Baghdad Burning

バグダードバーニング by リバーベンド

... I'll meet you 'round the bend my friend, where hearts can heal and souls can mend...

友よ、私の心が失われあなたさえ見分けることができなくなったら、どうか私を偉大な文明をはぐくんだ、チグリス・ユーフラテスの胸元に連れて行って欲しい。そこで私は心を癒し、魂を再生させるでしょう。

2005年9月23日 金曜日

リンク…


 イラク人によるおもしろいブログのリンクをいくつか。
 「自由なイラク」Free Iraq (イマド・ハドゥリのブログ)、「モスルの星」 A Star from Mosul (イラクの女の子のブログもうひとつーこっちはモスルから)、 「バグダードの宝」Treasure of Baghdad (バグダードに住んでるブロガー)、 それから、海外にいるイラク人ブロガーによる「イラク人の真実 」Truth About Iraqis

午後11時53分 リバー
憲法草案 パートII
警告: 超〜長文です。

 10日ほど前、イラク憲法草案の最終版(第3バージョン)がようやく国連に提出され、9月15日のニューヨークタイムズ紙に英語で公表された。

 私は先週、冒頭2つの章の一部の条文についてブログに書いた。だからきょうは第3章からはじめよう。「連邦政府」の章だ。ニューヨークタイムズで公表された最終版と、アルサバで公表されたアラビア語版とのきわだった違いは、国会の成立要件を定めた第3章第47条。アラビア語版では要件は6つあるが、英語版では5つしかない。
 
 英語版で消えた要件は、国会議員の25パーセント以上が女性でなくてはならないというものだ。

第47条:
4ー選挙法規においては、国会における女性議員の割合が4分の1以上に達することを目標とする。


 今まで、人権団体が憲法草案はイラン型神権政治から女性の人権を擁護することを保障するにはあまりに不十分だと批判すると、草案の支持者たちはこの条文を指して「ほら、女性の人権はたしかに守られてるじゃないか」と言ったものだ。
 
 アラビア語版憲法を読んでみると、その言葉は必ずしも当たっていないーこの文のキイワードは「目標とする」。かみくだけば、こういう意味になる:国会に女性議員が25パーセントというのは必須要件じゃない。これはただの目標。ごりっぱな操り人形政府が文書に記したたくさんの崇高な目標と同じ類の。

 2年近く前のことになるが、統治評議会(当時のリーダーはSCIRIのすばらしい操り人形、アブドゥル・アジズ・ハキム)は個人身分法を廃止するために布告137号を公表した。女性人権団体は立ち上がり、ポール・ブレマーに布告の撤回を要求し、ブレマーはそれに応じた。私たちは、占領軍べったりの操り人形たちが世俗法を廃止できなかったことを喜んだ。

 この憲法草案で、布告137号が事実上復活したことになる。国会議員の25パーセントを女性議員にするという目標を掲げるだけではその埋め合わせにはならない。とくに、そうした女性たちの大多数がダーワやSCIRIのような政党から出るとしたら。
  不思議だー占領軍を支持し、戦争を支持する女性の権利の擁護者は怒らないの?女性たちよ、なぜこんなに静まり返っているの?

 同じ章の同じ節にある第58条によると、国会は大統領選出の責任を負う(投票により)。なぜ大統領選が直接選挙じゃないの?

 共和国大統領の件では、同じ章のなかの最高執行機関という節に、おもしろい条文がある。第65条は共和国大統領の要件(首相についても同じ)を列挙している。

第65条
大統領候補者は以下の要件を備えていなければならない。
1.イラク人の両親を持つ、生まれながらのイラク人であること。
2.法的能力を有し、40歳に達していること。
3.よい評判と政治的経験を持ち、高潔、清廉、公正、祖国への愛で知られていること。
4.名誉を損なう犯罪で有罪判決を受けていないこと。


