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 やさしい短歌入門


このページの内容

     はじめに
     三木先生の思い出
     自選歌集体裁
     自選歌集
       秋の蝉
     万葉集の作品から
     西行の作品から
     金槐和歌集の作品から
     橘曙覧の作品から
     宮柊二の作品から
     中西悟堂の作品から
     教訓を含んだ短歌
     『徒然草』の中の和歌
     俳句について
     教訓や警句について
     変わった短歌
     辞世の歌
     おわりに

     セミナー用資料
     付録(俳句)


はじめに

 ここでは、ひととおり短歌の見本を示しておきましょう。
 書きためておいて、歌集にしたものです。
 実物は多摩市立図書館にありますので、多摩市・稲城市・日野市の人は窓口で借り出しができます。しかし、その他の地域に住まわれている人でも、その区市町村図書館を経由して借り出すことができるようです。ご関心がある人は、どうぞ実物をご覧ください。
 おそらく、「こんな簡単な本があるのか?」とか「これでも本なのか?」などと、お考えになるでしょう。

 なお、タイトルに「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」という言葉を含む四部作のうち、最初の一冊目なのです。だから、『青春の碑』というようなタイトルになっているのです。書名は、下に示すように『自選歌集(一)』です。
 その内容は、私がまだ二十歳代に作ったものを何とかまとめたものです。
 中には、三木アヤ先生にお目通しいただいて、『コスモス』という短歌の雑誌のコンクールに投稿をしたものも含まれています。拙(つたな)い作品ではありますものの、今となっては若いころのなつかしい思い出でもあります。
 何となく恥ずかしく、あまり見てもらいたい内容ではありませんが、これから始める人の参考になるとも考え、ここに発表をします。

(注) 「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」については、中国の「五行説」に由来します。
 四季の「春夏秋冬」に基本的な色の「青」「赤」「白」「黒」を割り振ったものです。ただし、「赤」は「朱(あか)」、「黒」は「玄(くろ)」という字を用いています。

 なぜ短歌などを始めたかというと、あらゆるものと対話ができると考えたからです。当初は、「生きている証明」などということには考えが及ばず、もっと単純に短歌を感じていたのです。
 つまり、相手が人間でなくても動物、植物、さらには雲や石などの無生物にも対話ができるという短歌の特徴を知ったからです。西行の「太刀をはかせる松」なども、短歌ならではの特徴でしょう。
 そのようなことは、老年期になっても短歌の魅力として持ち続けることができると確信をしました。
 そして、40年以上も同じ考えなのです。

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三木先生の思い出

 「ここに発表をします。」と言っても、どうも気後(きおく)れがしてしまいます。
 そこで、三木アヤ先生の思い出などを最初にちょっと書いておきましょう。
 三木アヤ先生は少女時代から才媛であられ、北原白秋の門下生になられていました。昭和13年(1938年)のことです。
 その後、宮柊二先生や滝口英子氏とともに『コスモス』を起こされました。それは、昭和28年(1953年)のことで、発起人として参加されたわけです。宮柊二先生が北原白秋の内弟子だった関係で、三木先生にとっては兄弟子のような感じだったのでしょう。また、滝口英子氏は宮先生の奥様です。
 (当時から、そうだったかどうかは私にはわかりません。)
 私が側から見ていた感じですが、宮先生も三木先生には一目置いて、言葉遣いもちょっと違っておられたようです。

■『コスモス』紙の内容一例(コスモス十周年記念号より)

 宮先生が亡くなり、現時点では滝口英子氏が『コスモス』を主催されています。そして、お名前は先生が亡くなってから宮英子と改めて名乗っておられます。
 しかし、あんなに優秀で東海銀行の顧問などをされていた三木先生は、この間お目にかかったときは、すっかりアルツハイマー病が進んでしまって、ただニコニコ笑っておられるだけでした。(2003.08.12現在)
 三木先生の歌集は4冊あって、第一歌集が『地底の泉』、第二歌集が『白蝋花』、第三歌集が『夢七夜』、第四歌集が『茜の座標』です。むろん、第四歌集がいちばん新しく、昭和63年(1988年)8月から平成3年(1991年)1月までのお作品が含まれています。

 また、三木先生は精神療法の分野でも権威であられ、それで東海銀行のカウンセラーなどをなされていたわけです。その分野の著書に『体験 箱庭療法』というのがあります。山王出版から1991年8月に、光元和憲(1947年生まれ)と田中千穂子(1954年生まれ)との共著の形で発行されています。
 なお、三木先生は1919年生まれです。
 私(黒田康太)は、その内容から日本の古典『提中納言物語』にある「家の設計図を書いて、楽しんでいる男」のくだりを思い出しました。

 また、三木先生は「(病気の回復は)自己治療力に負っている」と書いておられます。そして、「セラピストが舞台を作り、クライアントがそこで踊る」というような意味合いのことも述べておられます。
 私は、その言葉からも聖書にある「汝は土からできて、土へ戻る」という言葉を思い出したのです。なぜならば、「箱庭療法」は「砂療法」とも言い、患者が一心に土または砂、つまりチリに触れることによって、心証を吐露する性格のものだからです。
 なお、当時はまだホメオスタシスという言葉が馴染んでいなかったために、わざわざ「自己治療力」と言っておられるのです。
 そのように優秀だった先生も、ご子息のお話によると、すでにおトイレなども不自由になってしまわれたということです。

■まだお元気でしたころの三木アヤ先生と私(撮影は臼井大一郎氏)

 三木アヤ 短歌の世界へ

 先日、三鷹市牟礼のコスモス編集部に通ったころのことがなぜかなつかしく、三木アヤ先生の歌集『白蝋花』と『夢七夜』を国会図書館から借り出して、読んでみました。
 最初に、先生の最後の歌集『夢七夜』を読みました。いちばん新しい先生の思い出があるのではないかと考えたからです。
 そこには、

  <いく度も推敲をしては消し去りぬ 逃げてゆく歌 逃がしてしまふ>
  <梟(ふくろう)の別名 母喰ひ鳥とふは辞書にしあれど何ゆゑならむ>
  <青年は ものいひもせで蝙蝠(こうもり)の交尾をひつそりと砂箱に置く>
  <胸のうちに般若棲(す)むやと問ひましき なかば戯れごとの遠き日>
  <わが夫(つま)が われに与へし一のもの朴念仁(ぼくねんじん)の大き安らぎ>
  <人のいふ地(つち)は怖ろし 地は母、肉体(からだ)もどりて無になるところ>
  <夢七夜眠りにみつつ うつせみの昼は飯(いい)はむ いのちなりけり>

などの先生の人間味の溢れた秀逸の短歌があり、なつかしい想いがしたのです。

(注) 最初の「いく度も……」からは、「先生ほどのベテランでも やはり作歌にご苦労をされ、腐心された」ことをうかがうことができる。
 「梟は……」の歌にある疑問形である。先生が「梟の雛が成長にしたがって、母親を食べてしまうし、母鳥も悄然としてそれに甘んじること」をご存じないということは、絶対にありえない。しかし、このような方法で、作品に余韻を残す書き方をされている先生の奥ゆかしさが、何となくこもっている作品だ。
 「青年は……」は先生が行っていた心理療法の一つである『箱庭療法』を受けている青年の患者を暖かく見守って歌った作品であろう。なお「ひつそりと」は「ひっそりと」の活版体。「かつて」なども、かつては必ず「かつて」と書いて、「かって」と読んだものだが、現在では「かって」と書いて「かつて」と読む場合もあるようだ。つまり「つ」と「っ」を同じ活字で済ましていた時代がかつてあったのだ。
 「人のいふ……」の作品には読点「、」があります。なお、分かち書きはすべて私(黒田康太)が付けたもので作品にありません。
 また、ふりがなは最初からあったものも、私が補ったものも小さい文字を用いずに、括弧の中に収めました。したがって、そのふりがなの部分については、参考として考えてください。

 そして、第二歌集『白蝋花』を読んでいて、びっくりしてしまったんです。




 なぜならば、二カ所に私の名前があるではないですか。
 ちょっと、青天の霹靂とでも言った感じでしょうか。それは、

   <鼻の病気他少々のことは我慢して黒田康太よ職をやむるな>(記憶帖1「マイクロ波空洞波長計)
   <オバQのエプロンせるは君の二世良きパパとなりをり黒田康太よ>(記憶帖4「砂丘の歌碑」)

の二首です。
 上のほうの短歌は、私が慢性の副鼻腔炎(蓄膿)になって悩んでいたころのことです。まだ、若かったので会社を辞めて、治療のために上京をしようと考えたことについてのコメントでしょうか。私は、この歌のことはぜんぜん知りませんでした。
 下のお作品もまったく知らなかったのですが、私が長男を連れて名古屋の東海銀行に行ったときのことでしょう。社長応接室に通されて、長男も神妙にしていました。当時、「オバケのQ太郎」というのがテレビで流行って、その「オバQマーク」をあちこちにプリントしたのです。
 ちょうど、今のミッキーマウスのプリントシャツのようなものでした。

 いずれの短歌も、長男が学校に上がる前ですから、まだ私も二十歳代のころのお作品でした。
 私にとっては、三木先生の暖かい心が偲(しの)ばれる二首なのです。
 いま考えると当時の二十歳代から、現在の還暦をとっくに過ぎた老人になってしまったのが、一瞬の夢のようでもあります。

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自選歌集体裁

(表紙)


(最初のページから印刷見本を少々……)

 きりがないので、この辺で実際のイメージは終わりにしましょう。
 それでは、横書きにして内容を見ていきましょう。
 あなたは、おそらく「こんなものでも作品なのか? じゃ、私もできるぞ!」と思われることでしょう。

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自選歌集


  青 春 の 碑


    春 の 日

ひゅうひゅうと吹きゆく風は寒けれど はや木々の間に春は来にけり
池の面(も)に幾百となくたわむれて春を遊べる水鳥の群
暖かき日差しを浴びてはぐくみし雑草の間に春は来にけり
空色の小さき花にもめぐり来ぬ 春よまだかと待ちしその春
目を上げてガラスの外の新緑を見れば浮かび来 病みいし日の春

    武 蔵 野

むさしのの野にさまよひて今日もまた赤き夕日をしみじみと見る
むさしのの野に黄昏(たそがれ)は広がりて高き木立に闇は迫りぬ
紅(くれない)に染まりし西の野をのぞむ しあわせ多き明日を願いつ
姿なき影に追わるる心地して さまよひけるも我の運命(さだめ)か
一抹のさびしさありて武蔵野の野に残りたる雑木林よ
木枯らしの吹くむさしのの夕暮れを ひとり歩きて君を想ひぬ

    春 の 雲

遠くより来たりしもののかたちして雲流れゆく春の日の空

    春 の 空

飄々(ひょうひょう)と雲一つゆく春の空 飽かず眺むる雲消ゆるまで

    子供たち

キャラメルを子等に分けたり一つずつ小さき指の円(まる)き手平に
掌(てのひら)のだいだい色の金柑(きんかん)をお星さまだと言える稚児たち

    虫

紫の小さな花にたわむれし はかなき虫のいのちなるかな

    **

夢を追いて生きたるものは哀れなり君去りてより我は苦しき
わがうちに潜む小さき塊(かたまり)が いつかつのりて重荷とぞなる
晩春の赤き夕日を背に浴びて家路をたどる我 君を想う

