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 このホームページの考え方



 このページの内容

     ルビンの盃(さかずき)
     象を飲み込んだうわばみ
     昼と夜
     「タンタルスの水」「ダモレスクの剣」「シスュポスの岩」
     このホームページの内容
     このホームページの表現
     全体的な設計と考え方
     知的空間について
     知的空間の奥義について
     このホームページのいきさつ
     アクセスカウンターについて
     著作権など


 ルビンの盃(さかずき)



 あなたは、いったいこれを何と思いますか?
 そうです。これは(うつわ)の絵なのです。

 ご存知の方も多いと思いますが、これは「ルビンの盃(さかずき)」といって、内側の白い部分を見ると、確かに器なのです。盃というから、お酒を飲むときの器なのでしょう。
 しかし一方、外側の黒い部分をよく観察してみますと、二人の人間の顔が向きあっているようにも見えます。
 それは、おそらく若い恋人どうしでしょう、静かに話をしているシルエットのようですね。あるいは、お互いに黙っていても気持ちが通じあっているのかも知れません。

 このように、一枚の絵でもいずれの側から見るかによって、異なったものとなる場合があります。とくに見る人の立場が違っているときには、このようなことがしばしばおこります。
 さらに、私はこの絵を見ていますと、いつも「インタフェース」という言葉を連想します。

 受け取る側の、そのときのこころの状態によって、素材や情報がいろいろと異なって理解されるということは、今後とくに注意する必要があります。
 あなたは、このことをどうお考えでしょうか。

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 象を飲み込んだうわばみ



 それでは、これは何だとお考えですか。
 これは、サン・テグジュペリ著『星の王子さま』のはじめの部分にある挿し絵なのです。
 忙しい大人に「これは何か」と尋ねると深く考えもせず、即座に「それは帽子だ」などと簡単に片付けてしまいます。想像力が豊かで頭脳のフレキシブル(柔軟)な子供たちは、決してそのようには言いません。

 それでは何と言うのでしょうか。
 たとえば、ある子供はこれを「象を飲み込んだうわばみ」と考えます。うわばみは蛇の大きなものですが、そのように途方もない想像が自然に涌いてくるものだと、サン・テグジュペリは述べています。

 物の中身をその外形から観察し類推することは、やはり人によってさまざまな結果を生じるようです。対象としている物体の特性を明確にしようとするときは、ふつうその内部構造を知る必要が生じます。
 そのために、はじめは仮に、対象を一つの「ブラックボックス」としてとらえ、さまざまな角度から評価・検討をしてゆくことも、システム分析の一手法といえます。このときに、内部がどうなっているのかを、高い次元から低いほうへ次第に類推してゆく方法、すなわち「全体から部分へ」の、あるいは「大から小へ」のアプローチ(近づき)が非常に大切です。

 これを逆にして細部ばかりを見ていますと、しっかりと物がつかめなかったり、「何のために何をしているのか」が分からなくなったりしてしまいます。
 あなたは、いかがですか。

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 昼と夜



 ご存知の方も多いと思いますが、エッシャーの作品です。
 時間が連続しているということを暗示したのでしょうか。一連の変化のうちに、時間の切れ目、つまり昼と夜の境界面が明確には存在しないという意味でしょうか。あるいは、わたくしたちが宇宙の中で、過去と未来の接点である現在という点にしか自分自身を置くことができない、とでも言っているのでしょうか。
 単なるデザインとは異なり、実にすばらしい構図と思います。

 あなたは、どのようにお考えですか。
 私はこの絵を見ていると、いつも「時間」や「連続」、さらには「無限」などというテーマに、とりとめもなく考えが移ってゆきます。
 「時間」は「人生」という言葉などと同じように、今日でも明確にとらえがたい概念のようです。

