Baghdad Burning

バグダードバーニング by リバーベンド

... I'll meet you 'round the bend my friend, where hearts can heal and souls can mend...

友よ、私の心が失われあなたさえ見分けることができなくなったら、どうか私を偉大な文明をはぐくんだ、チグリス・ユーフラテスの胸元に連れて行って欲しい。そこで私は心を癒し、魂を再生させるでしょう。

2004年10月25日(月)

アメリカ大統領選 2004...

あらかじめ言っておく-今日のブログは、アメリカ人へ向けた公開書簡みたいなもの。

というのはいよいよアメリカ大統領選が近いからだ。私たちはここイラクで興味しんしん見守っている。以前、イラク人は大統領選にとくに関心はもっていなかった。いつ選挙があるかくらいは知ってたけど、どちらの候補のことにしろ、意見を述べる人なんてほとんどいなかった。私たちみんな、アメリカ外交は、大統領が民主党某になるか共和党某になるかには関係ないと、とうに知っていたのだ。

世界のこの一隅から見ると、アメリカ民主主義って大統領選挙でわいわいやることだけなんじゃないかと思えることがある。重要な政策の選択をめぐってではなくて。アメリカでは戦争をするかしないかの選択はいちおうふつうのアメリカ人の手にある。イラクだって同じだ。こちらにしよう、いやあちらがいいと選んで投票することはできる。しかし結局は、何か大きく複雑で邪悪なものが、それぞれの選択を超えたところに存在しているのだ。まるでモノポリーのよう、ゲームの駒を選ぶことはできる―小さな靴、自動車やシルクハット・・・だけどゲームのルールは選べない。顔ぶれは変わる。が、目標と政策は変わらない。

ものすごく沢山の人がイラク人は選挙についてどう思っているか尋ねてきた。以前だったら、あんまり関心はないと答えただろう。 4年前まで、アメリカ大統領選はしごく単純で裏のない手続きだと思っていた。白人男性二人が、ひとつの政治ポジションに対し立候補する 現実を直視して。ほんとうに二人だけ。ネーダーはものの数じゃない。人々が投票する。そして多くの票を集めた方が勝ち。ブッシュ・ジュニアが大統領に「任命された」4年前の選挙制度の大失態の日から、選挙をめぐるあれこれは複雑でいささか汚らしいものに見える。

ふつうだったら私、アメリカの大統領は誰がいいかなんて喧々諤々やるタイプじゃない。知ってることといえば、4年前私たちがブッシュでないようにと祈ったということだけ。まるで、みんな現在の惨状を予見していて、ブッシュがそれを体現していたかのよう。 そして、ブッシュがまったくのお馬鹿さんであるということがわかってきたわけ…。

そして今、候補は、ブッシュ、ケリー、ネーダーの3人だ。まずネーダーをこの競争からはずして考えても問題ないだろう。彼に見込みはないからだ(率直に認めよう)。イラクの諺に「Lo tetla'a nakhla ib rasseh」とある。“たとえ彼の頭から椰子の木が生えてきたとしても”、 彼に勝ちめはない。実際のところはブッシュとケリーのせめぎ合いだ。ネーダーはケリーから票を単に奪うだけの厄介者。

誰に勝って欲しいかって? 当然ケリー。 疑問の余地なし。なにがなんでも、私はホワイトハウスからブッシュを追っ払いたい。 そう、アメリカ人よ、あなた方が昨年私の国を占領してから、ホワイトハウスの主(ぬし)が誰かについて、私にはおおいに口出しする権利がある。  リアリストの私は、劇的な変化や何かすごいことを期待する気になれない。だけど、アフガニスタンとイラクでの不当な戦争を容認することになるので、ブッシュの再選あるいは「再任」と呼ぶべきかしら)を拒絶する。ブッシュの再選は、イラクでのこの大惨劇が、アメリカ人とイラク人の命と引き替えに実現した価値があったことにしてしまう。ブッシュが再びホワイトハウスに納まれば、私たちがこの1年半舐め続けた恐怖と流血の辛酸がすべて是認されてしまうことになる。

