Baghdad Burning

バグダードバーニング by リバーベンド

... I'll meet you 'round the bend my friend, where hearts can heal and souls can mend...

友よ、私の心が失われあなたさえ見分けることができなくなったら、どうか私を偉大な文明をはぐくんだ、チグリス・ユーフラテスの胸元に連れて行って欲しい。そこで私は心を癒し、魂を再生させるでしょう。

2005年6月21日火曜日 

まとめて近況報告・・・

 3日前から娘たち二人を連れて、いとこと妻のSが泊まりに来ている。洗濯物の詰まった袋を車に積んでやってきた。「うちの地区は3日間水が出なかったの・・・昨日の夜出るようになったと思ったら、3時間後にまた止まった・・・この辺はどう?」いとこの妻は、汚れた衣類の入った黒いビニール袋を引きずりながら息を切らして言った。この地区では完全に断水してはいなかったけれど、日中は出たり止まったり。

 バグダードではこれまでも多くの地域で水は大問題だった。電動ポンプがないうちでは、いつも水が出るというわけにはいかない。今はほとんど全域がこれと同じ状態になった。数時間出たと思ったらまた止まることの繰り返し。用心のためにプラスチック容器やなべにいつも水を満杯にしている。暑いイラクの6月に水なしでいるなんて感心したことではない。
「子どもたちをお風呂に入れて、これ全部洗濯しなきゃならないの」。上の娘とわたしが旅行バッグを引きずり出していると、Sがわたしに言った。「シーツも。先週アジャジャが来たっていうのに何にも洗えてないのよ」。 イラクでは砂塵嵐のことをアジャジャと呼んでいる。先週は大きなアジャジャに何度か襲われ、バグダードは薄黄色のもやにおおわれていた。アジャジャが居座ると、数時間のうちに空気中に粉のように細かなベージュ色の土ぼこりが充満して息苦しいほどになる。こんな砂塵嵐の間は視界が悪く、車の運転も窓の外を見ることもできなくなる。

 アジャジャが来たら、家中駆け回って窓という窓をきっちり閉める――家の中に砂塵を入れまいとするほとんど無駄な抵抗。アレルギーや喘息の人にとっては恐怖だ。この状態を少しでも何とかするには、エアコンしかない。エアコンが冷たい空気を送ってくれている間は、ほんの少しだがほこりっぽさが薄れたように感じられる。

 先週の砂塵嵐の一つはすさまじくて、一番激しかったときに昼寝していたE(弟)は、まつげにベージュのマスカラをして起きてきた。眠っている間に土ぼこりが顔に降り積もったのだ。何か食べていて土ぼこりの味がすることだってある。こういう砂塵嵐がだいたい数時間から数日にわたって続く。

 アジャジャ一過、空気が少しばかり澄んでくると掃除が始まる。気がつくと、家具は土ぼこりの薄い膜でくまなく被われ薄黄色で、窓は汚れている。庭も家への進入路も木々も泥の海からぬっと上がってきたばかりといったふうだ。砂塵嵐の後は何日も洗ったり拭いたり磨いたり家から土ぼこりを叩き出したりして過ごす。

 「アジャジャの後カーテンとシーツを洗いたくてたまらなかったわ」と、Sはやれやれとビニール袋から汚れたカーテンを引っ張り出しながら言った。と、動作を止めた。恐ろしい考えにとりつかれたのだ。「ほんとに水は出るんでしょうね?」大丈夫、とわたしは請けあった。けれど午前中はほとんど停電していること、発電機は冷蔵庫とテレビと電灯しかまかなえないことは黙っていた。普通の洗濯機は水と電気を使いすぎる。それでこのところ、わたしたちは小さな「イラク式」洗濯槽(母が言う「おむつ洗濯機」)を使わなくてはならないのだったが。

 この色あせた黄色のプラスチックの洗濯槽は簡単な仕組みで、数リットルの水をためて衣類と洗剤を放り込み、ゴトゴトかき回すようにできている。次に衣類を石鹸混じりの水から引き上げ新しい水でひとつずつすすぐ。それから干す。普通の洗濯機より水を使わなくてすむのはいいのだが、ひとつリスクがある。ソックスとか下着とかがしょっちゅう、水と衣類をかき混ぜる小さなプラスチック製の羽根にやられてしまうのだ。