 あなたは、ニュートンの考えた「天体を基準とした時間」と、ベルグソンの考えた「生命体の内なる時間」を実感として同じものと納得できますか。私にはそれらが、まったく異質の概念に思えてなりません。
 さらに、アレキシス・カレルアインシュタインの言っている「時間」に関しましては、もうとても難解で私には理解できません。

 同じ「時間」に対しても、物理学者や生物学者、あるいは哲学者など立場の異なった人たちが、それぞれ別の定義を与えているのが不思議です。たとえ「時間」にどのような定義が与えられようとも、わたくしたちが人生の時間を少しずつ過ごし、年齢をとってゆくということは紛れもない事実のようです。
 そんな中で、プロジェリアの子どもは7歳のときに、すでに70歳になっているといいます。遺伝子が、早く衰えてしまうように組まれているからです。そして、7歳で人生の持ち時間が終わってしまうのです。

 一枚の紙に描かれた線と濃淡の模様が、これほどまでに思索の中に入りこんでくるのに驚嘆します。
 このように、平面上に書かれた図が、わたくしたちに何かを訴えるのも、作者がいおうとしていることがあり、作者の意図がそこにあるからです。
 これは作者から、鑑賞をする人や読者への一方的な通信といってもよいでしょう。この場合、作者が「送信者」であり、あなたが「受信者」と考えられます。
 送信者・受信者の関係はこのホームページにもあり、ここでも最初のうちは、私からあなたへの一方的な通信が行われているといえるでしょう。

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 「タンタルスの水」「ダモレスクの剣」「シスュポスの岩」

 「タンタルスの苦しみ」という言葉があります。
 タンタルス(タンタロスともいう。Tantalos)は、ギリシア神話に出てくる王です。しかし、神を冒涜(ぼうとく)したために、冥界で永久に飢渇に苦しむことになりました。それは、求める物が身の回りにたくさんあっても、手が届かないという苦しみです。
 例えば、喉の渇きです。
 水はあるのですが、それに手が届かないのです。罰として陸に埋められているタンタルスのそばまで水が来ているのですが、動けないので飲めません。そして、喉はますます渇いてしまします。

 ホームページを作り始めてから、久しくなります。
 しかし、力不足のためでしょうか。身動きが、取れないのです。つまり、素材が多くあっても、私には利用ができないことが多いのです。利用の仕方などが、まだよくわからないからです。そこまでに、技術レベルが届かないからです。
 そしてそれは、何となく「タンタルスの苦しみ」の状態と、似ているのではないでしょうか。


 ダモクレス(Damocles)は、シュラクサイ王ディオニュシオスの廷臣でしたが、おべっかが上手でした。
 ある日、自分が仕えている王に、「素晴らしいご身分ですね。」と諂い(へつらい)ました。すると、王は即座に「じゃ、変わろう。」と言います。翌日です。ダモレスクは、王座に座っています。しばらくすると、自分の真上に鋭い剣が細い糸で吊してあるのに気づきます。
 そこで、悲鳴を上げました。王は、「それが、王の身分である。」と言います。
 そのようなことから、「ダモレスクの剣」という言葉ができました。つまり、戦々恐々として精神を緊張せしむることの比喩として用いられるのです。

 いつアウトになるかわからないような危険な状態を言うのですが、実は私もその「ダモレスクの剣」を味わっています。でも私の頭上には、剣などはぶら下がっていません。それは、私自身の内部のことで、いつ脳梗塞や心筋梗塞になるかわからない恐れ、そして認知症やアルトハイマー病になるかもしれない恐れ、そのような心配が非常に大きくなってきたからです。


 シスュポス(Sisyphos)は、ギリシア神話に登場するコリントの王であった。
 やがて、死後の世界に行くと険しい山の頂きまで、大きな岩を転がして上げるように命じられました。がんばって、そうするのですが、途中まで行くと転がり落ちてしまいます。したがって、またやり直して新たな努力をする。かくて、永久に苦役を続けなければならないのである。
 つまり、トラブルが生じて仕事に完成をすることなく、途中で降り出しに戻らざるをえない。何回も何回も、やり直しをしなければならないんだ。
 何となく、私もふとそんなことを考えることがある。