いい分はすべて聞いた。ブッシュの支持者はまるでブッシュそっくり−まったく誤りを認めない。ごまかし、愚かさ、情報操作、浪費の一切を真実と認めない。たわごとだ。支持していないがブッシュに投票しなければならないと感じている共和党員たちもいて、たぶん自分の良心を慰めるためだろうけれど、長いいいわけがましいEメールを私に送ってくる。彼らは、現時点でこの仕事の適任者はブッシュただ一人なので、彼が「再選されるべきである」というのだ――確かに彼はいくつかの誤りを犯し、些細な嘘を言った。しかし、彼はよかれと思ってやっているし、事態を収拾するつもりだ。それに彼には将来の設計図がある、と。

あなた方アメリカ人にハッキリさせておく−彼には絶対に計画などない。私たちが生きているこの大混乱に対処する設計図などありえない。ブッシュがイラク復興計画をたてるのに、ずるがしこくもカオス理論をつかっているのでなければ。イラクにあるのは混乱だけ。そしてイラク人は、ワシントンにいる奴らは自分たちの行為が何を意味するか分かっていないのだと考えている。イラクにいる彼らの操り人形はもっとわかっちゃいない。今のイラクで行われているゲームの名は、剥きだしの侵略−イラク全土が抵抗を始めてからは、民心獲得作戦なんてもんじゃまったくなかった。ブッシュの計画は簡単にいってしまえばイラクで言うところの「A'athreh ib dafra」、おおまかに訳すと、“つまづいたらけっとばせ”。 言いかえれば、ものごとはなるようにしかならないものだ。で、つまづいたらけっとばせ。願わくば望ましい方向にいってくれるように。

それじゃケリーがブッシュよりずっとましな大統領になるかって? そうねえ。彼が事態を収拾するつもりか、軍隊を引き上げるつもりか、あるいはもっと投入するか、私には分からない。ケリーが果たして現在のイラクの地獄沙汰にうまく対処できるか、疑わしく思っている。ただ、ブッシュより悪いものがないことだけは確か。誰だってブッシュよりまし。ともかくブッシュの後の大統領が誰であれ、順風満帆ということはほとんどありえない。まるで沈没船に新しい船長を就かせるようなもの。私が知っていることといえば、ブッシュが穴をあけて浸水させたということ。だったら彼は船外に放り出されてしかるべき。

以前、このブログでブッシュに集中砲火を浴びせた後、私にメールを送ってきた人がいる。大統領を支持している読者を失いたくなかったら、彼に対する侮辱の調子を和らげるべきだと。私がはっきりと戦争と占領に反対と口にした時点で、そんな読者は失った。ブッシュがかまけているのは戦争と占領だけなのだから。彼はアメリカやイラクあるいはアラブ地域の安全を守ってはいない。一人の人間そしてリーダーとしての無能ぶりを、戦争と、ありもしない大量破壊兵器、でっち上げのテロリストや子供だましのまやかしでおおい隠そうとしているだけだ。

私が言わんとしていることはこれ。アメリカ人へ、かつて「自由と公正」の代名詞であったあなたたちの国の名前は、世界中で蔑まれるものとなった。あなたたちの今の大統領は、民主主義国であるという偉大なアメリカ像が、単なる虚像にすぎなかったことを証明した。あなた達は抗議し、デモを行い、投票することができる―しかし、そこまで。主権は、ブッシュがホワイトハウスへ足を踏み入れた瞬間にあなた達の手から離れた。繰り返し欺かれては、だまされて2つの戦争に送り込まれ、あなたたちの息子や娘は、異国の地で殺し合い次々死んでいっている。あなたたちの大使館は、世界中で危険にさらされている。「アメリカ」は、「帝国」「覇権」そして「戦争」と同義になった。だけど、なぜ?すべて、自分たちの大統領ができそこないであるという事実から、あなたたちの目をそらせる必要があったからだ。

