Baghdad Burning

バグダードバーニング by リバーベンド

... I'll meet you 'round the bend my friend, where hearts can heal and souls can mend...

友よ、私の心が失われあなたさえ見分けることができなくなったら、どうか私を偉大な文明をはぐくんだ、チグリス・ユーフラテスの胸元に連れて行って欲しい。そこで私は心を癒し、魂を再生させるでしょう。

                              (12月翻訳 池田真里) 

2003年12月26日 (金)

バグダードのクリスマス

 昨日は、ほとんど終日爆発と爆撃が続いた。夜が更けても止まなかった。ある時点で、誰が誰を爆撃しているのか、わからなくなる。抵抗勢力かアメリカ人か、戦車か迫撃砲か、クラスター爆弾か簡易爆弾か。ニュースでは何も言わない・・・CNN やアブダビやアルアラビアを見た人は、バグダードではいつものドンパチ以上のことは、何も起こっていないと思うだろう。昨日のは、とってもじゃないが”いつもの”ではなかった。各国大使館、鉱山、住宅地、グリーン・ゾーン・・・そして、サイレンの音。サイレンはいやだ。爆発にも窓の振動にもドアを叩きつける爆風にも飛行機にもヘリコプターにも我慢できるけれど・・・サイレンの音を聞くと、心が泣き叫んでいるような気持ちになる。

 爆発は本当にすごくて、祝祭の雰囲気にひたるどころではなかった。この数日で一番すごかったのは、クリスマスイブを過ごしにクリスチャンの友人のうちに行ったときだ。私たちのうちは、クリスチャン家庭が多い界隈にあって、普通なら、1年のこの時期は、静かに祝祭の雰囲気に満たされている―緑の芝生には小さなプラスティックのサンタ、ドアにはクリスマスリース、木々にはとりどりのライトが点滅する。

 この日訪ねた友人家族(Abu Josefの家族)は、ライトにこっていた。毎年、クリスマスの1週間前になると、自宅用のプラスティック製ツリー(もみの木は、イラクではまず手に入らない)だけでなく、小さな前庭の4本のオリーブの木も赤いライトのついた長いコードで、飾りつけるのだった。家の前を通る人はだれも、枝々に赤いライトをきらめかせた緑のオリーブの木を見て、ほほえまずにいられない・・・’クリスマス気分’にひたってしまうのだ__クリスチャンもイスラム教徒も。
 
 今年、ツリーは飾られなかった。父親がこう言ったから。「あんまり注目されないほうがいい・・・それに、電力不足の折りだから、よくないだろう」。だが、家の中のツリーは、飾られていた。飾りがいっぱいで、ほとんどひしゃげんばかりだった。いわゆるツリーの飾りはもちろんぶら下がっていたが、木の表面は、クリスマスっぽいとはいえない、ポケモンのキャラクターで被われていた。この家の8才の子は、ポケモン人形の熱烈なコレクターで、ツリーの下の部分は、2ー3年前イラクを席巻したこれらプラスティック人形の重みで、めりこまんばかりだった。

 イラクのこどもたちもサンタクロースがいると信じている。けれど、ここでは”Baba Noel” 、”ファーザー・クリスマス”と呼んでいる。こどもたちに、ファーザー・クリスマスってどんなふう?とたずねると、たいてい、太っていて、にこにこしていて、赤い服を着ていて、髪の毛は白いと答える(ここの家の生意気な11才の子の解説によると、「太ったのはデーツの食べ過ぎ、にこにこしてるのはお酒のせい、コミュニスト(!)だから赤い服着てるんだよ。」) もっとも、イラクではサンタは煙突からやっては来ない。イラクで煙突のある家はまあないから。それに、真夜中に突然やって来もしない。だって、そんなこと、不作法だもの。サンタは、どっちかっていうと、親たちが子どもたちのためにクリスマスプレゼントを買いに行くときの、天の声みたいな役割__祝祭日のあそび心、そういってよければ。当地では、サンタのお供のトナカイはいない。

 バグダードの多くのクリスチャンにとって、クリスマス頃の定例行事とは、たいてい、クリスマス・イブに家族や友人たちと団らんの時を過ごすことだった。 贈り物や食べ物(いつも食べ物__イラク人なら、それが最高)をやりとりして、客人や仲間たちをもてなす。12時になると、近くの教会のクリスマス礼拝に出席し、ろうそくを灯して、クリスマスの精霊を迎える。クリスマスは、私たちイスラム教徒のイードの第1日目に似ている___食べて飲んで、家族や友人や近所の人々をもてなし、夜に友人宅かバグダードの娯楽クラブのどこかでのお定まりのパーティを設定する。クリスマス・パーティで有名なのは、ヒンディヤ・クラブとアルメニアン・クラブだ。