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 このホームページの内容

 いちおう空理空論はなるべく避けて、体験に基づくことを内容としました。つまり、単なる知識の受け売りではありません。

 『論語』の「学而」編に、曾子(そうし)の言葉として、
   <傳不習乎>
とあります。これは、自分が
   「よくマスターしていないことを受け売りで教えた」
のではないかと、反省をするという意味でしょう。
 つくづくと私も、そうだと思います。

 また、孔子の言葉としては、
   <学而不思則罔、学而不学則殆>
   (学習しても、その意味を考えなければ、何事もはっきりしない。
   反対に考えるだけだったら、独断的になって危なっかしい)
とあります。
 これも、私にとっては頭が痛くなるほどパンチの効いた言葉だと思います。
 あなたの場合、いかがなものでしょうか?

 そんなわけで、このホームページに書かれていることは、すべて体験的に確かめたことや、理性(知性)にもとづいて理解したこと、さらにまたそれを直感(本能)によって納得ができる事項に限りました。

 ただし、そうは言っても決定的な例外もあります。
 「健康」や「老化予防」に関することがらは、確かにそのとおりでしょう。すべて自分自身で確かめたことや文献などによって調査をしたことだからです。しかし、「安心立命」に関しては、ちょっと事情が違うことを知っておいていただきたいのです。
 なぜならば、例えば「死後の世界」などについては、実際に自分が確かめたわけではないからです。
 むろん、自分自身が経験をした軽い死後体験のような内容はあるでしょう。
 しかしそれ以外にも、スエーデンボルグシュタイナーたちの文献を読んで、ある程度の納得を自分自身でしたことも事実です。


 すなわち『論語』の「よくマスターしていないことを受け売りで教えた」ことにはならないように、いつも心から注意をしていたことも事実です。いずれにせよ、私たちが今までに考えてきたことを、もう一度基本から整理をしてみたいということは、偽らざる心境なのです。

 頑固な高齢者に対しても、すべてを否定するのではなく、よいところを認めてアドバイスをし合って、互いに伸びていくのが好ましいと考えます。そしてそのような方法が、このホームページでは採用されているのです。
 つまり、このホームページに書かれていることは、「あなたと私どもの関係を作るために提起された一つのテーマ」だとお考えくださればよいでしょう。
 そこで、いろいろと考え工夫して掲示板なども設け、あなた自身の生き甲斐のページであるように、何とか心がけました。その結果、「双方向通信」とでもいいましょうか、思い切ってそんなスタイルの構成にしたのです。
 なぜならば、どうしても必要な場合は、あなたにお目にかかることもできるからです。

 また、あなたのご意見を発表するコラム(サイトの一部分)も設けました。
 この「生き甲斐のページ」では、参加をする人たち相互の関係が大切だからです。そのような意味で、このホームページの中では、あなたの意見を確かめながら進んでゆくという方法を、なるべく多く取り入れています。

 実を言うと、もともと「健康」の問題や「老化予防」の問題、そして「安心立命」などの問題に関しては、自分自身が必要だからメモをしておいたものなんです。しかし、最近になって親しい方や市のグループ関係者が、ぜひ見せろとおっしゃるので、お役に立てばとも思って、このような形で公開をすることに決心しました。

 だから元々の形は、私自身が私自身の意見を確かめながら、つまり自問自答しながら作ったものであることを、ここに明らかにしておきましょう。参考例として示した「回想創造法」や「自己福音書」などの講座も、元は自分の楽しみのために作ったものなのです。したがって、非常に幼稚なサンプル作品が示されています。
 しかしそれでも、「入門以前の入門講座」くらいの価値は、あるのではないでしょうか?

