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  貴四鬼子母神



はじめに
千葉県市川市中山の鬼子母神(大仏)
豊島区雑司ヶ谷の鬼子母神
台東区入谷の鬼子母神
墨田区駒形の鬼子母神
浅草界隈と高守さん
おわりに


はじめに

 江戸三鬼子母神というのがある。それは、
  千葉県市川市中山の鬼子母神
  豊島区雑司が谷の鬼子母神
  台東区の入谷鬼子母神
の三つなんです。
 他にも、
  墨田区駒形の鬼子母神
が有名だ。

 したがって、江戸三鬼子母神と駒形鬼子母神を合わせて、このページでは貴四鬼子母神(きしきしもじん)と(私は)言う。つまり、人口に膾炙(かいしゃ)された言葉ではないので、くれぐれもご注意。
 鬼子母神(きしもじん)というと、私はアングリンマーラのことなども思い出す。この機会に、鬼子母神について、ちょっと調べてみたい。

 なお、このページには
  雑司ヶ谷霊園・夏目漱石・護国寺・その富士山
  浅草界隈・地下鉄車内の吊り広告についてニュース批判
に関する話題などが、脈絡もなくダラダラと記されています。
 しかし、それらは管理人がボケてしまわないように「回想創造法」による「老化予防」の試みとして附加されたものですから、ご承知置きください。
 その後、
  雑司が谷霊園
  護国寺(大仏・大観音・魚籃観音)
は内容が増加したので、「護国寺駅周辺」に写した。

 さらに、本文の途中に入れた脚注のような「濃紺色の小さな文字」も同じ主旨。したがって、それらの箇所は読み飛ばしていただくほうがよいでしょう。つまり、小さい文字だけで書かれた
   (注) 高守さんと「いせや」の焼き鳥
などという箇所は、まったくお読みになる必要はありません。


千葉県市川市中山の鬼子母神(大仏)

 所在は、千葉県市川市中山二丁目。正中山法華経寺にある。
 江戸三鬼子母神というから、東京都内にある駒形の鬼子母神と思ったが、実際にはここ。当時は、江戸の範囲が広かったのかもしれない。




 JRの下総中山駅には、おそらく生まれて初めて降りる。時計塔とビルディのある駅。電車は屋上に走っているのだが、写そうと思っていてもなかなか来なかった。

 手前のヤクルトの女性に、
  「鬼子母神に行くときは、この駅と京成中山駅とどっちがふつう?」
と聞いてみた。すると、
  「(京成)中山は普通(電車)が少ないので、しもうさのほうが便利。」
と言った。京成線は成田に行く列車や特急などがたくさん走る路線ではあるが、各駅停車が少ないらしい。

 いつもこの駅を通り過ぎるときに、疑問に思っていたのだが、この「下総中山」の読み方である。
 実は、つい最近まで正しく読めなかった。つまり、「上総」「下総」を「かずさ」「しもふさ」と勘違いをしていた。お恥ずかしい次第。そこで、ちょうどついでなので調べてみた。
 上の写真では読めないかもしれないが、ローマ字では「Shimousa……」となっていた。ただし、「o」の上には長音の「-」が付いている。駅内の縦書きの板には、平仮名で「しもうさなかやま」となっていた。
 しかし、下の表示板ではローマ字表記が駅のとはちょっと違うみたい。

(注) 同じようなことかもしれないが、「秋葉原」を「あきはばら」ではなく「あきばはら」という人がいる。秋葉神社のことを考えると、「あきばはら」が本来の読み方かもしれない。


 なお、「下総」はかつて「しもつふさ」とも言った。そんな意味で、私は「しもふさ」と勘違いをしたのかもしれない。ちょっと弁解がましいか。




 これから行く鬼子母神であるが、実は「」の字が違うのである。上の二つ目の文字を見ていただきたい。ここでは、「鬼」の上に「角」(つの)がないのである。

(注) 鬼子母神も、本来ならば「きしじん」と呼ぶのであろう。しかし、上の標識のローマ字からわかるように「きしじん」ということが多いようだ。


 なお、標識からおわかりのように東山魁夷記念館がある。美術の好きな人は、寄ったらよいだろう。私は、文学や美術、そして音楽などにあまり関心や興味がない。だから、入らなかった。




 上は、京成線の中山駅から法華経寺を望んだところ。狭い道の両側には、店舗が並んでいる。寺の大きさに対して、街は何となくごちゃごちゃしているみたい。この踏切を成田に行くスカイライナーなどが轟音を残して疾走する。

