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  皆さまにお願い!


 お忙しい人は、ここだけで結構!

 このホームページの見方について

 プロとアマ(アマチュア)

 ウイルス・迷惑メール・サイバーテロに関するご注意!

 管理人からのメッセージ

 人さまざま

 なせばなる?

 いつまでも若々しく

 ホームページを作る楽しみ、見る楽しみ

 ヌルヌルはもういや!(弁解)

 作品に関するおことわり

 文章について
 写真や画像について
 記述の間違いなどについて

 小さい文字の部分について

 最後にご注意とお願い!




お忙しい人は、ここだけで結構!

 小さい文字は、とくに読む必要がありません。読み飛ばして、先に進んでください。
 もしも、その理由が知りたいときは上記の「小さい文字の部分について」が参考になるでしょう。


 ご参加、ありがとうございました。
 あるいは、まだ参加されないでご訪問をしてくださった方々にも、心から感謝をいたします。

 私たちは、いつも健康を願います。そして誰もが、高齢になってもフレッシュで若々しくありたいと考えるでしょう。それは、老化予防の工夫へつながっていると言ってよいかもしれません。さらに老いてくると、安心立命を確立したいと思うようになるでしょう。

 そのような日々に、ホームページやブログなどを作ったり、文学美術、そして音楽などをやって生活にうるおいを求め、自分自身の人生を楽しく豊かにしたいものです。つまり、「心豊かな人生」(もしかしたら、余生と言ったほうがよいかも?)を過ごしたい。
 さらに、そのようなことを自分の「生きている証明」にするのもよいでしょう。

 また、今後の社会情勢などを考えると、とくに「高齢者は一人で過ごす」ことを考えなければなりません。単に生きているだけというのではなく、一人で「快適な時間」を過ごしたり、「充実した日々」を送る方法を模索していく必要が、どうやら今後は必要になりそうです。
 高齢になると回りの親しい人々が次々と死んだり、配偶者に先立たれることも多いからです。そうかと言って、子どもたちが万全のバックアップをしてくれるなどと期待をしたら大間違いでしょう。そんなことを考えると、心細いかぎりです。

 そのような次第で、相手になってくれる人がいなくても、「老いてしまわないための工夫」を各自ですることが必要です。さらに、必然的に生じかねない孤独死などということが、絶対にないようにしたいものです。

(注) この辺の事情については、曾野綾子『戒老録』の内容が、何かと参考になるでしょう。
 また、古くは横井也有(よこい やゆう)の俳文集『鶉衣』(うずらごろも)にある「老嘆辞」も味わいのある文章です。

 老人などと十把一絡(じゅっぱひとからげ)で言うと、ちょっと問題が起こりそうです。しかし、とくに高齢者は何かと愚かしいことをしがちです。したがって、如何(いかん)ともしがたくなる前に、あらかじめ各自で身体や心の用意をしておく必要があるのです。また、子どもたちが頼りにならないことは、古今東西どこでも同じようで、『父母恩重経』などという経典があるくらいです。

 すでに現役を退(しりぞ)いて実際に働いていない年金生活者の人たちは、日々することを自分で作る必要があるでしょう。なぜならば、ボケてしまわないように、老化予防をしなければならないからです。

 ヒレルの言葉にあるように、
  <自分で自分のためにやらなければ、誰があなたのためにやってくれるか?>
という事実が、多くの人の老後には厳しい現実となるでしょう。
 そして、その結果エラスムスが『痴愚神礼賛』に書いているように、
  <誰も賞賛してくれないときに、自分で自分を賞賛するのは当然のことである。>
と考えればよいのです。


 そんなわけで、ここではソリティア(トランプの一人占い)や麻雀将棋などもしてみました。
 そしてさらに、文学美術、そして音楽などに親しむのもよいでしょう。しかし、そのときに次の節にも記述してあるように、大げさに鯱張(しゃちほこば)って芸術などと考える必要はありません。デジカメで撮った写真が、すでにそのまま芸術作品と考えればよいからです。

 価値観評価などに関しては、それぞれの個人差があるでしょう。他人が何と言っても、自分自身が納得すれば、それでよいのではないでしょうか。みっともないとか、恥をさらすのではないかなどと考える必要はありません。なぜならば、すでにたいがいの人は生きていること自体が、そうなっちゃっているのかもしれないからです。とくに、私の場合は。

(注) 価値観や評価などは、むろん永久的な「不変定理」や「固定概念」ではありません。それは、時代の背景や政治の都合などによって、大きく変わるのです。
 例えば、偉大な人物として建立(こんりゅう)された大きな銅像が、その後100年もしないうちにブルトーザで根こそぎ倒されたりします。また、洞窟の中にある大きな仏像を何のためらいもなく破壊したり、その顔面を削ったりもしました。
 かつて鎌倉の大仏さまは、政府によって「銅の目方」で売りに出されました。(幸い解体と運搬に費用がかかるので、誰も買いませんでした。だから今でも、長谷にで〜んと鎮座在(ちんざましま)しているのです。)

 昔、他の国民に麻薬を売ることが国益と考えて、大々的に輸出をした国もありました。それが違法になった現在も、そのようなことをしている国もあるようです。麻薬や阿片などのビジネスをいまだに合法と考える人がいるからでしょう。
 「シャーロック=ホームズ」シリーズの中に、ホームズが麻薬の注射をする場面がありました。ワトソンが「身体によくない」と注意をすると、ホームズは「推理力を高めるのは、これがいちばんよい。」と言います。どの巻だったか忘れましたが、さすが最近の版では、その箇所が削除されたようです。

 価値観は、時代によって大きく異なることを忘れないようにしてください。


 そんな欲張った希望や願いを実現するために、この『青空のホームページ』と皆さんのサークルがあるんです。お互いに情報を交換して、今後の人生を豊かにしようではありませんか。お互いの情報が、日々の生活に貴重なものと考えているからです。
 そんな意味で、いただいたメールの内容は、他のサイトにも転送されることがあるのでご了承ください。他のサイトと言っても、見ず知らずのところではなく、すべて私が管理人をしているところです。

 また、互いにメールする情報の内容には「各自の責任」で対処してください。中には、ときどき怪しげな情報もあるからです。また、貼り付けられたアドレス(URM)にウイルスが潜んでいるかもしれません。私は、ソースチェッカーで検査をしていますが、すべてについてはできません。
 悪質な人には退会していただくのですが、なかなか手が回り切れないというのが事実です。
 そんなわけで、私が送信をするものについては安全性に注意しているのですが、他のすべてが安全ではないでしょう。
 「うまい話」や「巧妙な手口」には、各自が注意をしてください。

 この『青空のホームページ』については、最初におことわりをしておくことがあります。
 それは、まだ完成をしていないいわゆる「メモの形」であることなのです。
 なぜならば、最初に文章だけを思いついたままに記しておいて、後で図形を入れたり、重複や不足事項を直していこうと考えたのに、思うようにできません。各ページが大きくなって、実際には編集が不可能に近い状態になってしまったからです。
 その辺の事情については、ここ をクリックしてください。

 このホームページは内容が次第に増加したため、六つのサーバに分散しました。しかし、トップページの一部をレディファインするだけで、ミラーにはなっていません。記述は書き加えていく方式で、個人的なメモなどがあって見苦しかったり、未完ページや勘違い・無知のための間違いも多いことでしょう。 内容は、多摩テレビ・ヤフーなどの四つのプロバイダ(約2.1ギガバイト分)と、二つのブログを利用しています。(2010年8月現在)
 さらに、他にYouTubeSkyDriveを補助的に使いました。
 それでも もしかしたら、あなたの知的空間(その奥義)を広げてくれる内容が含まれているかもしれません。文字・図・画像を大きくしたり、行間を空けて読みやすくしてあります。

 以上、お読みいただいて感謝をいたします。





このホームページの見方について


 このホームページは、作者がWindowsインターネットのことをあまり知らないままに作成して、一つのページがかなり大きくなってしまいました。そのために、編集の作業が大変です。本来ならば、小さいファイルに分割をして、動きを軽快にしなければならないのでしょう。

 仕方がないので、その後いろいろと工夫をして、細かい単位のファイルに分割をする作業をしています。
 最初、本文だけを作成してしまって、図などは後に入れようと考えたのですが、現時点では編集作業自体が非常に効率が悪くなってしまいました。また、ページ内のハイパーリンクなどもファイルが大きいと崩れてしまったりして、動作しなくなることもあるようです。

 いちおうファイル単位にしてある項目は、本文の見出しの部分からハイパーリンクで呼ばれ、次のような形式になっています。

(1) 右上に「総トップページにジャンプ」という表示があります。

総トップページへジャンプ


 これは、『青空のホームページ』のトップページにジャンプをします。
 そのようにしておかないと、GoogleYahoo!などで検索されて、該当項目となって単独に呼ばれた場合、そのトップページに戻れなくなるからです。