 また、このホームページを全部いっぺんに眺めるのは、まず分量的には無理でしょう。
 そこで、その都度あなたが理解しやすいように、各ページ間やテーマの異なる記事、コラム間で内容の重複することをいといませんでした。何回も別な角度から提起する問題について、よく考えることができるからです。したがって構想自体が、書籍などの印刷物の場合とは、大きく異なった表現法になっています。

 その事情は、ちょうど人間の身体が元来一つであるのに、病院がいくつもの科に分かれているのに、ちょっと似ています。
 しかし、どの科でも細胞や神経などという基本的な問題になると、やはり各科の間にも大いに関係があって、互いに明らかにしなければならないことが多くあるでしょう。そのことと、似ているんではないでしょうか。だから病院ではその都度、どの科でもその問題を別な角度から検討しているのです。

 そんな意味で、理解を深めていただくためにも反復をいといません。
 (この文自体も、少し前にあったような気がして恐縮!)
 もしも、あなたが煩雑すぎるとお考えでしたら、どうぞその部分をカットして眺めたり、読んだりしてください。私どもは、あなたとお互いに情報伝達をする手段として、このホームページを考えているんですから。
 したがって、いわゆる企業などの商用ホームページとは、デザインがずいぶんと違っています。
 むしろ、ダートマス大が最初に用いた本来の形式になっているようです。その結果、このホームページ全体が一つの体系的にできていて、いつでも自分がどこにいるかがわかって、迷っちゃうようなことはないでしょう。

 それはちょうど、初めて外国の大都会に行ったときのようです。
 少しは迷ったりしても、知っている確かな基本ルートを選んで、必要なコースを歩いているうちに、知ったところに出るんです。つまり、全体の構造が次第にわかってきて、迷わなくなるからです。探す場合も、そうです。大都会でも、日常品などの必要なものを売っている店は、どこかに必ずあるはずですから……

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 このホームページの表現

 私の尊敬する知人数人(高齢者も多いのですけれど)に聞いてみると、多くのホームページはわかりにくいと言います。
 それが、ほとんどの意見なのです。
 とくに、リンクを続けているうちに、自分がどこにいるかが、わからなくなってしまうといいます。

 そこで、思い切ってこのホームページでは、簡単な形式に整理をしました。つまり、誰もが日常から慣れ親しんでいる書籍のようなデザインにしたのです。そんなわけで、書籍の内容と性質が異なるテーマに対しても、形式的には書籍のデザインを利用しました。
 なぜならば、利用者の中には高齢者が多いのではないかと、私には思われたからです。
 そのために画面の左側には、大目次でもある飛び先を示すフレームを常時表示する方式にしたのです。
 (このダブルフレーム方式は、大目次自体が大きくなりましたので階層式に改めました。その結果、画面の左側でなく、上下になった次第です。)

 だから最初は、いわゆる一般のホームページとは感じが異なっているので、戸惑うことがあるかもしれません。とくに、若い人でホームページを見慣れている人には、そのような歯がゆさもあることでしょう。
 反面では、むしろ本のデザインにしてあることが、パソコンやホームページに慣れていない高齢者にも、短期間で親しみをもつためのメリットでもあるのではないでしょうか。
 そんな基本的な方針のほかにも、一方では、さまざまな工夫をしたことも事実です。


 例えば、目にやさしく、読みやすくする工夫などもしました。
 そのためには、段落を短くしたり、句読点を増やしました。わざわざ形式段落の最初に字下げしたのも、そのためです。しかし、どうしたことか1字の字下げをした後で、改行後のコントロールが効かなくなって、最初の位置に次行の1字目がインプットできなくなったりしたこともありました。(最初すべてのホームページに「Word」を利用していたとき)
 私が、まだ「Word」や「ホームページビルダー」の扱いによく慣れていないためです。(現時点でも、2004年2月25日現在)
 いちおう原則として、意味段落の最後には半行分(ときには1行分)の空白行を設(もう)けてあります。