    **

目に見えぬ数え切れなき謗りをば我はうけつつ今日も生きたり
終電の音の遠くでひびきたる後にさびしき犬の遠吠え

    空  虚

身のうちに虚偽を認めつやる術(すべ)を知らぬがゆえに我は苦しき
偽れる我を嘲りし君も去り一人になればさらに苦しき
虚偽多きむなしき日なり苦しみて酒を呷(あお)れば更に苦しき
疲れはて仰向(あおむ)けになりて目瞑(つぶ)れば爆音響きて飛行機がとぶ
書を読みて疲れたる目を閉じぬれば空(むな)しきものが我を襲いぬ

    小さき虫

古き書の頁の間に閉ざされて死んだ小さき虫を哀れむ

    **

夕映えの多摩川べりに君といて採石船の土砂を取る見ゆ
梅雨明けて夏の初めに紫陽花(あじさい)は次第次第に色を褪(あ)せゆく
いつの日か親知らず歯の生えしより もの思うとき鈍く疼(うず)きぬ
ひらひらと黄色き蝶の舞いゆくを幼子が追う晩春の午後
なつかしき君の賜いし君の香の扇子(せんす)取り出し夏は来たりぬ
暮れゆくを惜しむがごとく一頻(ひとしき)り高く鳴きたる山の蜩(ひぐらし)

    **

生きることと苦しむことは一なりと我に言いつつ今日も励みぬ
鉛筆を鋭く削り夢という字を百あまり紙に書きたり
何言うも何なしたるも空しくて我を偽るときは苦しき
魂の燃えるごとくの心地して生きたる幾日(いくひ)いつしか過ぎぬ

    **

別れ来て心ぐるしきときに見し積乱雲の白さかなしき
かなしみが澄みたる空に漂える雲を見るとき突然にくる
心のまま夢を追いたる空しさも いつかつのりて苦しみとなる

    夜 汽 車

溜息(ためいき)の如くかなしき音残し夜汽車は遠く去りてゆきたり

    さすらい漂う雲

さすらいの身にも似たりて青空に真白き雲のすがた漂う
こころなき雲もいのちのあるごとく漂いゆけり秋の青空

    **

世の中のものの無常と罪につき納得できる年齢(とし)になりたり
生まれ来て今日あるまでに育ちたる経過思いて独り励みぬ
一日は終われり今日もむなしくて横たわりたるときのかなしさ
いったんは燃えるがごとき心地して我が青春はいつか逝(ゆ)きたり

    川 砂 利

灰色の空に鳶(とび)一羽 弧を描き旋回しており多摩川の上空
水枯れし河床を砂利積みしトラックがのろのろとして昼を這いおる
砂利積みしトラックは斜面登りきりて鋭く前面ガラス光らす
高々と採石場に積まれたる砂利の頂きに憩う蜻蛉(とんぼ)は
轟々と鳴る採石船の次々に あぐる土砂より水は滴る
掘り取られし土砂のあと埋めし赤土が雨ふる昼をぬめぬめと光る
雨の日に唸りをたてて走りゆく砂利トラックの灯は黄色く霞む

    白 き 犬

何処(いずこ)より迷い来たるか白き犬 小さき赤き靴くわえおり
口笛をならし両手を差しのべし我をいぶかり逃げゆく犬は

    **

しとしとと降り降る冷たき冬の雨 朽ちゆかんとする芭蕉に光りて
雨の日のなすべくもなき一日を机に向かいて方丈記読む
なすべくもなくて終わりし一日を あれこれと思い我を嘆きぬ
疲れ臥(ふ)し なすべくもなく天井の節の目などを数えつつあり

    我が短歌

いたずらに言葉のみを綴りたる我の短歌は多くまずしき
偽れる自己のこころの空しさを歌に作るは あまり愚かか

    **

果てしなき思いばかりがいつの日か多くつのりて苦しみとなる
いさかいて怒(いか)り別れし友のこと思いて帰る我に夕日さす

    **

うねうねと白く続ける多摩川の水枯れて冬の風は冷たし
冬の日の濁れる空に一筋の煙吐きつつ芥塵所(かいじんじょ)の煙突

    茶  房

曇りたる土曜の午後をなすべくもなくて来たりぬ街の茶房へ
薄暗き茶房に君と二人居て歌のことなど話しつつおり
歌のこと学問のこと生きることモツアルト聴きつつ君と語らう
モツアルトのヴァイオリン協奏曲聴きしよりヴァイオリンとふ楽器に憧れぬ
歯切れよき上昇過音は高鳴りてモツアルトのヴァイオリン協奏曲終わる
薄暗き音楽茶房の片隅に洋書読みいる大学生のおり
天才 デモン 悪魔などと言われしパガニーニはあやしく響きぬ
そこはかとなく思いつく断片を連ねしノート茶房にて読む
名曲を聴きつつ持てる『コスモス』のページを繰れば君の歌あり
虚(うつ)ろなる心の幾日重なりて 潤(うるお)いを求めて茶房へ来たり

    汝の結婚

愛はかけひきでないと言いたまいし汝(なれ)もこの春に嫁いでゆきぬ

    二つの雲

春の日の澄みたる空に雲二つ漂いおりぬあくまで白く

    春の混沌

鋭きものと鈍きものとが交々(こもごも)に迫りては消え春の混沌
むらむらと心に巣くう愚かさが君去りてより なおもつのりぬ
ささいなること一つさえ いかにせむとて迷いつつおり春のある日

    公園の老人

灰色のセーターを着る老人が憩いつついる園(その)の日溜(ひだ)まり

    林  道

林道を一人歩めば木の蔭に黄色き花が乱れ咲きおり
伐採期のエンジンの音 静かなる山に響きて反響を呼ぶ
高原の縦走路をば歩みゆく 山うぐいすのしばし鳴くなか
新しく植林されし杉の木の みどり一(ひと)きわ明るく光る
尾根ゆけば静寂なりて いずこより沢のせせらぎ微(かす)かに聞こゆ
山間(やまあい)をゆるやかに鳶(とび)一羽 旋回しておりしばし見とれぬ
足元にまつわる小さき黒き蝶 踏むまいとして林道を歩む

    父  母

薄緑と白のツートンカラーの電気ミシン購いしより母の喜びとなりぬ
職やめて父はわずかに衰えしか 口数へりて黙すとき多し
停年というは機械の磨滅せし部分を棄てることのごときか

■多摩川 是政上流にて(父のスケッチ帳から)

対岸が右岸です。そして、その辺りから上流に向かって「多摩の横山」が始まっているようです。

    記  憶

ささいなる記憶一つがふと こころ虚(うつ)ろなるとき涌きかへりたり
幼なかる記憶のうちの悔しさの断片のみがよみがえりきぬ

    卒  業

初めより割り切りて考え来しことに迷い始め最終学年の日々
世の中の大きな渦へそれぞれが入りてゆくべし妥協のうちに
入社試験に落ちて来し友は平然と会社の悪口を言い放ちおり
考えることのみが先立ち何一つ満足に答え得ず二次試験終わる

    Y  君

Y君は絶対に妥協をせぬ主義なり 妥協は敗北と言いしこと幾たびかありぬ
自我強く自尊心強きY君と論争をして言い負かされぬ
己のみ中心にものを考える癖おさまらず今に至れる
君も僕もただ一介の学生にしか過ぎぬではないかとY君言いて黙す
額広く身体頑強なるY君は近ごろ落ち込みて少しやつれり
短歌を作りてどうすると以前問いしY君 最近短歌を始めぬ
性格の弱さをかくす論法と思えど君に落着(おちつ)きのある

    汝とピアノ(一)

日焼けせし汝(なれ)のうなじに後れ毛の軽くそよぎて夏の風吹く
美しきからだと明快な性格 持ちそなえたる汝(なれ)なり笑うとき白き歯光る
汝(なれ)のせし薄桃色のマニュキアのいろ艶(つや)やかに夕日に光る
汝の弾くピアノは風の吹くごとく軽快に響きてモーツアルトのロンド終わる
鍵(キイ)の上 走る小さき汝の手の驚くほどに軽快であり

    **

秋の日に馬追(うまお)い鳴きてさびしきと言い来し汝の手紙届きぬ
わずかばかりやつれて汝の面影はさびしくなりぬ秋のはじめに
二重(ふたえ)にも三重(みえ)にもなりて打ち寄する波のごとくに汝の思い出

    カゲロウ

羽(はね)あおきカゲロウが一匹飛びて来てノートの上に静かにのれる
かすかなる動悸のごとく透きし羽(は)を動かしており あおきカゲロウ
汝(な)がために書きつつありし便箋にカゲロウとまりて あおき影うつす

    蝉

せねばならぬこと多くありてあれこれと思いおるとき つくつく法師鳴く
透明なる羽に緑の筋ありぬ つくつく法師一匹とらえてみれば
鳴き鳴きて日暮るるころに一きはにせわしくなりぬ秋のひぐらし

    **

一方のライト灯らぬ自動車を脈絡もなく思うことあり
結局は孤独にならねばならぬかと友求めつつ己いとおしむ
酔いてきて意外に何も考えていぬということがわかりきたりぬ
乾きある喉を気にしつ さらになお言い続けたり意味無き言葉
殊更に言うべきもなきことがらを とりたてて言う悪癖もあり
うわべのみ繕いおりて ふと何か割り切れぬ心おそい来たれり
故知らぬさびしさのみが襲いくる幾日か過ぎて秋は往(い)にけり

    **

確実に迫りて来たる試練をば いかにせむかと一人迷いぬ
現実を避け来し知恵の狡猾をわが上に思い なすすべもなし
夕あかね映ゆる硝子(がらす)に凹凸あり屈折率異なる光線散らす

    孤 児 院

本数冊寄付せしのみに金色にふちどられつつ感謝状届く
孤児院の子等それぞれに何を思う 道化つづくる子も混ざりいて

    ガラス戸

さむざむとたそがれてくる冬の日に玻璃磨きおり光恋ほしく
太陽があたうる限りの光をば部屋に入るると玻璃磨きおり
蝿一匹玻璃のあるのを知らぬさま いつまでもぶつかる冬の日の午後
幾たびか玻璃にぶつかる蝿おるを歯がゆくなりて窓空け放つ
部屋に入る冬の夕日はガラス戸に屈折異なりて光線の散る
我が部屋の玻璃戸の一部分 歪(ひず)みつつ戸外の影像ゆがみて見えぬ
冬の日の玻璃戸の間に蝿一匹 逆光の中に身をやすめおり
あかあかと燃えたる冬の太陽は玻璃に光りぬ鈍き蝿いて

    汝とピアノ(二)