(2) 最後の部分に、コーヒーカップの模様があります。
 これは、終わりであることを示したり、大きい項目の一区切りを示します。
 なお、このページにも数多くあるように、ファイルの最後ではなくても、いわゆる区切りの場所にはコーヒーカップがあります。

(3) 該当ページはハイパーリンクで開くわけですが、呼ばれたときは、ふつう「新しいページ」になるようにしました。そのほうが、並べて見たりするときに便利だからです。

(4) 最後の部分の右下に、

Kuroda Kouta (2007.01.12/2007.07.18)

のような表示があります。
 作者名を示して、記述した内容に関する責任の所在を明確にするためです。
 (1)にありますように、単独のページで呼ばれた場合には、どこの誰が作成した何というホームページかが、まったくわからないからです。
 なお、括弧の中は日付です。スラッシュの前にあるのは制作日、スラッシュの後のは更新日です。

 現在のところ、以上のような構造になっていますので、ハイパーリンクのない項目については、そのページ内の検索機能を利用してください。
 その方法を次に示しておきましょう。

(1) 目次を見て、見たい項目があったらリバースにする。(その部分をマウスでドラッグすると、文字が黒く反転をします。

(2) 右ボタンをクリックして、コピー
 コピーというところをクリックすると、クリップボードにそれが保存される。

(3) メニューバーの「編集」から「このページの検索」。
 あるいは、キーボードで[Ctrl]を押しながら[F]を押してもよいでしょう。
 そして、そこのマウスのカーソルをもっていって「貼り付け」をする。
 なお、短い文字でしたらいちいち(2)(3)を行わずに、キーボードから検索枠に文字を直接インプットしてもよいでしょう。

(4) その場所に、ジャンプをします。

 むろん、この操作は目次にない項目でもかまいません。
 ページ内から、該当文字を探すときにも利用できます。数多くあるときは、次々と検索を続けてくれるので、なかなか便利です。





プロとアマ(アマチュア)

 わからないままに始めて、とにかく内容を書き足してきました。そんなわけでデザインなども幼稚で、すっきりとしていません。でも、それは仕方のないことです。なぜならば、それだけの技量がないからです。つまり、素人(しろうと)が何とか作り上げた内容でしかありません。

 もっとも、あまり高度なものは自分自身でも理解ができないので、せいぜい「高齢者の楽しみ」や「老化予防を目的」としていると考えてください。本当は「青空の創作ページ」などにも、素晴らしい作品を集めたらよいのですが、いずれにしてもプロでないからお粗末なものが多いでしょう。

 『方丈記』に、

 <寄居虫(がうな)は、小さき貝をこのむ。これ身知るによりてなり。みさごは、荒磯に居る。すなはち、人を恐るゝが故なり。我またかくの如し。身を知り、世を知れれば、願はず、わしらず。たゞ靜かなるを望みとし、愁へなきを樂しみとす。>

とあります。
 そんなことを考えていただくと、私たちの姿勢がおわかりいただけるかもしれません。

 例えば、音楽です。
 ベートーヴェンの『交響曲第三番』の第一楽章です。不遜かもしれませんが、激しく感動的な曲である反面、何となく気狂いじみた感じがしないでもありません。正直言って、私はそう感じるのです。
 また、その第二楽章に置かれた葬送行進曲は、考えようによっては長ったらしく、耐え難いときがあるのは私だけでしょうか。簡単に言ってしまえば、聞いていて「早く終わればよいなぁ!」と感じてしまうのです。

 つまり、いくら優れた作品にでも、自分のレベルをはるかに超えていたら、「猫に小判」あるいは「豚に真珠」になりかねないのです。

 ついでに、ブラームスの『交響曲第一番』について言ってしまいましょう。
 ベートーヴェンの交響曲を意識したので、21年をかけて完成したと言います。しかし、私はヨアヒムの意見を聞いて作曲をしたという『ヴァイオリン協奏曲』のほうが、曲全体の構成やモチーフなどが素晴らしいと考えます。ブラームスは、生前から大作曲家ですから、とくにそのようなことを意識したのでしょう。

 しかし、私たちは単に楽しみにすることですから、作品を作るのにあまり年数をかける必要がありません。また、年数をかけたからといって、優れた作品ができるとはかぎりません。むしろ、いったん作ってしまって、少しずつ直していくほうがよいでしょう。
 つまり、プロとしてではなく、アマチュアとして作ればよいのです。
 そんなことも、ご理解下さい。





ウイルス・迷惑メール・サイバーテロに関するご注意!


 最近のインターネットは、ウイルスが大流行。
 また、サイバーテロも大きな問題で、しばしば話題になります。

 さらに、違法な取引怪しげなビジネスなどの迷惑メールも多いことでしょう。中には、セックス業のメールなどを堂々と送ってくる人もいます。メールアドレスが簡単に無料で取得できるために、自分を特定できないと考えて、おそらく安心しているのでしょう。
 個人のところへは、そんな迷惑メールがしばしば。しかし、最近になってスパムメールとして別フォルダーに入れられるようになったチェックプログラムが多くなったせいか、サイトやグループに入り込んできました。つまり、商売をするために仲間のふりをするのです。
 アドレスだけでは誰がしているのかがわからないだろうと安心をして、グループの中でいかがわしい商売をしようというのは、まったく困ったものです。
 皆さんは、ご自身の責任で大いに注意を払ってください。

 大がかりなものは社会的にも話題になるが、小規模のものは日常茶飯事。中には、無料でダウンロードしたプログラムの中に、巧妙に埋め込んであるアルゴリズムもあるので、注意をしなければなりません。
 そんなわけで、「ウイルス・迷惑メール・サイバーテロに対する対策」が必要になってきました。
 なお、ここ をクリックすると『仕込まれたウイルス』というタイトルで、「ウイルスの概念」を物語風に知ることができるでしょう。

 私のパソコンはインターネットに常時接続ですから、トロイの木馬などが遠慮なくやってきます。いままでに、何回もありました。その都度、ウイルスチェックプログラムが働いてくれるので、何とか助かっています。
 オペレーティングシステム自体に対する攻撃も多いのでしょう。しばしば連絡がきて、パッチするマイクロソフト社の「悪意あるプログラムに対する……」というのは、その対策プログラムです。
 皆さんもご承知のように、いつまで経ってもウイルスとワクチンがいたちごっこの感じ。

 私のところにやってくるトロイの木馬は、国際的でイスラエルなどを経由してきます。
 トロイの木馬などを含む「ウイルスチェックについて」の詳細は、ここ を参照してください。

 そんなわけで、メールに貼り付けられたアドレス(URL)にも気を付けなければなりません。何のためらいもなく、そこをクリックしてアウトになった例があるからです。破壊されると言っても、それはプログラムやデータの部分で、ハードウエアが爆発をしたり、火事になるということはないでしょう。
 しかし、オペレーティングシステムというソフトの中枢がダメになるので、もはやパソコンが動作をしなくなってしまいます。そんなときは仕方がないので、初期状態(買ったときの状態)に戻す作業を一日がかりで行わなければなりません。
 それでも、各種の設定値が失われていたり、データーの一部が消えていたりすることがあります。

 世の中には、おかしな性格の人や異常な人がいます。何の目的かわかりませんが、情熱をもってそのようなことをしたり、サイバーテロなどを生き甲斐とする人もいるでしょう。そんな中で、このサークルでは安心して情報を交換したいと思います。
 したがって、なるべくいったん『RIKOホームページ』つまりこのホームページのトップページへ行って、そこから各ページに進んでくださると安全です。なぜならば、そこにあるアドレス(URL)については「ソースチェッカー」で、私が定期的に検査をしているからです。

 インターネットに関する先生であられた大岩さんは、メールはすべてテキスト形式で送るべきだと言いました。確かに、テキスト形式はHTML形式と比べると、命令コードなどを含むウイルスが入れにくいのは事実でしょう。しかし、ホームページ自体がHTMLで作られている今日に、すべてをそうすると非常に能率が悪くなります。例えば、文字だけの情報になったりしてしまうからです。

 それは、あたかもヨーロッパに行くときに「飛行機は危険だから、汽船で行きなさい。」などとアナクロニズム(時代遅れ)を言うようなものでしょう。また、「新幹線は事故を起こしたら大事件になるから、東海道は歩行(かち)で行くとよい!」などとアドバイスするのに似ています。
 さらに、「靴よりも、草鞋(わらじ)をはいたほうがよろしい。」などと、まったく時代にそぐわないことを平気で言うのと同じです。

 その大岩さんの三鷹SOHOサークルでは、実際にウイルスによってWindowsの基本システムを破壊された人が何人か出ました。しかし、互いに誰が犯人かがわからないのです。いきおい、ほとんどの人が疑心暗鬼になってしまい、不信感をつのらせて互いに疑うのです。そうなると、もはや人間関係どころではありません。
 このサークルでは、そのようなことがないようにしたいものです。