 また、終始一貫してではありませんが、重要な語句をゴシック体にすることによって、アクセントを付けるなどの読みやすくする工夫もしました。それは、そこが文のポイントであるというサインなのです。また、語句がよみにくいときはふりがなを付けました。ふりがなも、目にやさしいように小さい文字でなく、直後にかっこで囲む方法を採用しました。
 つまり、「括弧(かっこ)」のようにです。
 かっこは、ふりがなだけでなく語句の補足的な説明にも用います。
 「プロポーショナル(MSPゴシック)」などのようにです。この場合は、「プロポーショナル」を「MSPゴシック」と読むのではありません。それは、単に前者と後者の関係があることを示しているのです。

 最初、明朝体12ポイントに全体を統一することを考えました。しかし、やってみつと明朝体では何だかチラチラして見にくくなり、目が疲れてしまうんです。そのことは文字を小さくすると、なおさらです。いろいろと工夫をしたものの、いま一つでどうもうまくいきません。
 そこで、この文字(MSゴシック体)を用いてみました。多くのホームページで利用されている代表的な書体だからです。そして、高齢者が利用することを考慮して、行間には 50パーセントのゆとりをもたせました。
 一方では、各ページの内容を考慮し、固定幅(MSゴシック)にするかプロポーショナル(MSPゴシック)にするかを、随時決めています。(本当のことを言うと、勝手になっちゃって、いちいち直すのが面倒であったことも多いんです。)
 全体を統一するという考え方よりも、部分部分の読みやすさを考慮したからです。


 字が小さいと、何となく目が疲れます。読むときはまだよいのですが、インプットとするときです。
 インターネットのアドレス文字などは、「.」のようなものはピリオドが1ドットです。これはかなり小さいので、目の悪い人には何とも困ったことです。しかし、それをいちいち「.」のようにするという工夫をしませんでした。URLやアドレスなどで、コピペ(コピー アンド ペースト)をするときもあるからです。
 また、検索をするときにも面倒になるからです。文字のフォント自体を変更するということは面倒くさいし、時間が大幅に取られるデメリットがあります。
 したがって、注釈のような部分だけは仕方なく小さい文字を用いましたが、本文はこの大きさに統一しました。

 なお、文字を小さくすると、ふつう用いられるものとは形が異なってしまう場合があるので、注意が必要です。
 例えば、「富士山」の「」や「青い」の「」です。よく見ると横の棒が省かれていることがわかりるでしょう。「書体」の「」という字も、じっと見ると何となく変です。
 そのようなことは、画数の多い文字ではなおさらです。
 「三鷹」の「鷹」などは、この大きさでも何だか別な文字のようにさえ思えます。なぜならば、「鷹」の字をじっと見ると、「隹」(ふるどり)の部分も変ですし、またかんじんの「鳥」の部分は「烏」(からす)よりも、もっとおかしな格好だからです。さらに、「鷹」という字を小さくして、ゴシックにすると「」のようになっちゃって、もはや単独で読める文字ではありません!

 これは、限られたピクセル(ドット)で文字を表現するので、仕方のないことかもしれません。
 しかし、「遺言」の「」の字や、「遣り残す」の「」の字などは、遺言や遺書に書いたときに、いったい法的には有効なのでしょうか? そんな心配まで出てくる始末なのです。
 だって、初期のワープロで打った書類を官庁では受け付けなかったというような経験を私はかなり以前にしているのですから。

 濁点に関しても、ちょっと注意が必要でしょう。
 例えば、「ぱぴぷぺぽ」(papipupepo)と「ばびぶべぼ」(babibubebo)との問題です。半濁点は丸いのですが、何となく丸でなく、斜めの棒に見えるときがあります。だから、「濁点が縦の棒」になっているということを、絶対に忘れないようにしなければなりません。
 初めて、「プロトコル」「プロバイダ」「ブラウザ」などという専門用語を見たときや、「べたべた」とか「ぺたぺた」というオノマトぺには、注意をする必要があります。なぜならば、「Betabeta」と「Petapeta」では、感じがだいぶ異なってしまうからです。

