2003年8月、円谷幸吉記念館を訪ねました。郡山駅で乗り換え約10分。須賀川駅に到着。左記の写真は須賀川駅のホームです。
 交通手段は、JR東北本線須賀川駅下車、福島交通六軒行きバス鍋師橋で降りるとすぐです。 

  当初、記念館へはバスで行こうと考えてたのですが、都合の良い時間がなかったので、歩いていくことに・・・・。場所は事前にいろんなHPを見ていたので行けば分かるかな?という安易な気持ちで須賀川駅をスタート。8月とはいえ残暑厳しい日、駅前から伸びる真っ直ぐな道路を歩き出しました。途中、10分程歩いたら須賀川が流れる橋に・・・。円谷さんもこの川を見ながら走っていたのかな?と想像してしまいました。 

  須賀川の橋から、さらに10分程歩いたところの交差点を左へ。すると前方に記念館への道案内のように、3畳くらいの大きな円谷さんの写真看板が道路脇の広場に飾ってありました。本当に、この須賀川にとって、円谷さんは偉大なランナーだったんだなと痛感。 

  大きな写真看板から、さらに10分歩くと、周りはどこにでもある田園風景。1車線が2方向に分岐するところに、記念館を示す案内板が設置してありました。いよいよゴールも近い・・・。 

  記念館の前には、円谷さんの座右の銘であった「忍耐」という石碑が設置されています。
「忍耐が座右の銘なら、もう少し我慢しても…」。と長兄の敏雄さんの言葉を思い出しました。 

  左記の写真が円谷幸吉記念館の玄関です。生家に隣接する小さな平屋。玄関を入って、正面の1部屋に円谷さんの遺品が飾られ、もう1部屋には両親が晩年まで住み続けたそうです。入館は無料ですが、事前に電話連絡が必要(0248・75・5395)。
 「これが記念館なんです。立派な建物を想像してたでしょう? でも、これは私と父が幸吉を抱き締める気持ちで建てたんです。幸吉が一緒に暮らしたかったここを、みんなで守ってやるのが一番なんです。自分の命を自分でつんで、あんなむごいことはない。なおさら、ここで守ってやりたいんです。これは私の信念。生きがいなんです」。同館を守る兄喜久造さんは、須賀川市の度重なる記念館建立の要請を頑として断ってきたそうです。  

  円谷幸吉さんは、昭和15年(1940)に須賀川に生まれました。小さいときから、お父さんの影響もあり、礼儀正しく、何ごとも最後までやりとげる子どもでした。高校に入ってからは陸上競技部に入り、毎日厳しい練習を重ねました。卒業後は陸上自衛隊に入隊し、そこでも陸上競技の練習を続けました。昭和36年(1961)の青東駅伝では3区間を走り、すべて区間新記録を出すなど、すばらしい成績を残しました。昭和39年(1964)、東京オリンピックのマラソン選手として出場し、陸上競技で日本でただひとつのメダル(銅メダル)を獲得し、日本中を湧かせました。このときのすばらしい走りは、 今でも語り継がれています。現在、円谷幸吉選手の偉業をたたえる「円谷幸吉メモリアルマラソン」が毎年行われ、全国から多くのランナーが集まり、その偉業を讃えています。 

  君原健二さんの色紙
 「亡くなる半年前の競技会で、円谷さんと走りました。『(東京五輪で)ぼくは国立競技場で、国民の面前で追い抜かれて本当に申し訳なく思う。そのおわびをするために、もう一度メキシコで日の丸を揚げるのが国民との約束なんです。』彼がそう言ったのをはっきり覚えています。」東京オリンピックで円谷と共に走った君原健二さんの言葉です。 

郡山自衛隊陸上競技部の写真
 【学校に宛てた遺書の全文】
《校長先生、済みません。高長課長、何もなし得ませんでした。宮下教官、御厄介お掛け通しで済みません。企画課長、お約束守れず相済みません。メキシコオリンピックの御成功を祈り上げます。一九六八・一》 

  円谷さんが履いたシューズの数々・・・。今のレースシューズと比べるとかなりソールも薄く貧弱ですね。

  69年7月に造られた約50平方メートルの板張りの部屋に、所狭しと遺品が置かれています。銅メダル、ゼッケン77のユニホーム、数々の賞状、そして絶筆の遺書も……。 

  東京オリンピックの陸上競技で日本唯一のメダルを獲得し、日本人に勇気と誇りを与えました。
 円谷さんは、陸上競技を目指す子どもたちの手本となり、多くの優秀なランナーを輩出する功績を残しました。
 日本陸上競技の発展に貢献し、また、毎年行われる「円谷幸吉メモリアルマラソン」を通じて、地元のスポーツ振興に大きく貢献しています。 

ショーケースに並ぶ数々のメダルや盾。 

円谷さんの足型 

ニュージーランド遠征時の写真
 1万メートルで実績を持つ円谷さんは昭和32年、NZ遠征で2万メートルに世界最高で優勝。五輪イヤーの33年3月、初マラソンの中日名古屋マラソンで5位に入ると、周囲の反対を押し切ってわずか3週間後の代表選考会を兼ねた毎日マラソンに出場。第一人者の君原に次ぐ2位。1万メートルとマラソンの代表に選ばれました。

  記念館で約30分の見学を終え、もう一つの目的であったお墓参り。円谷さんが眠る十念寺は、須賀川駅と記念館のほぼ中間地点。記念館まで歩いてきた道を逆戻り。この十念寺への案内板も出ているので、場所はすぐに分かります。 

  このお墓にも、たくさんの方が訪れていることが伺えるように、墓石の前に立派な黒御影石で造られた名刺を入れる石箱が置かれていました。私も1枚・・・。そして偉大なランナーに手を合わせました。 

 

 

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