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 あなたがいつも若々しいために!

 老化予防のページ


    音楽(BGM)は大庭加奈子が演奏をした「子守歌」です。
      左のスライド
音を小さくしたり、止められます。


 このページの内容

  なぜ人は老化をするのでしょうか?

     3つの願い
     成せばなる=可能性への挑戦
     教育勅語の見直し
     聖徳太子十七条憲法
     功名よりも若さと心の安らぎ
     食べ物に関する注意
     老いやすい人と老いにくい人=老いの自覚
     ボケやすい人とボケにくい人
     ボケやすい人とボケの初期症状
     老化とは何か?=老化と時間=時間とは何か?
     なぜ老化をするのであろうか?
     時計を持たない生活
     まだ半分ある=もう半分しかない
     人の一生?
     「妻を亡くした夫」と「夫を亡くした妻」
     サムエル・ウルマンの『青春』という詩
     青春とは何でしょう?
     脳の不気味さ
     寿命の記録(1)=天皇の記録
     寿命の記録(2)=東西の記録
     寿命の記録(3)=旧約聖書の記述
     長寿の心得=人生万才
     杖は持つべきか?
     荷物はどのように持つか?
     少年老いやすく、学成りがたし
     人生の折り返し地点
     命長ければ恥多し
     仙崖の『老人六歌仙』
     横井也有の『歎老辭』
     晩年の活躍=作家は長生き?
     75歳の大作『十戒』
     高齢者の活躍=国鉄十河総裁70歳からの再スタート
     多作と佳作=ピカソとフェルメール
     いつまでも若い人
     逆さ仏とは何でしょう?
     あいさつをしない人=不愉快な人間関係=ソクラテスと常不敬菩薩
     老人の一般的な傾向
     老化現象=老人の特徴
     老醜現象というやっかいな症候群
     老化を予防する方法の発見
     現代楢山節考・考
     富士山と八十八ヶ所巡り=足腰のトレーニング
     ゲームの楽しみ
     じゃんじテスト(麻雀ゲームのあらまし)
     同義反復(トゥトロジー)
     老化予防のページ関連資料


  脳の活性化をしましょう

     メビウスの帯(おび)
     抽象と具体の間(はざま)
     直感と錯覚の周辺
     考えるということ
     考えることの大切さ・直感の大切さ
     脳の活性化=老化の進み方を遅くする
     文帝の『典論』と嵯峨天皇
     読書の効用
     チンプンカンプン
     言葉を使う=脳の活性化
     手も使う=脳の活性化
     言葉を自由自在に使う快感
     脳のリフレッシュ=脳の活性化
     どこに何があるか?
     やりっ放しをしない
     回文
     アナグラム
     脳を活性化するためのいろは歌
     日常いろはかるた
     千字文への挑戦
     二通りに読める文章
     脳を活性化するためのゲーム
     「脳へのインプット」と「脳からのアウトプット」
     言葉の空間を広げて創造性を豊かにする=日本語改造案
     自分史の作成
     ボケ老人の困った問題
     笑いの大切さ
     寺社巡り(1)
     寺社巡り(2)
     簡単な寺社巡り(1)
     簡単な寺社巡り(2)
     簡単な寺社巡り(3)
     ボケ封じ像のある寺
     蓮を見る楽しみ


  知的空間への飛翔

     知的空間とは何か?=情報の多すぎる時代
     退屈の原因
     自分の可能性を追究する=可能性を知る
     手紙やメールなど文書の交換
     クロイッエルソナタとオセロ
     時間の有効利用
     学ぶということ
     知的空間とは何でしょうか?
     文章作品の種類
     文学の世界
     小説を書くということ
     短歌を作るということ
     絵の世界
     音楽の世界
     橘曙覧の『独楽吟』
     長生きの秘訣
     独りでも楽しみ、キリのないことをしない
     清貧のすすめ
     理工式回想創造法
     回想創造法のありまし
     スペーストレック
     女の一生


 なぜ人は老化をするのでしょうか?

3つの願い

 久しく考え続けてきたことがあります。それは、

(1) いつも健康で、日々こころが安らかでありたい
(2) 高齢になってもフレッシュで、いつまでも老化予防したい
(3) この世にグッドバイする前に、安心立命を確立したい

というテーマです。

 そして、最近になって気付いたことがあります。
 それは、それらの願いが単に私だけのものでなく、私の回りの多くの方々におかれましても、同様の問題になっているという事実です。そのことまでを実のところは今までは配慮していなかったので、これはいけないと改めて考え直した次第です。

 (2)の老化予防は、ボケ防止アンチエイジング(antiageing)などとも言って、世間では加齢に伴う症状の予防と治癒が行われています。「老化予防」のほかに、「老化防止」「抗加齢」「抗老化」などを意味する言葉です。例えば、「アンチエイジング クリーム」などが商品化されています。

 このページでは、(2)の老化予防(アンチエイジング)・ボケ防止などを考えてみましょう。
 最初は、自分だけのことと考えて、学んだり調査をした内容ですが、実際に見るに忍びないような事例があまりにも多いので、いささかなりとも私の経験や知識を用いて、社会に貢献すべきではないかと反省をしました。そして、どのような方法があるかを改めて真剣に検討したのです。

 今までは個人用だった上記テーマなどの問題を、どなたにも気軽に利用いただけるようなマニュアル化して、システムを完結しようという計画なのです。そんな意味で、このホームページに「老化予防のページ」が作られた次第です。なぜそのような決心をしたかと申しますと、『涅槃経』にありますように、

  <この生、空しく過ぎなば 後悔するも及ばず>

と考えたからです。
 そして、私にとっては老人問題がもはや他人事(ひとごと)ではないのです。とっくに還暦を過ぎてしまって、身体のあちこちがガタピシしてきたり、度忘れや勘違いが多くなってきたからです。そんなわけで、自分自身のためにも真剣に考えなければならない時期に来たのです。
 おそらく、多くの訪問者の方々もそうでしょう。高齢になると、とくに「ボケ」「恍惚の人」になりたくないと思うし、「寝たきり」「アルツハイマー病」「よいよい」そして「植物人間」はご免だからです。
 あなたの場合は、いかがでしょうか?


成せばなる=可能性への挑戦

 何事も工夫をしてやってみると、できないと思ったことも可能だったというような経験があります。
 むろん、精神論ではいけませんが、可能性への挑戦ということは老化予防の一つの方法として非常に大切だと思います。なぜならば、そのようにするとそのこと自体に生き甲斐を感じられるからです。
 「成せばなる」という言葉で思い出すのは、

    <成せば成る 成さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬなりけり>(上杉鷹山(うえすぎようざん))

    <成せば成る 成さねば成らぬ 成る業を 成らぬと捨てる 人のはかなさ>(武田信玄)

などです。
 しかし、上杉鷹山は疲労して死んでしまいました。

 若い人たちからは、アナクロニズムと言われるかもしれませんが、ついでに二つ……
 私は「可能性への挑戦」ということで、いつも思うのは明治天皇が詠まれた次の御製「述懐(じゅつかい)」です。

    <かたしとて思ひたゆまば なにごともなることあらじ人のよの中>

 その意味は、「難しいとか面倒だからと言って、しなければならないことを怠ったら、社会のことは決して成功をしません。」というのではないでしょうか。つまり、不撓不屈(ふとうふくつ)の精神で、物事に当たらなければいけないと仰有(おっしゃ)るのです。まったくその通りだと私は思います。

 昭憲皇太后(明治天皇の皇后)の御歌の中には「沈黙」というタイトルの

    <すぎたるは及ばざりけり かりそめの言葉もあだに ちらさざらなる>

もあって、ここでも私は大いに反省をしたりするのですが、……

 もう一つは、さらに古く『家康公御遺訓』と言われている次の文章です。

 <人の一生は重荷を負って遠き道を行くが如し、いそぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心にのぞみおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍(かんにん)は無事長久の基(もとい)。怒(いかり)は敵と思え。勝つ事ばかり知って負くる事を知らざれば、害、その身に至る。己を責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり。
 慶長八年正月十五日  家康>

 この御遺訓について私は、現在でも通用する味わいのある名文章だと思います。
 あなたは、いかがでしょうか。


教育勅語の見直し

 教育勅語と言うと、戦前の暗いイメージをもっている年配者や若い人もいることでしょう。
 しかし、いま読み直してみると、大いに教えられることが多いと考えるのは、私だけでしょうか。そして、何となく最近の社会がぎこちないのは、敗戦と同時に教育勅語を時代錯誤と考えて投げ出してしまったことによる社会全体のモラル低下などがあるのではないかと秘かに私は思います。
 そんなことを考えながら、現代語風に訳してみました。

 <私(明治天皇)は、考えています。
 私たちの祖先は、国を建て始めたときから、ずっと道徳を大切にしてきました。そして、国民が国家と家庭のために協力して、見事な成果をあげたのは、優れた国がらおかげで、教育によるところが大きいのです。
 皆さんは、両親にやさしく、兄弟は仲よく、友達どうしは信頼関係を保って、つつしみ深くして他人に対しては礼儀正しく、すべての人々に親切にして、学問に励んだり、職業を身につけ、知恵や能力を伸ばして、憲法を守って法律や規則に従い、一度(ひとたび)重大な事件が起こったら、正しい勇気でもって当たり、国の運命を助けなければなりません。
 これらの教えを守ることは、立派な国民であるばかりではなく、同時に祖先の風習を明らかにするでしょう。
 このようなことは、先祖が残した教えですから、皇室の子孫も国民とともに守っていかなければならないことで、昔も今も通用するのです。そして、このことは国内や外国で行っても、道理にそむきません。
 国民の皆さん、いっしょになって守っていって、立派な人になることを切望します。
 明治二十三年十月三十日  御名御璽>

 私なりに簡単な意訳をしましたが、実際には「爾(なんじ)臣民(しんみん)、父母に孝に、……」のように始めていますから、「孝」の概念がまず最初に大切なのでしょう。しかし最近では、子が親を大切にするなどということは、非常に珍しくなってしまいました。
 もっとも、最近でなくとも『仏説父母恩重経(ぶっせつ ふも おんじゅうきょう)』などでも、親が嘆いているところが長々と続いています。また、民間伝説の「姥捨て山」や深沢四郎の『楢山節考』などを考えると、古い貧しい時代にあったからかもしれませんが、必ずしも親は大切でないのかもしれません。
 戦後の教育が何となく「敗戦によって自信を失った親たち」を疎んじることによって、さらに大きく変わってきたのではないかと私は思います。幼いころからの教育が、一生の価値観を築くことは確かですから。
 中国や韓国などは、親に対してどのように考えているのでしょうか。

■慈宏寺の境内にある開目鈔から引用した「孝」の石碑


 東京都杉並区宮前3丁目にある慈宏寺の境内に、上の写真のような「孝」についての石碑がありました。
 『開目鈔(かいもくしょう)』は立正大師(日蓮)の著ですが、日蓮は「自分自身が釈迦の使者」と考えていたようです。そして、そこで一連の抱負を述べたものです。中でも「孝」に関しては、「天よりも高く、地よりも厚い」と最大級のことを言っています。
 なお、このような教育勅語や日蓮に関してなどの私の考えについて、もしも誤った箇所がありましたら、どうぞ指摘・ご修正をしてください。

 だいぶ後(2006年5月27日)になって、大阪の玉木さんから「戦後、西ドイツのアデナウア首相が座右の銘として、この教育勅語を執務室に掲げていた」ということを教えられました。
 私は、さもありなんと思った次第です。


聖徳太子十七条憲法



功名よりも若さと心の安らぎ

 誰の作品だったかを忘れてしまったが、『雑詩十二首』の八首目に

 <丈夫(じょうふ、ますらお)は四海に志す
 我は願(ねご)う 老いを知らず>

というのがあった。
 その意味は、「男子ならば志を天下に馳せることにある。しかし、私はいつまでも老いを知らないということを願っている」というのである。つまり、出世をしなくても若々しくあればよいというのである。
 同じようなくだりが、洪自誠(こうじせい)の『菜根譚(さいこんたん)』にもあった。
 それは、

 <世に処しては必ずしも功を求めることなかれ。過ちの無きはすなわち是れ功なり。>

という文章である。
 その意味は、「この世で生活をしていくときに功名を求めなくてもよい。ただ大過なく生きていければ、それ自体が功名なのである。」ということでしょう。

 いずれにしても、大いに生き方を教えられる中国の古典です。もっとも、洪自誠は明(みん)の万暦のころの人といい、著作はあるが人物については詳しくは知られていないようです。


食べ物に関する注意

 また私個人は、ここ10年ほど食べ物に関して細心の注意をしてきましたが、その結果グロミューが正常に回復したせいでしょうか、暑さ寒さに身体がある程度フレキシブル対応ができるようになりました。おそらく、農薬や化学薬品などの摂取量を大幅に減らした結果でしょう。そして、身体の中が純化された結果ではないでしょうか?
 そんな経験も、多くの方々に理解していただきたいのです。

 私が食べ物に関して注意をするようになった動機は、昭和50年(1975年)に出版された

    有吉佐和子著『複合汚染』(新潮社)

という本に書かれていた衝撃の内容を読んで、そこにあるような心配が、必然的に現実化することを非常に恐れたからです。
 そして最近のある調査によると、現在は平均1人あたり年間4キログラムの化学薬品を摂取していることになるといいます。そんな状態では、当然のことながら原因不明の奇病や難病が発生するのではないでしょうか。

 また脳を侵されてしまい『恍惚の人』になってしまった方々が、私の回りに次々と発生しているのも、厳然とした事実だからです。そして、さらに悪いことには、最近の傾向として若い人たち、例えば小学生たちの間にも不健康な子どもが大幅に増えているといいます。まったく、困った状態の現実ではありませんか。
 そんなわけで、今までの研究を幼い人たちも対象として含め、総合化をして何とか完成したいと考えた次第です。今まで自分だけか、せいぜい高齢者に対して考えていたことが、それでは済まされずに、見直すべき時期にきたように思えたからです。

 つまり、自分が学者から聞いたり、本で学んだりした貴重で有意義なことを、もはや一人だけで利用するのは、身勝手ではないかと反省をしたわけです。
 一方では、「ルカによる福音書」にある
    <聞いても行わない人は、土台なしで土の上に家を建てた人に似ている>
という言葉のように、やはり私もいい加減ではありたくないからです。
 そんなわけで、大いに躊躇(ためら)った後で、このページを作り始めたのです。


老いやすい人と老いにくい人=老いの自覚

 老(お)いやすい人と、老(お)いにくい人がいます。
 老(お)いの自覚をするかしないかで、老(ふ)けてしまうか老(ふ)けてしまわないかが決まってくるようです。つまり、自分の努力で若々しくしている人は、なかなか老いないのです。その努力に関する工夫について、このページでは考えてみることにしましょう。しかし、あまり難しいことや学問的なことは述べません。簡単にできる日々の注意とでもいったところですか。
 ぜひ、あなたもやってみてください。

 まず、自分自身を冷静に観察することも必要でしょう。それには、鏡を見ることがよいのではないでしょうか。
 曾野綾子『心に迫るパウロの言葉』の「異端怪談」(p186)の章に、

 <私は五十歳で初めて私に出会ったのである。「鏡を見たら、そこに、老婆がいた」と私は思った。>

とありました。
 この記述には、50歳になる数ヶ月前に目の手術をしたことが背景にあるようです。確か、白内障の手術だったということでした。それでも、認識を新たにしたということは、そのショックを乗り越えて、それ以後の自分自身のメンテナンスに大いに役立つことでしょう。

 鏡は不思議なものです。鏡で鏡を映したら、いったいどうなるのでしょうか。
 セールト作曲の『鏡の中の鏡』という曲があります。ハープとヴァイオリンの曲で、ハープの反復伴奏の上にヴァイオリンが単調(短調ではありません)に歌います。美しい旋律ですが、速い部分のないゆっくりとした、ちょっと退屈するメロディーで進んでいきます。それは、いつまでも同じ状態が続くということを暗示しているのでしょうか。
 もしかしたら、曾野綾子も自分自身で自分自身を見ることに、ちょっと抵抗があったのかもしれません。
 もしも、興味のある人は、このホームページにある「回想創造法」の『不思議な三面鏡』をご覧ください。

 ギャラップが行ったチンパンジーの鏡のテストも、なかなか意味深長です。
 チンパンジーの額に赤い印を付けてから、鏡を見せるのです。すると、チンパンジーは鏡に写った姿を仲間とは思わずに、ちゃんと自分と考えたようです。そして、自分自身の額に手をやったというのです。

 鏡を見る目自体も不思議なものです。
 あいみつの『目』という作品を見ていると、いつも見られているという不思議な感じがします。
 心理的なものもあるのでしょうが、鏡や目には私たちが知らない何かが隠されているのでしょうか。


ボケやすい人とボケにくい人

 学者や研究者は、ボケやすいタイプだという人がいます。それに反して、芸術家や小説家などは、ボケにくいといいます。つまり、積極的に物を作り出す創作などをしていると脳が活性化をしてボケないのでしょう。単に事実を調べるような作業では、脳の活性化ができないのかもしれません。
 何もすることがなくなったら、急速にボケが進むこともわかっています。高齢者の無意味な日々、寝たきりによる精神的な弊害、起きていてもテレビを何となく見続けることなどは、ボケをいっそう進めてしまうようです。


ボケやすい人とボケの初期症状

 有吉佐和子著『恍惚の人』(p150)に、

 <経済的に安定している者が呆ける。>

とあったので、ショックでした。
 また、同じ本(p154)には

 <老いると昔話をするようになる。>

ともあって、私は愕然としました。
 なぜならば、この本を読んでいると自分のことを言われているように感じるからです。
 そんなわけで、たまたま私が貧乏で経済的には安定していなかったことが幸いでした。しかし、昔話をしようとする度に上のコメントを思い出して、結局は話をやめてしまうことが多くなりました。


老化とは何か?=老化と時間=時間とは何か?

 老化とは何かを考えると、いろいろな問題に突き当たります。まず、その原因です。
 しかし、老化の原因には現時点でも数百の学説や意見があり、いずれもそれなりの理由が存在して、成り立っているようです。つまり、いちがいには言えないということでしょう。
 アレキシス・カレル著桜沢如一訳の有名な『人間−−この未知なるもの』を意識して書かれた『人間 この不可思議なもの』(p320)という本にも、最近のリポートとして書いてありました。

 いずれにしても、自分自身のこととして考えなければなりません。傍観者ではなく、あくまで当事者にならないと効果がないのです。自分がその中に入っているという必要性は、とくに高齢者の場合に言えるでしょう。政治でも経済でも批判ばかりをしている人がいます。他の者に対する批判は、自己の能力の数倍も可能です。
 ですから、アメリカの大統領や日本の総理大臣でも愚かなことをしているように見えるのです。しかし、自分自身の健康や老化予防に関しては、批判ではいけません。自分で自分を批判しても、実行がなければ仕方ないからです。

 それはともかく、誰もが当然のことながら、いつまでも若々しくフレッシュでありたいと考えることでしょう。
 むろん、あなたもそのようにお考えになりませんか?
 ふつう「老化とは環境に順応する能力が失われていく過程」のことを言います。それは少しずつそれは進むので、外面的には衰微や衰弱をしていく状態を言うのでしょう。でも、ふつう年齢とともに老いてゆき、さらに衰えていくのが自然の摂理であると言えるでしょう。それは、仕方がないことなのです。
 なぜならば、時間が経過をしていくからです。
 それでは、いったいこの「時間」とは何だとお考えでしょうか。もしかしたら、時間の正体がわかれば、老いの実態がわかるかもしれません。

 いくら老けないといっても、浦島太郎リップ・ヴァン・ウィンクルのケースでは困るでしょう。相対的に自分だけが時間を超越して若くあったとしても、周りの事情が変化をしてしまっては、あまり意味のないことになってしまうからです。

 また、「仙家より帰って七世の孫」というのがあります。晋の王質という人が、仙人の家へ行って、碁を見ていたのです。そしてつい時を忘れ、やがて家へ帰ってみると、わが家は七代の孫の世になっていた。
 さらに、内容は忘れましたが「安芸の介の夢」なども、その類ではないでしょうか。

 リップ・ヴァン・ウィンクル  アーヴィングの短編小説で、主人公が森で迷って不思議な老人たちがする九柱技(今でいうボーリング)を見て、翌朝村に帰ったら、数百年経っていて誰も知った人がいなかったというストーリ。

 仙家より帰って七世の孫  述異記に出ている。(菊池訳「平家物語」p519)


 ここで「時間」について、少し考えてみる必要がありそうです。
 アレキシス・カレルは『人間この未知なるもの』(桜沢訳、p185)で次のように言っています。

 <一生のうちで最も豊富な時間は、もちろん最初の幼年時代である。それ故この間の時間は、出来得る限りの程度と方法で教育のために利用さるべきで、この時期は空費すると取り返しがつかぬのである>

 また、p190では
 <我々は生まれたときにはあらゆる可能性をもっている。ただ親ゆずりの素質という伸縮力のある境界をもっているだけである。しかし我々は刻々選択の要に迫られる。その選択によって闇に葬られる可能性ができてくる。……幼年時代の我々の内部には多くの人物がかくれているが、それらは次々に死んでいくのである>

というような時間とともに重大な変化を示唆しています。
 時間については、哲学者が考えても難解なのでしょうか? ベルクソンは「時間を生命のはずみ」としてとらえました。連続するものの一部分をチューリングマシンの記録のように、のぞきめがねでその1部分を常に見ているようなものでしょうか。
 私は、「時間とは絶対的なものでなく、色や味などのように単に変化をするパラメータにすぎない」と考えています。だから、「よぎる」というような漠然とした概念で表現できるのではないのでしょうか。


なぜ老化をするのであろうか?

 いろいろな学説があるようだが、いまだに「残された謎」でもあるようです。
 ここでは、2つの意見を参考までに述べておきましょう。

・ 誤謬が集積されていく

 日々の生活に悪い結果をまねく習慣があったり、身体に対するストレスがあるので、老化が起こってしまうのだと考える学派があります。したがって、できる限りよい状態に自分自身を保ち、かつストレスをなくすことによって、かなりの長命を得ることができるとも考えているわけです。

・ 老化はプログラミングされている

 別な学派の人たちは、すでに老化は「遺伝子の中に老化が組み込まれている」と考えます。そして、そのことは実験結果によっても証明できるといいます。つまり、栄養をどれほど与えても、細胞は50回程度の分裂しかできません。そして、やがて細胞が死んでしまうのだというのです。つまり、長命な種を生じるメリットは進化の過程で、必要がないというのかもしれません。


時計を持たない生活

 私は、還暦を過ぎたころから「なるべく時計を持たない」生活をしています。
 むろん、部屋には柱時計もあり、その他いくつかの時計があります。また、目覚まし時計やタイマーなども愛用をしています。しかし、腕時計はもっていてもしません。腕に付けるのが、何となく締め付けられるように感じて煩わしいのと、あまりにも気軽に時間を気にしてしまうからです。つまり、いつでも見れる状態だからです。したがって、外出するときも腕時計はしないのです。

 時間というものは、かなり相対的なものですから、個々で別々なんでしょうか。
 その一人一人によっても、長く感じたり短く感じたりすることもあるようです。したがって、そのためにも互いに共通の時間が制定されているのです。それを用いることによって、社会の運営に混乱を与えないためです。
 例えば、南海の孤島に漂流したとします。まったく一人だけならば、あまり時計などは必要ないでしょう。つまり、時計は社会的に共通のスケールとして存在していることがわかるのではないでしょうか。


まだ半分ある・もう半分しかない=もうこんな時間か?・まだこんな時間か?

 人間の心理は不思議なもので、同じ状態でも感じ方が違うことがあります。
 高級ウイスキーのボトルが半分ぐらいになったときのことを考えてください。バーナード=ショーではありませんが、そのときにどう考えるでしょうか?

  まだ、半分もある。(したがって、気分もリラックス)
  もう半分しかない。(残っているのが少なくなっちゃったので、何となく心細い)

 いずれに考えるかは、その人の性格によってかなり異なってくるでしょう。また、同じ人であっても、そのときの事情や場合によっても異なるでしょう。
 同じようなことが、時間に対してもいえるようです。

  まだこんな時間か?(まだまだ大丈夫だ。時間はじゅうぶんにあるから安心!)
  もう、こんな時間か?(もたもたしていた自分を嘆き、時間をムダにしたことを焦っちゃう)

 天体や元素の特性を基準にして時間を測定する「ニュートン時間」と、むしろ肉体的・心理的な状態を基準にして時間を考える「ベルクソン時間」があります。そして、ふつうニュートン時間とベルクソン時間には、あまりずれがないように感じていますが、何かの状況によっていちじるしく異なってくることもあるのです。そのようなときに、上記のような感じ方の違いを生じるのではないでしょうか。

 無限の時間、つまり無限に連続したニュートン時間の中に、個々の時間、つまり有限のベルクソン時間を包含しているわけですから、それぞれの個体数だけ別個の時間があることになるでしょう。そして、それぞれの時間が、道元の言うように「飛枯」していくようです。それは、共通する晩年の嘆きのようです。


人の一生?

