Baghdad Burning

バグダードバーニング by リバーベンド

... I'll meet you 'round the bend my friend, where hearts can heal and souls can mend...

友よ、私の心が失われあなたさえ見分けることができなくなったら、どうか私を偉大な文明をはぐくんだ、チグリス・ユーフラテスの胸元に連れて行って欲しい。そこで私は心を癒し、魂を再生させるでしょう。

2006年5月31日水曜日

ムクタダばんざーい・・・

イラクをよそに世界はワールドカップに向けた準備をしている。わたしのところにも、応援するチームの旗やバナーを持った人々の写真がe-メールで送られてきている。そう、わたしたちにも旗やバナーがあるわ−バグダード中に、死とお通夜を告げる穴のたくさんあいた黒い横断幕。通常、旗は全て単色で、宗派か党派をあらわす黒、緑、赤、黄色などが使われている。

ある旗のことで、カラダ地区に店を持っている友人に、先週ちょっとした問題があった。 戦争前、カラダはバグダードで一番の商業地域のひとつだった。靴、じゃがいもの皮むき器、ピンクのマニキュア、それにブランクCDを1ダースなど、種々雑多な品物の買い物リストを持って行く場所だった。そこでは1時間以内に必要なものすべてを確実に見つけることができた。

戦後すぐ、SCIRI、ダーワ党、それに他の宗教党派が、その地域に事務所を開いた。かつて色とりどりの服や、化粧して着飾った女性のポスターで飾られていた店は、どんどん控えめになっていくようになった。すぐに、ディオール香水の宣伝のチャーミングな女性の写真の代わりに、黒衣に包まれた半分死人のように見えるシスターニーの写真、でなければ、ディオールとはほど遠い匂いにちがいない暗くてぞっとするサドルの写真が店に掲げられるようになった。

その友人は小さな化粧品の店を持っていて、口紅からヒジャーブまで何でも揃えている。彼のアパートは店の右上にあるので、居間の窓から見下ろせば、誰が店の前に立っているかわかる。Gは化粧品ではなく裁縫材料の店を経営していた父親から店を引き継いだ。彼の家族は20年近く店を経営していて、戦争の前は彼の妻と姉妹が店をきりまわしていた。彼女たちは化粧品の歴史において、最高の商売上手だったってことを請合うわ(わたしが4年前買った派手なスカーフを衣装ダンスから一度も取り出したことがないってことが、その証拠よ)。戦争の後、脅しの手紙を送りつけられたり、窓を壊されたりしたことから、G自身が店を経営するようになり、彼は化粧品に加えてアバヤやヒジャーブなど、ほどほどに地味な商品をどっさり持ち込んだ。

最後にわたしが彼の店を訪れたのは2週間前だった。1月からというもの、その店は一部の人たちのちょっとしたサッカーの催しの中心になっている。彼はサッカーに熱中するあまり、Eやいとこやその他さまざまな友人たちが、プレイステーションのFIFAトーナメントをやれるように、2時間も早く店を閉めるまでになった。こうしたトーナメントでは、たいてい、大のおとなたちが画面を囲み、デジタルボールの周りを走り回る小さなデジタル人間を操り、叫び声をあげてお互いに激励したり侮辱したりするのだ。その時間帯に、もし何かを買うために店の中を見て歩こうものなら、放り出されるか、「持ってけ、持ってけ。何でも持って早く失せろ!」って言われるのがおちよ。ワールドカップの年になると、Gと彼の妻は、一人息子の名前をその年の最優秀サッカー選手のものに変える変えないで、冗談半分にけんかしている(妥協案として、家族と友人たちは彼の14歳になる息子を、ゲーム期間内だけ“ロナウジーニョ”と呼ぶことで合意した)。

15年ちかくカナダに住んでいるGのいとこが、最近店のウィンドウにかけるのにぴったりの、大きくカラフルなブラジルの旗をGに送ってきた。Gはそれをおもての真ん中に下げて、下に大きい太字で「ブラジル万歳!!」とペイントしようと思っていると話した。旗に合わせて展示の色を緑や黄色に変えるんだと意気込んで説明するGを見て、Eは心配そうだった。