 「イラク人の両親を持つ、生まれながらのイラク人であること」では、『両方の』親がイラク人でなければいけないと強調している点が重要だ(アラビア語版では 'abouwayn iraqiayn'という表現を用いているため、この点がさらに明確になる)。あたりまえなことなのに注目すべきだというのは、これはすてきなアヤド・アラウィ、あの世俗的アメリカ人が大統領や首相の候補者になれないことを意味しているからだ。アラウィの母親がレバノンの著名な家系出身のレバノン人だということはイラクではよく知られている(チャラビ夫人の親戚だということも)。
  最近、サウジアラビアがイラクにおけるイランの影響に対してはっきりともの申しはじめた。それは、ガジ・アジル・ヤワルやアラウィのようなサウジアラビアのお気に入りが脇に追いやられ、ジャファリやハキムなどのイランの影響下にある政治家たちが権力の座についたからではないか、と考える人が多い。

  「名誉を損なう犯罪で有罪判決を受けていないこと」というのもおもしろい。これって、タイプの違う犯罪で有罪になってもOKってこと?たとえばチャラビのように公金横領なんてのはOK?いったいどんな犯罪が名誉を損なって、どんな犯罪なら名誉を損なわないのかしら。

連邦主義…

 
 第5章「地方政府」はやっかいだ。連邦主義という概念に異存はない。わたしたちは何十年もクルド自治区に慣らされてきた。でも、憲法草案における連邦主義と地方政策に関する目下の規定は「イラク分割ロードマップ」と題したほうがいいんじゃないだろうか。
第115条はとくに困ったものだ。その内容はというと、

第115条
すべての州は、単独でもしくは複数で、以下の方法のうちいずれかによって提出されたレファレンダムの要請に基づき、1個の地方を設立する権利を有する。

1.地方設立を望む州の各州議会議員の3分の1の要請
2.地方設立を望む各州の有権者の10分の1の要請

これは、ふたつの州が同意すれば、周囲の地域と異なる法規を持つ「地方」になることができるという意味だ。第116条がこの権利を強化している。

第116条
地方は、イラク国憲法の範囲内で、独自の憲法をつくり、地方の権限および権限行使機構を規定する。


 だから、基本的に、地方は憲法草案の範囲内で、それぞれ自分たちの憲法を持てるというわけ。また、言語に関しては、第4条第5項にこうある。

第4条
5.すべての地方または州は、一般住民投票で住民の大多数の承認を得たならば、地域の言語を付加的な公用語とすることができる。上述の地方は独自の「地方」語を用いることができる。


 第117条は「地方政府」の権限を規定する条文。

第117条
5.地方政府は地方を統治するために必要なすべての事柄に責任を負う。とくに、地方警察、地方治安隊や警備隊のような地域内の防衛部隊を設立し、統制する。


 ここでなぞなぞをしよう。独自の憲法と独自の政府と独自の地域内警備隊を持ち、おそらくは独自の言語をも持つような地方のことを、なんていう?簡単よね。そういうのは国というのよ。

  第6章第137条の「移行期間に関する指針」にはこうある。

第137条
「移行期間のためのイラク国家施政法」と附則は、同法第53条(a)および第58条を除き、新政府の創設とともに無効となる。


 この条文では占領初期にポール・ブレマーが立案した「移行期間のためのイラク国家施政法」に触れている。そのうち、引き続き残される唯一の条項が次のものだ。

第53条 【クルド自治政府】

(A)クルド自治政府は、ドフク、アルビル、スライマニヤ、キルクーク、ディヤラ、ニネベ行政区域のうち、2003年3月19日に当該政府により統治されていた地域の公式な政府と認められる。「クルド自治政府」という呼称は、クルド国民議会、クルド内閣、クルド自治区司法当局に対して用いられる。

 これはとんでもないものだ。というのは、2003年3月19日に「当該政府」によって統治されていた領域については論議が絶えないからだ。キルクーク、ディヤラ、ニネベ(モスル)はぜったいにクルド自治区の一部ではない。2003年3月19日、戦争が始まったばかりのときに、クルド自治政府がどう考えていたとしても。
 
 実は、クルド地域はイラクの抱える懸念のうちもっとも小さなものだ。イラン寄りの過激派、ダーワとSCIRIが南部に自治地域をつくるかもしれないといわれている。もし、カルバラとナジャフが南部に地方をつくったとしたら、アメリカは拡大イラン領の創設を歓迎するだろう。ふたつの州は、すでにそれぞれの武装組織を持って、独自の法規を施行している。

 国が安定しているならば連邦制はOKだ。国々や問題を抱えた地域が統一をめざしているときには、すばらしいものだ。でも、現在のイラクでは、連邦制は破局をもたらす。文字通り国を分割し、不安定性を増す。イラクで実施されようとしているような類の連邦制の場合、ことにそうだ。

 地形に基づく連邦制なら受け入れることができる。でも、民族と党派に基づく連邦制なんて。いっそ、内戦を宣言してさっさとけりをつけてしまったらどうなの?