戦争を始めるという決断を「強さ」と結びつける人たちがいる。いったいどれくらい強ければ、異国の地で何千もの同胞を死においやることができるのか? 特に、自分は家で家族とぬくぬくと傍観しているというのに。どれくらい強ければ、弱い軍隊と生活も経済もがたがたの国に対して、最先端の軍事技術をもって町々を瓦礫にする爆撃の命令を下すことができるのか。 強くならなくても、できる。狂えばいいのだ。

アメリカ人よ―あなたがたにとって今より悪い事態はありうるかしら? イラク人にとって今より悪い事態はありうるかしら? もちろんありうる。想像すればわかること ブッシュがもう4年やる、と。

午後10時35分 リバー

(翻訳 山口陽子)


2004年10月13日(水)

ヴァリウム・・・

 オプラ・ショーでは、例の放送が注目を集めていた間に、なんともたいへんな話題が出ていたらしい。その話の前にちょっと言わせて。オプラとは誰か、私たちもしっかり知っている。MBCの2チャンネルはこの何カ月かオプラのショーを放送している――数週間遅れではあるけれど。人気のショーだ。なぜって、ショーの話題がばかばかしいほど、気が紛れるってことにみんな気がついたから。
 上手な美容整形医の見つけ方とか五番街でのショッピング三昧には何を買うべきかとか、ね。私は、オプラの大ファンというわけではないけれど、面白いテーマがあれば見ていた。オプラが番組にコンディ・ライスを呼んで、思いやりの人だと持ち上げようとしたので(正直、むかついた)、それから見ていない。  
(訳者注:オプラ・ショーとは、アメリカで人気のトーク番組、オプラ・ウィンフリー・ショー。オプラは逆境を乗り越えて黒人女性として初のニュースキャスターとなった。9月半ば、番組の19周年記念に新車を276人にプレゼントして話題となり、その後も受け取った人は課税されることがわかるなど騒ぎが続いた。MBCは、ドバイを拠点とするアラビア語衛星テレビ局。ニュースと娯楽の2本立て。コンディ・ライスはコンドリーザ・ライス米国家安全保障担当大統領補佐官)。  

 さて、ウィルという人からメールをもらった(返事をしたが、届かないで戻ってきてしまった)。ウィルは、イラクの人々にヴァリウム依存症が広がっているというのは本当か、ヴァリウムが薬店でたやすく買えるというのは本当かと聞いてきたのだ!
 (訳者注:ヴァリウムはベンゾジアゼピン系の催眠鎮静剤、抗不安剤。日本での商品名は、セルシン、ダイアップなど。ウィルのメールには、オプラ・ショーに出たイラク女性の話で、サダム政権下より生活、治安すべてが悪化していること、恐怖と不安からヴァリウム依存症が蔓延していることなどを知ったと書かれている)。

 ヴァリウムはかつても今も薬店で手に入る。イラクは、ほとんどどんな薬でも‘薬店で処方箋なしで買える’という国々のひとつだ。必ずしも、どこでも何でもというわけではないけれど、だいたい、鎮静剤から抗生物質まであらゆる薬が薬店で売られているといっていい。それにイラクでは、薬はとても安い。そう、“実質的に”安いのだ。経済封鎖が行われる前、イラクには “サマラ薬品”というアラブで有数の製薬会社があって、ペニシリンから感冒薬まであらゆる薬を製造していた。  

 ウィルの質問。イラク戦争後ヴァリウム依存が広がっていますか。もちろん、広がっている。ヴァリウムは戦争の間、必需品だった。戦争への備えに、生活に必要な品々のリスト作りがあった。次から次へと作ったたくさんのリストの中に必需医薬品リストがあった。リストには、脱脂綿、バンドエイド、アルコール、ガーゼ、一般的な痛みどめなど基本的なもの、また、ペニシリン、コデイン(咳止め)、ヴァリウムなどの薬品。家族にはヴァリウムを飲んでいる人はいない。だが、これは“もしもの場合”の薬、買っておくが使わずに済みますようにと願うような薬のひとつとして、入れられたのだ。  