管理人からのメッセージ


 ほんとうは、グループやサイトなどの管理人が次々と投稿をするのは異常なのかもしれません。また、管理人などがしゃしゃり出ないほうが、サイトの運営上では好ましいでしょう。
 しかし、管理人(rik こと Kuroda Kouta)から、「日々のメール」を差し上げています。
 なぜならば、皆さんのメールが久しくないと、プロバイダ側で「休眠サイト」とみなして、閉鎖をしてしまうからです。グーグルジーエムオーヤフーなどのメールサイトは、契約上そうなっているのです。そして、いったん休眠状態になると、プロバイダのサービスが受けられなくなってしまいます。

 むろん、管理人が病気になったり、死んでしまったような場合、ある期間中の投稿がなかったらサイトは整理されてしまうでしょう。
 そんなわけで、皆さんの投稿がないときは、何とか最低でも「一日一便」にはなるようにと、管理人は努力してきました。ここで「一日一便」と言っても、「毎日一回はウンコをする」ということではありません。それは「一日に一回はメールをする」ということを意味します。つまり、「いちにちいちべん」ではなく「いちにちいちびん」なのです。
 もしかして間違うと、いけませんので、……

 あなたのメールが来ないときにでも、「一方的に発信をする」愚かさをバカにする人もいるでしょう。また、ご意見もないままに「恥知らず」で「恥さらし」の内容をせっせと送信する厚かましさにも、辟易(へきえき)されるかもしれません。
 しかし、その辺の考え方については、トップページ知的空間(その奥義)を参考にしてください。

 管理人の私にとっては、亡くなった先輩の大岩さんや田中さんのことを考えると、その無意味で滑稽な内容でも、グループにおける一つのスーべニール(souvenir=思い出)なのです。
 それはちょうど日々の生活をするように、私はこのメールも生活の一部だと考えてきました。あたかも、日常あまり意識をしないで呼吸をしたり、食事をするようにです。
 なぜならば、「日々の生活に飽きちゃったらいけない」からです。
 むろん、「人生に飽きたり」、「生きることに飽きても」いけません。常に希望興味をもって、前進をしなければならないからです。

 また、仕方なく何となく「個人的なメール」もあります。でも、相手を含めて公開しても問題のない内容のものばかりです。もしかしたら、あなたにあまり必要のない情報かもしれませんが、いちおう何かのご参考にはなるでしょう。
 フリーメールは、もともと「仲間どうしの公開制」を原則としています。したがって、管理人はそんな方針で、楽しく、気楽に、面倒の少ない方法でやっているのです。管理人は「面倒なことが大嫌い」ですから、いちいち細かい配慮をして宛先の選択・考慮をしません。
 そこで、あなたに関係のないメールが届くこともあるでしょう。そんなときは、削除してください。

 また、返信の一部に「いただいた本文」をそのまま貼り付けて送信したところ、苦情を言った人がいました。非常に神経質の人やデリケートな人がいるようです。さらに、かつて私が不注意に他のサイトにお名前を出したときにも、ものすごい勢いでお叱りを受けました。
 そんなために、管理人のメールは「誰が誰に何を言っているのか」が、ちょっとわかりにくいこともあるでしょう。

 それはともかく、皆さまのメールをお待ちします。
 むろん、何も言わないROM でもかまいませんが、できましたらお気軽にメールをしてください。

(注) ROMはふつう「ロム」といって、投稿をしないで読むだけのメンバーを意味します。
 半導体の「読み出し専用メモリー」に習って、「read only member」の略ではないでしょうか。

 また、文学・美術・音楽などの創作にご関心のある方々は、どうぞ作品などもお寄せください。ここで、「文学」とか「美術」とか「音楽」などとあらたまって言っても、大げさに考えないでください。およそ「芸術」などとは関係のない内容のものでも、自分で納得すればよいのです。
 なぜならば、「世の中の評価」などはあまり気にしなくてもよいからです。
 デジカメで撮った写真すべてが、そのまま「美術作品」だと思ってもかまいません。ここでは、それを含めて知的空間を構成していこうと考えているからです。

 ご訪問いただいた方々で、まだ未加入の方々は、

   中高年からの健康フォーラム
   多摩地区の話題
   やってみよう!

などのグループにご参加ください。費用は、必要ありません。
 お互いに、貴重な情報などを交換することができるようになるでしょう。

 なお、これらのグループは「ムダな情報」や「間違った健康法」などが蔓延している現代、つまり「情報過多の社会」に正しい方法で楽しく生きていくため、お互いにメール交換をしようという目的で始まったものです。
 さらに、このホームページでは「安心立命」などを考えますが、「政治や宗教」とはいっさい関係がありません。あなたや私が、それぞれ自分自身の「知的空間」を構築しようとするのですから。
 私たちは、それぞれ宇宙における一つの知的生命体ですから、それは当然のことでしょう。
 そして、考えてみると私たち自身が「何か偉大なもの(サムシング・グレート)」であるかもしれません。

 3年前、その仕組みがわからないまま、私はフリーメールにサイトをいくつか作りました。
 なぜならば、今までの経験を生かして、何らかの形で地域社会や世の中に貢献をしたいと考えたからです。広報のためのホームページとともに、メールで補完して問い合わせなども受け付ける計画でした。
 すると、聖ヶ岡の田中さんが「ヤフーにも作ったほうがよい」と言い、また三鷹の大岩先生が「世界の情報はグーグルでなくちゃあいかん」などと言って、私のパスワードでいくつかのサイトを申し込んでくれたのです。
 今では、田中さんと大岩さんの作ってくれたサイトが、私にとってなつかしい形見(かたみ)になっちゃったんです。そんなわけで、私は「たくさんのサイトの管理人」なんです。(^_^;)

 でもその結果、お互いに楽しいメールとともに、有意義な情報交換もできるので幸せです。
 以上、よろしくご理解ください。





人さまざま


 人には、それぞれ個人差があります。そしてそれは、思ったよりも大きいのです。
 ですから、健康になる方法なども一律ではないのです。同じ食べものでも、ある人は健康になり、別の人はかえって健康を損なう場合もあるのです。薬についても、同じ事が言えます。治ったり、治らなかったりするのは、そのためです。
 したがって、誰にでもよい食材や薬などというものは、あまり効果がないでしょう。

 その上に誰でも生まれつき、その遺伝子は利己的にできているから、問題が複雑になります。人間が利己的でなく奉仕的になるのは、日々の精神的な修養や生まれつきの愛情からです。そんな意味で、教育が大切になるのです。幼少時教育はむろんのこと、大人になってからも生涯学習のスケールで、自分自身を育てていかなければなりません。

 さらにまた、誇大妄想被害妄想の傾向や気(け)は、やはり誰にでもあるでしょう。
 相手に大風呂敷を広げる人がいたり、いつも誰かに騙(だま)されるのではないかとびくびくしてガードをはる人がいます。そして、大風呂敷を必要以上に警戒したり、騙される前に先手を打って騙してしまおうなどと考えるのです。
 まったく、ムダな愚かしいことの連続です。

 現代社会では、誰でもがドン=キホーテになる可能性を免れません。精神が健康で正常のうちはよいのですが、生活に何らかの支障や問題があって精神が冒(おか)されたり、高齢者つまり老人になって判断力が鈍くなると、その傾向がいっそういやらしく顕著になるのです。

(注) ドン=キホーテは騎士道の本を読んでいるうちに、すっかりと自分がその中に入ってしまう。
 そして、誇大妄想や被害妄想によって思考が支配されるようになる。そのため、風車が「巨人の悪魔」に見えたり、床屋の洗面器を「マンブリーノの兜」(名器と言われたかぶと。正宗の名刀のようなもの))と思い込んだりする。そして、田舎娘を思い姫として、ドルシネアという名前まで用意してしまう。
 「ラマンチャの男」という映画では、ソフィア=ローレンが演じていたので田舎娘でも素敵であった。

 しかし、ドン=キホーテを笑ってばかりいられません。日本でも江戸時代に、学識のある武士が芝居を見ていたときの話です。悪役の代官が、あまりにも理不尽なことを言って女性を虐(いじ)め続けたので、武士は思わずかっとなって舞台に駆け上がり、抜刀して役者を斬り殺したという話が残っています。

 ドン=キホーテについては、ウナムーノが書いた詳しい説明がありました。いったい、この文学をどのように位置づけるかである。ウナムーノは、「人格の不滅性」という言葉を用いている。そして、「人は懐疑から出発して、自己を認識する」と言います。
 ウナムーノの『殉教者・聖マヌエル=ブエノ』は、漱石の『こころ』に何となく内容の展開が似ています。

 なお、「ドルシネア」は「ドルネシア」だったかもしれない。かつて、「ウナムーノ」を「ウムナーノ」と言って、NAS(ナス=スポーツクラブ)で一緒だった多摩市貝取に住んでいるスペイン語の先生に注意をされたことがある。私のうろ覚えは、注意されるまで気づかないことが多い。