 人間の一生などは長いようでも短いといえるし、また短いようでも長いともいえるでしょう。つまり、その人の考え方次第なのです。それは、長いとか短いということが多分に相対的で、各々によって異なっているということです。とくにベルクソン時間についての長短の感じ方は、個体内つまり内的世界ですから、大いに違ってくるのが当然なことでしょう。

 したがって、ニュートン時間で定義をしてしまえば簡単です。
 例えば、「人の一生は物理的に何時間以下で、多くても何時間を超えることはありません。」というようにです。しかし、そのように言っても「生きる」という問題と「死ぬ」という問題が残ってしまいます。


「妻を亡くした夫」と「夫を亡くした妻」

 奥様が亡くなった直後、急にめっきりと老け込んでしまった知人がいます。
 ふつう配偶者に先立たれた人、つまり妻を亡くした夫、または夫を亡くした妻は、急速に老けると言います。そして、なぜか夫を亡くした妻よりも、妻を亡くした夫のほうがダメージがいっそう大きいようです。男は、何とも哀れなことですね。中には、そのまま奥様の後を追うようにして、逝ってしまう人さえいるんですって。

 さらに、何とか立ち直って再婚をしてみたものの、前の妻のよいところばかりが思い出に残っているため、新しく迎えた現在の妻の悪いところや欠点ばかりが目立つように感じる人がいるんです。そして、そんな状態のまま少し時間が過ぎると、つい不満や愚痴が出てくるそうです。それでは、いったい何のために再婚をしたのか、さらに何のために生きているかなどと考えていくと、まったく愚かしいことになるかもしれません。
 あなたは、そう思われませんか?

 また別な人で、今でも十年ぐらい前の姿や考え方と何ら変わっていない人もいます。その人は、なぜか年月が経過をしてもあまり老けていないのです。それは、成長が止まったようにも見えますし、また時間が逆行して、何だか若々しくなっていくようにさえも思えるのです。まったく、不思議な現象です。
 いったいなぜでしょうか? 世間にはまだ、ふつうの理屈では考えられない事象や現象があるようです。


サムエル=ウルマンの『青春』という詩

 次の『青春』(サムエル=ウルマン作)という詩を読んでみてください。

      青 春   サムエル=ウルマン作

  青春というのは、人生の一時期ではない。むしろ、それは心の持ちかたをいうんだ。
 紅顔の少年、その紅色(くれないいろ)の唇、しなやかな身体(からだ)ではなく、
 意志の力強さ、想像力の豊かさ、沸々(ふつふつ)と湧(わ)き上がる情熱をいうのだろう。

  青春というのは、人生の深くに潜(ひそ)む源(みなもと)の清々(すがすが)しさだ。
 青春とは、臆病を退(しりぞ)ける勇気や、マンネリを捨て去る冒険心のことだ。
 二十歳の青年よりも、六十歳の老人のほうが青春の状態にあることさえある。

  年を重ねただけでは、人は老いない。人が老いるのは、理想を失うときだ。
 歳をとると皮膚に皺(しわ)が増える。そして、情熱を失えば心は萎縮(いしゅく)する。
 苦しみ・恐れ・諦(あきら)めによって気持は土になり、精神は塵(ちり)になる。

  六十歳であろうと、はたまた十六歳であろうと、心中に不思議なものに興味をもつ気持、
 子どものような未知への探求心、人生への興味と喜びがある。
 あなたにも私にも、目に見えない中継所が心の中にある。

  他人から、あるいは神から、美しさ・望み・勇気・インスピレーションなどを受けられれば、
 まだあなたは若い。インスピレーションを失って、精神が雪のような皮肉で固まり、
 氷のような悲憤で閉ざされたら、たとえ二十歳であろうと老人である。

  姿勢を正して、希望を持ち続けるならば、八十歳であろうと、青春のままだ。


 なかなかすばらしい詩です。心の持ち方で、青春が保てるのならば、その心の持ち方をマスターしておきたいものです。そして、いつまでも青春でありたいものです。あなたも、そのようにお考えではないでしょうか。
 なお上記は、宇野収・作山宗久両氏の訳を参考にさせていただきました。

 このサムエル=ウルマンと同じようなことを残した人がいます。フォード創業者であるヘンリー=フォードは、次のように言っています。

 <学び続ける人は、たとえその人が八十歳でも若いと言える。逆に学ぶことをやめた人は、二十歳でも年老いている。
 人生で最も素晴らしいことは、心をいつまでも若く保つということだ。>


青春とは何でしょう?

 「青春」という言葉があります。古くから中国で言われた言葉で、人生を百年として四つに区切って、赤青白黒のように四色を考え、それを春夏秋冬の四季と組み合わせたといいます。
 例えば、青春は二十五歳まで、朱夏は二十六歳から五十歳まで、白秋は五十一歳から七十五歳まで、そして玄冬は七十六歳から百歳までの期間をいう言葉です。赤は「朱」、黒は「玄」となるので、青春、白秋はそのままだが、赤夏でなく「朱夏」、黒冬でなく「玄冬」になります。

 つまり、「青・朱(赤)・白・玄(黒)」と「春・夏・秋・冬」を組み合わせているので、青春は「人生の第一の時期」と言えるでしょう。
 むろん、命の価値観は時代や状況によって異なります。しかし、やはり精神的にはいつまでも若々しくありたいものですね。老人の多い社会は、何となく元気がないようにも感じられるからです。
 私の場合は、気分的には百歳までも青春と言ってもよいでしょう。なぜならば、いつもそうありたいと願っているからです。

 しかし、そのようなことは個人的に大きな違いもあるでしょう。人生の時期に、とくに青春という期間を考えなくて、自分自身の尺度で考えた人がいます。例えば、保科百助(ほしな ひゃくすけ)という反骨の地方教育家です。百助は「五無斎」と称し「おあしなし、草鞋なしには歩けなし、おまけなしとは、おさけもなし」などと言った人ですが、また「人生五期の節」を考えました。
 それは、次のようなものでありました。

 第一、貧食期(一名食い気時代) 生後間もなく発達し、十四、五歳から二十四、五歳のころに旺盛。
 第二、漁色期(ぎょしょくき)(一名色気時代) 十三、四歳のころ萌芽を発し、このままにて五、六十歳ごろまで継続す。但し伊藤博文の如きは除外例。
 第三、釣名期(ちょうめいき)(一名被煽動(おだてられ)時代) 二、三十歳のころより、ようやくその発達を始め、国会議員にならんなどとあせりにあせり、先祖伝来の田地田畑までも売りとばすに至る。
 第四、拝金期(一名金気時代) 人生黄金を拝すること、五、六歳のみぎり飴菓子を買うころよりその萌芽を見ることを得べしといえども、四十歳ごろにいたりてその旺盛を極むるものなりとす。大倉喜八郎のごときは、比較的早くこの期に達し、比較的おそくまでもこの期の生活を営む、一種の精神病者と見るのは外なし。
 第五、拝仏期(一名二度ボコ時代) 食色名刹の念、一時に失せて小児(ボコ)となるの時代。「自分は何れの期に該当するか。曰く、第一第二第三第四、ともにきわめて旺盛なり。

 このようなことは、その個人の立場によって大きく異なるでしょう。
 例えば、下田歌子のような良妻賢母教育の女傑でも、幼いころ父が勤王派だったので藩主より蟄居を命じられてました。そしてそれを見ていた歌子は、五歳ぐらいのときに玩具の貨幣に興味をもち始めたのです。貨幣をため込んでは、出してじっと眺めていることがありました。
 驚いた祖母が問いつめると、「このお金を役人にあげて、お父さまの罪を許していただくの」と言うではありませんか。客の誰かが「すべてこの世は金次第」と言ったのを聞いていたのです。

 なお、伊藤博文に関して説明が必要であれば、このホームページの「語句・人名など覚え」を参照してください。
 「青春」というような意味が、各人にとってずいぶんと違っていることがおわかりでしょう。

 生物には、ふつう寿命があります。
 植物の場合には、動物より寿命の長いものがあります。メタセコイヤや松の一種には、とても長い生命力をもっているものがあるからです。しかし、ここでは、自分自身、つまり人間のことで考えてみましょう。老いてくると、どうしても身体の具合が悪くなってきます。しかし、精神的には元気でいることも可能かもしれません。もっとも、その場合には精神が肉体に作用されないくらい強い性格でないとムリかもしれませんが……

 それは、ちょうどポンコツ車中古車と似ているのかもしれません。古くなって故障の起きやすい車を、何とかして支障なく目的地まで走らせないといけないからです。決してムリな走行をしてはいけません。古くなって、ちょっとしたムリでも故障を誘発しやすくなっているからです。ていねいに、かつ慎重に運転をしなくてはいけないのです。もしも、新車のつもりで、びゅんびゅん飛ばしたらオーバーヒートをしてしまいます。さらに、悪い場合にはエンジンがダメになったり、爆発をするかもしれません。

 また、高齢でも若々しくあるためには、入れ物と中身の関係があるのかもしれません。ここでは入れ物が大切なのではなく、入れ物は中身を運ぶための一種の道具なのですから、…… 入れ物が古くなっても、中身が新しければいいのです。一般には、聖書にあるように「新しいブドウ酒を古い革袋に入れてはいけない」と言います。しかし、破れなければ問題はないのです。
 そんなわけで、気持ちの持ちようによっては、高齢になっても青春の状態に自分を置くこともできるのです。


脳の不気味さ



寿命の記録(1)=天皇の記録

 古い時代の寿命の記録は、あまり定かではありません。しかし、天皇の記録は残されているので、それを見てみましょう。

 1代 神武天皇  137歳
 2代 綏靖天皇  45歳
 3代 安寧天皇  49歳
 4代 懿徳天皇  45歳
 5代 孝昭天皇  93歳
 6代 孝安天皇  123歳
 7代 孝霊天皇  106歳
 8代 孝元天皇  57歳
 9代 開化天皇  63歳
 10代 崇神天皇  168歳
 11代 垂仁天皇  153歳
 12代 景行天皇  137歳?
 13代 成務天皇  95歳
 14代 仲哀天皇  52歳
 15代 応神天皇  130歳

 16代 仁徳天皇  83歳
 17代 履中天皇  64歳
 18代 反正天皇  60歳
 19代 允恭天皇  78歳
 20代 安康天皇  56歳
 21代 雄略天皇  124歳
 22代 清寧天皇(せいねいてんのう 生まれたときから白髪であられた)  ?
 23代 顕宗天皇  38歳
 24代 仁賢天皇  ?
 25代 武烈天皇  ?
 26代 継体天皇  43歳
 27代 安閑天皇  ?
 28代 宣化天皇  ?
 29代 欽明天皇  ?
 30代 敏達天皇  ?
 31代 用明天皇  ?
 32代 崇峻天皇  ?
 33代 推古天皇(最初の女帝)  ?
 ………
 50代 桓武天皇

 なお、上記の資料は太田善麿『古事記物語』(現代教養文庫)によります。
 「古事記中巻」が初代神武天皇から15代応神天皇まで、「古事記下巻」が16代仁徳天皇から33代推古天皇までです。また上記で「?」を附したのは、私(黒田康太)がわからないので、史実として不明というわけではありません。

 推古天皇は最初の女帝であられた。蘇我氏が、自己の勢力を温存するために女帝を決めたといわれている。しかし、聖徳太子つまり厩戸太子(うまやどのたいし=厩戸皇子(うまやどのみこ))が摂政として補佐された。
 奈良時代には女帝が多く、元明天皇(げんめいてんのう)、元正天皇(げんしょうてんのう)、孝謙天皇(こうけんてんのう=称徳天皇(しょうとくてんのう))がそうであった。また、皇極天皇(=斉明天皇)、持統天皇も女帝であられ、神功皇后(仲哀天皇の后)は女性であったが、戦場に出かけて行ったという。

 50代桓武天皇は別の記述にあり、
   延暦9年(790年) 禁肉令(永制)
を発布しました。


寿命の記録(2)=東西の記録

 旧約聖書の世界には、メトセラ969歳、アダム930歳などと書かれています。
 また、日本では武内宿禰307歳と言います。

 しかし、もっと信憑性の高い記録に残っている人たちを探してみましょう。
 スコットランドのジェンキンスという漁師は、160歳のときに証人として裁判所に出廷したと言います。そして、120年前に起こった事件について証言をしました。その9年後に169歳で死んだということです。
 モロッコのハジ・モハメッド・ベン・バチャーは、1966年1月に166歳で死んだ。このとき彼は35人の子と152人の孫があった。産んだ妻のほうは一人ではなく、5回再婚をしているという。
 ノルウェーのヨシク・スルリントンは1790年に160歳で死んだが、そのときに9歳になる末子がいました。つまり、150歳で妻を妊娠させたのです。
 イギリスのトーマス・パーは1483年生まれ、1635年に152歳で死んだ。パーが有名なのは、「ルーベンスが描いた彼の肖像を貼った「オールド・パー」というスコッチウイスキーである。死んだときも性腺や軟骨などが収縮しておらず、病変も見られなかった。つまり、精力絶倫の長寿者だったわけである。
 わが国の徳川時代の医者だった永田徳本117歳などという長い寿命だったそうです。

 1986年に亡くなった徳之島の泉 重千代さんは120歳と237日生きたそうです。そして、死の直前の一ヶ月前までは、別に不自由はなく、お元気であったといいます。

 近年になって、なぜ早死にする人が多くなったかが疑問です。
 『礼記』に「五十になると身体が衰え始め、七十になると絹の着物でなくては暖まらない」というような記述がありました。

 大隈重信という人は、「適当な摂生をすれば、人間はもともと125歳までの寿命をもっている」と言いました。この意見について、当時はいろいろと騒がれたそうです。もっとも、大隈重信は文章、つまり書いたものをほとんど残していません。したがって、誰かに話した言葉なのでしょう。もしかしたら、ニュアンスなどが異なっているかもしれません。
 なお、書物を残さなかったのでしたら、釈迦やイエスのように大物の人物だったかもしれません。
 しかし、ご本人は残念ながら83歳で没しました。それでも、当時としては長寿といってもよいでしょう。

 最近の新聞記事(読売新聞 2004年10月15日)に、次のようなものもありました。

 <ブラジルに124歳の女性? 「ギネス」を10歳上回る
 【リオデジャネイロ=中島慎一郎】ブラジルの各種記録を認定する団体「ランクブラジル」によると、同国南部パラナ州アストルガに124歳の女性が暮らしていることが明らかになった。ギネスブックが認定している世界最高齢は114歳のオランダ人女性で、認定されればこれを大きく上回ることになる。
 マリア・オリビア・ダシルバさんは1880年2月28日、サンパウロ州生まれ。2度結婚し、養子4人を含む14人の子供がいたが、このうち11人にすでに先立たれ、現在は末っ子(58歳)と暮らしている。今月初め、地元ジャーナリストが取材中に偶然マリアさんの話を耳にし、出生記録を確認して124歳と判明した。
 マリアさんは、体力的には衰えているものの、記憶力や視覚はしっかりしているという。>


寿命の記録(3)=旧約聖書の記述

 旧約聖書の「創世の書」第五章に、次のような記述がありました。
 ほんとうでしょうか。

01 これは、アダムの系図の書である。神は人を創造された日、神に似せてこれを造られ、
02 男と女に創造された。創造の日に、彼らを祝福されて、人と名付けられた。
03 アダムは百三十歳になったとき、自分に似た男の子をもうけた。アダムはその子をセトと名付けた。
04 アダムは、セトが生まれた後八百年生きて、息子や娘をもうけた。
05 アダムは九百三十年生き、そして死んだ。
06 セトは百五歳になったとき、エノシュをもうけた。
07 セトは、エノシュが生まれた後八百七年生きて、息子や娘をもうけた。
08 セトは九百十二年生き、そして死んだ。
09 エノシュは九十歳になったとき、ケナンをもうけた。
10 エノシュは、ケナンが生まれた後八百十五年生きて、息子や娘をもうけた。
11 エノシュは九百五年生き、そして死んだ。
12 ケナンは七十歳になったとき、マハラルエルをもうけた。
13 ケナンは、マハラルエルが生まれた後八百四十年生きて、息子や娘をもうけた。
14 ケナンは九百十年生き、そして死んだ。
15 マハラルエルは六十五歳になったとき、エレドをもうけた。
16 マハラルエルは、エレドが生まれた後八百三十年生きて、息子や娘をもうけた。
17 マハラルエルは八百九十五年生き、そして死んだ。
18 エレドは百六十二歳になったとき、エノクをもうけた。
19 エレドは、エノクが生まれた後八百年生きて、息子や娘をもうけた。
20 エレドは九百六十二年生き、そして死んだ。
21 エノクは六十五歳になったとき、メトシェラをもうけた。
22 エノクは、メトシェラが生まれた後、三百年神と共に歩み、息子や娘をもうけた。
23 エノクは三百六十五年生きた。
24 エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。
25 メトシェラは百八十七歳になったとき、レメクをもうけた。
26 メトシェラは、レメクが生まれた後七百八十二年生きて、息子や娘をもうけた。
27 メトシェラは九百六十九年生き、そして死んだ。
28 レメクは百八十二歳になったとき、男の子をもうけた。
29 彼は「主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろう」と言って、その子をノア(慰め)と名付けた。
30 レメクは、ノアが生まれた後五百九十五年生きて、息子や娘をもうけた。
31 レメクは七百七十七年生き、そして死んだ。
32 ノアは五百歳になったとき、セム、ハム、ヤフェトをもうけた。

 なお、左にある一連番号は私の聖書に記述してある節を示すナンバーです。


長寿の心得=人生万才



杖は持つべきか?

 杖を持つと、どうしてもそれに頼ろうとして、腰や脚が弱ってしまいます。なるべく持たないほうが無難でしょう。階段を下りるときや、エスカレータで下るときは、必ず片方の手を手すりに添える準備をしておいて、いざというときに備えます。

 転ばぬ先の杖。
 スフインクスの謎。(朝4本・昼間2本・夕方3本?)
 スフインクスの図(図解データ通信)


荷物はどのように持つか?

 本当は、頭に乗せるのがよいのですが、そのような習慣は日本人にありませんので、手で持つのが一般的です。できたら、大きなものを何も持たないのが理想的です。
 リックサックで背負っている人を見ますが、それはちょっと考え物です。なぜならば、身体がカンチレバーのようになってしまい。身体全体の重心の位置が崩れてしまうからです。カンチレバーは建築学でいう梁(はり)のことですが、「├」のような形になりますから、当然のことながら重心は後ろに移動をしてしまいます。

 人生は重き荷を負うて遠き道を行くがごとし。東照宮家訓。


少年老いやすく、学成りがたし

 有名な朱熹(しゅき)の『偶成』にある

 <少年易老学難成。一寸光陰不可軽>

は、学生の時代に漢文の時間に習いました。
 そして、<少年老い易く学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず>と読むことを知ったのです。しかし、それから50年以上経った今日でも、なかなか私にとって重みのある言葉です。
 また、唐の詩人、許渾の『秋思詩』には

 <昨日の少年、今の白頭>

とあります。
 実は、この許渾という人は知らなかったのですが、『孝経』を訳した栗原圭介氏の解説にあったのです。

 あらゆるものから興味が薄れていってしまうと、ボケが始まるようです。また、感情が鈍くなってくると、老化をして呆けてきた現象なのです。何とかそうならないうちに、ある程度のことはしておきたいものです。何となれば、正直のところ私にも、ぼつぼつとそのような現象が出かかってきたからです。


人生の折り返し地点

 若かったときは活発だった自分自身も、いつしか疲れやすくなり、気力もなくなってきます。
 つまり、人生のアクセレーションの時期を終えて、減速の時代に入ったのです。そのようになると、若いときほどの作業量はこなせません。しかし、経験がものをいうので、効率のよい作業ができるようになります。
 人生の折り返し地点は、いつごろからかなどとは個人差が大きいので一概にいえないのですが、だいたい還暦のころが、多くの人の折り返し地点だと考えておいたほうがよいかもしれません。

 健康で、いつまでも若々しく生きるためには、どこかで区切りをつける必要があります。つまり、アクセレーションの時期が「自分からは、すでに去った」ということを認識する必要があるのです。そして、折り返し地点を過ぎたら、減速の時期ですから、一つずつを確実に仕上げていきます。そのようにすると、意外にも素晴らしい結果になることでしょう。
 有限の生で、無限の知識を負うのは危ういからです。

 一般的に、老人の心は穏やかでありません。なぜならば、焦りと後悔でいっぱいなのです。したがって、そうならないようにしたいと思います。老人は、すでに社会における居場所がないことは事実でしょう。そんなときに、半分以上来てすでに折り返しているんだと考えれば、心強くなることは請け合いです。
 老いて、本当の意味で「己を知る」ことや「己の限界を知る」ということは、非常に大切なことではないでしょうか。


命長ければ恥多し

 平均寿命が伸びた現在では、ちょっと不思議な感じがしますけれども40歳ぐらいを死の時期と考えた時代もあります。
 『徒然草』には「命長ければ恥多し」とい記事があります。そしてそれは、卜部兼好(うらべのかねよし)が『荘子』を読んだふしがあるように思われます。また、兼好(けんこう)は『徒然草』で「老い」ることに対して、かなり悲観的になっているようです。

 なぜならば、『徒然草』(第七段)のくだりです。
 「飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心ちこそせめ。住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて何かはせん。命長ければ辱(はじ)多し。長くとも、四十(よそぢ)にたらぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。」

 さらに後のほう(第百十二段)には、もっと強烈なくだりがあるのです。そこでは、
 「日暮れ、塗(みち)遠し。吾が生既に蹉蛇(さだ。時期を失うこと。「だ」は足偏)たり。諸縁を放下(ほうげ)すべき時なり。」
とあるのです。
 ここで、いつも私はがっくりとくるんです。なぜならば、まだまだ私は、とても放下の心境にはなれないからです。そして、いま自分がしていることを恥ずかしくも思ったりします。

 還暦を過ぎて始めたWindows、インターネットの社会に入っていくこと、そんなことは自分にとって実際に必要なんでしょうか? いくら自分の「可能性を確かめる」ためだなどと言っても、まったく道具に使われているのではないかという危惧があらわれるのです。
 もっとも、「健康」や「老化予防」や「安心立命」などについては、大げさな言い方をすると、それこそ「国の将来を危惧」しているからなんですが、…… そして、「命長ければ恥多し」にならないことを密かに祈っているのです。


仙崖の『老人六歌仙』

 仙崖(せんがい)の画賛です。
 老人たちの集まりを「六歌仙」に見立てた画で、人物の上には次のような歌が書いてあります。

 <しわ(皺)がよる ほくろ(黒子)が出来る 腰曲がる 頭がはげる ひげ白くなる

 手は震え 足はよろつく 歯は抜ける 耳は聞こえず 目はうとくなる

 身に添うは 頭巾襟巻(ずきんえりまき) 杖 眼鏡
 たんぽ(湯たんぽ) おんじゃく(カイロ) しゅびん(尿瓶) 孫の手

 聞きたがる 死にともながる 淋しがる 心がひがむ 欲深くなる
 くどくなる 気短かになる 愚痴になる 出しゃばりたがる 世話焼きたがる

 またしても 同じ話に 子を誉める 達者自慢に 人は嫌がる>

 しかし、単に老人を侮蔑しているのではなく、「老いることに引け目を感じないで、楽しく生きなさい」と言っているのではないかと私は思うのですが、……
 仙崖(せんがい 1750−1837)は仙高ニも書かれるようです。「香vは略字なのかもしれません。また、「老人六歌仙」画賛の絵や文章には、異なっているものがあるようです。おそらく請われるままに、そのときの気分で何枚も書いたのでしょう。江戸後期に活躍をした臨済宗の禅僧です。美濃の国で生まれ、諸国行脚の末に40歳で聖福寺(博多)の住職になった。禅の境地をわかりやすく説き示したそのユーモアに富んだ戯画が多い。
 例えば、左から横に「□△○」が並べて描いてあって、「一円相ではない」というようなことを言ったりしているのではないかと考えられる画もありました。


横井也有の『歎老辭』

 横井也有が五十三歳のときに書いた俳文『鶉衣(うずらごろも)』の後編にあたる「歎老辭」に、次のような記述がありました。その記述とは、かなりショックなもので

 <耳もとおくなり、眼はかすみ、四肢のふしぶしは痛むようになってしまいました。老人と話をして、まどろかしく感じたり、また老人をうとましく思ったのは、つい先日のような気がする>

とあります。
 つまり、自分自身が老いたことを改めて認識をしたというのです。
 そんな記述を読むと、実は「私も以前は老人を見て、鈍いのでうとましく思った」が、もはや自分がそうなっているので驚いてしまう。まったく横井谷有の書いているとおりです。若いころの奢(おご)りは、いつの間にか少しずつ失われていくようです。
 しかし、少しずつ失われないで、いっぺんに吹き飛んでしまうこともあるようです。

 『歎老辭』の全文は、ここ で見てください。


晩年の活躍=作家は長生き?

