Baghdad Burning

バグダードバーニング by リバーベンド

... I'll meet you 'round the bend my friend, where hearts can heal and souls can mend...

友よ、私の心が失われあなたさえ見分けることができなくなったら、どうか私を偉大な文明をはぐくんだ、チグリス・ユーフラテスの胸元に連れて行って欲しい。そこで私は心を癒し、魂を再生させるでしょう。

2005年10月15日 土曜日
国民投票・・・


 そんなわけで国民投票は明日。そうね、もう今日だわ。

 このところいつも以上に停電している。政府は、この2日間、「電力不足」、「需要過多」などと言っていた。けれど、今日になって急に言うことを変え、「サボタージュ」だと決めつけた。ほんとうのところはわからない。私たちにわかるのは、バグダードの大部分が文字通り真っ暗だということだけ。いまは発電機に頼っている。この2日間、断水していた。ときどき庭の蛇口から10分か15分くらいしずくが落ちるだけ。少しの水も逃すまいと、とびきり大きななべを蛇口の下においている。

 木曜日から軍と政府関係の車以外の通行は禁止されている。これは日曜日まで続く。この日は「休日」に準ずると発表された。みんな家にいる。これほど治安対策がとられているのに、今日、爆破が数回あった。
 国民投票は、少々混乱しそうだ。延期すべきだと、みんな言っている。いまはその時でない、と。2,3日前、「最終」案だとされていた憲法草案(国連に提出されたもの)に、さらに修正が加えられた。スンニ派をなだめるためだったと言われている。

 問題なのは、修正が、実際にイラク人がこの憲法に同意できないと考えている点とは無関係だということだ(これについてはスンニ派もシーア派も同じだ)。「スンニ派代表」による交渉は、イラクはアラブかという点と、非バース党化をめぐって行われたらしい。また、次回議会選挙後、新政府と協議の上、憲法は変更されるとする条項が付け加えられた(驚くじゃない! まだこの上に!)。これで気が楽になったかというと、そんなことはない。もし、次回の選挙で「選出された」政府が、またもや非世俗、イラン支持だとしたら、恒久憲法になるはずの憲法に加えられる修正条項は、恐るべきものになるだろう。修正といったって、どっちにころぶかわからないのだ。

[訳注:非バース党化をめぐる交渉とは、サダム・フセイン政権下のバース党党員の公職追放緩和のこと]
[訳注:スンニ派との協議によるこのたびの修正が、10月15日に国民投票にかけられた草案には反映されていないため、次回選挙後に憲法を修正すると約束した]

 イラクがアラブだ(アラブ人が多数派だから)という点については、憲法に繰り返し述べられていないからといってあいまいにしない、ということになった。憲法協議をやっている人々は、もっと大事なことがあるのに、わざとどうでもいいことに集中しているみたいだ。イラクの統一を確かなものにするとか、イランのようなイスラム国家にならないよう保障するとか、もっと大事なことがあるのに。

 国民投票まであと数時間。なのに、いまだに多くの人々は、憲法草案最終バージョンを受け取っていない。スンニ派が多数の地域は、投票所が何キロも離れたところにしかないと不満を言っている。この人々の多くは車を持っていない。持っていたとしたって、日曜日まで使えないのでは、何の役にたつだろう。投票所というものは、どこでも簡単に行ける場所にあるべきだ。

 1月に戻ったような気がする。あの時も、モスルなどスンニ派地域の人々は、投票所がないとか、投票箱が集計センターまで届かなかったと訴えていた。

 アメリカのメディアは、この数日行われた土壇場の密談で修正が加えられ、おかげでスンニ派がころりと懐柔されたといったふうな報道を意図的にしているが、事実は違う。実際に憲法支持を表明しているスンニ派とは、イラク・イスラム党で、スンニ派のごくごく少数を代表しているにすぎない。

 教育のあるイラク人のほとんどは、憲法反対に投票したいと思っている。だから、海外にいるイラク人が今回投票を認められないということは、あれこれ不安をかきたてる。1月には、海外在住イラク人が、臨時政府を選ぶ選挙に投票するのはきわめて重要なことだった。それが、今回の国民投票に1票を投ずる必要はないとは、どうして? イラク国民の将来にわたる恒久憲法を決めるとされている国民投票なのに。海外在住イラク人の多くが、この憲法の連邦主義、女性の権利、イスラームに反する法は制定されないという規定を嫌っているのを、現イラン寄り政権は知っているのだ・・・なんて。