(注)の(注) このホームページの管理人(黒田康太)は、とっくに還暦を過ぎて何となく物覚えが悪くなり、また度忘れも激しい。したがって、ものの名前なども怪しげなことが多い。もしかしたら、脳軟化症、認知症、アルツハイマーなどが始まっているのかもしれない。そんなわけで、間違った言葉も多くあるでしょう。
 文学作品や技術論文では許されないが、こんな文章では読む方が少ないので、問題がないかもしれない。
 もしも、お気がつきの言葉があったら、どうぞご教示いただきたい。

 人名なども「ドルシネア」を「どるねしあ」、「アンナカレニーナ」を「あんなかれはいや」などと間違ったり、覚えたりもしていた。地名でも、そう。例えば「秋葉原」を「あきばはら」と思っていたり、「下総中山」を「しもうさなかやま」でなく「しもふさなかやま」と間違って言ったり、記憶をしていた。そんなことに気が付いたのは、還暦の少し前であった。
 固有名詞について間違ったことを言うのは、非常識であったり、失礼に当たることかもしれない。

 しかし、
    <ギョエテとは誰のことかとゲーテ言い>(もしかしたら、「誰のことか」ではなく「俺のことか」だったかもしれない。)
などという川柳もあった。
 また、明治時代の殉情詩集に「ヴァイオリン」のことを「ヴ井オロン」と書いてあるのもあったと思う。
 「バチルス」や「ビールス」と言われていたのが改めて「ウイルス」になったように、「バイオリン」も「ヴァイオリン」になったようだ。「バビブベボ」が付く名前でも、例えば「ビバルディ」と書いたのが「ヴィヴァルディ」になったように。


 また、複雑な現代社会では自分が被害者であって、考えてみれば同時に加害者であるという相対関係が多く生じます。それが、いったいどちらの立場かわからないことさえも、見受けられます。
 そのようなケースでは、社会構造や法律の解釈などが原因となっていますから、いくら話し合っても解決がつきません。その辺のことなども、現在行っている一律の幼少時教育などによる困った結果とも言えるのではないでしょうか。

 デオプラストス(森進一訳)の『人さまざま』(岩波文庫)という本があります。
 そこには、ギリシア時代の巷(ちまた)の人たちの癖がいろいろと書いてあります。実に細かい点までを鋭く観察・風刺したもので、思わず笑ってしまうようなことも多い。しかし、それらは今日でも私たちの回りにいる人たちとまったく同じ事情。それを読むと、人間関係感情の機微は昔も今も変わらないことをつくづくと教えられるでしょう。
 科学技術がかなり発達をした社会に、ギリシア時代の感覚で望めば、問題が生じることは明白。

 したがって、「なせばなる?」などと簡単に言っても、誰にでも一律した具体的方法があるのではありません。その人には、その人の最適なコースがあるのです。そして、それを見出(みいだ)すことが先決。その結果、それが実現するのです。
 そのような意味で、このホームページとサークルでは、各自が最短コースで自分自身の知的空間を築き上げる方法を模索することを狙いとしているのです。
 そんな意味で、「なせばなる」なのです。





なせばなる?


 ここで、あらたまって私は「精神論」などを言おうとしているのではありません。
 熊沢蕃山の作品に、
    <為せばなる為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり>
というのがあります。
 また懐奘(えじょう)は、『正法眼蔵随聞記』の中に
    <切に思うことは必ず遂ぐるなり。>
と書き残しています。
 もしかしたら、懐奘には道元の言葉が印象に残っていたのでしょうか。あるいは、後世の人が書き加えたのかもしれません。なぜならば、『正法眼蔵随聞記』の版によっては、その箇所が見あたらないものもあるからです。

 しかし、上のようなことは一つの「考え方としての事実」で、ここでは、私たちが意外にも「自分自身の可能性を知らない」ということを言おうとしています。「習慣」や「慣れ」の関係から気付かなかったり、知らないままに一生を過ごしてしまうことが多いからです。
 私は、理工学部(電気工学科)を卒業してから、ずっと技術者として仕事をしてきました。
 正直言って、文学美術、そして音楽などには縁がありませんでした。学生時代に短歌を少しやったんですが、とてもダメだと知ったのでやめてしまいました。

 しかし、40歳代に病気をして仕事をやめ、知人にすすめられるままに執筆をしました。初めは、とてもムリだと思ったのですが、生活のために仕方なくやってみると、意外にも簡単でした。2年間で20冊ほどの単行本ができたからです。

(注) どんな本ができたかを疑う人もいるでしょう。
 住宅ローンや子どもの学費が必要な時期でしたから、出版社に言われるままに書き続けました。それらは、おそらくグーグルで黒田康太を検索していただくとおわかりになるでしょう。そこに表示された約1000件のデータの中には、重複したデータや著作でない物なども含まれているようです。また、同姓同名の人の記録があるかもしれません。

 しかし、ざっと見渡して全体の概要がおわかりいただけると思います。
 一冊の本は、平均して250パージくらいで結構手数のかかる内容のものでした。さらに、ここに表示されていない執筆もずいぶんとあります。それは、学校の教材に使うために他の先生と共著になっていたり、担当教授が監修者ということで、私の名前が記されていないからです。

 また、下記の「システム設計 第2版」
のように他の本の一部に私の名前が含まれているものもあるので、誤解をしないようにしてください。




 その後いろいろと試してみたら、絵を描くことも、作曲をすることも意外に簡単でした。確かに、超一流のものはなかなかできないでしょう。しかし、自分自身が納得のできる程度のものであれば、誰でも簡単にできるようです。

 そこで、そんな方法をこのホームページサークルで、広めていきたいと考えました。
 現代社会において、いわゆる常識となっていること自体が、ちょっと歪(ひず)んでいるのではないかと考えたからです。報道などによって慣らされたために、一律に日常のことを当たり前と考えたり、とても素人にはできないなどと考えるのです。
 それは、現代の幼少時教育の結果なのです。誰にでもある可能性を自ら閉ざすような方法の教育が行われていることが問題なのです。そんなわけで、自分自身の可能性について、再認識をしていただきたいのです。

(注) 報道の価値やレベルについて考えると、放送側にも無責任なところがあるようです。
 報道の内容についての局自体の価値判断を言わず、ただ伝えるだけだからです。そのようにすることが、客観的な正しい報道だと言うようです。しかし、ニュースなどは時間に制限されて情報が伝えられます。いきおい、それが誤判断のもとになるのではないでしょうか。確かに大きな事件では、特別番組が組まれます。しかし、ふつうの場合は大小に関係なく一定の時間で報道されるのです。

 NHKのニュース時間に、「今日はとくにお伝えすることがありませんから、音楽を流しましょう。」などというのを私は聞いたことがありません。むろん、そんな日もあるはずです。すると、そのときの報道とは、いったい何でしょうか。
 いきおい、ニュースの焦点がぼけてしまう所以(ゆえん)です。「アメリカの大統領が暗殺された」ということと、「隣の猫が死んだ」ということを、不注意な人はともすると同じレベルで受け取ってしまうのです。

 幼少時教育についても、同じような心配がいえるのではないでしょうか。


 センスや素養の問題もありますが、ある程度のパターン標準作業を作れば、誰にでも小説が書けたり、を描いたり、作曲をしたりできるということが、実際に確かめてわかりました。そして、そのようなことを互いに自覚して、いつまでも若々しくあっていただきたいのです。

 おわかりいただくために、例えてみましょう。
 以前は、同時通訳や口の動きにまで合わせた吹き替えなど、「そんなことができるだろうか?」と思いました。しかし、最近のテレビなどではそれが当然のこととなってしまいました。初めはすごいことだとビックリしたことが、慣れてしまえば当然と思うようになるのです。
 ジェスチャに合わせたり、表情をもっともらしく見せたり、手足の動きなどを再現する言葉は、ある程度の基本がわかれば可能なのでしょう。

 ヴァイオリンの曲で、「チゴイネルワイゼン」という曲があります。サラサーテが作曲をした曲です。学生時代にハイフェッツの演奏をレコードで聞いて、何とも難しい曲だと思いました。ヴァイオリンの演奏が、特殊な技術と考えられていたからです。また、パガニーニは別としてヴィオッティから始まったイタリアの演奏家の系列が、連綿と続いていたからです。
 しかし、1年くらい前にNHKの「趣味の講座」で、若いふつうの女の子が上手に弾いていました。おそらく、演奏技術の学習方法などがカール=フレッシュの教則本などの時代から解放されて、マエストロでなくてもマスターできるようになったからでしょう。

(注) 親しくご指導をたまわった三橋傳三郎さんから紹介いただいた正木和三さんという方がおられた。ものすごく優秀で、しかも謙虚、また考え方も菩薩のような方だった。
 その人の場合。ピアノを習ったこともなく、また弾いたこともない。ご本人が言うのであるから、事実であろう。そんな状態であったが、公衆の前で演奏会をして難しい曲をそれなりに弾いてしまったという。私(黒田康太)は、「さもありなん」と考えた。

 後に『この世に不可能はない』という本をいただいて読んだからだ。その本のサブタイトル(副題)は、
    The Power of Mu 生命体の無限の力
となっていた。
 そして、「Mu」という言葉が含まれているのが、何とも神秘的であると思った。


