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  こころの平安を確立するために!

 自己福音書


 このページの内容

     自己福音書とは?
     『カメレオンを飼う女』
     『パンダのぬいぐるみ』
     『ムンクのマドンナ』
     『嬰ハ短調の曲』
     『セレナーデ』
     『電気機関車』
     『カンムリバト』
     『食用がえる』
     『すっぽん』
     『水棲人』
     『黒い革袋』
     『小 石』


 自己福音書とは?

 自己福音書とは、「こころのやすらぎ」を得るための一つの方法です。
 やってみて実に簡単に、それが成就したので私も驚いています。
 なぜならば、それ以後はほとんど迷いがなくなったからです。雑念が失せたと言ったらよいのでしょうか? つまり、前々から考え方の確立が必要で、それができなかったからではないでしょうか、……

 何となく「新約聖書」にある福音書と名前の感じが似ています。最初「共振福音書」としようと考えたのですが、「共感福音書」と紛らわしいので「自己福音書」にしたのです。もちろん、その場合でも「福音書」は「幸福の音信(いんしん)を書、つまり物語にした」という意味です。
 いろいろと考えて作ったものですが、不慣れなためになかなかうまくはできませんでした。

 なお、「自己福音書」という名称です。
 むろん、当初からそのような言葉は他にあまり見あたりませんでした。
 Googleで検索をすると、137件ほどあって上位3つがこの関係です。そして、他の134件もほとんどが、ここで命名をしたもののようです。(2007年9月19日現在)
 ただし、インターネット上のものだけです。学会などで発表をしても、ホームページやブログになっていないものがあるかもしれません。




 「自己福音書」の内容は、実際に皆さまが作成するときのモデルとして見られるように私が簡単な製本をし、多摩市立図書館に置きました。多摩市、稲城市、日野市の方々は簡単に借り出しができます。それ以外の方は、その地区の図書館を通じて、借り出しができるようです。
 どんなものができるかを確認したいときは、どうぞご覧になってください。

 図書館から借り出すときは、
    黒田康太(くろだこうた)作『現代お伽草子(一)』
と言ってください。
 自費出版をしたものですから、発行所はありません。

 また、シリーズ(二)以後は「自己福音書」のセミナー(高齢者養護ホームなどで行う)における皆さんの作品を収録して、完成をしていく予定です。
 しかし、現時点(2005年3月)ではまだ計画中で完成はしていません。
 おそらく、私の寿命などを考えると、それはもう無理でしょう。
 もしも、あなたが作ろうというのでしたら、どうぞあなたの名前で、あなたの責任でやってみてください。
 アドバイスは、できる範囲でいたしましょう。


○「現代お伽草子」シリーズ


 現代社会における人間模様を軽快なタッチで描き出します。
 また一方では、古めかしいことも今風に解釈して、若向きの興味ある話題にしあげます。むろん、奇妙な味わいのあるテーマや、こころの翳(かげ)りを浮き彫りにした内容などを多く含んでいることでしょう。
 つまり、現代人のこころの奥に潜んでいる残虐性や、自暴自棄などの葛藤を鋭く描き出すのです。
 それは、ちょっとばかり「現代聊斎志異」「現代百物語」「現代風土記」といったような感覚。
 そして、そこにはある程度、SF 的・ポルノ的な要素も効果を考えて入れるとよいでしょう。

 「乞食物語」シリーズでは、社会生活に対応ができなくなったホームレスたちのものの見方・考え方を借りて、鋭く一般の人間を諷刺します。そこには『古事記』のような、おおらかな男女のとらえかたがあるようです。
 さらに、死後の世界(ハーディス)なども話題として考え、さまざまな角度からテーマを展開していきます。
 ここでは、ホームレスを主人公にするので面白い展開ができるでしょう。(しかし、ちょっと特殊な立場なので読者が感情移入するほどの興味をもってもらえるかどうか疑問。)

 人間が美しい着物を着たり、おいしいものを食べ、大きな邸宅に住みたいということに対する間接的な批判をするのも面白いと思います。衣食住に関する思想展開。隠遁者の生活など。

 ここでは、さらに聖フランシスコなどの思想を、乞食のキャラクタモデルとして見たてる計画です。
 これらのモチーフや断片をつなぎあわせていく。そして、「人はなぜ生きるか」という基本テーマを執拗に反復する。
 しかし、各作品は互いに独立して、いちおう個々の短編としても単独に成り立つような形に整理しておきましょう。
 連続したテレビ放送などのオムニバスとしても通用できる内容とし、さらに各編ごとに、短編として文学的にも価値のある作品にしたいんです。