 今年、クリスマス礼拝は早い時間に行われ、多くの人は行かなかった。ガソリンがなかったか、夜、バグダードを車で出歩くのは安全じゃないと思ったか、どちらかだ。その多くは、家族と一緒に過ごすこともできなかった。治安が不安だったからだ。 Abu Josefの家族は、モスルの北の小さな村に叔母さんと叔父さんたちがいる。毎年、親戚一同やってきて、1週間滞在し、クリスマスと新年を祝う。今年、彼らは村を出ないことにした。家を空けてバグダードへ向かうのは、まったく安全ではないからだ。

 その夜そのとき、家は暗く、停電していた。私たちは、ひと所に集められ床の上に座って、デーツの実を食べ、 Abu Josefの犬がツリーの一番下の枝を噛んでいるのを見ていた。リビングルームは、灯油ヒーターから放たれる暖かい光とコーヒーテーブルの上の数本のクリスマス・キャンドルの光で照らされていた。突然切り裂くように電話が鳴り、 Abu Josefは駆け寄って受話器を取った。トロントの彼の兄からだった。素晴らしいクリスマスプレゼント! 戦争が始まって以来、初めて Abu Josefのところにかかってきた海外からの電話だったのだ。私たち全員が驚いた。
 この頃の電話での会話は、こんなふうだ。

III=イラク国内イラク人
IOI=イラク国外イラク人

リーンリーン
III:もしもし?
IOI :もーしもーし?
III:もーしもーーし? どなたですかあ?
IOI:Abu? 元気?
III:わあ! ほんとにお前か?
(後ろで家族が「誰から?! 誰から?!」といっせいに叫ぶ)
IOI:みんな・・・(感激のあまり声が続かない)げんき?
III:みんな・・・(雑音)・・・元気だよ。
IOI:よく聞こえない(大声で)。元気? ああ・・・
III:もしもし? もしもし?(後ろの人に向かって「しー・・・何にも聞こえないじゃないか!」。みんな静かになり、息を殺す)
III:もしもし? もしもし?
IOI:もしもし? あ、聞こえる、元気?
III:元気だよ、元気。
IOI:お母さんは? みんなは?
III:みんな元気だよ・・・元気にやってるよ、おかげさまで。
IOI:よかった(また声が続かない)。
III:そっちはどう? (どう・・、どう・・、どう・・と反響が続く)
IOI:こっちは大丈夫、だけどそっちのことがものすごく心配で・・・
III:大丈夫だよ、無事だ・・・電気もないし燃料もないけど、ちゃんとやれてる・・・
IOI:(雑音・・声が遠くなる)・・・なんべんも電話しようとしたんだけど・・(雑音ひどくなる)・・それで恐ろしいこと聞いたんだ・・(雑音)
III:もしもし? もーしもーーし? 聞こえる?(返事はない)
III:もしもし? 聞こえてたら・・こっちは聞こえないんだけど・・・(まわりの親族は全員息を殺す)
III:・・まだ聞こえないんだけど・・聞こえてたら、みんな元気だよ。大丈夫。ぴんぴんしてて、そっちのこと心配してるよ。心配しないで・・ yallah,ma'aalsalama...心配ないよ。もしもし・・もしもし・・?

 受話器が戻され、この大変な事件が終わると、全員少しほっとし、同時に取り残されたような気もちで、息を吐きだす。
 ちょっと遅くなったけどーーめりー・くりすます。
riverによって掲示 5時25分
2003年12月24日 (水)

アジアのベスト・ブロッグ・・・

 Flying Chairをチェックして、アジアのベスト・ブログのノミネーションをみてみて。私としては、パキスタンとイランのブログがちょっと気になる。私たちの文化の似てるところや違いを比べてみたい。このページで、バグダード・バーニングは、イラクのベスト・ブログにノミネートされている。お気に入りに投票しましょう。 riverによって掲示 午前3時57分
タンクの水を満たすこと・・・

 今日、水のタンクをいっぱいにした。イラクでは、たいていの家は、屋上に’tanki’、つまり水のタンクを据えつけている。通常の場合なら、水圧は高くて、’市営水道’の水を屋上のタンクに送ることができる。水は、そこから、’gizer’という湯沸かしボイラー(電気、灯油、石炭で加熱される)にいくか、直接、蛇口へいって、冷たい水として使われる。この頃、うちの辺りでは、水圧が低いので、水が、一階の2カ所の蛇口までやってくることはほとんどない。