 イラク人は、宗教的指導者、地域によっては部族の長の言うとおりに投票することだろう。イラクの法規制の基となるべき文書について、納得し理解したとおりに投票するのではない。ホアン・コールはこのことをムクタダ・アル・サドルの例をあげて書いている。

 シーア派の若きナショナリスト、ムクタダ・アル・サドルは、信奉者たちに、憲法についてどうするべきかについては、カゼム・アル・ハエリ師(イランのコム[宗教保守派の牙城]に住む)の裁定を考慮するようにと指導している。彼によれば、これは、中立のイスラム法解釈(イジュティハード)が必要な問題だそうだ。

 これこそ私たちが必要としているもの。ザルメイ・ハリルザド駐イラク米大使が、憲法についてしゃべり立ててるだけじゃ、不十分。大衆を動かすための新たな法学者がいさえすればいい(それもイラン在の)。

 そうね、もう夜明け。疲れたわ。これをポストしようにも一日中接続できなかったので。

午前4時25分 リバー

(翻訳 池田真里)

2005年10月3日 月曜日

憲法をめぐる会話・・・



 憲法草案のふたつのバージョンを比較検討しようと、庭に出て座った。時刻は午後7時で、この日6度目に停電したところ。夕方から宵の内、発電機は止めて休ませておかれることが多く、発電機からの電気もない。日は沈みきっていないので、外はまだ明るいのだけれど、暑さは耐えがたい。

 イラクの家の庭にはたいてい、大人が3人も(子どもだったら5人も)掛けられるほどの古びて錆びた大きなぶらんこがある。ぶらんこはほとんど鉄製で、白いペンキがはげかかっていて、座席には土埃にまみれたマットかクッションが敷いてある。おかげで、立ち上がったとき、お尻に十文字模様の細い鉄格子の跡をつけなくてすむ。

 イラクの春と夏、暮らしは、このソファのようなぶらんこ(イラクの言葉では「マルジュハ」)を中心としてめぐっていく。夏も終わる頃になると、人々は庭のぶらんこのまわりにプラスチックの椅子を寄せ、折り畳みテーブルを囲んで、薄れゆく日の光の中で夕方のお茶を飲むことが多くなる。夜、停電しても発電機を回せないときは庭へ出、草に潜む虫にやられないよう足を上げて、ぶらんこに腰掛ける。

 大人たちは聞かれたくない話をするとき、ぶらんこ座る。親戚が集まったとき、親たちのうるさい目を逃れて、若い者だけで気楽にしゃべり散らしたいときもぶらんこに揺られる。どこの家庭にも、ぶらんこに集合した家族写真がある。どこの家の子どもも、一度はぶらんこから落ちるという経験をする。

 というわけで、4週間前、憲法草案の二つのバージョンを抱えて庭のぶらんこへ向かった。停電していたけれど、室内で灯油ランプをともすにはまだ明るかった。縞模様のクッションの土汚れを払い座り込むと、アラビア語版憲法を読み始めた。
 読み始めて5分ほどたつと、木のうちの1本から葉ずれのような音がしたので、思わず耳をそばだてた。音は、うちの庭と隣の家の車庫に入る道を隔てている塀の傍にある「トゥッキ」の木から聞こえてきた。木はうちの側にあったが、茂った枝の大部分は隣家のアブ=Fの側に伸びていた。

 トゥッキを英語で何というか知らないが、ベリーのような実のことといえばぴったりだろうか。黒に近い紫色だったり赤かったり白かったりする。熟すと甘酸っぱい味がする。うちのトゥッキは、赤い実がなる種類で、実は美味しいけれど、触れるものを片端から染めてしまう。アブ=Fの奥さんのウム=Fは、自分のうちの車庫に続く道が汚れるとしょっちゅう文句を言っている。ときどきウム=Fは怒りが高じて、錆びた刈込みばさみで木をやっつけにかかる。

