last updated:Tuesday, July 28, 2009

県民性・地域性−神奈川県

近世国名・藩名:相模(さがみ),武蔵(むさし)



 

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 神奈川県は,首都圏の一角に位置し,北西部の山岳地帯,420キロメートルにおよぶ海岸線など,変化に富んだ地形を有する。鎌倉幕府,戦国時代の北条氏5代,江戸時代末期の横浜開港などを経て1893(明治26)年,現在の神奈川県の県域がほぼ確定した

 県の人口は09年6月1日時点で899万8805人。6月中の出生、死亡、転入、転出の統計から算出した人口増は2500人(概算値)で、7月1日には人口が900万1300人(同)になった。特に横浜市の人口が1472人増えて367万411人、川崎市が1083人増えて140万7919人となった。 
 県の面積は,08年10月1日現在で2,415.84平方キロメートル(国土地理院データ)で全国第42位。全県域が東京100キロメートル圏内に入る。戦前は貿易の隆盛に伴い外国との窓口となり,戦後は工業地帯の拡大と東京のベッドタウン化が進展。生産ベースで第2次産業が35%,他は第3次産業で,第1次産業は1%未満の構成。県内総生産は全国第4位である。
 

●県庁所在地:横浜市

 1859(安政6)年,開港場となった横浜は,「交通の便を欠く小さな農漁村」にすぎなかった。開港以来,貿易港・西洋文明の窓口として発展した。 明治の前半までは,生糸を中心にお茶などを輸出し,綿織物,綿糸などを輸入するという「モノ」の賑わいがあった。横浜の 貿易は,急激に発展する首都・東京という大消費地への内部浸透のため,いわば東京との依存関係で急成長した。

 横浜市は,14の政令指定都市のひとつであり,人口約360万人,世帯数は150万世帯,人口最大区は港北区で31万6千人,最小区は西区で8万5千人である。なお,世界の主要都市との比較では,南京(2000年:362万人),アンカラ(02年:366万人),釜山(00年:366万人)などと同規模である。

  横浜市の産業構造の特徴を,市内総生産の産業ごとの特化係数を基準に,12の政令指定都市平均と比較すると,横浜市の産業は,製造業や建設業といった第2次産業に強く,卸売・小売業や金融・保険業といった第3次産業が弱い。
 横浜市は,人口規模で大阪市の1.34倍であるが,第3次産業は大阪市の54%の規模にとどまる。

 横浜は,1859(安政6)年の開港以来,貿易港・西洋文明の窓口として発展してきた。 ランドマークタワーをシンボルとし,レンガ倉庫など異国情緒漂う建物が郷愁を誘う街である。
 開発が進むみなとみらい21エリアには,新名所が誕生し,流行を発信している。夜ともなればベイブリッジが鮮やかにライトアップされ,中華街や氷川丸の停泊する山下通り界隈は人波で溢れる。
■面積        434.98km2  〈2007(平成19)3.1〉
■人口        3,607,125人 〈2007(平成19)3.1〉
■世帯数       1,509,031世帯〈2007(平成19)3.1〉
■市内総生産     12兆6,814億円〈2003(平成15)〉
■1人あたり市民所得  320万6,000円〈2003(平成15)〉

・川崎市

 第二次大戦で戦災をうけた川崎市は,戦後,工業都市として復興した。湾岸部には大規模な石油化学コンビナートが形成され,内陸部は東京のベッドタウンとして急速に開発が進む。昭和47年(1972)には政令指定都市となって,川崎・幸・中原・高津・多摩の5区が設けられ,翌年には人口100万人を突破した。1982(昭和57)年には高津・多摩の両区の人口増加にともなって分区が行われ,宮前・麻生の両区が誕生,7区時代を迎えた。現在,人口129万人を超えた。
 川崎の地名は,『日本書紀』。安閑(あんかん)天皇元年(534)に4つの屯倉(みやけ)を置くという記述があり,その中に橘花(現在の幸区小倉・南加瀬・北加瀬,中原区住吉付近)の名がある。律令制下の市域は,武蔵国橘樹郡を中心に北西部(多摩区西部)は多磨郡,南西部(麻生区)は都筑郡,南東部(川崎区の一部)は荏原郡に属していた。