 日常のことでも、慣れてしまえば問題がありません。
 例えば、私たちが「時速10万キロメートルで移動」しているということなど、誰も注意をしません。考えてみれば、長い歴史の中でそれに慣れてしまったからです。新幹線がせいぜい時速300キロメートルであることを考えると、時速100,000キロメートルは言葉通り桁違いに高速だということになるでしょう。

 生まれたばかりの赤ちゃんは、両手で鉄棒にぶら下がって、自分の体重を支えることができると言います。また、水中でも気持ちよさそうに泳ぎます。むろん、息を止(と)めていますが、溺れてしまう心配などはしていません。しかし、可能性を閉ざす幼少時教育をすることによって、懸垂さえできない子どもやまったく泳げないトンカチの子どもができてしまいます。

(注) 生命というのは、何とも不思議なものです。環境に対しても、かなり順応性が高い。
 私たちが絶対に耐えられないと考える高温や低温でも、大丈夫なものもいるらしい。海底噴火口の中や北極海の氷中にも、住んでいる生命体がいることを知った。そのようなことを考えると、人間はごく狭い限られた環境の中で生活をして、限定された範囲内でしか考えていないのではないか。


 競争社会において、「ダメだ」というような概念を早くから覚えてしまうためでしょう。そんな中で、自分自身の能力の限界を自分で決めつけてしまわない人は、レオナルド=ダヴィンチやモーツアルトやピカソのような能力を発揮することが可能かもしれません。
 最初に思ったことは、誰もがたいがい実際にできるでしょう。
 日常のことでも、慣れるまでが大変なのです。常識をくつがえした方法に慣れてしまって、抵抗がなくなることも多いようです。また、技術が急速に進んだために、一見不可能だと思われたことが実現することも多く見受けられます。

 この節の最後に、明治天皇の御製『述懐』(じっかい、正式にはじゅっかい)を掲げておきましょう。

    <かたしとて思ひたゆまばなにごとも なることあらじ人のよの中>

 その意味は、「難しいからと言って、しなければならないことを怠ると、人間の社会が成立しないのです。」と、私なりに解釈をしているのですが、……
 私たちは、それぞれに自分自身の「生きている証明」をしながら、その「可能性を失わない」ことが、大切なる所以(ゆえん)です。





いつまでも若々しく


 誰もが、いつまでも「若々しくありたい」と思います。すでに老いてしまって、身体の不自由がはっきりしてくると、ほとんどの人は心細く感じるようです。しかし、そうかと言って必ずしも各自の置かれた環境は、あまり好ましいものではありません。回りが、自分自身の希望とマッチしていないからです。

 また、高齢になると親しい友達が少なくなってしまいます。
 回りの人が、次々と死んでしまうからです。亡くなってしまうほどでなく、入院をしてしまったり、寝たきりになったりする場合もあるでしょう。私の文学の先生は、アルツハイマー病になってしまいました。
 お互いに気心のわかる人は、高齢になるとあまりいません。それぞれの人生観が異なるからです。そんなために、新しい友達はできにくいのです。多くの人がいる老人センターなどに入った場合も、結果的には同じことになるでしょう。
 つまり、いきおい老いてくると仲間が少なくなって、孤独になりがちです。

 そんな中で、自分自身の空間を作る必要があります。それをここでは「知的空間」と言うのです。
 それは、自分が「生きているということの証明」にもなるのです。
 つまり、私たちが呼吸をしたり、食事をするように、どうしても日々行わなければなりません。しかし、日々の生活にはムダやムリが多いので、どうしてもその焦点がボケてしまうでしょう。もともと、互いに「求められた」こと以外は、あまりしないほうがよいのです。つまり、誰からも「求められていない」ことをしないほうが、問題が起こらないのです。

 他人から、自分自身の存在が必要と思われたときに、問い合わせや要求があります。
 私たちは頭や脳を適度に使っていないと、次第にボケてしまうでしょう。回転をしていないと、機能が維持できなくなるのです。それはあたかも、自転車がペダルをこいでいないと停まってしまうのに似ています。
 しかし、そうかといって重い負荷をかけたら、機能がパンクをしてしまうでしょう。負荷を与えておく必要がありますが、それがあまり重くてもいけません。
 そんなわけで、軽い負荷を持続させるのがこの『青空のホームページ』の狙いなのです。

 ホームページブログを作っている人にアドバイスです。
 ホームページにしても、訪問者に読んでもらうというよりも、自分自身のための記録だと思ったほうがよいでしょう。そのように考えると、訪問者が少なくても気が楽になるからです。考えを切り替えて、自分のためのホームページ、さらにはメモや備忘録くらいの気持ちでいるのがよいでしょう。
 それは、ちょっと親鸞の考え方にも似ています。
 親鸞の時代に、いくら「親鸞一人のため」と言っても仏典はすでにあったものです。しかし、私が言っているのは自分自身の作った「ホームページやブログが自分のため」ということなのです。

 次々と湧(わ)きいずる思いを留(とど)めておいて、それを発展させていく技法が私たちの「回想創造法」なのです。つまり、「回想創造法」はイメージとしてのモチーフを少しずつ膨(ふく)らめていくことによって、「脳の活性化」を図る技法なのです。
 そのようにすると、結果的には「いつまでも若々しく」いられるのではないでしょうか。
 自分の可能性を確かめたい人は、この「回想創造法」を試してください。
 しかし、一般的には自分の可能性などを確かめたり、考えたりする人は意外に少ないようです。初めから、そのようなことはムリと考えて諦めちゃった人も多いことが原因でしょう。

 私たちの回りの社会状態がよくないということも、一つの事実かもしれません。テレビや電車の吊り広告などを見ると、目を覆いたくなるような多くの事件があります。そんなことが、最近になって世界的に広がっている傾向のようです。
 しかし、「社会が悪いから」といって嘆いても、自分がその中にいることは事実です。そこで、自分自身の気持ちの切り替えが必要になってきます。つまり、「心の持ち方」です。白いハス(蓮)は泥の中で育ち、やがて茎を伸ばし、水上で美しい花を咲かせます。百蓮華(びゃくれんげ)というのでしょう。そのように、自分もハスだと思えばよいでしょう。

 『正しい教えの白蓮』というくらいです。「いわれ」や「巧妙な手段」そして「たとえ」などを自分なりに用いて、自分自身のテキストを作っていく場が、このホームページであると思えばいいのです。
 大賀ハスは、3000年も昔の種子から発芽したといいます。そして、そんな長い眠りから覚めても、美しい花を咲かせ、後には蓮根(れんこん)を残すのです。

(注) 社会が「好ましくない汚辱した世界」だというので、それを避けて「隠遁」(いんとん)をする人もいるでしょう。
 昔(むかし)行われていた「出家」(しゅっけ)などもそうです。しかし、僧になっても大きな寺では、同じ煩わしさがあるようです。人間が集まるところだからです。キリスト教などでも同じで、内村鑑三は教団の内部のことを嘆いていました。
 そのことは、『基督信徒のなぐさめ』に書かれています。詳細は『仏教かキリスト教か?』を参照してください。
 さっき見た『修道士カドフェル』という連続テレビ映画も、そのような内容でした。

 ソーローの『森の生活』は、いわば体験テストのようなもので、社会から逃れたことにはなりません。むしろ、それは社会に対して売名をするために企画されたものでしょう。そうかと言って、鴨長明『方丈記』のように頑(かたく)なに徹底して、社会に対して拗(す)ねた態度はとりにくいものです。
 さらに、「アヴェロンの野生児」などの場合は仮に理想的であっても、自分自身で選択をしてその生活を求めたわけではないでしょう。


 そんな一生を過ごしたいと思いませんか。
 つまり、年齢とは関係のない「気のもちよう」の若さなのです。ちょっとウルマンの『青春』という詩に似ているかもしれませんが、……


 




ホームページを作る楽しみ、見る楽しみ


 ホームページを作るということは、自分自身が「まだ生きている」という証明。
 そして、それを少しずつ完成させていく。たとえ至らないものでも自分なりに文章や絵、そして音楽などの作品を完成させていくのは、何となく楽しみではないか。
 そして、志賀直哉とか尾崎○○がやっていたことや考え方を思い出す。(○○は伏せ字ではなく、忘れちゃったんだ)  しかし、「暇なときに小品の手直しをする」ことはともかく、私は「死を宣告されて、その2週間前にエンサイクロピディアの注文」などはしないだろう。せいぜい2年くらい前まで。
 そして、それが今の現状のようでもあるのだが。

 いろいろな楽しみがあります。
 橘曙覧(たちばなのあけみ)は『独楽吟』の中に、

    <たのしみはそぞろ読みゆく書の中に我とひとしき人を見し時

という短歌を残しています。
 そして私は、必ずしも書の中だけでなく、絵や音楽などについても同じ考えなのです。そして、さらにホームページの中でさえ、そのような楽しみを発見できるので驚きました。

