Baghdad Burning

バグダードバーニング by リバーベンド

... I'll meet you 'round the bend my friend, where hearts can heal and souls can mend...

友よ、私の心が失われあなたさえ見分けることができなくなったら、どうか私を偉大な文明をはぐくんだ、チグリス・ユーフラテスの胸元に連れて行って欲しい。そこで私は心を癒し、魂を再生させるでしょう。

2006年2月27日 月曜日

一触即発の日々・・・

外出禁止令が出ているにもかかわらず、ここ数日、不安で暴力的な状況が続いている。私たちは家に留まり、ただこの状況が変わり、好転することを待ち望んでいる。電話は通じないし電力事情もよくならない。でも、今の私たちにとっては、電気や電話や燃料のことなんてちっぽけな悩みに思える。近頃はこうしたことについて文句を言うことすら、イラク人には手の届かないぜいたくなことになってしまった。

発砲と爆発の音はたいてい夜明けに始まる。少なくとも私が最初に音を感じるのは夜明けからだ。その音は夜遅くまで絶えることがない。一昨日、私たちの住む地区の近くにある大通りで小さな銃撃戦があった。けれども、地域のモスクが襲撃され、夜明けに死体一体が3つ先の通りで見つかったのを除けば、状況は比較的穏やかだ。

近所の人たちは、男たちが地域の警備をするかどうか議論を続けている。地域の警備は戦争中や戦争直後の混乱期にもやったことだ。今回やっかいなのは、モスクや家やお互いを攻撃しているフードをかぶった黒装束の男たちと同じくらい、イラク治安部隊を恐れなくてはならないという点だ。

ここ数日、スンニ派とシーア派の人々がすばらしい連帯を見せているので、これが内戦だなんて思えない。私は法学者や狂信的な人々や政治家ではなく、ごくふつうの人たちのことをいっている。うちのあたりはスンニ派とシーア派が混じり合って住んでいるが、スンニ派の人もシーア派の人も一様にモスクと聖廟が攻撃されたことに激怒している。電話が通じなくなっているので、私たちはすこぶる原始的な通信手段を取り決めた。この地域のどこかの家が襲撃されたら宙に向かって3回空砲を撃って知らせるのだ。もし空砲を撃つという手段がとれなければ、そのときはその家の誰かが屋上にあがって事態をまわりに知らせなくてはならない。

モスクも苦境に陥った際の合図を用意している。それは、攻撃を受けた場合には、祈りを呼びかける役目の人が「アッラーフ アクバル[全能のアッラーほど偉大な方はいない]」と3回叫ぶというものだ。それを聞いた地域の人々が、モスクや巻き込まれた人を守るためにかけつけるというわけだ。

昨日、スンニ派とシーア派の聖職者がモスクで一緒に祈りをささげるようすがテレビに流れた。力づけられる光景ではあったが、私は怒りを抑えることができなかった。なぜこの人たちは、自派の私兵集団に対してひとこと、撤退しろといわないのか。モスクやフサイニーヤ[訳注:シーア派のモスクの一種。2005年2月18日の記事参照]への攻撃をやめろといわないのか。人々を恐怖に陥れるなといわないのか。テレビに映し出された光景はあまりに嘘っぽく、空っぽに見えた。まるでよその国の平和な情景のようだった。イラク政府はうろたえているようなふりをするばかりで暴力と流血に歯止めをかけるためになにもしていない。外出禁止令を出しただけ。それに、アメリカ人たちはこの中でいったいどこにいるの?手をこまねいて成り行きに任せているだけ−たまにヘリコプターがあちこち飛んでいるけど−でも、だいたいは知らん顔してる。

私はひたすら読み、聞いている。内戦の可能性について。可能性、だ。けれども私はこういうのが内戦っていうものかもしれないと思ったりもしている。それが現実のものになったのだろうか?1年、2年・・・10年・・・くらい経ってから、私たちは後を振り返って「2006年の2月にそれは始まった・・・」というようになるのだろうか?まるで悪夢のようだ。そのさなかには悪夢を見ていることがわからないのだから−はげしく動悸し、暗闇の中に一点の光を探し求めて目覚めた後になってはじめて、ああ、自分は悪夢を見ていたと気づくのだ・・・

午前2時27分 リバー

(翻訳:いとうみよし)

2006年2月23日 木曜日

緊張状態...