 朝10時頃、台所の蛇口をひねって、タンクが空だと知った。水がジャーと流れでる音のかわりに、ギイギイ、ブツブツ、キーンという音が出てきたからだ。蛇口と私は、同時にうめいた。E の名を大声で叫ぶと、 Eはセーター2枚とパジャマのズボン、左右違うソックスという格好で(この頃すごく”寒い”のだ)、階段を転がり降りてきた。
 「E、水がない! どの蛇口からも一滴も出ない・・・タンクに入れなくちゃ」 Eはうめいて、階段の手すりにかるく頭を打ちつけた。なにやらつぶやきながら。彼が悪いんじゃない。タンクに水を入れるのは面白くもない仕事だ。最低3人の人とバケツ数個、バケツの水は思いきりジャブジャブはねかえり、濡れた地面の泥もはねかえり、何回か転んで水をかぶる。
 E は、もちろんいつも屋上の役だ。つまり、彼は屋上のタンクのそばに立って、水の入ったバケツを受け取り、タンクに空ける。私は、ホースの役、ということは、凍える寒さの戸外に立って、庭のホースからくる凍えるほどの水でバケツをいっぱいにする。足踏みしながら。部屋のストーブのことを頭から追い払いながら。さらに、あと二人要る。運び屋って言ってるんだけど、ホースを操る私からバケツを受け取って、走って Eに私,が空にしたバケツをもって戻ってくる。これが、12ー15回繰り返されて終わり。あるいは、 か運び屋か私が疲れ果てて脱落して終わり。

 冬の間のこの仕事がもっとも大変なのは、任務についたら必ず濡れて凍えることだ。それでも、このいやな仕事はしなければならない。別のやり方では、タンクをいっぱいにするのに、何日もかかってしまうだろう。うちには電動ポンプもあるけれど、電力不足でポンプはすぐダウンし、タンクをいっぱいにすることはできない。
 私は、最後のバケツを屋上に自分で運んだ。我々の運び屋(3軒隣の12才)が、サッカーの試合があると言ったからだ。タンクに近づくと、タンクに寄りかかっているEが見えた。 Eは、鳩としゃべっていたが、鳩のほうはEに知らん顔だった。バグダードには何百万とも思えるほど鳩がいて、嫌がっている人もいる__ は違うけれど・・・私は、Eがとうとうどうかなったかと思った。「何しゃべってるの?」驚いて、聞いた。
  「こいつの羽がうらやましかったんだよ」と、遠くを見つめながらぶつぶつ言った。「そう・・・どっかへ飛んできたいのね」私は、したり顔でうなづいた。「ちがう・・・ただ、こいつは、ガソリンを手に入れるのに、8時間も行列して、またつぎの場所で行列してってしなくてもいいなんて、すごいって思っただけ・・・」
riverによって掲示 午前3時49分
2003年12月22日 (月)

疑問と恐怖

 ここ数日、バグダードはひじょうに緊迫している。昨日だけで、8回も爆発音を聞いたが、テレビのニュースはどこも取り上げていないようだ。デモも数回あった___反サダム・デモも、サダム支持デモも、反アメリカ・デモも。もっともすごい反アメリカ・デモは、A'adhamiyaとAmiriya とであった。どちらもバグダードの住宅地区だ。
 
 :A'adhamiyaのデモのひとつには、バグダード中から人が集まった。参加者たちは、過去数週間に拘束された何百人もの人々の解放を要求していた(このほかにも全体で数千のイラク人が拘束されている)。拘束されたイラク人というと、30才か40才台の髭面のこわい顔の男たちが、反帝国主義スローガンを叫んで集まってたけり狂っているさまを思い浮かべるでしょう? 女性がいるって言っても想像できないでしょう? 学校の教員、大学教授、主婦たちが、集められて恐ろしいAbu Ghraib 刑務所へ送り込まれる。子どもたちも。わずか13才、14才くらいの子どもが、頭に袋を被せられて両手を後ろで縛られて、どこかへ送られる。恐怖と驚きで泣いている。兵士たちにはわからない言葉で、愛するものたちがどこかへ連れていかれるのかを教えてくれと懸命に頼んでいる母親たちや子どもたちのこと、あなたは知らないでしょう?