 具体的な例で、そのことを示してみましょう。
 下記は、私が管理人をしている公開サイトに参加しているメンバーの方のホームページです。メールでご案内をいただきましたので、ここにご紹介をしても差し支えないでしょう。
(なお、下のアドレスは、公開メールから引用をしたので「>」が付いています。)

    > http://www5f.biglobe.ne.jp/~kimmusic/

 拝見をして、自分なりにいろいろな発見があって驚いたんです。そして、驚くとともに改めていろいろなことを学んだ次第。「我とひとしき人」を発見したとは思わないものの、ホームページの中から多くを学べる人と考えたからです。
 内容から、博覧強記の作者の知識に驚いたことは事実。しかし、その他に次のような些細なことも発見をしてうれしくなった。

(1) カットなどは、ホームページビルダーから利用している他に「いらそよ」さんのを用いている。
 それは、私が

    http://www1.ttv.ne.jp/~riko/owari.html

の「リンクの皆さま」に記したのと同じサイトなので、ちょっと驚いた。そして、使っているものが意外にも似ているので、さらに驚き。

(2) 全体に音楽系のホームページではあるが、「短歌集」や「詩集」などもあって、バラエティがある。
 さらに、学術論文などもあるのでなかなか満艦飾。商い、じゃなかった飽きないホームページ。

(3) 拝見をしたホームページにある
    (46)エチュード1「……自分で練習曲を作ります。」
    (21)風のワルツ
そして
    「十二音技法」
などは、たまたま大岩さんの「レクイエム」を作ろうと考えていたところなので、大いに参考になった。
 ただ、「十二音技法」は「Internet Explor」にある「文字のサイズ」で、でっかくならないので眼の悪い私には細かく見ることはちょっと無理だろう。

 なお、大岩さんのレクイエムは「風の協奏曲」というので、独走楽器にギターを使って、アラフェンスなどよりも効果的に使ってみたいと考えたのだが、……
 しかし、何となく面倒になって、途中まで下記のとおり計画したものの進んでいない。

    http://www.geocities.jp/rikwhi/nyumon/bangaku_guiter.html

    http://www.geocities.jp/rikwhi/a3_ongaku/guitar_image.html

 つまり私は、まず基本的な「ギターの技法」を勉強して、次に「作曲技法」を学ぶ。そして、それから考えていることを実現するという計画。いわゆる「泥縄式」なのである。
 生きている間(あいだ)に、間(ま)に合わないかもしれない。なかなか根気がいるので、大変。

 その他、紹介をされたホームページを見ていると、いろいろな発見があって面白い。


 




ヌルヌルはもういや!(弁解)


 やっていると、いろいろな問題に出会います。何となく、弁解がましくてすんません。
 何も知らないままに始めたこのホームページですが、最初に文章だけを書いておいて、後で画像を入れたり、様式を整えていこうと考えました。

 しかし、


    健康のページ
    老けないために
    安心立命とは?


などは容量がかなり大きくなってしまい、ホームページビルダーで編集をしようとすると、カーソルがヌルヌルと動いて、リターンキーを押しても数秒の後れを生じてしまいます。そんなわけで、文章の修正には一苦労。まして、インプットはすでに我慢の限界ギリギリです。

 プロバイダから借りているホームページのエリアは、まだかなりの余裕があります。さらに、画像などを送ることも可能でしょう。しかし、もしも大きなページに画像を貼り付けたら、編集作業がなかなかできません。つまり、画像を含めてスクロールしようとするとぐずぐずと画面が断続的に動いてしまうのです。
 詰まるところ、ホームページを作成するもともとの編集作業にいろいろと問題が発生をしているのです。そんなわけで、パソコンの性能を上げることも考えざるをえません。

 いくつかのページでは、「図を入れる」ことが事実上ぼつぼつムリな編集上の大きさになってしまったのです。やはり、一つのページをほどほどに小さくしなければならないのでしょうか。
 もっとも、見るときは「Internet Explorer」のお陰で、スイスイとまではいかなくても、何とか見れるようですが、……

 また、ハイパーリンクなども面倒な作業になってしまったので、そのままにしています。私は、「検索」を用いて該当箇所を求めますが、訪問をしてくださる方々はホトホトうんざりしてしまうでしょう。

 現在DELLの「DIMENSION 8400」を使っていますが、ホームページビルダーを使うのにはとうとう役不足になってしまったようです。なぜならば、「Internet Explorer」で見るときはプロバイダの高性能機との通信によっているが、ホームページビルダーで編集をするときは自分のパソコンのメモリとハードディスクを使うからです。
 そして、メインメモリの不足する部分は、ハードディスクを用いて仮想空間を作成しているのではないでしょうか。いずれにしても、ハードディスクのアクセスタイムに束縛されてしまうのは致し方ないことです。

 むろんここで、クレイ社のスーパーコンピュータでも導入したら問題は解決するでしょう。しかし、私には予算の関係や技術的な問題があって、そんなべらぼう(篦棒)な途方もないことはできません。また、そもそもする意味もないんです。
 したがって、現在のパソコンを市販の新しい高性能の機種に交換したら、全体を通して編集をしなおすつもりです。それまでは、暫定的にどこかのページに置いておこうと考えました。

 そして、近いうちに高性能の機種を入手したら、ドンドン作り直しをしようと考えています。
 それまでの仮に置いた場所が、どこかにあるでしょう。また、なかなか考えたように進まないページのモチーフが、たまたまそこに置かれているのです。大きくなって、ほとほと面倒になった一時しのぎですから、まったくおかしなページになっちゃいました。
 そんなわけで、あなたが見てくださるときの都合というのではなく、せっかちで飽きっぽい私の都合で、インプットがノロノロしてしまわないための事情です。よろしく、ご勘弁を。

 なお、ドイツ語をご存じの方には、ちょっと失礼をします。
 「ヌル(null)は、ゼロとか無というような意味。
 そして「ヌルヌル(NullNull)」は、トイレのことなんです。公衆便所やホテルのトイレットに「00」と表示されていることから、ドイツではそう言うのです。
 ついでながら、「ホト」は日本語で、「陰」と書き女性は「ヌルヌル」で、そこを……
 何となく、助平がましくてすんません。(^_^;)


 




作品に関するおことわり


 このホームページや関連ページにある作品は、どちらかというと「素人の作品」です。
 つまり、「青空ライブラリ」には『方丈記』や『徒然草』などのような作品が置かれてはいますが、ふつうのページには、私たちが作ったものもかなり含まれています。

 とくに、「青空の創作のページ」にある作品は、皆さんがお寄せくださったものです。そしてまた、管理人が「試み」に作成をしたものも混ざっています。

 そこで、最初に少なくとも管理人の立場を「おことわり」しておくことが必要になるでしょう。
 実は、このホームページの管理人(黒田康太)は、いわゆる文学者でも音楽家でもありません。まして、絵や彫刻など美術に関しては正直のところ、ほとんど経験がないのが事実です。つまり、芸術に関しては素人(しろうと)の域を出ていないんです。

 でも、高齢になって職を必要としなくなった人たち、つまり私のような年金生活者も含めてですが、そんな人たちの「日々の楽しみ」を追究するために、さらに大げさに言うなれば「生きている証明」をするために、ガイダンスのようなコースをホームページに作ろうと考えました。

 その結果、まず「隗より始めよ」で自分自身がやってみたのです。
 繰り返しますが、私は社会人であったころは技術系の仕事をしていました。つまり、エンジニアです。そんな意味で、若いころは技術系のことしか勉強をしなかったのです。ですから、文学の勉強や油絵、そして作曲などは遅蒔きながら50歳代から始めました。

 したがって、ここには皆さんの見本となるような素晴らしい作品はないでしょう。しかし、誰でもやれば「ある程度はできる」のだという証明にはなったのではないでしょうか。
 また、そんなことで「日々の楽しみ」が増えるのではないかとも思った次第です。






文章について

 文章は構文が幼稚であっても、内容がわかりやすいことを旨としました。
 また、「である調」や「です・ます調」、そして「だ調」などが混ざっています。さらに、ぶっきらぼうで言い足りない「体言止め」などもあります。私が、あまり文章の格式を重んじなかったからです。また、書いた時期がずれていることや後で書き加えたことなども理由でしょう。
 本当は、その都度いちいち検討をしなくてはいけないのですが、そのままになっているところがほとんどです。
 とくに、他の文章を引用をしたから、語調が異なっているわけではありません。
 見苦しい限りですけれど、どうぞご勘弁ください。





写真や画像について

 写真は、最初のころはすべての画像を「2272×1704」ピクセルで撮って、それを「Paint Shop Pro」で、小さく切り出していました。しかし、2010年7月12日(月曜日)以後は、デジカメを交換して「640×480」(VGAのノーマル)で撮るようになりました。そして、それを同じく「Paint Shop Pro」で加工しています。
 手振れがあったり、技術的に未熟な作品が多く、恥ずかしい限りです。曇った日に写した写真などは、空の色と建物の屋根の色とが同じになってしまい、境界がはっきりしません。おそらく、「Paint Shop Pro」などで修正もできるのでしょうが、方法がよくわからないので、そのままになっています。

