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ロードサービスの歴史


 ◇ 世界初の「自動車」と「事故」 ◇
 1769年にフランス陸軍の”大尉ニコラ・ジョセフ・キュニョー”が製作した「蒸気自動車」が、世界初の自動車と言われています。
 その「蒸気自動車」は三輪車で、前方に大きなボイラーを備え前輪駆動で走りました。
 一説によると時速9キロで走ったと言われていますが、時間としては15分程度しか走れなかったそうです。

 そして、自動車事故も世界初と言う不名誉?な事もこの”ジョセフ・キュニョー”が経験しています。
 試運転中に壁に激突しましたが、原因は前方の大きなボイラーが重く、ハンドル操作が効かなかった為と言われています。
 重いエンジンが前方に載った現在の自動車であるならば、パワーステアリングの「故障」と言える事ではないでしょうか?

 さて、上記の事から分かる様に、自動車が誕生してから、現在まで切っても切れないのが「事故」と「故障」です。

 そして、ここでは世界初の自動車誕生と、世界初の自動車事故から現在のロードサービスの歴史を説明していきます。
キュニョーが製作した
「蒸気自動車」(模型)


 ◇ 最も歴史の古い「自動車クラブ」 ◇
 古くは1883年(明治16年)7月1日にオランダで「ツーリストクラブ」(現オランダ王立旅行クラブ”ANWB”)が誕生しました。
 しかし、作ったのは自動車のドライバーや技術者ではありませんでした。実は”自転車”の愛好家達が作ったクラブだったのです。
 19世紀にオランダに持ち込まれた”自転車”は、「今までの生活を損なう」と言う保守派の人達に反発を受けていたそうで、自転車愛好家達は団結してこれに対抗しようとしました。
そして愛好家達の代表者約30名程が、「ツーリストクラブ」を誕生させました。
 
 1885年には独自の月刊雑誌を発行し、のちに「チャンピオン」と名前をつけました。(現在でも同名で発行)
 地道な活動の中、政府からの依頼で1894年には木製の道路標識を設置したが、冬の間に住民に外されストーブに消えるなど努力の報われない事もあり、1896年には鉄製の標識が設置される様になりました。
 そして1900年に”自動車”・”バイク”・”ヨット”・”旅行者”などが加わり、1904年に「ANWB」に名前が変更され、第二次世界大戦後、政府からの資金援助が95%となり「オランダ王立旅行クラブ(ANWB)」となった様です。

 設立の歴史は古いが、本来の「自動車クラブ」誕生と呼ぶには1900年からと言えますね。
ANWBのロゴマーク
オランダの至る所で見られます。


 ◇ 世界初の「自動車クラブ」誕生 ◇
 さて、最も古いクラブ「オランダ王立旅行クラブ」を設立したのが「自転車」愛好家達だった事は話した訳だが、ここでは「自動車」愛好家達が作った世界初の「自動車クラブ」の話をしますね。

 実際に「自動車」愛好家達が設立した世界初の自動車クラブは、1895年11月12日に「フランス自動車クラブ(ACF)」が誕生しました。きっかけは”自動車レース”でした。
 1893年12月に「自動車レースを開催しよう」と自動車愛好家達が提案し、レースの実行委員会組織化の動きが活発となり、翌年(1894年)の7月に120kmほどのレースが行われた。それは自動車愛好家達にとって、ますます熱を帯びる結果となった。
 そして翌年(1895年)6月には規模を大きくし、パリ〜ボルド間(約1200km)のレースが開催された。そうして「自動車クラブ」設立の動きが加速していった。

 それから、その「自動車クラブ」設立にはレースにも出場していた「ド・ディオン伯爵(de・Dion)」が、推進者となって活動を始めた。
彼は、馬車の代わりに自動車を使う事を考えていた「ド・ジュイラン男爵(de Zuylen)」と、自動車ジャーナリストの「ポール・メイヤン(Paul Meyan)」を昼食会に招き、「自動車クラブ」設立の相談をし、ド・ジュイラン男爵が「貧しい馬にも安堵を。」との言葉で、「フランス自動車クラブ(ACF)」結成に至ったと言う話である。(11月12日)