 4月の第一週、戦車がバグダードに侵入開始したと同時に、ヴァリウムを使わざるをえなくなった。家に年取った叔母が来ていた(住んでいたところから避難させられたのだ)。それにいとこ、その妻と二人の娘、叔父が加わり、家は混み合っていて、この非常時に、ほとんどお祭り気分だった。
 
 爆撃が激しくなり、一日の食事や睡眠のリズムが大きく乱された。すべてがバグダード攻撃を中心に回っているようだった。爆撃の中休みを縫って大急ぎで食事を調え食べ、‘衝撃’と‘畏怖’の合間にほんのひと眠りする。全く眠らなかった夜も何日かあった。そのような夜は、ただ起きていて、所在なく暗闇の中でお互いを見つめ、爆音に耳を澄ませ、地面が揺れるのをからだに感じていた。

  想像してみて。バグダードの寒い夜、真っ暗な空に突然白い閃光があふれる。まるではるか上空で星々が爆発しているよう。爆撃は激しく、窓はがたがた鳴り、地面は音をたてて揺れ、ミサイルのヒューという発射音が不気味に近く聞こえる。子どもも大人も全員、窓のない廊下に集まった。いとこの娘たちは毛布にくるまり、母親のそばでからだを丸めている。この子たち、とても静かにしているので眠っているようだった。が、眠ってはいないと私は気付いていた。見開いた目の白眼の部分が、ランプだけでほとんど真っ暗な廊下の、向かい側にぼんやりと見えていたからだ。

 さて、衝撃と畏怖の爆弾が嵐のように荒れ狂い始めると、それからはもう普通の会話はまったくできない。一言、二言早口に何か言うことはできるかもしれない。がそれも一時、そのうち爆音がとどろいて、口を閉じ頭を屈めながらまだ家が壊れていないことに呆然とするはめになるのだ。
 そのあいだずっと、心の中でお祈りを唱え、これまでの人生を振り返り、もしこの爆発で無事だったらと、やりたいことをあれこれぼんやり思い描いて、ただ時間をやり過ごす。とき折り耐えられなくなって、誰かがこどもに下手な冗談を向けたり、ご機嫌うかがいをしてかまう。が、返ってくるのは、たいてい消え入るような微笑か沈黙だけ。

  で、どこにヴァリウムの出番があるかって? この騒ぎのただ中で爆撃におののいている年取った叔母を想像してみて。恐怖のあまり心もからだもじっとしていられない。廊下を行ったり来たりし、ブッシュにブレア、戦争に関わる者は誰でも罵りたおす。でもこれは、まだ落ち着いているとき。心底怯えると、激しい罵りは止み、私たちみんな死んでしまうと、絶望して泣きわめく(このとき叔母さんは自分は息が止まっていると思っている)。私たち、瓦礫の中から掘り出されることになる。生きたまんま焼かれるんだわ――これがずっと続く。

 このすさまじい興奮の発作が起きるとそのつど、いとこは黙って、だがきっぱりとした態度で、叔母さんにヴァリウムと水を一杯渡すのだ。叔母さんは両方を飲む。するとほんとに数分で、落ち着いて少し平常に戻る。叔母さんはヴァリウム依存症ではなかった。しかし、戦争が激しくなったとき、とても役にたった。
 
 戦争が終わった今もまだ、同じことがあちこちで繰り返されていると思う。人間は、重荷が耐えられないまでになると、軽くしてくれるものにすがる。ほかの国では、つまり平時であれば、重荷を背負っていても、自分一人で耐えなくてもいい。友だちだって、身内だって、精神分析医だっている。誰か、がいるのだ。話を聞いてくれる人が。ここイラクでは、誰もが自分の問題を抱えている。家族が死んだ、拘束されている人がいる、強盗にあった、誘拐された、爆発にあったなどなど。で、とる道はふたつのうちのひとつ。ヴァリウムを飲むか、ブログを始めるか。