バグダードの状況はひどい。

住民のほとんどがスンニ派である町サーマッラーで、今朝モスクの爆破があった。このモスクはスンニ派にとってもシーア派にとっても神聖とされているのだが、イラク内でシーア派が訪れる最も重要な場所のひとつとされている。サーマッラーは、アッバース朝のカリフだったアル−ムッタスィムによって、バグダードの後アッバース朝の首都とされ、多くのムスリムたちや歴史家に神聖な都市であるとみなされている。

“サーマッラー”の名前は、アラビア語の“サッラ マン ラーア”に由来していて、“見る者すべての喜び”という意味。当時の偉大な都市の数々に優るとも劣らぬものにしようとアル=ムッタスィムが建設計画を立てた時、彼が命名したのだ。この都市を見る人々すべてにとっての喜びとなるように...という思いが込められている。60年間にわたってアッバース朝の首都であり、首都がバグダードに戻された後ですら、サーマッラーは代々のカリフの保護下で栄えた。


今日の爆発で破壊されたモスクは、“アスカーリ モスク”で、シーア派12イマームのうちの二人、サーマッラーで生活し、そこで死んだイマーム・アリー、アル=ハーディ(父)と、イマーム・ハサン、アル=アスカーリ(息子)が葬られたところと信じられている重要なモスクだ。[訳注1]モスクのあるところに、アリー、アル=ハーディとハサン、アル=アスカーリが埋葬されたと人々は信じている。多くのシーア派の人たちが、アル=マハディー“アル=ムンタダール”[救世主]がこのモスクから復活すると信じている。[訳注2]

何年か前...戦争の前、そのモスクに行ったことを覚えている。私たちは有名な“マルウィーヤ”塔[訳注3]を見るためにサーマッラーを訪れ、誰かがアスカーリモスクにも行こうと提案したのだった。私はその時ちゃんとした服装をしてなかったので気が進まなかった。ジーンズとTシャツがモスクを訪れるのに適切とは思えなかったのだ。私たちは町の小さな店に立ち寄り、私たち女性のために手頃な値段の黒のアバーヤ[長い上着]を数枚調達して、モスクに向かった。

私たちが到着した時は太陽がちょうど沈んでいくところで、モスクの外に立ち止まって、金色のドームと複雑な形のミナレット[尖塔]を賞賛したのを覚えている。それは夕日に映えてキラキラ揺らめき、オレンジ・金・白など無数の色で燃えたっているように見えた。信じられないくらい素晴らしい眺めで、その景色は平和で穏やかだった。普段私たちが訪れる宗教的な場所にありがちな、喧騒や騒音とは無縁の完璧な時間がそこにはあった。モスクの内部も私たちを失望させなかった...凝ったアラビア文字の書体と、もっと多くの黄金、そして絶対的な平和…そこを訪れる決心をしたことに私たちは感謝した。

今朝私たちはイラク治安部隊の制服を着た男がそのモスクに入って来て爆発物を起爆させたというニュースで目が覚めた。モスクはほとんど修復不可能なまでに破壊されたということだ。恐ろしくて心臓が破れそうだ。朝からバグダード中では発砲騒ぎだ。この近所の通りが不気味なほど静かで人影がなかったけれど、私たちみんなは、刃の上に居るような緊張を感じていた。バラディヤのような地区では、暴動や破壊行為などの問題があったことを聞いた。また、バグダードでモスクがいくつか襲撃されたことも。誰もが最も心配し動揺しているのは、待ってましたとばかりに反応がそのように迅速に起こったことだ。

毎朝、私たちはシーア派とスンニ派両方の宗教指導者たちが爆発について、「これはイラクの敵が望んでいることなのです、これこそが彼らが達成したがっている分割と征服なのです」と強調して話しているのを見たり聞いたりしている。極端なシーア派は極端なスンニ派を非難し、イラクはバラバラに崩れ落ち、外国人占領者と国内の狂信者の下に占拠されているかのように見える。

通りはほとんど閉鎖されていたので、今日は誰も働きに出るものはいなかった。状況は本当にひどい。みんなただ静観して静かに待っているというこういう緊張状態は、私の記憶にはないように思う。 このところの争いについてはさまざまなうわさでもちきりだ。それでもなお、私の知っている人々(スンニ派もシーア派も)を見ている限りでは、内戦の可能性なんてとても信じられない。教育を受け、教養あるイラク人は、お互いに相争うようになることを懼れているし、そんなに教育を受けていないイラク人でさえ、これがもっと不気味な氷山の一角であることを、しっかり意識している。

数ヵ所のモスクがマフディ軍に乗っ取られ、バドル旅団はいたるところにのさばっているようだ。明日はもう誰も出勤することも大学へ行くことも、どこかに出かけたりすることもできないだろう。

