね」
「あのねー」
 オウム返しである。
 一瞬、椛は柄元に手を伸ばしかけたが、流石に大人げないと思い自重する。
「……大天狗直属哨戒担当白狼天狗第一部隊隊長犬走椛の趣味は竹垣に盾立て掛けること」
「だいてんぐちょくぞくしょうかいたんとうはくろうてんぐだいいちぶたいたいちょういぬばしりもみじのしゅみはー、たけがきにたてたてかけること!」
「ではない」
「ではなーい!」
 むちゃくちゃ元気だった。
 しかもかなりの大声なので、そこいらの妖精が何事かと集まってくる始末。害がないわりに、周囲に及ぼす影響は尋常ではない。両手を上げて喜ぶ響子の姿を見、まだまだ自分の見てきた世界は狭かったのだなあと椛は思うのだった。
 まあ、それはそれとして。
「響子」
「はひっ」
 興奮しすぎて呂律が回らなくなったらしい。良い機会なので、邪魔されないうちに言うべきことは言っておく。
「幽谷響……そうか、やまびこ妖怪か。なるほどね」
「特技はオウム返しです!」
「それはわかったから」
「えと、あとは般若心経の暗唱とか」
「それは……また」
 感想に困る。
 思い返せば、椛が初めに聞いたのも般若心経の一節だったか。何故響子が般若心経を覚えるに至ったのか、興味深いのも確かだけれど、深く突っこんでいいものかどうか悩みどころである。
 そんな表情が顔に出ていたらしく、響子はおずおずと話し始める。
「最近、みんながやまびこなんて音の反響に過ぎないんだよとか言うようになって……やっほーって言われることもなくなって、ちょっと元気なくしてたの。私にとっては、存在を否定されたようなものだし。だから、やさぐれてたってわけじゃないんだけど、ちょっとお寺のお世話になったりして」
 ふと、椛の脳裏にある単語がよぎる。――命蓮寺。
「もしかして、例の妖怪寺のこと?」
「はいー。おかげで全部覚えちゃいました。しきそくぜーくーくーそくぜーしき」
 随分と陽気な般若心経である。
「じゃ、妖怪の山に踏み入りそうになったのは」
「えー、と、それは、なんとなく……般若心経唱えてたら、夢中になって、つい」
 少し恥ずかしそうに頬を染めて、響子は耳を垂らして俯いていた。
 見え辛くなった顔を覗きこもうとすると、椛の顔色を窺うように上目遣いに見返してくる。響子が小柄であり、椛が一本下駄を履いているせいもあるけれど、ふたりの身長差はかなり大きい。背筋を伸ばした椛と小さく縮こまった響子と、ゆうに頭ひとつ分の違いはある。
 犬に近い耳をしていることもあり、妹のような後輩のような、可愛らしさを感じるのも事実。だが、それはそれとして、叱る必要はある。
「まぁ、悪気がないのはわかったけど、あんまり奥に入ると危ないわよ。必ずしも、私みたいに寸止めしてくれるとは限らないし」
 抜くに至らなかった太刀の柄に触れ、椛はやや厳しい口調で告げる。響子は素直にこくこくと頷く。こうも物分かりがいいと、かえって裏があるのではないかと訝ってしまうのは、天狗の自分が捻くれているせいなのだろうか。決して、天狗や河童が捻くれた性格をしていると言いたいわけではないのだけど。
 いや本当に。
「まぁ、鴉天狗はそう言われてもね……」
「鴉天狗はそう言われてもねー」
 また復唱されたくないところを選んだものだ。別段、鴉天狗の耳に入ったところで痛くも痒くもないが。喧嘩を売られたら受けて立つまでの話だ。
「さて……と。あなたの処遇だけど」
 ぴくん、と響子の耳が小さく跳ねる。
「い、いじめないでね……?」
「いじめないわよ、十分反省してるみたいだし。もう帰っていいわよ」
「えっ」
 いじめられると思っていたのだろうか。拍子抜けしたように、急速に血色が良くなってくる。
「別に、このあたりなら念仏唱えてても問題ないとは思うんだけど。あんまり長居すると、他の哨戒天狗が来るかもしれないから。一応ね」
 これ以上、畏怖を与えても意味はない。優しいお姉さんを演ずるつもりはないが、無駄に高圧的に振る舞う理由もない。それでも、天狗であることを明かして格好良いと言われたことや、挨拶を返しただけで純粋に喜ばれたことが、小さなやまびこを邪険にできない要因になっているのは確かだった。
 そしてまた、響子は瞳を爛々と輝かせる。尻尾があれば、ぶんぶんと振り乱していたことだろう。
「あ、あの!」
「ん、どうしたの」
 いやに熱心な声であったから、つい椛も目を向けてしまった。そろそろ戻らねばと思っていたところなのだが。
「さっきの、嬉しかったです! ちゃんと挨拶を返してくれて、ちゃんと、私をやまびこ扱いしてくれて。とっても嬉しかった」
「……いや、竹垣に盾立て掛けた件は、軽はずみな挑戦というか、面白半分というか」
 まさか、これほど感謝されるとは思ってもみなかった。
 それ以前に、自分が早口言葉を言えなかったらどうしようかと。噛んだ瞬間をつぶさに復唱されでもしたら、羞恥に顔を歪めていたに違いない。
「いえ、全然そんなことないです! もっとやってください!」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
 これはやばい。詰む。
「……頼むから、今はちょっと黙って」
「たけがきにたてたてかけたのは、もみじではない!」
 まずい話が通じなくなってきた。
 こうなったら、もう一度早口言葉を呟かなければ事態は収拾しないのだろうか。しかしこの流れ、確実に滑る。椛にはその確信があった。物事にはフラグというものが存在する。河童が言う
「大丈夫だよ」、天狗が言う
「特ダネを掴みましたよ」、それがあのざまである。巻き添えを食う椛にとっては、笑いの種にもなりゃしない。
 噛むまいとして簡単な早口言葉を諳んじれば、響子の勢いは止められない。かといって、難易度の高い早口言葉を選んだが最後、爆死の未来が待っている。
 万事休す。
「……たけやぶやけた」
「たけやぶやけたー」
「わたしまけましたわ」
「わたしまけましたわーって、これ回文だー!」
 ばれた。
 ええいこうなったら全力で誤魔化しながら逃げるしかない。伊達に哨戒業務に携わっているわけではないのだ、大声ならば自信がある。
 そうと決めたら一直線、響子に背を向けて森を翔ける。遊びの一種と解釈したのか、響子も負けじと椛の後を付いてくる。
「やっほー!」
「やっほー!」
「わおーん!」
「わおーん!」
「にゃーん!」
「にゃーん!」
「もー!」
「もー!」
 牛の鳴き声っすか! と追随する声に、もうやだって意味だよ! と叫び返せるだけの余裕はなく、椛は泣きそうになりながら妖怪の山を駆け抜けるしかなかったのであった。
 かくして、山に少女たちの叫び声がこだまする。