 「夢」シリーズでは、他愛のないことでも別の角度から見るときに、意味深長になるような話題をとりあげます。
 漱石『夢十夜』、カフカ『短編集』、フロイト『夢判断』、芥川竜之介『河童』『侏儒の言葉』などと似た感じや、イメージになるでしょう。しかし、それらとはまったく異なった観点からの記述なのです。

 『聊斎志異』や『雨月物語』などに類似したテーマや非現実的な内容のものも、このシリーズに入ります。
 したがって、SF 的な内容や怪奇小説的な内容も含まれるでしょう。さらに、幻想的なもの、エロチック、グロチック(という言葉はあるかな?)なものも含まれます。
 そしてそれらは、近未来のストーリとしてまとめあげられる場合が多いようです。

 その場合、物語を「現在の時代を振り返る」という技法で記述するのも面白いでしょう。
 つまり、未来から振り返って見ると「現代は未来に希望をもった明るく意欲的な時代」でもあったわけです。また、人間の「生存競争が激しく、競争を好んだ活発な時代」でもあったということになります。
 それに反して近未来では、もはや「その未来に対しては、希望をもつわけにはいかない」事情になってしまっているのです。また、競争などの行為がまったく無意味であることを知ってしまった時代でもあるでしょう。

 それぞれの作品は、一連のオムニバスで使われるようになってはいるが、単品としても文学的な味わいをもたせるようにしたいと考えます。
 ここには、いちおう自己福音書としてまとめた『現代お伽草紙(一)』を示しておきましょう。
 どうぞ、あなたも「あなた自身の自己福音書」を完成させてください。


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 『カメレオンを飼う女』

 この作品の朗読(約12分)が必要なときは、画像の下にある右向き三角をクリックしてください。
 本文を見ながら、「Windows Media Player」などで音声を聞くことができます。もしも、「Windows Media Player」などが画面上でじゃまになるときは、最小化をしてください。また、音声を停止するときは、「Windows Media Player」などを閉じるとよいでしょう。
 この『自己福音書』シリーズ12編は、多摩市朗読グループ『繭』の谷 令子さんにお願いをしました。
 ここに、幸野尚子グループ代表のご指導とともに、谷 令子さんのすばらしい朗読に感謝の言葉を述べさせていただきます。
 なお、朗読をしていただいた文章は初稿のものでしたので、このページにある作品とはわずかに異なる箇所があります。決して谷さんの読み間違いではありませんので、念のために申し添えます。



 ここでは、人間関係が変化していく状態を冷静に観察するのがねらいです。
 わかりやすくするために、人と人ではなく、若い女性とペットとして飼った動物でとらえています。
 自分の思っていることが相手に伝わらなかったり、誤解をされたりすると、思わぬ方向へ事態が進んでいくということを暗示しているのです。
 小説を書くなどという体験のない元エンジニア(私のことです)が、それでも

     カメレオンを飼う女

としてまとめました。
 なかなか、思うようにはいきませんでしたが、……


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 『パンダのぬいぐるみ』

 この作品の朗読(約11分)が必要なときは、画像の下にある右向き三角をクリックしてください。
 本文を見ながら、「Windows Media Player」などで音声を聞くことができます。もしも、「Windows Media Player」などが画面上でじゃまになるときは、最小化をしてください。また、音声を停止するときは、「Windows Media Player」などを閉じるとよいでしょう。



 人間であることをやめてしまった男のことが書かれています。
 いったい何のために私たち人間は生きているのでしょうか?
 そんな他愛のないテーマが、安心立命というか自己福音書として作品にならざるをえなかったんです。
 パンダは獰猛な動物なのでしょうか? どうも上野動物園で見たり、テレビで見たりする限りでは、のろのろと鈍く、むしろナマケモノの仲間のような気さえするんですが、

     パンダのぬいぐるみ

として、一つの作品にまとめてみたんです。


 本文には書きませんでしたが、彼は、かつて父が満州のことを話していたことを思い出したりして、ふと中国奥地を想像したりもするようになったのです。そして最後には、むしろ人間の生活はあまりにも複雑で無駄が多いゆえ、パンダでもよかったとさえ考えるようになったのです。