人々はおびえて用心深くなっている。わたしたちはただ祈ることしかできないでいる。

午前1時21分 リバー

[訳注1]:イマームはイスラームの宗教指導者のこと。12イマームとは、イマーム・アリーの子孫が代々のイマームであるべきだという考え方をする、シーアの12イマーム派で認められている12人のイマーム。12代イマームは現在は現世から隠れていて、終末のときアル=マハディー(救世主)として現れると信じられている。本文に戻る

[訳注2]:イスラームの伝承では、終末の前兆として、人々に最後の誘惑をしかけるアッ=ダッジャールと呼ばれるムスリムの敵を、再臨したキリストが倒し、さらにアル=マハディー(救世主)があらわれて、シャリーア(イスラーム法)による正義が実現するとされている。本文に戻る

[訳注3]:モスクの尖塔は通常はミナレットと呼ばれるが、“マルウィーヤ”は、特異な螺旋状をしていることで有名。 本文に戻る

(翻訳:ヤスミン植月千春)

2006年2月11日 土曜日

無法者どもの襲撃

数日前、私たちは従姉妹の誕生パーティーにおばの家に呼ばれた。Jは16になったところで、おばは私たちを遅い昼食とケーキに招待してくれた。とても小さな集まりだった...私を含む3人の従姉妹たち、私の両親、隣人でもあるJの親友。

昼食はとても美味しかった...おばはバグダードでも指折りのコックのひとりだろう。彼女はJの誕生日のために、イラク伝統料理で、私たちの好物であるドルマ(コショウその他の香辛料で味付けした米・肉・タマネギをぶどうの葉で包んだもの)、味付けご飯、詰め物をした鶏、それにサラダを準備してくれていた。ケーキは買ったものだったけど...それは人なつこそうな顔をした魚の形をしていた。Jの父親は彼女が魚座ではなく水瓶座だったことを忘れて選んだのだった。私たちが間違いを指摘すると「2月生まれはみんな魚座だと思ったんだよ」と、彼は釈明した。

ローソクを吹き消す時、電気が消え、私たちは暗闇で彼女を囲んで立ち、ふたつの違う言語で“ハッピーバースデイ”を歌った。彼女はギュッと目を閉じて短いお願い事をし、それから一息でローソクの火を吹き消した。彼女は贈り物を開け始めた...クマのパジャマ、男の子のバンドのCD、キラキラ飾りのついたセーター、赤やベージュの通学用バッグなどなど、典型的なティーンエイジャーへの贈り物だった。

でも彼女を一番喜ばせたのは、彼女の父親からのプレゼントだった。すべてを開け終わった後、彼は彼女に、小さいけれどかなり重い銀色の包みを手渡した。彼女は急いでそれを開け、喜びにあえぎながら言った。「お父さん、ステキだわ!」彼女は微笑みながら、それをガス灯にかざして見せびらかした。それは、コルク抜き、爪切り、栓抜きの全部揃ったスイス製のアーミーナイフだった。

「お前が出歩く時、護身用にバッグに入れて持ち歩けるだろ」と彼は言った。彼女は微笑んで、慎重に刃を抜きだして言った。「見て、刃が綺麗で、まるで鏡みたい!」私たちはオーッとかワーと言って賞賛し、T(別の従姉妹)は、スイス軍がピンク色のを作り始めたら、私も欲しいと言った。

私は16歳の誕生日に何を貰ったか思い出そうとしたけれど、それがどんな種類のナイフでもなかったことは確かだわ。

午後8時までには、私の両親とJの隣人は帰宅し、私とTと24歳の従姉妹はのこって、一晩一緒に過すことにした。Jの小さな弟を寝かしつけて気がついたら2時だった。彼は、分を超えてケーキとお菓子を食べ過ぎて、砂糖が彼を2時間ほど暴れん坊にさせたのだ。

私たちは居間に集まったが、おばと彼女の夫であるSおじさんは眠っていた。TとJと私は、ケーキを全部消化してしまうまでは寝ないと誓って、静かに喋ったり、ラジオで歌番組を捜していた。Tはぼんやりと携帯電話をいじって、友人にメールを送ろうとしていた。「あら、受信地域じゃありませんだって。これホントに私の携帯?」Jと私はふたりして自分の携帯電話を確かめた。「私のも使えないわ」Jが首を振りながら答えた。二人が私の方をみたので、私の携帯にも受信可能とでていないと伝えた。Jは突然何かを思い出したように「うぅ〜」と警戒するような声をたてた。「R、あなたの横にある電話をチェックしてみて?」私は横にある固定電話の受話器をあげ、息を殺して発信音を待った。何も聞こえない。