 また、写真に写った個人の方の目隠しやボカシなどもしていません。やはり、面倒なのと方法がわからないからです。そんなわけで、個人情報に関する苦情があったら、その時点で何とか対処をしようと考えている次第。

 なお、「Paint Shop Pro」による加工は、
(1) 原画の縮小
(2) トリミング
(3) 全体の角度調整
作業くらいしか、行っていません。
 そんなことをご理解ください。





記述の間違いなどについて


 このホームページは、当初の計画に基づいて私(管理人)が作成をしました。
 浅学のために、記憶違いなどもあるでしょう。いわゆる図書の出版とは違って、編集者がいません。そんなわけで、誤字脱字なども多く見受けられます。つまり、有り体(ありてい)に言えば、まだ完成をしていない文章なのです。
 また、編集者がいないと文章が主観的になって、どうしても筆禍(ひっか)を起こしやすくなることも事実でしょう。私は、無頓着というか無神経なところがあって、立正大師がなさるほどではありませんが、自分の意見に反する人の悪口(あっこう)や悪態(あくたい=憎まれ口)を書くことがあるので心配です。
 前の文章の下線を施した部分などもそれで、本当は記述自体をやめておいたほうがよいのかもしれませんね。

 また、タブーとなっている宗教の問題についても、敢(あ)えて私論を試論として述べた部分があります。さらに、私の個人的な仮説を断りなしに平然と述べた箇所もありましょう。経験のないことや自分でもわからないことを言っているのです。
 例えば、死後の状態などについては未経験でありながら、自分自身が信じていることをそのまま書きました。
 その反面では、例えばアポロニウスイエスが当時の人々の造りあげた人格ではないかと疑ったりもしています。むろん、資料には幾多の改変がなされて記録文書として残っているでしょう。しかし、私は原点に戻って、例えば「イエスはアポロニウスの投影ではないか?」とさえも、「仮説として私論」を展開したいのです。学問的な裏付けが、まだまだ不十分のままに……

 さらに、長期間にわたってインプットをした内容ですから、互いに記述が食い違っているような箇所があるかもしれません。つまり、作成をした時期が異なるので、その間に考え方が変化をしたり、成長をして前後で互いに「矛盾をする箇所」が生じたのです。

 そんな未熟な内容なのですが、厚かましくもインターネットに接続をしてあるのです。
 それは、とくに「多くの人に読んでもらいたい」というような主旨ではなく、プロバイダと常時接続でつながっているので「自分自身の操作がしやすい」ということ。なぜならば、自分のパソコンでホームページビルダーを使った疑似サイトにすると、検索なども非常に遅く、ファイルが大きいために操作自体もヌルヌルとまどろかしいからです。それをインターネット上で行うと編集はできないものの、検索などは驚くほど早い。

 例えば、「モーセ五書」をすべて読み込んで検索をする作業は、現時点の私のパソコン(DELL DIMENSION 8400)では、かなり厳しいようです。そのようなことは、自分自身のハードディスクを仮想記憶として用いるオフライン作業では、いくらがんばってもムリでインターネット上でないとできないことでしょう。

 また、大きな文章をいじくりまわしていると外部リンクは大丈夫ですが、内部リンクつまり「ラベルを付けた部分」へのハイパーリンクが崩れてしまうことがわかりました。そんなために、大きな文書の研究はインターネット上でないと困難なのです。
 つまり、自分自身の都合で未完成のみっともないホームページをあつかましくもプロバイダにアップロードをしてあるのです。

 ここでは、「何を知っている」とか「誰がどうした」などというテーマよりも、むしろ私が実際の直感で感じ、自分自身で納得した記述が多いのではないでしょうか。その際に、学問的な裏付けや科学的証明などをあまりしていないんです。したがって、いきおい無責任ともとれる内容があるかもしれません。
 さらに言うと、未経験なことを平気で書いてある箇所もあるでしょう。

 全体的に、何となく子供だましで詐欺(さぎ)まがいや騙(かた)りのようなテーマがあるかもしれません。例えば、「死後」の世界についてです。正直に言うと、私はまだ一度も死んだことがないのです。したがって、その体験もありません。
 そんな事情のもとでも、これから私が死ぬということは確実なんです。そこで、いわゆる自分自身への心がけというか準備というか、言うなれば「死に対する準備教育」を考えているのです。

(注) 誤解をされると困りますので、ここにちょっとコメントをしておきましょう。
 私(黒田康太)は、いわゆる「死後の世界」があるなどとは考えていません。死んだら仏典の『十王経』にあるような方々が待ち受けていて、「これでもか、これでもか」と苦痛を与えたり、聖書の『ヨハネの黙示録』にあるような「奇想天外の恐ろしい世界」などは信じません。また、天国地獄、そして丹波哲郎さんが言っているような大霊界などは、まったくバカバカしいと考えています。

 私が言いたいのは、いわゆる「」(たましい)は「エネルギーの一種」で、ある人の場合は「肉体が死んでも、意識が残る」のではないかという心配です。杞憂(きゆう)かもしませんが、私もそうあるんじゃないかと恐れているのです。
 プラトンパスカルたちも真面目に考えたのですから、もしかしたらそれが我々に隠された現実かもしれません。
 そしてその結果、その変化をしたエネルギーが丹波哲郎さんの映画のような感覚を潜在的な意識に呼び起こすのではないかと思うのです。場合によっては、「自分が死んで横たわっている状態」を上のほうから自分で眺めたり、「焼き場で焼かれる」ことを自分自身の身体が知覚したりするとうような心配が大きいのです。

 魂が「エネルギーの一種」であって、形は変わってもまったくの「無」にはならないということについては、別のところで説明をするでしょう。また、世間の常識とは異なって、ヒトの「」が実際には恐るべきものであることなどについても、このホームページの別な箇所で、改めて説明をしています。


 仮説や独りよがりの考えもあって失礼もあるでしょう。自分だけの考えを厚かましく述べるのは勇気のいることです。しかし、内容を隠しているわけではありません。むしろ、『立正安国論』ではありませんが、私の場合は「健康」と「老化予防」と「安心立命」について間違った考えを警告しているのです。大げさに言えば、国家を始め、錯覚をしている国民を覚醒させようというほどの意気込みなのです。
 また、経験不足のために、間違った記述もあるでしょう。また、生来の魯鈍な性格のために、錯覚をしていることも考えられます。どうぞ、そのようなときはご教示をお願いいたします。





小さい文字の部分について


 本を読んでいますと、本文よりも小さい文字で書かれた部分があります。
 それは、ふつう「フットノート」とか「脚注」などと言われます。言葉通り、そこに置いた「注」や「解説」なのです。その都度そこに置かないで、番号などを記しておいて巻末にまとめて記述する場合もあります。
 このホームページの中にも、「小さい濃紺色の文字」で記した部分が多くあります。
 例えば、

(注) ここに書いてあることは、ふつう本文の覚えや説明、さらに関連事項などです。しかし、細かいことが多く、最初にお読みになるときには、冗長の度が過ぎるでしょう。
 そんなわけで、お読みになる必要はありません。
 しかし、とくにその箇所に秘密のことが書かれているわけではないので、目のよい人と時間のある人がお読みくださるのは、一向に差しつかえありません。


などのようにです。
 しかし、このホームページでは「フットノート」や「脚注」の範囲を大きく逸脱して、単に「メモ」や「覚え」のような箇所もあります。なぜならば、このホームページ全体が「老化予防」の試みとして「回想創造法」を実施しているからです。
 そんな次第ですから、どうぞその部分は読み飛ばしてください。

 ついでながら、漢字のあとにカッコを付けて、
    漢字(かんじ)
などのようにして振り仮名を示した部分があります。
 それは、その漢字の読み方を「老化予防」の確認のために明示したり、自分自身の覚えとした箇所なのです。ですから、お読みいただく人が読めないだろうなどと考えて、わざわざ振り仮名をつけたのではありません。
 また、本来ならば横書きのときの振り仮名は、漢字の上に小さい文字で付けるべきです。ルビというのでしょうか。しかし、その作業が面倒なので、このホームページでは漢字のすぐ後にカッコを付け、その中に示しました。

 このホームページを構成する「健康のページ」やその他「創世記」などの各ページの本文がとめどもなく大きくなってしまい、中にはすでに私のホームページビルダーでは、編集作業が不可能に近くなってしまいました。テキストが大きいために、編集に時間がかかってしまうのです。
 つまり、論理的にではなく物理的にムリが生じてしまいました。操作面でも「Enter(リターン)キー」を押しても、ヌルヌルとした動作で、ふたたびカーソルが表れるまでに数秒もかかってしまうのです。

 そこで、別の他の新たなページにいったん書いて、後でまとめて入れた部分などもあります。
 とにかく、思うような形で編集ができなく、何となくムダな方法で構成された現在のページがご覧いただいているものです。
 また、小さい文字の中には、本文に関係する記述を「仮に併記・追加」したような箇所もあります。そして、そのような場合にも、自分自身の覚えとして「小さい濃紺色の文字」にしました。
 むろん、単に旁註(ぼうちゅう)として添えた部分もあるでしょう。
 しかし、それでなくてもダラダラと長ったらしい本文ですから、最初は読み飛ばしていただいたほうがよいかもしれません。

 いろいろと考えているうちに、思い出したことは関係本文の下に、その都度いったんメモっておきます。なぜならば、そのようにしておかないと忘れてしまうからです。それでなくても、度忘れ思い違いがあって、もしかしたらアルツハイマー病の初期状態ではないかとも恐れている昨今なのです。そんなときには、少しでも記録をしておいたほうがよいと、誰もが考えることでしょう。
 つまり、自分の知って記憶をまとめておくことは、「老化予防」になったり、「アルツハイマー病の防止策」になると考えたからです。

 なお、最初のころは全体のホームページから参照できるようにと「語句・人名などの覚え」というのを別個に作っていました。そのようにすると、どこからでも共用して、簡単に見られるからです。しかし、最近になっていちいちそこに記述するのが面倒になり、該当箇所の後に小さい文字で書くようになったのです。
 以上のようなことも、よろしくご理解ください。





最後にご注意とお願い!


