緑の風に吹かれて オーストリアの旅

第1章 ゼメリング 

(6月21日〜22日) 

 ゼメリングの朝は、たとえようもない爽やかさから始まった。目覚たばかりの耳に、小鳥の鳴き交わす声が飛び込んでくる。寝不足などは、どこへ吹き飛んでしまったのだろう。4階の窓のカーテンを開いてみると、一面にミルク色の霧が流れている。甲高い声で歌う小鳥の囀りは、濃い霧のあちこちから響いてくるが、真っ白な舞台ばかりで、景色の登場者は見えない。 

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朝霧の晴れてきたゼメリングのたたずまい

 昨日は、朝6時に成田のホテルの一室で目覚めてからというもの、パリ経由でウイーンのシュヴェッヒャート国際空港に着いたのが、もう深夜近い午後10時20分。(そこで仲間の一人のトランクが行方不明になる騒ぎがあって)専用バスでウイーンから“90キロメートルのゼメリングに到着したのが、午前1時過ぎ。ホテルの部屋の割当を待ち、ポーターがトランクを運び込んでくれ、トランクを開いて明日からの旅に備え、入浴を済ませると、もう、丑三つ時の午前2時を回っていた。

 添乗員の岩本さん(がっしりした体格の、背の高い女性)が、

「皆さん、長旅で疲れていらっしゃると思いますので、明朝はゆっくりお休みください。モーニング・コールもありません。朝食は10時までに各自でおすませ下さい。午前中はフリータイムにしますので。・・・・」

と言ってくれたのだが、旅に出るとどうしても早々と目覚めてしまうのだ。

 しかし、小鳥の声で起こされたせいか、通算25時間も眠らずに旅してきたにしては、寝不足の筈なのに、いやにすっきりとした目覚めだった。身支度を整えて、もう一度、窓の外を眺めてみると、景色のすべてを白いヴェールで覆いかくしていた霧が流れ、少しづつ薄れ、薄い影の遠くの針葉樹の群れ、濃い姿で立ち尽くす近くの木立、その間に点在するシャレー風の建物、近くの山々の稜線が、フェードインしてくる。 

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山々に囲まれた盆地のゼメリング

 8時すぎに朝食に指定されたレストランに行ってみると、バイキング・スタイルの食堂には、ほとんど人影もなく、添乗員の岩本さんも、ちょうど食べ終わったところで、席についていたのは、ツァー同行の仲間のうち二人だけ。その二人に聞いてみると、おおかたの人は既にヨーロッパ最初の探訪に出掛けてしまっていた。

 フレッシュ・ジュース、コーヒー、紅茶、ミルクに、各種チーズ、パンなどのほかに、ハム、ソーセージ、ホット・ミートもあるアメリカン・スタイルのメニューだった。 

 ここゼメリンクは、ウイーンから南に90キロ、ニーダーエステライヒ州とシュタイヤーマルク州の境にある山地の斜面にある古いリゾートである。海抜千キロメートルの峠の村で私たちが昨夜到着したホテル・パンハンスは、村から少し坂道を上がった海抜1296メートルのピンケンコーゲルという山の中腹に位置していた。緑の山林を背に建っている6階建の瀟洒に建物は、王侯の宮殿にも似て堂々としたもの。五階、六階と屋根はブルーで四階までは白い壁面。近代的な(安直なビルな)シティ・ホテルとは一味違った、簡素でいながら気品もあるユーゲント・シュティールという世紀末風の建物。周囲の景色にも良く溶け込んでいる。

玄関を入ったところのロビーにしても、決して広くはないが、インテリアすべてが落ちついた気品を感じさせるもので、大都会のホテルのように、表看板のロビーだけは、いたずらに広く豪華な反面、部屋はせせっこましい・・・といった、見かけ倒しのものとは正反対だと思った。

 19世紀半ばになって、ヨーロッパ各地に鉄道が盛んに敷設されるまで、ゼメリングはウイーンの上流社会に好まれた保養地として有名な所だった(そうな・・・)。ウイーンからはるばる馬車を連ねて、貴族たちや商人たちが避暑がてら盛んに遊びに来ていたところだという。

だが、ウイーンから各地に鉄道が開通すると、貴族たちはザルツカンマーグート?チロルなど、もっと遠くの素晴らしいリゾートに好んで出かけるようになり、いつしか、ここゼメリングは斜陽となり、寂れる一方になってしまったという。いまでも、この名門ホテル・パンハンスでさえ、なかなか客室が埋まらず、7割ほどの部屋は、貸別荘になっているとか。 

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ホテル・パンハンス

 朝食後、散歩に出かけた。ホテルを出て、右の方にだらだら坂を下って行くと、ゼメリングの村に出る。左の方は、ゆるやかな斜面を登って森に入る。たちこめていた霧はすっかり晴れ上がっていた。坂を村の方に降りかけたところで、振り返ってみると、昨夜と違って山の斜面の濃い緑に包まれたホテル・パンハンスの全景がくっきりと見えていた。ホテルと道の間も、道の下の斜面も手入れの行き届いた芝生で、グリーンに塗装された手すり、グリーンの街灯、赤く塗られた木製のベンチ・・・まるで公園の中のように美しく整備されている。