黒鍵(こっけん)と白鍵(はっけん)の間に汝の手は軽快に飛べり胡蝶のごとく
黒鍵を弾くとき一(ひと)きわ汝の手の映えて流るモツアルトのロンド
嬰ハの音こころもち長く弾きファンタジア イムプロムチュー軽快に始む
その細き小さき指の生まれつきゆえにアルペジオ難しきという
左手の休符のときに つと汝が後れ毛直せり細き指もて
その白き汝の指もて黒鍵を弾くとき我は凝視しており
戯れに我が押さえし黒鍵は嬰ハの音と汝言いて笑いぬ
ページ繰る役さずけられ汝のため傍らに立ちて楽譜読みおり
思うとき逢いたきときにモツアルトのロンド聴きたくなりぬ秋のころより
汝の弾くピアノの音を聴きしより汝はありけり我のこころに

    虚 無 感

苦しみて嘘をつきては恥をかき 恥をかきては嘘をつきけり
いかにせむか心のうちに いつよりか蟠(わだかま)りたる妄想というを
ある時に去りたる恥の思い出が光るがに脳裡をかすめゆきたり
力なくにぎりしめたる手の指の関節のだるさ むなしき気持ち

    **

いろいろと思案してみたが無理と知り諦めしことあまりに多き
何故か君の言いたる言葉のみ ささいなことも思いいだしぬ

    入院手術

手につけし重きギプスを気にしつつ金槐集の夏の歌読む
過ちによりて生ぜし手の怪我を悔いおるときに腹立ちて来ぬ
ギプスせし右手は日毎(ひごと)僅(わず)かずつ細りてゆくと少年はいう
我が傷の軽きを笑い看護婦は包帯巻きて急ぎ出てゆく
右第四指ズプリムス滑動輪移植と書かれおり我がカルテ

    **

恥という一条の腺残しつつ生き続けおる我を哀れむ
生まれ来しことを嘆きしこともあり客観なして顔ほてりきぬ
幾たびか試みにけり己れもて己れのこころ欺くことを

    図々しい男

図々しく生き来し男 図々しく我に迫りて我をさいなむ

    O  君

共存はできぬといいし男あり 額の広きかしこき男
ひたすらに我が信じ来しことどもをいとも容易に否定せし友
自我強き性格認めそれ故に我が通らぬと遠ざかる友
幾たびか論争しては和解しつ交際続ける互いに愚か
致命的な恥の立証平然と攻撃せられ泣きたくなりぬ

    **

雨の日の街に来たりてウインドの鹿皮のジャンパながく見ており
電車に乗り押されるままに吊革に身をゆだねれば心和みぬ
体臭のこもれる部屋に尋ね来し汝(なれ)は黙して窓明け放つ
泣けるだけ泣きてもみよと汝(な)に言われ めそめそと泣きし夢をみたりぬ
雨の日のジリジリと放電せる高圧線に鴉一羽来てしばし動かず
狡猾とみたければみよ怠慢とみたければみよ我孤独なり

    **

雲一つ漂いており冬の日のめずらしく晴れし風の強き日
放水路のどろどろに濁りし川の面(も)に猫の死骸と電球浮かぶ
波止場に来れば倉庫の壁に乞食一人うずくまりおり冬の陽(ひ)うけつ
下腹のふくれし女 幼子の手を引きて去る米軍倉庫のよこを
フォルテシモ数秒続ける後の静寂 ベートーヴェンのアパショナタ
己れの中に別の己れのいるごとき錯覚のせる冬の日続く

    **

あくがれの具象のごときかたちして雲飛びゆけり夏の日の空
五時に鳴る里のおみやのチャイムなり遊びおる子等帰りたまえよ
廃線になりし路線の転轍機 小雨降る日に鈍く光りぬ
工場の架線の下の一隅に黄色き花がほほけおりたり

    樹  液

幼かる日々の記憶の断片が静寂のとき襲い来たりぬ
無花果(いちじく)の枝を手(た)折れば木の液が手に付着してべとべととせり
尾の切れし蜥蜴(とかげ)一匹夏の日の輝く中に動かずにおり
夏の日の高き木立に夕影(ゆうかげ)が次第に増して今日暮れむとす
鉄柵にからめる蔦は静かなる雨に打たれて白く光りぬ

    工  場

側線に放たれし貨車一つのみ夕影に重き量感示す
おのもおのも私生活なき顔になり働きており工場のなか
ストの日の静寂のうちに工場を歩めば赤き蟹のいたりき

    相  手

馬鹿者は相手にしない主義なれど相手にせねばならぬときあり
糸たれて魚(うお)釣るときは愉快なり 釣らるる魚はいかに思うか

    製紙工場(一)

蒸気たてて す走(ばし)る紙の一条が巻かれつつあり抄紙機後部
ほとぼしる水に混じりし原料は確実のごと網の上走る
工場の長き煙突かすかなる煙を吐きぬ風の弱き日
ぎっしりとパルプの山の積まれたる工場のもつ厚き量感
水しぶきたてて抄(す)かれし紙一条限りなきまでに白き幅もつ
ベルトもて連動されし大小のプーリー静かに回転続く
一条となりてプレス部 走るとき静電気 起こり紙の鳴るなり
抄紙機のロールの間に水泡の小さき玉が生じては消(け)ぬ

    製紙工場(二)

塩化ビニール紙 抄きてゆきつつ抄紙機は試抄(ししょう)なるゆえ静かに回る
朝光は機械に白くさして来ぬ 窓の矩形の形象もちて
一対のコーンプーリー高速に回転しつつ微かに揺るる
切れし紙 つながむ時に職工の手は鮮やかに一きわ走る

    **

きらきらと翅(はね)かがやかし赤蜻蛉群なし飛びていづくにかゆく
秋の日の澄みたる空に飛ぶ雲が激しきさまに姿かえゆく
吹く風は透明であるか秋の日は疎になりてゆく心地せり
山の木の赤みゆく今は寂しと北国の友の手紙届きぬ
言いがたき言葉残して別れたる後のこころは寂しくもあり
切り崩しされたる山は かすかなる秋の斜陽に白く輝く
恥という一条の線残しつつ生き続けるは哀れなりけり

    短 歌 帳

秋の日の寂しきときに なすべくもなくて繰りおり我が短歌帳

    **

結局はエゴに連なる論理をば堂々と押す思考の塊り
その深き額の皺(しわ)は皮肉もて もの言うときにかすか薄らぐ
破れても破れてもなお丹念に修繕を続ける我は愚かか
生活も学問も歌もなおざりになり始めしより苦しみは去る
ノイローゼ精神分裂ヒステリイ したり顔していろいろなこと言う
激しくて静かなるさま狂人のもの書くときの態度にもあり
大丈夫 大丈夫だよ というころは すでに遅しと言う人もあり
己のみ中心にものを考える癖ふくらみて我を苛(さいな)む

    **

あかあかとストーブの火は燃えており炎の先端ひときわ光る
丹念に母が仕上げしセーターを何気なく着て街に出(い)でたり
跨線橋越えゆくときに西の野にあかねさしたる雲光る見ゆ
廃線になりし軌条は雨の日に鈍く光りぬ赤く錆びつつ
手袋が握りしままのかたちして捨てられており冬の路傍に
大切なもの一つずつ確実に失いて来て青春は逝く

    **

風強き日の空の雲限りなく美しくあり流れゆくゆえ
跨線橋渡りしときに一すじになりて列車が走りてゆきぬ
結びたる糸の継ぎ目を気にしつつ吾子(あこ)とあやとりしつつ春の日

    風 媒 花

風強き堤防ゆけばタンポポの黄色き花がほほけおりたり
風媒花 風強き日に限りなく勢いもちて種子(たね)を飛ばしぬ

    鎌倉にて

谷間を縫って流れる渓流は弘法の井戸に源を発せり
おにやんま扇ケ谷(おうぎがやつ)の谷間を悠然と飛ぶ夏の一日(ひとひ)を
夏の午後百日紅(さるすべり)は鮮紅(せんこう)の花開きおり海蔵寺の庭
境内に松葉ボタンが色競い 夏の光にいたく寂けし
ひとしきりひびくがごとく蝉鳴けり日暮れむとする扇ケ谷に

    箱根方面

晩秋の十国峠より見し富士は雪をかぶりて きわだちており
くねくねと曲がれる道を自動車は左右に富士を動かして行く
箱根路は霧がけぶりて自動車は濃霧灯(フォグランプ)のみ黄色に照らす
湯が島の保養所にきて どうどうと流れる滝を一夜聞きたり
峰々に赤く染まりし木々もあり黄なるもありて秋山は映ゆ
黝々(ゆうゆう)と四方にかすめる朝霧は驟雨のごとく我が頬をうつ

    **

満たされし思い少なき青春と過去思うとき恥はも襲う
晩夏(おそなつ)のあかあかと射す日光に皮膚さらしおり心倦みつつ
雑踏の中に来たりて こころいつか和みて共に歩みてゆきぬ
夕立の雨あがりたる石壁に まいまいのおり斜陽に光りて

    **

晩夏のかなしきときは独りのみ部屋にしこもり闇中にいる
親不知歯(おやしらず)痛みし幾日いつになく父母のことなど考えており
つきつめて思うことなく漫然と過ぎてゆきにき我が青春は
晩夏の斜めに差し来る陽を背にし畳に居たり眼瞑りて

    **

握り拳(にぎりこぶし)つくりてみたり関節に鈍き感覚襲いしときに
平凡に一日を終わる悔いあれど酒をくらいてこころ和みぬ
ともすると人と人とのつながりは欺きあいて互いに傷つく
何故かこころたかぶる一日を玻離(はり)みがきおり時かせぐごとく

    雲

飛ぶ雲の雄大であるかと憧れて眺めいるうち やがて消えたり
いささかに もて余したる情熱を鎮(しず)めんとして雲ながめおる

    敗  北

戦いて敗れし兵士一人いる原野の景色想像しており
敗北というかなしき言葉脳裡をかすめ始めしより頽廃始む
感情のみが走りてゆける欠点を幼きよりもちて今日にいたる
幼かる記憶のうちのかなしみの部分が殊(こと)によみがえりきぬ

    ガ ス 灯

公園の霧深き夜にガス灯が鈍く光りて男女を照らす

    **

何故に襲いきたるか静寂に錐(きり)のごとくの胸の痛みは
つきつめて思うことなき生活を悔いてもみたり寂しきままに
限りなき思い馳せつつなにゆえか あさましきほどたかぶりており
ほどほどにものを思えば安かりを こと改めて悩み続けぬ
溶けし鋼(こう)一条になりす走りてゆくがごとかる思いしたりき
おのもおのも限りなきほど貪欲に生きているらし我れ失格者
いみじくも敗れ果てたる自尊心 いかにせむかと思いてあわれ
何故に ほどほど生きる賢さをもちて生きるを拒みし性質(さが)は

    妻

水仕事する汝の手に ささくれの増してゆきたり寒さとともに
汝が編みしレースの上に無造作にバンビの玩具 置かれていたり
セーターを編みおる汝が手を休め 後れ毛なおし考える須臾(しゅゆ)
みごもりて動きにぶりし汝(なれ)の背に冬の夕日は白く光りぬ
何故に寂しきこころ襲いきて汝に言はむが思いとどまる
ことさらに言はむと思いためらいて言いそびれたり汝に金のこと
恥ずかしきほどに少なき給料を机上に置きて汝と口論す
健やかな汝の寝息が聞こえおり生くる段取り思いしときに