 葉ずれの音に耳を澄ませ、またウム=Fだわと思った次の瞬間、まさしくそれが証明された。剣呑な刈込みばさみが両手に掴まれて、塀の後ろから姿を現したのだ。パチン、パチン、ポキッという音がして、中位の枝が隣の車庫入れの道に落ちていった。

 「ウム=F!!!」と、私は怒ってぶらんこの上から呼ばわった。「どうして、まだやるの? 先週、枝を切るのは止めるって話がついたでしょう」

 変わった機械仕掛けの鳥がくちばしを開いているような形で、はさみは空中で静止した。塀はほぼ180センチだったから、ウム=Fは塀のそばに煉瓦を積み重ねて、その上に立っていることがわかった。うちにもくだんの木の下に同じように煉瓦を置いていて、塀越しに話をする必要があるときは、我が家の煉瓦を使っていた。

 「うちの車入れの道がめちゃくちゃよ!」 ウム=Fが言い返した。「1週間もろくろく水がなかったことはわかってるでしょ。どうやって掃除すればいいっていうの。この憎ったらしいトゥッキの木ったら・・・」 ウム=Fははさみを振り回して、怒りを表明した。

 「先月トゥッキのジャムを作ったときは、憎ったらしい木じゃなかったじゃないの!」 私はぶらんこから降りて、ウム=Fと対戦しようと塀へ向かった。片手にはアラビア語版憲法草案(バージョン2.0)を持ち、もう一方の手には、ニューヨーク・タイムズの英語版草案を掴んで、すごい勢いでそれで扇いでいた。

 「ところでウム=F、憲法を見てみた?」 話題を変えようと、私は何気なく聞いた。
 「ええ、アブ=Fが先週だったか先々週に、新聞に載ったのを一つ、少し読んでくれたわ」と、気のない返事が返ってきた。そして、はさみをかざすと知らん顔をして、枝を2,3本切り落とした。

 「で、どう思った?」 私は知りたかった。私にはもうすでに私の考えがあったけれど、ウム=Fの考えを聞きたかった。
 「どうでもいいわ。憲法を作った。次にそれを承認する。私がどう考えたって、関係ないわ。うちの家憲だとでもいうの?」

 私は顔をしかめ、ウム=Fにアラビア語版を手渡そうとした。「だけど読むべきよ。読んで。ほら、これはってとこに印しをしたのよ。黄色はイスラムについて書かれているところ。ピンクは連邦制について、この緑のところは、よくわからないところ」 ウム=Fはうさんくさそうに眺めると、私の手から取り上げた。

 ウム=Fは20枚の紙の束をまっぷたつに引き裂くと、その片割れで塀の上を掃き始めた。もう一方をちり取りにして、塀の上に散らばった乾いてしぼんだトゥッキの実を集めた。「読んでる暇も根気もないわ。水はこないし、ずっと停電ばかり。アブ=Fは、3日がかりでまだガソリンを手に入れられない。このうえ憲法を読めって言うの?」

 「だけど投票はどうするの?」 憲法の紙束がトゥッキの汁で赤く縞状に染まっていくのを見ながら、私は聞いた。
 「ほんとに投票するつもり?」 ウム=Fは鼻で笑った。「投票なんてジョークよ。選挙を見たでしょう。この憲法を欲しい連中がいて、アメリカもそれを望んでいる。反対の投票をしたら、どうにかなるって思ってるの?」 ウム=Fは塀の上のしおれたトゥッキの実をきれいに掃除すると、それをうちの側へどっと放り込んできた。そして、土とトゥッキで汚れてしまった紙の束をまとめると、頬笑みながら返してきた。「どっちにしろ、これが役立たずの憲法だなんて言わせないわ。ほら、見てごらん、おかげできれいになったじゃないの! 憲法賛成に1票!」 これで、ウム=Fと刈込みばさみは退場。

 このとき私が思い当たったのは、私や海外や国内にいる知人の何人かが憲法にかまけているようには、必ずしもみんなが憲法なんかにかまっちゃいないということだった。みんな命を長らえ、仕事にありつき、こどもを学校に送っていくことでいっぱいで、憲法なんて大した問題ではないのだ。