 また、世界初の「自動車クラブ」会長には、昼食会に招かれた「ド・ジュイラン男爵」が就任しました。
ACFのロゴマーク


 ◇ 海外の「自動車クラブ」誕生の歴史 ◇
 1895年の「フランス自動車クラブ」誕生から、海外でも「自動車クラブ」が誕生し始めました。
 フランスに続き、1896年に「スイス旅行クラブ(TCS)」が設立され、1897年にはイギリスの「RAC」や、1898年はイタリアの「ACI」と世界各地で自動車クラブが誕生し始めた。
 しかしまだこの頃の実情は自動車愛好家達の交流会やツーリング・旅行などを目的に行う団体で、ロードサービスなどを行う様になるのは20世紀に入ってからである。
 
 そして20世紀に入り、アメリカの「AAA」(1902年)や、ドイツの「ADAC」(1903年)などが発足し、いつからかロードサービスなどの会員サービスを提供する様になりました。

 主な「自動車クラブ」設立の歴史を年表にして、下記に表しましたからご覧ください。


 ◇ 日本初の「自動車クラブ」誕生 ◇
 日本も20世紀に入り「自動車クラブ」が設立されました。1910年(明治43年)に日本初の自動車クラブ「日本自動車倶楽部(NAC)」が誕生した訳ですが、もちろんロードサービスなどの会員サービスなども無く、”運転マナーの向上”や”車での旅行の利便性を図る”・”外国人ドライバーの招待”などの「自動車地位の向上」が目的だったようです。

 そして「ANWB(オランダ)」の様に自動車用の道路標識を製作し、日光街道や箱根街道に設置した。もちろん無償と言う訳では無く「NAC」の名前を入れて、クラブの存在をアピールする事も忘れ無かった。これは政府が標識を作る10年以上も前に行われた様です。

 1913年(大正2年)残念な事に設立からわずか3年程で分裂解散してしまいました。
原因はメンバーの中の一人が商売気を出し、組合を設立した事でクラブ内で分裂が起こり解散と言う結果になったと言う話です。


 ◇ ちょっとマメ知識 ◇
 1907年(明治40年)から東京府では「自動車税30円」が課せられる様になった。これは「馬車税3円」の10倍にあたり、現在の貨幣価値から言うと約30万円になります。凄いですね。
 ですが、1912年には特別税が導入され自動車税は60円になり、さらに東京府付加税が21円と東京市特別税が30円の計111円の税金を納めなければならなくなった。現在ならば110万円前後ですよ、軽自動車が毎年買える計算になります。
 その当時はそれだけ高価な贅沢品だったと言う事ですが、自動車オーナー達はそんな高額な税金にも特に文句も無く支払っていたそうで、むしろ高額納税は金持ちも証の様なモノだったのでしょう。


 ◇ 日本の自動車クラブの歴史 ◇
 さて、日本初の「日本自動車倶楽部」が解散してから9年後の1922年(大正11年)に、「日本自動車競走倶楽部」(設立は1914年以降だが詳細は不明)が報知新聞社の支援を受けて、東京の洲崎埋立地(現在の東京都江東区東陽町)でわずか4台だが自動車レースを行った。
 この「日本自動車競走倶楽部(NARC)」が日本初のモータースポーツ団体である。そして1965年(昭和40年)の解散までに、代々木練兵場・立川飛行場などを借りて十数回ほどレース開催したと言われている。(当時の資料が曖昧な為正確な開催数は不明)

 そして1946年(昭和21年)に任意団体ながら「東京モーターリスト・クラブ(TMC)」と、1949年(昭和24年)に「日本オートモービル・アソシエーション(NAA)」が設立された。(詳細は両方とも不明)
 この両団体の元メンバーが関わり、1951年(昭和26年)に本格的な団体として「ジャパン・オートモービル・アソシエーション(JAA)」を設立した。これが日本初の社団法人の自動車団体である。
 そして1955年(昭和30年)に日本を代表する自動車クラブとして、「国際自動車連盟(FIA)」に加入しロードサービスや国際免許の発行・レース開催権を与えられた。
 しかし組織としてはまだ熟成されておらず、ほとんどの業務が遂行される事は少なかった様だ。その為負債が増え1962年(昭和37年)の運輸省の監査では、800万円ほどの負債額となっていた。

 少し時を戻すが、JAAが設立された1951年にもう一つ「スポーツカー・クラブ・オブ・ジャパン(SCCJ)」も設立された。主にアメリカの残留軍人らで組織され、少数ながら日本人も含まれていた。船橋ダート競馬場などでレースを行い、公道レースなども開催していた。
 それが50年代半ばになる頃には日本人を中心とする組織に変化していき、米軍将校が結成した「東京スポーツカー・クラブ(TSCC)」と合同で、現在のジムカーナやヒルクライムに似たレースを開催していた様子。
 ※「東京スポーツカー・クラブ(TSCC)」は米軍横田基地内にてイベントなど開催している。