「発信音が聞こえない...でも、今日早い時間にはあったわ、私、インターネットにつなげてたもの」

Jは眉をひそめてラジオの音量を下げた。「前にもこういうことがあったわ」と彼女は続けた。「この地区が掃討作戦にあったとき」。突然シーンとなって私たちは耳を澄ました。何も聞こえない。いくつかの通りの先の発電機の音と、犬の遠吠えが聞こえる。でも、普段と何も変わりはない。

Tが突然背筋を伸ばして座りなおした。「あれ聞こえる?」大きく目を見開いて彼女は尋ねた。最初、私には何も聞こえなかったけれど、そのうち自動車か乗り物の音がゆっくり近づいてくるのがわかった。「私も聞こえるわ!」と、立ち上がって窓に駆け寄りながらTに返した。暗闇の中に、あちこちの窓越しにみえるほの暗いランプの光の向こうには何も見えなかった。

「ここからじゃ何も見えない、きっと大通りだわ!」Jは跳び上がって彼女の父親を揺り起こしに行った。「お父さん、お父さん、起きて。この地区に強制捜査が入ってるんだと思うの」Jが両親の部屋に走りながら叫ぶのが聞こえた。おじはすぐに起き、何時かねと尋ねながらスリッパとローブを探して歩き回るのが聞こえてきた。

その間に、車の音は大きくなってきた。私は2階の窓から近所がいくらか見えるのを思い出した。Tと私は静かに階段を這いあがった。おじが5種類の鍵をキッチンのドアからはずしている音を聞いた。「おじさんは何をしてるのかしら?」とTが尋ねた。「ドアには鍵をかけておくべきじゃないの?」私たちが窓の外を見ると、いくつかの通りの先に照明がきらめいているのが見えた。何軒かの家に視界を遮ぎられて彼らがどこから来たのかはっきりとはわからなかったけれど、何か尋常でないことがこの一帯で起きていることは確かだった。車の音はますます大きくなり、それと共に、ドアがガチャガチャ鳴り、時々照明が閃いていた。

私たちがドタドタ階下に降りると、Jとおばが暗闇であわてふためいていた。「どうすればいい?」そわそわと手をもみながらTが尋ねた。一度だけ私はおじの家で強制捜査に遭った経験があるが、あれは2003年のことだった。それにアメリカ人によるものだった。イラク人によるものと思われるものに遭遇するのは、これが初めてだ。

おばは穏やかではあったが、憤慨しているのがわかった。「ろくでなしたちの、この地域での強制捜査は、この2ヶ月で3度めよ。私たちにはいつまでたっても平和も静寂もないわ。」寝室のドアの前に立って私はおばがベッドを整えるのを見ていた。彼らは、スンニ派、シーア派、キリスト教徒の入り混じった隣人の中で暮らしている。このあたりは80年代後半に開けた比較的新しい地域なのだ。ほとんどの隣人たちはお互いに長年見知っている。「私たちにはあの人たちが何を求めているのかわからないわ...ラー イラーハ イッラッラー(神は唯一である)」[訳者注:どうしてよいかわからない時や助けを求める時など、イスラーム教徒は無意識にアッラー(神)の名を唱えている]

彼らが準備するのを見ながら、私はぎこちなく立っていた。Jはすでに彼女の部屋で着替えながら、私たちにも同じようにするように叫んだ。「あいつらが家に入ってきたとき、パジャマ着ていたくないでしょ」

「どうして?やつらはカメラ班でも連れてくるわけ?」と、Tが弱々しく微笑みながらユーモアを試みた。いいえ、とJがセーターを着ながらくぐもった声で答えた。「前回やつらは、寒さの中、外で私たちを待たせたのよ」私はおじのSが外にでて、道に面した門の大きな南京錠をはずしている音を聞き、「どうして鍵を全部はずしてしまうの、J?」と闇の中で叫んだ。

「もし3秒以内に門を開けなければ、けだものたちがドアを壊すからよ。それからやつらは庭と家中を荒らしまわるのよ...この前あいつらは3軒先のかわいそうなアブーHの家のドアをぶち破って、彼の肩を折ったの」Jは完全に着替えを済ませ、ジーンズとセーターの上にローブを羽織っていた。寒かった。

おばも着替えを済ませて、3歳のいとこBを運び下ろすために2階に行こうとしていた。「騒ぎで目を覚まさせたり、暗闇で彼の周りにろくでなしたちがいるのを見つけさせたくないからね」