 また、例えば「表の消し方……ピクセルを0にします」などとあるときは、ちょっと注意が必要でしょう。なぜならば、「に」の前に、半角の「1」があるのに、間違って「01」と勘違いをしたりするからです。これはプロポーショナルフォントで起きやすい現象のようです。つまり「ピクセルを「0」にするんじゃなくて、間違って「01」にしちゃう」ということなんです。私は目が悪いので、よく勘違いをしました。

 こんなこともありました。
   システムレジストリの値を書き込んでいます。
というようなメッセージが Windows から出ます。
 よく見ると、「値」という文字の「直」という字の「目」の部分が「日」になっています。また、「書」という字の上の部分もちょっと変です。横棒が足りないのです。さらに下の部分も「日」と上の横棒がいっしょになったような形です。それは、ドット(ピクセル)数が少ないので仕方のないことです。
 それでも、そのような形でちゃんと読めるのですから、それは問題がありません。

 しかし、同じように小さい字で
   すでに旧バージョンでは、……
とあるのを「旧」(きゅう)でなく「1日」(いちにち)と、あなたは読み間違えたりはしませんか?
 とくに小さいフォントでは、プロポーシャルでなくても字が詰まって、
   すでに旧バージョンでは、……
となりますが、どうでしょう。

 「Tomcatは……」というのも小さい文字「……tは……」となると、何となく間違いやすくなってしまいます。
 さらに、[ 図 ]としているものが [図] のように見えることもあります。
 文字間を自動的に詰めてくれるプロポーショナルにすると、ひらがなの「く」がカギ括弧の「<」に見えたりすることも注意が必要です。例えば、
   <P><A href="oto_sakkyoku/melo.mid" terget="_blank">実際に聞く</A></P>
などのようにです。
 老婆心ながら、そんな注意をすることも必要でしょう。
 間違っただけで問題がなければよいのですが、あるいはトラブルにつながることも考えられるからです。


 また、このホームページでは改行を日本語本来の方式で行っているため、1行が長すぎると読みにくくなってしまいます。そんなときは、ホームページの横幅を小さくしてからご利用ください。最大化でないモードにしておいて、左右いずれかの枠の上にマウスをもっていってドラッグすると、左右に枠をずらすことができます。

 私が老人のせいか、激しく動く動画があるホームページを見たりすると、何だか目が疲れます。そこで、あまり必要でないアニメーションは用いませんでした。視力の衰えた高齢者のご利用も考えたからです。
 しかし、そうは言っても「ホームページの作り方入門」のページには、「Hot Mediaクリエーター」や「ウェブアニメータ」などの「flash」と似たソフトを利用したサンプルを多く示しました。そこには、激しく動くアニメ動画が含まれているでしょう。したがって、あなたがホームページを作成するときには、それを参考にしてご自身で作成してください。
 むろん「Flash MXあらまし」の1から3までも、かなり激しい動きのある画面になっています。

 表現はともかく、このホームページ自体の目的は、考えることを目的とした「健康」と「老化予防」と「安心立命」の確立にあります。だから、あなたはこのホームページを眺めながら、ご自分の意見や考えをどしどしと出してください。意見をもって前へ進むことが、あなたの自信を深め、あなたの生き甲斐を築きあげるための早道なのですから。
 そして、このホームページ自体に関するあなたのご意見も、どうぞお聞かせください。あなたのご意見によって、このホームページが成長できるのです。
 さらに、このホームページには、あなたのコーナーも用意いたしました。あなたがご自身の考えを文章図形、さらに音楽などによって発表しようとお考えでしたら、どうぞご連絡をしてください。