話は問題の起こる丸2日前にさかのぼる。最初の兆しは隣人のアブー・ラッスールからもたらされた。彼は店に立ち寄ってこう言った。なんでも、黒いターバンの若い聖職者が店の前を通り過ぎたのだけれど、ウィンドウの旗に注意をひかれて足が止まったのだそうだ。彼はしばし旗を見つめていたが、やがて店名と場所をメモして戻っていったということだった。Gは「なに、多分彼もブラジルのファンなのさ...」と肩をすくめただけだった。アブー・ラッスールは「むしろ‘サドル万歳’といったタイプに見えたがなあ...」と首をかしげていた。

次の日の午後、Gのところに若い黒装束の聖職者が訪問してきた。彼は店に入るとそっけなくあたりを見回した。Gはしきりに素敵なヒジャーブやアバヤで彼の興味をひこうとしたが、聖職者は自分の本分に忠実だった。いくつか通りを隔てたところにあるサドル報道局の「代理人」であると彼は名乗り、Gへの伝言をことづかっていた。くだんの事務所の人々がGの展示を喜ばしく思っていないというのだ。つまり、国に対する誇りがどこにあるのか?いったい宗教の自覚があるのか?異教徒である選手の顔写真ではなく、初代サドルの写真−あるいはムクタダの方がもっと良いが−を掲げるべきだろう。なぜ外国の旗なんぞを低俗にもショーウィンドウに貼り付けるのだ?旗が必要と思うのならば、イラクの旗を掲げればいいだろう。飾ってあるような緑の旗が要るのならば「アル=イル・バイト」という民衆のための緑の旗があるだろう。他に選択の余地などないはずだ。

Gはとても不愉快だった。彼はその聖職者に「解決策」を見つけておくと言って、安ものの男性用スリッパ何足かと、時々安売りする綿のシャツをご機嫌取りに差し出した。その夜、彼は親戚や友人たちに相談した。ほとんどみんな旗を降ろすよう助言したが、彼は主義の問題として、降ろさないと言い張った。彼の妻はゲームが終わるまでの間、彼が楽しめるように、旗をカーテンかベッドのシーツにすることすら申し出たが、彼は聞く耳を持たなかった。

二日後、かなり芝居がかった警告の手紙がおもての大きなアルミドアの下に差し入れてあるのを見つけた。簡単に言うと、彼や彼のようなものたちは「異教徒」であると断定し、旗を降ろすよう命じる。応じなければ身の安全を保証しないというものだった。Gみたいな男は並大抵のことでは動じないのだけれど、その日のうちに彼は旗を降ろし普段の展示にもどした。

結局のところ、ムクタダはサッカーに対するファトワ[訳注:法学者による、一般信徒からの質問に対しての法学的な回答]を出した。私はそれをダウンロードしたけど、以下はその翻訳。誰かが彼にサッカーとワールドカップについて、ファトワを求めた回答だ。

「実に、この話題についてのわたしの父の見解は完全なものであった...父だけでなく、シャリーア[訳注:イスラーム法]も、信者がいつも礼拝をし、礼拝に専念するためには、心身が支配されてしまうようなこのような活動を禁じている。親愛なる者たちよ、西洋は自分自身を満たす(完全にする)ことを阻害するものを作り出した。彼らは我々に何をさせようというのか?ボールの後を追いかけるだと?親愛なる者たちよ...、それに何の意味があるのか?大の男が、ムスリムが、ボールの後を追いかけるのか?親愛なる者たちよ、この「ゴール」と呼ばれているもの...もし走りたいならば、高貴なゴールに向かって走りなさい。あなたの品位を落とすようなそれではなく、あなたを完成させる高貴なゴールに向かうのだ。ゴールをあなたの心に抱いてそれに向かって走りなさい。そして神のご満悦を得るというゴールに向かって、全ての人々はそれぞれの道に従いなさい。これがひとつ、そしてふたつめにもっと大切なこと。我々は西洋、特にイスラエル、親愛なる者たちよ、ユダヤ人たちがサッカーをするのを見たことがあるか?アラブ人がしているように彼らがゲームをするのを見たか?彼らはサッカーやほかのことに我々をかかりきりにさせ、自分たちはそれから離れている。イスラエルチーム(彼らに呪いあれ)がワールドカップに出たなどということを聞いたことがあるか?あるいはアメリカは?ほかのものにゲームをさせておくのだ...彼らはそれらを使って我々を占領してきた−歌やサッカーや煙草、そんなものでだ。衛星放送を冒涜的な事柄のために使って、その一方で彼ら自身は科学によって占領されている。親愛なる者たちよ、彼らが我々より優れているとでも思うのか?−いや、我々のほうが彼らより優れている。」