リバー 午後11時44分

(翻訳 伊藤美好)

2005年9月17日 土曜日

憲法草案 パート1


 9月はじめからずっと憲法草案を何度も読み返している。頭の中で「占領下の憲法など法にかなうはずがない!」と繰り返す声が聞こえ、「この憲法草案を書いた政府が正当でないのだから、この案は正当でない」という声もしきりにするけれど、耳にふたをすることにした。そんな思いを脇に片づけて、できる限り冷静に全体を見てみようと思ったから。

 草案の問題その1に気づいたのは、「本物」の憲法草案をオンラインで探し回っていたとき。私の知るかぎり、異なるバージョンが3つはある。それぞれ違うアラビア語版が2つ。2?3週間前に『ニューヨークタイムズ』紙で英訳された英語版は、そのどれとも違う。クルド語もわかるといいのに--やっぱり違いがあるのだろうか。バージョン間の差異は大きくはない。条文・条項の一部が欠けている程度だ。ただし問題は、これが憲法であって、ブログではないということ。憲法なら正確さが必須の条件のはずよ。

 憲法草案は基本的に7つの部分から成る。すなわち、前文、第1章「基本原則」、第2章「権利と自由」、第3章「連邦政府」、第4章「連邦政府の力」、第5章「地方政府」、第6章「暫定的および最終的指針」。

 新たなバージョンを見るたび、わざわざ読み返したりせずにざっと一回、前文に目を通した。長く暗い印象。歴史に残る文書の冒頭を飾るというより、政治声明の文章のように感じられる。私はあとでこの印象の間違いに気づいた。前文は、バージョンによって冒頭部に違いがあるのだ。フリージャーナリストのアレクサンダー・ゲイネムが次の記事で述べている通りに。

  そのうえ、同じ草案に2つのバージョンが存在するために、混乱が拡大した。アラビア語の冒頭部が異なるのである。はじめのバージョンが「わたしたちイラクの諸民族は…」と書き出すのに対し、第2のバージョンは「二つの河の流域にあるわたしたち諸民族は…」と書き始める。国連にどちらのバージョンが提出されるのか定かでない。だが、両者の相違は歴然としている。後者の場合、イラクに住む人々は自らを「イラク人」と呼ぶ憲法上の義務を課されない、ということを示唆するように見えるし、それによりある時点で国名を変更する可能性を残したと言えよう。

 まずは第1章「基本原則」から始めよう。興味深い条文がいくつかある。第2条は海外のジャーナリストやアナリストに最大の関心を呼ぶと思われる。文言は次のとおり。

第2条
1.イスラムは本国家の公式宗教であり、立法の根源である。確立したイスラムの基本原理および規範に反する法は、一切これを設けてはならない。
2.民主主義の原理、または本憲法に記された権利・基本的自由に反する法は、一切これを設けてはならない。
3.本憲法はイラク国民の大多数がイスラムの教えに従うというアイデンティティを尊重する。また、あらゆる個人の宗教上の権利を全面的に保障し、かつ信条・宗教上の営みの自由を保障する。

 さて、私はイスラムの教えを日々実践する女性だ。私が守り従うイスラムの原理や規範を私は信じている。そうでなければ、日々実践することはない。問題はイスラムではない。イスラムの原理や規範の解釈が何十通りもあることが問題なのだ。イスラムも他の宗教と同じように、聖なる書や種々の教義がさまざまに解釈されうる。イラクで私たちはこうした事情をじかに見ている。二つの隣国、イランとサウジアラビアから、イスラムの多様な解釈の例をたっぷり得ているのだから。憲法が反してはならない宗教上の規範と原理がいったいどれなのか、だれが決めるというの?