 最後に、本音を少しばかり……
 たいがいのホームページはデザイン的にも優れ、またクリックする箇所なども凝っているものが多いようです。実は、私もそのようにしたいと考えました。しかし、やってみるとなかなか面倒で難しく、また時間もかなりかかります。そんなわけで、このホームページでは細かいデザインをしないことに決めました。
 現時点の私には、それが技術的にもムリだからです。(2004年2月25日現在)
 だから、いわゆるホームページらしいスタイルになるのは、次のステップであるということもご理解しておいてください。

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 全体的な設計と考え方

 このホームページを作成しようと考えたそもそもの経過について、述べておきましょう。
 製作を計画した当初は、

    健康  老化予防  安心立命

の三つのテーマをカバーしたホームページが、まったくありませんでした。
 つまり、三つのキーワードをインプットして検索をしても、何も出てこなかったんです。

 そこで仕方なく、自分で作ってみようと考えた次第です。
 4年を経過した現時点(2007年8月22日、水曜日)では、Googleで検索をすると下のようになっています。



 上の画面からおわかりのように、4年前に1件もなかったホームページが、このホームページを含めて500件以上もできたようです。
 でも、トップのほうにこのホームページがあることを考えると、まだ

    健康  老化予防  安心立命

をメインテーマにして試みているホームページは、現時点でも少ないようです。
 なぜならば、上の画面でも「健康の科学」というホームページを除いて、すべてはこのホームページ関連だからです。


 このホームページでは、試みとして音声読み上げBGM(バックグラウンド ミュージック)を採用しました。
 なぜならば、当初は高齢者保養センターや自宅におられる高齢者向けのホームページとして計画されたからです。したがって、若い世代の人が見たら何となく幼稚なデザインのホームページと見られることでしょう。
 画面の構成なども、できるだけ簡単にしたからです。

 「RIKOホームページへようこそ!」(表紙)ページ と 「おわり」ページに、音声読み上げを利用しました。
 その音声読み上げは、

   「RIKOホームページへようこそ!」(表紙)、つまりトップページでは女性の声
   「おわり」の画面では、男性の声

を利用してみました。

 なお、ここで用いた音声読み上げは、富士通のノートパソコンに入っていた「FUJITSU音声合成」の「おしゃべりノート」です。したがって、単に一文字ずつ音声を合成しただけですから、抑揚などについてはおかしな箇所があります。そのようなことを、あらかじめご了承ください。


 BGMとしては、試みに次の3つのページに置いてみました。それらは、

   「健康のページ」に「パガニーニの旋律による練習曲
   「老化予防のページ」に「子守歌
   「安心立命のページ」に「母の胸で聞いた曲

です。
 それらのBGMはすべて黒田康太が作曲をして、大庭加奈子がピアノ演奏をしたオリジナルです。
 BGMは、拡張子が「.wma」のファイルをそのまま演奏したものと「.mid」に変換をしたものがあります。しかし、いずれも「Windows Media Player」で再生をしています。
 なお、利用した元の「.wma」ファイルはCDにディジタル録音をしたものです。


 最初は、「健康・老化予防・安心立命」の3テーマについて考えたホームページでしたが、その関連次項として、「入門ページ」「創作ページ」「青空ライブラリ(RIKO文庫)」などを必要に応じて追加をしました。

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  知的空間について



  知的空間の奥義について



 このホームページのいきさつ

 青空のホームページは、内容が次第に増えて1ギガバイトを超えました。そのために、一つのサイトでは入りきれなく、全体を五つのサーバに分散した次第です。つまり、三つのホームページ二つのプログです。そのために、全体の整合性が、非常に悪くなってしまいました。
 また、現時点では製作中の未完ページがあったり、勘違いや無知のための記述ミスなどもあることでしょう。さらに、インプットをした時間的なズレが大きいので、各ページ間で内容に矛盾点が生じているかもしれません。テーマに関して価値観が変ったり、理解の成長があったからでしょう。