 必ずしも、「命長ければ恥多し」とは限りません。
 ピカソ(1881〜1973)は多くの作品を残しているが、六十歳を過ぎてから二人の子をつくったそうです。そして、九十一歳でその天寿を全うするまで、七万点の作品を残したといいます。それは、絵画だけでなく彫刻・陶器・舞台芸術・詩などにも及んでいます。
 さらに多く、円空上人(1632?〜1695)は生涯に十二万体の木彫り仏像を残しました。

 葛飾北斎(1760〜1849)は長寿で、九十歳近くまで筆をとり続けながら生きました。そして、その間に九十三回も引っ越しをしたといいます。また、生涯独身であったらしい。代表作の『富嶽三十六景』は、ヨーロッパの印象派画家たちにも影響を与え、国際的にも注目をされた画家です。技法も斬新で、ブルシャン・ブルーを最初に使い始めました。それは、ベルリンの藍色、ベロアイといい当時は舶来の色でした。

 一般に作家は長生きで、井伏鱒二(1898〜1993)は九十五歳まで活躍をしたそうです。
 ゲーテ(1749〜1832)は、七十二歳のとき十八歳の少女に恋をして求婚をしたといいます。
 一茶(1763〜1827)は五十二歳で結婚。渋沢栄一(1840〜1931)は、八十五歳のとき十八歳の愛人に子を生ませています。
 もっとも、以上のようなことを恥と考える人がないとは限りませんが、……

 いろいろと考えてみると、誰の一生にも苦労と問題があったようだ。そんな中で、多くの文書を残した人がいる。しかし、実際には「子供を作る」ことと比べると、「文章を作る」ほうが簡単なのではないでしょうか?

 空海(774〜835)や親鸞(1173〜1262)も晩年になって、驚くほどの精神で多くの著作を残しています。
 親鸞は八十五歳を過ぎてから、物にとり憑かれたように書き始めて、多くの書物を残しました。

 貝原益軒(1630〜1714)が、大著述家としての本領を発揮するようになったのは七十歳からです。主要な著書だけでも九十九部二百五十一巻にもなるといいます。有名な『養生訓』は、死ぬ前年の八十四歳のときに書かれました。

 作家に長寿が多いのはアウトプットすることによって、脳の活性化をしているのでしょうか。
 例えば、武者小路実篤(1885〜1976)や芹沢光治良(1897〜1993)は高齢になっても作品を作っています。また、川端康成(1899〜1972)も高齢まで書き続けたのではないでしょうか。また、北村西望(1884〜1987)は彫刻家ですが、やはり長命でした。

(注) 武者小路実篤氏がまだ三鷹の井の頭(当時は牟礼といった)に住んでいたころ、よく井の頭公園を散歩しておられた。まだ小学生であった私があいさつをすると、必ず立ち止まってていねいに返礼をなされた。
 また、北村西望氏は井の頭自然文化園の中にアトリエがあった。仕事をしている姿を近くで眺めたことが何回かあった。
 そのころ私は、井の頭4丁目(当時は牟礼(むれ)431番地)に住んでいたので、お二人の姿はよく見かけたものだ。


 そう考えれば、芥川龍之介や小山内薫、そして太宰治たちの自殺は、事情があったにしても残念です。例えば、芥川龍之介はアウトプットよりもインプットのほうが、多かったのかもしれません。キリスト教の知識などですが、インプットを続けると常に若々しい状態でいられるのかもしれません。
 また、逆に寿命を縮めた例として、開高健という作家は執筆テーマのグルメ(美食)を実際に試みることによって亡くなったそうです。いってみれば、インプット過大だったのかもしれません。


神沢杜口と『翁草』

 ここで、私(黒田康太)にとって「晩年の活躍」としてとくに思い出されるのは、「足(たる)を知る生き方」をしたといわれる神沢杜口(かんざわ とこう)です。天明8年(1788年)に起こった「天明の火災」について詳しく調べて、個人的な記録を残したのは、すでに神沢杜口が七十九歳のときだといいます。
 そして、そのような記録を一生にわたって書き残し『翁草』二百巻を残しました。その内容は、論理的で正確であり、後の時代の考証にも大いに役立っているのです。

 神沢杜口は、もと京都町奉行の与力であったが、早く隠居をして著述に励んだようである。『翁草』の自序は明和9(1772年)年で六十三歳となっている。まさしく晩年からの著述である。そして、寛政3年(1791年)に全二百巻がなったわけだが、すでに八十二歳になっていました。したがって、足掛け二十年がかりの著述であったことがわかる。

 この『扇草』には異本もあるが、ここではあまり区別をしなかった。多くの人が書写をしたので、内容の異なる部分が出てきたようだ。やはり二百巻ある異本のほうには、和歌が多く引用されているので、もしかしたら歌をたしなむものが筆写したのかもしれない。
 なお、「扇草」という言葉自体は、キンポウゲ科の多年草で、白色の長い毛で覆われるので「翁」の名がついたようだ。紫色の花をつける。また「翁草」はキク(菊)の異称とでもあり、これを「聞く」にかけたのかもしれない。


 『翁草』(正本)巻之一の本文の書き出しは、

 <○板倉周防守牛込時楽軒を諭す
 一 牛込時楽軒の語りしは、吾等忠左衛門たりし時、御目付被仰付、其の砌(みぎり)板倉周防守へ吹聴に参りしに、折節在宿にて対面有し時、其申す様、不調法の拙者へ、御目付被仰付、難有奉存候、仍(よっ)て御吹聴に参り候由申(もうし)ければ、重宗聞(きか)れ、一段目出度事に候、御自分の不調法を必ず御隠し有間敷候、若(も)し不調法を錺(かざ)られ候へば、下に立候役人に、迷惑する者多きものに候、御自分の不調法に、立て勤(つとめ)られ候へば、御上には御人多く候間、御役御免遊ばされ、其の器に当(あた)りたる者を被仰付候事故、必ず其心得有べき事の由被申候に付(つき)、忝(かたじけな)き御意見に候、此の御言葉を、我等守りに掛け相勤可申と申(もうし)ければ、周防守又云(いわ)く、是れ我が言に非らず、亡父伊賀守が申たる事にて候、序(ついで)ながら、語(かたり)て聞せ可申候、以前御上洛の節、京都にて亡父へ上意有しは、其方事も年寄候儘、代りの役人を披遣度思召せども、未だ思召当られたる御人も無之候故、不被遣候間、其方儀も、代り役人に可成者を見立候へとの仰(おおせ)なり。>

のように淡々として始めている。
 句読点が多いのはいいが、文が長いのでなかなか読みづらい。しかし、途中の読点で区切ってしまってよい箇所も相当にあるので、どんどんと先に行ったらよいと思う。全体にわたってこのような長文が続くようだ。なお括弧の中は、読みやすくするために私が補ったものである。今日の用語法とは、送りがながだいぶ違っているようだ。

 ここに『翁草』から、私の好みでいくつかの記述を拾ってみよう。ただし、記述のあらましを個人的にまとめてみたものだから、もしかしたら間違って解釈をしているかもしれない。もしも、お気づきでしたらご注意をいただきたいと思います。


 <宝暦のころ、百歳くらいの出家者がいた。
 誰も頼るものがいないので、もう死のうと思って断食をして半月ほどになった。
 年の暮れになったので、ぜんざい餅をもらったのであるが、よそへあげようとした。しかし、「お年寄りによい」と言って返したので、仕方なく持ち帰った。そこで、断食をしているときに大食をすれば死ぬんじゃないかと考えて、残らず食べてしまった。さらに、湯に入れば早く死ぬと考えて、銭湯に行って念仏を唱えながら長く入った。
 しかし、死なないので家に帰って寝た。すると、翌日もぴんぴんして元気であった。(巻二「○断食」)


 耳が聞こえにくく、目がかすむようになったので、いろいろ考えるようになった。つまり、「生涯皆芝居也」と。
 舞台の上で、男女が愛し合ったり、子が親に孝行をしたり、家来が主君に忠孝をつくしたりする。しかし、芝居が終わったら、恋人同士でもなく、親子でもなく、主君と家来でもない。一連の生涯は芝居と同じである。
 芝居は虚にして実であるが、人生は実にして虚である。それはみんな夢幻泡影(むげんほうよう)である。(巻二「○生涯の劇場)

(注) ここで、私はシェークスピアの作中(題名は忘れた)に出てくる「人生は芝居だ」という言葉を思い出す。
 また、O・ヘンリの短編小説『人生は芝居だ』などにも思いが馳せる。
 そして、さらに「芝居」から発展をして、『葉隠』の記述にある「幻」や「あやつり人形」なども思い出す。そこには、
  <この世はすべてからくり人形のようなものだ。だからこそ幻の字を用いているのである。>
  <「人間というものは、何ともうまく作り上げたあやつり人形」ではないか。糸であやつっているのでもないのに、歩いたり、飛んだり、跳ねたり、口まできくというのは、いかにも名人の細工である。>
なども思い出す。


 人間は健康で長生きをしなければ、完成できないことがある。
 大切な道具なども手入れをよくすることによって、長持ちをするものだ。同様に、人も若いときから養生をすることが、最も大切で、長生きができる基本なのです。(異本巻八「養生」)


 身体が病むことは四つ七つある。
 天に風寒暑湿がある。身に七情の病がある。外患は治しやすいが、内傷は治しにくい。内傷を一つにまとめると、ただ「思い」ということになる。人間は生まれてから死ぬまで、思わないことは一時もない。だから、思うと疾(しつ)となり、労熱ともなるのだ。(異本巻九「衛生」)


 農家の子が馬を追いながら町から帰る途中、川が氾濫して渡れない。すると馬が、その子をくわえて川を渡った。しかし、暗くて道がわからない。今度は、馬が先にたって進んだので、その子は綱にすがって後についていくと、自分の家に着いてしまった。馬は人の労を助けて有益な動物だから、他の獣(けもの)に勝っている。(巻二十八「○馬犬熊猿話(馬の部分だけを引用)」


 ○小野篁(おののたかむら)は閻魔大王の家臣でもあり、この世と冥府を行き来しているという。五条の東に死の六道、上佐賀に生の六道があって、そこを通るということだ。(巻三十三)


 正徳5年未(ひつじ)3月、江戸の賀に老人7人集まれり。
   榊原越中守の家来  志賀 瑞翁  167歳
   医師  小林 勘斎  136歳
   松平肥後守内  佐治 宗見  107歳
   御旗本  石寺 宗寿  97歳
   医師  谷口 一重  93歳
   御旗本  下重 長兵衛  93歳
   浪人  岡本 半丞  83歳
   旗本 亭主  生島 幽軒  81歳(巻三十八「老人集会」)


 和漢ともに古今同名の者が多い。
 伯夷二人、扁鵲二人、魯班三人、李広四人、我が国では人丸十五人、行平五人、義経五人、忠信五人。
 (巻四十一「○同名人物」)


 錦木(にしきぎ)という遊女は、親の敵を狙っている藤戸大三郎という浪人に深く情を交わした。そのことを知って、錦木はとても驚いた。自分と逢っているうちに、仇討ちができなくなるかもしれないと心配をしたからだ。そこで、錦木はわが身を売って、三十両の金を路銀として藤戸に与えて別れた。
 しかし、藤戸は敵を討ちもらし、そのうえ病気になって死んでしまった。
 錦木は慟哭して、禅僧鉄眼(てつげん)を尋ね、金を出して藤戸の供養をお願いした。そして、自分自身の身売りの期限が過ぎたら、弟子にして欲しいと頼んだのである。
 期間が過ぎて、鉄眼のもとを尋ねた。しかし、鉄眼は「年が若く、容姿端麗であるから難しい」と聞き入れてくれない。
 ある日、錦木は自分の額に焼きごてを当てたのである。痛さに息も絶え絶えになったものの、仏の御心であろうか助かって元気になった。鏡に向かって、醜くなった己の顔を見て錦木は喜んだ。そして、ふたたび鉄眼を尋ねた。鉄眼は驚いて、「実に鉄石の心腸なる哉(かな)」と言って、弟子にして修行をさせたのである。(異本巻四十一「顔を焼いた女」)


 あの兼好が書いた『徒然草』に、「馬のきつりやうきつにの岡中くほれりくれんとう」というのがある。私(神沢杜口)は「馬のきつは馬といふ言のく也、さて、りやうきつにのをか中くほれいりとは、りとかと上下の文字をのこして中の七文字をのくるを、中くほれいりとはいひまぎらはしたる也。くれんとうは顛倒にて、のこれるりかの二字をさかしまによみ、雁になるなぞなぞとはとけたり。
 (巻四十七「○謎語」)


 日本の文人は、「云々」の二字の使い方を知らない。東鑑(吾妻鑑)などに頻繁に出てくる。延喜のころから文章が次第に衰えて、保元になると滅茶苦茶だ。(巻五十「○云云二字)


 人に呵(しか)られたと言って死に、笑われたと言って死に、負けたと言って死に、蛸に食中毒をしたからと言って死に、色におぼれたと言って死ぬ。このような場を逃れて時を待つということは、中国人の剛なるに反して、日本人は性急な気象だからだろうか。
 (巻五十「日本人短慮」)


 庵は、仮のものである。
 自分自身でさえ仮の世に、持ち家とか借家とか区別なんかない。すべての土地は、大君のものだ。国民はすべてそれを借りて住んでいるので、言ってみればすべて借家だ。衣食住さえ足りたら、その上に何の望みもない。飽きずに思ったならば、七珍万宝(しっちんまんぽう)を積んでも欲には足らんだろう。(巻百四「借家暮らし」)


 中(=仲)のよい兄弟がいた。しかし貧乏で、その日の生活に事欠いた。そして、兄の病気。
 ある日、弟が外出中に兄は自殺を図った。弟が帰ると、すでに虫の息。ただ、ぜいぜいと喘(あえ)いでいる。喉に刺さった短刀が抜けなくなって、死ねないのだ。兄は、弟に目配せをして哀願をした。弟は見るに見かねて、とうとう小刀を抜いてしまった。そして、兄は息が絶えた。
 その兄を護送して、船で川を下るときの警護の役人の話である。
 (巻百十七「森鴎外が『高瀬舟』で安楽死(ユウタナジイ)を書いた動機になったくだり)


 独身の白川候に家臣がお願いをした。
 「世継ぎのために、どうぞ側室を召し抱えるように。」
 すると、白川候はすぐに言った。
 「それでは、そうしよう。家中で容姿が醜いために縁遠い娘のいるものがいるであろう。その女を側室にしよう。」
 そんな案配で、いかにも醜婦と見える女が決まったのである。(巻百三十九「白川候の奥方)


 「がる」と「くさき」は禁物。
 誉められたがる、でかしたがる。成りたがる、行きたがる、欲しがる、惚れられたがる。
 儒者くさい、坊主くさい、侍くさい、自慢くさい、奢りくさい、上手くさい、気取りぐさい、侮りぐさい、我ぶる(鼻にかける)くさい。
 (巻百四「がるとくさき」)


 物覚えがついてから、七十年のことを振り返ると、ただ一瞬のようだ。いそじ(五十路)、はたとせ(二十歳)のことなど、つい昨日今日(きのうきょう)の心地がする。
 浮世(ふせい)は夢のごとし、今となっては「死」を待つばかり。(巻百四「七十歳」)


 同じところに数年住むと情が出てくるので、引っ越しをする。あまり眺めのよいところや繁華街に近いところに住んだことはない。
 (巻百四十二「あだし言二編」)


 白川候の屋敷に医師が行ったときのことだ。木綿の着物を着たびっこの醜い婦人が居間まで案内をした。医師は取り次ぎの端女(はしため=召使い)と思って、挨拶もしなかった。しかし、その婦人が白川候の婦人であったので驚いた。
 (巻百八十九「白川候」)>


 以上のように、『翁草』の内容は非常に幅広く、歴史・地理・文学・芸能・芸術・宗教などに及んでいる。私(黒田康太)は何回も読んで、時代の隔たりや考え方の相違などを超えて、感激したり教えられることが多い。
 神沢杜口は京都を中心として、俳壇の人たちとも交際があったらしい。読書を好んで、早く隠遁をして著述に励んだのであるが、俳句も残している。辞世の句は、単刀直入で「辞世とは」で始まり、

   <辞世とは則ちまよひただ死なん>

というのであった。
 なるほど、淡々としている人生であったようだ。
 寛政7年2月11日、神沢杜口は八十六歳で没した。


75歳の大作『十戒』

 いままでに私が見た映画の中で、いちばんスケールの大きなものは、おそらく『十戒(じっかい)』でしょう。
 『旧約聖書』の記述にしたがって、モーセが活躍をするというものです。
 そして、私が感動をしたことは、その映画を監督して製作をしたセシル=B=デミルが、七十五歳であったことです。ふつうでは、仕事を辞めて庭いじりでもするような年齢なのに、このような雄大な映画に当たるとは、何とも素晴らしいことと思いました。
 そしてまた、私の驚いたことは新約聖書にあるイエスの生涯を物語った『ザ・キング・オブ・キングス』が、やはりデミルの作品であったということです。

 そしてさらに驚嘆をしたことがあるのです。
 それは、デミルがその収入を教育・慈善・宗教に関する事業の信託基金などに回していたことです。デミルがまだ子どものころに、毎夜、必ず彼の父から「旧約聖書の一つの章」と「新約聖書の一つの節」を読んで聞かせられたといいます。
 何とも素晴らしいことではないでしょうか。


高齢者の活躍=国鉄十河総裁70歳からの再スタート

 高齢者の活躍としては親鸞などとともに、私は十河信二のことを思い出します。
 戦後で、人材が不足していたためかもしれない。いったん停年で退職をしたが、七十歳で戦後国鉄の総裁に迎えられた。そして、戦後の国鉄を再建したのである。さらに、弾丸列車(新幹線)の計画をして、ついに実現した。その後、九十七歳で肺炎のために死亡。新幹線が実用化したのも、彼の多大な努力があったからだとも言われる。


多作と佳作=ピカソとフェルメール

 すでに、ピカソが多作であったことは述べました。しかし、生涯に多作であればいいというものではないでしょう。個人ごとに事情が異なっているし、必ずしも作品が多ければよいというものではありません。私は、多作と佳作ということでは、ピカソとフェルメールの名前を思い出すのです。

 ピカソは、九十一歳でその天寿を全うするまで、7万点の作品を残したといいます。それは、絵画だけでなく彫刻・陶器・舞台芸術・詩などにも及んでいます。まったくものすごいエネルギッシュな創作欲であったものと、つくづくうらやましく思ったり、感心をしたりします。
 しかし、いっぽうでは45年の生涯に35点の作品しか残さなかった謎の画家、フェルメールがいます。フェルメールの絵の光の魅力は、何ともいえません。カメラオブスクーラを使って、光の美しさをとらえたのかもしれないのです。顕微鏡の発明者と同じページに、出生記録が書かれているそうです。


いつまでも若い人

 いつまでも若々しい人がいます。例えば、淡谷のり子はいつまでも若い人といえるでしょう。
 老いについての記述があるのですが、それを読んで私は「なるほど」と思ったことを覚えています。そして、その著書に書いてあることを学ぶと、いろいろと老化予防の参考になると思いました。でも、残念なことにその書名と書いてある内容を忘れてしまったんです。機会があったら、調べ直そうと考えてはいるのですが、……


逆さ仏とは何でしょう?

 逆さ仏(さかさぼとけ)をご存じでしょうか? 最近になってよく使われる言葉です。これは「仏さまが逆立ちをする」のではなく、「二人の仏さまの順序が逆になった」ことをいいます。つまり、ふつうは親の葬式を子どもがするのですが、そうではなく親が子の葬式を出すことが多くなったというのです。

 大阪の玉木さんからいただいたメールに、次のような記述がありました。
 <長寿社会の日本には、100歳以上の人が200名にも達したということです。また、平均年齢は男78歳、女84歳となって、世界でも第一位の長寿社会になったそうです。そして、その原因は60年ほど戦争をしていないこと、生活が向上して食生活が欧米化したこと、医療が発達したこと、生活環境が機械化されて重労働がなくなったこと、そして労働時間が大幅に短縮されたことなどが原因であるというのです。>

 しかし、私(黒田康太)は「逆さ仏」が農村などで大流行(?)をし始めたことなどを考えると、とても安心はできないと思うとります。つまり、長寿社会には、なっていないのです。確かに見かけ上はそうでしょうが、現在78歳の男が78年、現在84歳の女が84年生きただけなのです。そして、現在20歳の男は平均的にあと58年も生きられないし、現在20歳の女は平均的にあと64年も生きられないのではないでしょうか。
 そしてそんなことは、「私の杞憂に過ぎなかった」と後になって思えればよいのですが、……

 また、国が発表をする統計の誤謬には気がつかないように、誰かに錯覚をさせられているのでしょうか。何のことはない、幼児の死亡率が減っただけなのです。それと、延命処置が進んだことにあるでしょう。
 統計の扱い方の間違いについては、かつて有吉佐和子氏が『複合汚染』に詳しく述べておられました。したがって、ここでは説明を省きましょう。必要があれば、『複合汚染』(新潮社)をご覧ください。70歳を過ぎた探求心の盛んな隠居に有吉佐和子が一つ一つ的確に応えていく問答式のわかりやすい記述です。

 今後は、いろいろと問題が表面化してきます。老人人口が増えて、多くの人が当事者になっちゃうからです。そして、若い人も含めて、すべての人が当事者として関係をしてくるようになるでしょう。そのような中で、物事を正しく見ることが必要です。あたかも、檻の中で飼育されている動物が、互いに責任をなすりつけるような方式では、檻の外も含めた全体としては解決ができないという傾向の問題だからです。
 国や行政でも、何とかしていただきたいところです。


あいさつをしない人=不愉快な人間関係=ソクラテスと常不敬菩薩

 現代社会には、煩わしいことが非常に多いということは事実でしょう。
 新聞の勧誘や商品のセールスなど、頼みもしないのに次々と押しかけてきます。電話でしつこく話す方法も、ここのところ増えてきました。さらに、いかがわしいメールなども多数やってきます。
 食べ物が悪くなって、健康に問題が生じ始めたのではないかと危惧をしているときに、不愉快な人間関係までを負い込みますと、精神的にも老化をしてしまいます。煩わしいことをしていると、次第に老けてしまうからです。

 また、最近はおかしな態度を取る人が増えたようにも思います。やはり、食べ物に入っている化学薬品、環境ホルモン、界面活性剤などが脳に影響を与え始めているのでしょうか。近所に住んでいてもあいさつをしない人が増えました。若い人にも多いようですが、よく観察をするとあいさつの仕方を知らないようでもあります。

 脳に異常をきたし始めると、あいさつどころではないのでしょう。福祉センターへ行くと、高齢の人が「最近の若者はあいさつもしない」と怒っていることがあります。私は、そのようなときには必ずソクラテスの片足の人のことを思い出すのです。

 最近は他人のことなどに関わろうという人も少なくなったようです。そんなときは、いつも私は常不敬菩薩のことを思い出して反省をします。自分自身がやっていること自体、おせっかいで常不敬菩薩のかけ声と似ているからです。


老人の一般的な傾向

 老化現象として「老人の特徴」を見るまえに、老人の一般的な傾向を眺めてみましょう。あくまでも一般的な傾向ですから、いちがいには言えないのでご了承願います。

 老人は一般に自己本位でいやらしい場合が多いようです。つまり、自分のこと以外には無関心になるようです。あまり他人のことに興味がなく、自分のことだけが問題となります。ただし、その場合でも芸能人などについては別のようです。誰がどうしたなどと言って、興味を示すからです。おそらく、それは何らかの自己願望のあらわれなのかもしれません。
 宮沢賢治の『雨にも負けず』に書かれているような人は少ないのでしょうか?