 戦争まで使われていた旧憲法、すなわち1970年7月16日に施行された1970年の「暫定憲法」では、イスラムに言及した条文はただ一つ、第4条しかない。シンプルにこう記す。「イスラムは国家の宗教である。」 憲法で果たす役割について、記述は皆無である。

 第1章の条文がもう一つ別の問題をはらむことは、8月に一部の新聞に掲載された憲法のバージョンの一つから明らかになった。第12条である。これは憲法草案の英語版にはないのが確かだ。おそらく、最終バージョンからも削除された可能性がある。第12条は次の通り(翻訳については勘弁していただきたい)。

第12条
 マルジャイヤは精神的役割のゆえに尊敬され、国とイスラムとの領域において卓越した宗教的象徴である。国家はマルジャイヤの私的問題に干渉することができない。

 マルジャイヤとはアラビア語で「裁定機関」を意味する。基本的にこの条文は「宗教上の裁定機関」を述べているが、要するにイラクにおける宗教上のマルジャイヤ一般を意味するはずのものではないかと思う。ところがイラクでは、マルジャイヤという語が使われるときは常に、シーア派のシスターニをはじめナジャフ、カルバラといった宗教人および聖地を指す。

 国家がマルジャイヤに何の力も持たないとはなぜなのだろうか。逆に、マルジャイヤが国家や憲法に関する事柄に干渉できないと記した条文が皆無なのはなぜなのか。マルジャイヤは数え切れないほどのイラク人たち(さらに言えば、世界中の膨大な数のイスラム教徒たち)の生活に影響を及ぼしている。一部の人にとって、マルジャイヤの法は国家の定める法に取って代わるものだ。例えば、マルジャイヤが宗教上認められる結婚年齢を10歳にすると宣言し、国が合法の結婚年齢を18歳であると定めた場合、これは憲法に反する法令なのだろうか? 国家はイスラムの基本原理と規範に合致しない法令を設けることができないし、一方では、マルジャイヤが膨大な数の人にこうした決まりを定めている。

 とはいえ、第1章で最高におもしろい条文は、8月22日に一部の新聞に掲載された憲法草案(1)版のなかにある。草案の最終バージョンには含まれていない(少なくとも『ニューヨークタイムズ』紙版にはなかった)。問題の憲法草案第16条は以下のとおり。

第16条
1.イラクが外国の軍隊の基地または回廊に使用されることを禁じる。
2.イラク国内に外国の軍事基地を設けることを禁じる。
3.国会は必要に応じて、その構成員の3分の2を占める多数をもって、本条1.および2.に定める事項を認めるものとする。

 これは傑作よ。条文のはじめの2項目は外国の軍隊を禁じているのに、3項目めになると、いわば許可されるというわけ。ときとして--操り人形政府が(政権維持のために)必要だと考えた場合に、ということだけど。この条文で心配なのは、憲法草稿の最終バージョンを見ると、なぜかそっくり消えているという事実。片やイラク駐在の米軍基地のためにはたっぷりと余地を残しているのに。今、憲法草案最終バージョンは、国内に外国の軍隊や少なくとも外国の基地を持たないことについて、一切触れていない。「いま目にし」「いま目にしない」この条文の魔力のおかげで、この憲法が「占領軍の憲法」であるという思いは確信へと深まる。

 第2章「権利と自由」に進むと、本格的に「切り貼り」が始まる。最初読んだときは、条文の多くが非常になじみ深いものに思えた。少し読み進んで気づいた。条文の一部は、戦争まで施行されていた1970年の暫定憲法からほぼ丸写しだった(この憲法は従来の憲法を土台にしていた)。

 皮肉なことに、「権利と自由」の章の大半が1970年の暫定憲法から取られた。こんな物語の教訓を示してくれる。「肝心なのは憲法の美しい文言ではない。政府こそが、その文言を実際に履行するのだ」と。

 新憲法の示す女性の権利は不透明なことこの上ない。8月に『ニューサバ』紙に掲載されたあるバージョンでは、家庭と社会的・経済的環境における女性の権利、および男女の平等を国家が保障する規定が含まれている。ただし、女性が国家に相当の寄与をすることを認めるためであって、憲法に反しない限りにおいて!とあった。この規定は、最終バージョンにはない。