 困ったことに。国民投票が近づくにつれ、ますます関心が薄れていくように見える。街の広告もテレビのコマーシャルも「憲法」一色で、ラジオやアル・アラビヤやアル・ジャジーラなどのテレビ局は討論番組を流しているのに、ほんとうの意味での国民の参加はない。

 8月には、国民投票に対してもっと熱気があった。クルド人と、イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)やダーワ党と結んだシーア派が国民投票で投票するであろうことは、当然とされていた。それにしても、イスラーム法学者協会(影響力のあるスンニ派グループ)が、スンニ派の人々に対して(シーア派に対しても)憲法反対の投票をするよう働きかけるキャンペーンともいうべきものを始めたのは、驚きだった。目下の状況では、連邦制はイラクを分裂させる可能性があり、この憲法は非宗教的・民族的対立を煽るものであるという理由だった。

 数週間の間、スンニ派サイド、とくに農村地域では、国民投票参加についての関心は明らかにあった。選挙のときのようにボイコットすべきか、あるいは投票によって否決することがイラク国民としての義務なのか、について議論があった。

 そこへ再び、タル・アファル、ラマディ、カイム、サマッラなどのスンニ派地域に対する軍事攻撃があった。それ以来、スンニ派を投票させないために、国民投票に先立って、スンニ派地域が意図的に狙われていると誰もが感じている。自分の町が爆撃され、家族全員が赤新月社(赤十字社に当たる)のテントに収容されたとしたら、誰が憲法のことなんか気にかけるだろう。

 スンニ派はバドル旅団と国家警備隊にいまや公然と脅されている。2日前、国家警備隊は、アダミヤで襲われたことの報復として、バグダード、アダミヤ地区の「ラス・イル・ハワシ」の家々を強制家宅捜索した。その地域から逃れてきた人々は、家宅捜索された家はすべて、ガラスを割られ、ドアは蹴破られ、テーブルはひっくり返され、人々は虐待され、金品が略奪されたと訴えている。

 タル・アファルやカイムなどでは、何十人もの一般市民が殺され負傷させられたあげく、米国民や英国民が罪の意識をもつことなく安眠できるよう、都合よく「暴徒」ということにされた。いったん町から逃れたタル・アファルの住民が家へ帰ってみると、家々の多くは瓦礫と化し、家族や友人たちは死ぬか負傷するかしていた。ある記事に、一般市民は軍事攻撃に先立って避難させられたと書かれていたが、これは事実ではない。住民の多くは、車など町を出るための交通手段を持たず、残らざるを得なかった。町を出してもらえなかった人々さえいる。

 米軍がシリア国境の小さな村を攻撃している今現在、一般市民がシリアへ向かっているというニュースが流れている。アラブ戦士でも暴徒でもなく、ふつうの男女や子どもたち、イラク政府は自分たちを守れない、つまりイラク政府は占領軍の猛攻から自分たちを守れないと考えている人々だ。

 さらに気にかかるのは、投票したいと真剣に考えている人々のほとんどは、自分自身の考えに基づいてではなく、スンニ、シーアの法学者のファトワと説得に基づいて、賛否の投票をするという事実である。イスラーム法学者協会は、人々に反対の投票をするよう奨めている。SCIRIとダーワ党は、憲法に賛成票を投じるのは、すべてのイスラム教徒の義務であると宣言している。シスターニが憲法賛成にまわり、信者たちに賛成の投票をするよう旗を振っていることは、ほとんど驚くに値しない(私だってイラク南部に住むイラン人法学者だったら、賛成に投票するだろう)。

 国民投票について誰かに(スンニであろうと、シーアあるいはクルドであろうと)話しかけて、ろくに読んでもいないのに投票態度を決めているのを知るのは、まったくやりきれない思いだ。

 女性の権利はもはや誰にとっても主要な関心事ではない。女性の権利について話し始める人がいると、人は笑いさえするのだ。私がイラン型シャリアの可能性について意見を述べると、たいてい「ともかくイラクを分裂させないことだ・・・」という返事が返ってくる。

 内戦の可能性や民族の強制退去や浄化という現実、日常化した流血や死に比べたら、権利や自由はたいしたことではなくなってしまった。

午前2時58分 リバー

(翻訳  池田真里)