(注) 考えてみると「竹の棒一本」で仕切って、時速100キロメートル以上の列車を道に通すというのは、何とも大変なことである。昔の大名行列と同じように、危険きわまりない。しかし、それが現状。そして、常識。後世には野蛮と写るかもしれない。
 しかし、踏切の初期には、「踏切が反対」であった。上の図で例えれば、踏切の向きが90度ずれていたのである。つまり、列車は人や車(と言っても当時は自動車でなく荷馬車であるが)、それらが通り過ぎていなくなるまで、停まって待ったという。踏切が列車を止(と)めて、人間が安全に渡れるようにした。ちょっと、信じられない話である。
 今考えると、その方法であれば安全きわまりない。





 上は仁王門。左側に立っている金色の「南無妙法蓮華経」の文字がおわかりでしょうか。いかにも、法華経寺といわんばかりの山門でしょう。参道の両側は寺。人家ではない。それぞれが一つの寺で、それなりの風格がある。つまり、左右に寺を見ながら参道を行く。




 下の説明板には、ていねいに故事来歴が書いてある。




 下は、境内の案内図。まったく素晴らしい配置。参道にある他の寺などを除いても、実に堂々たる堂宇(どうう)である。鎌倉で言えば建長寺や円覚寺クラス。材木座にある光明寺は、この法華経寺よりちょっと狭いかも?




 上の案内図から見ると、祖師堂という建物がいちばん大きいのではないだろうか。まず、その堂々たる祖師堂の姿を下に示してみよう。




 下は、本院・大客殿である。それらも実に堂々としていて、厳かで立派。




 境内には、「日蓮宗大荒行堂」というのがあった。いったい、どんな行をするのであろうか。




 本院・大客殿の奥に鬼子母神堂があって、そこに鬼子母神がまします。下の写真の上にある額からも「鬼」の字には角のないことがおわかりでしょう。




 さらに内部に進むと、下の写真。今度は、欄間にある額が右から左に書いてあって、「尊」の字が入って「鬼子母尊神」となっている。ここで、私も正座をして10分ほど読経を聞いていた。正座などは数十年していないので、足がしびれてしまった。そして、15分ほど動けなかった。




 五重塔は工事中で幕で覆われ、残念ながら見ることができなかった。
 しかし、その代わりと言っては失礼かもしれないが、木々の中に大仏がましました。




 同じ大仏さまでも、横から見ると何となく憂いを帯びておられるご様子。涅槃(ねはん)に入(はい)られたご状態なのだろうか。

(注) 涅槃(ねはん)とは、すべての煩悩(ぼんのう)を捨て去った状態。つまり、悟(さと)りの境地である。人間が一切の苦しみから解放された不生不滅の境地を言う。
 そのようなことから、単に「死ぬ」ことも涅槃というようになった。
 そう考えると、私(黒田康太)も間もなく涅槃に入(はい)れるはず。




 その本院・大客殿のロビーに、青山書店のなつかしい本が置いてあった。その本は40年くらい前に、鎌倉の長谷寺で子どもに何冊か買い与えたことがある。しかし、いつごろからか本がなくなっていた。数年前に、そのシリーズの本が欲しくなって出版社に行こうと思い、六本木から妻と尋ねて歩いてみたが、わからなかった。しかたなく青山墓地を抜けて、千駄ヶ谷門から新宿御苑に入り、温室などを見学してから新宿門を出て、角筈で「追分け団子」を食べて帰ったことがある。

 そんなこともあって、うれしくなったので、次の四冊を買った。
  『鬼子母神(きしもじん)さま』 鈴木宋音監修 中村ひろし原画
  『父母恩重経(ふぼおんじゅうきょう)の話』 鈴木宋音監修 中村ひろし原画
  『十王(じゅうおう)の話』 鈴木修学監修 中村ひろし原画
  『八正道(はっしょうどう)の話』 鈴木修学監修 光山勝治絵
 このホームページの青空ライブラリにある『父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)』は「ふぼ」でなく「ぶも」となっている。ついてながら、その意味で「父母」は「ぶも」または「ふも」なのである。「鬼子母神」が正式には「きしじん」でなく「きしじん」であることから、おわかりでしょう。
 なお、青山書店は「港区青山」から「杉並区西荻北」に移ってることが、買った本からわかった。

 法華経寺からの帰りに、入谷鬼子母神に行こうかとも思った。しかし、考えてみると神さま同士が競合してしまうかもしれない。そんな意味もあるので、やめた。実際に、上記シリーズの『観音経と観音さま』という本に、災難に遭った男が寺社の「お守り」をたくさんもっていたので、神さまや仏さまが互いに譲り合って出遅れてしまい、危険な目に会うというのがあった。それに対して、観音さまだけを信仰している男のほうは、何ともなく無事に助かったという話。