 Amiriyaのデモは、地域の男子高校の率いられたサダム支持デモだった。バグダードのJo Wildingが、これらデモのことを、インターネットの記事で書いている。彼女は、拘束についても書いている。つぎのサイトを見て。
December 18th-Arresting Childrenm(青字)Decembe 13th-Prisoners
December 13th-Prisoners

 ガソリンは大問題だ。友人は2ー3日前に仕事をやめた。彼女は、勤務先の病院まで、毎朝バグダードを横断して夫に乗せていってもらっていたのだが、夫が彼らのおんぼろボルボに給油するために4時間も5時間も長い行列に並ぶことができなかったからだ。最近は、誰もが闇でガソリンを買うようになった。闇ガソリンを売ったり買ったりしたら、7年から10年の懲役だと脅すビラや通告は行き渡っているのだけれど。闇ガソリンとは、つまるところ、元値の30倍もの値段でガソリンを売っている、汚れたプラスティクのコンテナに囲まれた恐ろしげな汚らしい男のことだ。男は、口の端にタバコをくわえて、まわりをずるそうに抜け目なく窺っている__というのが定番だ。  
 
 私たちは、灯油ランプを使わずほとんどろうそくで過ごしてきた。灯油売りがこの数日やってこなかったし、灯油はストーブに使わなければならないからだ。子どもたちは、ろうそくが大嫌い。6時間停電したあと、夜8時、突然電気がついたことがあった。みんなわっと喜んで、テレビに向けて殺到した。口々に叫んだ。「ニュース! 映画! 歌! 漫画!」 チャンネルをかちゃかちゃやった末に、映画に落ちついた。
 みんなで座ってみていると、場面は照明を消した部屋になった。カメラは、丸いテーブルについて、2本のすてきなろうそく越しに見つめあい微笑みかわすカップルを映し出した。ほのぼのとしたロマンティックなキャンドル・ディナーだった。全員、うっとりとながめていたと思う。突然、いとこの一番下の女の子が、金切り声で叫んだ。「停電だ! ろうそく使ってる・・・」
 「停電じゃないのよ、その方がロマンティックだから、”わざわざ”暗いとこに座ってるの」ということを説明するのに、15分もかかったが、この子は納得しなかった。7才の子にロマンスを説明するのはなんでもない。照明のない部屋のろうそくと’ロマンス’との関係を説明することのむつかしさといったら! その7才の子が、ものごころついて以来、”ろうそくといえば爆発と停電”と刷り込まれているなら、説明はほとんど不可能だ。
 
 この数日は、本当に怖しかった。バグダードの空気には、私をおびえさせるものが満ちている。誰もが緊張を感じ、神経を張りつめさせている。この怖しさは、町で続いていること__暴動、銃撃、爆撃、襲撃からくるのではなく、この先待ち受けているもの、起こりうることに対するものだ。私たちは、子どもを学校に行かせていない。いとこの妻は、多くの親たちも同じだと知った__とくに、子どもを車で送り迎えしなければならない親は。
  私たちは、先週の事件_暴動と暴力_のなりゆきについて、話題にすることを避けてきた。めったに内戦の可能性について語ることなどない。それについてあれこれ言うことで、どうも実際の事態以上のことになるむきがあるからだ。 だから、それについての話は、声をひそめ狼狽のあまり切迫した表情で語られる。そうなる? 起こる?
 イラクでは、スンニ派とシーア派は、ずーっと協調してやってきた。いまでもそうだ。いまのところは。私の出身は、半分がシーア派、半分がスンニ派であるような一族である。なんにも問題はなかったし、教育ある人々の大半は、この二派の違いをうんぬんしない。八方に敵意を煽り対立を引き起こしている元凶と思えるのは、連合軍暫定当局(CPA )と統治評議会(GC)が養成している対内乱民兵組織だ。これには、チャラビの殺し屋たち、SCIRI過激派とクルド Bayshmargamsの一部が参加することになっている。
 
 わかりやすいが、だが誤った見方は、クルド人やシーア派にとって、これはプラスだというものである。とんでもない。穏健なクルド人とシーア派の大部分は、スンニ派とまったく同じに、この新たな兵 /スパイ集団に怒りを募らせている。国民に向けて放たれ、国民をほしいままにすることを意図していると。イラクのいたるところで、敵意と猜疑が増悪するだけのことだ。また、このイラク新軍が占領軍と同様に見境なく拘束と襲撃を行うというなら、さらに多くの血が流されるであろう。
 