 昨日少しと今日の大部分を洗ってすすいで、先祖たちは洗濯機も汲み上げポンプもなしにどうしてたんだろうと考えて過ごした。

 電気事情は地区によってさまざま。2時間電気が来て4時間停電を繰り返していた頃もあった。4時間電気がきて4時間から6時間停電ということも。困ったことに、この数週間なぜかわからないが午前中停電しているのだ。地区の発電機は11時頃まで止まっていて、家の発電機は天井の扇風機(「パンカス」)、冷蔵庫、テレビ、その他の電気器具少しのための余地しかない。エアコンは使えない。この頃では朝8時には耐え難い暑さになっているというのに。

 停電の上に、拘束と暗殺が多発して眠れない夜が続く。多くの地区で強制家宅捜索が行われていて、とくにバグダードの東半分のカーク地区が狙われているという。テレビには「テロリスト」が拘束されたという話が出るが、現実には何の理由もなくおおぜいの人々が引っ立てられていく。イラク人はほとんど全員、自分や家族の友人や親族で、たくさんある米軍の刑務所のどれかに何の理由もなく入れられている者の名をあげることができる。刑務所では弁護士にも面会者にも会うことを許されない。拷問の話は珍しくもなくなった。占領に反対しているスンニ派とシーア派の法学者はとくに、イラク軍の特殊部隊であるウルフ旅団、「リワ・イル・ティーブ」に襲われることが多い。たいてい尋問の間拷問され、うち何人かは死体で発見される。

 今日は数回爆発があり道路が封鎖された。いとこが職場に行くのに1時間かかった。戦争前ならたった20分の道のりだ。それが今は封鎖された道、検問所、そこら中にょきにょき立ち上がっているあの愉快なコンクリート壁を縫って進まなければならない。路上で足止めされたらとくにたいへんだ。そしてこの頃足止めはしょっちゅうだ。バグダードは細かい区画に分断されていて、爆発や操り人形たちの会議があるとその幾つかがただちに立ち入り禁止となる。最悪なのは、日中暑いさ中混んだ道で足止めされること――次の爆発があるかとじっと身構えて待ちながら。

 みんながとりわけ悔しく不快に思っているのは、バグダードが、道路はずたずたで穴だらけ、ビルは吹き飛ばされ焼け落ち、住宅地はあふれた下水に浮かんでいるという状態で、あらゆる部分からぼろぼろに崩壊しつつあるというのに、グリーンゾーンはのさばる一方だということだ。アメリカ人や操り人形たちが住む立ち入り禁止区域にめぐらされた壁はどんどん高くなっていく。まるでいちばん背の高いナツメヤシと競争しているみたい。コンクリートの強化壁と通行を妨げるための道路ブロックは、今では日常の風景の一部だ。道路、木々、店々、大地、空、そしていやらしい鉄条網に巻かれているものもあるコンクリートの四角い塊。

 大きな復興工事はまだ始まっていないというのに、建築資材は信じられないくらい値上がりしている。すごい量のコンクリートなど、建築資材が立ち入り禁止区域の強化のために使われているからだと思っていたが、グリーンゾーン内の工事を請け負ったイラク人の業者と最近一緒に仕事をしたという友人は、そんなどころの話じゃないという。彼の見るところ、グリーンゾーンはそれ自体ひとつの都市だそうだ。そしてちょっとやそっとの動揺どころか畏れおののいて帰ってきた。彼は、将来のアメリカ大使館やそれを取り巻く集合住宅群をはじめレストラン、店舗、フィットネスセンター、給油所、いつも安定して供給される水と電気まで万端について計画されていることを話してくれた。独自の法、規制、政府をもつ、国の中の仮構の国。みなさま、グリーンゾーン共和国、またの名をグリーン・リパブリックへようこそ。

 「アメリカ人は10年以内には出ていかない」。たいていこの言葉で、グリーン・リパブリックに行ってきた友人との議論が始まる。「どうしてそんなことがわかるの?」わたしはいつもこう言って、数字を並べ始める。2007,最長で2008・・・もっと長くいたいなんてことある? もっと長くいる余力があるかしら? この時点でTは首を振って言う。やつらが作ろうとしている基地を見たら、すでに出来上がった建築物を見たら、かなりの間いるつもりだってことがわかるだろうよ。

 グリーン・ゾーンは、普通のイラク人を困惑させいら立たせる。占領というものの本質が形になって見えるので、わたしたちは不安になる。もし要塞化とバリケードがなんらかの指標になるとすれば、占領は長く続くだろう。どのように説明し正当化しようとも、グリーンゾーンは顔の真ん中にびんたを張られたようなもので、挑発だ。わたしたちは自分の国の国民ではあるが、この国の一部はもはやわたしたちのものではないのだから、来し方行く末は制限されていると、グリーンゾーンは教えてくれている。あの土地はグリーン・リパブリック国民のものなのだ。

午前3時21分 リバー

(翻訳 池田真里)