 

 一方、河城にとりの制作意欲は留まるところを知らず、ついには将棋盤の上に駒の城を作り上げた。
「駒城にとり……」
 得意げである。
「何が駒城にとりよ……」
「んぉ、椛だ。おかえりー」
「おかえりー」
 にとりは、謎の声に一瞬首を傾げた。
「ただいま……」
「ただいまー」
 憔悴し切った椛の声に、やたら元気な復唱が重なる。椛の後ろからひょっこり姿を現した小さな影に、にとりはやや目を丸くした。
「はじめまして!」
「おぉ、はじめまして。……え、誰?」
「かそだにきょーこです!」
「おー、そうかそうか。……で、何?」
「やまびこです!」
「へー」
 にとりは、響子と対照的に力なく肩を落としている椛を見やる。その好奇心たっぷりの視線に気付き、椛は反復されない程度の小声でぽつりと呟く。
「懐かれた……」
 その一言に、椛の立たされた状況と、隠し切れない悲哀が滲み出ていた。
 当の響子は、駒城にとりの圧倒的な存在感に声を失っている。にとりはにやにやと笑っている。腹立つ。
「いいじゃん。面倒見いい方でしょ、椛」
「いや……若さに付いていけないっていうか……テンションが……」
「あー、うん。それはなんとなくわかる」
「頑張って振りほどこうと思ったんだけど……付いてきちゃうし……」
「まー、いいんじゃん? 可愛いし」
「可愛けりゃいいと思うなよ……」
「ぎゃーてーぎゃーてーはらぎゃーてー」
 なんか始まった。
 もう限界だと座りこんでしまった椛に代わって、にとりが響子の相手をする。ガマの穂を振りかざしているあたり、猫か何かと勘違いしているフシもあるが。
「ふははは! お楽しみのところ悪いが、そんなやまびこに河城にとり様からの挑戦状である!」
「うわ、生のエロ河童だ!」
「誰がエロ河童じゃ! あと生とか言うな、よりエロく感じる」
「なっぱ」
「略すな」
 なっぱー! と叫び始めて手に負えなくなった響子に対し、にとりはガマの穂を振るうも大した効果はなく、最終的には河童式ハイドロポンプ弐型(水鉄砲)が唸りを上げる結果となった。
 きゃーきゃーと無邪気に転げ回る妖怪たちを遠目に眺めて、椛は仰向けに寝転がった。にとりのように、後頭部を打ちつけるなどという失態は犯さなかったが、岩の凹凸が多少むずがゆい。
 生暖かい風に吹かれて、眠っても構わなかった。響子の世話はにとりに任せて、疲れを癒すために休息を取るのも自然な流れではあった。ただ、あまりに天気が良すぎること、はしゃぎ回る妖怪たちの喧騒がうるさいこと、その他諸々の雑念が椛の頭から離れずに留まっていて、とてもじゃないが素直に眠る気にはなれなかった。
「……羯諦羯諦、波羅羯諦、ね」
 諳んじるくらいなのだから意味は解っているのだろうが、響子の場合、口ずさむことそのものを楽しんでいるようにも見える。本人が満足しているのなら、それで構わないとも思う。
 だから椛は、自分自身が満足するために、例の妖怪寺に行きたいと考えていた。
 響子の躾をきちんとしてもらいたいと頼むため、般若心経の意味、やまびこの在り方など、気になることは全て解決しておきたいのだ。
 でなければ、気持ちよくなんて寝られやしない。
「河童の技術力は世界一ィー!」
「河童の技術力は世界いちぃーッ!」
 早くも、にとりは響子を手懐けたらしい。首を巡らせば、水鉄砲を打ち合っている彼女たちの和気藹藹とした姿が見える。ふと、にとりが椛の視線に気付き、こっちに来なよと言いたげに手招きしてくる。
 それを見て、椛は苦笑し、おもむろに身体を起こした。
 駒城にとりは相も変わらず、風にも負けず盤上に君臨し続けている。

 

 

 

 



SS
Index

初出:2011年5月8日  藤村流
東方project二次創作小説