 私は、まえにこう言ったことがある。イラク人は、内戦という惨事を引き起こしたり無実の人々を虐殺するような人間ではないと願うし、信じてもいると。そして、私はいま、このところの極度の絶望にもかかわらず、この思いにしがみついている。戦闘の間、レバノンに住んでいた人々から、レバノンの話を聞いたことを思い出す。彼らが取り返しのつかない惨事のことを話すのを聞いていて、いつも同じ疑問がわいてくるのだった__何が下地になったのか? 兆候は何だった? どのようにして起こったのか? そして一番大きな疑問・・・誰かそれを予見したのか? によって掲示 午前6時19分
2003年12月16日 (水)
最新のーー

 やっと2時間まえに電気が通じたところだ。72時間も電気なしだったー他の地域はもっと悪い。電気が戦争前の水準に戻るのは、やっと来年の中ごろだと、今日、聞いた。
 
 サダム捕縛のニュースを聞いたのは、一昨日の昼すぎだった。電気はなかったから、テレビを見ていたのではない。何か変だと最初に感じたのは、遠くにカラシニコフの銃声を聞いたときだった。ちょうど、E(弟)と、どっちが石油ヒーターに給油するかやりあっていたところだった。それを中断して、銃声に耳をすませた。わたしは、電池式のラジオをひっつかみ、あちこちとラジオ局を探した。そしてやっとアラビア語の局を見つけ、サダムが捕まったかもしれないというニュースを聞いた。
 
 最初、なにも思わなかった。−またもやガセネタ。毎週1回はこんなことがあるのだ。銃声がさらに激しくなったとき、Eは好奇心を抑えきれなくて、近所の家に飛び込んだ。その家は、小さな発電機をもっているのだ。15分後、戻ってきたときは、あえぎながらやっとこう言った「サダムが捕まった・・・」。わたしたち全員がショックにうたれた。全員がラジオにわっと群がり、何が起こったか知ろうとした。全員が疑問を口にし、きりがなかった。誰が?何を?いつ?どうやって?
 
 テレビの映像を見て、記者会見云々を見たのは、やっとその日の午後遅くになってからだ。その時には、バグダードは、弾丸が飛び交い、男たちが旗を振りまわし、混乱のさ中にあった。わたしたちの住む一帯やそのほかのところは比較的静かだったが、バグダード中心部は、激しい銃撃戦の嵐のまっただ中だった。

 共産党はおそろしかったー彼らは事前に知っていたかのようだ。彼らは、ただちに赤旗とバナーを高く掲げ、街路やFirdaws広場(注:サダムフセイン像のあった広場)をパレードした。わたしのいとこは、交通渋滞にはまって、その光景を見た。恐怖だったと言った。 

 そのときの発砲は、喜びの表現とされているーそうかもしれない。無防備な人や車でいっぱいの町中から遠くはなれた砂漠の発砲であれば・・・。しかし、バグダードでは、発砲はすなわち混乱だ。人々は文字とおりアヒルの群れのようにあわてふためいて、あめあられと降る銃弾から逃れようとする。なぜなら、爆発したものは最後には落ちてくるに決まっているからだ。
 
 昨日は、混乱の一語だった。親たちはこどもを家から出さなかった。どこかでは、アメリカ支持のデモもあった。反米デモもあった。昨日の夜6時すぎ、バグダードの住宅地域、アメリヤ地区で混乱が始まった。突然、道いっぱいに反米デモがあふれた。サダムの写真を掲げた参加者もいた。それは夜11時頃まで続き、そこへ戦車が横付けし、なんとか騒ぎはおさまった。バグダードのA'ashamiya、その他1ー2の地域で同じような事件があった。
 
 きょうは、SCIRI(イラク・イスラム革命最高評議会)が組織したアメリカ支持のデモがバグダードであった。そして、ティクリート、ファルージャ、サマラ(ここではイラク人11人が殺されたーCPA(暫定占領当局)は彼らは”暴徒”だといっている)、バグダード、Imsayabでは、反米デモがあった。最大のものは、モスルのデモだった。反占領デモにモスル大学の学生たちが何千人も加わって街路をうめ、住民も参加したー大学の学長は、大学を閉鎖しなければならなかった。 このデモはすごい規模だった。どうしてCNNがとりあげなかったのか驚きだ。軍は人々の頭上に発砲し、ヘリを導入して、デモの群れを散らした。
 サマラのデモも同じようにして終わらされた。ただ違うのは、人々に”向けて”発砲が行われ、数人が重傷を負ったことだ。
 
