Romigo
Web Cultures Commemorating
The 70Years Old
By Mr.Asaoka.


Please Click One of The Under24 Buttons For Member's Page.

AkiyamaAsaokaArakawaIchizakiMrs.InomataKawakamiMrs.kawakamiKawasakiShimaharaMrs.TakataniTakedaTabuchi

Tsubota Nakagawaji Mrs.Nakagawaji Naka Nakatsu Nishino Mrs.Habu Fuzii Mizuishi Miyashita Yoshizumi Yotsumoto

Back-to-Main End-Page







文字化けが起きて、判読不能の場合は、ここのSub-siteからどうぞ



2017年11月16日に浅岡眞盛 氏は永眠されました。心よりご冥福を申し上げ、生前のご様子の一端を、次に書き留めさせていただきます。


 





湖東町の交番で浅岡氏宅の場所を教えてもらって、2015年5月6日(水)11:00頃、眞盛君をお見舞いに訪問しました。実家は、付近の家並みの中でも、なかなかの旧家で門構えもしっかりして、立派なお屋敷でしたね。

前触れも無く、突然に私が訪問したので、彼と奥様をビックリさせてしまいましたが、彼は元気に歩いており、言葉もしっかりして、普段の彼そのものでしたよ。ただ、まだコルセットをはめたままなので、身をかがめざるを得ず、歩きにくそうなのが気の毒でした。

縁側に二人並んで座り日光を浴びながら、彼の話を聞きました。それによりますと、去年の9月に汁田に嵌った耕運機を引っ張り出そうとして、足を踏ん張り背を反らして、渾身の力を出した時に背骨を複雑骨折したんだそうです。

こんな骨折は見たことが無いと、医者も言う程の重症骨折で、その後、12月に8時間を掛けて、ボルトを20本強入れて背骨を固定するという大変な手術をして貰って、この3月に退院したばかりだそうです。

医者に言われて、骨を作る基になる、ビタミンDを自分の体で作る為にと、毎日長時間を掛けて日光浴をしているそうで、顔も手も海水浴をしたかのように、真っ黒に日焼けをしていましたね。

夜寝ている時に、時々まだ痛みが出るので痛み止めの薬は服用しているようです。現在は、腹を決めて湖東町に根を下ろして居座り、ゆったりとした気持ちで、奥様が友人に出す絵手紙のハガキ絵を200枚強も毎日描いて、時間を楽しんでいるとのことでした。

浅岡氏から、その絵手紙の葉書が届きましたので、アップロードします。



「お宅探しのエピソード」

湖東町・小田刈の交番で聞いたからといって、そう簡単に事が運んだ訳ではありません。

「住所とか、せめて字名(あざな)の名前でもあれば、探せるのだが、氏名だけでは無理だね」と、二人の警官は迷惑そうに言って、私を追い払おうとする様子。

彼に渡そうと、丁度ロミーゴの最新住所録を持ってきていたので、中川路氏なら知っているだろうからと氏に電話を入れようと考えた。

しかし、僕は携帯電話を持たない派ないので、警察の電話を借りようとしたら、強い口調で「それはダメだ」と断られる。

そこで、「公衆電話がどこか、この近くにないですか」と聞くと、「この前の道を右にずーっと入ったところに確かファミマがあったから、そこで聞いたらどうかね」と高圧的な返事。

交番を出て、言われた道を車で走ること20分程、ようやくにして店を発見。

店長に、「公衆電話はありますか」と言うと、「置いてない」とまたもや、つれない返事で万事窮す。

それなら、『八日市迄戻って、近江鉄道の八日市駅ならあるだろう』と考え、元来た道を引き返し始めた。

途中で、東近江市湖東支所の看板が見えたので 『役場なら知っているだろうし、電話もあるだろう』と、

急遽方針変更して、今度は支所を目指して車を走らせるも、それらしき建物は全く見つからない。

しかも今日は祝祭日なので役場は閉まっている。

だから元々行く意味が無かったのだ。かなり、混乱している。 悪いことに、知らない土地なので、とうとう道に迷ってしまた。 やっぱり八日市駅だなと、Uターンしてそろりそろりと元来た道を引き返している時に、