(注) なお、宮沢賢治の『雨にも負けず』原文は、このホームページの
 「健康のページへ」 → 「健康とは何でしょう?」 → 「健康全般に関するQ&A(十問十答)」
にありました。


 「お陰様で、還暦までは無事過ごしてきました。これも、社会の皆さんのお陰です。これからは、何か社会のお役に立つことをしていきましょう。そのためには、少々の費用も惜しみません」などという人は、あまりいないようです。もっとも、私(黒田康太)があまり素晴らしい人とのお付き合いがないためかもしれませんが、……
 もしかしたら、そういう人が集まっているグループも多くあるんじゃないでしょうか。

 とにかく、老人が頑固でひとりよがりなのは困ります。それでいて、自分をかまってくれないと不満を言う人もいるようです。つまり、孤独に耐えられない人がいるのです。欲が深くて、面倒くさいことをしないという反面ではわがままな意見でもあります。

 私の住んでいる多摩市の団地部では、高齢化が進んでいます。そして、精神的な支えがなくて惰性で生きているような人も、かなりいるようです。さらに、そのような場合に悪いことは、病みがちになったり、病んでしまうことなのです。何とか孤独にも耐えられるような修養というか練習をしておく必要もありそうです。


老化現象=老人の特徴

 老いてくると、いろいろ不都合なことが起こります。それらは、若いときには考えられなかったことですから、自分自身で認識をして、ふだんから注意をするようにしてください。
 私は、年齢(とし)をとった日々の生活を思うと、古くなった自動車やノートパソコンのバッテリーを連想します。それらは、いくら充電をしても、間もなく放電をしてしまうのです。つまり、長く続かないのです。そのように自分自身の身体もすぐに疲れてしまって、いくら休んでも回復をしないのだ。
 すべての老人がとはいわないが、多かれ少なかれ次のような傾向があらわれるようです。

斑気(むらき)になったり、自己本位になる

 一概には言えませんが、そのときの環境や感情によって、気分が変わりやすく、気まぐれに勝手気ままなことをしたり、言ったりするようになります。また、自己本位になって相手のことを考えたりしなくなることもあります。したがって、何事に対しても積極的に参加をしようという人は少なくなってしまうようです。

ずるくて疑い深くなる

 人生を多く経てきたためでしょうか、何となくずる賢くて、物事を疑うようになります。誰かが好意で言ったことも、必ず疑うようになります。性格が鈍ってしまい、何となく魯鈍になったような感じを与えることが多いようです。

身勝手で、欲が深くなる

 あまり他人のことを配慮することがなくなり、物欲や名誉欲が深くなってくるようです。したがって、自分の利益になるであろうことしかしない。そのために、いつまでも不幸であり、豊かにはならない。ふつうは、還暦を過ぎたころから社会のためになることをしようと考えて、世の中に奉仕をし始めてもよいように思うのですが、……
 そして、さらに80歳を過ぎると、老人に付きもののあらゆる愚かさや脆(もろ)さを露呈する。やがて、頑固で気難しくて、貪欲で不機嫌になり、愚痴っぽくておしゃべりになる。そして、人間本来の温かい愛情がわからなくなってしまう。つまり、嫉妬深くなって、実力がないのに欲望ばかりが強くなる。

文句ばかり言うようになる

 社会のシステムから外れてしまうために、自分自身の存在する場所がなくなって、文句を言うようになる。したがって、老人になったら仕事やすることを自分で作らないといけない。なぜならば、誰も頼んでこないし、また期待もされていないからである。

躓(つまず)く

 老いてくると、どうしても歩行のときに足を引きずるようになります。つまり、若いころのように足を上げて歩けないのです。当然のことながら、ちょっとした段差があっても躓いてしまいます。最近になってバリアフリーの住宅が増えてきました。居住空間になるべく段差を少なくした設計の家です。車椅子などの通行にも便利になっています。
 高齢者が躓くと、身体のバランスを崩して転んでしまうことがあります。そして、倒れたときに骨折をすることが多いようです。骨折をすると歩けなくなる場合が多いので、そのまま寝たきりになって、大きく体調を崩してしまうことになるでしょう。そして、寝たきりになってしまうと、なかなか戻れません。したがって、平素からの注意が必要です。

不潔になり、汚らわしい

 老人は、一般的に不潔です。若いときのように、肉体的な新陳代謝がうまく行えないからです。そして、それは肉体的ばかりではなく、精神的にもどうしようもなくなってきます。そんなわけで、とくに若い人たちから見ると、「老人は汚くて、不潔なもの」となりかねません。それは、仕方のないことですが、できたらそうならないように日々注意をすべきです。
 身体を清潔に保ったり、とくに口の中に注意をしたり、さらに話す言葉にも気をつける必要があるでしょう。相手がそのような印象で接してくるときは、とくに注意が必要です。

 老いてくると、とくに日々の生活によろこびややり甲斐を見つけることが大切です。しかしそれが、身体の健康を保ち、脳をリフレッシュして、いつまでも若々しくするコツなのでしょう。そのようなことを忘れないで、上記の老人の特徴である老化現象にならないように、くれぐれも注意をしてください。


老醜現象というやっかいな症候群



老化を予防する方法の発見

 私は、かつて五十歳代も残り少なくなりはじめたころ、自分はあと何年間しっかりと生きられるだろうかと不安になったことがあります。そんなある日、ふとしたことから「気持ちが老いたり、惚(ぼ)けたりしない方法」を偶然に見い出しました。それは「老いない方法」や「惚けない方法」というよりも、「いつまでも若々しくいる方法」と呼ぶほうが、むしろ正しいかもしれません。
 その後、それを自分自身に実践してみました。そして、かなり効果があるということに驚いたのです。なぜならば、それからは自分があまり老けていかないからです。

 老人が増えていくという時代に、私もその仲間入りをしたわけです。もしも役立つことなら発表をして、その一連のカリキュラムを多くの人々に利用していただきたいと思い、老化予防のボランティア活動も始めた次第です。そして、生きている日々の時間を大切にしたいとも考えました。
 急速に変化をしている最近の社会事情、価値観さえ大きく変わっていく世間の動向に、少なからず不安や憂慮をいだいているのは、おそらく私だけではないでしょう。

 森鴎外の『高瀬舟』や深澤七郎の『楢山節考』のような場合には、いたしかたないかもしれません。なぜならば、『高瀬舟』では美しい兄弟愛の結果の殺人ですし、『楢山節考』では貧しい農家の現実だったのですから、……
 しかし、美しい「チューリップの国」のワーストケースのようには、私自身なりたくないからです。
 さらに欲を言えば、桜沢如一が「永遠の青年」というエッセイで書いているアナトール・フランスのようになりたいと思うからです。

 チューリップの国……かつてオランダで自由死が認められたときに、看護婦が勝手に数十人を安楽死させた事件。


 それでは、いつまでも若々しくするためには、どうしたらよいのでしょうか?
 むろん、食べ物や運動が大切であることは、今さら申すまでもありません。その他に、脳に対する配慮が意外に重要なのです。このことは、理屈でわかっている反面では、なおざりにされている場合がいままでにも多く見受けられます。なぜならば、かなり難しい問題だからです。

 肉体の物理的な退化や機能の劣化は、遺伝子の関係もあるので、ある程度はいたしかたないでしょう。その一方では、不注意や無関心によって身体に起こってくるボケや老化などを何とか避けたいものです。正しい脳のトレーニングを行うことによって、それらを未然に防ぐことができるということが、ある程度わかったのです。脳の活性化、つまり脳を生き生きとすることによって「肉体的な老い」を遠ざけることが、誰にでも実現可能なのではないでしょうか?

 具体的な結論を述べましょう。それは、脳に対する情報のインプットとアウトプットとのバランスが、非常に大切ということなのです。なぜならば、それらが不釣り合いだと病気になったり、老化を早めたりするからです。とくに、インプットの過多はいけません。ちょうど、それは食べ物を採りすぎて運動不足だと肥満になり、さらに糖尿病や心臓病を併発するのに似ています。その結果、身体全体の死の時期を早めてしまいます。

 ここで人間を単なる生体として扱うのは、ちょっと問題があるかもしれません。ふつう脳のことを無視して、人間の生命は考えられないからです。ラット(ネズミ)の実験結果が、必ずしも人間の場合に当てはまらないケースもあるといいます。それはラットに比べて、人間の脳が飛躍的に複雑なものだという配慮がなされないためではないでしょうか。とくに、感情や気持ちをともなう肉体の不都合または病気のような状態に対して、脳の作用が大きいといわれます。

 ごく簡単に説明をすると、老化防止のためには

(1) 言葉の空間を広げることにより、創造性を豊かにする
(2) 言語空間の凝縮によって、脳の活性化トレーニングをする
(3) システム空間という価値観を構築し、自分自身をその中に位置づける

という三つの段階的な方法などが考えられます。

 いずれも簡単な手順と身近な道具で、効果的に実現できることがわかりました。中でも、最初のステップである(1)による老化防止は、「言葉の空間を広げる」ことにより、すぐに実現できます。言葉の空間を広げる、つまり、文章を作成することによって、創造性を豊かにするのです。
 しかし、それを面倒と感じたり、意味がないと考える人もいるでしょう。その場合は、人間社会のすべてが言葉のイメージによって構成され、運営されているということを思い出してください。憲法や法律、学問や文学などです。

 また、文章を作るのが苦手という人もいるでしょう。それでも、まったく話ができない人はめったにいないようです。書くというのも慣れてしまえば、あたかもそれと同じことなのです。身構えてしまうと、なかなか実現ができません。それは、いざ改まると話せないのと同じです。
 もしも、たくさんの聴衆がいるところで、まとまりのあることを話せと急に言われたりすると躊躇してしまいます。そんなときはあわててしまって、内容のないことなどをついしゃべってしまうではありませんか。

 現在は、かろうじて社会のバランスが保たれている時代ともいえます。ちょっと大きな事件や問題が生じれば、たちまち崩壊をしてしまう脆(もろ)い社会なのです。そんな中で、以上のようなカリキュラムを考えた次第です。例えば、ビルの屋上から飛び降りて、身体が落下してゆくときに助けるのは非常に難しいからです。その時点で救助するのではなく、もう少し手前の時間、つまり飛び降りる以前に、そうならないように対処をしなければいけません。

 実際には、「論」や「技法」などという堅苦しいイメージはないでしょう。その手順どおりにすれば、ひととおりのことができるようになっています。人生をより豊かにするために、ぜひお試しになってはいかがでしょうか?


現代楢山節考・考

 この節の最後に、「フィクション」をおまけとして付けておきましょう。
 いつの時代でも生産力のない老人が増えてしまうと、社会が疲弊してしまいます。そこで、日本でもかつて貧しい時代には、「姥捨て山(うばすてやま)」などと言って、老人を捨てたものです。姥(うば)といっても女だけではなく、むろん男の老人も含まれます。

 親しくしている臼井先生の知人であられた深沢七郎氏は『楢山節考(ならやまぶしこう)』を残されました。
 <お姥(んば)捨てるか裏山へ 裏じゃ蟹(かに)でも這(は)って来る>
と歌いながら、おりんばあさんを背負って、孝行息子の辰平は胸のはり裂ける思いで母を捨てにいきます。それは、因習にとらわれた貧しい部落に厳然と続くしきたりなのです。

 現在では、日本の政治家が非常に優れているので、国民の老人を捨てるような必要はありません。また、病院や養護施設でも、内部で楢山節考のようなことを秘密裏で行っているところは絶対にないようです。しかし、今の時代の優れた政治家に安心をしている私たちも、今後はどうなるかわからないのです。なぜならば、いくら賢くて優れた政治家でも、これから生じる自然の大変化によるダメージなどとともに、どうすることもできないアポリアになってくるからです。

 オランダでは、すでに「尊厳死」が認められています。また、アメリカでも尊厳死を認める州が出始めたようです。日本では、これからいったいどうなっていくのでしょうか。よその国と比較をして現在の日本の驚くべき人口構成などを考えると、私は自分も含めて大いに悲観的にならざるをえないのですが、……
 日本では、異常なほどの老人増が問題なのです。キャベツなどができすぎたときは、平気でブルトーザでつぶしてしまい、ドカッと穴に埋めています。そのような安易な処置をする国や行政や生産者だから、私には心配なこともあるのです。

 米寿(八十八歳)を過ぎて卒寿、つまり満九十歳が来たときに、それぞれの属している行政から「デラックス旅行」つまり「ファイナルトレック(最終旅行)」とでも言えるような招待状が来るのです。なぜならば、老人に米をそれ以上食べられると、国が疲弊して困るからです。行き先は、次のところからコースが選べるようになっていて、いずれも初日の夕食は非情に(「非常に」ではありません。)素晴らしい豪華なものということです。

(1) 富士山青木ヶ原樹海散策コース
(2) 大島三原山噴火口または阿蘇山噴火口見学コース
(3) 鳴門海峡遊覧船周遊コース
(4) 永平寺寝禅(座禅ではなく、初めから寝ていてかまいません)断食コース
(5) 超高層ビル屋上ビアガーデンコース(ビル名は未定だそうです。未発表かもしれんです。)
(6) ……

 それこそ、これは「現代楢山節考」とでもいう小説になるようなテーマですね。


老化予防のページ関連資料



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 脳の活性化をしましょう

メビウスの帯(おび)


 いったい、裏のない面などが存在するのでしょうか?
 この無限大の記号のような形をした輪に含まれる意味は、意外に大きいようです。この輪の裏面は、一周して元のところで表面になっています。この面を一回ねじった構造を「メビウスの帯(おび)」といいます。
 これは、紙で簡単に作ることができます。作ったら、帯のまん中を続けて、初めのところまで切ってください。ふつう、物を二分すれば二つになります。この場合は、どうなるでしょうか。

 実際に、この簡単なしくみがドット式プリンタのリボンなどに利用されました。回転する帯状のカーボン面が、一様に打たれるための工夫です。
 メビウスの帯と似たものに、内側のない容器「クラインの壺」があります。
 トポロジー(位相幾何学)的に考えて可能でも、常識では異次元世界のように見えます。容器の内側がいったん外へ出て、さらに外側に続いていたりすることは、どうも現実的ではありません。

 裏のない面や、外側のない容器などは、はじめから考えなければ気楽です。しかし、一方では何とか実現する方法を考えることも必要でしょう。


抽象と具体の間(はざま)



 もしも、
(1) 「平面上に存在する3個の点A、B、Cを、それぞれ対応する点A’、B’、C’と連続した線分で結べ。ただし、線分は直線の必要はないが、平面上で互いに交差してはいけない」
という問題が与えられたらどうするでしょうか。
 記述がぎこちなく、また「与えられ」たりすると、何だか幾何の問題を思い出し、どうもおっくうになりがりです。

 それでは、
(2) 「ここにコンピュータの回路を作る1枚の基盤があります。基盤の表面の端子間を、それぞれ対応するように布線設計をしてください」
といえばどうでしょう。
 ICなどをセットする板を基盤といい、その基盤上の配線を布線といいます。布線設計は、素子間の接続をどのようにしたらよいかを考えることです。その配線はプリント方式ですから、互いに交わることができません。
 つまり、そこにもう他の線があれば、それを回り道して交差しないルートを探します。これで、幾何の問題から何とか、現実の回路製作のテーマになりました。

 さらに、次のようなのはいかがでしょうか?


(3) 「むかし、北の地方に小さな国がありました。そこに、王様とお后と王子さまが住んでいました。長い冬が去った暖かい日に、3人は外出なさいます。それぞれ、多くのお供を連れて遊山(ゆさん)です。
 王様は、山の斜面にある宝物がしまってある倉に、お后は垂水(たるみ)のさわらびの新芽を見に、そして王子さまは、冬眠をしていた兎がはい出してくる西の野原に、それぞれ向かいます。
 夫婦、親子でも互いに気位が高く、お供も一緒です。他のものが通った道を避けて進みます。他人の歩いたところを自分が行くことは、自尊心が傷つくと考えたからです。
 王様、お后、そして王子さまは、どのように進めばよいのでしょうか?」

 これら(1)(2)(3)は、同じことを意味しています。
 ただ、その表現が抽象と具体で異なっています。むろん、初めから物事を抽象で考えることができれば、応用もできて好ましいことです。しかし、慣れないうちから抽象的に考えるのは、なかなかめんどうでしょう。
 今後、具体と抽象との間を思索がスムースに移行できるように、しっかりと習慣づけることが大切です。


直感と錯覚の周辺



 子供のころ、どこかの旧家へ母に連れられて訪問したときの思い出です。
 そこで出されたのは、扇形をした落雁(らくがん)でした。それは、お皿に2つのせてありました。そのとき、手前にあるほうが大きく見えてなりませんでした。
 こっそりと重ねて大きさを確かめたことを、今でもよく覚えています。
 人間の目は、欺かれやすいものです。非常に精巧なその機能も、ともすると誤判断を平気でします。

 わたくしたちの目は、物があまり近すぎても、また遠すぎても見えません。
 非常に近い対象は、盲点に入ってしまうからです。また、距離が遠いと識別できないほど、ぼやけてしまいます。
 それでは人間の目は、どのくらいの距離まで見えるのでしょうか。
 肉眼で、いちばん遠くに見えるものはアンドロメダ星雲です。それは、この地球から光が200万年もかかって到着する距離なのです。わたくしたちの目は、すばらしいものですね。

 もしも、対象を正しく見ることができない目なら、くりぬいて捨てなさいと激しいことをいった偉人もいます。
 目が欺かれてしまわないように、正しく事物を見ることが大切です。


 冬の曇った日に、閑静な住宅街を歩いていたときのことです。
 たどたどしいタッチのピアノ曲が流れてきました。私は、とっさにその曲が「雪やこんこ」だと思いました。そのとき、私は雪が降りそうだと考えていたのです。
 そして次は、「あられやこんこ、降っても降っても……」と続くのだろうと考えました。でも、進むにつれてちょっと違うようです。やがて、ふとわかりました。
 それは、バイエルのピアノ教則本内88番の練習曲だったのです。

 このようなことはよくあります。シューベルトの「アルペジオーネソナタ」も出だしのところで、てっきりこれは「未完成交響曲」だと思ったりします。その部分の旋律が互いによく似ているからです。
 似たようなことは、何も音楽にかぎらず、日常の会話にもあります。
 実際に、どちらの意味にもとれる言葉があったり、抑揚で意味が異なることもあります。例えば「結構」という言葉は了承したときも、辞退するときにも用います。
 お見合いなどで「結構でございます」といわれて待っていると、あのときに「お断りしたはずなのに」ということがあります。
 耳も、自己本位で聞き違いをしないようにすることが大切です。


 新進の研究員が、助手とともに実験をしています。
 はじめ、ビーカーに1匹の細胞がいます。それが、1分間隔で2匹になり、4匹になり、8匹になるというように、次々と2倍に分裂をします。そして、ちょうど24分でビーカーが一杯になりました。
 研究員は、助手にいいました。
 「君、ちょうどビーカーの半分になった時間数を書いてくれたまえ」
 見るからに利発そうな助手は、
 「はい」
といって、機敏に12分とノートに記入しました。
 そのようにして、細胞がビーカーの半分になる時間の測定を続けました。
 しかし、結果がどうも思わしくありません。彼女の手慣れた作業の中にも、何か重大な誤りがあるのでしょうか。

 驚くことですが、科学者が0乗した数を0と勘違いをしたり、電気技術者が電源スイッチの「○」をONと間違えたりするそうです。何気なくすることの中に、思い違いがあるのは困ったことです。
 考えずに動作するのは、誤りのもとです。必ず、逆の場合にどうなるかも思い出してみる必要があります。
 論理や約束を、直感で思い違いしないようにすることが大切です。


 日常生活にも、結構思い違いがあります。私の父は自分の額にかけた眼鏡を、しばしば探していました。

(注) 石川啄木の『悲しき玩具』p89に、次のような短歌
 <笑ふにも笑はれざりき−−長いこと捜したナイフの手の中にありしに。>
というのがありました。


 私も、かつてコンピュータの専門家の一人でした。
 コンピュータ技術で生計をたてていました。いままで、ずいぶんとプログラムを作りました。しかし、いかに思い違いやミスが多かったかを思うと、恥ずかしくなります。
 そのたびに、自信をなくして暗い気持ちになりました。それは、湯川秀樹博士が書いておられる「この道を離れたならば、何の取柄のない人間であることを、思わねばならぬ」ということです。
 だから、一生かかっても何とか間違いを減らしていこうと思います。自分ができないと思ったら、もうそれが最後です。

 いちばん思い違いで困るのは、能力があるのにないと思ったり、さらには、自分を「ダメ」と思い込むことです。「老化予防」を難しいと考えたりしないで、もっと自信をもってください。
 「健康」や「老化予防」の問題は、思ったよりも簡単です。
 図形を見るときには平面的な広がり、話や音楽を聞くときには時間的な広がりに注意できる視聴覚をもっていればよいからです。そしてさらに、それらの情報を処理する脳そのものの判断を慎重にすることで実現が可能になるでしょう。


考えるということ

 「Pascal」というコンピュータ言語を開発したヴィルドは「考える」ということを大切にしました。現在では、「Pascal」という言語はあまり用いられませんが、その表記を簡便化した「C」が広く用いられています。つまり「Pascal」は「C]に置きかわった感じです。

 ロダンの彫刻『考える人』は、頬杖(ほおづえ)をしていかにも深く思索をしている様子です。しかし、考え方によっては何となくトイレでウンコをするときの形にも似ています。そんな愚かなことを考えるのは、私だけでしょうか。美術や音楽、そして文学などは解釈をするよりも、直感で事実を知ることが大切なのかもしれません。

 だいぶ前(1987年)のことですが、蒲田の学校の情報通信科卒業生のアルバムに私も何かを記述するようにと言われて、
 「考えることから、始めてください。」
と書いたのを覚えています。
 なぜならば、そのころから私自身がそのようにしているからです。

 『パパラギ』という本にある酋長ツイアビの演説に、「考えるという重い病気」というのがあります。
 しかし、一般的には「考える」ということは「脳の活性化」をうながします。そして、「脳が活性化」をすれば老化予防に関しても好ましいことでしょう。


考えることの大切さ・直感の大切さ



脳の活性化=老化の進み方を遅くする

 ここでは「脳の活性化」、つまり「老化の進み方を遅くする」ことを考えてみましょう。老化の進み方を遅くする。いったい、そんなことができるのでしょうか? それが、やりかたによっては、ある程度はできることがわかったのです。老化という現象自体は、いたしかたないでしょう。それは自然の摂理ですから、それに逆らうことはなかなかできません。ただ、その進み方をゆるやかにすることは、ある程度は可能なのです。それでは、どうすればそれが実現できるのでしょうか。
 問題は、この脳の活性化なのです。

 栄養価の高いものを食べることは、確かに身体にはよいことでしょう。しかし、高齢者の場合にはちょっと考え物なのです。
 私の知人で、奥さんを亡くされた人が長男夫婦のお宅に厄介になっています。そして、ある日その長男の奥様が相談に見えたのです。話によると、その知人、つまり奥様からいうと義父にあたる人が、最近ボケてきて亡くなった妻、つまりその奥様からいうと義母にあたった人と自分を勘違いすることがあるということです。そして、夜になって布団の中に……

 いくら脳の働きが活発であっても、妻と息子の嫁を勘違いするようなボケでは困ります。また、日々の活動に不必要なほど栄養価の高いものを食べていることも問題です。なぜならば、精力だけが盛んでも意識が呆けてしまうと、おかしな行動になって回りに多大の迷惑がかかるからです。
 よく考えてみると、脳といえども身体全体をコントロールするための器官ですから、身体のほうに問題があっては支障をきたします。やはり、身体が衰えていく中で脳がしっかりして、後から衰えていくのでなければ困ります。それは、ちょっと身体が無政府状態のようになってしまうからです。

 そこで、脳を活性化するための方法として、自分自身の問題や自分が置かれた回りの問題を次々に解決していくことが効果的だということがわかります。むろん、自分の能力をかなり超えたテーマに挑戦することもよいでしょう。しかし、それよりも「筒いっぱい」というところで、次々と問題を解決していくのがよいのです。
 つまり、重量挙げでしたら一つずつバーベルを大きくしていくやりかたです。いっぺんに重くすると筋肉を痛めたり、怪我をしてしまったりするからです。そのようにムリのない方法で、脳の活性化を図らないと、ダメージを受けてしまう危険性があります。


文帝の『典論』と嵯峨天皇

 かつて、日本でも言葉を非常に大切にした人物がいました。
 中国の文帝があらわした『典論』にあるくだり「文章は経国の大業にして、不朽の盛事なり」を国家的なスローガンにした嵯峨天皇です。天皇自身も佳作を残し、臣下や女人たちもこぞって唱和したといいます。
 なお、嵯峨天皇の后が檀林皇后で仏教に関しても功績のあれれた人です。しかし、檀林皇后は