 そこで、私もきょうはここの鬼子母神さまだけにして、帰ることにした。
 急がなかったので、京成電鉄に乗る。京成中山駅は無人駅ではないものの駅員が一人しかいない。小さな踏切があって、そこを通って下りのホームに行く。井の頭線の40年前くらいの風景である。駅のベンチにはおばさんが一人。私も、ベンチで20分ほど電車を待つ。急行やスカイライナーなどが通り過ぎる。
 なるほど、ヤクルトの女性が言ったとおりだと思った。

 下りの電車に「うすい行き」という電車がきたので、どんな字を書くのだろうと駅名表を見たら、やはり平仮名の「うすい」であった。佐倉の一つ手前である。
 各駅停車に乗って、上野まで出た。上野から、JRで新宿経由、京王線で聖蹟桜ヶ丘まで帰った。




 一日にかかった交通費は、
  聖蹟桜ヶ丘 〜 新宿  310円
  新宿 〜 下総中山  450円
  中山 〜 上野  360円
  上野 〜 新宿  190円
  新宿 〜 聖蹟桜ヶ丘  310円
の計1620円であった。
 この費用で、一日の移動が短時間で安全にできるのは、何とも有りがたいことである。


豊島区雑司ヶ谷の鬼子母神

 きょう(2007年5月16日(水))は、今までに行った中山・入谷の鬼子母神に続いて、豊島区雑司が谷三丁目の鬼子母神堂に参拝。そこは、前に行ったときの印象と行く前に地図で見て、寺ではなく神社と思っていた。が、……。
 新宿でJRに乗り換え、目白駅で降りた。




 目白というと、学習院が有名。教育内容はよく知らないが、その門構えは私が学生時代と変わっていないみたい。




 鬼子母神には、西参道から入った。地図には鳥居のマークが付いているが、正式には「雑司ヶ谷鬼子母神堂」といい、威光山法明寺が本坊になっているという。そして、その法明寺はだいぶ離れた豊島区南池袋にあるという。

(注) もしかしたら、明治の「神社・寺社」の統廃合でそんなことになったのかもしれない。
 寺社ばかりでなく、その後も(先の戦争前後)ずいぶんと宗教の統廃合があったようだ。例えば、キリスト教は日本キリスト教団にまとめられたということを聞いたことがある。後になってみれば、国の方針なども危ういものだ。私の記憶違いかもしれないが、……




 内部に見える建物をズームアップすると。敬虔そうな若い女性が、参拝をしていた。




 境内には、下のような石像があった。おそらく、ご本尊である鬼子母神のイメージを表しているのだろう。二柱の仁王様と同じで、屋外にお立ちになっておられる。




 鬼子母神の縁起。ちょっと、光って読みにくいが。また、フラッシュを写してしまったが。




 ご本尊が祀られている。石榴(ざくろ)の絵馬がたくさん懸けられていた。石榴は人間の肉の味がするというが、本当だろうか?




 上の図の提灯(ちょうちん)でもわかると思うが、やはり「鬼」の字には「角」(つの)がない。さらに、下記の額ではっきりおわかりでしょう。




 下の写真は、本殿を正門から見たところです。




 本殿のズームアップ。




 しかし、この社(やしろ)には山門がありません。その代わり、仁王が二つ入り口に立っていました。上の写真ではわかりにくいので、大きくなって下に並んでいただきましょう。

  


台東区入谷の鬼子母神

 台東区下谷一丁目にある法華宗真源寺の鬼子母神を尋ねてみた。
 江戸時代の文人太田蜀山人が「恐れ入谷の鬼子母神、びっくり下谷の広徳寺……」と書いたそうだ。江戸時代には、こんな洒落が流布したみたいである。真源寺は、万治2年(1659年)創建。
 鬼子母神はインドの女神。凶暴で子供を取っては、食べてしまう。そこで、釈迦はこの鬼子母神の末子を隠し、子を失う悲しみを教えて改心させたという。それ以後、安産の守護神として信仰されるようになった。
 東京メトロ日比谷線入谷駅を降りると、交差点には「入谷朝顔発祥之地」と「入谷乾山窯元之碑」というのがあった。「窯元」は、「かまもと」と読むのでしょう。そして、そのちょっと先に鬼子母神。

(注) 下の写真では、よく見えないかもしれないが、……
 鬼子母神の前の道路には、警官がずっと見張っていた。何をしていたかというと、この碑の向こう側の道をバイパスした車が一時停止をしなかったときに止(と)める。私が鬼子母神の境内にいたときも、数台が引っかかった。
 斜めに道が入っているので、止めるない違反者が多いのであろう。