 憲法草案最終バージョンで、女性は、投票権と公職に立候補する権利を持つと言及されている。その他女性に関わる事項は、お世辞にもよしといえない。女性の記述は「子どもと高齢者」との関わりの中にしか出てこない。これに対し、1970年の暫定憲法では、女性という言葉は一切ない。「イラク国民」または「国民」として言及されている。つまり、女性は能力が劣り、男性の指導や監視を要するために、特別の世話や配慮が必要な存在なのだといって、女性を指弾しているのではない。

 例を見てみよう。
第30条 第1バージョン:
 国家は社会・健康保険、個人および家庭、特に子どもと女性のために自由で尊敬すべき生活の基盤、非識字・恐れ・貧困からこれらの人々を守るための雇用を保障し、人々に住居および人々の回復と世話の手段を提供する。以上は法によって規定するものとする。

 女性の権利は、「個人身分法」(Personal Status Law)が明確に規定されないかぎり、明らかにならないだろう。旧イラクの「個人身分法」はこの地域で最先端をゆくものだった。イラク女性は進歩的な権利を保障されていた。これも他と同様に変更されることがあり、以下の条文がその事情を大変よく示している。

第39条 
 イラク国民は、自らの宗教、宗派、信条、選択に応じて個人的な地位に自由に従うことができ、また上記は法によって整えられるものとする。


 基本的に、イラク国民は各自の宗教・宗派に応じて、それぞれの個人地位法を遵守できるだろうと思う。条文自体、やっかいな問題をはらんでおり、一連の法律家やイスラム宗教学者グループだけが条文の適切な意味を説明できることになろう。

 連邦制と、来るべきレファレンダムの問題については、明日またブログするつもり。このポストはもう十分長くなったもの。

午前2時17分 リバー

(翻訳 岩崎久美子)

2005年9月11日 日曜日

2005年9月11日・・・


 「リバーベンド、来て! これを見て!」 2001年9月11日のこと。私は台所で昼ご飯の後片付けをしていた。一瞬、弟の声にただならぬものを感じたが、皿を洗い続けた。イラク国家統制放送局が、何かしら重要めかしたニュースでも発表したのだろうと思いながら。

 「今行くわ、すぐに」と私は応えた。そこへ電話が鳴り始め、台所へ向かう途中で私は受話器を取り上げた。
「もしもし?」 「テレビ、見てる?」と、前置きもなく受話器から叫んでいるのは、親友のL。 「そのー、見てはいないんだけど・・・」 「すぐに見て!」

 電話は切れた。私は受話器をおいた。心臓がどきどきしていた。知りたくもあり不安でもあり、いったい何だろうと思いながら、リビング・ルームへ向かった。誰か死んだのかしら? また爆撃されるのかしら? その可能性はつねにあった。アメリカが空爆を再開したとしても誰も驚かない。今度こそブッシュは、オーバル・オフィス(大統領執務室)の大統領補佐官に言いくるめられたのではないだろうか。

 リビング・ルームに入っていくと、E(弟)はそのただ中に突っ立っていた。目はテレビに釘付け、口を少し開け、リモコンを手に握りしめ、テレビに向かっていた。

 「何?」 スクリーンを見て私は聞いた。映し出されたシーンは、混乱のきわみだった。そこは、大都市で、煙か粉塵かが立ちこめ、スクリーン中に逃げまどう人々の姿があった。叫ぶ人、泣く人、顔に驚きの表情を貼り付けた人々。

 その表情には、テレビを見つめてぽかんとしているEと似たものがあった。アラビア語に吹き替えられていたが、その背後に聞き取れた話し声は英語だった。何が話されていたか、覚えていない。思い出すのは、テレビのスクリーンに映し出された光景だけ。大混乱。大破壊。

 そして再びそれが映し出された。ツイン・タワー。ニューヨークだ。スクリーンの端から何か小さなものが飛び出すと、ツイン・タワーの一つに激突した。私は音がするほど大きく息を飲んだ。Eは、ただ首をふった。「何でもないわ、ちょっと・・・」 私はテレビから目を離さずに、ソファへ向かった。スクリーン上には、さらなる混乱、驚愕の表情の数々、もう1機とツイン・タワーがあった。二つのビルは、崩れ落ちようとしていた。倒れ始めた。やがて煙と粉塵がもうもうと立ちこめる中に見えなくなった。