    **

怠慢の一語につきる悪癖を改めるべく励みてみたり
一度(ひとたび)は心がけしが成らずして止(や)めたることの恥ずべき記憶
満足になし得ぬ焦り幾たびか襲い来たりて苦しかりけり
ことさらに気になる性格恥ずかしく ふてぶてしくも振る舞いてみぬ

    金 槐 集

さびしさの襲い来るとき いつになく金槐集の冬の歌よむ

    サボテン

二年前に君の賜いしサボテンが薄桃色の花ひらきたり
幾たびか分培しつつサボテンは小さき青き生を分かちぬ

    獏
夢を食う獏(ばく)という動物のこと いつの日か読みたることを思いおこせり
夢ばかり追いて生ききし あわれなる人間一人いじらしくもあり

    **

虚偽多く空しき日なり幾たびか いやいやになりて海岸に来ぬ
さまようがごとく来たりて海岸の潮風の吹く防波堤歩む

    **

いつわりて汝に言いたることなどが あさましきほど甦(よみがえ)り来ぬ
結局は無駄と解りて諦めるときの淋しさ幾たびもあり
満たされぬ心ともいうか満ち足りし瞬間に次の満たさるるを待つ
思うことばかりが多く重なりて なすことのみな あわれ空(むな)しき

    蚊  柱

冬の日の河原に蚊柱立ちたるが風吹きて散りやがて戻りぬ

    吾  子(一)

生まれ来る吾子のためゆえデパートに来て緑なる絨毯を買う
みどり子は何思いてか奔放に振る舞いておりサークルの中
透き通るごとき白さの拳(こぶし)なり握りしかたち薔薇の蕾(つぼみ)か
日に増して重くなり来つ二ヶ月の小さき吾子の生命(いのち)いとおし
戯れに足押してみば いきおいをもてる力で押し返しきぬ
泣きて止(や)み泣きては止まむ あわれなる声あげており空腹のとき
あやし飽きてしばし黙して目を見れば吸い寄せらるる心地したりき
力強く母の乳房を音たてて吸引しおり小さき生命(いのち)

    吾  子(二)

試みに言いたることに何故か吾子は黙して我が顔を視る
曇りたる春の一日(ひとひ)に庭の草 引きつつおれば吾子泣く聞こゆ
吾子のこと思いておりぬ 出張の帰りの電車単調に走る
何故かこころ寂しきときもあり吾子思いては励みてもみぬ
眠きとき とぎれとぎれに泣きいしが やがて静かに吾子は眠りぬ
腹這いにしてやりてみぬ春の日の暖かき午後を吾子の喜ぶ

    指揮者と楽員

毅然たる表情もちて指揮棒を激しく振りぬ初老の指揮者
しなやかに流るるごとくカラヤンの指揮棒(タクト)握りし上膊動く
矍鑠(かくしゃく)と指揮続けおりカラヤンはベートーヴェンの第九交響曲
小刻みに動きておりしカラヤンの腕ピアニッシモで一際(ひときわ)落ちぬ
せり上がるごとくに弦が高鳴りて しばし続きてフルートが継ぐ
弦群が緩急楽章奏すときビブラートかけし手首小波のごとし
大海にうねれる波が押し寄せるごとく高鳴り一楽章終わる
テムパニー奏する老人 一楽章終わると深く呼吸しており
白髪のフルート奏者ピッコロに持ち替えるときピッコロ光る

    パガニーニ

「鐘」という曲を聴きつつ独奏者(ソリスト)の端正なる横顔想像しおり
顫音(トリル)部を奏するときにソリストの中指 指板(しばん)に跳躍しおり
美しき調和をもちて二重奏音(ダブルストップ)は続きてゆきぬ協奏曲第四番
カデンツァのトリル弾くとき独奏者は弓ゆるやかに使いておりぬ
カデンツァ終わりて合奏(テュッティ)に引き継ぎしときにひときわ曲は高まる

    妥  協

何故か激しき性質(さが)はいつよりか失いており妥協のうちに
安易なる妥協のうちに物事を処理する方式耐えゆき難し

    **

細長く夏の西日が射しており塀の合間の静けき空間
はどほどに振る舞いてみて客観をなせば他人は賢きという

    **

人生は川の流れか いささかも逆行すれば抵抗が増す
ゆるゆると流れるままに身をゆだね逆らわずんば日々平和なり
疲れはてて床に伏すとき何故か虚脱感来ぬ一日(ひとひ)終えしに
床に伏せば終日稼働の工場の機械の響き かすかに聞こゆ
闘争心強き性質(さが)ゆえ幾たびか破綻(はたん)をきたし今日に至れり
相容れぬ二つの想念こもごもに来たりて苦し妥協せぬゆえ
冷静になりて思えば物事はすべて落ち着くところ見出(みいで)ぬ
眠られぬ夜に起き出(い)でカーテンを引けば星の輝きており

    **

大頭の君の丸刈り似合わずと少年がいう日光浴のとき
幼なかる日々の記憶の断片が思わぬときに甦(よみがえ)り来ぬ
紫の花のごとくに機械油が雨降る道に拡がり光る

    魚 釣 り

岸壁に寄せ来る波がしぶきおり冬の曇れる午後に光りて
曇りたる冬の一日(ひとひ)を鰈(かれい)など釣らむと思い防波堤に来つ
竿先が振れたるときに こころもち竿を起こせば手応えのあり
海面を滑るがごとく白き魚(うお)引き寄りてきぬリール巻くとき
思いきり遠く投げたる分銅は放物線描きて海面に消ぬ

    雲と水と光

うねうねと細く続ける多摩川の水少なくて白く光りおる
春の日の澄みたる空に飛ぶ雲の影は川面をわたりてゆきぬ
砂ぼこり強き堤防の斜面に雑草がいち早くあおき芽ふきぬ
堤防より眺めし川面はしらしらと光りておりぬ春の日ざしに
尾の長き水鳥の群むらがりて浅瀬の上に餌をあさるらし
川の面に春の日受けて銀色のナイフのごとく鮎の稚魚光る
水涸れしままの下流の鉄橋を機関車が貨車牽きて渡りぬ
貨車牽きし機関車の編成ながながと渡りてゆきぬ赤き鉄橋を
銀色の鋭き錐の刃のごとき光残しつ飛行機は基地へ向く
砂利積みしトラックが数台のろのろと水涸れし川床を這いておりぬ
川の土砂満載せしトラックがきしみつつ去りてゆくとき水が滴る
多摩川の枝流の流れゆるやかに青くよどみて水すまし浮く
生活に疲れ果てたるかたちして老人のおり土手の日だまりに
春の日に独り水涸れし川床を歩めば石はかたかたと鳴る
多摩川のうねりて続く上流は赤し大きな陽が沈みゆく

    秋 の 蝉

          吹く風は涼しくもあるかおのづから
                山の蝉鳴きて秋は来にけり  実朝

      1

混沌とせるこころ いかにせむかと迷ふときつくつく法師柿の木に鳴く
せはしげに鳴く蝉ありて晩夏の太陽はたそがれの須臾を透明に照れり
<どうでもよい>という妥協 根強くこころに芽生えしより退廃始む
<生きる>ということを始終考へてをり あはれなる魂か
眼精疲労といふ病になりて目のかすむ幾日かすぎぬ秋は来にけり
思考の中心を失ひたるやうな錯覚をして指先を眺めをり
つるつるに磨かれしトランペットぷうぷうと吹いてみたき衝動にからるる
<D>の音の鳴らぬピアノをなげきつつインヴェンション練習しをり秋の雨の日
汝のせし薄桃色のマニュキアのいろつややかに秋の日に光る
宗教へ逃げたる汝が幾度か言ひてをりしこと<しあわせ>になること

      2

サッカーやめてでぶでぶになりし体 もてあましつつ秋の一日山へ登る
コール天のよれよれズボンふとりたる我には似あはずと友言ひしなり
鶏頭の赤きに映えて秋の日は斜めに照りおりまた汝の背にも
疲れ果て床に伏すときふと汝の<あなたは馬鹿>と言ひしを思ふことあり
<生きる>といふことと<どうでもよい>といふことと錯交しつつ日々の混沌
歪みたるこころのかがみに幾度か歌磨の女の映像が写りては消ぬ
やる術のなきこころをもてあまし八つ当りする人間はあはれ
他人をあざむきて生き続くればいつしらず己をあざむく術覚えむか
胸を病みし君の給ひし絵葉書に北国の秋が描かれてをり
いつのまにか蝉も鳴かずになりたりとさびしと告ぐる君の便り来ぬ

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万葉集の作品から

 『万葉集』は、今から1200年ほど前に作られた日本における最初の大きな「歌集」です。
 そのころは、まだ文芸の種類が細分化をされていません。だから、「歌集」と言っても「小説的な要素」や「評論的な要素」などが混じっているのです。そのようなわけで後の『古今集』などとは異なって、その味わいはむしろ深いと言えます。20巻から成り立っていますが、年代順でも作者順でもありません。

 万葉集を原文で読むことは、私にはまずムリでしょう。なぜならば、漢字ばかりだからです。
 したがって、すでに現代語に訳されているものを読んで鑑賞をしなければなりません。
 また、作品には「長歌(ちょうか)」や「反歌(はんか)」そして「短歌(たんか=実際には「たんくゎ」)」、「旋頭歌(せどうか)」などの種類があります。

(注) 短歌は、ふつう「たんか」と発音をします。しかし、中には頑(かたく)なに「たんくゎ」と発音をする人もいるようです。
 私の知っている範囲では、『コスモス』の宮柊二先生が「短歌」をいうときは、必ずそう言っていました。時には、「たんくゎっ」と聞こえることさえもありました。滝口英子さんや三木アヤさんは、女性であられるためでしょうか、そういう発音はなかったようです。

 「長歌」は、五・七音を何回か反復して、最後を五・七・七音で終わる形式です。
 「反歌」は、長歌の後に続いて意味をまとめたり、言い足りなかったことを補う役目をします。長歌の後には、反歌が必ず付いているようです。ふつう反歌は、短歌の形式をしています。
 「短歌」は、五・七・五・七・七音の形式で、今日まで伝わった形式です。
 「旋頭歌(せどうか)」は、今日ではほとんど作る人がありません。五七七・五七七という音の作品です。

 これらをまとめて、「和歌」というときがあります。とくに、どの形式かを区別しないときに、言うのでしょう。狭義には、杜撰な考えで「和歌」と「短歌」を同一と考える人が多いようです。そして、古い時代のものを「和歌」、近代のものを「短歌」と言うんだなどと思うようです。いろいろな表現法があるということを忘れているのでしょうか。

 言葉のリズムには、時代によって流行(はやり)廃(すた)りがあるようです。
 例えば、平安中期に現れた歌謡の一つに「今様(いまよう)」があります。それは、和讃(わさん)や雅楽(ががく)の流れをくんだもので、七・五・七・五音の形式で、ふつう七五調四句から構成されます。
 むろん今様は現代でも用いられる形式で、20年ほど前の東大の駒場文化祭で、
 <止(と)めてくれるな おっかさん 背中の銀杏(いちょう)が 泣いている ……>
というような台詞(せりふ)を言うのがありました。
 言っている男は、背中に大きな銀杏の刺青(いれずみ)をしたヤクザ風の若衆で、これから喧嘩に出かけて行こうとしているところでした。