『そうや、7~8年前に一度探しに来たことがあったなあー。もしかして、地図帳に住所が書いてあるかもしれんぞ』

と急に、このことを思い出し、車を止め、いつも車に積んでいる当県の道路地図帳を調べる。 何んと、湖東町の地図部分の欄外には、確かに住所のメモが書いてあるではないか。

大喜びで、再度交番に入り、

「ファミマには電話はなかったですわ、そのかわり地図帳に書いてたのを思い出しましたわ」

と、そのメモの字名を伝える。

また来たのかよー、と眉間に皺を寄せ、二人は迷惑そうに交番に備え付けの地図帳を調べはじめる。

「あったあった、二軒あったわ爺さん。略図を書いてやるから、メモ用紙はないのかね」とあくまでも高飛車。

胸ポケットに挿していた、ロミーゴの住所録の裏の白紙を渡す。

そして、警官の書いた略図どおりに車を進めるも、地図にない細い枝道があり、略図どおりではない。

多分ここだろうと、見当をつけた左側の枝道に入る。かなり曲がりくねっており、道が細い。 それらしき家は無い。丁度、畑に老婆がいたのを見つけたので、車を降りて声を掛けるも、耳が遠くて、返事も無い。

暫く進むと、今度は田植えの苗の準備をしている青年を見つけたので、苗字を言って聞いてみる。

すると「この辺りには、そんな苗字の人はいないねえ」との返事。

仕方が無いので、もう一度最初から始めようと、信号のある大通りまで引き返して、Uターンする。

『車が出た、さっきより広い枝道がそうかも知れんぞ』と、先ほど入った道よりかなり手前の枝道を左折する。

地図どおりに進むとT字路突き当たる。しかし、略図ではT字路の左側が目的の家なのに、左側には家が無く、右側に家がある。

その家の人が、農機に肥料詰めの準備をしていたので、車を止めて外に出て聞く。

すると「一寸待ってな」と肥料詰めを続けている。

仕事を終ると、突然にバックして歩き出し、家と家の隙間から見える家を指差して、

「ここから、見えているそれと、あれが多分そうや。その苗字の家はその二軒しかないよ。さっきのT字路を少し進むと、Y字路になるからそれを右側に入るとあの家に出る」

と親切に教えてくださる。

左側に竹薮があり、右側には大きな旧家がある。

多分これだろうと、見当をつけ、竹薮の前で車を降り、家の門まで進む。

表札を見ると、5、6人の名前が書いてあり、その最後に二人の名前が小さく書いてあった。 その門からは、出入りが出来なくて、その左手に庭からの出入り口が開いている。 呼び鈴のベルのスイッチが玄関にあったから押すと、眞盛君が出てこられた。

と、こういう込み入ったプロセスで、やっとこさ、辿り着けたという訳です。

2010年12月 romigo会での浅岡氏


(romigo world に掲載されていたものを転載いたしました。
以上 2017年12月9日 編集人  記載)






秋山氏からの関連メール

ロミーゴの皆様

中川路さんからのメールで浅岡さんの訃報に皆様も驚かれたものと思います。私も奥様からの喪中の葉書で知ったところで無念な思いで一杯です。

そこでお悔やみの電話を早速入れまして事情をお聞きしましたのでご連絡します。

亡くなられたのは、先月11月16日でロミーゴ会の前日でした。死因は、「脊髄損傷」の後遺症と「多臓器不全」いうことでこの一年は自宅療養ながら起き上がれない状態だったそうです。

しかし意識は最後までしっかりしておられ「エンディング・ノート」も彼らしく完璧な形で残し、家族葬でとりおこなうことなどもその中できちんと指示していたそうです。

そこで改めてロミーゴ会からお香典などを送るより静かに皆様各人でご冥福をお祈りしたいと思います。

以上、差し出がましいふるまいかも知れませんが本年度のロミーゴ会の幹事としてご連絡をさせていただいた次第です。

浅岡 眞盛 様にこころより哀悼の誠を捧げます。

合掌

秋山 建人 拝




UP



BackNext





ゲストブック



-2-





<!-- text below generated by geocities.jp --></object></layer></div></span></style></noscript></table></script></applet><script language="javascript" src="//bc-geocities.yahoo.co.jp/js/geov2.js"></script><script language="javascript">geovisit();</script>