  もう一つの‘薬物’問題(そうこれも現実だ)は、もっとずっと深刻だ。戦争と占領の前、イラクでは、薬物(コカインとかマリワナとかのことよ)はそんなに大きな問題ではなかった。もちろん、さる人物から、またある場所でハシシやマリワナといったものが手に入るといううわさはあった。が、それほどふつうのことではなかった。大きな理由は、薬物を売れば、死刑で罰せられたからだ。いまは、バグダードのいくつもの場所で、薬物が手に入るし、南部ではありとあらゆる薬物が出回っている。バスラやナジャフなど南部の人々は、イラン人が密かに持ち込み売っているのだとこぼしている。イランは大量の麻薬取引をおこなっていて、いまやそのかなりがイラクに流れ込んでいるのだ。

 バグダードには、レイプから誘拐はては殺人までさまざまな犯罪と犯罪人の巣窟として知られた地区がいくつかある。犯罪人たちは、多くの場合麻薬常用者で、自分が商っているものを自分もやっている。その何かしらでハイになるからか、金が欲しいからか。  Eのある友人は、あるとき車の登録証を持っていなかったといって、イラク警察に拘束されてしまった。彼はいとこと一緒に警察署に連行され、満員の留置場に閉じ込められた。留置されて30分後、警官が一人、何かの錠剤をもってやって来て、拘束されている人々に一錠につき250ディナールで売ってやると持ちかけたという。

 もっと頭のまわるときなら、私だって薬物問題の深刻化について本気で考えた。問題は大きくなる一方だということはわかっているし、それをくい止めるためにすぐできることは何もない。だが、いまこの世にはより大きな問題がさまざまあるようで、薬物問題はほとんど私たちの心を捉えていないように思える。新学年が始まって、親たちは、子どもが誘拐されるか、爆弾で吹き飛ばされるかと心配している。メディアも深刻化しつつある薬物問題にさほど関心を払っていない。最終的には悲惨と荒廃をもたらすとしても、薬物は突然腕や脚を吹きとばしはしないし、車の中で爆発もしないし、空から降ってきて家を焼いたり家族を焼き殺したりもしない・・・つまり、誰も差し迫った脅威とはみなしていないのだ。  

 飢えたワニを撃退しようと必死の最中に、自分がガンだと知るようなものだ――病気の心配はあとまわし。

リバーによって掲示 午前1時39分

(翻訳 池田真里)


2004年10月3日(日)

サマラ炎上・・・

 はりつめた苦しい日々が続いている。軍がサマラ攻撃を繰り返すのを見、一家で避難してきた人たちやサマラ方面から来た人々の話を聞くと、戦争のあいだ感じていたやりきれない怒りがそのまま甦ってくる。死体が臥し重なるのを目にし、かつて家であった煉瓦や鉄材の下から人々が愛する者たちの亡骸を引きずりだすのを見守るのは、悪夢の中で見る恐ろしい夢のようだ。
 
 とどめの一撃として、イラク国民は、米軍広報担当者と我がイラクの新任政策担当者が攻撃を正当化し、自分たちの言葉に心酔しきった様子で‘暴徒’だの‘テロリスト’だのとしゃべるのを、見せつけられるのだ。世界最新の軍事技術によって、毎日毎日何百人もの一般市民が虐殺されていっているという事実はないかのようにしゃべるのを。  

 さらに、アラウィの得意げな口上とブッシュの虚けた弁舌ではまだ足りないとばかりに、パウエルやラムズフェルドのようなやつが“精密照準攻撃”について説明するのを聞かせられるのだ。精密な攻撃っていったい何のこと? サマラのような町やバグダード外縁部のサドル・シティのようなスラムで、どうやれば精密に正確にやれるのか。攻撃されているのは、数十年を経たみすぼらしい家ばかりの、狭くて人口稠密な地域だ。サドル・シティでは、家々は建て込んでいて道は狭い。ミサイルやタンクで、いったいどうやって精密に正確にやるのか。わたしたちはアメリカの“精密兵器(スマート・ウエポン)”って何のことか体験で学んだ。占領開始からほんの数ヶ月で1万人を超えるイラク人を殺すことができるくらい手際のいい(スマートな)兵器だってことだ。
 