 ここの鬼子母神も、「」の上に「角」がない字を用いている。入り口の表札が小さいので、目があまりよくない人は読めません。そこで、右にその部分を大きいままにしておきましょう。

  


 入り口には、下記のような故事来歴が綴られていたので、参考になるかもしれません。




 下の写真は、本殿である。右に見える建物は別であるが、左の鉄筋は寺の一部である。そして、さらにその左手には墓地があって、小さな大仏もあった。(大仏にしては小さく、法華経寺の半分以下の大きさでした。というような意味のわかりにくい記述で、すんません。(^_^;))




 ご本尊の鬼子母神は下のようにましましています。参拝をしてから15分くらいいましたが、誰も来ません。お昼前であったからでしょうか。お寺の人も出ていないので、まったくひっそりとして、私一人でした。




 そこで、賑わいを求めてというわけではありませんが、上野まで歩いたんです。
 上野駅の北側というか、鶯谷・日暮里方向の両大師橋という跨線橋を渡った。下には、上野駅。東北新幹線なども停車しているのが見える。その付近の地図は、ここ をクリックしてください。


墨田区駒形の鬼子母神

 墨田区東駒形三丁目の日蓮宗法華寺にも、古くから鬼子母神がまします。
 新宿から総武線に乗り換え、秋葉原の次の浅草橋下車。都営地下鉄浅草線に乗って「本所吾妻橋」駅で降り、南西100メートル。赤門福厳寺の対面(といめん?)にある。福厳寺が立派で厳かな印象であるのに対し、法華寺は何となく個人経営の感じ。まず、その入り口をご覧(ろう)じ有(あ)れ。

(注) ここで、ちょっと横道。
 浅草橋から本所吾妻橋までは、「急行青砥」(あおと)行きに乗った。その車両は京浜急行のもので、車両の両端だけが四人がけの横向きシートになっていた。いわゆるベンチ式でない客車のシートである。反対側のホームに「快特三崎口」行きというのが停まった。見ると、すべてのシートが横向きだった。「快特」とか「急行」と言っても、泉岳寺から押上までの地下鉄区間は、すべて各駅停車になるらしい。
 京浜急行は、新幹線と同じ広軌(1,435ミリメートル)である。私は、地下鉄に広軌があって相互乗り入れができるなどとは、まったく考えていなかったので、改めての感激した。また、客車シートに座ってわずか三つ目の駅で降りたのだが、久々であったので楽しかった。




 上の写真の左側の門柱からわかるように、ここの「鬼」という字にも「角」(つの)がない。そして下図のように、ご本尊も何となく質素であられる。




 上の写真の右端に見えるのは、見習い僧である。この写真には写っていないが、さらに右におっかなそうな僧がいた。そして、何気なく聞いていると『十界』の有様や『十王経』の内容を説教していた。




 壁には、宗旨が貼ってあった。四つに折ってあった紙を拡げて、単に画鋲で留めただけである。このことからも、教義に熱心な僧がいるらしい。私は、話しかけられそうになったので、早々に狭い本堂を離れた。




 境内にあったこの鬼子母神の石像小屋の説明文も手作りであろう。<女房>とあって、
    <共に信用あれ 鳥の二つの羽 車の二輪なり>
と描かれているのが、印象的である。
 境内には他にも、下のような観音さまが石碑とともに立っていた。




 ついでに、対面(といめん?)にあった赤門。小さいながらも、堂々とした格式の堂宇(どうう)。




 その赤門の右側にあった小さな地蔵。大きくすると、下のように。「福徳幸地蔵」と書いてあった。今はないが前に、昭島や聖蹟桜ヶ丘の「福徳」という焼鳥屋で、よく焼酎を飲んだことなど、ふと思い出す。




浅草界隈と高守さん

 気分がよかったので、浅草まで歩いてみた。その界隈の地図は、ここ をクリックしてください。
 途中に、下のような変なデザインの建物があった。





(注) 高守さんと「いせや」の焼き鳥

 このページを作成してから、かなり後の5月24日のことである。
 高守さんが見てくださり、感想を言ってくださった。すぐに、お礼のメールを次のように書いた。
 「ごていねいに、メールありがとうございました。お誉めいただいて、恐縮です。
 実は、アサヒビールのことは、知っていたんです。私は、いつもキリンのピッチャーという生ビールを飲んでいるので、つい書きそびれちゃって、……