 <自分が死んだら、葬式などしないで死体を庭に放り出しておいて、犬の餌にしなさい。>

とおっしゃいました。


読書の効用

 読書もある程度なら、老化予防のためによいでしょう。
 なぜならば、本は自分のまったく知らない世界へ誘(いざな)ってくれるからです。さらに、ときには書物が自分とまったく異なる空間や時間に連れて行ってくれる。現代は、社会情勢や科学技術の変化が早すぎて、各自の精神がそれについていけないために、病気や老化が進んでいるようだ。したがって、ときどき新聞の社説などを読んでみたり、科学雑誌をひもとくのもよいでしょう。
 文字で書かれたものを読むというのは、一般に脳の活性化につながるかもしれません。


チンプンカンプン

 高等学校のときに使った漢文の教科書です。
 内田泉之助・林秀一・吉田賢坑共編の『新編高等漢文 巻一』というテキストで、明治書院発行のものでした。実にすばらしい内容で、その初めの「漢文の構造」というところで学んだ言葉は、一生にわたって思い出され、いまでも記憶に鮮やかです。むしろ、今になって理解が深まってきた言葉さえあるのです。
 そんな意味で、老化予防の一環として学生のころの復習をしてみましょう。


・ 日月運行す。(易経)

・ 天は長く、地は久し。(老子)


・ 文章は経国の大業、不朽の盛事なり。(典論)

・ 豹は死して皮を留(とど)め、人は死して名を留む。(五代史)

・ 良薬は口に苦く、忠言は耳に逆(さ)かふ。(孔子家語刪(さん)修)

・ 君に事(つか)へて礼を尽くせば、人以(もっ)て諂(へつらい)と為す。(論語)

・ 倉廩(そうりん)実(み)つれば則(すなわ)ち礼節を知り、衣食足れば則ち栄辱(えいじょく)を知る。(管子)

・ 君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る。(論語)


・ 君子は其の言の其の行に過ぐるを恥づ。(論語)

・ 恒産無くして而も恒心有る者は、惟(た)だ士のみ能くすることを為す。(孟子)

・ 今王必ず士を致さんと欲せば、先ず隗よりより始めよ。(十八史略)

・ 財を治むるの道、其の禁ずべき者三あり。貪・吝(りん)・費なり。(慎思録)


・ 君子の交(まじわり)は淡きこと水の如く、小人の交は甘きこと醴(れい=甘酒)の若(ごと)し。(荘子)

・ 人遠き慮(おもんばか)りなければ、必ず近き憂ひあり。(論語)

・ 玉琢(みが)かざれば器を成さず。人学ばざれば道を知らず。(礼記(らいき))

・ 少年老い易く学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず。(朱熹(しゅき) 偶成(=詩歌などがふとしたことからできあがる))

・ 善人と居るは、芝蘭(しらん)の室に入るが如く、久しくして自ずから芳し。悪人と居るは、鮑魚(ほうぎょ)の肆(し)に入るが如く、久しくして自ずから臭し。(顔氏家訓)


・ 悪の小なるを以て之を為すこと勿(な)かれ、善の小なるを以て為さざること勿かれ。(小学)

・ 君子は其の人を養う所以(ゆえん)の者を以て人を害せず。(孟子)

・ 顔淵・季路侍す。子(し)曰(いわ)く、「盍(なん)ぞ各々の爾(なんじ)の志を言はざる。」と。(論語)

・ 伊藤仁齋、常に子弟を警戒して曰く、「汝等(なんじら)志を立つるには、須(すべから)く第一等の人と為らんことを期すべし。」と。(角田簡 近世叢語)


・ 過ちは不敬に生ず。能く敬すれば、則(すなわ)ち過ちは自ずから寡(すくな)し。儻(も)し或いは過ぎたば、則ち宜(よろ)しく速やかに之を改むべし。速やかに之を改めるも亦(また)敬なり。(佐藤坦 言志四録)

・ 歳暮(さいぼ)に、菅得庵、羅山に謂(い)ひて曰く、「余未だ通鑑綱目(つがんこうもく)を読まず。請ふ、先生明春を以て、余の為に之を講ぜよ。」と。羅山曰く、「子の心誠に之を求めば、何ぞ来年を待たん。」と。則ち除日を以て講起せり。(原善 先哲叢談)

・ 人性の善なるは、猶(な)ほ水の下きに就くがごとし。(孟子)

・ 范(はん)文正公、少なくして大節あり。嘗(かつ)て自ずから誦(しょう)して曰く、「士は當(まさ)に天下の憂いに先だちて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむべきなり。」と。(小学 刪(さん)修)


・ 天の将(まさ)に大任を是の人に降さんとするや、必ず先ず其の心志を苦しめ、其の筋骨を労す。(孟子)

 
それぞれの言葉の内容にかしては、後日まとめてみようと思います。


言葉を使う=脳の活性化

 言葉や言語を使うということは、自分自身が呆けないための大きな要素になっているのです。言語は、思考や行動に役立つからです。もしも、その辺に興味がある場合は、
   S.I.ハヤカワ/大久保忠利訳『思考と行動における言語』(岩波書店)
を読んでみてください。
 つまり、すべて言葉のイメージで人間社会が構成されているといっても過言ではありません。

 文章自体は自分自身を写した鏡と考えて、自分を見つめ直すことができます。古い記録書に「……鏡」となっているのは、そのような意味も含まれているのでしょう。つまり、何回も見直すことができるのです。そしてそれは、客観になれるということですから、脳の活性化にも大いに役立つことでしょう。
 物事をフィードバックさせて、別の観点から見ると脳をいつまでも若々しく保つことができるからです。

 脳の活性化ということで、テレビを見ている人がいます。しかし、それではあまり効果がありません。なぜならば、テレビのような受け身の情報では覚えていられないからです。むしろ、作文のように自分自身が自発的に行うもののほうがよいのです。つまり、言葉をうまく使う−−これが脳の活性化にとって重大なことなのです。そして、言葉を使うために文章を作るのです。

 記憶の最小単位は、言葉つまり単語です。その単語を組み合わせて考えるということは、意外に脳の活性化になるのです。それは、積極的に自分が参加をした作業ともいえるからでしょう。そこで、次に簡単な方法で活性化のプラスになるテーマを探してみました。数ある方法の中から、現実に可能なもので、手近なものをいくつか考えてみましょう。それらは、一通り実際に私が自分でやって確かめたものです。

 やってみて驚いたのですが、言葉を使いこなすというよろこびはかなりのものです。満足感もるので、趣味や好みの段階よりも奥が深いかもしれません。もしかしたら、「やり出したら、もうやめられない」とか「ちょっと中毒症状になってしまう」というような人もいるでしょう。
 人によって異なりますが「盆栽を作る」「切手を集める」「日本刀を持つ」などといった趣味と同じくらいの面白さもあるのではないでしょうか。なぜならば、言葉を使って組み立てるよろこびは、漢字・カタカナ・ひらがな・アルファベット(ABC)などを用いると、英文の場合と異なって日本語は要素が多いので、それらを組み合わせることによって、かなり面白いことができるからです。


手も使う=脳の活性化

 脳の活性化と言うと、脳を使うことが必要なことはいうまでもないでしょう。しかし、その他に手を補助的に使うことにも大きな意味があるようです。手で文字を書いたり、手でカードを並べ替えたりすることは、かなり効果的な脳のリフレッシュになるでしょう。頭だけで考えるのではなく、手も用いるということが効果的なのです。

(注) カントは<手は外部の脳である>と言ったといいます。
 日本珠算連名の広告には、「手は体の外に出た脳である−−カント−−」とありました。(1999年のころ見たポスターです)


 最近になって、手を動かすことで脳梗塞が予防できると言われるようになりました。そして、逆に手の動きを見ることによって、脳の状態がわかるともいいます。シナプスが関係しているためでしょうか。そんな意味で、まず「言葉遊び」のような脳と手を使うことを考えてみました。
 具体的には、「回文」や「アナグラム」などです。


言葉を自由自在に使う快感

 私自身は、まだあまり言葉を自由自在に使えるわけではありません。しかし、「言葉を自由自在に使う」という快感や満足感は、非常に大きいと聞きました。それは、私も「疑いもない事実」だと思います。
 『荘子』などの文章を読むと、その内容の微妙さにつくづくと感心をします。むろん、和訳をしたものですが、それでも大いに驚嘆をしてしまいます。例えば、原富雄『現代語訳 荘子』(春秋社)などを読むと、荘子が実に巧みに言葉を使いこなして、饒舌にそこで言いたいことを、そこで言い尽くしているからです。

 金を自由自在に使ったり、競馬や競輪などで儲(もう)けたり、パチンコで大当たりするよりも、それはずっと大きな楽しみかもしれません。もっとも、私は「文章」も「金儲け」もあまり体験をしたことがないので、それはちょっと無責任な発言かもしれませんが、…… とにかく、ここでいう「言葉を使う」ということは、かなり深い味わいのある楽しみで、かつ快感や満足感が得られるもののようです。
 そんなわけで、私もそれをこれから大いに確かめてみたいと思うとります。

 さらに、「快感や満足感」を味わうだけでなく、ボケ防止もその結果できるということですから、何とも素晴らしいことではないでしょうか。もしかしたら、脳に対するフィードバックの機能も働かせて、自由自在に時代を行き来したら若返るかもしれないのです。つまり、まず考えてから頭(心といったほうがよいでしょうか)のなかでイメージをふくらませ、そして決定をしたら文字にするのです。そして、それを読み直してから書き直したりもするでしょう。
 そんな楽しみがあるとは、若いころには一度も考えたことがありませんでした。
 あなたは、いかにお考えでしょうか?


脳のリフレッシュ=脳の活性化

 あるできごとと、別なできごとを結びつけてみます。そして、さらに変化を持たせてみましょう。そのようにしていくと、文章の可能性を追求していくことができます。それは、脳のリフレッシュにもつながるのです。
 私たちは、「回想創造法」という一種の試みとしてのメソッドを考えました。それは、記憶の中から一まとまりの物語を紡(つむ)ぎ出していく方法なのですが、やってみるとなかなか面白く、楽しいものであることがわかったのです。

 自分自身が主人公になるということは、かなり大切なことです。本を読んでいても、音楽を聴いていても、ときには「早く終わらないかなぁ」などと考えることがあります。それなれば、やめればよいのですが、なかなかそうはいかないところに問題があります。ちょっと不真面目な例ですが、それは「株の取引などを始めて、あまりにも損失が大きいのでもうやめよう」と思ったときに、担当者から「いまやめたら、いままでの投資がすべてムダになりますよ。」といって脅かされる心理と似ているのではないでしょうか。

 何事も一方的に与えられるのでは、飽きちゃったり、無関心になったりするものです。いかに素晴らしい名作でも、偉大な音楽でもそうではないでしょうか。
 私は、若いころに読んだトルストイの『クロイッチェル ソナタ』を読み直そうと思いました。しかし、面倒になって途中でやめてしまったのです。学生時代には情熱もあって、我慢強かったので一冊を一気に読めました。還暦を過ぎたころからは、目も悪くなっているせいか、面倒くさくなって投げ出すのです。

 実は、大岩先生がくださったドヴォルザークの交響曲全集CDの7枚組みもそうです。途中で退屈をしてしまい、「早く終わればよいなぁ!」などと考えている自分に気が付いて、我ながら驚いてしまいます。やはり、チマローザやスカルラッティのピアノソナタのほうが私にはよいのでしょうか。
 チマローザはCD2枚組み、スカルラッティのピアノソナタCD20枚くらいのうち7枚を購入済みです。それらを聞いているほうが気分的にも楽なのです。なぜならば、1曲がせいぜい3分程度でいつでもやめられるという安心かあるからでしょう。でも、たいがいは興味をもって最後まで聞いてしまいます。

 人生についても、そのようなことが言えるのではないでしょうか。平凡な同じようなことの繰り返しの中に、新しい発見や工夫があるのだと思います。くどくどと同じことを繰り返しているのが、人間社会の現実ですから文章においても、音楽においても、そのような方法でかまいません。少しずつ整理をしていけばよいのです。

 なお、このホームページがだらだらと長かったり、重複があったりするのは、思いついたときに思いついたことをインプットしているからです。しかし、後日に全体の見直しをして重複箇所や不要箇所を削除しようと考えています。まだ、原稿の段階ですからムダが多いのです。


どこに何があるか?

 実際に脳の活性化をするために、文学などをやってみようというわけです。
 しかし、その前に準備や整理をすることがあります。それは、「どこに何があるか?」ということを自分自身が知っておくということではないでしょうか。物事でも知識でも、「どこに何があるか」をしっかりと覚えておく必要があります。もしも、覚えきれないのでしたらメモをしておくべきでしょう。そして、そのメモがどこにあるかを知っていて、すぐに取り出せればよいのです。
 あなたは、「そんなことは、わかっている」とお考えでしょうか?


やりっ放しをしない

 なるべくやりっ放しをしないようにします。ふつう忙しいときは、中途で別な仕事にかかりがちです。しかし、高齢になると記憶力も衰えて「百舌(もず)の生け贄」になりがちです。つまり、区切りをつけておかないと中途半端になってしまうのです。ひととおりの区切りを付けておくと、気分が新たになって次の仕事にかかれるようです。
 ちょうど、プログラムのサブルーチンのような考え方でよいでしょう。
 あなたは、そのようにはお考えになりませんか?

 もっとも、こんなことをインプットしながら、このホームページのことが気にかかって仕方ありません。何となくやりっぱなしであるからです。(^_^)


回文    

 回文(かいぶん)は廻文とも書き、上から読んでも下から読んでも同じに音(おん)なる言葉や文章です。
 やってみると意外に難しく、例えば次のような変な作品

(1) 妻(つま)の松(まつ)
(2) 私(わたし)ねんねしたわ
(3) キ印(きじるし)は とぼとぼと走(はし)る時期(じき)
(4) いつもするタイマー巻(ま)いた留守(るす)もつい
(5) 「無」の故(ゆえ)に煮湯(にえゆ)飲(の)む

などが、私にも何とかできました。しかし、難しい割には出来映えがあまりよくありません。作品というか、こじつけの感じがあったり、文章自体が幼稚でもあるからです。
 なお、(5)は私が考えた「システム教」の「無」に関して発生をした事件を言ったものなのです。私の理論展開に対して、ある宗教学者から厳しい批判をいただいたことを大いに反省して、そのときの気持ちを正直に自分なりに綴ったものなんです。

 いずれにしても、かなり作るのに苦労をします。いっそ、反対から読んでも意味がわかる内容であればOKというのはどうでしょうか。例えば、

  誰(だれ)か付(つ)いていた

というのです。これは、反対から読むと「たいてい 疲れた」となって、何とか意味が通るのではないでしょうか。
 回文や反対言葉などでも、あまり厳密なことは言いません。つまり、濁点(゛)や半濁点(゜)、促音の大小(「あ」「ぁ」や「つ」「っ」など)は無視をしたらよいでしょう。


アナグラム

 そこで、次にアナグラムを考えてみました。
 アナグラムは、与えられた文字をすべて使って文章を作るものです。実際にやってみると、あまり文字の少ないときは完成しにくいようです。人によって異なるでしょうが、50音くらいが何となくできやすいようです。
 例えば、
   あいうえお かきくけこ
という10音の場合は、ちょっとムリをして

(1) 青い柿食う稽古(けえこ)
(2) 追いかけ声 浮く秋

という二通りの文章を作ってみたものの、いずれにしても何のことかはっきりしません。
 やっと作った(1)にしても、そんな稽古がいったい何になるのでしょうか。さらに(2)では、いったい何が言いたいのかもわからない有様です。仕方ないのでそんな場合でも、自分自身がわかれば、それでいいんだと考えるのです。
 このアナグラムは、発展と展開がかなり自由ですから、次にもう少し具体的に考えてみましょう。

 初めに与えられる文字は、「あいうえお かきくけこ」でなくても、何でもかまいません。あまり価値のない言葉から、偉大な情景を作ったりするのも面白いのではないでしょうか。
 例えば、

   目やに 鼻くそ 耳だれ(めやに はなくそ みみだれ)

という問題です。
 どう考えても、何となく汚ならしいイメージを連想する言葉が3つ並んでいます。私たちが身体で生産をした老廃物ですから、とくにそのように不潔などと考える必要はないかもしれません。この11文字を入れ替えてみましょう。次のようなのは、どうでしょうか。

   弥陀 目に見れば 耶蘇 泣く(みだ めにみれば やそ なく)

 弥陀(みだ)は阿弥陀仏のことです。阿弥陀如来ともいって、西方浄土にいて私たちを救ってくださる偉大な仏さまなのです。そして、浄土真宗のご本尊でもあられます。いっぽう耶蘇(やそ)は、イエス・キリストのことです。また、いっぱんのキリスト教徒をかつて耶蘇といいました。
 つまり、上の文章は「寺に安置してある阿弥陀如来像を見て、見学者の中にいたキリスト教徒も涙を流した」というのです。目やにではなく、涙ですから少しは浄化されたのではないでしょうか。
 あなたも、いろいろとやってみてください。そして、面白い作品ができたら、お互いに発表をしましょう。


脳を活性化するためのいろは歌

 何でもいいんです。とにかく言葉を用いた簡単な思いつきでかまいません。
 例えば、お正月に「いろはかるた」をしたら、自分でも「いろは歌」を思い出し、さらにそれを作ってみようと考えるのです。とても、空海の「諸行無常」のようにはできないでしょう。しかし、それでもよろしい。
 ここに、その一例を示してみましょう。

    健康(けんこう)で 豊(ゆた)かな毎日(まいにち)、
    努力(どりよく)すれば 自(おの)づ来(き)ぬ。
    朝日(あさひ)誉(ほ)め 空(そら)見(み)る、
    不平(ふへえ)わ止(し)せ 病(や)むも寝(ね)ろ。

 半日がかりで作った『健康いろは』ですが、なかなか上手にはできません。
 アナグラム(anagram)というのでしょうか、いわゆる字謎の一つです。
 例えば、「emit」という4文字のアナグラムは「time」「item」「mite」などがそうです。
 また、漢字の字謎としては「偏」「旁(つくり)」「冠(かんむり)」「脚」などを離したり、合わせたりして作った謎もあります。例えば、「人は草木の間にあり、目竹木の傍(かたわ)らにある」と言って「茶箱」を意味するような按配です。
 ここでは、五十音のアナグラムを考えてみましょう。
 つまり、
     あいうえお かきくけこ さしすせそ たちつてと なにぬねの
     はひふへほ まみむめも やゆよ らりるれろ わをん
の46文字をそれぞれ一回だけ用いて、何とか文章を作るのです。
 そのときに、あまり細かいことは言いません。例えば、

(1) 濁点、半濁点などを付けてもよい。つまり、「ば」も「ぱ」も「は」と同じとする。
(2) 促音も一文字とする。つまり、「活発(かっぱつ)」は「かつはつ」と同じとする。
(3) 「づ」と「ず」なども、厳密に言わなくてもよい。
(4) 「……は」は「……わ」などとしてもよい。
(5) 常用読みで表記をしてもよい。つまり「不平(ふへい)」を「ふへえ」と読んでもよい。

などのかなり緩い基準でかまいません。
 なぜならば、ここでは芸術作品を作るのではなく、老化予防の効果やいわゆるボケ防止を目的としているからです。
 そうは言っても上記の『健康いろは』では、あまりにもお粗末です。そこで、さらにワ行に「ゐ」と「ゑ」を追加して高守先生のご指導を仰いだのが下記の作品です。


       健康いろはうた

    朝日誉め 空を見ろ
    不平なし つれて病(やまゐ)も
    健康に寝る 知恵豊か笑(ゑ)む
    努力せば 和おのず来(き)ぬ

 何回やっても思ったようにはできませんが、それでもまず作るときの手順を考えましょう。
 原稿用紙に五十音のすべてを書いておいて消していく方法、五十音すべてのカードを作っておいて次々に並べて行く方法などがあるでしょう。まず、自分にあった方法を探し出して決める必要がありあます。そんなことも、やってみると脳をかなり活性化させてくれるようです。
 今までの知識や経験を総動員して、方法論を確立するということが、どうしても必要になってきます。なぜならば、そのような確立をしておかないと、後でする実際の作業が効率よく進まないからです。
 とてもできないなどとは、決して言わないでください。やってみれば、かなり実現性のあることなのです。かつて万朝報という新聞社が募集したときに、いくつかの歌があったといいます。そして、下記が最優秀になっていました。「ん」まで入っていて、なかなかのできばえです。

 <とりなくこゑすゆめさませ みよあけわたるひんがしに そらいろはえて おきつへを ほふねむれゐぬもやのうち>

 これをわかりやすく漢字を交えて書きますと、

 <鳥鳴く声す夢さませ、見よ明け渡る東に、空色映えて沖つ方を、帆舟群ゐぬ靄の内>

のようになります。ご参考のために。

 やってみれば、何とかできるという証明に私の作った変な作品を下にいくつか記しておきましょう。

       いろは二『とんじんち

    むさぼりをやめ 世論(よろん)聞け
    眉は押せ 皮膚笑(え)み与(あた)う
    布袖(ぬのそで)怒(いか)ることなし
    愚痴(ぐち)も減(へ)らす 常に我(われ)


       いろは三『老いて酒

    歯・目・骨・血・身を病(やま)いて老人になりたる
    飽きもせず酒おのづから問(と)われむ
    冬食えぬ日こそ酔へ


       いろは四『元気な日

    病むまえに注意をすればおのづから
    朝飯(あさめし)もとり 元気な日くる
    障(そ)わぬ骨見せ食べてよろこぶ

 いったい何のこっちゃい。でも、考えながら頑張って文字を並べたことに意義があるのです。内容については、自分がわかっていればいいんです。さらに本当のことを言えば、実際には自分自身でもかなり意味不明なところがあるんですが、……
 どうぞ、あなたもなさってみて、素晴らしいのができましたら、発表をしてください。

 お互いに、

(1) 健康で、日々こころが安らかでありたい
(2) いつまでもフレッシュで、老化予防・ボケ防止をしたい
(3) 安心立命(あんじんりゅうめい)を確立してから、この世にグッドバイしたい

などと、常々考えていれば少々の恥は気にしなくてもよいでしょう。
 あなたは、いかがでしょうか。

 いろは歌については、こんなことも言われています。

   いろはにほへ「と」
   ちりぬるをわ「か」
   よたれそつね「な」
   らむうゐのお「く」
   やまけふこえ「て」
   あさきゆめみ「し」
   えひもせ「す」

のように区切って、最後の文字を拾います。すると、「咎なくて死す」という隠しフレーズが出てくるというのです。そしてこのことについて、柿本人麻呂が刑死をさせられたことを意味しているのだと述べている人もいるようです。例えば、篠原央憲氏、梅原猛氏、井沢元彦氏たちも、その著書でも触れています。

 英語にも、この「いろはにほへと」のように、アルファベット26文字のすべてを使った文があります。それは、完全に1回ずつではないんですが「すばしこい茶色い狐が、のろまな犬を飛び越えた」という意味の文章です。

   <A quick brown fox jumps over the lazy dog.>

 しかし、これでは「o」が3回、「a」「e」「u」「r」などが、重複してしまいます。そこで、もっといいのを作りたいですね。でも、英語に自信がないんです。あなたは、いかがでしょうか?