20分後、私たちはみな居間に集まっていた。石油ストーブと隅にある小さなランプの光をのぞいて部屋は暗かった。私たちはみんな着替えて毛布にくるまり、神経質に待っていた。Tと私は床に座り、おばとおじは長椅子に座って、Bは彼らの間で毛布にくるまれていた。Jは彼らの向かいの肘掛け椅子に座った。もう午前4時近くだ。

部隊が近づくにつれて、外の騒音はだんだん大きくなってきた。ドアをあけろと怒鳴ったり、ドアを銃でガンガンたたく音が時々聞こえてきた。

前回のおばの地区の強制捜査では、彼らの住む通りからだけでも4人の男性を連れ去った。二人は20代初めの学生で、一人は法学部、そしてもう一人は工学部の学生だった。そして、三人目は60代初めのお祖父さんだった。罪状も、何の問題もなかった...彼らはただ外に出るように命令され、白い小型トラックに乗せられ、他の地区からの男の人たちのグループと一緒に連れ去られた。家族はそれ以来彼らの消息を聞くことはなく、彼らが死体で発見されることを予測して、日に何度も死体保管所を訪れている。

「何も問題は起こらないわ」おばは私たちひとりひとりを見ながら、厳しい表情で唇をかみ締めて言った。「あなたたちが余計なことを言わなければ、入ってきて、見回すだけで行ってしまうでしょう」彼女はSおじさんに目をとめていた。彼は黙っていた。彼は煙草に火をつけ、深く吸いこんだ。Jが言うには、彼は10年も煙草をやめていたのに、2ヶ月前にまた吸い始めたということだった。「身分証明書は持ってる?」要求されるはずなので彼に尋ねた。彼は答えなかったけれど、静かに頷いた。

私たちは待った、ただ待った...私はうとうとし始め、夢には兵士と車と袋をかぶせられた男たちが散りばめられた。「やつらはもう来るわ」というTの声で目が覚めた。3時間ほども眠ったかしらともうろうとした頭をあげた。腕時計にちらっと目をやると、まだ午前5時になっていなかった。「まだ来ない?」と私は尋ねた。

おじは台所を歩き回っていた。私は窓の前で止まったり、行ったりきたりする彼のスリッパの音を聞いた。おばはまだ寝椅子の上でBを腕に抱いて優しく揺らし、祈りを唱えながら座っていた。Jは最後のチェックをし、貴重品を隠し、ハンドバッグを居間に集めて、「前回やつらはお父さんの携帯電話を持って行ったわ。あなた達は携帯電話を身につけていてね」と言った。

心臓が耳の中で鼓動を打っているような気がした。そして石油ストーブの近くに行き、指やつま先にとりついて離れないような寒さを何とかしようと試みた。Tは毛布にくるまって震えていた。私は彼女にヒーターの方にくるように手招いたが、彼女は首を横に振って「わ...わたし......さ、さ、寒くないわ」と答えた。

彼らは10分後にやって来た。大きなガラガラいう音を庭の門で鳴らし「門を開けろ」と怒鳴り散らしながら。外にいるおじが大声で「開けます、開けます」というのが聞こえた。次の瞬間には、彼らは家の中にいた。突然家は、どかどかと足を踏み鳴らして部屋々々に押し入って怒鳴り散らす見知らぬ男たちでいっぱいになった。もう滅茶苦茶だった。庭に軍用懐中電灯が見えたかと思うと、光が玄関から入ってきた。おじが外で、彼の妻と「子どもたち」が家の中にいるだけだと、彼らに大きな声で言っているのが聞こえた。何を捜しているのか?何か不法行為があったのか?と彼は尋ねた。

突然、彼らのうちの二人が居間に入ってきた。私たちは全員おばのそばのソファに座っていた。いとこのBは目覚めていて、恐怖に目を見開いていた。彼らは大きな軍用懐中電灯を持っていた。彼らのひとりが私たちにカラシニコフ銃を向けて「お前らの他に誰かここにいるか?」と、おばに吠えた。「いいえ、私たちのほかには外であなたたちと一緒にいる夫だけです、家を調べればいいわ」Tが、どぎつく輝く軍用懐中電灯の光を遮ろうと手をあげたが、男の一人が怒鳴りつけたので、彼女の手は弱々しくひざの上におちた。まぶしかったので目を細めて窺ったところ、彼らはマスクをつけ、目と口だけを出していることがわかった。私は従姉妹たちをちらりと見て、Tがほとんど息をしていないのに気付いた。Jは凍りついたように座っていて、その目は何も見ていないようだった。私は彼女がセーターを後ろ前に着ているのにぼんやりと気づいた。