 村の中心らしいところまで下ると、木柵に囲まれた芝生の敷地に、プチ・ホテルやペンションらしい建物、カフェ・レストランが針葉樹の木々ヲ交えて点在し、いかにも山間のリゾートらしい風情。ZIMMER FREI(空室有り)と書かれた旗を翻している建物も見られた。日本で?は見かけたこともない、藤に似た黄色い房状の花をたくさん垂らした樹もあちこちに見られる。八角形の屋根付きの出窓が、切妻屋根から突き出している建物、真っ白い外壁のレストラン。散歩しているあいだも、ひっきりなしに小鳥が囀っていた。

 ゼメリングはあまり広くない盆地になっていて、周囲を低い山々が囲んでいた。(昨夜遅くゼメリングに入る前にも、峠道を一つ越えてきた。)北には、シュネーベルクという標高2075メートルの山や、ラックス(標高2009メートル)など、オーストリア・アルプスの末端の山々がある。列車でウイーンから来?た列車はこれらの山々のトンネルを抜けて、村の低いしころにある駅に着く。

 村の中心あたりから引き返し、今度は、ホテルの前を通り過ぎて、山手の方に歩いてみた。まもなく道は森の中に吸い込まれる。ホテルでもらった地図を見ると、この道は、ピンケンコーゲルの山腹を巡っているようだった。途中、山側の森の中に、小さな教会が見えたので、登ってみることにした。

 童謡の舞台にでもなりそうな、本当に可愛らしい「森の教会」だった。小径の突き当たりに、白壁の教会。ファサードは、破風のてっぺんに、東北地方の農家に見られる兜屋根のごく小さな上に、十字架を乗せた小さな塔がちょこんと乗っかっている。切妻の下に小さなゴシック風の2連窓、その下に建物の幅の5分の4ほどもある大きな尖頭アーチがあり、その中に、5つの細長い尖頭アーチの窓が、大きな尖頭アーチの作る曲線に従って高さをかえて並んでいる。その下は教会への入口の上に、尖った三角の小屋根があり、ナルテックスのようになっていた。近寄って良く見ると、大きなアーチの中にある小さな5つのアーチ窓には、真ん中の窓のところに十字架上のキリスト像、左右に二人のマリア像・・・いずれも彩色された木彫の像があった。 

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山の斜面、森の中にひっそりと立つ教会とファサード(

 中に入ってみた。木製の信徒席は、僅か30名ほども入れば一杯になってしまうほど。小さな教会なのに、つつましげな祭壇や、その両脇の聖壇の絵は、実に精緻で見事な物。窓には幾つものステンドグラス。冠を戴いたマリアや、教皇か大司祭がかぶるような帽子をつけた聖人らしい像が、単純・明快だが、素晴らしく写実的なデザインで描かれている。多分、時代的には、そう古いものではなかろうが、立派なものには間違いない。他にも、植物の葉を図案の中に入れた、装飾的なステンドグラスも有った。これも図像的には宗教的な意味があるのだろうが、私には、それを判断する知識を持ち合わせていない。フランス、イタリア、ドイツの旅で、いままでどれほど多くのカテドラル、ドーム、ドゥオーモを見てきたことだろう。それぞれに立派だったことには違いないが、他面、祭壇も説教壇も、洗礼盤も、天井の装飾も・・・みんな大きすぎて、帰って細部についての印象が希薄になる嫌いがあったことも事実。しかし、ゼメリンクの「森の教会」は、小さなことが幸いして、細部が良く見え、等身大の良さをつくづく実感できたのは、収穫だった。 

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小さな森の中の教会、聖人の像が鮮やかなステンドグラス

 外に出て、教会の横手に行ってみた。

 ここにも、幅の広い煉瓦造りの外壁にくっつけた二重の切妻破風の浅い屋根があり、十字架刑のキリスト像が外壁に付けられ、その両側に天国に召還されたここの司祭の名前と没年月日を刻んだ銅板が掛けられていた。全体の印象としては、童話の表紙にでもなりそうな、妖精か小人の教会だった。

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切妻屋根の装飾がみごとな建物

 教会の近くに、一風変わった建物があったので、教会への小径と反対の坂道を上がってみた。スイスやオーストリアでよくお目にかかるシャーレー風の、大きな木造の建物だったが、ファサードを飾る彫刻や装飾が、どことなく、東南アジア風なのである。ホテルでもらった現地の地図で確かめてみたが、どうも良く分からない。小学校と児童公園がこのあたりらしいが、では、この妙ちきりんなジャワ風の建物は小学校なのだろうか。

 11時30分。ホテルのレストランで、ブロッコリーのスープ、豚肉のソテーの昼食を済ませると、いよいよオーストリア一周の田舎めぐりの始まりとなる。

「こんないい所で1泊だけなんて、もったいないね。」

「1週間ほど、のんびりしたい所だわね。」

なんて、呟きが交わされる中で、専用バスに乗り込んだ。


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