 1956年(昭和31年)に「クラシック・クラブ・オブ・ジャパン(CCCJ)」が設立された。設立したのは「浜徳太郎」氏を中心に、熱心なクラシックカー愛好家達だった。 
 現在も活動中でクラシックカーの国際組織「FIVA」に1978年に加盟。世界的に日本を代表するクラシックカー愛好団体である。




TSCCのロゴマーク



CCCJのロゴマーク


 ◇ ちょっとマメ知識 ◇
 日本初の自動車レースにはいくつもの諸説があるが、当サイトで調べた限りでは1914年(大正3年)に東京の目黒競馬場(現在の下目黒4丁目辺り)で4台の自動車が競いあった。と言うのが「日本初の自動車レース」と言えるのではなかろうか。
 このレースの中心人物はロス在住の日本人であったと噂されるが詳細は不明。
そしてこのレース後に「日本自動車競走倶楽部」が誕生したとも言われている。


 ◇ 日本を代表する自動車団体「JAF」誕生 ◇
 今や日本を代表する自動車団体「日本自動車連盟(JAF)」だが、その設立のきっかけは1959年(昭和34年)5月の「東京オリンピック」開催の発表であった。
 「東京オリンピック」開催と言う事は、海外からの観光客や選手団が来日し、国際運転免許証の発行などを行わなければならない。しかし多額の負債を抱える「JAA」では対応は困難と判断し、海外の自動車クラブの様なしっかりした組織が必要不可欠と考えた結果である。

 設立には政府関係者や自動車業界関係者が大きく関わる事になった。問題が日本の「車社会の対応力」と言う、世界から評価される事に他ならないからだろう。
 早速、1959年(昭和34年)6月には海外の自動車クラブを視察に行き、そこで「ロードサービス」等の必要性を痛感する事となった。
 帰国後、視察結果を元に1961年(昭和36年)運輸省が各自動車団体代表を招き、「ロードサービス」などを含むしっかりした組織の設立を要請した。
 そして1962年(昭和37年)に「準備委員会」が発足し、各自動車団体の代表が出席し話し合いを行った。

 1959年5月の「東京オリンピック」開催の発表から3年、駆け足ながら1962年(昭和37年)の10月24日、東京・丸の内のパレスホテルで”創立総会”を開き、役員の選任を行い理事・監事を決定した。そして理事会が開かれ初代会長に「高梨壮夫(東京トヨペット会長)」が就任した。
 念願の「日本自動車連盟(JAF)」の誕生である。

 しかし実際に業務を開始していない”任意団体”に過ぎず、”社団法人”になるには「JAA」との合併が不可欠だった。
 運輸省の計らいで話し合いをした結果、多額の負債を抱える「JAA」を、「JAF」が負債と共に吸収合併する事で合意し、1963年(昭和38年)2月28日に正式に合併した。
これにより「社団法人 日本自動車連盟(JAF)」になった。

 正式に業務を開始するまでは、海外クラブ視察で”痛感”した「ロードサービス」業務などの演習を行った。
 そして、1963年(昭和38年)4月1日、正式に業務を開始した。「東京オリンピック」開催(1964年)の前年である。

 「社団法人 日本自動車連盟(JAF)」はこの日(4月1日)を「創立記念日」と定めている。


JAFのロゴマーク


 ◇ 日本の「民間ロードサービス団体」の誕生 ◇
 「JAF」が誕生してから近年まで、単独のロードサービス事業者が細々と事業を展開している程度でした。
 大半の依頼は「JAF」が受けていましたから、単独のロードサービス事業者達にとっては大変苦しい状況でした。「JAF」の受けない大型貨物や、警察依頼の損傷の激しい事故車両など、一筋縄ではいかない仕事ばかりでした。24時間365日、何時依頼があるか分からない大変な仕事をしていたにも関わらず、ディーラーなどの下請けの様な存在にしか扱われませんでした。
 そこで、ロードサービス事業者達が組織を作る事を考えても不思議ではないでしょう。
値下げ競争による仕事の奪い合いを止め、連携をとることで無駄な設備投資を抑え、ロードサービス事業者の地位向上を目的に組織を作る動きが起こり始めました。
 そして1979年(昭和54年)民間のレッカー会社32社が集まり、任意団体ながら全日本高速道路レッカー協会が発足、民間だけでの団体では日本初でしょう。
 以後、各都道府県で協会や組合が設立され始めます。