 また、人間社会には生存競争が多すぎることも問題だったようだ。
 そしてパンダになってから、つくづくとかつての自分が愚かであったように思うのだ。そして、ふと過去にヨーロッパでサンガー夫人らが提唱をした産児制限の問題まで行っていることを思い出した。
 出来のほうはともかく、何となく恐ろしい内容ですね。(自分で作りながら、……)


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 『ムンクのマドンナ』

 この作品の朗読(約11分)が必要なときは、画像の下にある右向き三角をクリックしてください。
 本文を見ながら、「Windows Media Player」などで音声を聞くことができます。もしも、「Windows Media Player」などが画面上でじゃまになるときは、最小化をしてください。また、音声を停止するときは、「Windows Media Player」などを閉じるとよいでしょう。



 ムンクのマドンナは、数枚あります。ここで言っているのは、その中の一枚、……
 それは、とくに愛着のある絵なんです。美術全書やコピーで見ていたのですから。
 いろいろと若い時代には、貴重な経験があります。
 そんな経験をごっちゃに混ぜて、それを漉して(こして)みたのが何となく落ち着いた現状のようです。それなりに、形が整ったからでしょう。そんなことを

     ムンクのマドンナ

として、1本の短編小説にしました。
 文学的な価値よりも、自己福音書としての価値を求めたものです。


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 『嬰ハ短調の曲』

 この作品の朗読(約12分)が必要なときは、画像の下にある右向き三角をクリックしてください。
 本文を見ながら、「Windows Media Player」などで音声を聞くことができます。もしも、「Windows Media Player」などが画面上でじゃまになるときは、最小化をしてください。また、音声を停止するときは、「Windows Media Player」などを閉じるとよいでしょう。



 ベートーベンのピアノソナタで「月光」と言われている曲です。
 嬰ハ短調は#(シャープ)が4つですが、黒鍵の位置のために弾きやすくなります。一楽章は緩やかですし、二楽章はスケルッオで簡単です。ただ、フィナーレは早いのでちょっと大変でしょう。
 上の図は、間違って逆向きになったんじゃないです。シェークスピアにあるオフィーリアの図のように、向きの効果を考えているんです。それは、ともかく

     嬰ハ短調の曲

として、何とかでっち上げました。

 桜が丘の素敵なピアノの先生をイメージしたのですが、その後うかつにも喧嘩をしてしまいました。
 下の写真は、モデルになった堤防です。現在は、先端で右に曲がって病院に作業用の車が入れるようになっています。しかし、当時は行き止まりになっていました。川は少し行ったところで、多摩川に合流しています。




 この堤防の少し手前右側、つまり右岸に病院があります。この病院も、当時はまだ木造の建物でした。病院の上部には、「桜ヶ丘記念病院」と書いてあります。また、左の青い標識にある文字は、「大栗川」。




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 『セレナーデ』

 この作品の朗読(約10分)が必要なときは、画像の下にある右向き三角をクリックしてください。
 本文を見ながら、「Windows Media Player」などで音声を聞くことができます。もしも、「Windows Media Player」などが画面上でじゃまになるときは、最小化をしてください。また、音声を停止するときは、「Windows Media Player」などを閉じるとよいでしょう。



 セレナーデは日本語で「小夜曲」というそうです。「さやきょく」ではなく「しょうやきょく」ですよ。
 ヴァイオリンという楽器も、なかなか素敵ですね。多摩センターの音楽大学の展示室に、よく見学に行きます。いつまで見ても、飽きない形と気品があるからです。
 そんな楽器にまつわるエピソードを、何となくフィクションしてしまいました。なかなか実態を知らないので、頭の中で考えたことだから、短編小説にまとめあげるのは、

     セレナーデ

で、精一杯でした。
 内容は、何となく子供じみた文章になったようですね。


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 『電気機関車』

 この作品の朗読(約13分)が必要なときは、画像の下にある右向き三角をクリックしてください。
 本文を見ながら、「Windows Media Player」などで音声を聞くことができます。もしも、「Windows Media Player」などが画面上でじゃまになるときは、最小化をしてください。また、音声を停止するときは、「Windows Media Player」などを閉じるとよいでしょう。



 この機関車の模型が、以前万世橋の交通博物館にありました。しかし、いつの間にか展示をしなくなったようです。一時は、さっそうと東海道本線の電化区間を特急を牽引して走ったのですが、……
 かつての国鉄の機関車には、それぞれユニークな特徴があったようです。機関車自体が何となく人間のような感じで、こちらに接してくるような気持ちをもったのは、私だけでしょうか?
 そんなノスタルジャというか思い出を、一人の男の生涯に載せて、でっち上げたのが、