 最後に、涅槃経(ねはんぎょう)第十三聖行品の偈(げ)「諸行無常 是生滅法 寂滅為楽」を和訳したものを示しておきましょう。

 <色は匂へど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ有為(うい)の奥山今日越えて浅き夢見し酔ひもせず。>


日常いろはかるた

 いろは歌はちょっと難しいようです。なぜならば、文字単位で、すべてを使わなければならないからです。
 それでは、いろはかるたはどうでしょうか? つまり、各文の先頭に「い」「ろ」「は」と付けていくのです。あまり上手ではありませんが、私が作った「日常いろは」を次に示してみましょう。


     日常いろは

 い いつも にこにこ
 ろ 魯鈍なふりする
 は はいと答える
 に にっこり笑う
 ほ ほんとのことを言う
 へ へりくつは言わない
 と 歳に関係なく
 ち ちっとも えばらない
 り りこうをかくす
 ぬ ぬらりくらりと言い訳しない
 る 留守番電話は使わない
 (を)
 わ わかりましたと答える
 か 勝手なことをしない
 よ よく考えてからする
 た 足らないときは工夫する
 れ 例をあげて説明する
 そ そわそわ しない
 つ つねに ゆとりをもつ
 ね 寝る前に明日のことを考える
 な ないものは がまんする
 ら 来年のことも考える
 む むりを言わない
 う うそは絶対につかない
 (ゐ)
 の のろのろと歩かない
 お 怖じけつかない
 く  苦労して つまらなくてもする
 や やめておけば よかったかな
 ま また次と諦める愚
 け 毛が抜けたら老いのはじめ
 ふ ふと思うこと 若き日のこと
 こ 今年こそと思い毎年始まる
 (ゑ)
 て 手と足がだるいときは風呂
 あ あまりにも短いのが人生
 さ さよならバイバイ自尊心
 き きのうまでは若者
 ゆ 夢のまた夢
 め 飯は少な目に
 み みんな いい人
 し 知らない人にもあいさつ
 え 絵を描く楽しみ
 ひ 一人だけでも生きよう
 も もっと勉強
 せ 先生は馬鹿
 す 済んだことは悔やまない


 あまり出来はよくないようですが、脳のリフレッシュですからかまいません。
 「五十音」つまり「あいうえお」で作ってもよいでしょう。
 また、現役の人は「経営いろは」などを作ってもよいでしょう。
 例えば、

 ち 小さくとも事業家
 な ならぬ堪忍するが堪忍
 は 発展よりも維持継続

などのようにです。


千字文への挑戦

 千字文はちょっと大物です。でも、それだけにやりがいがあるでしょう。
 しかし、文字は教育漢字を用いるようにします。なぜならば、千字文は非常に古く、その中には現在では用いられていない漢字がかなりあるからです。
 この『千字文』は、応神天皇の15年(285年)に朝鮮から渡ってきた王仁(わに)という学者が『論語』とともに持ってきたという記録が残っているそうです。

 『千字文』のが作られたいきさつは、次のように伝えられています。
 梁の武帝の臣であった周興嗣が勅令により、わずか一日で千文字を綴ったという。そのために周興嗣は、一夜で髪も髭も真っ白になってしまったということです。
 (上記は、三村秀竹著『五体千字文』の解説にありました。実際には、書名の「体」の字は「骨」偏(へん)に旁(つくり)が「豊」となっている旧字でした。)

 なお、千字文については作左部幸秋先生のご指導があって、私はそのつきせない魅力を覚え、自分自身で挑戦をしてみようと考えた次第です。

  

■私の疑問点にいろいろと説明をしてくださる作左部先生(左)と書展で何かを考えている私(右)


【千字文】(□はJISコードにない漢字)

天地玄黄 宇宙洪荒 日月盈昃 辰宿列張 寒来暑往 秋収冬蔵 閠余成歳 律呂調陽 雲騰致雨 露結為霜 金生麗水 玉出崑岡 剣号巨闕 珠称夜光 果珍李奈 菜重芥薑 海鹹河淡 鱗潜羽翔
竜師火帝 鳥官人皇 始制文字 乃服衣裳 推位譲国 有虞陶唐 弔民伐罪 周発殷湯 座朝問道 垂拱平章 愛育黎首 臣伏戎羌 遐邇壱体 率賓帰王 鳴鳳在樹 白駒食場 化被草木 頼及万方
盖此身髪 四大五常 恭帷鞠養 豈敢毀傷 女慕貞□ 男効才良 知過必改 得能莫忘 罔談彼短 靡恃己長 信使可覆 器欲難量 墨悲糸染 詩讃羔羊
景行維賢 剋念作聖 徳建名立 形端表正 空谷伝声 虚堂習聴 禍因悪積 福縁善慶 尺壁非宝 寸陰是競 資父事君 曰厳与敬 孝当竭力 忠則尽命 臨深履薄 夙興温清 似蘭斯馨 如松之盛
川流不息 淵澄取映 容止若思 言辞安定 篤初誠美 慎終宜令 栄業所基 籍甚無竟 学優登仕 摂職従政 存以甘棠 去而益詠
楽殊貴賎 礼別尊卑 上和下睦 夫唱婦随 外受傅訓 入奉母儀 諸姑伯叔 猶子比児 孔懐兄弟 同気連枝 交友投分 切磨箴規 仁慈隠惻 造次仏離 節義廉退 顛沛匪虧 性静情逸 心動神疲 守真志満 逐物意移 堅持雅操 好爵自縻
都邑華夏 東西二京 背芒面洛 浮渭拠□ 宮殿磐欝 楼観飛驚 図写禽獣 画綵仙霊 丙舎傍啓 甲帳対楹 肆筵設席 鼓瑟吹笙 升階納陛 弁転疑星 右通広内 左達承明 既集墳典 亦聚群英 杜稾鐘隷 漆書壁経
府羅将相 路侠槐卿 戸封八県 家給千兵 高冠陪輦 駆穀振纓 世祿侈富 車駕肥軽 策功茂実 勒碑刻銘 □溪伊尹 佐時阿衡 奄宅曲阜 微旦孰営 桓公匡合 済弱扶傾 綺廻漢恵 説感武丁 俊乂密勿 多士寔寧
晋楚更覇 趙魏困横 仮途滅□ 践土会盟 何遵約法 韓弊煩刑 起翦頗牧 用軍最精 宣威沙漠 馳誉丹青 九州禹跡 百郡秦并 嶽宗恒岱 禅主云亭 雁門紫塞 □田赤城 昆池碣石 鉅野洞庭 昿遠綿□ 巌岫杳冥
治本於農 務茲稼穡 淑載南畝 我芸黍稷 税熟貢新 勧賞黜陟 孟軻敦素 史魚秉直 庶幾中庸 労謙謹勅 聆音察理 鑑貌弁色 貽厥嘉猷 勉其祇植 省躬譏誡 寵増抗極 殆辱近恥 林皐幸即 両疏見機 解組誰逼
索居閑処 沈黙寂寥 求古尋論 散慮逍遥 欣奏累遣 □謝歓招 渠荷的歴 園莽抽条 枇杷晩翠 梧桐早彫 陳根委翳 落葉飄□ 遊□独運 凌摩絳霄
耽読翫市 寓目嚢箱 易□攸畏 属耳垣牆 具膳餐飯 適口充腸 飽飫烹宰 飢厭糟糠 親戚故旧 老少異糧 妾御績紡 侍巾帷房 □扇円潔 銀燭□煌 昼眠夕寐 藍筍象床 絃歌酒宴 接杯挙觴 矯手頓足 悦予且康
嫡後嗣続 祭祀蒸嘗 稽□再拝 悚懼恐惶 箋蝶簡要 顧答審詳 骸垢想浴 執熱願涼 驢騾犢特 駭躍超驤 誅斬賊盗 捕獲叛亡
布射遼丸 □琴阮嘯 恬筆倫紙 鈞巧任釣 釈粉利俗 並皆佳妙 毛施淑姿 工□研咲 年矢毎催 □暉朗曜 旋□懸斡 晦魄環照 指薪修祐 永綏吉□ 矩歩引領 俯仰廊廟 束帯矜荘 徘徊瞻眺 孤陋寡聞 愚蒙等誚
謂語助者 焉哉乎也                  (二○○三・○一・二八)

(注) 上に「悦予且康」という句があります。「よろこびやわらいで、またやすんじる」つまり「喜び和らぎ、心を慰め安んじること」という意味です。
 なんでこの句が私の注意を引いたかというと、わたくしごとで恐縮ですが、妻の「悦子」と私の「康太」という名前の文字が含まれていたからです。
 なお原文では、「予」という字は「豫」になっています。


【千字文に含まれていない教育漢字】(JISコード順=ほぼ音のアイウエオ順)

圧暗案囲胃遺医域一印員飲院泳衛液駅延沿演塩央応億屋恩

価加科花課貨芽賀回快械灰界絵開貝害街各拡格確覚角閣革額割活株刊巻完干幹慣看管間関館岸眼岩顔危喜寄希揮机旗期汽季紀規技議客逆久休吸弓急救泣球究級牛許漁供共協境強教橋胸郷鏡局勤均禁筋句区苦係型径系計警劇激欠決穴血件健券憲検権犬絹険験元原減源現限
個呼固庫湖午誤護候厚向后校構港紅耕考航講鉱鋼降告黒骨今混

差査砂妻採災細裁際材財坂昨桜冊刷札殺雑皿三参山産算蚕賛酸残
司姉支死氏私至視詞試誌飼歯寺磁示式識七失室質捨社借種授就拾衆週住十縦祝縮熟術述春準純順署序除勝商小昭消焼笑証障乗状織森申進針数勢整晴製昔責折雪絶舌先専戦泉浅洗線船選銭前然全祖創倉層巣争窓総装走送像臓側測速族卒孫損村

他太打待態貸隊代台第題単担探炭誕団断暖段値置築竹茶着仲柱注虫著貯兆庁潮町頂賃追痛低停底堤程敵笛鉄展店点電徒努度党刀島灯糖統討豆頭働導童銅毒届

肉乳認燃脳

波派破馬俳敗肺配倍梅買売博麦畑判半反板版犯班番否批皮秘費備鼻俵標氷票評病秒品貧付負部風副復腹複奮閉米変片編辺返便保補墓暮包報放訪豊暴望棒貿防北

妹枚幕末味未脈夢迷模

役薬訳油輸勇由郵預幼様洋翌

乱卵覧裏里陸略留旅料緑輪類例冷練六録

話(以上四九八文字)
                           (二○○三・○一・二九)


【実際に使用する教育漢字】




二通りに読める文章

 高 信太郎著『マンガ傑作落語大全』(講談社1998)という本に、

      <漢詩

     遠仁者疎道
     不苦者干智>

というのがありました。
 これは、各文字の音で読めば、「おにはそと ふくわうち」となるのでしょう。また、文字をそのまま読み下せば、「仁に遠き者は道に疎く 苦しまざる者は智にうとし」となるようです。ただし、私には最後から二文字目にある「干」という文字の意味が、ちょっとわからないのですが、……
 それでも、なかなか面白い文字謎になっています。
 あなたも、チャレンジしてみてはいかが?


脳を活性化するためのゲーム

 ゲームをすることも確かに脳の活性化になるでしょう。
 例えば、碁や将棋、花札やトランプなどをすると老けないといいます。なぜならば、それらの空間には規則や制限があるので、いろいろと工夫をしなければならず、脳を刺激するからです。しかし、もっと有効なのは自分でゲーム空間を作ることです。そのようにすると、そのゲームで遊ぶ前に、あらかじめそのゲームの空間が見渡せるからです。つまり、自分がどこにいるかを高い立場から鳥瞰できるのです。
 世の中のことは、当事者になって苦情を言ったり、憤慨をすることもありますが、そんなときには客観的に高い立場から自分自身を眺めて冷静になることも必要でしょう。

 ここでは、「ロマンゲーム」というタイトルで、簡単なゲームをいくつか作ってみましょう。
 プログラム言語として、Javaを利用していますから、ホームページ自体との整合性もよいので、いろいろと楽しめることと思います。むろん、いままでにプログラムを作成したことなどがない人でも、ちょっとすれば何でもないことがわかりました。なぜならば、私もJavaを始めてから6ヶ月もなっていないのですから、……
 とにかく、まずがんばってゲームを構築して、それからそれで遊ぶのです。したがって、あまり複雑なことはできません。時間がないからです。そこで、最初は人物も「@」や「&」で代用をしてしまいます。そして、それが横に移動をしたら、歩いていると考えるのです。
 しかしきっと、やっていくうちに物足りなくなるでしょう。そのときに、もう少し工夫をします。そしてさらに物足りなくなって、次々と段階的にシステムを完成させていくというような考え方なのです。つまり、自分の能力に合った方法を少しずつ確認しながら進めていくうちに、自己の能力が開発されてレベルアップするというわけです。それが、決してムリのないように進められれば、そのこと自体が非常に楽しいということが、きっとおわかりになるでしょう。


「脳へのインプット」と「脳からのアウトプット」

 具体的な結論から言うと、「脳に対する情報のインプット」と「脳からの情報アウトプット」とのバランスが、非常に大切ということです。なぜならば、それが不釣り合いだと病気になったり、老化を早めたりするからです。とくに気が付いたことは、インプットの過多が老化を早めるようです。つまり、詰め込み過ぎは結果的に悪い状態を引き起こすことが多いのです。
 そのことは、おいしいものなら次々に食べてしまって、後になって消化不良を起こすようなものです。また、学生が詰め込み主義で勉強をして、試験の結果があまりよくないのと似ています。自分の限界を超えたインプットは、ふつう無意味でムダなことが多いからです。

  したがって、今後は

(1) 言葉の空間を広げることにより、創造性を豊かにする
(2) 言語空間の凝縮により、脳の活性化トレーニングをする
(3) 各自のシステム空間を構築し、自分自身をその中に位置づけて安心立命を得る

のような順序で行いましょう。そうすることによって、脳へのインプットと脳からのアウトプットのバランスとを保つように注意をすることができます。つまり、入ってきた情報の付加価値を増すような加工をするわけです。

 一所懸命になって情報を蓄積しても、それを使わなかったら何にもなりません。一生てくてくと働いて金を貯めても、使わないままにポックリ逝ってしまったら、何にもならないでしょう。また、預金の額がとてつもない数になったとしても、そのパスワードを忘れてしまったら引き出せないので困ります。つまり、使うためのお金であったり、利用するための知識なのです。
 ときには、財産、つまり「持ち物」や「知識」の整理をする必要性もありましょう。お金がどこの銀行にあるのか、そのパスワードは何であったか、すぐにわかるのと同様に、蓄えた知識や資料もすぐに取り出せないといけません。とくに、高齢になった場合にはそのことが大切です。ど忘れをしたり、記憶が次第に薄れていくのがふつうですから、……


言葉の空間を広げて創造性を豊かにする=日本語改造案

 まず、そのために作品形態の選択をします。
 そのときに、「言葉は単に媒体でしかない」という立場を私はとります。ジョイスの『フィネガンの追悼会』のような言語遊戯を織りまぜた作品も、ある意味では面白いかもしれません。しかし、そのようなものを作ろうとすると、どうしてもストーリから離れた末節な部分に注意力が割(さ)かれてしまいます。それならば、むしろ『荘子』のように自由自在に言葉を駆使するほうが、よほど楽しいでしょう。

 私は、日本語が使えるという幸福感で、いつも満たされています。
 戦後に行われたJHQの日本語に関する意見や政策は、まったく当を得ないものと考えているからです。また、志賀直哉の「フランス語を国語とする意見」や、さらにさかのぼって森有礼の「日本語を英語に替える演説」などは、いま考えると馬鹿げていると思います。なぜ「小説の神様」などといわれる作家が愚かしい意見を言ったり、文部大臣が軽蔑される発表をしたかは、その時代の背景を考えると何となくわかるようです。

 そういえば、田中舘愛橘(あいきつ)はローマ字を国字にしようとしました。また、ホールというGHQの言語簡略化担当官も同じようなことを考えたようです。つまり、日本語の将来性や能率の悪さを、それなりに真剣に考えたのです。しかし、彼らは「脳の訓練」のことにまでは考えが及ばなかったのでしょう。
 頭脳の優れている中国人の場合を考えてください。26文字のABCとは、大いに違う。それぞれの字が持つ意味があるからです。アルファベットでは、一文字の意味は「a」と「I」くらいです。そして、それが唯一に近い表現になっています。日本語でいう「私」「オレ」「自分」「我」などの区別が、ほとんどありません。
 しかし後になって、日本人の読み書き能力がアメリカ人よりも優れているということがGHQの調査でわかったのです。つまり、GHQ自体やポールなどが考えたよりも、日本人は識字力は中国人のように優れていました。そんなわけで、ローマ字化は実現しなかったのです。

 日本語の発音に関しても、いろいろと考えた人がいます。例えば、「生」という字には発音が「13通り」あります。いっぽう「鸞」は「らん」だけで、一つの読みしかありません。そこで、山下芳太郎は「カナモジカイ」という団体を作って、「漢字を使っていたら、西洋の文明に追いつけない」と言いました。そう信じていたからです。その当時は、旧仮名遣いでしたからなおさらです。例えば、「顔を洗ふ」(かほをあらふ)は「カオオアラウ」となります。つまり、「てにおは」を除くと現代仮名遣いと近い表現にしています。「高利」(かうり)は「こうり」、「氷」(こほり)は「こおり」のようにです。

 さらに、保科孝一は「漢字の廃止」と「表音文字の採用」を提案しました。
 「……を」を「……お」、「……は」を「……わ」というようにです。
 しかし、いずれの提案もすべては現実化していません。そして、現在の形になっているのです。
 このことに関して述べれば、キリがないのでこの辺で日本語改造案についての私(黒田康太)の意見は終わりにしましょう。私は、「言葉が難しいと脳を生き生きさせる」との考えています。ただ、そう言っても実用的な「名詞のサ変活用」や「ら抜き」などには、私も賛成です。

 とにかく言葉を使いこなして、私小説などをフィクションでもあるような書き方をした場合が、老化予防に対しては効果的です。そんなことが、体験的にわかりました。しかし個人差もあるし、好き嫌いもあるでしょう。ここでいうのは、一般的なことであることを最初に理解しておいてください。
 そんなわけで、短編小説を作ること自体の作業が老化予防として考えられるわけです。できたらその作品は、文学的な鑑賞にも堪える作品のほうがよろしいでしょう。しかし、事実だけを次々と述べていく推理小説でもよいかもしれません。松本清張のように、あまり文章自体に凝らない作家もいます。

 いずれも簡単な手順と身近な道具で、かなり効果的に実現できることがわかります。中でも、言語の空間を広げることによる老化防止は、すぐに実現できるからです。つまり、文章を作成することによって、脳のもつ創造性を豊かにするのです。それは、人間の思考が言葉によってなされていることを考えれば理解できます。例えば、「空が青い」という場合には、「空」という概念と「青い」という状態がわかっていないといけません。しかし、実際には「青い」と言っても、厳密には人によって千差万別でしょう。だから、必ずしも「青い」が「ブルッシャンブルー」でなくてもいいんです。

 しかし、問題は一連の思考や作業です。それを最初から面倒と考えたり、意味がないと考える人もいるでしょう。その場合は、改めて上の「人間社会のすべてが言葉のイメージによって構成され、運営されている」ということを思い出してください。また、文章を作るのが苦手という人もいるでしょう。それでも、まったく話ができないという人はめったにいません。書くということも慣れてしまえば、あたかも話と同じことなのです。ここで、もしも身構えてしまうと、なかなか実現ができません。気軽になさってください。

 その理由は、いざ改まると話せなくなるのと同じです。例えば、たくさんの聴衆がいるところで、まとまりのあることを話せと急に言われたりすると、ふつう躊躇をしてしまいます。そして、そんなときはあわててしまい、内容のないことや支離滅裂のことをしゃべってしまうではありませんか。
 気楽な姿勢で、発想の転換をするのが「脳を活性化」させるようです。例えば、男であれば女の立場で書く。そして、女として回りを見た状況を想定したりもします。また、老人であれば若い世代の主人公になってみるのもよいでしょう。
 そのようなことは、想像力を必要とするからです。


自分史の作成

 還暦を過ぎたころからは、客観的に自分の半生を反省してみるのもよいでしょう。もしかしたら、私の場合のように恥の歴史に耐える必要があるかもしれません。また、過去に書いたものがあれば、それを読み直してみるのもよいでしょう。音声読み上げができると、さらに効果的でしょう。そのようにすることによって、自分の再発見ができるかもしれません。
 このホームページにある「プロフィール」を参考にしてください。

 なお、自分史を作るときは生まれる少し以前からの年表を作っておくと便利です。なぜならば、あいまいな記憶が整理できるからです。少なくとも、そんときに自分の年齢がいくつであったかを知っておく必要もあります。
 一例として、私のものを示しておきましょう。


   西暦・昭和・平成早見表
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
年齢 西暦 昭和・平成  覚え
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1930 5
  1931 6
  1932 7  満州国建国宣言
  1933 8  国際連盟脱退
  1934  9
  1935 10
  1936 11   2.26事件
  1937 12  日独伊防共協定
  1938 13
0 1939 14  第二次世界大戦勃発
1 1940 15
2 1941 16  太平洋戦争勃発
3 1942 17
4 1943 18
5 1944 19
6 1945 20  ドイツ降伏、日本敗戦
7 1946 21
8 1947 22  日本国憲法施行
9 1948 23
10 1949 24
11 1950 25  朝鮮戦争勃発
12 1951 26
13 1952 27
14 1953 28  NHKテレビ放送開始
15 1954 29
16 1955 30
17 1956 31  国連に加盟
18 1957 32  ソ連、人工衛星打上げ
19 1958 33  (早稲田大学入学)
20 1959 34  EEC発足
21 1960 35  安保反対闘争
22 1961 36
23 1962 37
24 1963 38
25 1964 39  東海道新幹線開通
          東京オリンピック開催(社会人になる)
26 1965 40  ベトナム戦争激化
27 1966 41  (Y41.02.11)
28 1967 42   資本自由化開始(A42.10.04)
29 1968 43
30 1969 44  アポロ11号月面着陸
31 1970 45  万国博、大阪で開催
32 1971 46
33 1972 47  沖縄返還(Y47.09.21)
34 1973 48
35 1974 49
36 1975 50  ベトナム戦争終結
37 1976 51  ロッキード事件
38 1977 52  (52.01.21 会社設立)
39 1978 53
40 1979 54
41 1980 55
42 1981 56  (56.12.16 三鷹市から調布市に本店移転)
43 1982 57
44 1983 58
45 1984 59
46 1985 60
47 1986 61
48 1987 62  (1987.03.20 図解入門データ通信 発行)
49 1988 63
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
50 1989 64  11月8日から平成元年
51 1990 2
52 1991 3  ソ連共産党解散
53 1992 4
54 1993 5  (鶴川・町田辞める)
55 1994 6  (蒲田を辞め4月から完全フリー)
56 1995 7  (6月から子供全員別居になる)
57 1996 8  (富士通 PowerCOBOL85 発行)
58 1997 9  (大ママ1997.02.12死去)
59 1998 10
60 1999 11
61 2000 12
62 2001 13
63 2002 14
64 2003 15
65 2004 16
66 2005 17

 自分の年表というよりも、「西暦・昭和・平成早見表」といった感じのものです。それでも、あるのとないのでは自分史を作るときに大いに違ってくるでしょう。
 どうぞ、あなた自身のものを作っておいてください。


ボケ老人の困った問題

 前の「脳の活性化=老化の進み方を遅くする」というところで言いかかったのですが、ちょっと助平の話になるので、やめてしまいました。しかし、そのことは、やはりどうしても理解をしていただきたいことなので、ここに改めて書いておきましょう。

 以前から「ガスのスイッチを消すのを忘れる」というような危険な行動が、とくに老人にはありがちでした。しかし、そのようなこととは別な問題が起こっているのです。それは、食生活の不適切からくる問題なのです。最近は、高齢者でも栄養価の高い食べ物を毎日とっている場合が多いようです。スーパーなどで、簡単に高カロリーの素材が手にはいるからです。それに、昔のような野菜を中心とした食事ではなくなってしまいました。
 家族のある家庭では、とくに老人食などと考えないで、ただ分量を減らすくらいしか考慮をしなくなったのです。そして、同居をしている老人も、その食事に甘んじなければならないのです。そこで、いろいろな問題が生じるのです。

 まず、老人も高カロリーの食事を取ることになってしまったということです。
 そして、いちばん困ったことは、老人がボケてしまって意識がはっきりしないのに、まだ性欲だけは盛んなのです。食べ物が淡泊でない脂っこいものですから、どうしても肉体がそうなるのでしょう。その結果、自分の子供の妻をすでに亡くなった自分の妻と勘違いをしたりして、夜中に布団に入っていくというようなことが、しばしば聞かれます。
 私はそれを聞いて、まったく恐ろしいことだと思いました。自分も、いつかそうなるのではないかと思ったからです。

 もっとも、いまは妻と二人だけの生活ですが、今後はどうなるかわかりません。そこで、ある程度の予防策を考えることにしました。それは、日々の食べ物をカロリーの高い脂っこいものから、比較的に淡白のものに変えたことです。高齢になると、新陳代謝が若い時代と比べて大幅に弱くなっているので、あまりカロリーを必要としないからです。そんなときに、若い人と同じ内容の食べ物を採るのは、精力ばかりが意志とは反対に衰えない原因になるからです。
 そして、その精力が大きな問題になるのです。自分では意識のないままに、身体を持てあましているのでしょう。子の嫁を死んだ妻と勘違いするようなことも、まったく笑い話ではありません。したがって、淡泊な食事をするとともに、精神的な活動をするように心がけます。
 そのような方法の一つとして好ましいのは、例えば何事にも興味を持つことです。そしてそれが、老化を遅くする一つの手段でもありましょう。老化予防の方法として、その他の細かいことなどの考え方を次にいくつかまとめておきましょう。