彼らのひとりは私達にカラシニコフ銃を向けて立っていて、他のひとりは戸棚を開け、中をチェックした。私たちは黙っていた。唯一聞こえるのは、おばの震えた囁くような祈りの声と、恐怖に目を見開いた小さなBが指をしゃぶる音。残りの兵士たちが家を歩き回り、タンスやドアや戸棚を開ける音が聞こえた。

外にいるSおじさんの声を聞きたかったのだけれど、耳障りな兵士の声が聞こえてくるだけだった。居間に座っている時が永遠に続くように思われた。どこを見ていれば良いのかもわからなかった。武器を持った男を見つめたらまずいとわかっているのに、その男のほうについ目がいってしまう。私は足元の新聞に目をやり、逆さから見出しを読もうとしてみた。Jを再びちらりと見ると、彼女の心臓は激しく鼓動を打っていて、私の母が今日贈ったばかりの銀のペンダントが、彼女の鼓動にあわせて、胸の上でドキンドキン波打っていた。

突然誰かが外から大声で何か叫び、それは終わった。侵入してきたのとほぼ同じ速さで彼らは立ち去った。バタンバタンとドアが閉まり、部屋はだんだん暗くなっていった。私たちは再び暗闇にとり残され、ソファから動く気力もなく、門の前に2人の男を歩哨に残して男たちが立ち去っていく音を座ったまま聞いていた。

「お父さんはどこ?」Jの言葉で、私たちは彼のスリッパの音が道から聞こえてくるまで、しばらくの間パニックに陥った。「お父さん連れて行かれたの?」彼女の声はうわずっていた。やっと家に戻ってきたおじは憔悴しきっていた。彼の顔は暗い家の中で見てもひどく青ざめているのがはっきり判った。おばは居間に座って静かにすすり泣いていた。Tが彼女を慰めていた。「どの家にも神聖な場所なんてもうないわ...眠ることもできないし、住んでいられないわ。家の中が安全でないっていうんなら、いったいどこに安全な場所があるっていうの?けだもの!ろくでなし!」

数時間後、私たちは2軒先の隣人が亡くなったことを知った。アブーサーリフは、70代の男性で、イラク人の傭兵が襲撃した時、心臓発作を起こしたのだった。 彼の孫はすぐに彼を病院に連れて行くことができなかった。なぜなら兵士たちは捜査がすむまで拘束していたからだ。彼の孫が後で言ったところによれば、その日のやつらの襲撃の間、アメリカ軍がこの地区を包囲して彼らを守っていた。これはアメリカ軍との共同作戦だったのだ。

彼らは、おばの地区だけからでも少なくとも12人の、19歳から40歳までの男たちを連行した。後ろの通りには50歳以下の男のいる家などひとつもない。弁護士、技術者、学生、普通の労働者達はみんな新生イラクの「治安部隊」によって連行されてしまった。彼らに共通する唯一の事実は、彼らがスンニ派の家族であることだ(確かではない2つの場合を除いては)。

私たちは衣類を洋服ダンスに戻したり、なくなったものの検査(腕時計、真鍮のペーパーナイフ、それからウォークマン)をしたり、絨毯の泥と土を掃除するのに一日費やした。おばは狂ったように「汚い、汚い、汚い...」と言いながら、何もかも掃除し消毒していた。Jは、二度と彼女の誕生日を祝わないと誓った。

ほんの1ヶ月前、おもしろいことがあった。私たちはどこかのアラビヤ衛星テレビの番組−たぶんアラビーヤだわ、でコマーシャルを見ていた...。そこではイラク治安部隊の広告をしていて、テロリストの襲撃があった場合、イラク人が通報することになっている電話番号をリストアップしていた。...強盗や誘拐からあなたを守る警察ならこの番号へ...テロリストからあなたを守る国家警備隊や特殊部隊へはこちらの番号へ...って、でもね...

新生イラクの治安部隊から守ってもらうためには、一体誰を呼べばいいわけ?