 万葉集の代表的歌人としては、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)、山部赤人(やまべのあかひと)、山上憶良(やまのうえのおくら)、大伴旅人(おおとものたびと)、大伴家持(おおとものやかもち)などがいます。

 ここでは、私の大好きな山上憶良の長歌とその反歌を引用しておきましょう。
 彼の歌には老年の作品が多く、人生や親子の愛情をテーマとしたものが多いからです。また貧しい生活を歌ったものもあるようです。

 <瓜(うり)食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲(しの)ばゆ 何処(いずく)より 来たりしものぞ 眼交(まなかい)に もとな懸(かか)りて 安眠(やすい)しなさむ

          反歌(はんか)

 銀(しろがね)も 金(くがね)も 玉も何せむ(ん)に 勝れる宝 子にしかめやも>

 なお、「もとな」とは「面影」のことです。「眼交」は「目の前にちらつく」というような意味でしょう。「金」は「こがね」ではなく「くがね」と読むようです。

 山上憶良の作品で、ちょっと気がかりになる和歌がありました。

 <士(をのこ)やも空(むな)しかるべき万代(よろづよ)に語り継ぐべき名は立てずして>(巻六 978)

 この意味は、
 「男子たるものは、むなしく朽ち果ててよいはずがあろうか。万代に語り継がれるような名を立てることもしないで。」
というようなことでしょうか。思わず『考経』の冒頭の「考の終わり」(『冒頭から2つめにあるくだり)を思い出させて、何となく自分が言われているようで、つい私はドキッとしてしまいます。
 この山上憶良は、何となく後の橘曙覧(たちばなのあけみ)の先輩のような感じもちょっとばかりするのですが、いかがなものでしょうか。

 大伴旅人は、ほがらかな性格であったようです。しかし、後の九州での生活や妻を失ったことが、その明るさをいぶしてしまったようです。

 <あなみにく 賢(さか)しらをすと 酒のまぬ人をよく見れば 猿にかも似る>

は大伴旅人が、酒を飲まない人を皮肉ったものでしょう。
 私ならば、むしろ「酒を飲んだ人が猿に似ている」ように見えるのですが、……

 大伴家持(おおとものやかもち)の有名な鰻(うなぎ)の歌です。

 <石麿にわれ物申す夏痩(なつやせ)に良しといふ物ぞ鰻取り食せ>(木俣修『万葉集』p184)

 当時すでに、鰻が夏バテによいといったのはさすがと思います。歌そのものも、非常にわかりやすくできています。おそらくバテかかっていた石麿という人に向かって、言ったことがわかります。後の平賀源内の鰻PRのことを考えると食生活に関して、時代が変わってもあまり内容が変わらないこともあるんだなぁと、私は思いました。
 もっとも、万葉の時代には鰻が食べ物というよりも、むしろ薬代わりのものといったような感じだったようですね。

 次に、『万葉集』から多摩に関係のある2首を引用して、思いついたことなどを記しておきましょう。

 <多麻河泊尓左良須弖豆久利佐良左良尓奈仁曽許能兒乃己許太可奈之伎>(巻十四 3373)

 これは「たまがはに さらすてづくり さらさらに なにそこのこの ここだかなしき」と読みます。
 そして、それを漢字に置き換えてみますと、
 <多摩川に さらす手作り さらさらに 何ぞこの児の ここだ愛(かな)しき>
のようになります。
 私がいつも散歩をする調布あたりの多摩川を誰かが読んだものでしょう。

 そして、その流域がだいぶ変化をしたり、すでに布をさらしたりはしなくなっているが、相変わらず川は流れていて、今でも万葉時代の面影を偲ぶことができます。
 この歌に続き、違った作者の作品らしいのが九首あって、最後に「右九首武蔵国歌」とコメントが付いているだけです。つまり、この歌を初めとしていずれの作品にも作者が記してないのです。

■調布にある「多摩川にさらす手作り」の碑

   

(注) 調布市の市街区にある「多摩川にさらす手作り」の碑は、引用歌について万葉集というコメントはなく「武蔵国調布玉川の図」となって、歌川国芳(うたがわ くによし)の川で布をさらした作品のほうが主体になっていました。

 <阿加胡麻乎夜麻努尓波賀志刀里加尓弖多麻能余許夜麻加志由加也良牟>(巻二十 4417)

 これは「あかごまを やまぬにはかし とりかにて たまのよこやま かしゆかやらむ」と読みます。
 そして、漢字に置き換えると
<赤駒を山野に放し 捕り不得手て 多摩の横山 歩ゆか遺らむ>
となります。

■ 万葉公園にある「多摩の横山」の碑


(注) 万葉公園は、八王子市散田5丁目にある。京王線の「めじろ台」駅から北へ500メートルくらいのところです。

 豊嶋郡の黒女(くろめ)という婦人の作品です。なぜならば、その歌の後に「右一首豊嶋郡上丁椋椅部荒虫之妻宇遅部黒女」とあるからです。
 この和歌には「多摩の横山」が、馬の放牧場として使われていたことが歌われています。

 私の住んでいる住宅の窓から、南に一望できるところにあった小高い連山は「多摩の横山」の一部であったようです。しかしそれが、団地や高級住宅街の建築のためにざっくりと切り取られて、今は裾野だけを残して平らになっちゃいました。だから、その面影はほとんど残っていません。
 そこは、「関戸」という待避線もない田舎駅を「聖蹟桜ヶ丘」という駅名に変えて、特急まで停車をさせて大規模に京王が分譲をして高級住宅街になりました。「桜ヶ丘○丁目」という地番をもっているところです。そして今でも、閑静な佇まい。その高級住宅街のモデルは、東急線の田園調布であったといいます。しかし、そこに住んでいない人は「駅から急坂があるから高級ではない」という人もいるようです。

 それはともかく、「多摩の横山」の碑がある「めじろ台」駅は「山田」駅と「狭間(はざま)」駅の中間にあり、やはり京王の分譲地でできた駅名らしい。そして「関戸」から「聖蹟桜ヶ丘」、「金子」から「つつじヶ丘」になったように、駅名を単に土地売却のために、イメージアップしたような感じです。
 まだ、多摩の横山がその面影を残していたかつての時代には、野猿峠の辺りには「ピンヘット山」があり、鎌倉街道の多摩市役所反対側には「アパッチ砦」などがありました。しかし、開発のためにそれらを切り崩すのとほぼ前後して「いろは坂」や「メタセコイヤ通り」など新しい名称が作られたようです。

 その「多摩の横山」跡の丘の上も、最近になって住民の世代が高齢化してしまいました。
 それでも、まだ現役の会社の重役などがかなり住んでいるらしい。何でも京王の社長も、その一角にいるそうだ。
 すでに引退をしている人では、私の知人も数人いる。前に、ピアノの演奏のことでお願いをした若い素敵な先生もいる。美人ではあるが、お嬢さん育ちなので、とてもわがままだった。その地区のことで、和歌とはまったく関係がないが、住民の間に異変が起きているようだ。
 70歳前後の人が、次々と倒れているらしい。救急車が寒い日の明け方などは、1時間に2回くらい。ときには、一度に2台が来ている。つまり、ひっきりなしに運ばれていく。場所がらから、交通事故ではないだろう。
 やはり、それは高齢化をしてしまった居住区におこる現象なのでしょう。

 あれこれと思案をして、多摩の横山が実際には、八王子市大塚(現在帝京大学の南に清鏡寺がある辺り)一帯にあったのではないかということが、何となくわかった。そこには、古くから馬場があったという言い伝えがある。万葉の時代から下って、鎌倉時代にも東国武士が乗る戦闘用の馬を飼育・訓練した記録が残っているという。
 なお、帝京大学自体は、「多摩市和田」と「八王子市大塚」にまたがって建てられている。多摩ニュータウンは、稲城市・多摩市・日野市・八王子市に及んでいて、そこにあった「多摩の横山」も開発によって、ほとんど削られて姿を変えてしまった。なくなってしまったと言ってよいくらいではなかろうか。

 それでも「多摩の横山」は、かなり長く東西に連なっていたようだ。ちょうど、国分寺崖線が多摩川の北側で川に沿って続いているように、多摩の横山も多摩川の南側に「是政の多摩川右岸」の辺りから、八王子の元横山町(現在の甘利町=多摩陵があるところ、実際の武蔵陵墓地の事務所は長房町になっている)くらいまで、うねうねと続いていたのだろう。
 なお、現在でも甲州街道沿いに南側に「横山町」という地名が残っていて、バス停や郵便局がある。

 下の作品は、巻十一にある和歌です。私には、誰の作品だったかを思い出せません。あるいは、「詠み人知らず」だったのでしょうか。

 <梓弓(あずさゆみ)引きみ弛べみ来ずは来ず 来ばぞそを何ぞ 来ずは来ばそを>

 これは、一首の中に「来」を執拗に繰り返しています。どうやら、語の遊びのような感じもしますが、意味はどうなるのでしょうか。
 また、「弛」という字は「弛める」というときは「ゆる」と読みます。弓の弦(つる)をゆるめることでしょうが、ここでは何と読むか私にはわからないのです。

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西行の作品から

 西行には、

 <思ひ出づる過ぎにしかたを恥かしみ あるにものうき この世なりけり>(719)

という歌があります。
 私(黒田康太)はふと今このような文をインプットしているものの、自分もそのようなケースの一人ではないかと心配になってくる。しかし、もしかしたら結局は何も残さずに終わるのがよいのかもしれない。
 それはともかく、西行の気持ちが伝わってくるので素晴らしいことではないか。

 西行が出家した動機については、次のような文が残されています。和歌ではありません。
 <世のなかに武者おこりて、西東北南いくさならぬところなし。…… 死出の山越ゆるたえまはあらじかしなくなる人のかずつづきつつ>
しかし、文章であってもリズムが何となく和歌風ではありませんか。
 なお、「西東北南」の「東」には「ひんがし」とふりがながあり、「北南」のところは「きたみなみ」とかなで書いてあるものもありました。
 現在の「東西南北」になったのは、近年のことかもしれません。また、麻雀の「東南西北(トーナンシャーペー)」とも順序が違います。もしかしたら当時の言い方ではなく、語調を合わせるために西行が行った順序かもしれませんね。

 実朝の<吹く風は涼しくもあるかおのずから山の蝉鳴きて秋はきにけり>を思い出させる歌があります。もっとも、どちらが古いかは調べないと私にはわからないのですが、……

 <山里の外面の岡の高き木に そぞろがましき秋の蝉かな>

 上の歌は、今の私にもわかるような気がします。
 なお「外面」は「とのも」と読むのではないでしょうか。すると「の」が4つも続くリズミカルな効果を出すようです。

 西行には、ちょっとジョークのような作品もあります。

 <磯菜つまん いまおひそむる わかふのり みるめきはさひしきこころぶと>

 おわかりでしょうか。海草の名前を入れてあるんです。「わかふのり」「みるめ」「きはざ」「ひじき」「こころぶと」だそうです。
 何となくわかったようなわからないような和歌ですが、実を言うと私は下の句の意味がまったくわかりません。
 なお、「こころぶと」だけはもとの和歌にも濁点がありました。やはり当時は海草の一種だったようです。