 最初、このホームページは「RIKOホームページ」として出発しました。
 命名は「RIKOのいわれ」にあるように、日本語の「理工」の意味でした。しかし、漢文ではなくエンジニアリングの意味に勘違いをされたり、何となくわかりにくいので「青空のホームページ」にしたのです。
 また、私のハンドルネームも最初は「riko」(りこう)でしたが、なぜか女性と勘違いをする人が多く、そのために最後の「o」を取って「rik」(リック)としました。その時点で私の知っている範囲で「リック」という名前は、楳図かずお『まことちゃん』に出てくる魚屋さんくらいしか思いつかなかったからです。

 最初は、多摩テレビの常時接続を利用していたのですが、しばらくして容量が足りなくなり、ヤフーのサイト(現在は1ギガバイト)を利用しました。さらに、その後 FC2(1ギガバイト、10ギガバイトに変更する予定)を追加しました。以上が連携をしている三つのホームページです。
 しかし、現時点ではそれらのサーバーに転送できるファイルの種類に制約があります。
 例えば、ヤフーでは「exe」や「zip」などがアップロードできなかったり、FC2には現時点では「mp3」などが置けません。そこで、そのようなファイルはとりあえず置けるサイトにアップロードをして、互いに「URL呼び出し」をして利用することにしました。

 最初、NPO法人化をして「健康」「老化予防」などのテーマを推進していく計画でしたが、訪問者がほとんどなく発表や意見の交換などが行われず、さらにメンバーが物故したりして、考えていたことが挫折してしまいました。
 さらに、最近になって必ずしも「完成をしたものだけがよい」のではなく、「未完成」でも「出来損ない」でも、それなりに意味があるんじゃないかと思うようになりました。おそらく、いろいろやって自分自身の実力を知ったからではないでしょうか。

 一方では、「死後の世界について」は「考える」ことよりも「感じる」ことが重要・大切ではないかと思います。なぜならば、実際に経験をしていないことを近い将来に経験するわけですから、それまでに納得をしておきたいのです。それが疑似体験であっても、本人にとっては安心立命の確立につながるとも考えたからです。
 ここで「死後の世界について」などと大げさに言うのは、安心立命のほかにも「今生(こんじょう)における死までの日々の生き方」について、自分なりの考え方をまとめておく必要を生じたからです。

 そんなわけで、発起人の一人である私(rik こと Kuroda Kouta)が、単に覚えやメモとしたページが含まれています。本来ならば公開しなくてもよいのですが、グーグルのマップや検索などを利用するために、あえてインターネットに接続をしました。そんなわけで、このホームページでは学問や研究をしているのではありません。しいて言うならば、私の思いつきの範囲で作成をしたのです。したがって、記述内容はみっともないものですが、それが現実の自分だから仕方がないと諦めている次第です。
 以上、ご了承ください。

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 アクセスカウンターについて

 アクセスカウンターは五つのサーバーについて、すべて同じものを用いています。したがって、片方から他方を呼び出したときは、インクリメントを二つすることになります。つまり、例えば「青空のホームページ」の表紙から、「日々記憶の断片」にジャンプした場合でも、アクセスカウンターの価が二重にインクリメントをします。そして、再びホームページに戻っても、そこでまた同様にインクリメントをして、デクリメントはしません。

 なお、その他のページに貼り付けてあるアクセスカウンターは、このホームページ内の構成などの調査に用いるもので、訪問をしてくださった方々には、とくに意味がありません。

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 著作権など

 『青空のホームページ』にある作品に関する「著作権」は、その作品の作者にあります。
 また、もしも『青空のホームページ』にある作品に対して、他の作品の「著作権侵害」・「著作隣接権侵害」などがあった場合は、その責任はその作者にあります。
 このホームページに対する著作権などについては、

    「編集後書きと履歴」

の最後にある「著作権について」をご覧下さい。

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Kuroda Kouta (2004.02.05/2010.11.23)