重要な注釈:イスラームのシャリーアはサッカーやスポーツを禁止していない。−ムクタダの暗愚でちっぽけな頭版シャリーアで禁止されているだけ。いったいテニスや水泳やヨーガについてはどう思っているのかしら。

わたしはサッカーについての彼の感情的なファトワを聞いて、笑うべきか泣くべきかわからなかった。ムクタダによれば、外国の占領と操り人形政権の一部を担う−そういうことはOK。でもサッカーは、おわかりのように、文明の終わりってことになる。彼を見るとブッシュを思い起こしてしまうのは可笑しいわ。彼らはお互いちっとも似てないのに。彼はふたつの文章をまともに繋ぐことすらできないっていうのに、何百万もの人々が彼の言葉を法律として受けとっている。まさにブッシュが「自由に選ばれた」「新生(雛鳥)イラク政権」の発足を褒めちぎる時、ムクタダを見てみれば、雛鳥の一羽だってことがわかる。彼は目下彼の信奉者にとって、この雛鳥政権の国で最も力を持つ者のひとりよ。

そんなことで、これが民主主義。これがブッシュの民主的イラクの偉人のひとりってわけ。

サドルの私兵集団は、現在イラクの一部を支配している。ちょうど2日前にバドル旅団に手伝ってもらって、彼らは、カルバラの南方にある町の市場に女性を入れないようにしていた。店主たちは、女性が市場に入るのを許されないんじゃ商売があがったりだと不平をこぼしていた。新生イラクへようこそ。

わたしたちがどんな風に変わってしまったのかを見るのは、おぞましさに笑えるが、心がかきむしられることでもある。ムクタダ・アッ=サドルはこの3年間で私たちがどれほど退行させられてしまったかを示す秤だ。イラン−イラク戦争や経済制裁の間でさえ、人々は当座の暮らしから気持ちを紛らわすためにスポーツをしていた。占領後、どこぞとのサッカーの試合に勝つと「そら、戦争には負けたけど、サッカーでは勝ったぞ!!」と言って自らを慰めたものだ。かつて、スポーツ−特にサッカーを楽しみ尊重していた国が、もし選手のパンツが長すぎるだの、スポーツファンはみんな永遠に地獄に行くのでは...なんて憂慮する国になったら...まさにわたしたちはそうなってしまった。

午前12時05分 リバー

(翻訳:ヤスミン植月千春)

2006年5月2日火曜日

アメリカ人人質・・・

2003年4月の10日か11日頃のこと。私たちの地域には、3月末から電気がきていなかった。水も止まっていたし、ほとんどのイラク人はまだ発電機を持っていなかった。私たちは昼も夜もアメリカやイギリスの戦闘機の音を聞き、街に侵攻する戦車の音に聞き耳を立て、そして祈っていた。私たちはまた、必死になってニュースを追おうとしていた。

イラク国営テレビ放送は存在を止めてしまったようだった。放映の状態は戦争が始まって以来ずっと悪かった―うまくアクセスできて、はっきりと見える時もあるが、なにかを引っ掻くように国歌が聞こえる中に顔がいくつか、ぼやけて不鮮明に映るだけという時もあった。イラク公営ラジオ放送も同じようなものだった―火星から放送しているかと思える時もあった―それくらい音が遠かった。たまにはっきり聞こえても、その内容はまったく意味をなさないものだった。サッハフ情報相は「バグダードに戦車はいません!」と言ったものだ。それなのに、その他に言うことといえば、爆発や、家族が中にいるままで焼かれてしまった車の残骸の山のことなのだ。