笑いの大切さ

 日々の生活に、笑いの効果は大きいものです。古来、「笑う門には福来たる」などといいます。また、くよくよ考えないことも大切です。そうすることによって精神的な問題は、ダメージが大きいからです。
 身体的な老化はやむを得ないかもしれません。しかし、気持ちが若いと何事も前向きに処理ができて、よい方向に向かうことが多いのも事実でしょう。さらに、再発見の喜びは高齢になってから味わう喜びの一つです。今までに見過ごされていたものを改めて見直すことの面白さ。そんな中には、誰もが気づかなかった「コロンブスの卵」のような発見があるかもしれなません。
 とくに、物事のなかに「おかしみ」を発見することは、高齢になってよくあることです。

 そのように考えていくと、日々の考え方や心がけによって、かなり老化の進み方が違うようです。それは、私だけのことではありません。誰でもそうでしょう。あなたも、いろいろと工夫をしてみてください。

 季節の移り変わりに関心を持つ。それだけでも大きな生き甲斐を感じることができるでしょう。西行の花(桜)に対する感情などは、その一つの表れではないでしょうか。四季の風景や植物、例えば木や花や草などを誰かと再会したときのような感動をもって眺めること。それは、大きな生き甲斐につながるようです。
 次節に、一例を示してみましょう。


寺社巡り(1)

 高齢になると、どうしても足が弱ってきます。そこで、歩く必要があるのですが、なかなか気が進まずに面倒です。そんなわけで、近場の寺社巡りなどをするのもよいでしょう。なぜならば、次々と興味に惹かれて歩くつらさを忘れてしまうからです。

 東京の郊外に住んでいる人は、「八王子の七福神巡り」などはどうでしょうか? 七福神とは、七柱の福徳の神さまをいいます。つまり、大黒天・恵比須天・毘沙門天(びしゃもんてん)・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋(ほてい)のことです。
 ご参考までに、私が実際に体験をした七福神巡りを述べておきましょう。
 回った7カ所は、京王八王子駅から

(1) 毘沙門堂(毘沙門天)  八王子市元横山町3丁目
(2) 善龍寺(大黒天)  八王子市元本郷町1丁目
(3) 了法寺(弁財天)  八王子市日吉町
(4) 信松院(布袋)  八王子市台町3丁目
(5) 郷土資料館
(6) 金剛院(福禄寿・寿老人)  八王子市上野町
(7) 成田山伝法院(恵比寿天)  八王子市南新町

の順に参拝・見学し、ふたたび京王八王子駅に戻ってきました。
 二柱の神さまがおられるお寺がありましたので、実際には6つのお寺でした。そのかわり、金剛院の南にある市の郷土資料館を見学したのです。資料館には休憩所や手洗いがあるので、くつろげるようです。しかし、せっかくうかがったのに神さまがお出ましではなく、実際にはお正月の15日間だけご開帳なさるというところもありました。

  
■毘沙門天(上左)と大黒天(上右)のおられる寺

  
■弁財天(上左)と布袋(上右)のおられる寺

  
■金剛院の本殿と庭の白いハス

      
■恵比寿天のおられる寺(上左)と郷土博物館にあった二宮金次郎像、そして老人ホーム前の路傍にあった像

 それでも、歩くことが目的ですから、こだわらなくてもいいのです。
 その歩いたおおよその距離は、

  京王八王子駅←1.4km→(1)←1.3km→(2)←1.1km→(3)←1.1km→(4)←0.5km→(5)←0.4km→(6)←0.7km→(7)←1.4km→京王八王子駅

で、合計7.9キロメートル、所要時間は2時間少々でした。したがって、半日コースとすればじゅうぶんでしょう。


寺社巡り(2)

 観音巡りと大黒巡り、そしてドラゴン寺巡りをしてみました。
 杉並区の郷土博物館で入手した史跡散歩地図にもとづいて、この一連の計画をたてたのです。全69寺院(観音堂などを含み、新興宗教を除く)の中から、関係のありそうなところ20寺院をピックアップしました。なお、神社関係は全部で27ありますが、その企画については後日いたします。
 回ったところは、かなり多くて

(1) 長泉寺(杉並区上高井戸1−18−11)
(2) 竜泉寺(杉並区下高井戸2−21−2)
(3) 栖岸院(せいがんいん)(杉並区永福1−6−12)
(4) 永福寺(杉並区永福1−25−2)
(5) 竜光寺(杉並区和泉3−8−39)
(6) 理性寺(杉並区永福3−56−29)

(7) 井草観音堂(杉並区井草1−3−14)
(8) 蓮華寺(杉並区本天沼2−17−8)
(9) 光明院(杉並区上荻2−1−3)
(10) 松林寺(杉並区高井戸東3−34−2)

(11) 世尊院(杉並区阿佐谷北1−26−2)
(12) 高円寺(杉並区高円寺南4−18−11)
(13) 長竜寺(杉並区高円寺南2−31−2)
(14) 松応寺(杉並区高円寺南2−30−1)

(15) 天桂寺(杉並区成田東4−17−14)
(16) 清見寺(杉並区梅里2−11−17)
(17) 西芳寺(杉並区梅里1−4−56)
(18) 蓮光寺(杉並区和田3−30−20)
(19) 福相寺(杉並区掘ノ内3−43−27)
(20) 東円寺(杉並区和田2−18−3)

の20カ所でした。
 最寄り駅から、寺間はすべて徒歩ですから、ちょっと一日ではムリです。私はスローテンポなので、4回にわけて達成をしました。それぞれの回は、やはり半日がかりになるでしょう。

1回目

 一回目は、京王線の芦花公園駅から長泉寺、竜泉寺、栖岸院(せいがんいん)、永福寺、竜光寺、理性寺、そして井の頭線の西永福駅に至る(1)から(6)までの6つの寺院です。その歩行距離は、すべてで7.7キロメートルありました。
 (1)から(6)までのアルバムを見るときは、ここ をクリックしてください。

(注) なぜ直接、ここに写真を貼り付けないかという理由です。
 それは、すでにこのホームページが容量いっぱいになってしまいました。そこで、入りきれない画像などを他のホームページに置かざるをえなかったためなのです。
 つまり、上にあるアンダーラインした「ここ」をクリックして、他のホームページから呼び出すようにしたからです。

 回った寺院について、簡単な説明をしておきましょう。
 長泉寺は大日如来が本尊ですが、観音堂の板絵があって、杉並区の指定文化財になっています。
 竜泉寺の本尊は、釈迦如来です。
 栖岸院(せいがんいん)は本尊が聖観音で、杉並区指定文化財です。老中安藤津島守が開基で、江戸時代には非常に格式が高い寺であったといいます。
 永福寺の本尊は、十一面観世音です。なお、この寺は「永福寺村」から「永福町」そして「永福」、さらに井の頭線の駅名にもなった寺院です。
 竜光寺の開山は竜観といわれ、本尊は薬師如来です。
 理性寺は本尊が十界諸尊ですが、日蓮が作ったといわれる大黒天があり、「火伏せの大黒」といわれるそうです。


2回目

 二回目は、西武線下井草駅からはじめて、井草観音堂、蓮華寺、光明院、松林寺と4つの寺院を巡り、井の頭線高井戸駅で終わりました。なお、最初の西武線下井草駅には聖蹟桜ヶ丘駅から京王線で高幡不動駅に行き、モノレールで玉川上水駅まで行って、そこで西武線に乗り換えました。4つの寺院ですが南北に距離があって、全歩行距離は9.1キロメートルでした。
 (7)から(10)までのアルバムを見るときは、ここ をクリックしてください。

 回った寺院について、簡単な説明をしておきましょう。
 井草観音堂には、如意輪観音と地蔵菩薩の2石塔があります。「久保の観音様」と呼ばれて人々に信仰されました。
 蓮華寺は、本尊がやはり如意輪観音です。境内には切支丹灯籠などもあります。
 光明院は、通称「荻寺」とも言います。本尊は千手観音です。
 松林寺の本尊は、やはり千手観音です。多くの石塔が残っています。


3回目

 三回目は、中央線の阿佐ヶ谷駅から世尊院、高円寺、長竜寺、松応寺と4つの寺院を参拝してメトロの新高円寺から地下鉄に乗って、新宿経由で戻りました。世尊院から高円寺までは、川を埋め立てた緑道を歩きました。阿佐ヶ谷駅から高円寺駅までを歩いたことになりますが、全歩行距離はわずか3.5キロメートルで楽でした。
 (11)から(14)までのアルバムを見るときは、ここ をクリックしてください。

 参拝をした寺院について、簡単な説明をしておきましょう。
 世尊院の本尊は不動明王です。しかし、聖観音があり杉並区の指定文化財になっています。
 高円寺は、中央線高円寺駅の由来になっている由緒のある寺院で、本尊は観音菩薩です。境内には開運子育て地蔵堂がありました。
 長竜寺の本尊は、釈迦如来です。境内にある「豆腐地蔵」は杉並区の指定文化財になっているそうです。
 松応寺の本尊は、聖観音です。


4回目

 最後の四回目は、メトロの南阿佐ヶ谷駅から、天桂寺、清見寺、西芳寺、蓮光寺、福相寺、そしてちょっと離れた東円寺の6つの寺院でした。そこからは、神田川沿いに井の頭線の永福町駅に出ました。全歩行距離は8.8キロメートルでした。なお、神田川に沿って歩いていて永福町駅へ出る水道道路の手前で、1回目に参拝をした竜光寺の山門を右手にふたたび見ることができました。
 (15)から最後の(20)までのアルバムを見るときは、ここ をクリックしてください。
 (ただし、蓮光寺まで撮ってデジカメの電池が切れちゃったので、残りは後日に追加をする予定です。(^_^;))

 参拝をした寺院について、簡単な説明をしましょう。
 天桂寺の本尊は、聖観音です。「杉並」という名前の由来は、ここに墓があるもと領主の岡部氏が、杉並木を植えたことによるそうです。
 清見寺の本尊は、千手観音です。
 西芳寺には、杉並区指定文化財の石像観音六面幢(はた)があります。なお、本尊は阿弥陀如来です。
 蓮光寺の本尊は十界諸尊ですが、日蓮作と伝えられる大黒天があります。通称「土富店の大黒」と言います。
 蓮光寺の境内には、なぜかネタジ・スバス・チャンドラ・ボーズの胸像がありました。その由来については、とくに記述がありませんでした。(実はあったらしいのですが、サンスクリット語のような感じで、私には何が何だかわかりませんでした。)
 ついでながら、新宿中村屋に寄宿して婿となったのは、ビハリ・ボーズで別人です。
 しかし、二人ともインドの革命に関与していたことは広く知れ渡っています。
 福相寺は、本尊が日蓮上人像です。そして、伝教大師が作ったといわれる満願大黒天が安置されています。
 東円寺の本尊は、薬師如来です。境内には観音堂があります。

 以上で今回の寺社巡りは終わりです。
 杉並区内から
   観音関係の寺社  14ヵ所
   大黒関係の寺社  3ヵ所
   ドラゴン関係の名称のある寺社  3ヵ所
を抽出してみました。
 なぜそのようなことに興味があるかは、改めて別のところで説明をするつもりです。

 1回目から4回目までの全歩行距離は29.1キロメートルです。強行軍をすれば1日でも歩ける距離ですが、私にはちょっとムリでしょう。なぜならば、「素足にゴム草履」ですから10キロメートルくらい歩くと、すでに足の裏がやられてしまうのです。したがって、厚めの靴下でスニーカなどを履くと、おそらく大丈夫ではないかと思うのですが、最近になって試したことはありません。
 20年くらい前には、鶴見川を水源から海まで1日がかりで歩いたことがありましたが、そのときはかなりの完全武装をしていた記憶があります。むろん、靴もしっかりしたものだったと思います。でも最近は歩行時になるべく靴を履かないようにしているので、今回は細かく分けてぶらぶら歩きをしてみました。


簡単な寺社巡り(1)

 歩くのが苦手な人がいます。とくに高齢になると、膝の関節が痛んで、足が弱くなったりするからです。そこで、あまり歩かなくてもよい簡単な寺社巡りを3つほど用意しました。杉並区の寺社巡りと2つの寺院(竜泉寺と栖岸院)が重複していますが、京王線下高井戸駅北300メートルほどのところに、まとまって8つの寺院があります。それらは、

(1) 竜泉寺
(2) 永昌寺
(3) 栖岸院(せいがんいん)
(4) 法照寺
(5) 浄見寺
(6) 善照寺
(7) 託法寺
(8) 真教寺

です。
 これらのアルバムを見るときは、ここ をクリックしてください。
 また、竜泉寺と栖岸院については「寺社巡り(2)の1回目」アルバムもご覧ください。さらに、ちょっと東に少し行くと築地本願寺の和田堀廟所がありまから、ついでに行ってみるとよいでしょう。


簡単な寺社巡り(2)

 京王線千歳烏山駅の北1キロメートルほどのところに、まとまって

(1) 妙高寺
(2) 乗満寺
(3) 入楽寺
(4) 幸龍寺
(5) 称住院
(6) 宋福寺
(7) 妙寿寺
(8) 淨因寺
(9) 善行寺
(10) 万福寺
(11) 妙善寺

(12) 多聞院
(13) 常栄寺
(14) 源正寺
(15) 存明寺
(16) 妙裕寺
(17) 永隆寺
(18) 専光寺
(19) 永願寺
(20) 高源院

(21) 順正寺
(22) 西蓮寺
(23) 常福寺
(24) 玄照寺
(25) 妙揚寺
(26) 源良院

などの26の寺院があります。
 なぜそのように密集をしてあるのかというと、都内の寺が災害にあったときに、まとまってこの地区に移転をしたからです。しかし、その環境はなかなか落ちついていて、ちょっと「小京都」とでも言えるような雰囲気です。したがって、私は気持を落ち着けるためにも、そのいくつかの寺院を参拝しながら回ることがあるのです。
 これらのアルバムを見るときは、ここ をクリックしてください。
 なお、アルバムのデジタルカメラ写真については、そのうち数枚を「ゲスト用ギャラリー」から再利用しました。


簡単な寺社巡り(3)

 京王線仙川駅の南500メートルくらいのところに、浄土真宗の本願寺派の寺がまとまって6つあります。すべて、築地から移転をしてきたということです。それらは、

(1) 西照寺
(2) 光西寺
(3) 安養寺
(4) 光徳院
(5) 正善寺
(6) 明西寺

です。
 ただし、中には個人の家のようになっていたり、犬が吠えて入りにくい寺もありました。駅の看板には、「いつでもどなたでもお参りいただけます。」とあるのですが、……
 それらのアルバムと看板の地図を見るときは、ここ をクリックしてください。


ボケ封じ像のある寺

 ボケ封じの観音や地蔵のある寺があります。例えば、京王線分倍河原駅周辺にある高安寺です。「南無ぼけ封じ地蔵菩薩」の足元に、老夫婦がいるのが印象的です。


蓮を見る楽しみ

 私は、毎年蓮を見るのが、とても楽しみです。ここでは四季の移り変わりのうちに、花を見るよろこびについて「蓮」の場合の例を示しておきましょう。あなたは、蓮や睡蓮には興味がおありでしょうか? 蓮は、実に不思議な植物です。
 私が毎年見にいくのは、小山田の「大賀ハス」や修養池の「白万々(はくまんまん)」などです。

■下小山田町桜ヶ谷の蓮池の大賀ハス群(左)と下小山田町のアサザ池(右)

  

 5年くらい前に、蓮についてインターネットで調べてもらったことがありました。そのころ、まだ私はパソコンを持っていなかったからです。その人は府中に住んでいるのですが、千葉県の試験所の蓮について教えてくれました。そして、詳しい資料まで送ってくれたのです。しかし、調べていくうちに遠くへ行かなくても、身近なところにあったのです。
 私はなるべく近所で、行きやすいところがよいと考えました。つまり、身近に楽しみを求めるのです。そのようにして楽しみを求めると、長続きがするでしょう。だから、せいぜい遠くても上野の不忍池ハスを見に行く程度になりました。

 私の近くに、府中の「郷土の森」があります。そこには、暑い季節に桃色・ピンク系の漁山紅(ぎょざんこう)、嘉祥蓮(かしょうれん)、藤壷蓮(とうつぼれん)、ネール蓮などが咲き誇ります。藤壺蓮は、『源氏物語』の藤壷(ふじつぼ)から命名をしたのでしょうか? しかし、「とうつぼ」と読むそうです。また、ネール蓮は、インドのネール首相から贈られたたものと言います。
 いつも私は、ふとインドやスリランカ(元のセイロン島)との友好関係に思いが馳せます。講和条約の賠償金のことや、なぜか『ビルマの竪琴』という本に書いてあったことなども思い出すのです。おそらく、セイロン島がスリランカになったことと、ビルマがミャンマーになったことの連想ではないでしょうか?
 想像が、次々と膨らんでいく楽しみ。私の場合、それに勝るものは、あまりないでしょう。

 白いハスの白眉は、何と言っても「白万々」(はくまんまん、しかし「しろまんまん」という人もあるようです。)です。その気品のある姿と大きさには、いつも凌駕されます。毎年、会えるという楽しみ。芥川龍之介の小説に「白百合の花だったか。ずっと待ち続ける」という短編がありました。もしかしたら、芥川龍之介ではなく夏目漱石の『夢十夜』だったかもしれません。そして、芥川龍之介は『尾上の信』で、待っても来なかったように何となく覚えているんです。
 白いハスとして魯山白蓮(ろざんぱくれん)も素敵です。これは、「ろざんPakuren」と読みます。「Hakuren」や「Bakuren」
ではありません。また、舞妃蓮(まいひれん)というハスがあります。このハスは、白いのですが少しばかり紅(ピンク)が混じっているので、何となくはなやかな感じがします。

 蓮の花の季節には、水面上を飛ぶギンヤンマが見られる楽しみもあって幸福です。ギンヤンマについては、幼いころの思い出もあって、いつまでも飽きずに旋回を見ていられます。ついでながら、「郷土の森」には蒸気機関車、電気機関車、都電、バスなどの実物も屋外展示されています。私は、ハスを見る楽しみと、その池の上を旋回するギンヤンマを見る楽しみ、そして鉄道車両を見る楽しみの三つがあるので、毎年いつも朝早く意気込んで見に行くのです。

 蒸気機関車は、いわゆるデコイチが1両(D51 296)で、別に珍しいものではありません。しかし、その製造年月日が「昭和14年」とあるので、とくに親しみを感じるのです。なぜならば、それは私の生まれた年と同じ年に作られたからです。
 また、電気機関車はEB101です。これは凸型の小さな機関車です。昭和2年に作られ、はじめ蓄電池で走ったそうです。東京北部の沿線に武器などの火薬工場があったため、蒸気機関車を走らせるのが危険であったからです。
 戦後、物資が不足した時代にEF13の車体を凸型にして、重量を増して牽引力を強くするためにコンクリートブロックを積んだ時代がありました。そのようなことを考えると、いかにものんびりとした時代の背景を感じます。しかし、このEBが作られたときには、まだ私は生まれていませんでした。そんな意味で、先輩とさえ思えるなつかしさなのです。

 新宿御苑の中の池に、白い睡蓮を見にいきます。そして、モネの絵などを思い出します。また、蓮と睡蓮を区別しない国があるのを不思議に思ったりします。
 小山田のアサザ池にも行ってみます。アサザは、黄色い小さな花ですが、やはり蓮の一種なのでしょうか?
 さらに仏典の『正しい教えの白蓮』などに思いが馳せて、何とも楽しくなってしまいます。
 どうぞ、あなたもそんな趣味を持ってください。

 高幡不動尊の中にある小さい池では、白・黄・紅(あか)のハスが見られるといいます。
 紅は、「大賀蓮(おおがはす)」です。そして白は「白万々」でしょう。しかし、黄色のものは咲いているのを見ましたが、残念ながら蓮ではなく熱帯系の睡蓮(すいれん)なのです。もっとも、まだふつうの蓮で黄色いものを見たことがないのですから、自信はないのですが実際に黄色の蓮があるのでしょうか。
 そんなことに着目点をもつと、人生において単に金儲けだけを考えている人たちと比べて、ちょっと変わった知的空間に自分自身を置くことができるかもしれませんよ。高齢になったら脳を活性化して、あらゆることに生き甲斐を見出そうではありませんか?
 そのようにすることが、若さを保つための一つの方法でもあるからです。
 昔から「病は心から」と言います。心は心臓ではなく、脳にあります。そして、その脳を適度に活用することによって、いつまでも若々しくいられるのです。

 昔は心臓を心の有り場所と考えたようです。しかし、現代では脳に心があるということになっています。しかし、「琴線に触れる」という言葉などは、何となく心をイメージして言われたのではないでしょうか。脳を絶えず生き生きとさせておくと、時間が充実して病気にもなりにくいようです。そのことは、誰もが経験をされていることでしょう。何かをしていて、あっという間に時間が過ぎていったというような体験は、その時間がとても充実していたことを物語っているからです。

 さらに想像は、次々と広がっていきます。知的空間とでもいうのでしょうか、私は「もしかしたら、脳は人間に寄生した別の生き物かもしれない。」などとさえ考えてしまうのです。そして、そのことを裏付けるためにミトコンドリアや大腸菌(腸内細菌)、さらに水虫や虫歯・歯周菌のことまで考えるというような有様なのです。
 そしてそれは、いつまで経ってもキリがない楽しい空間なのです。


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 知的空間への飛翔

知的空間とは何か?=情報の多すぎる時代

 知的空間とは、いったい何のことでしょう?
 「知的空間」は、文字通り「知的」な「空間」なのですが、そんなことを言っても仕方がありません。もっと簡単に言ってしまうと、自分自身の「考えることができる範囲」なのです。そして、その範囲のなかで充実をした楽しいことがらを確実に実現しようというのです。自己の知的空間を拡げていくという努力は、楽しみや相当な生き甲斐を作ってくれます。とくに高齢になって、なすべくもない日々を送っている人々には、非常に有意義なこととなるでしょう。
 あなたも、あなた自身の知的空間を少しでも拡げて、豊かな毎日の生活を実現してください!