 ◇ 転換期「ロードサービス自由化」の波 ◇
 1996年(平成8年)9月22日、道路公団各社が「高速道路上の救助作業をJAF以外にも開放する。」と発表!ロードサービス自由化の波が起こり始めた。
 「高速道路上での障害車両の排除業務を、ほぼJAFの独占なのはおかしい。」と言う事が国会などで審議された結果だが、この発表が「ロードサービス」事業の未来に大きく影響していく事になる。

 それに合わせる格好で1996年(平成8年)12月に、カード会社「クレディセゾン」がカーアシスタンスサービスを本格展開を開始。(2007年3月31日付けで終了)
 追従するかの様に、1997年(平成9年)6月に「日本ロードサービス株式会社(JRS)」が設立された。ロードサービスに重点を置いたアシスタンス会社は日本初で、ロードサービス自由化を視野に入れ、運輸省関係者も関わり組織された。
 以後、カーアシスタンス業務を扱う会社が増え、自動車メーカーやクレジットカードなどに広く付帯サービスとして認知されていった。

 そして1998年7月保険業界にも「自由化」がスタートした。保険料率の自由化で、保険料金やサービスなどの差別化が行える様になり、ロードサービスもその材料として注目され始め、1999年(平成11年)1月にはAXA損害保険が「インター・パートナー・アシスタンス・ジャパン(IPAJ)」を、4月のは大東京火災が、カーアシスタンス会社「あんしんダイアル」を所沢に設立するなど、自動車保険業界にも「ロードサービス付帯」が普及していった。

 また、自動車業界も1999年(平成11年)4月に設立された「株式会社エフシー24(FC24)」と提携し、自動車振興会などの商工組合の加盟店向けサービスなどの対応を開始した。
 車検整備など行った車両に加盟店がサービスを付帯する格好なので、ユーザーにとって安心感は高く、整備工場としては営業時間外のユーザーサービスの代行と、他社との差別化を図る上でメリットが大きく、自動車業界にも「ロードサービス付帯」が広がった。
 この「FC24」はレッカー会社の出資・運営される会社で、「関東レッカー事業協同組合」のメンバーを中心に組織され、システムの構築に1年近く検討・修正を重ね作られました。

 しかし、まだすべてのドライバーに対応している訳では無く、トラックなどの貨物車などは小型貨物のみの対応に留まっていた。(大型ロードサービスはJRSが01年12月に開始)
 そこに、大型初の全国レッカー対応ネットワーク「JHRネットワークス株式会社(JNS)」が2003年(平成15年)7月に誕生した。
 先に述べた「全日本高速道路レッカー協会」が2000年(平成12年)6月に認可を取得し、「全日本高速道路レッカー事業協同組合(JHR)」に名称変更した団体のコールセンターである。
 この「全日本高速道路レッカー事業協同組合(JHR)」だが、認可を取得した当初は”旧高速道路公団指定”の業者のみで構成されていた。
 技術力も「公団指定」と言うお墨付きであるが、日本初の「Tow Operator資格認定試験」を実施するなど、JAFに次ぐ業界最大手のレッカー団体である。
 現在も技術研修会などを開催し、道路公団民営化後は”指定業者”に限定せず会員を募っていて、大型貨物車まで対応できるバックボーンを持つコールセンター「JHRネットワークス株式会社(JNS)」は運送事業者やトラックメーカーからも注目度の高いコールセンターである。

そしてこの「JNS」の誕生で、ほぼ全ての自動車に、ロードサービスの対応が整ったと言っても過言では無いのだろう。






クレディセゾンカード



日本ロードサービス(JRS)ロゴ



 ◇ 「ロードサービス事業」の現在、そして未来 ◇
 現在のロードサービスを取り巻く環境は各種の付帯サービス普及に伴い、ロードサービスの知名度は上昇し、作業単価は減少したものの依頼件数は増加した。
 そして今まで「レッカー代は高い」と依頼を敬遠していた人も、気軽にロードサービスを頼める様な時代になった。これは自動車ユーザーにとっては有難い事だと思う。

 しかし自動車業界の不況から「ロードサービス」事業に参入する業者が増え、古くから「ロードサービス」を専業で行ってきたレッカー業者にとっては困る状態になってきた。
 新規参入が増え依頼件数の減少による収入の悪化もさる事ながら、なにより積載車1台で簡単な仕事のみを行う業者が増えた事が一番の悩みだろう。