(1)
 このホームページは、まだ一般には公開をしていない暫定版(ベータ版)です。
 したがって、内容の一部には未完成の部分や試行・検討中の箇所が含まれています。また、ジャンプなどのハイパーリンク指定がない部分があることも、お断りしておかなければなりません。(このホームページは、利用してくださる皆さまの意見を反映しながら、完成を目指しています。そのために、製作途中のベータ版の状態でサービスを開始しました。ハイパーリンクの不備な箇所は、ご面倒でも検索やスクロール機能をご利用ください。
 さらに、一部の機能で不具合が発生したり、今後追加や削除される部分があることも、どうぞご承知ください。)

(2) このホームページは、現在行われている「健康や生活習慣」について、世の中に警告をしようとして始まりました。また、「健康や生活習慣」などについて非常識なことがらや間違った考え方について批判をしたり、是正をすることが使命であると考えたのです。
 そのような次第で、このホームページは「健康に関して訪問者にお節介」をしたり、「健康について訪問者の不注意を警告」したりしました。つまり、「誰でもちょっと注意をすれば、大きな病気にならずにすむ」と声をかけたり、また「『理工式健康法』を忠実に実行したら、身の健康が保たれる」などと、辻説法をしようとしたのです。

 つまり、その方法は常不軽菩薩(法華経)や立正大師(日蓮)などがなさったやりかたなのです。また、近くは桜沢如一及川裸観のような活動をしたいと思いました。
 しかし正直に言うと、自分自身がすでに若い時代から壮年時代のムリと無知のために、病膏肓に入っていた状態なのです。そんなわけで、私の問題も含む切実な提案でした。

(3) なぜ行脚辻説法などを考えたかといいますと、あまりにも「健康を考えている人」が少なかったからです。
 市の文化団体として、私たちの健康会を編成して、スタートをしたときのことです。
 最初、市報の記事を見て、十数人の方々が集まりました。それはいいんですが、その時点で健康と言える状態の人は、3人しかいなかったんです。つまり、ほとんどの人がすでに身体のどこか具合が悪いという状態でした。そして、それらを治したいという考えで、健康会に参加をしたのです。

 私たちの健康会では「病気を治す」ことはムリで、病気にならないように「予防をする」というのが基本的な活動方針です。そしてそのためには、「病気になる前」に「健康を考える」必要があります。いったん病気になってしまうと、病院に行って治療を受けなければなりません。放置しておいても治ることもあるでしょうが、現代の病気は「悪化をしてしまう場合」が非常に多いからです。

(4) このホームページは、あまりデザインなどにこだわりませんでした。
 ですから、何となく見た目にはやぼったく、素人が作成した感じです。しかし、それは当然のことでしょう。なぜならば作り始めたときに、管理人が技術的に未熟だったからです。そんなわけで、とにかく取りあえず用件だけを述べればよいと考えて今に至ったのです。

 ホームページ完成時の大きさ約5ギガバイトのうち、現時点で1.5ギガバイト程度を作成し、そのうち約1ギガバイトを未校正のままプロバイダにアップロードしたところです。(2005.03.10現在) 現時点では、プロバイダ全体で1ギガバイト5メガバイト(1,005MB)しか、契約容量がないからです。
 その後、プロバイダのサイトを増やし合計で5ギガバイトにしました。(2006.03.01現在)

(5) そんなときに、皮肉にも管理人がダウンをして(2006.06.19現在)、計画がまったく挫折をしてしまいました。管理人は高齢のために、比較的新しいシリーズの「スタートレック」に出てくるブルーほどではないにしても、身体の外部にパイプの付く障害者になってしまったからです。
 そんなわけで、少数ではありますが親しく訪問をしてくださる方々から、とくにお問い合わせがあった事項について、個別に回答をさせていただく方式にしました。(2006.08.06現在)

 したがって、本文中に未校正の部分があったり、いわゆるメモ書きの仕掛かり部分のあることをお許しください。つまり、現時点では「まだ文章が整っていない箇所」や「思い違いの記述」がかなりあるのではないかと、心から心配をしていることも事実なのです。

(6) ここのところ、ご利用者があまり多くないので、全体をほぼ2ギガバイト前後の大きさに縮小しました。(2006.08.12現在)
 「健康」に関する内容ですから、「100人に一人ぐらいの割合」で「一年間に1回くらい」は、何らかの形で見てくださるのではないかと考えました。最初は、1年間で1000000人(百万人)くらいの訪問者を見込んだのですが、実際のカウンターでは最初の1年間で10000人(1万人)ほどしかありません。

 つまり、実際にやってみると、「計画の100分の1」くらいにしかならなかったのです。そんなわけで、気負い込んでいた反動もあって、何となく「犬の遠吠え」のような感じがしたり、効果のない「取らぬ狸の皮算用」のような空しさもあって、つい投げ出してしまったことも事実でしょうか。

(7) さらに今年(2006年)に入ってから、開始当初からの協力者を次々と失ってしまいました。
 私が Windows を始めるときから、多大な技術的ご指導をたまわりました大岩先生が亡くなりました。また、NPO法人化をして組織を確立しようとおっしゃった田中氏も亡くなってしまったのです。したがって、ホームページの再構築もできませんし、安全な食べものを共同購入するための計画などは、もはや不可能になりました。

 何となく船長を失った船のような感じで、どのような航路を進めばよいかさえもわからなくなってしまった次第です。
 そこで、『方丈記』にながあきら(鴨長明)ががうなみさごのことを言っているように、私は自分自身の身の程に合った大きさがよいと考え直したのです。むろん、かつて考えたように全国を行脚して健康に関する広報などを行っていこうとなどいう計画も、もはやとてもできないでしょう。

(8) リンクについて
 この『RIKOホームページ』は、リンクフリーです。
 リンクをしていただくときは、なるべくトップページからお願いします。なぜならば、後で技術的なトラブルが生じないようにするためです。その理由については、「プロローグについて」をご参照ください。

 なおリンクをしていただくときに、下記バナーを利用していただいてもかまいません。

  URL は http://www1.ttv.ne.jp/~riko/ です。

(9) このホームページで利用したソフト

 このホームページで作図に用いた用ソフトには、

  CAMEDIA Master(OLYMPUSデジカメ付属)  Quick Time Player(齣切り出し・Flash原画作成
  水彩LITE(下絵・構図作成) ペイント  Paint Shop Pro
  Flash MX  FlashMaker 2 IrfanView(透過GIF作成とムービーチェック
  ウェブビデオ スタジオ(ホームページビルダー付属)  HotMedia クリエーター(
  Windows ムービーメーカー  六角大王 Super 4  DOGA−L1 L2 L3
  ウェブアニメータ(ホームページビルダー付属)  @フォトレタッチ(FMVパソコン付属

などがあります。
  また、音楽関係の作曲や演奏に用いたソフトや、音声読み上げに用いたソフトは、
  Cube Music(試作とパート譜の作曲用)  Music Studio Producer(M IDI 作曲と演奏用
  Finale Note Pad 2003(主に楽譜浄書用)  Music Station(音楽ファイルの拡張子変換用
  サウンドレコーダ  おしゃべりノート(富士通音声読み上げ
などです。
 なお、ホームページ自体の作成とサーバに転送をしたソフトは、
  ホームページビルダー Word(一部のページ
  FFFTP ファイル転送プログラム(ホームページビルダー付属
を用いました。
 それぞれの作者や作成メーカに対しては、大いに感謝をしています。
 なお、利用したソフトに関する補足的な説明は ここ をクリックしてください。

(10) 著作権と著作権者について

 このホームページの著作権については、ここ をご覧ください。
 また、このホームページの著作権者(作者)については、ここ を参照ください。







 
 rik(リック)

Kuroda Kouta (2007.01.12/2010.09.09)