     電気機関車

という作品です。
 作品の出来はともかく、何となく哀れなストーリになっちゃったみたい。


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 『カンムリバト』

 この作品の朗読(約12分)が必要なときは、画像の下にある右向き三角をクリックしてください。
 本文を見ながら、「Windows Media Player」などで音声を聞くことができます。もしも、「Windows Media Player」などが画面上でじゃまになるときは、最小化をしてください。また、音声を停止するときは、「Windows Media Player」などを閉じるとよいでしょう。



 カンムリバトは、鳩というよりもむしろクジャクに似た優雅な鳥です。
 2004年の5月に井の頭恩賜公園に行ったら、やはり温室に数羽がいました。
 私は鳥を見るのが大好きです。むろん飛んでいる鳥を見ていると飽きがきません。オオタカの旋回などは、まったく見事です。また、多摩川でアオサギを見ると、つげ義春さんの作品を思い出したりします。確か団地ができる前の調布染地あたりを舞台にした「鳥を捕る男」と言ったと思います。

 私は、カンムリバトに思い出があって

     カンムリバト

という短編小説に、何とか仕上げてみました。
 なかなか、ストーリを構築するのはむずかしいもんですね!


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 『食用がえる』

 この作品の朗読(約11分)が必要なときは、画像の下にある右向き三角をクリックしてください。
 本文を見ながら、「Windows Media Player」などで音声を聞くことができます。もしも、「Windows Media Player」などが画面上でじゃまになるときは、最小化をしてください。また、音声を停止するときは、「Windows Media Player」などを閉じるとよいでしょう。



 あなたは、かえるを食べた時代など、想像ができるでしょうか。
 現在のグルメの時代、飽食の時代などからは、考えられない時代がありました。戦後(昭和20年代)の食べ物も配給制で、外食券食堂などがあった時代です。
 それはともかく、私が中学校のときにガマガエルの解剖の実習が理科の時間にあったのは、生涯にわたる非常に強烈なインパクトだったです。そんな知識などを元にして、

     食用がえる

という作品を作ってみました。

 なお、作品に出てくる地名はすべて実在をするところです。
 和田塚駅は、鎌倉・藤沢間を走っている江ノ電(江ノ島電鉄)の鎌倉駅から最初(一つ目)の駅です。
 また、材木座にある光明寺には戦後しばらく「鎌倉アカデミア」がありました。作家の高見順が始めたのですが、4年半で休校になりました。なお、高見順自身の墓は、東慶寺にあるそうです。


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 『すっぽん』

 この作品の朗読(約11分)が必要なときは、画像の下にある右向き三角をクリックしてください。
 本文を見ながら、「Windows Media Player」などで音声を聞くことができます。もしも、「Windows Media Player」などが画面上でじゃまになるときは、最小化をしてください。また、音声を停止するときは、「Windows Media Player」などを閉じるとよいでしょう。



 あなたは、すっぽんを食べたことがありますか?
 形から考えられないほど、淡泊で美味だそうです。実は、私はまだ食べたことがないんですが、……
 このストーリのモチーフは、何とも他愛のないものです。
 しかし、自己福音書としての価値は、最初に考えたよりも大きく仕上がったようです。私は、もはや初老と言ってもよい現状ですが、もしもあなたが若ければ

     すっぽん

を読んでくださいね。
 何となく、考えが少しばかり変わるかもしれませんよ。


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 『水棲人』

 この作品の朗読(約12分)が必要なときは、画像の下にある右向き三角をクリックしてください。
 本文を見ながら、「Windows Media Player」などで音声を聞くことができます。もしも、「Windows Media Player」などが画面上でじゃまになるときは、最小化をしてください。また、音声を停止するときは、「Windows Media Player」などを閉じるとよいでしょう。



 ちょっとSFに似た感じを出してみました。
 もともと、ありえない現象ですから、設定に苦労をしたんです。
 近代社会は合理的にできていますが、矛盾が非常に多くあることも事実でしょう。
 そして、国家や偉大な政治家が「人民の幸福や健康を配慮してあまりある」ということができなくなったようです。そこで、幸福や健康の管理は、個人個人にゆだねらえるのですが、

     水 棲 人

という作品は、その愚かさをモチーフにしているんです。
 あなたは、どのようなお考えでしょうか?