 故障や軽度の事故車両ならば積載車1台で仕事が出来るが、連絡時の内容と実際の現場状況が大きく違う場合や車両損傷が激しい場合などは、専門の設備を有したレッカー車などが必要になる。
 現場に到着してから「作業が出来ない」と言う事で作業依頼を断るケースが増え、二次依頼でレッカー車手配が行われる事が現状だろう。
 ここで本来一番困るのは自動車ユーザーで、二次依頼のレッカー車がくるまでの時間は単純計算で2倍かかり、その間に危険度も大きく増加する事になる。

 レッカー業者も高価な設備投資をしても二次的な依頼ばかりでは経営も厳しく、何より到着時間までの二次事故発生や交通渋滞の増加など、本来の「二次事故を防止し、交通の円滑を図る」と言う目的を果たせないでいる。

 そしてその原因は「法規制の皆無」にあると言われている。
事実、これだけ「公共性」と「社会性」が高い仕事が、業種にも「その他のサービス」に分類される程度で、ほかのサービス業の様に「許可制」でも「認可制」でも無い為、しっかりしたロードサービスの知識が無い人でも、積載車などある程度の設備があれば今日からでも開業出来る。
例えるなら医師免許も無く手術を行う事と同じではないだろうか?
そこでもし重大事故でも起これば「ロードサービス業界」全てのイメージが悪化するだろう。

 だから重大事故が起こる前に「法規制」などの整備が、必要不可欠だと提唱する方が増えてきました。
 これから先はロードサービスに「市民権」を得るべく、行政を含めた事業者側の対応が求められる事でしょう。