 あなたが聞きたいことはわかる。このこと、サダムの捕縛で、今後、抵抗、暴徒、攻撃はどうなるかーでしょう?  ほとんどの人は、サダムが捕まったってたいした変化はないと考えている。サダムの重みは、4月以降、無くなっている。ゲリラ・グループ、抵抗政党は、サダムを返せと戦いを続けているのではない。わたしが思うに、実際にそんなことが起こると思っている人はいない。

 イラクの政治学者や教授たちは、サダムの捕縛は、抵抗勢力を団結させると考えている。彼らの一人はこう述べた。「もうこれで、人々は自分たちの国の主権のために闘えるのだ、サダムのためでなくて」

 昨日から、噂がしきりだ。そのすべてがティクリートから入ってくるように思える。噂には、サダムはほんとは1週間前に捕まっていたが秘密にされていたのだと言われているというもの、また、彼が隠れていた地域で秘密裡に神経ガスようのものが使用されたというもの、どのように彼に”クスリが盛られた”かーどうやら食べ物らしいーというもの、などなど。彼はカタールで尋問されているという人もいる。きりがない。
 
 統治評議会も同じように動揺して混乱しているらしい。タラバーニは、Bayshmarga(クルド人の民兵)と軍当局の協力作戦の成果だと主張している。いっぽうチャラビは、すべてまったくアメリカの作戦だと言い張っている。誰が正しい情報を流し、誰が歪曲しつつあるのか、わからない。

 人々の意見は割れている。どこで彼が(サダムが)裁判にかけられるべきか、誰によってーイラク人によってか、国際法廷によってか。占領下での法廷の適法性に疑問をもつ人もいる。ただ1点、人々が合意しているらしく思える点は、公開法廷でなければならないこと、そして、”すべて”が法廷に出されることだ。問題は、アメリカがそれを認めるか? そのことで、80年代のアメリカとの政治的取引(ほら、あの)がおおやけになるのではないか? 時間がたてばわかることだが・・・。
 
 バグダードは、このところ恐ろしい状況にある。ある地域から別の地域に行くのは、まるである都市から別の都市へ行くみたいー気持ちや感じかたがものすごく違っているので、衝突がおこるのは、ただ時間の問題のように思われる。
riverbendによって掲示 9時58分
2003年12月12日 (金)

ところで・・・

 ワシントンの最新の発表では、ドイツ、フランス、ロシア、カナダは、イラク復興に関わることを認められないという。イラクはもう、国ではないみたい__まるで戦利品だ。勝てばこっちのもの、というわけだ。これらの国々がこれみよがしに排除されようというとき、国際社会はイラク復興にどのように関わるべきというのか? このような決定は、統治評議会がまったく無用であることを明らかにするものである。なぜ、ワシントンは、復興問題を取り仕切ろうとしているのか。これはつまり、軍事占領が終わってもなお、さらにその後何年にもわたって、私たちは、経済的に占領されるということだ。どうして、新閣僚の誰も、統治評議会の面々も、何も発言しないのか? とはいえ、彼らが何か言うとしたら、この決定に諾を言うものだろうと、私は思っている。

 昨日、バグダードでは、約4千人のデモがあった統治評議会を構成する政党も、’反テロ’抗議行動に参加した。街路は、治安を理由に閉鎖され、ヘリコプターが頭上を旋回していた。女性のフループも2−3見かけた・・・アッダワ アル イスラミヤ(Al-Da'awaAl-Islamiya)(アル ジャファリの党)の女性を何人か見た。イラク共産党とイラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI )も参加していた。 SCIRIの党員が、”ノー・テロ”のバナーを掲げているのは、皮肉なながめだった(まず、女性アンカーがヒジャーブを被っていないからといって、アル イラキヤ(Al Iraqiya )放送局をテロるなんてことをやめてもらおうじゃないの)。
 
 ほかの地方でもデモがあった。それらはどれも、バグダードのデモとともに打ち上げ花火のように打たれたものだった。実態はといえば、デモのいくつかは反占領デモだった。 Khaldiyaのデモがそのひとつだ。 Khaldiyaでは大勢の人々がデモをし、アメリカ軍基地の刑務所に拘留されて3カ月以上になる少年や男たちの解放を要求した。
 