午前12時43分 リバー

(翻訳: ヤスミン植月千春)

2006年2月2日 木曜日

選挙の結果

イラクの選挙結果は、2週間ほど前に正式発表された。だが、どの政党が勝利をおさめるか、選挙のその日から誰の目にも明らかだった。イラク中で見られたいんちきのさまざまを数え上げようなんてさらさら思わない。そんなことうんざり。たっぷり1カ月以上も寄るとさわるとそのことばかりだったのだから。

イランにコントロールされたシーア派宗教会派が首位に立ったことは、意外でも何でもない。でもこの結果に驚いているように見えるイラク人たちにはびっくりだ。この3年間、こうなるのはわかってたんじゃないの? イラン影響下の法学者たちは、ちょうど2003年から決定的な力を握った。彼らの武装私兵集団は、新生イラク防衛軍を作ろうという動きが起きると即刻、内務省と国防省に組み込まれた。シスターニがことの最初からプッシュしてきたのだ。[訳注:シスターニは、シーア派聖地ナジャフに住むイラン生まれのシーア派最高権威]

悲惨な状況にあって人々が宗教にすがるのは、驚くようなことじゃないでしょ? 同じことは、世界のいたるところで見られる。津波、ハリケーン、地震、経済封鎖、戦争・・・そのさ中におかれた人々は神々に寄りすがる。多くの人にとって、たとえこの世のよすがすべてが滅んでも、至高の存在は不滅だからだ――いたって簡単なこと。

これは私の個人的な考えだけれど、多くのイラク人は3年に及ぶ占領にすっかり失望して、反アメリカ、反占領に1票をと思い宗教政党に投票したのだ。アメリカの政治家たちが自国民に何と言おうと、ラムズフェルドやコンディが我がへつらい政治家たちと何枚写真に収まって見せようと、ほとんどのイラク人はアメリカ人を信用していない。アメリカというものは、よくて弱小国に独善的な迷惑を押しつけ、最悪の場合は経済制裁を実施し侵略を仕掛けてくる好戦的な恐ろしい国だと思われている。

アメリカは助けに来てくれているというイラク人でさえ(もっともこういう人は日に日に少なくなってきているようだ)、イラク人のためを思ってではなく、自分たちの利益のためにやっているのだと考えている。

イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)やダーワ党のような、シーア派宗教政党は昨年、はっきりと姿勢を変えた。2003年、彼らはアメリカの味方だった。アメリカのおかげでイラク国内で勢力を保っていられるのだから。居座るアメリカにイラク人の我慢も限界になりつつある今日、彼らは自分たちが「占領者」になり替わると言い始め、治安が悪くどこもかしこも混乱しているのは、アメリカのせいだと公然と非難している。論調はまったく変わった。2003年、政教分離国家としてのイラクというのは、ふつうの話題だった。今はもう選択肢の一つでさえない。

2003年にジャファリは、イラクの女性が権利その他を失うのを許せないと言っていた。平等な権利とは決して言わなかったけれど、発言の中でイラクの女性には教育を受ける権利だけでなく仕事につく権利もあるとたびたび言及していたのは確かだ。ところが、2、3週間前テレビのチャンネルをあちこち回していたら、ジャファリがムスタンシリヤ大学(イラクの大きな大学のひとつで、バグダッド市内にキャンパスが分散している)の学生たちに話している場面に行き当たった。学生たちは見えなかった。たぶんペンギンの群にでも話していたのかも。カメラは、ずるそうな目とくぐもった声のジャファリの姿だけをとらえていた。 [ジャファリはイラク首相]

ジャファリの右に黒いターバンを巻き黒い長衣を着たアヤトラが座っていた。いかめしい顔をして、ジャファリが学生たち(ペンギンかも)に話している間、満足そうに頷いていた。演説は、科学のことでも技術のことでも発展のことでもなかった。天国と地獄、善と悪に関する宗教的訓話だったのだ。[アヤトラはシーア派上級宗教指導者の称号]

私はすぐ2つのことに気がついた。初めに気がついたのは、ジャファリは男子学生だけに向けて話しているようだということ。聴衆の中に女性は一人もいなかった。ジャファリは、そこにいないものとして、女性である自分たちの「姉妹たち」について語った。まるで女性にはその集まりに出る権利がまったくないかのようだった。次に気がついたのは、彼がシーア派だけに向けて話しているようだということ。なぜかというと、まるでそこにスンニ派がいないかのように、一貫して「スンニ派の兄弟たちは」という言い方をしていたからだ。ジャファリは、男性は女性を守らなければいけないこと、スンニ派は少しも悪くないことをめんめんと説いた。イラクの統一について、また宗教上の違いを言い立てないことの重要性について、いつ彼は話すのかと待ちかまえていた。が、これらについては一言もなかった。