 その瞬間、私は飲み込んだ息を吐き出すことができなかった。身動きできずスクリーンを見つめたまま座っていた。心の片隅では「きっとジョークよ、ハリウッド一流の」と思っていた。が、あまりに生々しく、恐怖は本物だった。テレビから聞こえてくる声は取り乱して、混乱と恐怖そのものだった。

 リビング・ルームの沈黙は、リモコンがカタンと床に落ちた音で破られた。Eの手からすべり落ちたのだ。私は驚いてとび上がり、電池が転がり出るのを見ていた。

 「だけど・・・誰が? どうして? 何なの? 飛行機で? どうやって???」
 Eは頭をふり、恐れおののいた表情で私を見た。湧いてくる疑問の答えを見つけようと、私たちはテレビを見続けた。その時わかったことは、これは何かの間違いではなく、意図的なもの、大規模テロ行為だということであった。

 その時、アルカーイダという名はごくあいまいなイメージでしかなかった。イラク人は、もっぱら自分たちの問題や不安にかかり切りだった。経済制裁(訳注1)と、アメリカ軍の空爆(訳注2)によって人生が数年毎に足踏みするように思える現実と闘いながら、生き抜くのにせいいっぱいだった。イラクにはイスラーム原理主義の問題はなかった。それは、サウジアラビア、イランなど隣国の問題だった。(訳注1:1990年、イラクのクウェート侵攻後、国連安保理決議によりイラクは外国との通商をほとんど禁止され、国民生活は困窮した)(訳注2:1991年の湾岸戦争後も米国は、口実を設けては始めの頃は数ヶ月毎、後には2−3年毎にイラク本土を空爆した)

 事件のほとんど直後から、西側メディアはどのイスラム・グループの犯行かと当て推量を始め、私はイスラム教徒やアラブ人でなければいいと願っていたことを思い出す。そんなふうに思ったのは、何千もの犠牲者が出たからというだけではなく、苦しむのはイラクの私たちだと感じ取ったからだった。自分たちの与(あずか)り知らぬことのために、苦しめられるのだ、と。

 その日、Eは大きく見開いた目で私を見つめ、こう聞いた。それはいずれ誰かの口から出されるべき問いだった。「あとどのくらいで爆撃が始まると思う?」  「だって、私たちがやったんじゃないわ。私たちのはずがないでしょう・・・」と私は冷静に応えた。 「そんなことは問題じゃない。 彼らにとってもう十分な口実だ」

 そして、それは本当だった。アフガニスタンから始まり、次はイラクだった。私たちは事件後ただちに、備えを始めた。みんなが小麦粉、米、砂糖などの必需品を蓄え始めると、ドル価格が上昇した。

 数週間というもの、話はそれしかないみたいだった。大学をはじめあらゆる学校で議論され、職場でもレストランでも話題となった。人々の気持ちや意見はさまざまだった。うれしいという感情はまったく無かったが、一種苦い満足感が見られる人もあった。アメリカが自ら招いた災厄だと考えるイラク人もいたのだ。――国際問題に出しゃばるから、こうなるのも当然さ。人を飢えさせた報いにきまってる。恥知らずにもイスラエルのような乗っ取り国やサウジアラビアのような腐敗した独裁王を支持しているからだ、と。

 しかし、大多数のイラク人は同情していた。その後数週間、恐怖に駆られ、身内や友人をさがして半狂乱で瓦礫をひっくり返して探すアメリカ人の映像に、私たちは共感していた。目にしている惨状は、私たちにはとても身近なものだった。あれ以来アメリカ人が飛行機の音を怖がっているという記事に、私たちは共感とある種の親しみを感じてうなずくのだった。誰であれその中の一人にこう伝えたいと思うのだった。「大丈夫。恐怖はいつかはおさまりますよ。私たちはよく知っているのです――あなたの政府に2,3年毎に同じ事をされてきたのですから」。

 今日で4年目。4年後の今、どんなふうに感じられる?

