平安夢幻紀
〜雪の巻〜


平安京は四神相応の都。魑魅魍魎がはびこる魔界都市。
王様のみやこを紹介。


愛宕神社  京都市右京区
大宝年間中、役の小角または雲遍上人の開いたところだとか。後に和気清麻呂が勅命を奉じ、慶俊僧都と共に王城鎮護の神として天応元年に愛当護大権現を勧請したのに始まります。阿多古神社とも呼ばれていましたが、明治元年愛宕神社と改称し、護国鎮火の大神として崇敬を受けています。また、愛宕といえば太郎坊ですね。でもももかはまだ行った事がありません。かなりの山の中らしいし〜。

安倍晴明公嵯峨御墓所  京都市右京区
長慶天皇陵のすぐ近く、住宅街の中に陰陽博士安倍晴明の墓所があります。もともと此処は天龍寺が管理していましたが、荒廃が激しかった為に晴明神社境内地となったとか。墓碑には五芒星がくっきり。魔界都市平安京ツアー(^^;)の初期の頃からこの地を探し、東福寺だの色々と彷徨っていたのですが、このところの晴明ブームで本は出る、地図は出る(最近では参拝の心得的看板まで・・・)で10年目にしてようやく辿り着いたという思い出深い場所(笑)。だってその当時は知る人ぞ知るって感じだったんですもの。でも晴明さんもあんまりメジャーになると意気消沈してしまうんですよね。

安倍晴明塚跡  京都市東山区
安倍晴明は鴨川の氾濫を鎮める為、五条橋の東北に「水が去る。土が成る」という願いを込めた名を持つ法城寺を建てました。現在の松原橋の辺りです。彼が亡くなると遺骸はこの寺の境内に葬られたのですが、法城寺は後に廃寺となり彼のお墓のみが残っていたといいます。これが晴明塚です。因みに今は何もありません。

安倍晴明屋敷跡  京都市上京区
京都ブライトンホテルの南側駐車場の辺りが安倍晴明の屋敷跡だといわれています。晴明ファンの宿泊も多いという噂が。ホント?彼らに因んだカクテルもあります。

粟田神社  京都市東山区
粟田天王社、感応院新宮とも呼ばれる青蓮院の鎮守社。京の七口の一つ粟田口に貞観18年創建。この年、京では悪疫が流行。朝廷では藤原興世を勅使にたて祇園感心院に祈願しました。その満願の夜にご神託が下り、「吾は大巳貴神なり。帝都の祇園の東北の霊地に祀るべし」とあったのだとか。これがこの地に神祠を建立した由来となります。さすがに粟田口、石段がキツイわ。

一条戻橋  京都市上京区
安倍晴明の奥方は彼が使役する式神を怖がったのだとか。そこで愛妻家(?)の晴明は式神をこの橋の下に隠し、使う時に呼んだのだとか・・・。延喜18年文章博士三善清行が亡くなり、息子の浄蔵は熊野参詣の途中でその知らせを聞きます。急ぎ京に帰った浄蔵はちょうどこの橋の上で父親の葬列に出会いました。彼は柩に縋りつき嘆き悲しんで神仏に祈ったところ、何と清行は生き返った・・・!これが「戻橋」の所以といわれています。渡辺綱が鬼に出会ったのもこの橋。源氏物語には「ゆくはかえるの橋」として書かれ、和泉式部も歌に詠んでいます。因みに市バス停留所名も「戻橋」。現在の戻橋は近年改修。以前の欄干が近くの晴明神社にあり、新しくミニモニュメントとしてオプションに式神ちゃんがついております。。戻橋の下は何もいませんが、式神を探した人はももかの他にも多くいる事でしょう。

稲住神社  京都市下京区
安倍晴明を祀った神社です。この梅小路界隈は安倍晴明の子孫である土御門家の所縁なんですよね。社殿には「稲住大神」と三つ鱗の提灯があります。元は稲荷を祀った小祠として「稲積社」の記録がありますが、晴明さんを祀ったのがいつからだったのかは定かではありません。土御門家がこの地に居を構える事になったのは慶長5年以降なので、もしかしたら江戸時代なのかも。この名はこの近くに稲を積む農家がありその「稲積」が転じて「稲住」の地名になったとか。境内には巨木の根を祀った魔王尊があり独特の雰囲気を醸し出しています。