 西行は頼朝から歌道について問われたときに、
 <詠歌は花月に対して感動の折ふし、わずかに三十一字を作るばかりなり。全く奥旨を知らず。さればこれかれ報ぜむと欲する所無し。>
と答えたといいます。

 西行の『山家集』を愛し、西行に憧憬をしつつ終わった歌人がいるそうです。それは若山牧水であるのだと、かつて宮柊二先生から聞いたことがあります。

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金槐和歌集の作品から

 <箱根路(はこねじ)をわがこえくれば伊豆の海や 沖の小島に波のよる見ゆ>

 <大海の磯もとどろに寄する波 われてくだけて さけて散るかも>

 将軍職にありながら、和歌にのめりこんでいったのは、おそらく傀儡(くぐつ)のような自分の立場にいたたまれなくなったのでしょう。
 唐(から)に渡るために大船を作ったりしたのですが、進水さえもできなかったりして、やがて陰謀で別当公暁に暗殺されるのです。
 私は学生のころに、太宰治が『右大臣実朝』というタイトルで「東鑑(あずまかがみ=吾妻鑑)」と対応させながら書いた作品を読んで、感激をしたことを思い出します。

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橘曙覧の作品から

 橘曙覧(1812−1868)は旧家に生まれ、文学を好んで、万葉に親しんだようです。『志濃夫廻舎歌集(ただし「回」でなく「西」』を残しています。
 よくはわかりませんが、私は橘曙覧の作品から何となく万葉集の山上憶良を思い出します。なぜでしょうか。

 <蟻と蟻 うなずきあひて なにか事ありげに走る西と東へ>

 <たのしみはそぞろ読みゆく書の中に 我とひと(等)しき人を見し時>

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宮柊二の作品から

 初めて宮先生にお目にかかったのは、私がまだ学生のころでした。三鷹市牟礼(いまは井の頭になっている)のご自宅兼編集室でのことです。そのときも、すでに滝口英子さんとご一緒でした。
 先生が「短歌」というときには、正確に「たんくゎ」と発音をなさっているのが聞こえました。
 しかし、私は「柊」という字の意味を知らなかったので、帰宅してから辞書を引いたことを覚えています。すると「ひいらぎ」という意味だったのです。そして、「柊が老木になると、葉のギザギザが取れて丸くなる」ということを知ったのは、かなり後になってからです。

 <目瞑りて ひたぶるにありきほひつつ憑みし汝(なれ)はすでに人の妻>

 <かなしみをはるかに聞かば過ぎし人あはれを知りて妻となりゐむ>

 <幼くて父よ み子よと相呼ばいはり経しころはたのしかりにし>

 <幼かる記憶にありしあることが何のはずみにかわれを傷(いた)むる>

 宮柊二『西行の歌』に次のような記述がありました。

 <歌には自分だけが詠っておけばよい、つまり対者を顧慮しない独自詠というものがある。あるいは対者一人だけに向って詠う歌がある。>

 私は、宮先生に怒られた記憶が一つあります。
 毎月のコスモス投稿原稿なのですが、十首を清書して専用の原稿用紙に書いて出します。私は自分の手控えに、いつも数回分を作成しているので、月末にそれを写すだけでよいのです。うんうん言って作らなくても大丈夫、余裕綽々なのです。
 ところが、あるとき同じ手控えを2回写しちゃったのです。当然、編集部には同じものが続けて行ったので宮先生から作品の管理がなってないと大目玉。きつく叱られました。がっくりしていた私に、奥様(滝口英子さん)は「そういうことはよくあるんですよ。」と慰めてくれました。
 前の原稿が載った本がまだ出ていないので、そんな勘違いをしてしまったようです。思えばどうも、学生のころから何となくおっちょこちょいのようでした。

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中西悟堂の作品から

 <救ひなき いまの一世(ひとよ)を思ひゐる けさの空ゆく 鷺(さぎ)のあとさき>

 <少年の日に追ひたりし落日を いまだも追ふか陸(くが)尽くるまで>

 <癌といふ怖ろしきもの この友を 食ひつくしゆけり その最期まで>

 何となくわかるような短歌でしたので、ここに引用をしました。
 鳥類研究家であったり、自然保護のボランティアをしていた中西悟堂氏を彷彿とさせる作品ですね。
 また、彼は冬でも裸で過ごしたそうで、及川裸観(ちょっと度忘れをしちゃった?)などとともに、私がまだ学生のころに有名でした。

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教訓を含んだ短歌

○太田蜀山人の「飯と汁」

 <一代の守り本尊たずぬれば朝夕食べる飯と汁なり>

 確かにそのとおりで、本質を突いている短歌のようです。


○高杉晋作の「心」

 <面白きこともなき世を面白く住みなすものは心なりけり>

 生きていくためには、工夫が大切ということなのでしょうか。


○猫も杓子も?

 <生まれては死ぬるなりけりおしなべて釈迦も達磨も猫も杓子も>

 確かにそのとおりでしょう。
 良寛か一茶の歌だったようにも思うのですが、度忘れをしてしまった。
 もしも、あなたがご存じでしたら教えてください。

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『徒然草』の中の和歌

 『徒然草』の中に、次のような6首の和歌がありました。
 いずれも該当段の説明に関する引用であって、卜部兼行の作品ではありません。

 <むかし見し妹が垣根は荒れにけり 茅花(つばな)まじりの菫のみして>(第二十六段)

 <殿守の伴のみやつこ(御奴)よそにして はらはぬ庭に花ぞ散りしく>(第二十七段)

 <ふたつ文字 牛の角文字 直ぐな文字 ゆがみもじとぞ君はおぼゆる>(第六十二段)

 <月をめで花をながめし古(いにしえ)の やさしき人は こゝにあり原>(第六十七段)

 <かくれどもかひなき物はもろともに みすの葵の枯葉なりけり>(第百三十八段)

 <秋の野の草のたもとか花すゝき ほに出でて招く袖と見ゆらむ>(第二百三十八段)

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俳句について

 俳句は五・七・五という調べですから、短歌の「上の句」だけのものと思ってもよいのではないでしょうか。
 実際に俳句と短歌をともに残した人も多くいるようです。

○一茶(いっさ)

 <露の世の露の中にてけんかかな>

 なんとなく哀れな空しい感じがします。
 あなたも、そう思いませんか?

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教訓や警句について

 何となく短歌や俳句の一部分のような短詞形に仕上げた教訓や警句があります。
 「教訓」は、教えさとすための言葉や内容をいいます。そして、それを実際に行うに「教訓を垂れる」などといいます。
 「警句」は「アフォリズム」とも言って、巧みな表現で人生や社会の真理をついた短い言葉です。したがって、中には心にグサッとくるようなものも多くあります。

○百丈禅師

 <一日作(な)さざれば一日食(くら)わず>

 これは、何もしないときには、何も食べないというような意味でしょうか?

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変わった短歌

○明恵上人の「あかあかや……」

 明恵上人は少年時代に西行に会って和歌の話を聞いたという。後に、栂尾(とがのお)に住んだので、「栂尾の上人」とも言われます。自選の歌集『遺心和歌集』があり、それを弟子の高信が編集したのが『明恵上人集』です。
 そして、その中に非常に珍しい和歌があるのです。それは、

<あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月>

というのです。
 つまり、月の光が明るい様子をただ「あかあかや」という言葉の連続で表現をしているのである。この感嘆の中には、月を自分の仲間、さらには分身のように考える意識が含まれているのでしょうか。
 「あ」も「か」も「や」もいずれもア行の音であるから、リズムが明るくて何とも歯切れよい。そのために、効果がある作品になっているようです。

 しかし、こここで急に月が出てきたのではないことに注意をしたい。『明恵上人歌集』(岩波文庫「明恵上人集」の中の)を見ると、月の和歌が実に多いのである。
 全155首のうち20パーセント以上もの月に関する和歌がある。番号で示せば、

<3><5><7><8><9><10><17><19><20><21>
<25><26><27><31><32><33><44><52><53><59>
<88><100><101><105><(106)><108><(109)><110><118><122>
<135><136><144><146><149><152><153>

などである。
 もしかしたら、まだ見落としていたり、月に分類をしなかった和歌があるであろう。月という言葉がなくて、月を歌ったものもあったようだ。なお、(かっこ)のようにしたのは、別な人が明恵にした返歌であるらしい。
 そして、この<152>が<あかあかや……>なのである。
 全体の月に関する和歌の数を考えると、ここで<あかあかや……>が出てきたのにもうなずけます。ここにある子供のような無邪気さや純粋性には、誰もが納得をするのではないでしょうか。


○至道無難禅師の道歌

 死んだつもりになった歌です。

 <生きながら死人となりて なり果てて 思いのままになすわざぞよき>

 これは、白隠禅師の治療法を行う際に用いると効果的でしょう。


如雲舎紫笛

 如雲舎紫笛には、「毎年吉事」という題で、
 <一二三四五六七八九十年百千まんのよきぞめでたき>


阪東三津五郎

 四代目阪東三津五郎は、
 <八万三十八三六九三三四九一八二四五十二四六百四億四百>
 <五二七九二八二三九百七九三三四九九六三三四八八七十三千四百>
というような狂歌を残しました。
 まったく、意味がわかりにくくて鑑賞をするというほどの作品ではありませんが、脳のリフレッシュにはよいのではないでしょうか。
 最初の<八万三十八……>は、寛永時代に碓氷峠を歌ったものといわれています。むろん、現在の鉄道もありませんし、さらに初期のアプト式の凸型電気機関車が走っていた時代よりも以前のことです。
 その意味は、
 <山里は寒く淋しく一つ屋に夜毎に白く百夜置く霜>
 <いつになく庭に咲く桃なくさみし心淋しや花と満ちしを>
となるからです。


○石川啄木の三行短歌

 石川啄木は、短歌を三行に分かち書きをしました。
 例えば、『一握の砂』の冒頭の「我を愛する歌」は、

 <東海の小島の磯の白砂に
  われ泣きぬれて
  蟹とたはむる>

のようにです。
 しかし、どこで行替えをするかについては、いちがいに言えません。
 その都度、短歌のもつ言葉の響きを考えて、作者の感性によって行われているようです。
 『悲しき玩具』に、

 <古新聞!
  おやここにおれの歌の事を誉めて書いてあり、
  二三行なれど。>

のようにエキスクラメーションマーク(感嘆符、つまり「!」)があったり、句読点のある作品もあります。
 さらに、字下げなども効果的に使っています。『悲しき玩具』の最後から3つめの短歌です。