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 『黒い革袋』

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 芥川龍之介の『杜子春』などと、同じ構図です。
 還暦をとっくに過ぎてしまいましたが、むろん私も若いころがありました。また、当たり前のことですが父と母から生まれたんです。木の股や石から生まれたのではありません。ただ、すでに父も母も死んでしまったのです。
 人の一生など、旧約の『コヘレットの書』から考えると、意味のないものかもしれません。

 私はペシミスチックではありませんが、

     黒い革袋

というテーマで、何とかまとめてみました。

 人の心が満足をするかどうかは、金持ちであるか、有名であるかなどに関係をするものでしょうか。
 金を持てば、さらに持ちたくなるようですし、有名になれば、さらに有名になりたくなるでしょう。
 また、いったん金持ちになったり、有名になったりすると、今度はそういう立場を失いたくないと思うに違いありません。それは、「心の救済」とでもいうような問題になるでしょう。


 源信の『往生要集』に、

 <足ることを知らば貧といへども富と名づくべし、財ありとも欲多ければこれを貧と名ずく>

とあります。まったく、諾(むべ)なるかなですね。
 京都の有名な寺に「吾唯足知」と彫ってある蹲(つくばい)があるそうです。
 蹲いとは石でできた手洗いの水溜めですが、「口」という字を中心にして、上下左右に「五」「止」「矢」「隹」という字が刻んで配置されているんです。
 私は、それと同じデザインのものを多摩センターのパルテノンの池で見ました。


 鴨長明の『方丈記』に、

 <カウナ(ヤドカリ)は、小さき貝を好む。これ事知れるによりてなり。ミサゴ(磯にいる鳥)は、荒磯に居る。すなわち人を恐るるが故なり。われ、また、かくのごとし。欲(ねが)わず。趨(わし)らず。ただ、静かなるを望みとし、憂いなきを楽しみとす。……夫(それ)、三界(さんがい)は只(ただ)心ひとつなり。>

 もう一つ。卜部兼行は『徒然草』第三十八段に、まったく恐ろしいことを書いています。
 そしてその最後のほうに、

 <まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝えん。>

とあるのです。


 そんなことを知って、私はなるほどと思いました。そして、何もなくても知識が豊富であれば、心が豊かで楽しいとばかり考えていたんです。
 しかし、ドイツの神学者エックハルト(1300年ころ)が、

 <「所有をしない」ことが「あらゆることから完全に自由」であって、「魂への突破口」である。つまり、貧しいということが前提であって、そのためには「知識を求めて努力をする」こと自体も富むことになるので、自由を求める妨げになる。>

と言っているのを知って、大いに愕然としました。

 そういえば、『天台摩訶止観』か『天台小止観』にも「いっそ学問や科学などもやめてしまえ」というようなくだりがあって、それにもびっくりしたことがあるんです。
 私は、還暦を過ぎたころより「人生の目的」や「生と死の秘密」などが、何となく自分なりに納得ができるようになったのですが、……
 あなたには、わかっていただけるでしょうか?


 また、この小説はちょっとおかしいと思いませんでしたか?
 初めは「私」というような人称で主人公を扱ったのでしたが、最後には「彼」となっているのです。全体の流れから、そのようにしたのですが少しばかり無理があったでしょうか?


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 『小 石』

 この作品の朗読(約12分)が必要なときは、画像の下にある右向き三角をクリックしてください。
 本文を見ながら、「Windows Media Player」などで音声を聞くことができます。もしも、「Windows Media Player」などが画面上でじゃまになるときは、最小化をしてください。また、音声を停止するときは、「Windows Media Player」などを閉じるとよいでしょう。



 あなたは、あなたが石になることなど考えられますか?
 一区切りのシリーズの最後として、ここに突飛なテーマを考えてみました。
 何となく、どこかにありそうな陳腐な展開ですが、それでも自分なりに納得がいけばよいのです。
 つまり、文学者になることが目的ではなく、自己福音書を自分自身で作成をするのですから、……

 その突飛なテーマとは、

     小  石

という作品なのです。

 親鸞は、なかなかわかりにくい人だと思いませんか?
 また、高く登りたいと山を好んだKが、こともあろうに深海に沈んだということは、いったいどういうことなのでしょうか。あなたは、ここで何となくカフカ調の不気味さを感じませんか?


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Kuroda Kouta (2004.02.06/2008.03.19)