ロードサービス関連の年表
西 暦 和 暦 事  項 備    考
1883年 明治16年  オランダ王立旅行クラブ (ANWB) 設立
     世界初の自動車クラブ
 もっとも古い自動車クラブの誕生。
 設立は自転車愛好家達だった。
  95年    28年  フランス自動車クラブ (ACF) 設立  自動車愛好家達の設立した初の自動車クラブ
  96年    29年  スイス旅行クラブ (TCS) 設立
  97年    30年  イギリス王立自動車クラブ (RAC) 設立
  98年    31年  イタリア自動車クラブ (ACI) 設立
1902年    35年  アメリカ自動車協会 (AAA) 設立
  03年    36年  ドイツ自動車クラブ (ADAC) 設立
 イギリス自動車協会 (AA) 設立
  10年12月 明治43年  日本自働車倶楽部 (NAC) 設立
 日本初の自動車クラブ
  13年 大正2年  日本自働車倶楽部 分裂 解散  設立3年で分裂解散
  22年    11年  日本自動車競走倶楽部 (NARC) 設立  日本初のモータースポーツ団体誕生
  46年 昭和21年  東京モーターリストクラブ  (TMC) 設立
  49年    24年  日本オートモービル・アソシェーション (NAA) 設立
  51年    26年  ジャパン・オートモービル・アソシェーション (JAA) 設立  東京モーターリストクラブと日本オートモービルが合併
 スポーツカー・クラブ・オブ・ジャパン (SCCJ) 設立   米兵残留軍人によって組織さ団体れた
  55年6月    30年  ジャパン・オートモービス・アソシェーション 
  国際自動車連盟(FIA) 加盟
  56年    31年  クラシック・クラブ・オブ・ジャパン (CCCJ) 設立  世界的に日本を代表するクラシックカー愛好団体
  62年10月    37年  日本自動車連盟 (JAF) 発足 任意団体  
  63年4月    38年  社団法人 日本自動車連盟 (JAF) 設立
 同年4月1日、東京地区でロードサービス開始。
 JAFがJAAを吸収合併
  65年    40年  日本自動車競走倶楽部 解散
  77年7月    52年  JAF 会員100万名突破!!  会報誌”JAFニュース”が「JAF MATE」に題名変更
  79年7月    54年  任意団体 全日本高速道路レッカー事業協会 発足  道路公団指定レッカー事業者の有志により発足
  91年3月 平成3年  関東レッカー事業協同組合 発足
     4月  ジェサ・アシスタンス・ジャパン設立  ロードサービスは展開していない。
  94年1月    6年  BSサミット 設立  中央鈑金磯部社長を中心に設立
      7月  モンデアル・アシスタンス設立  その他の手配業務を主に取り扱い。
 ロードサービスはまだ本格展開していない。
  96年9月    8年  道路公団各社 高速道路上の救助作業を
 JAF以外にも開放を発表
      11月  埼玉県レッカー事業協同組合 発足
      12月  四国ハイウェイ親交会 設立
 クレディセゾン アシスタンスデスク開始  たぶん日本初のカーアシスタンス業務の開始。
  97年1月    9年  道路公団 一般公募開始
      3月  フィアット オートジャポン 
 PASS(パーフェクト・アシスタンス・サービス・システム)導入
 メーカー系ロードサービスの開始
      6月  日本ロードサービス株式会社(JRS) 設立
  98年3月    10年  イーコール・ジャパン設立  車両装置より自動通報を行うシステムサービス
      4月  千葉県レッカー事業協同組合 発足
 三多摩レッカー協会 発足
 M・ベンツ ”メルセデス・ケア”導入
 モンデアル・アシスタンスRS本格展開
     7月  自動車保険「保険料率自由化」開始  2年間は従来通りの「料率」使用を許可
     10月  ジェサ・アシスタンス・ジャパン RS本格展開  ボルボ・カーズとの契約を機に本格展開
 山梨県レッカー事業協同組合 発足
     11月  大東京火災 RS付自動車保険発表
  99年    11年  ボルボ・カーズ・ジャパン 
 ”99ボルボ・サービス・パスポート”にRSを付帯
 99年モデルを対象
      1月  ジェサ・アシスタンス・ジャパンが社名変更
 インター・パートナー・アシスタンス・ジャパン(IPAJ)
 UAP保険会社(パリ)・GESA(ジェサ・アシスタンス)・
 SFAの合併により社名変更
      3月  フォード・セールス・ジャパン 
 ”フォード・ツーリング・サポート24”導入
      4月  大東京火災 ”あんしんダイアル”を設立  埼玉県所沢に設立
 鰍eC24 東京銀座にて設立
     6月  翼システム”カーレスキュー70” 全国展開開始  
 住友海上 ”お車救急サービス”付帯開始
     7月  日産自動車”オーナーズサポート”導入  9月までにセド・グロを成約された方のみ
     9月  日本火災 ”くるまの安心サービス”導入
 千代田火災 ”緊急ロードサービス”導入
 ソニー損保”one on one” 導入
 三井ライフ損害保険 ”故障急行サービス”導入
 共栄火災 ロードサービス付帯開始
2000年5月    12年  日産火災 ”新ロードサービス急行隊”
      6月  全日本高速道路レッカー事業協同組合(JHR) 創立  認可取得により、協同組合に名称変更
      8月  イオンクレジット”イオン・サポート・サービス”開始
      9月  鞄本緊急通報サービス”HELPNET”スタート
  01年4月    13年  静岡県救援レッカー事業協会 設立  県内13社が参加
     10月  中販連「JUカード」にロードサービスを追加  オリエントコーポレーション発行
  01年7月  JAF 低公害車NGVレッカー車導入
  02年1月    14年  JRSが大型ロードサービス「JRS CLUB-J」開始  大型のロードサービス作業のみ対応
       静岡県レッカー事業協同組合 設立  県内12社が参加
      4月  JAF 非会員から「後方警戒料」 領収開始  高速など非会員の「後方警戒料」5800円
 出光カード”出光ロードサービス”開始
      5月  神奈川県レッカー事業協同組合 設立  県内20社が参加
      7月  JRS ”日貨ロードサービス” 開始  日本貨物運送協同組合連合会と提携
      8月  翼システム”アイドラネット・ロードサービス”開始  聴覚障害者向けロードサービス
 トヨタ ”ロードアシスト24”を発表  G-BOOKサービスに追加
  03年6月    15年  ホンダ 独自アシスタンスサービス”QQコール”開始  インターナビ・プレミアム・クラブ会員対象 
      7月  JNSが、コールセンター「イザ・コール」開始  日本初の大型車両レッカーサービス対応
  04年4月    16年  ミシュラン・レスキューネットワークを開始  トラック・バスを対象
  05年4月    17年  JAF ”二輪ロードサービス”開始  16歳以上のジュニア会員新設
      7月  プレステージ・インターナショナルが
独自ロードサービス”プレミア・アシスト”提供開始
 アシスタンス会社が独自ロードサービス提供は日本初
     10月  道路公団民営化  11月より協定会社公募開始
 07年 1月    19年  翼システムが”カーレスキュー70”を売却  日本みらいキャピタルが購入


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