 デブで気難しいニール=ドルフではありませんが、私も一日に何回もビールを飲んでいました。驚いたことに、ニール=ドルフは映画になどなろうはずがないと思っていたキャラクターですが、先日237番ミステリチャンネルを見ていたら、「グルメ探偵ネロ・ドルフ」となって放-映されているではありませんか。
 明日の朝、8時ごろに電話をします。ご都合がよかったら、久我山まで行きますので、よろしく。」
 そんなわけで、
私は文章の批評を高守さんから詳しく聞きたいので、久我山まで行った。そして、駅前のドトールでコーヒーをご馳走になってしまった。いろいろと有意義な話を聞くことができて、とても勉強になった数時間である。
 ドトール店内禁煙室での高守さん。ご覧のように、とてもお元気であった。



 高守さんへの言い訳に、
 「三鷹の大岩さんが亡くなり、吉祥寺の「いせや」という焼鳥屋が立て替え中なので、久しくこの方面にはご無沙汰」
とやった。そして、別れたのがお昼前。どうも、無責任な言い訳だったようで心配。
 「いせや」の話は一年前であったから、もうできているんじゃないかと考えたからだ。

 
そこで、確認のために行ってみた。ロンロンを抜けて、雨の中を交番の先の現場に行ってみると、まだ更地でブルトーザが置いてあった。雨のために、工事を中止しているらしい。工事のために白い塀がしてあって、そこに「仮店舗による営業」と書いて二箇所があった。
 「井の頭公園の入り口」の店(七井橋の北側)は、前に数回行ったが、あまりおいしくない。
 もう一つは、吉祥寺駅の北口。そこで、いやしい私は行ったみた。雰囲気が今までの店と似ていたので、ストレート焼酎(梅割り)と煮込みと焼き鳥6本を平らげた。まったく、昔の味である。50年ほど昔に、妻と行ったときの味と変わりない。うれしくなってしまった。なんとなく後ろめたかったので、妻にも「レバ」「ハツ」「タン」2本ずつを垂れ(たれ)で焼いてもらって、おみやげにした。

 それを夕飯のときに、炊きあがったご飯に10分ぐらい載せておく。家に、電子レンジがないためだ。袋に残っている垂れは、ご飯を盛りつけてからかける。そんなことをしてみたら、妻は「鰻(うなぎ)の蒲焼き(かばやき)」よりも美味(おい)しいと言った。
 やれやれである。


 隅田川にかかる赤い吾妻橋を渡ると、そこはもう浅草。下図のように、橋は古いタイプでも上に高速道路が走っている。




 川を下流に向かって青い駒形橋を望んで写す。私には、どうも今春たけなわの季節と言いながら、「春のうららの隅田川」ちゅう感じがしない。




 浅草は、三社祭をやっていて超ごったの人が出ていた。そこで、花屋敷に行ってジェットコースターに乗ろうと思った。妻と40年以上前に乗ったことがあるからだ。しかし、行ってみるとその日本最古のコースターは点検のために運休中であった。


おわりに

 田原町から乗った帰りの地下鉄の中に、下図のような吊り広告があった。




 中に、隣国の中国に関すると思わしき記事、
  <毒野菜・毒うなぎの次はハマチが危ない>
  <中国の「毒」の輸出先>
  <キティ・ドラエモンは中国人の独創だって>
などがあって、さらに私が提唱している幼少年期の教育に関する問題の嚆矢(こうし)とも言いえる
  <「母頭部持参」高3男子の「闇」>
など、いろいろと考えさせられることが多い。
 あなたは驚くかもしれないが、上に抽出した項目だけでも、かなり深い相関関係があるのではないかと私(黒田康太)は思う。

(注) 食べものについては、問い合わせのある度に ここ のような説明をした。そして、輸入の野菜や魚などについて「多摩市の健康グループ」に対しては、何回も警告を発し続けてきたのではあるが、……
 そこの書かれているような食生活を続けていると、やがて「価値判断」や「善悪の常識」まで変わってしまい、どうしても「病的な性格」や「異常な行動」、そして「陰鬱な犯罪」をする人ができてしまう。とくに、「発育盛り」の若い世代には。
 すでに私には該当する子どもはいないが、若い子どもがいるご家庭では細心の注意をしたほうがよいでしょう。ある日、突然の事件を起こして「こんな子じゃなかった!」などと言わないためにも。


 新宿で京王線の特急に乗って聖蹟桜ヶ丘の改札口を出ると、上村さんにひょっこり会った。もうじき百歳になられるが、とてもお元気である。改札の向かいにある喫茶店で、コーヒーをご馳走になってしまった。
 とにかく、私自身も事故や怪我もなく、楽しくて有意義な半日だった。


Kuroda Kouta (2007.05.11/2010.11.27)