今宮神社  京都市北区
昔から疫神を祀り、疫病を祓う為に御霊会が行われてきたお社。此処での御霊会の始まりは一条天王の正暦5年6月27日の事で、紫野御霊会と呼ばれていました。でもももかの中で今宮神社といえば「やすらい祭」と「あぶり餅」です。美味しいんですよね♪此処は大徳寺界隈を歩く時に良く立ち寄っています。境内には小さいけれど大将軍社があって北方の守護をしています。

引接寺(千本閻魔堂)  京都市上京区
小野篁さまが六道珍皇寺の他に利用したといわれるもう一つの冥府の入口で、葬送の地・蓮台野にあります。篁さまが船岡山麓に自ら刻んだ閻魔大王の像を祀り「閻魔堂」と名づけたのが始まりといわれています。篁さまってば手先起用なのね♪六地蔵尊を掘ったのも篁さまだし〜。中には小野篁像がありますが普段は見る事が出来ません。写真が貼ってあるのでそれで我慢我慢。境内には紫式部供養塔もあります。

梅宮大社  京都市右京区
県犬養橘三千代が一族の守護神として創建したお社。もともと山城国相楽郡井手庄にあったものを、娘である光明皇后と牟漏女王がこれを祀り、更に平安初期、檀林皇后によってこの地に移されました。代々橘氏の氏長者が奉仕していましたが、藤原氏の摂政または関白の家筋の者が橘氏長者を代行した事もあり、藤原氏の氏神である春日神社と同様の崇敬を受けました。これは三千代が藤原不比等の正妻であった事にもよるようです。三千代の系図を見れば自ずと納得出来ますよね。相殿には嵯峨天皇・仁明天皇・檀林皇后・橘清友が祀られています。神苑が有名なのですなので春に訪れると良いかもしれません。鯉と戯れて(笑)。

岡崎神社  京都市左京区
延暦13年平安遷都の折、京の東方に王城鎮護の為に祀られたお社です。「東天王」ともいい現在でも「天王さん」の呼称があります。小さな神社です。

小野篁墓所  京都市上京区
北大路通と堀川通が交差する信号機を下ったところに小野篁さまの「小野相公墓」があります。彼のお墓がこの地にあるのは葬送の地・蓮台野だからとも。その隣には紫式部のお墓があるのですが、篁さまと比べると華やかな事。だから篁さまにもお花を持って行ってね♪此処ではまるで紫式部の付録みたいなんだも〜ん。ももかは篁さまと向かい合いながらお昼を頂いた事があります。傍から見ればさぞかしおかしな光景だったに違いありません。本人、全く気にしていませんが(^^;)。

応天門跡  京都市上京区
平安京大内裏朝堂院の正門。現在の出世稲荷神社の辺りです。碑などは建っていませんので、「この辺りね」と偲ぶ程度ですが、此処から千本通を北に見ると応天門〜大極殿と続いていた当時を想像出来たりします。伴善男が源信を陥れようとした「応天門の変」の舞台。出世稲荷神社は豊臣秀吉に所縁のある神社ですので、出世を望む方は是非どうぞ。

大原野神社  京都市西京区
平安京西南の方位を守護するお社。延暦3年長岡京遷都の折、桓武天皇の皇后藤原乙牟漏が奈良の春日神の分霊を勧請したのが始まりです。その後地名によりこの名が付けられました。藤原氏の氏神として崇められ、歴代の天皇の行幸も多かったようです。因みに「瀬和井の清水」は大伴家持愛飲の井戸。

鬼殿  京都市中京区
藤原朝成の邸宅跡。朝成は笙を得意とし才知に溢れていました。また押しが強く財力もあって、肥満でした。しかし、藤原伊尹との政争で生霊になり、以後伊尹一族を祟る悪霊となってしまうのです。朝成の邸宅は「もののけの家」と呼ばれたとか。この話は『大鏡』『故事談』でも知られています。現在この邸宅跡を示すものは何もありませんが、「柳の水」のある辺りがそうだとも言われているのです。

鬼の手水鉢(西本願寺内)  京都市下京区
西本願寺境内にある手水鉢はもともと羅城門にありまして、渡辺綱が鬼の腕を斬った後、屋敷に持ち帰り、暫くの間保存(笑)していた石櫃なのだそうです。茨木童子の腕って事になるのかなあ。夜毎に泣くので本願寺に寄付。別名を「白州水屋の手水鉢」ともいいます。因みに西本願寺には短い間でしたが新撰組の屯所があったところでもあります。土方さんが見上げたかもしれない立派な銀杏があります。
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