 アメリカの犠牲者3千人に対し、イラクの死者10万人以上。そのほか何万人もが拘束され、尋問と拷問にさらされている。家々は強制家宅捜索され、町々は絶え間なく爆撃され、イラクは数十年前に戻ってしまった。今後数年間、戦争前には経験しなかった過激主義の勢力下で苦しまなくてはならない。

 これを書いている間も、モスルの北西の小さな町、タル・アファル(訳注 シリアとの国境に位置し住民はトルクメニスタンが多い)が爆撃されている。真夜中、何十人もの人々が、家の下敷きにされて埋められようとしている。何日も断水し停電したままだ。でも、タル・アファルの人々は、きらびやかな大都市の立派な高層ビルの住人ではないのだから、たいした問題ではないように思える。まったくのところ農民や羊飼いたちなのだから。ためらうことはない。

 4年たって、テロとの戦いは決着がついた(それとも戦争という名のテロだったかしら?)。

スコア  
アルカーイダ 3000  
アメリカ   100000+アルファ

 やったね、おめでとう。

午後11時29分 リバー 

(翻訳 池田真里)

2005年9月9日 金曜日

ブログ再開


 長い間ブログを休んでしまった。理由はいくつかあるけれど、ただブログする気になれなかった、それが一番の理由。

 暦(こよみ)の上では、今は夏の終わり。でも実際には、少なくともあとひと月、暑さに組み伏せられるような日々が続く。9月半ばのバグダードは相変わらず暑く、雨が降らない。日差しがまだ柔らかい早朝のほんのわずかな時間が、恵みの時。早起きすれば、そよ風と夏の涼しさの中でたっぷり1時間は過ごすことができる。

 今夏のバグダードの電気事情は、壊滅的だった。毎日連続8時間から10時間、少なくとも6時間は電気がなかった。冬であれば、停電したら地区の発電機が給電してくれる。夏は、そうはいかない。暑さとエアコン使用で負荷がかかりすぎ、おまけに燃料不足なので、発電機の多くは日中止めておかなければならない。

 それだけでなく水も不足している。みんな慣れてきたとはいうものの。朝起きてまず気がつくのは、今日は断水だということ。今朝も目覚めてベッドから出る前にもう、断水しているとわかった。音で。家中、干上がっていた。ふだんの家の営みが聞こえるかと耳を澄ませてみる。が、聞こえない。廊下の端のバスルームからのぽたぽたと蛇口を伝う水の音。階下の台所で皿を洗う音。トイレの水が流される音。どれもまったく聞こえない。もちろんシャワーの音なんて。家はからからに乾いている。

 この干ばつと熱波は、テレビに映し出されるミシシッピとルイジアナの映像とまるで対照的だ。毎日、テレビでカトリーナが残した大破壊を見ては、戦争や占領のような人為的な破壊と、ハリケーンや津波のような自然災害とどちらが耐え難いだろうかと考えあぐねている。

 アインマ橋の悲劇以来2週間、バグダードの多くの地区は、ほとんど黒く被われている。家から数キロのところにモスクがあって、その外壁に幅の広い黒幕がいくつも掛かっている。この2年間、この光景にも慣れてしまった。どの幕にも、アラビア文字の凝った書体で、イラク人の死が告知され、その日から数日間一家の男性たちがモスクでお悔やみを受けると述べられている。

 今は、砂埃でくすんだ薄茶色のモスクの壁がほとんど見えないほど、黒い死亡告知の幕で被われてしまった。ひと目で読みとることなどできない。最も心をかき乱されるのは、今、多くの幕の一枚一枚に一つではなく大勢の名が書かれていることだ。橋の惨劇後、幕は、一つの家族から2人も3人も4人も犠牲者が出たことを告げている。

 このところ、憲法草案を何度も読み返している。非常に危ないと感じさせるものだ。所々、あまりしっかり検討されたとも思えない条項については、あるべき憲法の要約のような感じだ。もしかして切り貼りしたの、という感じ。完成品とは思えない。ある所では漠然としすぎ、またの所では、不審な感じを受けるほど精緻にかかれている。明日、憲法草案について特集ブログを書くつもり。そのー、私が理解したことだけでも、ね。

午前1時48分 リバー

(翻訳 池田真里)