4月初め頃には、私たちはテレビから情報を得ることをあきらめ、モンテカルロ、BBC、ヴォイスオブアメリカなどのラジオ局が流すニュースに完全に頼らざるを得なくなってしまった。VOAはサッハフと同じくらい役に立たなかった―放送されるニュースが事実なのか、たんなるプロパガンダなのか、まったく判断がつかなかった。VOAはニュースの合間に同じ曲をなんどもなんどもなんども流していた。私は今でもセリーヌ・ディオンの「ア・ニュー・デイ・ハズ・カム」を聞くと、身が震えてしまう。頭の中に戦争の音が響くのだ。「私は待っていた…」頭上で戦闘機があげるうなり声…「奇跡が訪れるのを…」ミサイルのブーンという音…「私の心が告げるのよ。強くなれって…」カラシニコフ47のダダダダッという発射音…。いまでは私、この歌が大っ嫌い。

戦争が始まってからずっと放送を続けていたテレビ局に、「アル=アラム」というイランのテレビ局があった。彼らは、前の政府の許可を得て、イラクの一般市民のためにアラビア語で放送をしていた。そして、イラクのテレビ局が止められた後も放送を続けていた。彼らの戦争報道はまあまあ中立的だった。事実を伝え、不要なコメントや意見は避けていた。そのため、一定の範囲までではあるけれど、信頼することができた―ことに、私たちには他の選択肢がまったくなかったので。

一、二のラジオニュースではサッダームの像が引き倒されたといっていたが、その映像を観た人はまわりにいなかった。電力不足で誰もテレビを観られなかったからだ。イラク人の中には、古いテレビを引っ張り出して車のバッテリーにつないだ人もいた。1991年のときにやったのと同じだ。Eといとこは、去年の春の大掃除のときにおばが捨てるのをぎりぎりで踏みとどまった古い小さな白黒テレビをやっとのことで発掘した。ふたりはそのテレビを接続し、20分ほどかけて、映るようにした(徹底的にほこりをとったあとで、ね)。イラクのテレビ局はもはや存在していなかった。やっていたのはイランのテレビ局だけだったが、鮮明な映像を放映していた。戦車がバグダード中を走り、路上のあらゆるものを砲撃する。アパッチ[米軍攻撃用ヘリコプター]が低く飛ぶ。銃撃と爆発は一時間ごとに激しくなっていっているようだった。

私たちがついに、サッダームの像が米軍によって引き倒される映像を観たのは、4月11日夜9時ごろだった―サッダームの顔にはアメリカの国旗が貼られた。戦車に乗ったアメリカ兵が見守り歓迎するなかで、男たちの大群がバグダードを略奪し焼き払っているのを観て、私たちは衝撃を受けた。今にして思うと、私たちが初めて「バグダード陥落」とイラクの占領を見たのが、イランを介して、つまりイランのテレビ局を通してだったのは、なんとも皮肉なことだった。

すぐにイラン革命防衛隊のうわさを聞くようになった。それから、イラン革命防衛隊が、イラン−イラク戦争のときにイランに亡命したイラク人たちをいかにして私兵集団に組織したか、ということを聞いた。彼らはすでにイラクの国内にいて、政府の機関から博物館まで、あらゆるものを略奪し、焼き払うのを手伝っていた。ハキームとバドルがお目見えを果たし、それに続いて私的な護衛と私兵集団を連れた法学者たちがやってきた。みんなイランから入り込んできたのだ。

今では彼らがイラクを支配している。3年という期間を費やし、狂暴な私兵集団、暗殺、誘拐を用いることによって、彼らはしっかりとグリーンゾーンに根を下ろすのに成功した。新しい操り人形たちが、シリアやサウディ・アラビアやトルコに対して文句を怒鳴り散らすのを、私たちはしょっちゅう聞く。自分たちが権力の座につかせてもらったことを感謝しなくてはならない国、アメリカに対してさえも…けれども、誰一人として、イランがこの国でやろうとしている役割については触れようとしない。

ここ数週間、イランがイラク北部―イランとの国境地帯にあるクルディスタンの一部を攻撃しているということだ。数箇所が爆撃を受けたが、さまざまな情報源によれば、千をもって数える規模のイランの軍隊がイラクとの国境地帯で待機しているという。これに先立って、イラン革命防衛隊がディヤラなどの地域やバグダードの一部にさえも潜入しているといわれている。