 <クリストを人なりといへば、
    妹の眼が、かなしくも、
    われをあはれむ。>

のようにです。
 つまり、2行目と3行目は1文字分だけ下がっているのです。


○釈超空の句読点、字空きのある短歌

 釈超空の短歌には、句読点、一字空きのある

 <庭土に、桜の蕋(ずい、しべ)のはららなり。日なか△さびしきあらしのとよみ>

のような作品もあります。
 ここで、一字空きの位置を△で示しています。
 しかし、句読点がなく一字空きだけの作品、『春のことぶれ』の中にある

 <桜の花ちりぢりにしも△わかれ行く△遠きひとりと△君もなりなむ>

のようなふつうのものもあるのです。
 なお、原文ではむろん縦書き、そして「ちりぢり」の「ぢり」のところは「く」の長いのが書いてあって、それに濁点が振ってあります。


○会津八一のかなだけの短歌

 会津八一(1881−1956)は、万葉集を近代化して独自な歌風を確立しました。秋艸動人とも名のりました。
 そして、かなだけの短歌を多く残しました。『鹿鳴集』には、次の短歌があります。

 <あきしのの みてらをいでて かへりみる いこまがたけに ひはおちむとす>

 「あきしのの」は「秋篠の」、「いこま」は「生駒」です。かなだけにすると、作品が何とも雅やかになるようですね。
 会津八一は、「この歌は西行の<秋しのや外山の里や時雨(しぐ)るらむ生駒のたけに雲のかかれる>を参考歌としている」と書き残しています。

 また、言葉を最小単位に句切った感じの、

 <かけ おちて いは の した なる くさむら の つち と なり けむ ほとけ かなし も>

のような作品もあります。


塚本邦雄の単語短歌

 塚本邦雄は、単語だけを並べた短歌を詠みました。しかし、その並べた13個の単語の語尾が、すべて「り」になっているところに注意をしてください。なぜならば、その「り」が全体のリズムになっているからです。

<錐・蠍・旱・雁・掏摸・檻・囮・森・橇・二人・鎖・百合・塵>

という作品で、『感幻楽』にあります。読みで示しますと次のようになります。

<キリ サソリ  ひでり カリ すり  おり おとり   もり そり ふたり くさり ゆり ちり>

 五七五七七のリズムをもっていて、何となく意味もわかるような気がしませんか。

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辞世の歌

 ここでは、辞世の歌といわれているものを少しばかり書き抜いてみましょう。
 その人の最期に近い心境をあらわしているものが多いので、大いに教えられるものがあって、参考になるからです。


○うろ覚えな作品

 辞世の歌か句じゃないかとも思うんですが、度忘れをしてしまった。それは、

 <……  …………  ……  ………… もとのもくあみ>

というその人の「人名を含む」短歌なんです。
 何となく「元に戻っちゃった」というような意味深長な作品だったのですが、内容を忘れてしまったのです。

 「もとのもくあみ」は「元の木阿弥」と書くらしいのですが、……
 それは、「いったん良い状態になったものが、再び元のつまらない状態に帰してしまうこと」を言います。
 その語源は、「順慶の父・筒井順昭が天文20年(1551年)に病死したとき、嗣子・順慶は2歳だったため、その死に乗じて攻め入られることを恐れ、声や姿の似ていた盲人琵琶法師・木阿弥を奈良から呼び、順昭が病気で寝ているように見せかけ、順慶が長ずるに及んで初めて順昭の死を公けにしました。そして、木阿弥は元の市人となった」ということです。

 筒井順慶という人は中々面白味のある人物で、実際に残っている辞世の歌は、

 <根は枯れじ筒井の水の清ければ心の杉の葉は浮かぶとも>

だそうで、<……もとのもくあみ>ではないのです。
 それは当然で、これは木阿弥の辞世の歌ではありません。

 一説には、時代を下って埼玉県の嵐山町に狂歌師の元杢網(もとのもくあみ)がいたという。その杢網(もくあみ)は本名を鈴木喜三郎といい、上京をして京橋で風呂屋を営んでいたという。
 そして、辞世の歌は、

 <あな涼し浮世のあかをぬぎすてて西に行く身はもとのもくあみ>

という。
 もしも、ほんとうの木阿弥の辞世の歌をご存じの人がいたら、教えてください。


○良寛の辞世の句と歌

 <裏をみせ表をみせて散る紅葉(もみじ)>(良寛 辞世の句)

 <形見とて何か残さん 春は花 夏ほととぎす 秋は紅葉>

 この「春は花 夏ほととぎす」というのは、道元も引用をしていたみたいです。


島秋人氏の辞世の歌二首

 <笑む今の素直になりしこのいのち 在るとは識らず生かされて知る>
 <この澄める こころ在るとは識らず来て 刑死の明日に迫る夜温(ぬく)し>

 島氏の短歌は、以前から「毎日歌壇」や「朝日歌壇」に投稿されていたもので、これが最後の二首です。


○十返舎一九の辞世

<この世をば どりゃおいとまに せん香のともにつひには灰さやうなら>

 「線香」や「はい、さようなら」などとふざけた持ち味を残した辞世の歌です。

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おわりに

 短歌はわが国に古来からある短詩形ではあるが、ここでは文学的な鑑賞が主な目的ではなく、回想創造法のテキストとして利用することを考えました。そのため、その主旨によって独自な表記法を採用したのです。
 つまり、老化予防のセミナー用として作ったものと考えていただきたい。
 したがって、その道の専門家からみれば幼稚で拙(つたな)いものであろう。しかし、この歌集全体の表記法も、思い切って簡略化をした新しい一つの試みであるゆえ、大目に見て許していただきたいのです。

 誰もが作品について批判できないような優れた古今の歌人の作品をここに並べるわけにはいかない。なぜならば、そうしたのではセミナーのメンバーが批評をして加筆訂正をしたり、あるいは部分添削をしたりできないからである。
 つまり、「ここをこう直したらよい」とか「この表現は幼稚でありすぎる」などとは『万葉集』や『金槐和歌集』の作品については、ちょっと言いにくいのである。また、木俣修先生や宮柊二先生の作品を引いて、それを私が添削をしたりするわけにもいかないでしょう。なぜならば、私が学んだ先生だからです。
 そんな意味で欠陥のある作品のほうが、むしろ都合がよいのです。

 石川啄木は短歌を「悲しき玩具」と言ったそうですが、私は短歌を
 「自分が生きていることの証明」「日々の努力目標の思考基準」
として捕らえ、そのように位置づけて考えました。
 つまり、自分自身が今日も生きていることを言葉を用いて表現して、自分自身の存在を確認しようというのです。そのような工夫をすることによって、メンバーは精神状態を常に若々しく保っていられるのではないでしょうか。

 具体的な問題として、この冊子の作品は旧仮名遣いを守っていません。
 ワードプロセッサ側の都合もあるが、実はこれから短歌を始める世代の人たちに負担が大きすぎるのではないかとも考えたからです。ある程度各自の技量が確立したときに、各自で厳格な表記に自分の作品を修正していただきたいのです。
 実際にインプットしていると、大変なことに気が付きました。旧仮名遣いのわ行の二番目や四番目の文字などが簡単には出ないのです。
 実際には、例えば「ゐ」はJISコードで二四七○、「ゑ」は同じく二四七一のようにすればよいのではあるが、そんなやりかたではどうしてもインプット中に、思考が妨げられて能率が悪くなってしまいます。
 したがって、本来ならば旧仮名遣いの変換登録をしておくのがよいのでしょう。
 しかし、ここでは「い」「え」などで代用をしてしまいました。
 そんなことも、厳密にできなかった理由なのです。

(注) 後でわかったことであるが、私の使っている漢字変換用 「ATOK17」 フロントエンドプロセッサでは、「wi」つまり「うぃ」として変換すると「ゐ」、そして「we」つまり「うぇ」として変換すると「ゑ」が出ることに気づいた。だいぶ後になってからのことだ。そしてそのことは、マニュアルの「ローマ字・かな対応表」にちゃんと出ていたのである。ちょっと見ればわかったのに、我ながら不注意に恥ずかしい次第である。

 また、むろんどのワープロでも変換のときは、送り仮名はすべて新仮名遣いで出てきます。それでは旧仮名遣いをどうしてインプットすればよいのか。これも表記法自体の登録までをすべてしておけばよいのだが、それではあまりにも手数がかかりすぎる難点があるようです。
 そんなわけで、ここでは取りあえず口語体、つまり厳格な意味での修正前の形式で記述してあることを理解していただきたい。
 いっぽう読みにくい字、読み間違いがおこりやすい字などには「かっこ」を続けて用い、ふりがなを付けました。いわゆるルビ(漢字の右側に付けた小さい文字)はいっさい用いず、括弧(かっこ)のようにして振り仮名の代用とし、大きな文字で見やすくしたのです。
 また、作品の中の漢字は必ずしも辞書の読みどおりではないと思います。例えば「年齢」を「とし」と読んだりして、全体の文字数を工夫してある箇所もかなりあるでしょう。

 さらに読みにくい部分、読み誤りが生じやすい箇所は、文字の区切りを明白に知らせるために、半文字分の分かち書きをしました。
 例えば、「もももすももも」(桃も 李も)は「もも も すもも も」のように工夫したのです。しかし、上の句と下の句を区切るための工夫や方法などは実施していません。
 私がかつて教えを受けた宮柊二先生は、歌誌「コスモス」創刊号に際しての言葉として「みずからの生の証明を」というメッセージを残されました。
 その冒頭部分を引用させていただくと、

  <われわれは作品によってみずからの生を証明したいと思います。
  われわれは内と外とに於ける時間の推移を作品から遁さないと共に、また現在が
  抱いている筈の永遠質をも注目して把えたいと思います。
   更に加えますならば、われわれがいかなる時代の生命者であるかを、作品発想の
  基盤において自覚していたいと思います。またその意味で批判精神を衰えさせない
  決心です。>

となっています。
 なお上の文中「遁さない」は「のがさない」で「逃さない」のことでしょう。
 私は、この精神に大いに感激をして、かつて十代の後半から三十代の前半くらいまで、「コスモス」の同人だった期間があります。
 しかし、その後自分自身の考えで独立をしたが、この言葉はその後の私の人生や考え方にも大きな影響を与えたといえるでしょう。

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セミナー用資料

(以下は見校正の原稿の見本:セミナー用)


  朱夏の……(生きるよろこび)


    雲と水と光 拾遺

萌え出(い)ずる木の芽のあおと川の青 なじまぬままに流れていきぬ
川原に佇(たたず)めば頬をかすめゆく水の匂いと冷たき風と
風強き土手を歩めばたんぽぽの黄色き花がほうけおりたり
くちぼそを釣りつつ子等は楽しげに話しておるを眺めていたり
             (くちぼそは鮠(はや)の俗称)
いずこより流れ来たるか流木の浮きたる部分は乾きておりぬ
塵芥(ちりあくた)流れてゆける流域の日暮れる辺り眺めていたり
考えることのみが先に走りゆく我れ慰むと多摩川に来ぬ
悠然と流れる川は支流一つ合流させて川幅広げぬ
限りなく澄みたる空に青鷺(あおさぎ)が悠然と飛ぶ川の上空
轟々とコンベア回し確実に採石船は砂利を掘り取る
休みなく土砂を掘り取るコンベアの機構しばらく眺めていたり
掘り取りしばかりの土砂を満載し土手を登りてトラックはゆく
砂利積みし貨車一輛ずつ編成し去りてゆきたり小型機関車
我が背吹く春風はまた川の面(も)を遊び渡りて対岸にゆく
多摩川の流域に はや黄昏(たそがれ)は広がりてゆき闇が迫りぬ