こういう状況であるのに、脳天気な主戦論者、共和党員は、うまく進むといまだに思っている。うーん、そうだな、アヤトラたちがこの選挙に勝ったんだから、次の選挙こそうまくいくぞ、ってね。だが、そうはいかない。

イラクのような国における宗教政党や宗教指導者の問題は、政治的な支持者だけでなく、熱烈な信者である支持者たちを意のままにしていることにある。たとえば、ダーワ党やイラク・イスラム革命最高評議会(SCJRI)の支持者たちにとって、政策や公約や権力の座にあるあやつり人形といった次元の話ではないのだ。敬虔なカトリック教徒にとってのローマ法皇を考えてみるといい。神から授けられたと見える権利によってその座にある人物に質問したりしないでしょう。絶対に政策について聞いたりしないわね。

アヤトラって、そういうもの。ムクタダ・アル・サドルはこっけい。まるで舌が腫れ上がっているようなしゃべり方をし、いつも風呂へ入った方がいいような風体をしている。ペルシャ語なら自然に聞こえるのだろうと思えるアクセントで話す。それに・・・大勢の支持者を従えている。彼の祖父が宗派の大物だったから。イラクで最も教養のない、最も愚鈍な男のはずなのに、彼の命令で喜んで命を投げ出す人々を従えている。それもこれも一族の宗教的な背景のため。(アメリカの方たち、ご愁傷さま、1週間前、彼は万一イランがアメリカに攻撃されたら、郎党率いてイラン防衛のために独自に立ち上がると宣言したわ)

とどのつまり、こういう輩につき従う人々は、たとえ現在の指導者が並以下でも、天国と神のお告げは不変なのだからと自らに言い聞かせているのだ。つまり信仰、神の言葉に従うということ。どんどん悪化していく状況、一寸先は死という、戦禍に疲弊した国において生きるとき、よすがは神。だって、イヤド・アラウィじゃ電気も治安も回復できっこないし、万一車両爆弾に出くわしても、絶対天国に入れてくれるはずないじゃない。[イヤド・アラウィは前首相。今回の選挙では世俗勢力を率いたが少数派に転落]

 イラクのように多様な人々の暮らす国で、宗教政党が政権につくと、困ったことに人は無意識に、その政党つまりその宗派でない人間を遠ざけてしまう。宗教は個人的なもの。運命的に定められた何ものか・・・心、精神、霊に関わること。日々の営みの中には喜び招き入れられても、政治の道具とされてはならない。

宗教を非難することはできないから、神権政治(イラクは今まさにそのイラン型になるかどうかの瀬戸際)は日に日に強権的になる。政治家はもはや政治家ではない。アヤトラだ。現代の神の使いとなって、ただ尊敬されるのではなく拝跪される。彼らに異議を唱えることはできない。なぜなら、支持者たちにとっては、信仰への異議申し立てとなるのだ。ある人物や政党に対するものではなくて。

宗教政党を非難したりしたら、批判者あるいは「反対派」から一挙に不信心者へ、転落だ。

アメリカ人たちは私にメールでこう言ってくる。「だけど識見の高いイラク人なんて一体どこにいるの? どうして政教分離の政党に投票しなかったのよ」 識見ある人々は、2003年以来すっかり口を封じられているのだ。国を出るよう圧力をかけられ嫌がらせを受け、暗殺され、拘束され、拷問され、誘拐され・・・が続いてきた。その多くは、政教分離のイラクという可能性が信じられなくなってしまっている。

それにまた・・・宗教政党に投票した多くの人々は不見識、なんて言っていいだろうか? 実に識見高きイラク人で、ダーワ党やイラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)などの政党に対する批判を、自分に対する侮辱と受け取る人を私は何人か知っている。なぜなら、これら政党はシーア派という濃厚な宗派色を身にまとっていているので、これらに対する批判はシーア派全体に対する攻撃と受けとられるのだ。同じように、スンニ派の多くの人にとっても、スンニ派政党に対する批判は自分たちの宗派に対する攻撃である。

ここに、政治と宗教を結びつけることの危険性がある。人格に関わる問題になってしまうのだ。

選挙結果、つまりシーア派原理主義者たちが政権についているということは、あまりこだわって考えすぎないようにしている。そんなことをすると、心の内深く恐怖の感覚がいつまでも残るような悪寒でからだ中が震えてくるから。ちょうど突然の停電で、深い重量感のある無音の闇に投げ込まれたら、周りのかすかな音や動きにあまり集中しないようにするように。何だろう、何の先触れだろうかと暗闇に目をこらしていたら、気が狂ってしまう・・・

午前1時34分 リバー

(翻訳: 池田真里)