 今日(いや、厳密には昨日、夜中の12時をまわったから)、バグダードではまた大きなデモがあった。静かな反占領デモだった。参加者は、主に大学生と教員たちで、大学で起こっている襲撃(不意の家宅捜査)に抗議していた。彼らは、バグダード工科大学が襲撃されたとき、拘束された3人の女性の解放を要求していた。デモ・グループのスポークスマン(教授だと思う)は、このデモは、教員と学生が計画している長期の反占領抗議行動の第一回目だと語っていた。
  少し前、大きな爆発音がいくつかした・・・私の推定では、’グリーン・ゾーン’の中だったかもしれない。
riverによって掲示 午前2時22分
灯油とガソリン・・・
 この頃、電気はひどい状態だ__発作のように、ついたり消えたり。消えた瞬間、私たちは家中走り回って、プラグを抜き、スウィッチを切る__電気が通じたとき、何もかもがあらゆるところでいっせいについてほしくないでしょ? そんなわけで、あまりブログできなかった。電気が通じているときはいつも、電気社会でなければできない、こなすべき用事の長いリストが頭にある・・・たとえば、掃除機。これはバグダードだけのことではないという__北部も間断のない停電に悩まされているらしい。
 
 近頃、近所で一番人気があるのは、Abu Hassenだ。うちと同じ通りに住んでいて、大型発電機を買う予定である。これは、20軒もの家の電気をまかなおうというもの。問題は、20軒”以上”はめんどう見きれないことで、彼の電気の希望者はみんな’サインアップ’しなければならない。 Eが、わが家のための数アンペアを申し込みに行ったとき、 Abu Hassenは、申し込みたい人は30人もいるといった。にもかかわらず、かれは待機者リストにのせてくれた。
 発電機は高価なので、は、Abu Hassenは、長いこと買うのを迷っていた。Eの話では、Abu Hassen のいとこが、バグダードの発電所で働いていて、電力事情はこの先まだまだ不安定だから発電機は、”すごい”投資だと Abu Hassenを説得したのだという。
 
 目下の大問題は、ガソリンが手に入りにくいことだ。イラク人にとって、これは本当にいらだたしい問題だ。イラクでは、ガソリンは水同様だったのだから。本当に、ボトルの水の方がガソリンよりずっと高かったのだ。実をいえば、今だって高いのだけれど。ガソリン・スタンドの行列は、あきれるほど長い。 Eといとこは、ときどき車の給油に行っては、帰ってくるのは数時間後だ。ガソリンは、発電機用になくてはならない。そこへいま、配給制が行われようとしている。ということはつまり、ガソリン価格が上昇するということだ。闇ガソリンが横行し始めるから。
 
 最近は、灯油も、入手しにくい。灯油売りが通りにがたごととやってくるのを聞きつけると、各家庭を代表する者たちがいちはやく戸口に現れ、門のところでしんぼう強く待っている。「こんにちは、 habibi!」と愛想たっぷりに呼びかける者もいる。灯油は、’sopas ’という灯油ストーブとランプ用に必要だ。日中は、過ごしやすいが、夜になるといくぶん寒くなる。私たちは、灯油ストーブを付け、灯油燃焼で生じる有毒ガスが出ていないか注意深く見張るのである。寝ている間に、一酸化炭素中毒で全員死亡した家族もある。
 ストーブで一番いいことは、その上にいつもやかんの湯があることだ。やかんは、同時にふたつの役をこなしている。部屋の空気を乾きすぎないようにすること。夜のお茶会用のお湯をつねに準備していること。 sopaは、パンを温めるのにも良い。夜、電気がつくという見込みもないとき、sopaから少し離れた絨毯のうえに座って、甘いお茶を温かいパンとイラク名物のチーズと一緒にいただく。ラジオを聞いたり、よもやま話をしたり、政治を論じたり、しながら。
 最近は、日が早く落ちるようになった。だから、停電していたら、少しばかり気が滅入る。 Eと私は、毎夕のように屋上へ上り、太陽の最後の数分を享受する。ときどき夜になって、電気がつくことがある。ライトが突然ちかちかし、最初のうちはまぶしくて何もできない。じっと座って、目をこの急激な変化になれさせるだけ。
iverによって掲示 午前2時21分

2003年12月6日 (土)

最近のできごと・・・

 雨! 雨が降っている・・・雨が好き。たいていのイラク人は、雨が好きだと思う。世界のここ乾燥地帯では、雨は珍しいから。ここでは、1年のうち雨が降るのは1ー2カ月、それも雨っていうより・・・おしめり。
 雨のにおいがする。ほんとうにすてきなにおい__湿った土のにおい。今年初めての雨ではないけれど、少し降り続いている。みんな雷が鳴りますようにと祈っている。イラク人は、'chimeh' 、トリュフが好きだから。これは、じゃがいものような形をした、地下できのこのように生える野菜で、濡れたソックスみたいな味がする。雨期に雷が多いほど、形がよくて大きくておいしいと3拍子そろったトリュフがとれると、信じられている。どうしてって? 私に聞かないで。
 