●県民性

 開放的で民主的。先取的な県民性をもつ神奈川県の風土は,「起業力」「起業意識」をもち「起業意欲に燃えた挑戦者」を育む土壌を持つ。なお,個人主義が徹底し,革新的で保守政党を好まぬ気風が強い。
 
 近年,神奈川県は東京の郊外として発展し,『埼玉都民』『千葉都民』と並んで『神奈川都民』と呼ばれる新住民も増えている。千葉,埼玉と異なる点は,神奈川県民は東京にコンプレックスを持っていないが,ライバル意識は強い。 
 
 横浜市は,国際的な港町として神戸に似ている。横浜生まれの人は誇りを持ち,自分達を『ハマッコ』と呼ぶ。ハマ子は,社交的で開放的であり,新しもの好き,革新的で保守政党を好まぬ風潮が強い。反面,人と競争したり,我慢したりすることに欠ける。 
 ハマッコは。東京人以上に都会的でクールだといわれる気質は,日本の玄関口として海外から進んだ文化を取り入れてきた港町気質でもあろう。 

・よこすか海軍カレー

 横須賀市では、1999(平成11)年5月に「カレーの街」宣言をして、海軍カレーのPRに力を入れている。横須賀市は,上自衛隊の母港として知られる街である。昔から広島県の呉、長崎県の佐世保、京都の舞鶴とともに海軍とゆかりが深い。そんな横須賀市で、興味深いご当地料理が「よこすか海軍カレー」。

 カレーライスと聞いて,海軍を連想することは,まずない。ところで,日本におけるカレーの歴史に海軍は大きく貢献している。一説には、日本で食べられているカレーライスの原型が海軍カレーだとも言われるほど。起源の真偽は別としても、海軍とカレーの長く深い関係があるようである。
 海軍でカレーを食べるようになった理由は、長い航海が引き起こす病気「脚気」にある。生鮮野菜が食べられない、航海中に起きやすい病気である。明治初期の記録によると、軍人で一番多い病死原因に脚気が挙げられている。軍医たちは脚気の原因をビタミン不足であることを突き止め、英国海軍の食事を参考に航海食が見直した。このとき、採用された食事の一つがカレーライスの原点とされるカレーシチューだった,というわけである。

 カレーと日本人の出会いは、江戸時代までさかのぼる。カレーに関する記録で最古のものは1863年(文久3年)、江戸幕府の遣欧使節に参加していた三宅秀がつづった渡航日誌だという。三宅は「飯の上に唐辛子細味に致し、芋のドロドロのようなものをかけ、これを手にて掻き回して手づかみで食す」と、乗り込んだ船の船員たちがカレーを食べる様子を書き留めている。

 当時の日本人には、カレーを手で食べる(インド南部で一般的なカレーの食べ方)ことが珍しく見えたようで「至って汚き人物のものなり」との記述もある。日本人にとって、カレーの第一印象良いものではなかったことが分かる。


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神奈川の小京都

湯河原町(さがみの小京都): 万葉集にも歌われた名湯で知られる温泉地。京都仙洞御所の庭園内に敷き詰めた石の産地
である。  

●神奈川の方言

「書き込み中』。

●ランキング・日本一

 00(平成12)年の国勢調査の人口8,489,974人( 男 4,308,786人,女 4,181,188人)である。 人口は,平成7年国勢調査に比べ ,244,074人,3.0%(全国第3位)増である。男女別では,男性が127,598人で,性比(女性100人に対する男性の数) は,103.1と,全国一高い。
 年齢3区分別では,年少人口(0〜14歳)は,1,184,231人,13.9%で,国勢調査開始以来最低の割合である。生産年齢人口(15〜64歳)は,6,121,470人,72.1%(全国第2位)であり,老年人口(65歳以上)は, 1,169,528人,13.8%である。外国人は,99,251人(総人口の 1.2%),7年調査に比べ 12,851人,14.9%の増加。国籍別では,韓国・朝鮮が 28,437人,28.7%,次いで中国が 22,209人,22.4% である。                     

・豊富な観光資源で入込需要もトップ
 

 神奈川県には,豊富な観光資源があることから県外から自動車等で移動してくる人口も多い。観光入込客数は全国で第1位。経年的にも増加傾向にある。観光資源の種類も豊富であり,都市型(横浜・川崎),海洋性(湘南・三浦),山地系(箱根・丹沢)といった周遊パターンがある。

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