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  高幡不動尊の文学碑



はじめに
宮柊二の歌碑<蝋燭の長き炎のかがやきて揺れたるごとき若き代過ぎぬ>
野村清の歌碑<うつせみの八十の老や杖ひきて紅葉ふみわけ暮秋の山>
芭蕉の句碑<名月はふもとの露や田のくもり>
鍵和田釉子の句碑<未来図は直線多し早稲の花>
山口誓子の句碑<如来出て掌に受け給ふ枝垂梅>
皆川盤水の句碑<この寺の風鐸の音濃あぢさゐ>
村沢夏風の句碑<むさし野の雲ふはふはと初不動>
鏡水の句碑<木に石に仏心棲めり紫陽花寺>
山内八十八ヶ所巡拝二つ目<囀の十方界や晴れて来し>
石田波郷の句碑<濃あじさゐ吾らが病みし日も遠し>
高橋悦男<一と声は雲の中より百千鳥>
清崎敏郎の句碑<紫陽花も山紫陽花も法の山>
夏風の句碑
紅葉句碑(これは人名でないらしい)
有山菫糸<法鼓鳴り花人山を下りてゆく>


はじめに

 高幡不動尊の境内には、かなり多くの文学碑があります。一つ一つ見ていきましょう。


宮柊二の歌碑<蝋燭の長き炎のかがやきて揺れたるごとき若き代過ぎぬ>

 裏山の「西国八十八ヶ所巡り」や紫陽花のところへ入る道の左側に、宮柊二(みやしゅうじ)先生の歌碑がありました。私の大好きな短歌で、『宮柊二自選歌集』の「日本挽歌」の最後にあります。つまり、その「歌集」の最後に置かれた短歌。
 <蝋燭の長き炎のかがやきて揺れたるごとき若き代過ぎぬ>
 なお、老婆心ながら「蝋燭」は「ろうそく」、「若き代過ぎぬ」は「わかきよすぎぬ」と読みます。




野村清の歌碑<うつせみの八十の老や杖ひきて紅葉ふみわけ暮秋の山>

 宮柊二の歌碑の隣りに、同じ北原白秋門下の野村清。二つを兄弟歌碑と言うらしい。




芭蕉の句碑<名月はふもとの露や田のくもり>

 芭蕉の句碑もありました。漢字で書いてあるのですが、その読みは
 <名月はふもとの露や田のくもり>
となるのでしょうか。




鍵和田釉子の句碑<未来図は直線多し早稲の花>

 「鍵和田秞子」と書く場合もあるらしい。




 定慧観音の右後ろにあります。




山口誓子の句碑<如来出て掌に受け給ふ枝垂梅>

 「掌」は「たなごころ」ではなく、単に「て」と読むのでしょう。




 分骨の次は「埋塋」。後ろの文字は「はか」のこと。




皆川盤水の句碑<この寺の風鐸の音濃あぢさゐ>

 皆川盤水<この寺の風鐸の音濃あぢさゐ>の「ゐ」は「い」。




 風鐸(ふうたく)は、仏堂や仏塔の軒につるしてある鈴のこと。風鈴(ふうりん)の一種であるが、かなり大きなもので、そよ風くらいでは鳴らない。盤水が聞いたであろう風鐸は、この寺の五重塔にある二十個のことだと私は思う。
 ついでながら、銅鐸というのがある。弥生時代の青銅器の一つであるが、何に使われたか目的がわかっていない。
 風鈴には癒しなどの効果があるが、大きな風鐸には魔除けの意味があることを渡邊五郎師に教えていただいた。




村沢夏風の句碑<むさし野の雲ふはふはと初不動>

 山内八十八ヶ所に入る前にあります。




鏡水の句碑<木に石に仏心棲めり紫陽花寺>

 山内八十八ヶ所巡拝の山内第三番(亀光山金泉寺)と山内第四番(黒巌山大日寺)の間に、二つの句碑があり、その一つ目。




山内八十八ヶ所巡拝二つ目<囀の十方界や晴れて来し>

 山内八十八ヶ所巡拝の山内第三番(亀光山金泉寺)と山内第四番(黒巌山大日寺)の間にある二つ目。「囀」は、「さえずり」と読むらしい。



石田波郷の句碑<濃あじさゐ吾らが病みし日も遠し>

 石田波郷の句「濃あじさゐ吾らが病みし日も遠し」。




高橋悦男<一と声は雲の中より百千鳥>

 フラッシュで光ってしまった。高橋悦男「一と声は雲の中より百千鳥」。「百千鳥」は「ももちどり」と読むらしい。




清崎敏郎の句碑<紫陽花も山紫陽花も法の山>

 敏郎の句であるが、石の大きさに対して文字が少し小さく、ちょっと読みにくい。




夏風の句碑



紅葉句碑(これは人名でないらしい)



有山菫糸<法鼓鳴り花人山を下りてゆく>

 ちょっと読みにくいが、<法鼓鳴り花人山を下りてゆく>。法鼓とは、太鼓を鳴らすことや仏教を説くことを言う。




Kuroda Kouta (2010.03.29/2010.05.11)