 目下の話題は、サマラだ・・・私たちの発音では、’Samir-reh’ だけど。だれもが、いまの状況について、めちゃめちゃに支離滅裂だ。アメリカ軍は、イラク人54人死亡、数人が負傷__そのほとんどは、暴徒だと言っている。いっぽう、イラク警察は、死亡は8人だけで、うち二人は、イランからサマラの聖地に巡礼に来た老夫妻だと発表した。戦闘のあと、見つかったのは、8人の遺体だけで、フィダイン( fida'ieen)の衣服を付けた遺体は一体もなかったと警察は言っている。じゃ、残りの遺体はどこへ行ったの? イラク軍のところでもないし、アメリカ軍のところでもない__わかっているところでは・・・ただ姿を消したってわけ?
 
 サマラの人々は、アメリカ軍も犠牲者が出たと主張している。ほとんどの人は、死者の大きな数字は、付帯的被害を正当化するために持ち出されたと考えている。付帯的被害とは、すなわちイラン人旅行者のような市民など、まったく無関係なのに被害にあった数十人の人々のこと。54人死んだのなら、いわれなく殺された人々がさらに8人いても、問題にならないだろうというわけだ。人は、’全体像’を見るものだから。
 ひとつ、誰もが一致していること__負傷者が何十人も出たこと。病院はすさまじい光景だった__すごい数の負傷者、子どももいた。占領軍は、すべて町の外で起こったと言っている。が、爆撃された家々、砕かれたガラス、’付帯被害’のすべては、正反対の証拠を示している。ほかにも、モスク、病院、住宅が猛烈な爆撃にさらされたとする証言がいくつかある。
 もうひとつの話題は、民兵組織を創設して占領軍に対する抵抗勢力と戦わせるという、連合軍暫定当局の決定だ。民兵組織は、統治評議会の面々が関わる諸政党のさまざまな民兵から成る。これについては、 Juan Coleを読んで。
 
 みんな、心配でたまらない。これはつまり、Badir's Brigade (イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)に所属)とBayshmarga(タルバニの仲間)が(ほかにもあるが)、合法化されるということだ。制服と武器を与えられ、この数カ月やってきたこと__市民を襲うこと__を本来の任務と認められるのだ。このたびからは、連合軍暫定当局のお墨付きで。
 南部のMuqtada Al-Sadrは、半ば公然と脅しを始めている。権力を、いやその一部でもくれないのなら、民兵組織は抵抗勢力に流れるおそれがあるぞと。
 この最近の民兵問題は、先月、この同じ民兵集団が武装解除を命じられていたことを考えると、100%の場面転換だ。いとこは、賢い。数週間前、 Badir's BrigadeとBayshmargaの武装解除の決定を聞いた瞬間、けたたましく笑って、わたしのうぶさかげんを吹きとばした。「きたぜ!」
「ちょっとの間、おもちゃを取り上げとくのさ、そして、すてきなスーツ、腕にはバッジ、月給に、でかい銃が支給される」 やっつけられないんだったら、やつらがやってることを支持してるふりをすることだ(そして、”実は”やつらの主人なのだというふりを・・・いや、ふりでなくて、”ほんとうに”だ)。

 Salam Paxが、またブログし始めた! 彼のブログの字はオレンジ色だ。それに対し、パートナー・ブロガーの Readのは白字だ。彼を知らない人のために言うと(知ってるわね?!)、 Salamは、The Baghdad Bloggerで、戦争前からブログしてる。そして、私に(ほかの人にも)ブログを始めるよう勧めてくれた__毎日読んでくれている。 SalamもJuan Coleも、アメリカが、夏に国勢調査(投票のための)をするというイラクの計画をはねつけたという事実 the US rejected an Iraqi plan to hold a census by the summerを取り上げ、統治評議会はショックを受けたはずだと述べている。私が思うに、統治評議会は知っていた可能性がある。しかし、イラクの言葉で”ghelisow ”というように、問題そのものに気づかぬふりをしたのだ。チャラビのごとき輩、いやタルバニでさえも、有権者からまったく支持されないことを十分知っているからだ。任命される可能性があるのに、あえて危ない選挙を選ぶやつがいる?

あんまり関係ないけど・・・
Is Something Burningが更新されました。
riverによって掲示 午前2時23分