    白  波

冬の日の午後の海辺に一人おり沖の白波寄せくるを見る
打ち寄せる波のごとくに青春の脳裡かすめる何ものかあり
限りなく広がりてゆく海原(うなばら)に外国船の煙吐く見ゆ
滑川(なめりかわ)泡立ちており海岸の海に注ぎし辺り一面
打ち寄せる波見しうちに実朝の歌のことなど思い出だしぬ

    **

車内にて押されるままに吊革に身をゆだねれば心和みぬ
冬の雨止みたる後の石壁に衰えし蜘蛛迷いきたりぬ
たそがれの斜めに照れる冬の日は玻璃に差し来て鋭く光る
眠られぬ闇に目開きてしばしおれば盲目の我になりてゆきぬ
不安ばかりもちつつ生き来し青春を闇愛すときいたわりており
ベンジンを買い来て銅貨磨きおり赤銅(しゃくどう)色の光恋しく
死ぬことは憧れのまま過ぎゆきて今日あり窓に斜陽差し来ぬ
自慰終えて空しき気持ちに耐えおれば壁厚き部屋の闇迫り来る
耐えられぬ限界もあり自ずから耐えられぬとき気が違うらし
病棟の玻璃に初冬の太陽は乱反射して我が部屋に入る
力のかぎり生き来しに我は嘲けられ笑われ無視され なずべくもなし
ほのかなる希望のごとき幻影が蓮根(れんこん)食うとき襲い来たりぬ
死ぬほかはなきと思いて買いおきし睡眠薬が白く光りぬ
湾曲な言葉のみ発し続けおる君のやりかた我は好まず
荒涼と照る月輪は酔いし我に冷たく注ぐ踏切超ゆるに
当然のごとくに言えり犠牲者の生命と年齢ラジオより流る
偽善者のごとき顔して君のなす いやいやながらの我への親切
冬の日の黄昏の陽は窓にさし かさかさになりし爪切りており
赤い星流れしゆえに我と汝れ不幸になると言いし汝れなり
鋸歯(きょし)状の屋根連ねたる工場の煙突一本煙吐きおり
冬の風かさかさと吹く堤防の斜面に居りて雲の行く見る
冬の雲 はげしきさまで飛びゆけり やがて塊(からまり)二つに散れり
幼(いと)けなき日の思い出に光る一つ今日に至らせしめた分岐点
冬の日の曇りたる日の石塀に まいまい五匹みな死しており
放水路どろどろに濁りて川の面(も)に猫の死骸と電球浮かぶ
はかなきはかなえらるるなき夢 我が青春の遁走曲(フーガ) 走馬燈よ
執行猶予もちたる我が身いとおしみ冬の日の土手一人歩めり
雲形定規もて包絡腺(ほうらくせん)紙に書く こころ和みし冬の日の午後
不安ばかりつのりて眠れぬ冬の夜に汝れが噛みし小指 痛み来たれり
アルタイルとヴェガは幸福なり 出会い思いて眠らんとする
<ばかなやつだ>と言われつつ今日も生きたり部屋に残照残る
己れの中に別の己れのいるごとき錯覚のせる冬の日続く
幾たびか死なむとも迷い また幾たびか生きむとも思い 現在はある
冬の午後 なずべくもなく公園のベンチに仰向けになれば鉛色の空
なすべくもなき一日を終わらむとしてセーターを脱げば静電気起こる
汝れの給(たま)いしハンカチは吊るされており物干しに冬の風強き日
いつの日かマンネリのリズム身につきて生き続けおり嘲(あざけ)りもせで
あこがれは あこがれのまま あらしめて融解熱もたぬ青春は逝く

    **

***秋川の川面を打ちて晩夏(おそなつ)の嵐のごとき雨けぶるなり
端正にうすむらさきの花開く妻の植えたる小さき茄子は
物を思えば寂しかりけり秋の日につくつく法師鳴く狂おしきほど
初蝉の鳴き立つ庭にひとしきり黙して子らは無心に遊ぶ
冬の陽のさし来る縁に動作鈍き子をいつくしみ爪切りてやる
冬の波打ち寄せ返す海岸に戯れており我が子ら二人
ひとしきり降りつづきたる冬の雨 白く濁りて堰(せき)溢(あふ)れゆく
何故に襲い来たるか静寂のときの鋭き心の虚脱
過ぎしこと悉(ことごと)くみなあさましき具象となりて襲い来たりぬ
不合理という言葉一つ気にしつつ不合理しいて今日も終わりぬ
池の面は鈍く光れり たそがれの静けさのなかに水鳥動く
それぞれの性質(さが)にしたがい思うままに生きてゆくべし命果つまで
あるときは蛇の如くに狡猾の我に気付きてかなしくもあり
議論して打ち負かされし日の夜は一人になりて黙しおりたり
手の指を握りてみたり丸まりて思うままなれば心和みぬ
我が立場失うかも知れぬ会議なり気を静めんとネクタイ直す
ほどほどに物をば思う性質(さが)なくて あさましきほど徹底にゆく
不愉快も耐えしのびつつ平静を保てば人は鈍物という
命令という名のもとに辻褄(つじつま)のあわぬ配置に甘んじており
一人のみ部屋にしおれば西日さす窓の眼下に水たまり光る
子どもらはおのもおのもに奔放に振る舞いており教室の中
素早きも鈍きもおれりバトンもてリレー遊びの幼子(おさなご)見れば
参観に加わりており奔放に振る舞う子等に茫然として

    **

わが打ちしSなるコマンド忠実にコンピュータは実行したり
幾百のインジケータ点滅し生きもののごとくコンソール盤光る
メモリーといいし部分は放熱の激しきゆえに冷却しをり

    **

企画力鈍りし我は木偶(でく)のごと 黙しておりぬ会議の席に
突然に孤独感来ぬ性(さが)ゆえの思うままなる振舞いののち
ほとぼしるごとき情熱いつよりか失いしなり安易に酔いぬ
満たされぬこころというか酔いしとき空しき思い現れて消えぬ
狂おしきまでに酔いしれ やうやうに我が家につきて放心したり
晩秋の富士間近にて頂上の部分に雪がひときわ光る
さざ波をきざむ湖面はおぼろげに富士の輪郭黒く映(うつ)せる
病むために床に伏しつつ思いおれば柿の梢に白き雲ゆく
臥ししまま窓より庭の紫陽花(あじさい)を見つつしおればうとましくなる
焦燥感多き日にしていかにせむかと迷いおるとき子のピアノ鳴る

    心の感謝−−−鹿野治郎氏に返礼として

心より感謝する気持ちもちてから やすらけき日の続きおりたり
よくもなく悪きもなきて一日は心やすけく終わりたりけり
りっぱなる行いもなく一生は空(むな)しく逝くか空(くう)のまた空(くう)
感謝する日々を送りていつの日か欲薄(よくうす)くなり心やすらぐ
謝礼のみ求めてなした講演や著述を恥と思い悔やめり
致しかたなきときにまず何気なく開きおりたり「使徒のはたらき」
しばらくは心和みておりたれど やがてサタンがそそのかしくる
ままにある心の中のサタンゆえ よからぬ思い苦しかりける
すっきりとした心もて毎日が過ぎゆくことを願いおりたり

    **

なに故にこころ苦しきときのある冬の一日をもてあましたる
何ゆえに心くるしきときのある通勤の朝に冬の雨ふる
美しきかたちの何故か落ちつきのなき感覚が潜む
親を失い子を失いてしかる後……


 こころ空しきときに独り香をたきけむりの昇るのを眺めおりたり
 一すじのけむりの登り……
 充実のなき日々を繰返したるうちに
……紅き梅咲きをり
 手なぐさみにパズルを解く→パズルにうむ(飽きる)
 あらそひはみにくきものと知りつつもなおあらそうは人の運命(定め)か
 久々に何年か前の自分のうたをよみてなつかしき心地する


 ベートーヴェンのピアノソナタの弾きにくきフレーズさらひておれり
 錯覚と現実の交錯せる混沌の中にをり
 爪ささくれて母のことなどをふと思ふ
 人生の不足の部分を一つづつ(一つ一つ)充足してゆきたし(ゆこうではないか)


 思うこと(考えること)のみ多く何もせぬうちに年あらたまる
 人生のある時期はこころむなしく耐えしのびをりやる術もなく
 ほどほどにものを言いては性質ゆえにこころ満ちずに苦しかりけり
 もの言えは言うほどこころむなしく満たされぬ思い深まりていく
 日一日をただ思いきり大切に生きてゆきたし命果つまで
 あるときはこころむなしく耐えをればこころ静かにやすらけくあり
 あれこれと迷い(悩み)をるときせわしげに初蝉が鳴く


 ひらひらと桜散る散る花ふぶき
 つきつめて言うこともなくことさらに荒立てもせず生きたるのみ
 右顧左眄(うこさべん)することなくて我が道をただひたすらに進みて老いぬ
 何ゆえに地獄・極楽そのものを信じておらぬ我(わ)が垣間(かいま)見る
 元来は脳のもたらす幻影と思いおりしが死後も恐ろし
 散りゆくを憂いをもちて見る人の かすみかくもか夢まぼろしか
 はてしなく春の日の遠き野山をかけぬきてゆく幻のごとくなりけり
 ふつふつと沸き上がる(あぐる)ごとき……なずべくもなく迷いおりたり
 つきつめて思えば我の生きざまは見苦しきほど空しかるべき
 猫かむりする汝の手に桃色のマニュキアしたる爪鋭く光る
 「武士道は死ぬことと見つけたり」と『葉隠』が言う超合理主義
 メモ紙片たまりたまりて未整理のままに束ねてトレイの中に
 何故に挫折したるか人生の一時期にあるスランプ多し
 何故に襲い来たるか ひしひしと老いの不安が心をよぎる
 いつ襲い来るかわからず足腰の痛み思いて不安なる日々
 還暦を過ぎたるころか執拗に襲いきたりし「死」なる概念
 私(わたし)とは いったい何であろうかと つくづく思う 初老のころに
 右顧左眄(うこさべん)することなくて一人のみ 進みて来しか還暦の後
 おしなべて幸せな日々去りゆきぬ おおむね良しと心安らぐ
 思い出は楽しかりけり いつの日かその思い出も薄らぎてゆく
 可能性ほぼ一つずつ失いて いつしか日々がうとましくなる
 可能性失いてきて確実に 青春は逝き 壮年も去る
 柿食(は)めば幼き記憶の断片が ふと鮮やかによみがえりきぬ
 頼まれしこと以外には何もせぬ わが毎日にいつしかなりぬ

付録(俳句)

1998年3月13日(金) 俳句の先生でもあった大岩唯浩先生に封書で送る
 むめ咲きて やがて桜の余生かな
2002年2月22日、大岩先生と武蔵境ロイヤルホストで話した後に、西武線経由で是政より帰る途中、府中郷土の森横で
 いずこより香り運びぬ梅の花

 うつむきて歩みし我に彼岸花

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Kuroda Kouta (2004.03.09/2007.02.11)