 現代は、「情報過多の時代」といいます。あるいは「情報量の多すぎる時代」といってもよいでしょう。歴史上、いまだかつてないような時代なのです。したがって、そのような時代には新しい基準の「生き方」が必要になってきます。そのためにも、自分自身の知的空間を構築する必要があるのです。つまり、あまりにも多い「情報の中に自分が置かれている」のではなく、自分の「知的空間の中に必要な情報だけを一時的に閉じこめる」というような考え方なのです。それは情報に振り回されるのではなく、情報を有効に利用するための方法に過ぎません。

 そうは言ってもすべてのものは、やがて歴史の中に埋もれてしまい、忘れられてしまうでしょう。
 「金持ちになりたい」とか、「有名になりたい」というような欲望は、病的に発達をした脳の至らしめる一時的な幻影であり、あがきなのであるということが知的空間を拡げていくとわかってくるでしょう。そして、やがて自分自身の生き甲斐や価値観が確立されてくるでしょう。それは、同時に自分自身の「安心立命が確立」されてくるという意味なのです。

(注) 「金持ちになりたい」とか、「有名になりたい」というような欲望については、このホームページの「自己福音書」にある『黒い革袋』を参照してください。それは、私が作った一つの知的空間なのですが、それでも作らないよりかはよかったと思っています。
 もしもお時間があったら、あなた自身のアプローチの方法も、できたら作っていただきたいのです。


退屈の原因

 アーニー=ゼリンスキーは「退屈の原因」について次の5つをあげています。

(1) 満たされない期待を持っている。
(2) やりがいのない仕事をしている。
(3) 運動不足である。
(4) 傍観者であることが多すぎる。
(5) 参加者となることがまれである。

 とくに(4)(5)については、注意が必要です。何となくテレビを見ているということは、傍観者の立場に近いと言えるでしょう。そして、テレビでは参加者の立場になることはなかなかできません。そこで、文章を書いたり、短歌や短編小説を作ったり、絵や動画を作ったり、音楽を作曲したりするのです。それらは、創作活動ですから参加者というよりか、むしろ自分が当事者になったのです。
 したがって、退屈をしないようになるでしょう。


自分の可能性を追究する=可能性を知る

 人生に退屈をしてしまったらいけません。
 常に自分で自分の可能性を追求するようにしてください。つまり、自分の能力をチェックするのです。やってみると、なかなか面白いことで興味がつきないものです。プロになるのではありませんから、最初はそれなりにできればいいのです。恥ずかしいような内容であっても、自分自身にとって意味があればいいのですから、あまり他人の評価などは気にすることはありません。
 ただ、自分が納得をすればいいんです。
 そんな意味で、
    文章を書く
    俳句・短歌や小説を作る
    絵や動画を作る
    音楽を作曲する
などをやってみるのもよいでしょう。

 また、肉体的な可能性をチェックすることも必要ではないでしょうか。高齢になると、どうしても体力が衰えてくるからです。
 私は40歳代のころは、20キロメートルくらい歩いても何でもありませんでした。しかし、還暦を過ぎたころから4キロメートルほど歩くと、もうへたってしまいます。それでも、自分の限界を知っておけばその範囲で活動ができるので、何となく安心でしょう。『孫子』にある<己を知れば、……>ということでしょうか。


手紙やメールなど文書の交換

 老けないためには、脳を活性化することが大切です。脳を活性化するには、ものを書くことが有効です。ものを書くことは、著作などが大いに効果的なのです。しかし、ちょっと入りにくい分野であることも現実です。そこで、文通などはどうでしょうか。日本でも、手紙による学問的な対話がなされた時代がありました。南方熊楠なども、その一人でしょう。
 インターネットのフリーメールなどは、趣味を同じくする数人のグループでメールを交換します。一人に出すのではなく、自動的にメンバー全体に同じ内容の文章が届くのです。このシステムを利用すると、かなり効果的な脳のリフレッシュが可能でしょう。

 まだ、電子メールなどのない時代に数多くの手紙が交換された例を示しておきましょう。
 音楽家のマルティーニとキイテイとの間では、6000通ほどの手紙を交わして、音楽理論の論争をしたといいます。さらに、マルティーニには別な相手が500人以上もいたのです。そして、その中にはクヴァンツもいて、マルティーニの文通相手だったのです。
 現在の電子メールのことを考えますと、大変な手数だったとつくづく思います。その時間や費用も、かなり必要だったのではないでしょうか。


 

クロイッエルソナタとオセロ

 若いときの情熱には、素晴らしいものがあります。
 また、老いてもゲーテなどのように若々しい人もいるでしょう。エッケルマンによると、ゲーテは老年になっても少女に恋をしたといいます。何ともすばらしいことではありませんか。
 しかし、心の醜さがむき出しになると、何がどう進んでいくかわかりません。人生の経験が豊富な人も、ときには大きな過ちをするものです。間違って人を殺したり、怪我をさせたりもすることもあります。高齢者の場合は、常に心の冷静を保って、事故のないようにしたいものです。

 シェークスピアの『オセロ』は、イアーゴの奸計によって妻デズデモーナを殺すに至ります。妻のしていないことを妄想したからです。また、トルストイの『クロイッエルソナタ』の男は、やはり自分の妄想で妻を殺します。つまり、「妄想」ということは事件の発端になることが多いようなので、大いに注意をしてください。


時間の有効利用

 時間が長いか短いかと言うことは、相対的な問題になるでしょう。
 白楽天の次の詩を見てください。

 <自有延年術
  心閑歳月長
  此外復何求
  楽天心不憂>

 これは、「自ずから延年の術有り、心閑なれば歳月長し、この外また何をか求めんや、天を楽しみ心憂えず。」と読むのでしょう。
 心がゆったりとしていれば、年月が長くなると言っています。そのことは、あくせくしていると時間がムダに過ぎ去ってしまうということを言っているのではないでしょうか。「楽天」という言葉があるのも面白いですね。


学ぶということ

 自動車王と言われたヘンリー・フォード(Henry Ford)は、

 <20歳だろうが80歳だろうが、とにかく学ぶことをやめてしまった人は老人である。学び続ける人は、みな若々しい。人生においていちばん大切なことは、頭を若々しく保つことだ。>

と言いました。
 人生とは、「学習の連続」と考えたらよいのでしょうか。何となく、サムエル・ウルマンの詩などを思い出させます。

(注) サムエル・ウルマンの『青春』という詩は、このページの「なぜ人は老化をするのでしょうか?」にありました。


知的空間とは何でしょうか?

 簡単にいうと知的空間とは、自分が考えている世界なのです。実際には、そのような世界が存在してもしなくてもかまいません。少なくとも自分自身の中に一つだけでも有ればいいのです。だから、あなたは、あなたご自身の知的空間をできうる限り拡げてみてください。すると、今まで見えなかったものが見えたり、感じなかったことを感じたりするようになるでしょう。
 つまり、感性が豊かになるのです。視力がよくなったり、皮膚の感覚が敏感になったりするのではありません。むろん厳密には、それも起こりえますが、もっと全体的なことなんです。何と説明をしたらよいかわかりませんが、例えば今の状態を「人間」とすると「超人間」に近づくことができるのではないでしょうか。

 そのお手伝いを、このホームページがいたします。
 一度ご自身で、自分の能力が無限に続いていることを確かめてください。つまり、何らかの方法で、ご自分の知的空間を可能なかぎり拡げていくのです。実際にやってみると、かなりのことが実現できます。今までに考えていなかった驚くほどの潜在能力が、自分にあることがはっきりと自覚してわかるでしょう。

 冗談と思って聞いてください。
 私の知人に時計の「秒針が停止している。またあるときは、分針の動きが見える」ようになった人がいます。シーター波との関係でしょうか。その人は、いわゆる悟りに近い境地にあるそうです。なぜならば、秒針は動いて見えるのが当然ですし、分針の動きなどは遅くて気付かないのがふつうだからです。
 あなたも、ぜひ確かめてそのように信じてください。
 なぜならば、昔からいわれる高僧の記録などに、それに似た事象が多くあるからです。一言にインチキだというのは、あまりにも軽率で迂闊だからです。私は、いつも目に見えない光があったり、耳に聞こえない音があることを思い出して、何となくさもありなんと思うのです。
 潜在能力は思ったよりも大きいものです。例えば、ふつうでは持ち上げることもできないほど重いものを、火事のどさくさのときにひょいと抱えて運び出したというような話があります。
 よく聞くことですが、あなたはご存知でしょうか?


文章作品の種類

 老化予防がしたいときに、文章にすれば何でもよいというわけではありません。事実をそのまま書くのではなく、むしろ文学的な展開が脳の活性化につながるのではないでしょうか。下記の作品例では、下にいくほど創造性が高まって、脳の活性化に好ましいように思うのですが、……
 もっとも、人によって考えが異なるので一概には言えません。

(1) 新聞記事
(2) 解説記事
(3) 評論
(4) 論文
(5) 大衆小説
(6) 随筆
(7) 純文学
(8) 詩歌

 ここで、論文と大衆小説の間くらいが、「事実的」と「文学的」の中間になるのではないでしょうか。職業で何を書かなければならないというような場合でなく、老化予防の目的で新たに始めるのなら、(6)(7)(8)くらいが好ましいことしょう。

 身近な創作活動として、「自伝」(「自叙伝」ということもあるようです。)や「日記」などがあります。しかし、それらも立派な文学に違いないものの何となく創作としてのゆとりが少ないので、脳の活性化には効果が少ないようです。なぜならば、「何がどうした」というような事実のみを記していく新聞記事や解説記事などの範疇に入るからです。さらに、評論の範囲まで拡げたとしても、やはり純文学や詩歌のたぐいには及ばないのではないでしょうか?


フィクションの世界

 つまり、虚構の世界にまで入り込んだフィクションのほうが楽しいし、想像の自由が効くからです。小説のように時間や空間を自在に設定することによって、脳のトレーニングになることは間違いないでしょう。さらに、男性が女性になってみたり、あるときは犯罪者の立場になったりするのもスリリングで、人生のシミュレーションが楽しめるので効果的です。主人公を選ぶことによって、視点を変えることもできるでしょう。そんな意味で、若返ることも可能なのです。
 事実を書くのと異なって、イメージを次第にふくらませていく楽しさが味わえるでしょう。素材を組み合わせて、複雑な変化を求めるのも面白いものです。それは、ちょうど料理を作るときの体験と似ているのではないでしょうか。


随筆の世界

 随筆は、かなり自由な書き方ができる文学です。むろん、創作の場としてもよいでしょう。
 『方丈記』や『徒然草』の世界を思い出してください。作者の鴨長明や卜部兼行の面目が、作品の中に余すところなく自由自在に現れているでしょう。しかし、当時には叙情性の表現という点では、ちょっと不自由だったようです。なぜならば、当時は叙情詩としてすでに和歌があったからです。
 したがって、和歌の中で自分の思いを述べることができたので、随筆が古代においてことさらに流行をしたり、発達をしなかったのです。むろん、今日でも短歌や詩はあります。しかし、随筆の世界から見ると短歌や詩の世界は、まだ人が少ないみたいです。
 つまり、あなたも随筆の世界では、大いに活躍をすることができるでしょう。


文学の世界

 古くから文学の世界は、奥行きの広いものでした。ここでは、それなりに文学を作る楽しみを味わおうということです。つまり、荒っぽい言葉で言ってしまうと、文学と娯楽の両立を図りながら進めようというわけなのです。そして、ここでは一例として「短歌」と「短編小説」を取り上げました。それが、やってみると老化予防の効果が、かなりあると考えたからです。作品によって自己内部の再発見、すると知っているようでも知らない自分自身、そんなことがわかってきて楽しいのです。

 「健康のページ」では私たちの身体、つまり内蔵をはじめとして、それらが効果的に働いて日々楽しく元気であることを考えました。しかし、ここでは精神面のほうも健康的に活発な働きをさせて、老化予防を実現しようという計画です。したがって、ここでいう短歌や短編小説などの文学は、可能性を文章に盛り込むという考えです。そして、それは重大なことでもあるのです。
 つまり、文学の世界では、単に本を読んでも「現実から離れて仮想の世界」に入っていきます。読むだけでもそうですから、自分自身で作品を書いていけば、もっと強烈なインパクトを得られると考えたのです。そして、それが事実であるということも実際に確かめてみてわかりました。その意味においても、「文学は自己の可能性の追求」という場となって、その活動のなかで脳のリフレッシュにもつながるのです。


小説を書くということ

 小説を書くということは、自分の作品を一つの空間に閉じこめることといってもよいでしょう。その知的空間を構築していくのが、実際には楽しみとなるのです。それは、あたかも手芸をしたり、模型を作ったりするのと同じ体験なのかもしれまえん。とにかく、完成品を目指して作るという楽しみなのです。また、小説の中では空間と時間を自在に移り回ることが可能です。このことは、小説の極致でもあろうか。やってみるとなかなか面白いものです。ちょっとオーバーな例えでいうと、いわゆる空中飛行などと同じような効果の体験ができるのではないでしょうか。

作中人物への投影

 自分を作中のいろいろな人に投影することによって、若々しくフレッシュでいられます。男性であれば、あるいは女性に、また女性であれば、あるいは男性に変身することも作品の中ならば可能です。さらに、支配者や犯罪者にさえも小説の中でなら簡単になれるのです。


可能性の追求

 短編小説を作るということは、「自己の可能性」の追求でもあります。なぜならば、そこでは「自己の再発見」「生きるよろこび」「生きていることの証明」などとともに、自己の可能性の追求を主人公に対する仮託として包含することができるからです。


短歌を作るということ

 宮柊二先生は、短歌を作るということを<生きている証明>をすることだと言っておられました。それは、短歌雑誌『コスモス』の創刊号に出ていた文章にあった言葉です。


絵の世界

 絵の世界も、なかなか楽しいものです。
 水彩画や油絵、そして水墨画などいろいろな種類があります。ここでは、パソコンをツールとして絵や動画を作ってみましょう。やっていみると、思ったほどはむずかしくありません。また、絵を描くことによって気持ちを落ち着けることもできるようです。

 ブータンでは、砂マンダラを描くことが僧の修行にもなっているといいます。つまり、精神を集中することによって作品が初めて完成できます。そのような心構えを大切にしているのでしょう。砂マンダラは、仏の世界を五色の砂で現実の世界に描き出そうというものです。しかし、最後には川にながされてしまいます。
 なお、ブータンでは釈迦よりも、ブータンに仏教を伝えたパドマ=サンバマのほうが人気があって、尊敬をされているようです。私は、報道番組や記録映画でブータン僧の修行や瞑想を見ると、人の一生は何かを考えてしまうのです。


音楽の世界

 音楽の世界も、それなりに楽しいものです。ふつう、音楽を聴く楽しみがあります。さらに、ここではそれを作る楽しみを味わおうというのです。つまり、作曲をして楽しもうという次第です。


橘曙覧の『独楽吟』

 橘曙覧(たちばな あけみ)の『独楽吟』(どくらくぎん、「こまぎん」という人もいます)にある短歌に、

 <たのしみはまれに魚煮て子等みながうましうましといひて食うとき>

というのがあります。貧しくても、一家が実に楽しげにしている様子が窺(うかが)われます。
 また、次も『独楽吟』の一首です。

 <たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時>

 これは、平成6年(1994年)7月にアメリカのクリントン大統領が来日して、大統領自身が歓迎レセプションで引用しました。日本人でも橘曙覧を知らない人が多いのに、さすがだと私は思いました。歌自体の出来不出来に関しては、さすが大統領もわからなかったのでしょう。ただ、意味内容の点で選び、調べの巧妙などは考えなかったのだと思います。他の歌に、もっと適当な作品がたくさんあるのですから。しかし、この精神を選んだのだと思います。
 『万葉集』や『金槐和歌集』などの中から選ばずに、あまり有名でもない橘曙覧の歌から選んだのでしょうか。それは、それなりの理由があることだと思います。また、ほとんどの日本人が忘れてしまった家庭の内部をことさらに歌ったものを引いているのはなぜでしょうか。むろん、橘曙覧は貧しかったのですが、それでも今では忘れられてしまった家庭の幸福がその家庭には、まだあったようです。

 『独楽吟』には、私の大好きな

 <たのしみは まれに魚煮て 児等(こら)皆が うましうましといひて食ふ時>
 <たのしみはそぞろ読みゆく書(ふみ)の中に 我とひとしき人を見し時>

などがあります。
 貧しくても、心が豊かであった人々に、西行、鴨長明、兼好、木阿弥の母などもいました。また、ヨーロッパ(イタリア)にはフランチェスコなどがいたようです。

(注) 橘曙覧の作品は、「やさしい文章技法1」の「1 文の基本」にある「周囲のストレスとキリのない追求」にもあります。


長生きの秘訣

 笑うことが健康や長生きに影響をするのかもしれません。淀川長治(よどがわ ながはる)という映画評論家は、生前に

 <一日に一回 笑わないと損ですよ。>

と言っていました。
 元国会議員の加藤シヅエは、2000年3月で103歳だったが、

 <一日に10回感動することが、長生きの秘訣>

と話していた。
 ついでながら、加藤シヅエは日本が「品位ある国」であり、日本国民が「品位ある国民」であるようにと、娘の加藤タキにいつも話していたという。現在の日本国と日本国民は、いかがなものであろうか?


独りでも楽しみ、キリのないことをしない

 ある程度の高齢になったら、キリのないことをあまり求めないようにしたいものです。なぜならば、残る人生があまりないのですから、自分自身ができる範囲にしておくことが必要だからです。「知足」、つまり「足ることを知る」という言葉がありますが、物がありすぎると高齢者の場合には、かえって煩わしいものです。例えば、おめかけさんの二号さんと三号さんがいたとしたらどうでしょうか。自分の妻だけでも、うんざりしているのに、まったく愚かしいことなのです。
 かつてそのような大臣がいましたが、そうなると人を愛するのではなく、そういうことが財力的にできるのだという愚かな誇示にすぎないのです。高齢になったら、

    名誉欲
    金儲け
    趣味の蒐集

などは、ほどほどにするべきでしょう。そうすることが、老けないために大切な心構えにもなるようです。

 独りで楽しむというのは、誰とも付き合わないというのではありません。同年齢の親しい人が次々と死んでいく中で、友達はかなり減ってしまいます。また、お互いに行ったり来たりできる健康状態にある人も少なくなってしまいます。手紙やメールなどを利用する方法もありますが、やはりお互いに顔の見えない付き合いというのはビジネスででもないかぎり、効果的ではありません。
 そんな環境にあるのですから、独りでも楽しみができるよういしておかないとダメなのです。そこで、このホームページでは独りでもできる楽しみをいろいろと模索・ご紹介しているのです。


清貧のすすめ

 とくに高齢になると、必要以外のものは持たないほうが気楽です。また、貯(たくわ)えない、ため込まないという注意も必要でしょう。なぜならば、若いころと違って行動力や記憶力が衰えてくるので、蒐集ができなくなってしまうからです。あまり意味のない物事に日々追われて過ごすのは、まったくナンセンスではないでしょうか。物があればあるほど、利便性は増すものの、煩わしさも増えてくるようです。
 そして、物はあるべきところにあればよいと考えるようになります。そんな中で自分自身は執着欲をなくし、自然に溶け込んだ心豊かな日々を送れるようになりたいものです。

 私は自動車もやめましたし、テレビも新聞もほとんど見ません。また、携帯電話も持ったことがないのです。さらに、腕時計などもふだんはもって外出をしません。なぜならば、仕事をやめてからは、とくに必要ではないからです。しかし、携帯電話がなくても日常の生活には困りません。ただ、携帯電話がないとmixiの加入ができないので、その代わりYouTubeやTwitter、そしてFacebookを楽しめばよいのです。

 何となくキリスト教のアモン派(アーミッシュ)の人たちの生活と似た環境になってしまいました。それでも、日々充実した心が豊かな生活を楽しんでいます。清貧はやってみると、最初に思ったほど不便ではないことがわかりました。もしかしたら「捨てぜりふ」や「負け惜しみ」のように思われるかもしれませんが、経済ばかり発達して、文化の進歩が遅れがちな日本では、私にとってちょうどよい生活法なのかもしれません。
 『方丈記』にも、そのような記述がありました。
 嘘だと思ったら、あなたも確かめてみるとよいでしょう。


理工式回想創造法

 この「理工式回想創造法」は、ロールシャッハテスト、TAT、そして砂療法、箱庭療法などの論理や手法をさらに発展・展開させたものです。さらに、この回想創造法は、ちょっとサイコドラマにも似ています。サイコドラマ(psychodrama)とは、アメリカの精神病医モレノの考え出した精神療法の一種です。つまり、同じような神経症の患者を集め、あるテーマの劇を演じさせて、その中で心の内部を自然に表現できるようにします。
 非常に簡単な手法で、高い確率で老化予防が実現できるので大いに利用価値があるでしょう。しかし、いわゆる学問ではありません。また、体系や理論として完成をしていても堅苦しいものでなく、気軽に入っていけるものです。
 あまり危険もありませんので、どうぞ確かめてください。

 ロールシャッハテスト……
 TAT……
 砂療法……
 箱庭療法……


 従来は、老人ホームなどで老人が回想をするのを忌避しました。なぜならば、管理者や経営者側から考えると、それはあまり生産性がなくて、後ろ向きだと判断したからです。しかし、最近になって単に回想ではなく創造の世界を取り入れることによって、大いに高齢者の健康にも意義があることがわかってきたのです。ヒトは、単に物理的な肉体をもっているだけではないからです。そして、そこが非常に難しい問題となるわけで、そのような観点に立って問題を考えなかったほうが、不思議なくらいです。
 そこで私たちは、早くからそのことに注意をして、回想創造法というメソッドを確立しました。

 この理工式回想創造法は、一種のメソッドですからそれ自体、つまり創作した作品は幼稚であっても、未熟であってもよいのです。それで、それなりに体験したメリットがあれば、何も問題はありません。自己の可能性を追求しているのですから、他人の評価などを気にすることはまったくないのです。作品は自分自身で評価をする、つまり自分が納得できるものであれば、それでよいでしょう。

 「猫に小判」とか「豚に真珠」という言葉があります。いくら程度の高いものでも、自分にとって理解のできないものであれば、それは何にもならないでしょう。つまり、「消化不良しない程度」で自分のレベルに合ったものが、いちばんよいのです。そのために、すでにある作品よりも自作をした作品のほうが、自分自身にはぴったりと合うことは当然なことではないでしょうか。それは、極端に言ってしまえば、ちょっと宮沢賢治の『どんぐりと山猫』のストーリの展開とも似ているんではないでしょうか?


回想創造法のありまし

 ここに、理工式回想創造法のあらましを説明しておきましょう。
 「老いたくない」という気持ちは、むろん誰にでもあるようです。そこで、そのようなテーマの物語が昔から今までに数多く作られたようです。例えば、有名な『浦島太郎』の物語です。時間のパラドックスになっています。また、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレーの肖像』という小説も作者の「老いたくない」という気持ちの反映かもしれません。老いるのではなく、絵の中の人物が次第に若くなっていくのです、…… いずれにしても、そのような話の中には、あるいは高齢になってから初めてわかるというような鮮やかな経験や発見もあることでしょう。

 しかし、ここでは「脳の活性化」を目的としていますから、必ずしも実際に体験をしなくてもよいのです。なぜならば六十歳を過ぎると、現実問題としては恋人などを作れないのがふつうです。そこで、脳の中でそのような疑似体験をするのです。そんなことでも、やってみると脳の機能が実際に働いて、大いに満足をするのです。そこでは若い時代に戻って、かなり無理な体験さえも可能なのです。そして、それは単なる自己満足でなく、昇華の状態にさえなることがあるので、大いに意義のあることかもしれません。

 また、還暦を過ぎてから恋をすることはともかく、罪を犯したり恥をかくのには、ふつう生活と将来に大きなダメージが伴います。しかし、そのようなむずかしい背景の中にでも、小説や物語を構築することによって、精神作用が伸び伸びとして、「脳の活性化」が可能になるでしょう。そして、そうすることによって老化予防の実現もできるのです。
 とくに効果があるのは、登場人物の選択です。つまり、登場する主人公を誰にするかという問題です。

 自分と反対の立場を登場人物にセレクトして、脳の活性化を図ることができます。具体的にいうと、つまり「男ならば女」、「高齢者ならば若い人」いった具合です。そのようにすると意識の世界で、新たな空間が構築できるのです。それは一種の仮想空間ではあるが、かなりの強烈な効果がありましょう。
 ちょっと恥ずかしい気持ちをいだくことは、脳の活性化に大いにつながるといいます。例えば、すでに病院で「看護婦さんにおしめを替えてもらっている」人は、そのようなことを理解されているのではないでしょうか。

 『土佐日記』という古典の書物があります。これは、紀貫之という男性が、女性のスタイルで書いたものです。「男というもの……すなり」とわざわざ断っているので、やはり作者は、そのスタイルに初めは躊躇をしたのかもしれません。しかし、太宰治や芹澤光次郎の「女性が主人公になった」小説は、実に優れています。『斜陽』や『愛と死の書』などを読むと、自分まで作中の人物に釣り込まれてしまうので不思議です。
 私は、それらを読むたびに著者の心の中を垣間見たような感じになって、大いに感心をしたものです。

 しかしこの「理工式回想創造法」は、必ずしも文学的な作品に回帰する必要はありません。例えば、自分の知っている知識だけで構築する物語であってもかまわないのです。さらに未体験の空間、例えば宇宙旅行や死後の空間などを想像するのは、いかがなものでしょうか?
 また作品を客観的に見直すためにも、朗読をしてもらうのがよいでしょう。自分でするときは、録音をしておいて聞き直す必要があります。また、パソコンのソフトで行う自動音声読み上げでもかまいません。いずれにしても、他人の目で読んでもらうと、自分の欠点に気が付くことが多いからです。


スペーストレック

 実際の回想創造法の資料を示しておきましょう。
 その一つに、『スペーストレック』という安易なタイトルが付いているものがあります。それは、いくつかのタイトルテーマの中の一例ですが、この画面を見ただけでは目的がわからないかもしれません。あなたも、何をどのようにするかの想像をしてみてください。
 次に示す何枚かの画面は、どこから始めてもよいでしょう。

 しかし、時間の推移に合わせようとお考えでしたら、教授が黒板で説明をしているところからお始めください。その構図が「最後の晩餐」に似ているという印象をお持ちでしたら、そのこともストーリに持ち込んでもかまいません。実は上の絵については、まだ手が回らなくてカラーを付けていないんです。
 実際には、宇宙の画面などはカラーを付けると、美しい仕上がりになるのではないでしょうか。また、同時にBGMを鳴らすと効果が上がるかもしれません。いろいろと工夫をしてみてください。


女の一生

 次の『女の一生』については、どのような物語が構築できるでしょうか?
 やはり、タイトルについては安易さが目立つようです。もしも気に入らなければ、タイトルも画像自体も別なものに変えてしまうとよいでしょう。この4枚も、現時点ではカラー未着色です。やはり、少しずつ完成をさせていきたいと考えています。トライアンドエラーをしながら、この教材も豊かな内容にしていくので、ご意見があったら言ってください。


 しかし、必ずしもまとまったストーリでなくてもかまいません。画像から、自分自身の想像力を引き出せばよいからです。つまり、ここにある画像は単にイメージを出すためのトグルなのです。したがって、断片的なモチーフだけでもよいのです。短編というか、小品というか、さらにまとまりのない断片でもよいのです。むろん、連続をした画像でなくて一枚だけであっても、一向にかまいません。
 そんな回想創造法の作例の実際が知りたいときは、

     回想創造法

をご覧ください。


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Kuroda Kouta (2003.07.04/2012.01.01)