一方で、新しい操り人形たち(変わりばえのしない古い操り人形を使いまわしているにすぎないけど)は、数ヶ月かけてようやくだれが首相の役を演じるかを決めたら、こんどは「主たる」省庁をめぐり、どの政党がどの省庁を手に入れるかで激論を繰り返している。その背景には、たとえばSCIRIから大臣に任命されるや否や、その大臣が「身内の人々」を重要なポジションにつけてしまうということがある―親戚、友達や取り巻き、そして、もっとも重要なのは、自分の私兵集団。アル=マリキが首相になったとたん、彼は自分の武装集団がイラク軍の一部となると宣言した(イラク軍というのは、バドル旅団とサドル派のならずもの集団のことだけを指す)。

数日前、私たちは、新首相任命後に行われた儀式のひとつを観た。グリーンゾーンにある広い部屋で、タラバーニーが数々の政治家たちの前に立ち、少々あつかましくもこう言ったのだ。イラクはいかなる「タダハル」、つまり周辺諸国によるいかなる干渉も容認しない、なぜならイラクは「外国の影響を受けない主権国家」だから、と。いとこは笑いすぎて失神しそうになったし、Eはというと、涙をふきふき苦しげにあえいでいた…タラバーニーがでっぷりとしたお腹を揺らし、にやにや笑いを浮かべながら、もったいぶって声明を読み上げていたとき、彼に微笑み返していたのは、米軍の司令官たちの一団だったし、彼の左にはハリルザード[駐イラク米国大使]がいて、愛情をこめて彼の腕を軽くたたき、父親が長男を見るようなまなざしで彼を見つめていた!

というわけで、イラク人が数百人単位で亡くなっていて、至る所で死体が見つかっているときに(先週は、いとこの娘が通う学校の前の広場で男の死体が発見された)、イラクの操り人形たちは、だれが、どの省庁で、窃盗行為をしていいのか決めることに時を費やしている。とにかく、公金横領は軽々しく取り扱われるべきではない―十分に考え、議論されるべき事項だ―たとえ国ががたがたになっているとしても。

新生イラク軍に関するニュースについていうと、ブッシュやその仲間たちが描くように順調には進んでいない。きょう、私たちはアンバル州で行われたイラク兵の卒業式の映像を観た。儀式はつつがなく行われていた。終了の直前までは―司令官が、兵士たちはさまざまな地域に配備されると告げたとたん、大混乱になった。兵士たちは作業服を脱ぎ捨てて振り回し、上官に毒づき、怒鳴り声をあげ、もみ合った。彼らは、それぞれの地域で軍に登録した際に、自分の出身地域内に配備されるという約束を得ていたのだ―それは筋の通った話だ。ニュースでは、目下のところ彼らはストライキに入っているということだ―自分の出身州以外の地に配備されることを拒絶して。

彼らが配備されることになっていた「地域」って、イラク北部のことじゃないかと疑わずにいられない。ことに、イラン軍が国境に待機している地域…数日前、タラバーニーはクルディスタンを守るのはイラクの責務であると宣言した。私はこの変化に全面的に賛成する―なぜなら、クルディスタンは、まぎれもなくイラクの一部だからだ。タラバーニーがこの宣言をするまでは、クルディスタンを守るのはペシュメルガ[クルド人民兵。クルド語で「死に直面する者」の意]だけだろうとずっと思われていた―それでは、イランを相手にして、十分とはとてもいえない。

大きな問題がある―アメリカはイランをどうするつもりなのか?爆撃などの可能性が示唆されている。私はイラン政府を憎んでいるけれども、イランの人々が、空爆と戦争がひきおこす混乱や痛みを受けるいわれはない。でも、私はこのことをそれほど心配していない。なぜなら、もし、あなたがイラクで生活していたら―アメリカが両手を縛られているとわかる。ワシントンがテヘランに対して行動を起こすや否や、イラク国内の米軍は襲撃されるだろう。とても単純な話よ―ワシントンは立派な武器や戦闘機を持っている…けれども、イランは15万人のアメリカ人人質を手中にしているのだ。

午前12時59分 リバー

(翻訳:いとうみよし)