 バグダードの爆音は相変わらずだ。数日前、およそ40人の子どもが爆破され、微塵にされた。子どもたちは、下水処理施設の落成式で米兵が投げ与えるキャンディを集めていたのだ(注:こんなふうにして、いつも惨事は起こっている。それだのに、わたしたちは、イラクの下水処理施設が再建されたといって祝わせられるのだ)。誰に対して、もっとも怒りを向けるべきか、わからない。軍が参列する式典で子どもたちをはしゃぎ回らせるのはいい考えだとしたばか者どもと広報担当に対してか、こどもたちを参加させた親たちに対してか。爆破を計画実行した者たちが地獄のただ中で焼かれんことを。
 
 誰が、数々の爆破事件や車両爆弾の背後にいるのだろうか。ビン・ラディンか、ザルカウィか。もしかしたら・・・しかし、単純すぎる。そんなのできすぎだ。ビン・ラディンがワールド・トレード・センターを直撃したから、アフガニスタンが攻撃された。イラクは占領された。当初、爆破も軍に対する攻撃もすべて、即“サダム忠誠派”と“バース党支持者”のせいにされた。すべてはサダムが糸をひいている、というわけだ。サダムが捕縛されるや、“イスラム過激派”とアルカーイダの仕業ということになり、突如ザルカウィが登場してきた。ザルカウィが数ヶ月前に死んでいる、あるいはもともと存在すらしなかったということがわかったら、こんどは誰のせいにするのかしらね。誰であるにしろ、3音節以下の名前の持ち主に決まっている。それ以上長くちゃ、ブッシュが発音できないでしょ。
 
 1週間前、バグダード、アーダミヤ地区で、イラク治安部隊に4人の男がつかまった。わたしの知るかぎり、テレビでもインターネットでも報道されなかった。わたしたちは、全貌を知るある友人から聞いて知ったのだ。4人の男は、住宅地で爆薬を仕掛けようとしていたところを住民に発見された。一人は逃げ、一人はその場で殺され、二人は拘束され尋問された。連中はバドル(ファイラク・バドル)旅団、つまりイラク・イスラム革命最高評議会の民兵組織の一員だと判明した。もし、犯人たちが逃げおおせて、爆薬が爆発していたら、ザルカウィの仕業ということになっていたかしら? そのとおり。
 
 イタリア人人質の人たちが解放されて、心からほっとした。そして、まだいわれなく捕らわれている人々も解放されますようにと願っている。イラク人の誘拐が続いていて、もう何千人にもなる。帰された人もいるけれど、殺された人もいる。それでも、大勢の外国人が誘拐されているのを知るのは、つらい。家に招いたお客様が近所の猛犬に噛みつかれるようなものだ。自分はどうしようもなかったとわかっていても、責任を感じてしまうのだ。
 
 でも、ケネス・ビグリーの解放交渉に、イスラム・グループがロンドンからやってきたとき、わたしはそれほど同情してはいなかった。彼が生きて帰されることを本気で願ってはいた。しかし、ファルージャやサマラやサドル・シティやそのほか多くの場所が爆撃されているというときに、多数あるイスラム・グループはいったい何をしているのだろうか。月に何百人というイラク人が死んでいっているときに、どうしてたった一人の英国人に係(かかずら)うのだろう。どうして、外国人がロンドンやワシントンやニューヨークで爆弾を爆発させたら、‘テロ’なのだろう。外国人がなんら問題のないイラクの町々を爆撃すれば、‘解放’とか‘作戦’なのに。わたしたちは、それほどまでにどうでもいい存在なのか。

リバーによって掲示 午後8時3分

(翻訳 池田真里)